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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 4-6

 〈さあ、みんなでご飯を食べましょう!〉。お母さんの宣言のもと、皆んなで準備をすることになった。お父さんは、話し合いの最初の部分だけ参加してから、斎戒沐浴さいかいもくよくして、料理を準備する。お母さんとヴェル様たちは、話し合いを続ける。そして、またしても〈神降かみおろし〉の〈器〉になったわたしは、自分の部屋に戻って、しばらく休ませてもらうことになったんだ。
 
 自分の部屋に戻って、しわにならないようにグレーのドレスを脱いで、わたしは、ふかふかのベッドに潜り込んだ。スイシャク様とアマツ様は、すぐにわたしの枕元に来てくれて、とってもぬくぬくと気持ちが良い。尊いのに可愛い二柱ふたはしらから、何だか暖かい空気が流れ込んでくるのは、きっとわたしをいやしてくれているんだろう。
 スイシャク様は、小さな鼻息をわたしに吹きかけ、アマツ様は、可愛らしい真紅の頭をわたしの頬に擦り寄せる。それだけで、疲労感が消えていったから、わたしは、今後のことを考えてみた。
 
 わたしの大好きなお母さんが、事前に教えてくれた話によると、大人の人たちは、わたしとレフ様の、こっ、婚約について、お金や日時の打ち合わせをするらしい。お金っていうのは、結納金とか持参金とか、けっ、結婚した場合の財産についてなんだって。お金がないからだめっていうわけじゃなく、〈面倒なことは最初に決めておく〉のが、ルーラ王国の習慣なんだって。
 それを聞いたとき、わたしはちょっと心配になった。レフ様のお家は、王国でも有数の高位貴族だから、持参金とか大変な金額じゃないかと思ったんだよ。うちの場合、アリアナお姉ちゃんまで、大公家の後継になるフェルトさんと、結婚するわけだから、持参金で破産したりしないんだろうか?
 
 わたしが困った顔をしたら、〈豪腕〉と名高い経営者であるお母さんが、大らかに笑った。国によっては、ものすごい金額の持参金が必要だったり、逆に持参金が〈離婚や死別した場合の妻の財産〉になったりするらしいんだけど、ルーラ王国の持参金は、そこまで高額なものじゃないらしい。
 けっ、結婚の準備として、新しい家を建てたり、家具を揃えたりするためのお金の一部を、持参金の名目で渡すだけだから、けっ、結婚生活に必要な出費なんだって。侯爵家の基準だと、家具だけでもすごく高い気もするけど、どうなんだろう。
 お父さんとお母さんに、あんまり負担をかけるのは嫌だから、場合によっては、わたしが働いて、ちゃんと貯金できるまで、けっ、結婚できない可能性もあるかもしれない。神霊庁にお勤めしたら、わりと高給そうだから、大丈夫かな? 打算的なようだけど、〈豪腕〉のお母さんの娘だからね。わりと経済観念の発達した少女なのだ、わたしは。
 
 ちなみに、お母さんは、結納金とか財産分与ざいさんぶんよとか、ネイラ侯爵家がうちに支払おうとしてくるものを断る方が、ずっと大変なんじゃないかって予想していた。レフ様のご両親も、伯父さんに当たる宰相閣下も、無関係なはずの神霊庁も、とにかくレフ様とわたしの、こっ、婚約を喜んでくれていて、婚約で利益を得ようなんて、かけらも考えていないみたいなんだ。
 過去の経験からいって、お金が関係することで、お母さんの予想が外れるとは思えない。〈一つで嫁ぐのもいいけど、それだったら、こちらも何も要らないわよね? その道理を、皆様に叩き込まないと〉って、にんまりと微笑んでいたお母さんは、きっと意見を通すだろうし、わたしも黙ってお母さんのいう通りにした方が良いんだろうな……。
 
 わたしにとって、お金の話より気になるのは、時期の方だった。けっ、結婚は、わたしが成人してからだから、最低でも四年以上先になるとして、こっ、婚約は、いつ頃になるんだろう? ヴェル様たちの様子だと、すぐに話が進んでいくんだろうか?
 貴族の人たちは、子供の頃から婚約したりするし、平民のわたしたちでも、早くから決まった相手のいる子がいないわけじゃない。それなりの規模の商会を経営している家とか、特殊な技術を使った仕事をしている家とか、何らかの事情がある家とか。町立学校の同級生でも、将来の相手が決まっている子が、二、三人はいると思う。貴族の人たちと比べると、割合はすごく少ないけどね。
 
