見出し画像

連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 3-5

 わたしの大好きなお父さんが口にした、〈見神けんしん〉っていう言葉について、ぐるぐると考えている間に、お姫様たちの話は終わっていた。すぐに結論を出すように急かしたり、大公家の跡取りになることを強制したりするつもりはないから、ゆっくり考えてくれたら良いからって。
 フェルトさんは、いろいろと複雑そうだったけど、素直にうなずいていた。わたしのお兄ちゃんになる人は、ちゃんと相手の気持ちを理解できる人だから、お姫様たちの話を、誠実に検討するんだと思う。アリアナお姉ちゃんや、フェルトさんの親代わりの総隊長さんもいるから、大丈夫だろう、多分。
 
 話の最後に、フェルトさんに向かって、深々と頭を下げたのは、マチアスさんだった。
 
「もう一度、改めて謝罪をさせてほしい。わたしは、姫を失ったことで半ば自暴自棄となり、元大公の幼稚な罠に落ちてしまった。クルトの誕生は、我が生涯で最高の喜びだったが、わたしが誓文せいもんで縛られていたゆえに、姫の手元で育ててやることさえできなかった。クルトと結ばれたサリーナが、クローゼ子爵家でしいたげられたのも、おまえを〈婚外子〉にしてしまったのも、祖父祖母と名乗りもしなかったのも、すべてわたしの罪だ。許してくれなどと、軽々しくいうつもりはない。ただ、申し訳なかった」
 
 あんなに口数が多くて、すっごい早口で話し続けるお姫様は、唇をぎゅっと結んだまま、マチアスさんと一緒に頭を下げた。お姫様もマチアスさんも、きっとすごくつらかったんだって、わたしにもわかったよ。
 
 フェルトさんは、何回か話そうとしては、口をつぐんだ。そして、お姫様とマチアスさんに、優しい笑顔を向けてから、こういったんだ。
 
「お顔を上げてください、オディール様も、マチアス閣下も。わたしは、誰も恨んでなどおりません。今があまりにも幸せだから、悪意を持ったりはできないんです。それに、お二人が、ご身分を隠してまで、何度もわたしに会いに来てくださったお気持ちは、理解しています。とても嬉しく思っておりますから」
「ありがとう、フェルト。いくら責められても、仕方のないところなのに。おまえは、まさしくクルトとサリーナの息子だ。感謝する」
「いや、今のわたしには、マチアス閣下のお苦しみが想像できます。わたしの命よりも大切なアリアナさんが、誰かに奪われるような事態になったら、わたしだって、絶望に狂ってしまうと思います。マチアス閣下を責めるなんて、とんでもない。いや、まだ、その危険性を排除できたわけではないですね。アリアナさんの心の美しさも知らず、美貌だけにかれるくずは、いくらでも出てくるだろう。そうなると、オディール様やマチアス閣下のお言葉の通り、地位や身分があった方が、アリアナさんを守りやすいのか? 今のままだと、どこかの大貴族や王族が出てきたら、対抗できない……連れて逃げたりすれば、アリアナさんが家族に会えなくなる……相手を殺したところで、おれが逮捕されれば意味はないし……先回りして消すには、数が多すぎるか……」
 
 あれ? 話の途中から、フェルトさんの様子がおかしいよ? お姫様やマチアスさんを無視したまま、瞳をぎらぎらと光らせて、何かをつぶやいているのが、わりと不気味だ。大丈夫なのかな?
 オディール様とマチアスさんは、ちょっと困った顔をして、フェルトさんを見ているんだけど、無視してぶつぶついってるよ、フェルトさんってば。
 
 微妙に固まった空気を変えるように、明るい声を出したのは、わたしの大好きなお母さんだった。ずっと黙ったまま、話を聞いていたお母さんは、マチアスさんたちに向かって、にっこりと微笑んだ。
 
「さあ、お話がひと区切りしたところで、ちょうど夕飯時でございます。身分をわきまえないお誘いですけれども、よろしければ、我が家で夕食を召し上がってくださいませんか? 真剣な話し合いをした後は、わたくしの主人の心くしの料理をお出しするのが、我が家の流儀なのでございます。帰路をお急ぎでございますか、オディール様?」
「まあ、よろしいの、奥様? 突然押しかけて参りましたのに、皆さんにご迷惑ではありませんこと?」
「とんでもないことでございます、オディール様。ねえ、あなた?」
「もちろんだとも。ささやかなものではございますが、共に食卓を囲んでいただけるのでしたら、これ以上の喜びはございません」
「そういってくださるのなら、お言葉に甘えたいわ。〈野ばら亭〉に行ってみたいと、マチアスとも話しておりましたのよ」
「そうですね、姫。クローゼ子爵家と縁を切って、わたしの従者となった者たちからも、〈野ばら亭〉のことは聞いていたのです。厚かましいことだが、奥方のご好意を受けたいと思う、カペラ殿」
「是非、そうなさってくださいませ、閣下。うちは料理屋ですから、準備にもそうは時間はかかりませんので」
「嬉しいですわ、オディール様。サリーナさんも、総隊長さんも、ご一緒していただけますわよね? 今夜も、わたくしの愛する夫が、とびきりのお料理をご用意いたしますわ!」
 
