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フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 4-5


04 アマーロ 悲しみは訪れる|5 騎士の矜持

 ロジオン王国に於いて王国騎士団長を務めるキース・スラーヴァ伯爵は、腹心の部下であるラザーノ・ミカル子爵と共に、夜半の王城を歩いていた。わざと供の者も連れず、二人だけで歩く道々、スラーヴァ伯爵とミカル子爵の口は滑らかだった。

叡智えいちの塔に着いたら、召喚魔術まで間もなくですな、閣下。こうして参上致しましたものの、そのような魔術、果たして成功するものなのでしょうか。わたくしには、御伽噺おとぎばなしに近しい荒唐無稽こうとうむけいな話にしか思えませんが」

 叡智の塔を擁するロジオン王国は、世界一の魔術大国の名をほしいままにしてきた。千年に一人の天才と呼ばれるゲーナを魔術師団長に仰ぎ、魔術術式の構成に於いても、魔術機器の発展に於いても、他国の追随ついずいを許さない程の力を誇っているのである。しかし、そのロジオン王国の魔術師達であっても、異世界しくは異次元から人を召喚する魔術など、到底現実的だとは思えない。懐疑かいぎの念を隠そうともしないミカル子爵の問い掛けに、スラーヴァ伯爵は淀みなく答えた。

「普通に考えれば、愚にも付かない夢物語が実現するわけがないが、今の魔術師団長はのゲーナ・テルミンなのだ。千年に一人の天才と謳われるゲーナ殿に出来ないのであれば、召喚魔術を使える者などこの世におらず、この先も現れはしないだろう。そうなると、ロジオン王国は困ったことになる」

 ほのかな星灯と魔術灯に照らされた深夜の王城に、スラーヴァ伯爵の声が静かに響いた。ミカル子爵は素早く周囲を見回し、怪しい気配がないかを探る。スラーヴァ伯爵の言葉は、酷く危険なものを孕んでいたからである。

「閣下、この場で御口になされてよろしいのですか」
「そなたの用心深さは賞賛に値するな、ラザーノ。心配せずとも良い。今宵に限っては、近衛このえ騎士団の犬共も、容易に底を見せない王家の夜も、他の場所を探っているだろうさ。それに、万が一聞かれた所で、然程は困らぬ。我らがロジオン王国が、大きな岐路きろに立たされていることは、名のある貴族であれば大抵は勘付いているのだから」
「閣下の仰る岐路とは、資源の問題ですね」
勿論もちろん。青光石や聖紫石を始め、魔術の媒体となる輝石きせき類は、ロジオン王国では既に取り尽くされようとしている。恐らく我々が予想するよりもずっと早く、魔術的な資源は尽きるだろう。魔術陣に魔力を流す為の触媒がなければ、魔術師といえども身体強化くらいしか出来なくなるのだから、やがてはロジオン王国から、魔術師と名乗る者が消え去るのかも知れぬな。我が国にとっては、誠に深刻な問題なのだろうさ」

 どこか揶揄やゆを含んだスラーヴァ伯爵の言葉に、ミカル子爵は複雑な表情で眉を下げた。一定の身体強化を可能にする程度の魔力しか持たず、魔術にも魔術師にも特に関心も持ってこなかったミカル子爵には、魔術触媒しょくばい枯渇こかつもたらす影響の大きさが、ぐには想像出来なかったのである。

「このロジオン王国から魔術師が消えたとして、どれ程の影響が有るものなのか、わたくしには想像が難しいようです、閣下。魔術師になるだけの才を持たず、元々魔術とは無縁の生活を営んでいる所為だとは思いますが」
「影響は大きいぞ、ラザーノ。正確に言うと、魔術師が消えるからではなく、既に使われている魔術を行使出来なくなるからだがな。地方領の農村なら未だしも、王都や地方都市に住む者達は、至る所で魔術の恩恵を受けている。澄んだ水を得るのも、光を灯すのも、火を起こすのも、魔術に任せているのだからな」
「成程。そう伺うと、確かに影響は大きいですな」
「魔術大国であるロジオン王国に於いて、井戸から水を汲み、室内で薪や油を燃やすのは、農村の民だけだろうさ。遠距離との通信や転移魔術はともかく、今更王都の民に農村と同じ暮らしをせよと命じたら、王国が揺らぎかねない。人とは贅沢なものなのだよ、ラザーノ。恵まれた暮らしに慣れるのは早く、不便な暮らしに戻るのは難しい」

