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フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 5-3
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フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 5-3

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05 ハイムリヒ 運命は囁く|3 意味するものは

 聖王の間での一幕を終え、エリク王とタラスがボーフ宮に戻ろうとする頃、一組の客が王の帰りを待っていた。タラスによって事前に呼び出されていた、王国騎士団長のスラーヴァ伯爵と副官のミカル子爵である。ロジオン王国の王が住まう特別な宮殿に、初めて訪問する機会を得たミカル子爵は、落ち着かない様子で言った。

わたくしがボーフ宮に参上するなど、想像もしておりませんでした。ロジオン貴族の端くれとして、豪華絢爛けんらんな宮殿はヴィリア本宮殿で慣れている心算つもりでしたが、ボーフ宮の品格と美しさは格別ですね。余りの素晴らしさに、身の置き所が有りませんよ。その点、閣下は堂々として居られますが、これまでも御出でになられたことが有るのですか」

 ほのかに発光するかのごとく輝く黄白おうはくの壁を背にしながら、客間の豪奢ごうしゃな椅子に腰掛けているスラーヴァ伯爵は、肩をすくめながら言った。

「有るわけがないだろう。ボーフ宮への立ち入りを許されるのは、王族の皆様と側近方の他には、護衛の近衛このえ騎士くらいだからな。王国騎士団長を拝命している矜持きょうじけて、平気な顔を取り繕っているだけだ。第一、参上の経験が有るなら、そなたが知らぬはずはないだろう。何しろそなたは、私が家督を継ぐ前からの腹心なのだからな、ラザーノ」
「そうでした、そうでした。閣下とは学生時代からの長い御付き合いで、知らないことの方が少ないのでした。それにしても、トリフォン伯爵閣下は、何故よりにもよって、ボーフ宮に閣下を御呼びになられたのでしょう。今回の御呼び出しに就いては、陛下も御存知なのでしょうか」
勿論もちろん。あのトリフォン伯爵が、陛下の思し召しもなくボーフ宮に客を呼び出すとは、到底考えられぬ。内容はともかく、陛下の御指示が有ってのことだろう」

 二人が親しく話し合う中、重厚な扉を押し開いた侍従じじゅうが、タラスの来室を告げた。スラーヴァ伯爵とミカル子爵は、素早く立ち上がり、礼と共にタラスを迎えた。聖王の間で見せた怒りを跡形もなくぬぐい去り、穏やかな微笑をたたえたタラスが、丁寧に礼を返す。

「本日は、理由も告げずに御呼び立てしてしまい、申し訳ありませんでした。御出で頂き、有難うございます、スラーヴァ伯。ミカル卿も、先日のローザ宮の騒動の際には、御手数を掛けましたな。さあ、どうぞ御楽になさって下さい」

 タラスの慇懃いんぎんな対応に、スラーヴァ伯爵とミカル子爵は、一ず胸を撫で下ろした。何らかの叱責しっせきを受けたり、不利益な沙汰さたを下されたりするにしては、タラスの態度は穏当に過ぎたからである。彼らの安心を裏付けるように、タラスは微笑んだまま言った。

「スラーヴァ伯に御越し頂いたのは、このタラスから御願いが有ってのことでございます。言うまでもなく、陛下の御声掛りでございますので、忌憚きたんのない御気持ちを聞かせて頂ければ、わたくしが良きように話を進めさせて頂きます」

 思いも掛けないタラスの言葉に、スラーヴァ伯爵は驚きに目を見張り、ミカル子爵は一転して興味津々に瞳を輝かせた。

「これは驚きましたな。けれども、かしこまりました、トリフォン伯。剣を振る術しか知らぬ私くしが、何かトリフォン伯爵の御役に立てるのでしたら、如何いか様にも致しますので、どうか御用命下さいませ。トリフォン伯のおおせに、否はございません」

 貴族らしい駆け引きをしようとする素振そぶりもなく、打てば響けとばかりに応じたスラーヴァ伯爵に、タラスは満足気に頷いた。

「御言葉、誠に忝く存じます、スラーヴァ伯。御願いを致します前に、少しばかり御説明の必要な事情がございますので、御聞き下さいませ。実は本日、元第四側妃の不貞ふていに関して、追加の処分が言い渡されました。元第四側妃カテリーナをそそのかし、不義へと誘導致しました不忠者ふちゅうものが判明したのでございます。主犯と断じられましたのは、アイラト王子殿下の正妃マリベル。そして、マリベルの手足として働いた専属侍女と、その女の弟である近衛騎士の三名が、更なる罪人でございます」

