フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 2-7
02 カルカンド 状況は加速する|7 罪の果て
タラスがスヴォーロフ侯爵を訪ねてから二日後の朝は、抜けるような晴天だった。その美しい青空の下を、麻縄で後ろ手に縛られた幾人もの男女が、裸足のまま引き摺られていた。着ている物は上等な女官服や女中服、或いは王城の従僕が着る御仕着せである。ロジオン王国の誇る豪華絢爛たる王城で、只ならぬ何かが起こっているのだと、王城の者達は誰もが一目で察していた。
罪人らしき男女を引き連れているのは、濃紺の革鎧を身に付けた三十人程の小隊である。胸元に金で刻印された紋章は狼であり、これはロジオン王国の王国騎士団が使う騎士章として知られている。王城で起こった出来事に関しては、近衛騎士団が動くべき所を、所轄違いの王国騎士団が差配しているという事実が、一層見物人の不信を煽っていた。
一行がそろそろ王城の裏口に差し掛かろうかというとき、女中服を着た年配の女が一人、必死の形相で走り寄り、先頭を進む騎士の前に跪いた。後毛もなく結われていただろう髪は乱れ、女中服の裾には泥が付いている。王城の使用人の一人として、厳しく躾けられている筈の女は、身繕いをする余裕さえなく、目の前の騎士に懇願した。
「どうか御待ち下さいませ。その中に娘がおります。娘を何処へ連れて行かれるのですか。御願いでございます。どうか、どうか訳を御聞かせ下さいませ。娘は第四側妃様の専属女中でございます。側妃様は御存知なのでございますか」
騎士は一言も言葉を発せず、手にしていた槍の柄で女を薙ぎ払った。然程の力を入れたようにも見えなかったが、鍛え抜かれた王国騎士の力は強く、女は一撃で鼻血を吹き出した。それでも、女は尚も懸命に追い縋り、騎士の足元に縋り付いた。
「御待ち下さい。娘が何をしたというのです。どうか御許し下さいませ。娘を連れて行かないで下さいませ。御願いでございます」
懸命の訴えに眉一つ動かさず、再び騎士が女を殴打しようとしたとき、背後から小隊長の階級章を付けた騎士が現れた。無造作に女の髪を掴み、血塗れの顔を上げさせた騎士は、憐れみを掛ける素振りさえ見せずに言った。
「後ろに引き連れた逆賊の中に、おまえの娘がいるというなら、おまえも祖国の敵だ。おまえの娘は、偉大なるロジオン王国の誇りを踏み躙った。汚らしい売女が間男を引き入れる手助けをし、王統に唾を吐いたのだ」
滴る程の怒りと侮蔑に満ちた騎士の声は、目の前の女だけではなく、身を隠して見物していた者達の耳にも鋭く突き刺さった。激しい驚愕と衝撃がその場を支配し、やがて無言の興奮が伝播していった。ロジオン王国の歴史を見ても、滅多にない程の醜聞である。数時間の内には、王城の中でこの一幕を知らない者などいなくなるだろう。
必死で騎士に縋り付いていた女は、呆然とした表情で力をなくし、後ろから現れた騎士に引き摺られるまま、力なく道を開けた。
「御母さん、ごめんなさい。助けて、御母さん」
女の娘と思しき女中は、殴られて腫れ上がった目から涙を溢し、何とか女に駆け寄ろうとしたものの、乱暴に荒縄を引き摺られ、どうすることも出来ずに連れられていった。そんな母娘の別れに心を動かされた素振りもなく、少しも歩みを止めないまま、王国騎士団の小隊は、王城の裏口を出ていったのである。
やがて、見物人の目が途切れたのを確認してから、一人の騎士が小隊長に近寄り、そっと声を潜めて話し掛けた。
「此奴らの大罪を暴露してしまって良かったのですか、小隊長。あの場では、かなりの者達が聞き耳を立てておりましたが」