 真夜中の王城では、今宵も等間隔で灯りが灯されている。繊細な硝子細工の覆いの中、わずかな揺らぎも見せずに煌々こうこうと輝いているのは、輝石きせき触媒しょくばいとして灯された魔術の光である。ミカル子爵は、長く伸びる自身の影に目を向けたまま、密やかに言った。

「閣下の御話は、わたくしにもく分かります。魔術触媒にも寿命が有り、一定期間を経た物は取り替えなくてはならないのですから、その消費量は莫大でしょう。我らがロジオン王国が、新たな動力源となる存在を求めるのも、当然とは思います。しかし、だからと言って召喚魔術とは、理性的な判断だとは思われません。叡智えいちの塔や宰相閣下は、何を考えているのでしょう。そして、畏れ多くも国王陛下は、何故御許可を出されたのでございましょうか。理解が御出来になられますか、閣下」
「異世界か異次元から人を召喚するというのは、実験の一段階だろうな。叡智の塔が求めているのは、輝石類に代わる触媒に過ぎない。石であろうと異世界人であろうと、魔術陣に魔力を流す為に役に立つなら、何の違いが有るものか。輝石を埋め込むべき場所に、魔術適性を持った異世界人を埋めてしまえば、魔術陣は動くかも知れないのだ」

 ミカル子爵は、大きく目を見開き、思わず立ち止まった。魔術灯の光にほの白く浮かび上がった顔に、隠し切れない衝撃と嫌悪をにじませた副官に向かって、ゆっくりと振り向いたスラーヴァ伯爵は、皮肉な微笑みを刻みながら言った。

「誤解しないでくれ、ラザーノ。私がそう考えている訳ではない。叡智えいちの塔の魔術師共とクレメンテ公爵、パーヴェル伯爵辺りは、そこまでの非道も躊躇ちゅうちょしないだろうという意味だ。宰相閣下や陛下の御心の内は、私ごとき者には読めないよ。天才の中の天才と謳われる〈智の怪物〉と、賢王の中の賢王と称えられる陛下の御考えは、深淵しんえんにして複雑だからな。ただ、魔術陣に依存して国を動かしてきた反動が来たのは、間違いのない事実だろうさ」
おおせの通りでございますね、閣下。微量な魔力しか持たぬ者でも、動力源さえあれば魔術の恩恵に与れるのですから、今更魔術を使えない状態に戻れと言われても、簡単に納得は出来ないでしょう。しかし、だからと言って、召喚魔術とは、ロジオン王国の誇りは何処どこに消えてしまったのか」

 ミカル子爵の呟きは、音にもならない音となって、星空に消えていった。しばらくの間、無言で歩を進めていたミカル子爵は、崇敬する王国騎士団長に向かって、重々しい声でたずねた。

「閣下の御話を伺っている内に、嫌な予感がして参りました。我が国の誇る魔術師団長、歴史上にも類を見ない大魔術師たるゲーナ・テルミン師は、非道を嫌うと評判でございます。ゲーナ師なら、内心は召喚魔術に反対しておられるのではありませんか」
「そうであろうな。実際、かなり強靭に反対を続け、最後は王命を下されたと聞いている。ゲーナ殿としては、召喚魔術の成功など望んでいないだろう。そして我らも、明確に失敗してくれた方が何かと都合が良い」
「そうなのですか。召喚魔術の成果によって、アイラト王子殿下の王太子冊立の可能性が高まることを、閣下は御望みなのかと考えておりました。周りに人目がないと信じて、口に出してはならない思惑を申し上げておりますけれど」

 素早く周囲を見回したミカル子爵が、声を潜めて言った。王国騎士団長であるスラーヴァ伯爵が、スヴォーロフ侯爵やクレメンテ公爵の誘いに応じ、アイラトへの支持を決めつつある以上、召喚魔術の成功にも相応の期待を掛けているのだと、ミカル子爵は考えていたのである。スラーヴァ伯爵は、峻厳しゅんげんおもてに冷笑を刻みながら答えた。