 タラスの言葉に、スラーヴァ伯爵とミカル子爵は素早く目を見交わした。議会が選出した正式な側妃として、多くの者にかしずかれて暮らしていたカテリーナが、易々と不貞に至った成り行きには、何処どこか不自然さが付きまとう。卓越した指揮官であるスラーヴァ伯爵と、有能な副官であるミカル子爵は、密かに何らかの作為を疑っていたのである。

 二人に小さく頷き掛けたタラスは、聖王の間で行われたばかりの断罪に就いて、淡々とした口調で説明した。王子妃であるマリベルが、主犯として処分を受けるという結果に、スラーヴァ伯爵とミカル子爵は、わずかに身体を強張こわばらせた。

「何者かの関与を疑ってはおりましたが、アイラト王子殿下の正妃ともあろう御方が、糸を引いておられたとは。何とも後味の悪い結果でございますな、トリフォン伯」
「全くもって、嘆かわしき限りですな。この後は一月程の詮議を経て、マリベルの王籍を剥奪はくだつし、クレメンテ公爵家に引き取らせます。本来はマリベルをも処刑すべき所ながら、色々と差し障りもございますので、王家としては離縁のみで矛を収めることとなりましょう。実家で幽閉ゆうへいされるか、罪人の収容所にでも送られるか、いっそ毒杯を与えられるか。大罪人となった女の行く末は、クレメンテ公爵家が然るべく決断なさるでしょう」
わたくしがマリベルの親であれば、陛下の尊き御名をけがすような真似を仕出かしたと分かった時点で、刀の錆とするでしょうな。さて、マリベルの王籍剥奪は当然として、クレメンテ公爵閣下やアイラト王子殿下まで御謹慎きんしんとは、中々に王城を騒がせる御処分でございますな。御二方とも、此度のマリベルの謀略に関与しておられたのでしょうか」

 既に王子妃の尊称を付けず、クレメンテ公爵家の姫とも呼ばず、罪人扱いで呼び捨てにするタラスにならい、スラーヴァ伯爵も冷ややかにマリベルを切り捨てた。その言葉に嘘はなかったが、スラーヴァ伯爵の関心は、むしろアイラトとクレメンテ公爵の身の上に有った。アイラトの王太子位冊立を支持するべく、気持ちを固めようとしていたスラーヴァ伯爵にとって、アイラトとクレメンテ公爵の失脚は、王国騎士団の未来を左右し兼ねない程の急変だったのである。スラーヴァ伯爵の厳しく引き締まった表情と、ミカル子爵の青褪あおざめた顔に視線を向けて、タラスは優しく言った。

「アイラト殿下は関わってはおられませんので、御安心下さいませ。クレメンテ公爵は、知っていて放置しておりましたし、マリベルの父親たる身の責任もございますので、然るべき罪には問われましょう。アイラト殿下は、何も御存知なかっただけでなく、マリベルから不貞ふてい教唆きょうさを知らされるや否や、即座に陛下に御報告をなさいました。陛下の御名を貶めるがごとき陰謀など、御自分の正妃の仕業であっても、我慢ならなかったそうでございます。アイラト殿下の御言葉には、陛下も御喜びでございました」

 スラーヴァ伯爵は、僅かに肩の力を抜いた。タラスの口振りからも、アイラトはエリク王の寵愛ちょうあいを失ってはいないに違いない。王太子位への道が遠のいたとしても、完全に可能性が絶たれたわけではないのだろう。

「左様でございましたか。アイラト殿下は、誠に気高い御方でございますな。流石さすがに大ロジオンの王子殿下、王家の誇りを体現しておられます。御自身が罰せられ、面目を失う結果になると分かっておられたでしょうに」

 王太子位の行方に就いて、スラーヴァ伯爵は一言も口にしなかった。誇り高い騎士であると同時に、ロジオン王国の高位貴族でもあるスラーヴァ伯爵は、王城での言説を弁えていたのである。一層微笑みを深めて、タラスが言った。

