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フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 1-1

既刊『フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 黄金国の黄昏』を大幅リニューアルしたものを、投稿しております。
同じものを小説家になろうでも連載中です。

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01 ロンド 人々は踊り始める|1 幕開け

 一等魔術師のアントーシャ・リヒテルは、優しく整った白皙はくせきの奥底に、耐えがたい程のなさと怒りを抱えながら、ほの暗い回廊を足早に歩いていた。そこは繁栄はんえいを極め尽くした大国、他国からは〈黄金の国〉とも称される、ロジオン王国の王城である。

 下級官吏かんりの出入口と定められた通用門から、王国の魔術師団が本拠とする〈叡智えいちの塔〉へと、緩やかに続いていく道筋は広く長く、隙間なく敷き詰められた煉瓦れんがが、優美な幾何学模様きかがくもようを描き出す。アントーシャは、回廊から垣間見える壮麗な宮殿の数々に、全く目を向けることもないまま、目指す場所へと辿り着いた。
 広大な王城の奥深く、常緑樹の林を背にした叡智の塔は、十三階の高さに至り、造りは極めて豪奢ごうしゃだった。強固な石造りの外郭がいかく内外うちそとに、純白の燐光石りんこうせきを薄く切って貼り合わせた尖塔せんとうは、まるで内側から光を発しているかに見える。白に近い上質な燐光石は、三十セリア四方の大きさの物で、平民の家族が十日は食べていける程の値段がするのである。広大な塔の全体を、純白の燐光石で覆うこと自体が、ロジオン王国の尽きぬ財力を物語っていた。

 叡智の塔ですれ違う者達、階級ごとに色分けされたローブをまとった魔術師や、御仕着おしきせ姿の下級文官、白い前掛けを着けた給仕達に、軽く会釈を返しながら、一階の奥まった一角に着くと、アントーシャは壁にめ込まれた薄青い石板に手をかざした。石板は一瞬、薄っすらと光を放つ。すると、足元に半透明の魔術陣が浮かび上がり、ゆっくりと点滅し始めた。
「目的地、十三階、魔術師団長執務室。我が名は、アントーシャ・リヒテル。一等魔術師。入室の許可は得ている」
 アントーシャの声に呼応するように、魔術陣が薄青く発色したかと思うと、不意にアントーシャの姿がき消えた。ロジオン王国の誇る魔術技術の一つである、室内移動用の転移魔術陣が、アントーシャを目的地に運んだのである。

 尖塔せんとうの頂点である十三階は、歴代の魔術師団長が君臨してきた専用階である。重厚なしつらえの執務室、壁一面を書架で埋め尽くした書庫、様々な器具の並ぶ研究室、機密性の保たれた個室、従者や秘書役の魔術師達が使う事務室等、広々と整えられた区画の格式が、魔術師団にける師団長の権力の証左でもあった。

 十三階の入り口に当たる事務室前の小広間に、転移の魔術陣が浮かび上がると、アントーシャが姿を現した。アントーシャは、魔術陣が輝きを消す間さえも待たず、事務室に座る魔術師に声を掛ける。

「今日は、ロモノフ殿。魔術師団長閣下の御呼び出しにより、急ぎ参上しました。取り次いで頂けますか」
 紺色のローブ姿の二等魔術師で、アントーシャとも顔見知りの青年が、立ち上がって丁寧に頭を下げた。
御足労ごそくろう頂き恐縮でございます、リヒテル様。魔術師団長閣下が御待ちでございますので、どうぞ御進み下さいませ。案内も先触さきぶれも不要と、あらかじめ申し付かっております」
「有難うございます。相変わらずでいらっしゃいますね、師団長閣下は。それでは、御言葉に甘えて、早々に御目に掛かるとしましょうか」
 アントーシャは、焦燥の影を拭い去り、いて穏やかな口調で言った。当代の魔術師団長であるゲーナ・テルミンは、元々格式張った儀礼を嫌う闊達かったつな気質であり、そうした指示もめずらしくはなかったものの、呼び出しの理由を粗方あらかた推測しているアントーシャにとっては、事態の深刻さを暗示する言葉に思えてならなかった。

 一方、叡智えいちの塔の支配者であるゲーナは、執務室に置かれた長椅子に深く腰掛けて、アントーシャを待っていた。百四十歳を超える年齢とは思えない、いまだに若々しく活力に満ちた顔には、今は憂いの色が濃い。