「この話を聞いた当初は、私もそう考えたものだ。しかし、最近になって気付いたのだよ、ラザーノ。もし召喚魔術が失敗し、今後も成功する見込みがないとなったら、陛下はどうなさると思うかね。あるいは陛下以外の為政者達、宰相や公爵家でも良い」

 スラーヴァ伯爵の問い掛けに、ミカル子爵は真剣に考え込んだ。忠実な腹心と頼むミカル子爵が、眉を寄せて考え込む様子に、スラーヴァ伯爵は忍笑いを漏らすと、そっとミカル子爵の耳元に囁いた。〈黄白おうはく〉と。ミカル子爵は、スラーヴァ伯爵の顔を凝視ぎょうしし、まるで天啓が降りたかのごとく身体を震わせた。

「分かりましたよ、閣下。分かりましたとも。黄白を好んで御使いになられたラーザリ二世陛下は、膨大な量の金と銀を得る為に、三つの小国を属国となされた。ならば、魔術触媒しょくばい枯渇こかつした我が国は、再び資源を求めて他国に攻め入ることになりましょう」

 ミカル子爵の瞳は熱を孕み始め、潜めた声も興奮の気配が立ち上っていた。瞬く間に答えに辿り着いた副官に、満足の視線を投げてから、スラーヴァ伯爵は大きく頷いた。

「そなたは明敏であるな、ラザーノ。そうとも。召喚魔術などに頼らずとも、陛下は我ら王国騎士団に、進軍の勅命を下されれば良いのだ。ロジオン王国の百万の武力を活かすに、躊躇ちゅうちょする必要があるものか。戦わぬ騎士など、飛べない鳥よりも哀れではないか」
「ええ。わたくし達は、大空を飛ぶ為に生きている鳥ですとも。巨大な大鷲なのか、頼りない雀なのかは別にして。私くしも、ようやく閣下の意図が分かりました。方面騎士団を再編成し、我が王国騎士団の一部とすることこそ、閣下が悲願とされてきた所ですからな」
「騎士団と名の付くものを、地方領主に養わせるなど、国家としての恥辱でしかない。方面騎士団は全て王国騎士団として再編成し、騎士の地位を引き上げるべきなのだ。その為の金や土地がないというのなら、戦って勝ち取るのが歴史のならいよ。他国を侵略する国家は有っても、己が国の民から略奪させる国家など、有ってたまるものか」

 そう言って、スラーヴァ伯爵は、瞳の奥に激しい怒りを浮かび上がらせた。同じロジオン王国の騎士団に名を連ねる方面騎士団が、報恩特例法ほうおんとくれいほうの名の下、自国の領民に対して略奪を繰り返している現状は、王国騎士団の団長を務めるスラーヴァ伯爵にとって、耐えがたい恥辱だったのである。

「私くしもそう思いますよ、閣下。戦う力を持たぬ卑怯者程、綺麗事を言いたがる。百万人近い方面騎士団の者達を、名誉ある騎士として相応ふさわしく遇するには、戦ってでも資金を調達するしかありませんでしょう。王国騎士の誇りを守る為、閣下と御一緒に戦場を駆けることこそ、我が望みでございます」

 ミカル子爵の力強い言葉に、スラーヴァ伯爵は無言で副官の肩を叩いた。敬愛する指揮官の気安さに微笑みながら、ミカル子爵は質問を重ねた。

「この機会に御教え下さいませんか。閣下は本当に、クレメンテ公爵閣下の御誘いに応じて、アイラト殿下を御支持なさる御心算つもりなのですか」
近衛このえがアリスタリス殿下を支持するなら、それが順当であろうな。まあ、本音を言えばどちらでも良いのだ。我らに騎士の本分を尽くさせて下さる方こそが、我らの主君よ。我らは、ロジオン王国の臣下である前に、騎士という生き方を選んだ者なのだ」

 高位貴族というよりは、騎士と呼ぶに相応しい率直さで、スラーヴァ伯爵は言った。その言葉が実現するのかどうか、満天の星は何も答えずに瞬いていた。