 すっかり疲れが抜けたわたしは、スイシャク様とアマツ様の暖かさを感じながら、ぐるぐると考え続けた。レフ様と、こっ、婚約できるのは、すごくうれしい。わたしは、まだ十四歳の少女だけど、自分の頑固さっていうか、あんまり気が変わらない性格を知っているから、この年齢で将来の、おっ、おっ、おっ、夫になる人を決めることにも、迷いはない。わたしは、レフ様が大好きだからね。
 じゃあ、まったく問題はないのかっていうと、公表する時期だけが心配なんだよ。レフ様は、ネイラ侯爵家の後継で、王国騎士団の団長で、この世で最も強い騎士だっていわれている英雄で、おまけに〈神威しんいげき〉でもある。つまり、ものすごい有名人なわけで、そのレフ様の、こっ、婚約者っていうことになったら、めちゃくちゃに注目されちゃうよね、わたし?
 
 王立学院の入試で、神霊庁や王国騎士団や〈黒夜こくや〉の人たちが、全力で受験生と家族を威圧してくれたから、わたしが目立たずに学院生活を送るなんて、ほとんど不可能なのはわかってる。わたし自身、いろいろとからまれるのが面倒で、全力で神霊術を使っちゃって、〈神託しんたく〉だって、他ならぬ神霊さんにまで宣言されちゃったし。
 ただでさえ、嫌になるくらい目立っちゃうだろうわたしが、よりにもよってレフ様の、こっ、婚約者だって知られたら、どんな騒ぎになることか。考えれば考えるほど、頭が痛くなるんだよ。
 
 でも、わたしの知っている大人たちは、皆んな思慮深くて、わたしの気持ちを大切にしてくれる人たちなんだ。今、応接間で続いている話し合いで、すぐに公表するって決まったら、その方がいいって考える理由があるっていうことだろう。ヴェル様たちが、〈溝鼠どぶねずみ〉って呼んでいる人たちが、わたしへの干渉を諦めるとか、わたしたちの家族がより安全になるとか……。
 無意識のうちに、むずかしい顔をしていたわたしに、枕元のスイシャク様とアマツ様が、交互に優しいイメージを送ってきてくれた。〈〉〈案ずるに及ばす〉〈行末ゆくすえは、全て事もなし〉〈かつて《怜悧れいり》が宣言せん〉〈神と人とが手をたずさえて、雛が安寧あんねいを護るらん〉って。
 
 〈怜悧〉っていうのは、神霊さんたちの間での、ヴェル様の呼び名だった。わたしたちの額には、人の子には見えない文字で、その人の魂の本質を表す言葉が書かれていて、神霊さんたちは、その名前でわたしたちを呼んでいるみたいなんだ。わたしの大好きなアリアナお姉ちゃんが、〈身も心も衣から透けて見えるほどに美しい《衣通そとおり》〉って呼ばれているみたいにね。
 その〈怜悧〉であるヴェル様が、クローゼ子爵の事件のときに、わたしにいってくれたのが、〈神と人とが手を携えて、必ずお守りしますよ、チェルニちゃん〉っていう言葉だった。スイシャク様とアマツ様は、ヴェル様の言葉をなぞって、心配しなくても大丈夫だよって、教えてくれているんだろう。
 
 すりすりすりすり、すりすりすりすり。ふくふくの白い鳥の頭と、つやつやの紅い鳥の頭が、左右からわたしの頬に寄せられる。それだけで安心しちゃったわたしは、すごく気持ちが楽になって、開き直った。
 大好きなレフ様が、こっ、婚約しようっていってくれて、お父さんとお母さんが認めてくれるんだったら、もう良いや。今すぐ公表されて、王国中から注目されても、踏ん張っちゃうよ、わたし。いずれにしろ、〈神託の巫〉の宣旨せんじを受けちゃったんだし、わたしの大切な人たちは、皆んな味方してくれているんだから。昔読んだ大衆小説に書いてあった、〈どんと来い!〉っていう感じでいくしかないんだよ、きっと。
 
 激動の一日の中で、何回目かに覚悟を決めたわたしは、寝台から起き上がり、椅子にふんわりとかけておいたグレーのドレスを身につけた。それなりに時間が経ったから、応接間に降りていって、話し合いが終わったかどうかを聞きにいこうと思ったんだ。
 まだ続いているようだったら、食堂に行って、ルクスさんが作ってくれている、おいしいジュースを飲ませてもらって……そんなことを考えながら、部屋の扉を開けようとしたところで、わたしは、ぴたっと足を止めた。それらしい予兆もなかったのに、気がつけば、わたしの部屋から垂直に天へと駆け上ったあたりから、世にも尊い神霊さんたちの気配が、濃密に漂ってきたんだ。
 