 お母さんの言葉を合図に、お父さんは早々に準備にかかった。わたしたちは、そのまま応接間に残って、いろいろな話をした。フェルトさんの今後のことは、あえて話題から外して、フェルトさんとお姉ちゃんの馴れ初めとか、フェルトさんの守備隊での仕事とか、マチアスさんとお姫様のこととか、亡くなったクルトさんの思い出とか……。
 すごく楽しかったし、有意義な時間だったと思う。口では、〈オディール様〉とか〈マチアス閣下〉とか呼んでいても、フェルトさんが、二人を大切に思い始めていることが、よくわかったしね。こっ、恋とか、あっ、愛とかを別にすれば、人の心の機微きびに敏感な少女なのだ、わたしは。
 
 時間はあっという間に過ぎていって、お腹が減ったなと思った頃に、お父さんが呼びに来てくれた。身分を気にせず、親戚として食卓を囲みたいっていうのが、お姫様の強い希望だったから、わたしたちは、皆んなで食堂でご飯を食べることになったんだ。
 うちのお父さんは、王族のお姫様が相手でも、高級なだけの料理を出したりはしない。むしろ、お城では食べられないような、庶民的なご馳走を、山ほど用意してくれていた。
 
 最初に出されたのは、婚礼のお客様からの要望が多い、〈野ばら亭〉名物の淡い薔薇色のスープ。たくさんの種類の野菜を、干したり凍らしたり叩いたりしてから出汁だしを取ったもので、味付けらしい味付けは、塩漬けにした薔薇の花びらだけなんだって。
 アリアナお姉ちゃんがお嫁に行っちゃうのが、寂しくて仕方のないお父さんだけど、お姉ちゃんを祝福する気持ちは、その寂しさよりもきっと、ずっと大きいんじゃないかな。
 
 そこから次々に並べられた料理は、いつもながら本当においしそうだった。お団子みたいなニョッキは三種類もあって、チーズソースのじゃがいものニョッキと、パセリバターソースのさつまいものニョッキと、ホワイトソースのかぼちゃのニョッキ。脂の乗った秋鮭に岩塩を振って、まきの火で遠くからこんがり焼いたもの。オレンジ色と黄色と赤色の三色のパプリカを、順番に並べた可愛いゼリー寄せ。思わずうっとりしちゃうような、薔薇色の切り口を輝かせている、牛肉のパイ皮包み焼き。たっぷりの旬のカブと、何種類もの香味野菜のサラダ。アボカドと生のマグロを特製ソースで和えて、薄切りのパンに乗せて食べるカナッペ。海老やホタテ貝をすり身にして、鮮やかなバジルの色のソースを合わせたテリーヌ。骨付きの豚のバラ肉を、特製ソースに漬け込んでから、じっくりと火を通したスペアリブ。〈野ばら亭〉名物の堅焼きパンと、ナッツを入れて焼いたパンと、バジルとチーズを練り込んだパンと、パリパリのクロワッサンと、味付けしたひき肉とたっぷりのねぎを包み込んだパン……。
 中には、手づかみで食べた方がおいしくて、お姫様にはちょっとどうかと思うようなメニューもあったけど、とにかくおいしそうだった。実際、お父さんのご飯は最高の最高なんだけどね!
 
 最初の薔薇のスープで、お姫様が大喜びしてくれて、意味を知っているお姉ちゃんは、嬉しそうに頬を染めた。
 そして、せっかくのお料理が冷めないうちに、食べ始めようとしたところで、わたしは思ったんだ。今日のご馳走も、とってもおいしそうだから、スイシャク様とアマツ様にも食べてもらいたいなって。
 
 その瞬間、わたしの身体が細かく震え出して、髪の毛までぶわって逆立ったような気がした。悪い気持ちじゃないんだけど、あまりにも強くて、尊くて、畏れ多くて、無意識にすくんじゃいそうになったんだ。
 別々の方角の空から、真っ直ぐに降ってくる気配には、確かに覚えがあった。人とは遠く隔たった存在なのに、どこまでも優しくて暖かい思いやりに満ちている……。これって、顕現けんげんに決まってるよね?
 