 執務室に入ったアントーシャは、労りの視線をゲーナに向けてから、左右の手を交差させて胸に押し当て、深々と頭を下げた。相手に対して魔術を行使しないことを宣言する、魔術師特有の上位礼である。アントーシャは、静かに言った。
「御待たせしてしまい、誠に申し訳ございませんでした、魔術師団長閣下。一等魔術師アントーシャ・リヒテル、閣下の御召しにより参上致しました」

 ゲーナは、叡智の塔の慣例に沿った礼を捧げるアントーシャに向かって、面倒そうに手を振っただけだった。
「いいから御座り、アントン。可愛いおいから閣下呼ばわりされても、有難くも何ともないと、いつも言っておるだろう」
「甥ではなく甥の孫だと、ぼくもいつも言っておりますけれど。まあ、冗談はともかく、悪い知らせなのですね、大叔父上」
 長椅子に浅く腰掛けたアントーシャは、どこか哀しそうな表情で、じっとゲーナの目を見詰めた。その視線を避けるように、ゲーナは榛色はしばみいろの瞳を揺らしたが、次の瞬間には、強い想いのこもった声を吐き出した。
「そう、悪いと言えば、この上もなく悪い。ロジオン王国は、遂に召喚魔術を使うと決めたそうだよ、アントン」

 ゲーナの言葉に、アントーシャは、強く唇を噛み締めずにはいられなかった。激しい罵倒を押し殺し、瞳だけを怒りに輝かせて、アントーシャは言う。
「世界にかんたるロジオン王国は、いつから御伽噺の王国になったのでしょうね、大叔父上。子供達の好む物語のように、勇者でも呼び出そうというのですか。現在の魔術の体系に於いて、決して成立せず、成立させるべきでもない、子供騙しの召喚魔術によって」
「勇者の召喚であれば、まだ可愛気が有ったやも知れぬな。王城を動かしているのは、徹底した合理主義だよ、アントン。今回の決定を下そうとする者達は、ロジオン王国が抱える問題を解決する手法の一つとして、召喚魔術の実験を行おうとしているのだ。失敗したときに生まれるであろう損失と、成功したときに考え得る利益を秤に掛けて、実験を取ろうとしているだけのことだろう」
「召喚魔術そのものは、失敗しても構わない。王城の為政者いせいしゃ達は、そう考えていると仰るのですか、大叔父上」
「正確には、必ずしも成功を望んではいないと言うべきだろう。召喚魔術の実効性に就いては、我々よりも、むしろ王城の者達の方が懐疑的かも知れぬ。大ロジオンを動かしている者達は、可能性の有無を検証したいのだ。それはそれで、為政者として正しい選択ではあるだろう。検証の対象が、愚かな召喚魔術などでなければな」

 ゲーナは、一つ大きく息を吐いて、長椅子に背中を預けた。内包する魔力の量によって、寿命が左右される世界にあって、百四十歳を超えて尚活力に満ちたゲーナのおもてに、深い疲労と苦悩の影が落ちていく。アントーシャは、いつになく弱々しいゲーナの姿に胸を突かれ、思わず尋(たず)ねた。
「どうか御教え下さい。大叔父上が、あれ程までに反対しておられたというのに、誰が召喚魔術に手を染めよと言うのですか。ロジオン王国の魔術師団長にして、千年に一人の天才と謳われる大魔術師。我ら魔術の徒が、神にも等しく崇拝するゲーナ・テルミン師が、決して行ってはならないと断じておられる禁忌の魔術を、無理にも行使しようとしているのは、一体誰なのですか、大叔父上」
「王城でも指折りの大貴族、聡明そうめいで鳴らす王子、志尊の主たるエリク国王陛下、そして我が叡智えいちの塔の裏切り者だよ、アントン。詰まり、我々は完全に包囲されているのだ。陛下が御決断になられた以上、私は従わぬわけにはいかぬだろう」

 ゲーナは、右手を胸に当て、ローブに皺が寄るのも構わずに爪を立てた。偉大な魔術師であるゲーナが、そうすることの意味を知るアントーシャは、一言も口を挟まず、さり気なさを装って視線を落とす。ゲーナは、微かに震える声で言った。

「遂に、時は至ったのだ。私には、この大王国の黄昏の鐘が聞こえるよ」


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『フェオファーン聖譚曲』をお読みいただきありがとうございます。
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また、2021年12月24(金)に発売が決定しました、『神霊術少女チェルニ(1) 神去り子爵家と微睡の雛』もよろしくお願いします!
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