 これは、あれだ。〈神降かみおろし〉というよりも、神霊さんのご分体が顕現けんげんするときの緊張感だと思う。神霊さんの本体が、わたしという〈器〉を通して、現世うつしよに降臨されるのが〈神降〉。今は、神霊さんの一部であるご分体が、わたしを目印にして、降りてこようとしているんじゃないのかな。
 自分でも不思議なんだけど、何となく理解できる。何度か〈神降〉を経験し、神霊さんのご分体であるスイシャク様やアマツ様と、いつも一緒にいてもらってるから、わたしってば、すっかり違いのわかる少女になっちゃったよ……。
 
 一、二、三、四。遥かに高い天上から、降りてこようとしているのは、四つの神威だった。ちょっと前に教えてもらったみたいに、四柱よんはしらの神霊さんたちが、わたしとレフ様への祝福のために、顕現してくれるんだろう。
 きらめくように輝かしい神威は、金色の龍であるクニツ様だろう。優しくも神々しい神威は、きっとパッチワーク柄が可愛いらしい、編みぐるみの羊の姿をしたムスヒ様だ。清らかに澄み切った神威は、塩を司る神霊さんであり、涼やかな気配に満ちた神威は、鈴を司る神霊さんだと思うんだけど、塩と鈴の神霊さんたちって、どんなお姿で顕現するんだろう? 塩とか鈴とかって、口がないよね? 何か別のお姿にならないと、お父さんのご飯が食べられないよね? だったら、考えられるのは……。
 
 圧倒的な神威にあてられて、ちょっと呆然としながら、わたしは、そんなふうにイメージした。すぐ耳元で、ちょっと焦ったみたいに〈其はまた!〉っていう声が聞こえたような気がしたけど、多分、遅かったんだと思う。だって、次の瞬間には、四柱の神霊さんのご分体が、次々に顕現していたんだから……。
 
     ◆
 
 最初に降ってきたのは、きらきらと輝く金色の光の渦だった。強くて尊くて輝かしいのに、わたしの目には少しもまぶしくない光が、ゆっくりと収まっていったとき、部屋の中央には、小さな金色の龍が浮かんでいた。物語に出てくるドラゴンみたいな竜じゃなく、立派なひげを伸ばした、長い身体の金色の龍が。
 金龍のクニツ様は、〈やあ!〉っていう感じで腕を上げて、わたしたちに挨拶をしてくれてから、するすると空中を泳いできた。わたしの腕の中にはスイシャク様、左肩の上にはアマツ様がいて、クニツ様は、迷うことなく右肩に乗ってくる。正確にいうと、乗ったっていうより、左肩にのぺっと引っかかった感じなんだけどね。初めてクニツ様が顕現した日には、わたしの頭の上に載っていたんだけど、神霊さんたちの〈場所取り〉の結果、右肩の上がクニツ様の定位置に決まったみたいなんだ。
 
 次に部屋を満たしたのは、いろいろな色が入り混じった、虹のような神々しい光だった。この独特の光は、アリアナお姉ちゃんが作ってくれた、編みぐるみの羊にそっくりな、ムスヒ様だろう。真っ黒な瞳が愛らしいムスヒ様は、一瞬の華々しい発光が収まると、乳白色の光をまとわせながら、やっぱり部屋の真ん中に浮かんでいた。
 ムスヒ様は、何とも不器用に飛び跳ねて、わたしの腰のあたりに近寄ってきた。わたしがかかえるには、ちょっと下の位置なんだけど、ムスヒ様は自分でくっついてくれるから、無理に腕を伸ばさなくても大丈夫なんだよ。お姉ちゃんと行った手芸店に売っていた、編みぐるみの肩かけかばんみたい……なんて思っちゃったのは、さすがに不敬だから、内緒にしておこう。
 
 ある意味、顔見知りともいえるクニツ様、ムスヒ様に続いて、天上から降り注いできたのは、清らかに煌めく純白の光だった。浄化の力を持っている塩の神霊さんなんだって、わたしにはすぐにわかった。
 〈鬼哭きこくの鏡〉に出会ったときに、鈴の神霊さんと一緒に、わたしを助けてくれた、優しい塩の神霊さん。王立学院の実技試験のときにも、〈神降〉で降臨してくれた、尊い神霊さん。〈鬼哭の鏡〉を封じていた、ご神鏡しんきょうの世界では、降り注ぐ浄めの塩が、まるで雪の結晶のように輝いていたよね。
 