「構わない。必要な場面があれば、誰に告げても良いと予め許可されているのだ。子の命の為に売女の罪を公表しないだけで、真実に蓋をする必要はないそうだ。陰で関係者を始末せず、処刑という手段が選ばれたのも、そういうことだろうさ」
「成程。裁かれないからといって、許されるわけではない、と。近衛も良い恥晒しですな。陛下を守護すべき身で王統に泥を塗るなど、騎士の風上にも置けない。これだから、王宮の騎士人形は役に立たないというのです」
「全くだ。まあ、今回の捕縛から外されたのだから、陛下から役立たずと叱責されたも同然だろう。近衛の連中、今頃は青くなっているだろうな。王城の真っ只中で、王国騎士団が捕縛の任に就くなど、前代未聞だからな。増して、罪の舞台となったのは側妃の宮殿で、間男も協力者も近衛の騎士だ。近衛騎士団の団長が、我らがスラーヴァ伯爵閣下であれば、余りの屈辱と陛下への申し訳なさに耐え切れず、既に自刃して果てておられるだろうさ」
そう話す間に、一行は裏手の森の中にひっそりと設けられた処刑場に辿り着いた。周囲の木々は生い茂り、細かな砂を敷き詰めた地面は、まるで血を吸いでもしたかの如く赤茶けている。処刑場の中程に二十本ばかりの丸太が立てられているのは、処刑される罪人を縛り付ける為の杭だった。
ロジオン王国では、重罪を犯した罪人を公開で処刑する場合がある。単に見せしめにするのではなく、公に罪を糾弾し、正義の裁きが為されたと証明する為に、敢えて罪人の血を見せるのである。側妃の不貞に手を貸していた者達を秘密裏に殺さず、王国騎士団によって白昼堂々と連行した末に、王城の処刑場で罰するという決断は、妃の不始末を白日の元に晒すことさえ辞さない、エリク王の密かな怒りに他ならなかった。
王城から連行される途中、王国騎士達の余りの峻厳さに打ちひしがれて、黙々と引き摺られてきた者達も、本当に一切の猶予のないまま処刑されると気付いたのだろう。俄に泣き喚く者、逃げ出そうと藻掻く者、或いは座り込んで動こうとしない者が続出したが、騎士達は一顧だにせずに殴り据え、或いは剣を抜いて脅しては、一人一人杭に縛り付けていったのである。男達の哀願の声と、女達の悲鳴が交差する喧騒の中、王国騎士団の騎士達は眉一つ動かさず、至尊の主人であるエリク王を愚弄した不忠者を、冷たく見据えるだけだった。
罪人達が残らず縛られた後、小隊長が片手を上げて合図をすると、処刑場の片隅で待ち構えていた屈強な男が十人程駆け寄ってきて、騎士達に頭を下げた。戦闘の場合を除き、騎士の剣は罪人を切らない。屈強な男達は、王城から送られて来る罪人を処罰する為の、王城専属の処刑人なのである。小隊長は胸元から恭しく封書を取り出し、処刑人の頭目を務める男に手渡した。
「今回の罪人の名簿だ。女が十二名と男が二名記載されている。この内九人の女は、普通に処刑してくれれば良い。しかし、名前に印の有る女三名と男二名は、我らがロジオン王国に大逆罪を働いた畜生共だ。その罪状に相応しく処刑せよと、陛下の家令たるトリフォン伯爵閣下の直々の御申し付けである」
「畏まりました。必ず、仰せの通りに致します。見聞して行かれますか」
「いや、任せる。封書に書かれた罪状を読めば、そなたらが手心を加えるとも思われないからな。一つ頼みたいのは、二重に丸を打たれた女のことだ」
「ラリサ・リュボワでございますね。リュボワ子爵家の息女にして、ローザ宮の女官を務めていると書いてございます」
「そうだ。トリフォン伯爵閣下からの御下命で、その女だけは楽に死なせてはならないと申し付かっている。今回の罪状とは別に、陛下に許されざる無礼を働いた女だそうだ。手段は任せるので、念入りに頼むぞ」
無慈悲な宣言に、一人の女が絹を裂くような悲鳴を上げた。顔色を失い、今にも倒れそうに震える女は、たった二日前、ロージナと共にボーフ宮を訪れた女官だったのである。