     ◆
 
 強くて尊い神威しんいに圧倒されて、がちがちに強張っていた身体は、その気配を理解した瞬間に、ふにゃふにゃになった。だって、今から現れてくれるのは、わたしが大好きで、わたしのことを守ってくれる、スイシャク様とアマツ様なんだから!
 
 先に顕現したのは、真紅の炎をまとわせたアマツ様で、天空から食堂まで、一直線に降ってきた。〈天空から食堂まで〉っていう表現が、すごく妙な気はするけど、本当にそうだったんだ。
 アマツ様は、スイシャク様と同じくらいの巨大な鳥の姿で、ぱちぱちとぜる鱗粉は、光り輝く朱色と黄金色だった。食堂に静止したまま、轟々ごうごうと真紅の炎を燃やしている姿は、現世うつしよの何とも代えられないほど、神々しくも美しかった。
 
 アマツ様は、食卓の上をゆっくりと旋回した。すると、あったかい料理は真紅、冷たい料理は白い炎に包まれた。燃やすんじゃなく、優しく包み込むような炎だよ。
 数日ぶりに送られてきたメッセージによると、〈神饌しんせんの申し子の作りしさんを、いたずらに冷ますことなど、罪悪に等しき所業〉〈冷たきものは冷たく、温かきものは温かく、我が炎にて保つべき〉なんだって。
 アマツ様ってば、自分が顕現したことによって、料理を冷ますのが嫌らしい。料理人のお父さんを持つ身としては、とっても嬉しい心遣いなんだけど、神霊さんって、そんなに気が利く感じでいいんだっけ?
 
 われに返ったお姫様たちが、慌てて床にひざまずく様子を横目で見ながら、アマツ様は、ゆっくりとわたしの肩に留まった。最初にお目にかかったときよりも、巨大化しているから、わたしの顔と同じくらいの大きさがあるんじゃないかな?
 アマツ様は、つるつるの羽毛に包まれた可愛い頭を、わたしのほほに何度もこすりつけた。初めて見るお姫様とマチアスさんは、驚いて目を見開いているみたいだけど、これがアマツ様のご挨拶だからね。アマツ様の炎に包まれて、わたしの顔が燃えちゃいそうに見えるのにも、慣れちゃったしね。わたしも失礼して、アマツ様に頬擦ほおずりさせてもらったんだ。
 
 アマツ様が、羽根を閉じたところで、今度はスイシャク様の番だった。スイシャク様も、遥か天空の高みから、うちの家の食堂へと真っ直ぐに降りてきた。アマツ様のときもそうだけど、隕石いんせきが降ってくるときって、こんな感じじゃないのかな?
 スイシャク様は、食堂の真ん中で止まったりはしなかった。うちの家が近づいてきた瞬間、降下する速度を落としたかと思うと、純白の光を身にまとったまま、ふんわりと、わたしの膝の上に降り立ったんだ。
 
 スイシャク様は、わたしの大好きな、ふっくふくの巨大雀のままだった。わたしの膝の上で、身体を後ろに傾けたかと思うと、くいっとあごを伸ばして、濡れた黒曜石みたいなまん丸の瞳で、わたしを見上げた。雀の顎って、いまいちよくわからないんだけど。
 
 わたしの目を見て、スイシャク様はふっすすす、ふっすすすって、可愛い鼻息を吹いた。送られてきたイメージは、〈心痛むおりあらば、く我を呼ぶが良い〉〈ひなは迷い惑うもの〉〈我が眷属の成長こそは望ましき〉だったから、わたしが、こっ、恋に悩んでいることは、ばれちゃってるのかもしれない。
 
 鳥型の神霊さんたちに、どうやったらプライバシーっていう概念を理解させられるのか、わたしが真剣に悩んでいるうちに、お姫様やマチアスさんたちを始め、皆んなが床に跪いて、深々と頭を下げていた。
 アマツ様は肩の上、スイシャク様は膝の上から退いてくれないので、知らない人が見たら、王族のお姫様が、わたしに向かって跪いているみたいだった。ご分体を振り落とすわけにもいかず、わたしはまたしても〈呪文〉を唱えた。わたしは台座、わたしは台座、わたしは台座……。
 
 最初に沈黙を破ったのは、マチアスさんだった。マチアスさんは、朗々とした声で、祝詞のりとを唱えたんだ。
 
「掛けまくも畏き御神々 祖国の鎮守に在らせらるる御二柱に 畏み畏み物申す 畏れ多くも拝謁の栄に浴し 罪人に連なりし我ら 汗顔恐懼の極みにて 身の置き所もなかりければ 身命懸けて償わんと 拝跪の誓い奉らん」
 
(かけまくもかしこきおんかみがみ、そこくのちんじゅにあらせらるるおんふたはしらに、かしこみかしこみまもおす。おそれおおくもはいえつのえいによくし、つみびとにつらなりしわれら、かんがんきょうくのきわみにて、みのおきどころもなかりければ、しんみょうかけてつぐなわんと、はいきのちかいたてまつらん)
 