 塩は純白で、ご神鏡の世界を一面に降り注いで、まるで雪のようで、雪が積もるといろいろな楽しみがあって、めったに雪の積もらないキュレルの街では、子供たちが競って雪だるまを作っていて、わたしとアリアナお姉ちゃんも、何度も小さな可愛い雪だるまを作ったことがあって……って、瞬間的にイメージが膨らんじゃったのが、悪かったのかもしれない。純白の光が消えていった後には、スイシャク様よりも少し小さいくらいの、ものすごく可愛い雪だるまが浮かんでいたんだよ。
 あれ? あれれ? お塩の神霊さんなのに、どうして雪だるまになっちゃってるんだろう? スイシャク様からは、〈其が思い浮かべしゆえ〉って、ちょっとじっとりとした感じのイメージが送られてくるけど、本当にわたしのせいだったりするのかな? 口のところには、細い枝が一本、横向きにつけられているから、口を開けでご飯を食べてもらえるのは良かったけど……。
 
 わたしが、呆然としているうちに、雪だるまは滑るように空中を移動して、ムスヒ様とは反対側の腰のあたりに張りついた。うん。やっぱり抱えなくても落ちないみたい。ムスヒ様が、編みぐるみの肩かけ鞄なら、お塩の神霊さんは、可愛い雪だるま型の鞄に見える気もするよ。
 
 こうなると、最後に残ったのは、鈴を司る神霊さんに決まっている。そう思った瞬間、しゃんしゃんと涼やかな音を響かせながら、偉大な神威が降りてきた。まとう光は、いとも輝かしいしゅ色で、神事のときの金朱きんしゅの鈴を思わせる。
 しゃんしゃんしゃんしゃん、しゃんしゃんしゃんしゃん。聞いているだけで心が浄化されちゃいそうな、うるわしい鈴の音色とともに、光がゆっくりと明滅する。その情景を眺めながら、わたしの頭をよぎったのは、〈鈴っていうと猫だよね〉っていう、わりと馬鹿みたいな感想だった。
 
 あっと思ったときは、もう遅かった。ここまでくると、わたしにも予想がついたんだけど、光が消えた後、部屋の真ん中に浮かんでいたのは、見事な朱色の毛並みを輝かせた猫、それも青い硝子がらすの瞳がきらきらして、ふと短い手足が可愛らしい、スイシャク様と同じくらいの大きさの……ぬいぐるみの猫だった。
 朱色の猫は、五色ごしきのリボンのついた鈴を、くるりと首に巻いていた。青、黄、赤、白、黒の五色は、神事にも使われるおめでたい色だから、神霊さんのご分体が、ぬいぐるみの猫になっちゃったときのリボンには、ぴったりだよね。ね?
 
 猫ちゃんは、短い手足を動かして、ふよふよとわたしの前までやってきた。わたしは、腕の中にスイシャク様を抱っこして、両肩にアマツ様とクニツ様、両腰にムスヒ様と塩の神霊さんっていう状態で、身体の面積に空きがなかった。どうしようかって、わたしと猫ちゃんが顔を見合わせたところで、動いたのはクニツ様だった。クニツ様は、金色の長い尻尾を動かして、わたしの髪の毛を軽く引っ張ったんだよ。
 猫ちゃんは、優雅に頭を下げてから、いそいそとわたしの頭に移動した。正確にいうと、わたしの首を両足でまたいで、あごを頭に乗せたんだ。可愛いからいいんだけど、いいんだけど……これって、変じゃないのかな? 今までの〈神託の巫〉も、こんな感じだったのか、手紙でレフ様に聞いてみよう。
 
 神霊さんたちの顕現は、これで終わりみたいだから、わたしは、応接間まで降りていくことにした。ものすごい格好ではあるんだけど、そこは神霊さんのご分体だから、重いなんていうことはまったくない。存在感がすごくても、スイシャク様とアマツ様で慣れちゃっているから、特に気にはならない。気にならないったら、気にならない。
 応接間に行って、控えめに扉を叩く。中からは、すぐにお母さんの声がしたから、わたしは薄く扉を開けて、尋ねてみた。
 
