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フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-8

03 リトゥス 儀式は止められず|8 襲撃

 オローネツ辺境伯爵領の村を襲った第七方面騎士団の騎士達を、瞬く間にほふったルーガとその部下達は、生かしたまま捕えておいた三人の騎士を荷馬車に乗せ、オローネツ辺境伯爵の居城を目指していた。ルーガが差配を任されている代官屋敷からオローネツ城までは、馬車で二日程の距離である。その短くもない旅の行程で、三人の罪人は最低限の水分以外、麦の一粒も与えられず、乱暴に荷馬車に積み重ねられていた。
 やがて一行の道行もそろそろ終わろうかという頃、ルーガと共にくつわを並べて馬を進めていた護衛騎士の一人が、周囲の様子を見回しながら言った。

「オローネツ城までは、もう三ミルくらいでしょう。夕暮れまでには間が有ります。この辺りで休憩を挟みますか、ルーガ様」

 問われたルーガは、無言のまま答えず、目を眇めて周囲の気配を探った。常のルーガには似合わない、硬い緊張を孕んだ表情だった。

「いや、止めておこう。出来るだけ早くオローネツ城に入りたい。何故かは分からないが、嫌な予感がしやがる。このまま、ここに居るのは危険だと、何かに訴えられている気がするんだ。ちりちりと、頸の毛が逆立つみたいしてにな」
「止めて下さいよ。親父さんのそういう勘は、滅法当たるんですから。本当に危険に陥ったら、どうするんですか」

 ルーガと共に長く闘ってきた門番という名目の騎士が、眉を寄せて気安く抗議した。周りに集まったルーガの部下達も、口々に賛同の声を上げる。もう一人、やはり門番の姿をした騎士は、真剣な顔で言った。

「親父が怪しいと思うのなら、ぐに対応出来る態勢を取った方が良い。訳などなくても、俺達は親父に従いますよ。これまでも、そうやって危険を乗り越えてきたんだから、勘を軽視するべきではないでしょう」

 門番姿の騎士の言葉に、ルーガに同行する十人程の者達は、一斉に自らの指揮官を注視した。ルーガは馬の歩みを止め、わずかに逡巡しゅんじゅんしたものの、その決断に迷いはなかった。決然とした声で、ルーガが命じた。

「たった今から、俺達は戦闘体制に入る。説明出来る理由はない。欠片の根拠もない。しかし、俺達はこれから襲撃される気がする。騎士として、三十年以上も命懸けで戦ってきた俺の勘が、絶対に間違いないと囁きやがるんだ。出来ればオローネツ城まで一気駆けといきたい所だが、恐らくは間に合わん。少しでも有利な立場で戦えるように、態勢を整えて迎え撃つ。誰か、この近くに陣を張れる場所を知らないか」

 ルーガの下した判断に、にわかに緊張感が高まる中、農夫の扮装をした男が、周囲を慎重に見回しながら答えた。

「この辺りは一面の草原が続いていきますからね。見晴らしが良くて奇襲を掛け難い反面、身を隠すのは簡単じゃない。右前方の林に入っても、手入れされた木々と湖があるだけで、木こり小屋一つ建っていなかったと思いますよ」
「ということは、今から本格的な陣を張るのは無理か。仕方ない、湖を背にして背後を守る背水の陣といこう」
「襲ってくるとしたら、第七の奴らでしょう。どうやって、俺達の居場所を特定したんだ。跡を付けられていて、気付かない俺達じゃないはずだが」
「捕虜にした奴らが、場所を知らせるような魔術機器を隠し持っているのかも知れない。今からでも、身ぐるみを剥いで置いていきますか、ルーガ様」
「いや、時間が惜しい。ぐに見つけられる場所に、魔術機器があるとも限らないし、別の方法で見張られている可能性も有る。村への襲撃には出動させなくても、其々の方面騎士団には、魔術師や魔術騎士が配置されているからな。個別の襲撃ではなく、第七の団長の指示が有れば、其奴そやつらが出てくる可能性が高い。とにかく、今は移動が優先だ。ルペラ、おまえには指示を出す」

 ルペラと呼ばれたのは、成人したばかりに見える若い護衛騎士だった。最初に休憩のことをたずねたルペラは、思わぬ成り行きに驚き、緊張に凛々しい顔を強張こわばらせながらも、強い眼差まなざしでルーガに応えた。

「俺達の中で、おまえの馬が最も速い。おまえはこのまま、全速力でオローネツ城まで走れ。我らは右前方、林の中の湖の前で敵を迎え撃つ。閣下に申し上げて、援軍を呼んで来い。万が一、間に合わなくても、荷馬車に放り込んだ屑共に喋らせた内容を閣下に御伝え出来れば、それだけで良い。危険を承知で頼む。行け」

