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連載小説 神霊術少女チェルニ 往復書簡 57通目

レフ・ティルグ・ネイラ様

 前回のネイラ様の手紙を読んで、ちょっと変だなって思うところがありました。もちろん、ネイラ様が変なんじゃなくて、わたし自身が変なんじゃないかって、不思議な気持ちになったんです。

 何のことかっていうと、クローゼ子爵家の事件で、たくさん怖い話を聞かされたり、衝撃的な場面を目撃したりしているのに、なぜかまったく平気なんですよね、わたし。悪人に焼き殺されそうになったり、自分の家で乱闘(っていうには、一方的でしたけど)が起こったりしたのに、あんまり動揺していないんですよ。
 考えてみると、これって、ちょっと変ですよね? 十四歳の少女が、わたしと同じ場面に遭遇したら、普通はもっと怖がると思うんです。わたしは、あんまり気の弱い方じゃないし、わりと割り切りのいい性格ではあるんですけど……さすがに、殺されかけても平気でいられるほど、豪胆ごうたんじゃないはずなんです。

 変っていえば、わたしの大好きなお父さんとお母さんも、ちょっと変です。自分たちだけならまだしも、〈野ばら亭〉のお客さんや、わたしたち姉妹にまで危険が迫っていたんだから、もっと不安な顔を見せるんじゃないでしょうか? 特に、豪胆だけど慎重なお母さんが、事件が一応の解決を見せた途端、警戒をゆるめるのも、何となく〈らしくない〉気がするんです。
 アリアナお姉ちゃんは……そのままかな? 誰よりも優しくて、おっとりしているお姉ちゃんは、ものに動じないだけの度胸のある人なので、あんまりよくわかりません。わが姉ながら、強い心を持っているんですよ、アリアナお姉ちゃんってば。

 わたしは、不思議に思ったことは、突きめて考えたい性格なので、いろいろと推理してみました。その結果、想像できる答は四つでした。 

 一つ目。王国騎士団とか神霊庁とか、偉い人たちが守ってくれているので、安心していられる。
 二つ目。神霊さんが、わたしたちを守ってくれているので、安心していられる。
 三つ目。元クローゼ子爵や元大公たちが、ちゃんと捕まったので、安心していられる。
 四つ目。実際に、自分の目で怖いところを見たわけじゃないので、あんまり実感がいていない。

 四つの答えのうち、いくつかが影響して、平気になったんでしょうか? 一つの可能性として、スイシャク様やアマツ様が、わたしたちの心に働きかけてくたのかも……なんて考えたりもしましたが、それは二柱ふたはしらに否定されました。〈人の子の心を手繰たぐる神はなし〉〈悩み惑ひて磨かれしゆえ〉って。
 これって、人の子の魂は、悩んだり迷ったりすることで磨かれるんだから、勝手に心を変えちゃう神霊さんはいない……っていうことですよね? スイシャク様やアマツ様を見ていると、すごく納得できる話だと思います。二柱とも、とっても優しいけど、厳しいところは厳しいから。

 ともあれ、わたしは元気ですので、心配しないでくださいね。本当ですよ?

 たくさんの果物のお礼に、お父さんが、〈野ばら亭〉の特製ベーコンとお魚の燻製くんせいを用意していました。塩味は控え目で、すっごく香りがいいので、荷物が届いたら、軽くあぶって召し上がってくださいね。あぶらがほんのりと甘くて、うっとりしちゃうくらいおいしいですよ。

 では、また。次のお手紙で会いましょう。

     ネイラ様に心配をかけちゃったことを反省している、チェルニ・カペラより

追伸/
 人が人でなくなると、やっぱり鬼になるんでしょうか?

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すでに賢者の片鱗へんりんを感じさせる、チェルニ・カペラ様

 きみの手紙を読んでいると、いつも感心させられます。書かれている言葉こそ、少女らしい平易へいいなものでありながら、その根底に流れている思想と洞察力は、年を経た賢者のようでもあるのです。どれほど鋭い意見を述べているのか、きみ自身は、きっと自覚していないのでしょうけれど。
 わたしの大切な、小さな友達であるチェルニ・カペラ嬢は、いつの日にか、この世の真理をあおぎ見るのかもしれませんね。きみと共に、現世うつしよ神世かみのよことわりについて語り合えたら、さぞ楽しいことだろうと、今から楽しみで仕方がありません。

 きみや父上、母上が、心の平穏を保っているのは、やはり神霊の存在が身近にあるからだろうと思います。もちろん、二柱が作為さくい的に何かを操作したのではなく、尊い神が身近にり、神々しい息吹を感じ取ることで、おのずときみたちの心が満たされていったのでしょう。
 あるいは、高位の神である二柱に触発され、きみたちの魂の器が広がったというべきかもしれません。きみもご両親もアリアナ嬢も、クローゼ子爵家の事件に巻き込まれる前と比べて、神霊術を行使する力が増しているのではありませんか。神職ですら、これほどまでに神々と接する機会などないでしょうから、当然といえば当然の結果ですね。

 魂の器が広がり、神の息吹をより濃密に感じられるようになったのであれば、悪人たちの所業しょぎょうなど、恐れる気持ちにはならないでしょう。神に守られているから、というわけではなく、神の存在そのものが、きみたちの心のうちに在るのです。

 今日の手紙は、久しぶりに説教じみたものになってしまいました。反省、反省です。人が人でなくなったときのことは、次の手紙に書きましょうね。では、また。

     ベーコンと燻製が楽しみで仕方ない、レフ・ティルグ・ネイラ

追伸/
 自分の名前を書いたところで、知らせが届きました。きみの父上からネイラ侯爵家に、たくさんの贈り物が届いたそうです。わたしは、きみから中身を教えてもらいましたが、父と母には話していませんでしたので、嬉しそうに荷解にほどきに立ち会っているそうです。今夜は、魚の燻製を炙ってもらい、父と葡萄酒でも飲むとしましょうか。親子の語らいが習慣化しているのも、きみのお陰ですね。ありがとう。