 マチアスさんの言葉に応じるように、かたわらにいたお姫様が、深く深く頭を下げて、床に額をこすりつけた。弟である大公が、〈神敵しんてき〉って額に書かれちゃうほど、神霊さんたちを怒らせたことを、お姫様は、何となく感じ取っているんじゃないかな?
 マチアスさんも、お姫様と一緒に頭を下げ、やっぱり床に額を擦りつけた。わりと適当なわたしと違って、うちのお母さんとアリアナお姉ちゃんは、二人とも綺麗好きだから、うちの家の床はいつもぴかぴかに磨かれている。お姫様やマチアスさんが額を擦りつけるんだから、綺麗で良かった……って、もちろん、単なる現実逃避だけどね……。
 
 スイシャク様とアマツ様は、マチアスさんとお姫様の謝罪に対して、すぐにメッセージを送ってくれた。〈が仲介となり、我らが言葉を伝えよ〉って。
 
「あの、スイシャク様とアマツ様から、お言葉があるんですけど、お伝えしてもいいですか? できれば、頭を上げて聞いていただきたいんですけど」
 
 わたしが、おずおずと話しかけると、お姫様とマチアスさんは、弾かれたみたいな勢いで頭を上げた。そして、なぜか呆然とした顔で、わたしを凝視してから、大きくうなずいてくれたんだ。
 
「願ってもないことです、お嬢さん。どうか、お願いします」
「わたくしの愚弟は、この尊き神霊王国にあって、死をもってしても到底とうてい償うことのできない、大罪を犯しました。その姉たるわたくしに、御神々のお言葉を賜るとは、それが死を命ぜられるものだったとしても、この上ない恩寵おんちょうでございますのよ、お嬢さん」
 
 二人の言葉に、いつになくきりっとした表情を作ったスイシャク様とアマツ様が、交互にメッセージを送ってくれた。〈血の絆を尊ぶは、現世の条理に過ぎず〉〈神世かみのよことわりにては、親兄弟のえにしは薄きもの〉〈神敵の罪は神敵に帰す〉〈虜囚の鏡にて囚われん〉〈力の申し子と氷の愛子まなごは、吉日、縁を結ぶべし〉〈永き春の終わりをば、来世の縁にて寿ことほがん〉って。
 むずかしい伝言だったから、伝え間違えることのないように、わたしは、慎重に言葉を選びながらいった。
 
「えっと。大公の罪に対して、お二人が責任を感じる必要はないみたいです。血のつながりを重視するのは人だけで、神霊さんの〈理〉じゃないからって。大公の犯した罪の責任は、大公自身に取らせるそうです。それから、〈力の申し子〉のマチアス様と、〈氷の愛子〉のオディール様は、正式に結婚したらどうかっておっしゃってます。つらい思いをしたお二人だから、神霊さんからのお祝いとして、来世でも縁をつないであげるからって」
 
 ちょっと不安を感じながら、メッセージを伝えたんだけど、大丈夫だったみたい。スイシャク様は、満足そうにふっすふすいってるし、アマツ様も、わたしの頬にすりすりと頭を擦りつけてくれたんだ。
 
 お姫様は、感極まったみたいに泣き出したし、マチアスさんも、瞳を潤ませて歯を食いしばった。神霊さんの〈呪言ことほぎ〉で、来世まで約束してもらったんだから、そりゃあ嬉しいよね。
 わたしたちも、思わず歓声を上げて手を叩いた。神事のときなんかは、神霊さんに失礼のないよう、固く沈黙を守るんだけど、ここはカペラ家の食堂だからね。おいしくて、楽しくて、幸せなのが持ち味なんだよ!
 
 それからは、すぐに宴会に突入した。お姫様とマチアスさんは、神霊さんのご分体が、ぱかぱか口を開けて食事をする様子を、最初は硬直しながら見ていたけどね。まあ、それが常識的な反応なんだろう。
 
 スイシャク様は、薔薇のスープを飲んで、ふっくふくに膨らんだし、アマツ様は、アボカドとマグロのカナッペを食べて、鱗粉をき散らせた。つまりは、すっごく気に入ってくれたんだろう。
 わたしにお給仕をさせながら、おいしそうに食べてくれる二柱に、お姫様たちがすっかり慣れてきた頃、フェルトさんが、不意に小さな声でつぶやいた。
 
「もしかして、あの日、あのとき、聞こえた気がしたのは、単なる空耳じゃなかったのか? それなら、おれも決断した方がいいのか? 守りは厚い方が……」
 
 ん? なんだろう? すごく不穏な気配を感じるんだけど、きっと気のせい……なんだよね?