 命令を受けたルペラは、一瞬、仲間を置いて行くことに躊躇ちゅうちょする素振りを見せたものの、直ぐに表情を引き締めた。

「承知致しました。必ず援軍を連れて来ます。御武運を」

 ただ一言、その言葉だけを残して、ルペラは即座に馬に鞭を入れた。置き去りにする仲間を、ルぺラは一度も振り返らない。いつ命を落とすかも分からない騎士という仕事に、大きな誇りを持っている男達に、長々と別れを惜しむ感傷など不要だった。
 ルペラが砂煙を上げて走り去った途端、ルーガ達もまた慌ただしく動いた。彼らは各々の馬に鞭を呉れ、一気に林に駆け込んだ。襲撃が未確定な状況だからと、戸惑い迷うような者は、ルーガの部下にはいない。門番や農民に擬態しながら、完全武装の方面騎士団から決死の覚悟で領民を護ってきた彼らは、百戦錬磨の戦士だった。

 森の女王とも呼ばれるぶなの木々が、美しい緑の陰影を作り出す林の中を、ルーガ達は巧みに走り抜ける。人の手の入った林には、騎馬や馬車が通れるだけの道らしきものも有り、ルーガ達の進みを容易にしたが、襲撃を企てる者達がいたとすれば、その者達にも容易く侵入を許すだろう。十ミラ程の後、林の中に唐突に広がる湖に到達したルーガ達は、荷馬車を横付けして第七方面騎士団の騎士達を引き摺り出した。

「よし、此奴こやつらを一人ずつ荷馬車に縛り付けろ。どうせ碌なことをしてこなかった屑共だ。ここは一つ、俺達の為に弓矢避けになってもらおう」
「全員、防具の着用は良いか。弓矢はどれくらい積んである」
「弓が五、矢が五十です」
「では、三人は荷馬車の中から敵を狙え。二張は予備だ。この地形では騎馬は分が悪い。全員下馬して、白兵戦に持ち込むぞ。罠を仕掛ける者は急げ」

 簡易的に襲撃を迎え撃つ陣を整え、半死半生の捕虜達を馬車に縛り付け、全員が荷馬車の陰に身を潜めてから五ミラもしない内に、静かな林の中に騎馬の気配が満ちてきた。声を潜め、唇の動きだけでルーガは言う。
「来たぞ。総員用意」

 一方、手荒い扱いに体力を削られ、されるがままになっていた第七方面騎士団の捕虜達は、味方の気配を感じ取ったのか、必死でうめき声を上げ始めた。その動きは弱々しくとも、敵に居所を知らせるには十分だった。

「いたぞ。オローネツの愚民共は、湖の手前だ。全員殺せ。一人たりとも逃すな。オローネツ辺境伯爵の下に駆け込まれると、事は面倒になる。その前に、彼奴らの口を塞ぐのだ。我ら第七方面騎士団の力を見せてやれ」

 荷馬車を視線に捉えるや否や、隊長らしき男が声を張る。林の中から現れたのは、方面騎士団の誇る金色の軽鎧に身を固めた、二十騎を超す騎士達だったのである。門番姿の男が、如何いかにも呆れた口調で言う。

「なあ、ルーガの親父。彼奴あやつらは正真正銘の馬鹿なのか。それとも、あれも策略の内なのか。大っぴらに正体をばらして、襲撃の時期を教えてくれる刺客なんぞ、俺達は会った覚えがないんだがな。オローネツ辺境伯爵閣下に知られては具合が悪い、だから口封じが目的なんだと、自分で言ってどうするよ」

 完全武装の騎士達に包囲されようとしている中、恐れ気もなく襲撃者を揶揄やゆする言葉に、オローネツの男達は太々しく笑った。ルーガもまた、日焼けした男らしい顔に明らかな嘲笑を浮かべながら言った。

「前から馬鹿だとは思っていたが、第七方面騎士団の奴らの馬鹿さ加減は、本当に留まる所を知らないな。俺達があんな阿呆共に殺されたとなると、オローネツ辺境伯爵閣下の御名に傷が付く。ここは何としても切り抜けるぞ。良いな」
「応とも」

 ルーガ達の軽蔑にも気付かず、第七方面騎士団の騎士達は、荷馬車を目掛けて殺到した。騎士達にとって、武力の所持さえ禁じられた地方領主の手勢など、略奪対象としての価値しかない領民達と、何ら変わらない存在だったのである。