「お話は、まだ終わらないのかな、お母さん? 入らない方が良い?」
「大丈夫よ、チェルニ。大体のところは決まったから、呼びに行こうと思っていたの。お父さんは、もうお料理の準備を始めているわ。遠慮なく入っていらっしゃい」
「はい。あの、わたし、ちょっと大変なことになっているんだけど、驚かないでね? ヴェル様たちも、ちょっと心の準備をしてもらえるとうれしいです」
「大丈夫、チェルニ? どうしたの?」
「大丈夫、大丈夫。あのね、神霊さんのご分体が顕現なさって、一緒にいるんだけど、仰々ぎょうぎょうしいのは面倒だから、座礼も取らなくて良いし、祝詞のりとも唱えなくていいんだって。わたしとレフ様の前祝いだから、皆んなで一緒にお父さんのご飯を食べましょうって、いってくださってるよ」
「まあ、何ておそれ多いこと。御神霊をお待たせするなんて、とんでもないことだわ。早く入っていらっしゃい、子猫ちゃん」
 
 お母さんが、心配そうな声を出したから、わたしは、思い切って応接間に入っていった。身体に五柱ごはしら、神霊さんの分体をくっつけたまま。神霊さんたちのお姿が、どんな形に見えるのかはともかく、ご分体が顕現していることは、きっと皆んなにもわかるだろう。
 
 応接間にいた人たちは、いっせいに立ち上がって威儀いぎを正し、わたしに向き直った。そこからの反応はそれぞれで、わたしの大好きなお母さんは、〈あら、まあ!〉っていう感じに口を動かしてから、わたしの頭の上から腰のあたりまで、何度も何度も視線を行き来させた。特に、頭の上で何度も視線が止まったのは、お母さんが大の猫好きだからだったりして。
 同席していたらしいアリアナお姉ちゃんは、エメラルドみたいな瞳を見開き、きらきらと輝かせながら、やっぱり視線を行き来させた。その仕草しぐさが、隣にいるお母さんにそっくりなのは、ちょっと微笑ましかった。
 神職であるヴェル様は、一瞬、身体を硬直させてから、喉の奥で笑い出した。神霊さんに対しては、いつも敬虔けいけんな様子を崩さないヴェル様なのに、何かが笑いのつぼに入っちゃったみたい。必死に笑いを噛み殺しているのが丸わかりで、肩なんか震えているんだよ、ヴェル様ってば。
 王国騎士団のマルティノ様は、あっという間に瞳を潤ませ、男らしく整った顔を紅潮させて、うっとりとわたしを見つめている。何となく、何となくだけど、レフ様の話をするときの、危ないマルティノ様に近づいている気がするのは、絶対に錯覚だよね?
 ネイラ侯爵家の家令であるシルベル子爵閣下と、ロドニカ公爵家の家令であるハウゼン子爵閣下は、まったく同じ反応だった。優雅で上品で賢そうな人たちなのに、ぱかんと大きな口を開けて、硬直しちゃったんだよ。見開かれた瞳が、わたしの腰から肩、肩から頭へと、視線を移動させていなかったら、彫像じゃないのかと思うくらいの、それは見事な硬直ぶりだった……。
 
 わたしが応接間に入っても、そのまま誰も何もいわない。微かに聞こえてくるのは、ヴェル様の必死に押し殺した笑い声だけ。あまりの沈黙ぶりに、わたしが口を開こうとしたとき、台所に近い方の扉が開かれ、ワゴンを押したルクスさんと、お父さんが入ってきた。
 お父さんとルクスさんは、わたしを見て、やっぱり硬直しちゃったんだけど、わたしはワゴンのお料理の方が気になった。だって、扉を開けた瞬間から、うっとりするほど良い香りが漂ってきたんだから。
 
 ワゴンの上には、卵の上を切ったみたいな形の器と、小さめの丸い深皿が、人数分よりも多く置かれている。卵型の器に入っているのは、多分、角切りのクリームチーズをひそませた、冷たい卵の蒸し物で、〈野ばら亭〉の特製コンソメをジュレにしたソースがかかっているんだと思う。優しい味の蒸し物の中で、コクのあるクリームチーズが意外な存在感を主張する、お店で人気の前菜なんだ。
 微かに湯気を上げながら、いっそ官能的なほどの芳香を立ち上らせているのは、〈野ばら亭〉名物のモツ煮込みに決まっている。そう、わたしも神霊さんたちも、ご飯を食べる気満々なんだから、皆んな、そろそろ神霊さんたちに慣れてくれると良いんだけどな。