「私くしも同じ思いでございます、スラーヴァ伯。アイラト殿下は、大ロジオンの王子に相応ふさわしき御方でございます。元第四側妃の不貞は、王国の正史には残せぬ恥辱でございますので、マリベルに陛下への不敬ふけいが有ったという理由で、夫たるアイラト殿下にも御謹慎頂きます。但し、それは形だけのこと。マリベルとの離縁の手続きが済み次第、アイラト殿下は王太子候補に御戻りになられます。それを踏まえて、陛下はこうおおせでございました。余の大切なトーチカの為に、力になれる家の娘を新しき妃に迎えさせよ、と」

 瞬間、スラーヴァ伯爵は大きく目を見開き、堂々たる体躯たいくを震わせた。豪胆な王国騎士団長としては、滅多めったに見られない動揺だった。エリク王の家令かれいであるタラスに、王が暮らす私的な宮殿であるボーフ宮に呼び出された理由を、スラーヴァ伯爵はようやく察したのである。

「まさか、トリフォン伯爵が御願いと仰せになられたのは」
「ええ。スラーヴァ伯爵の末の御息女は、確か未だ御婚約者が御決まりではなかったと思い、勝手ながら御推薦をさせて頂きました。オスサナ姫と言われましたな」

 タラスの言葉に、スラーヴァ伯爵もミカル子爵も、大きく息を呑んだ。ロジオン王国に於いて〈姫〉と呼ばれるのは、王女と王家の血を引く公爵家の息女の他には、王子の伴侶となる予定の貴族家令嬢だけなのである。スラーヴァ伯爵は、動揺を押し殺して答えた。

「左様でございます。オスサナには、幼い頃から婚約者を定めておりましたが、相手の御子息が病に伏されまして、この五年程は床から起き上がれない有様でした。家と家との約束でございます故、ずっと御待ちしておりましたものの、三月程前に残念ながら亡くなられました。オスサナも十八歳になり、貴族家の娘としては相応の年齢ございますので、早々に新たな婚約者を決めねばならぬと思っていた所でございます」
「御相手の御子息には申し訳ない物言いながら、これも運命というものでしょう。アイラト殿下は御再婚になられるとはいえ、他に妃殿下や御子様は居られません。十八歳のオスサナ姫にとっても、良き御相手と存じます。如何いかがでしょうか、スラーヴァ伯」

 スラーヴァ伯爵は、ぐには返答をしなかった。王城の権力に対して関心が薄く、王国騎士団の未来だけを見据えてきた男には、想像だにしない話だったのである。それでも、エリク王に忠誠を誓うスラーヴァ伯爵は、うずくような誇らしさを感じ、思わず頬を緩ませた。

「誠に畏れ多い御話でございます、トリフォン伯。陛下の臣下たる身として、否のあるはずがございません。誠に光栄に存じます。ただ、我が身は伯爵家に過ぎず、アイラト殿下の側妃殿下になど、身分が釣り合わないことが心配でございます」
「御心配には及びませんよ、スラーヴァ伯。先のローザ宮の騒乱を見事に指揮なさった功績により、スラーヴァ伯爵を侯爵に陞爵しょうしゃくせよと、陛下の仰せでございます。オスサナ姫には、スラーヴァ侯爵家から出された妃殿下として、吉日に入宮して頂きます。陛下とアイラト殿下の御考え次第ではございますものの、男子を御出産になられましたら、側妃から正妃にも直されましょう」

 予想を遥かに超えた厚遇に、流石さすがのスラーヴァ伯爵も絶句し、忠実な副官であるミカル子爵は、感激の余り目を潤ませた。タラスは、満足の笑みを浮かべて言った。

「これで話はまとまりましたな。それでは、共に陛下の御居間に参りましょう。御愛息の新しい妃殿下となられる方の御父上と、前祝いの杯を交わしたいと、陛下が御待ちでございます。どうぞ、ミカル子爵も御一緒に。遠慮は御無用ですよ」

 マリベルが仕掛けた不貞ふていの謀略は、自身の運命を激変させると共に、王城に幾つもの嵐を巻き起こそうとしていたのだった。


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