 ところが、一気に突進してきた騎馬が林を抜けようとした瞬間、何かに足を取られた馬が、もんどり打って地面に転がり、馬体から投げ出された騎士が地面に叩き付けられた。後続の騎馬達は、慌てて静止の声を上げ、馬を止めようと手綱を引いたものの、勢いの付いた馬体がぐに減速出来るはずがない。そのまま三騎が地面に転がり、騎士達は鎧姿で地面に激突した。倒れた馬達は何とか起き上がったものの、既に制御は失われており、主人である騎士達を置いたまま目も呉れず、四方に駆け去っていった。
 最初に地面に叩き付けられた騎士は、首の骨でも折ったのか、口から血塗れの泡を吹き出し、身動きもしない。後の二人も、己が馬の蹄に掛けられて、やはり瀕死の状態だった。隊長と思しき男は、歯噛みして怒鳴った。

「子供騙しの罠に掛かって何とする。天蚕糸てぐすか何かを張ってあるのだ。馬を降りて、早く忌々いまいましい糸を切ってこい」

 隊長の叱咤に、数人の騎士が下馬し、腰に履いた剣を抜いた。そして、張り巡らされた透明の糸が光に反射するのを確認し、直ぐ様それを切ろうと駆け寄ったとき、荷馬車のほろの隙間から、立て続けに矢が射掛けられた。ルーガ達が好んで扱う強弓は、百セルラを超える射程を誇る。数十セルラの位置まで肉薄した騎士達は、彼らにとって格好の的だった。
 一人の騎士は、眼球を射抜かれて悶絶している。別の騎士は、眉間に深々と矢を受けて即死した。相手を侮り、顔面を保護する面頬を上げたままにしていた騎士達は、次々と放たれる矢から必死に逃れ、震える手で何とか面頬を引き上げた。

 強靭な全身鎧に身を包んでいながら、手もなく後れを取る部下達の不甲斐なさに激怒した隊長は、堪らずルーガ達を罵倒した。

「この卑怯者め。騎士が弓矢を用いるなど、恥を知らぬのか。天蚕糸てぐすの罠など、農民の仕様であろうが。騎士道に則り、正々堂々と勝負できないのか」

 ロジオン王国でもスエラ帝国でも、正式に騎士と呼ばれる者達は、いまだに飛び道具を嫌う。騎馬で弓を射ることは難しく、更には狩人が弓矢で獲物を捕ることから、弓矢は〈いやしい武器〉だと考えられているからである。

隊長の言い分に、ルーガは更に嘲笑を深くし、部下達も歯を剥き出しにして凄みのある笑顔を見せた。ルーガ達に言わせれば、獣にも劣る所業を重ねてきた略奪者が、堂々と騎士道を説くなど、悪質な冗談でしかなかったのである。ルーガが口を開く間さえなく、部下達は口々に第七方面騎士団を罵倒した。

「第七の畜生共が騎士道とは、騎士道が泣くな。これ程の皮肉を聞いたのは、生まれて初めてだ。恥知らずも極まったな」
「それに、俺達は門番と農民だと言っとるだろうが」
「第七の騎士道なんぞ、俺達が知るかよ。帯剣さえ禁じられている相手を、全身鎧の重装備で襲撃しておいて、騎士道だとは笑わせてくれるぜ」
「ルーガの親父。彼奴あやつら、まさか本気で言ってるのか」
「下衆なだけじゃなく。彼奴らは頭までおかしいらしい。敵が自分の思い通りに戦ってくれるわけがなかろうが。阿呆が」

 部下達の罵倒を耳にしながら、冷静に状況を観察していたルーガは、一つの賭けに出ようと決めた。どうやら目の前の愚か者は、オローネツ城から救援を呼ぶ為に、護衛騎士を先行させた事実に気が付いてはいないらしい。ならば、時間さえ稼げれば、ルーガ達が生き残る確率は上がる。口では馬鹿にしつつも、ロジオン王国の高い技術で鋳造ちゅうぞうされた軽い全身鎧の強靭さと、軽鎧で武装したときの方面騎士団の武力を知るルーガは、少しも油断してはいなかったのである。

 第七方面騎士団が飛び道具を用意していないと見極め、おもむろに荷馬車の陰から歩み出たルーガは、堂々と己が顔を晒して相手を挑発した。

「黙れ。貴様らは、我らをオローネツ辺境伯爵閣下の家臣と知りながら、略奪の証拠を隠蔽いんぺいする為に襲撃したのだろう。そんな野盗共に、卑怯と言われる筋合いはない。それでも正々堂々の勝負を願うのなら、受けて立ってやろう。一対一とは言わず、三対三で決闘といこうではないか。お前達に、それを受けるだけの誇りはあるか」

 度重なる屈辱と怒りに震える隊長は、ルーガの仕掛けた罠に易々と絡め取られ、真正面から挑発を受け止めた。

「生意気な愚民共め。良かろう。騎士たる者が決闘を申し込まれたら、これを断ることは出来ないのが、古今東西を問わぬ騎士道の決まりだ。貴様ら下賎な農奴の頭に、我ら第七方面騎士団の闘い方を叩き込んでやるから、覚悟するのだな」