見出し画像

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 4-14

04 アマーロ 悲しみは訪れる|14 結末

 右手で小さな聖紫石を握り締め、ゲーナの足元に埋め込まれた巨大な聖紫石に向かって、全力で次元の壁を突破する為の魔力を注ぎ始めたダニエは、ぐに悲鳴のような声を上げた。召喚対象者を掴んだままの術式は、ダニエの想像を遥かに超え、異常としか言えない程の質量を有していたのである。

「何という重さだ。星を引き寄せているわけでもないのに、余りにも、余りもに重過ぎる。何とか次元の壁を超えたとしても、これでは上手く制御できないかも知れない。十二芒星を成す魔術師達よ。覚悟せよ。魔術師団長と私は、壁を破るだけで精一杯だ。おまえ達が死力を絞り尽くして、召喚対象を儀式の間へと運ぶのだ」

 ダニエの叫びの切実さに、儀式の間の賓客ひんきゃく達も表情を強張こわばらせた。エリク王の護衛を務める数人の近衛このえ騎士は、佩刀はいとうを抜き放ち、下手に構えながらエリク王の周りを固める。エリク王の背後を守っていたタラスは、素早く上着の隠しに手を入れると、いくつかの宝玉を取り出した。万が一の場合に備え、兼ねてからゲーナに用意を命じ、護身の魔術陣を刻ませていた魔術触媒しょくばいである。

 宝玉の中で最も強く輝く一粒、ゲーナが吐き出した鮮血のように紅い聖紅石を掌に載せ、タラスは無言のままエリク王に差し出した。落ち着いた表情を崩さないエリク王は、タラスから聖紅石を受け取ると、直ぐに魔力を流し込む。次に輝きの強い宝玉をタラスが握り締め、近衛騎士の手にも宝玉が渡されると、其々に魔力が流し込まれれた。儀式の間に張られた防御の障壁に加え、エリク王の周りには更に強固な守りがほどこされたのである。

 エリク王から離れて座っていたアイラトは、異変が起こった直後から、崇拝すうはいする父王ちちおうの姿を目で追っていた。タラスの動きに呼応して、エリク王一行の姿が陽炎のごとく揺らぐと、アイラトは深く息を吐き出した。魔術に対する知識の深いアイラトは、父王が強固な魔術障壁によって守られたことを察知したのである。微かに頬を緩ませ、瞳に安堵の色を浮かべたアイラトは、ようやくエリク王から視線を離し、再び儀式の間を注視したのだった。

 アイラトと同じ席に座るスヴォーロフ侯爵は、動揺しつつも身を乗り出すクレメンテ公爵や、不安気にダニエを見詰めるパーヴェル伯爵を尻目に、ただ一人、灰青色の瞳を輝かせていた。ゲーナに智の怪物と呼ばれた真の天才、大ロジオンが誇る宰相たるスヴォーロフ侯爵にさえ、予想も出来なかった成り行きに、身に付きまと倦怠けんたいを忘れたのだろう。そのおもては明るく、口元には楽し気な微笑みが浮かんでいた。

 数人の近衛このえ騎士を従えただけのアリスタリスは、思わず座席から腰を上げて、儀式の間を凝視ぎょうししていた。成人もしていないアリスタリスにすれば、百年の余も叡智えいちの塔に君臨するゲーナは、既に伝説にも等しい存在だった。そのゲーナがうずくまり、血を吐き出す姿を目の当たりにして、己が胸に去来きょらいする思いが何だったのか、未だアリスタリス自身にさえ分かってはいなかった。

 腹心の部下であるミカル子爵と共に、席に就いていたスラーヴァ伯爵は、堂々とした落ち着きを崩さなかった。エリク王が臨席する場には護衛騎士以外の帯刀は許されない為、寸鉄すんてつも帯てはいなかったが、王国騎士団を統べる武人に相応ふさわしい威風は、誰の目にも明らかだった。炯々けいけいと輝く瞳が何を見据えているのか、答を知っているのは、傍に立つミカル子爵だけだっただろう。

 一方、人々の思惑を他所に、必死に召喚魔術を維持していたゲーナが、ここで初めて声を上げた。口から激しく鮮血を吐き出しながら、淡々と告げたのである。

「私はもう持たない。召喚対象の質量は余りにも重く、残された我らの魔力では、到底次元の壁を越えられないだろう。最早成す術はないのだ。皆を引かせよ、ダニエ。それだけの時間くらいは、私の命であがなおう」

 ゲーナの言葉は、儀式の間に集まった全ての者の耳に突き刺さった。ダニエは、噛み締めた唇から血をしたたらせながら答えた。

「まさか。ここまで来て、止められるものか。後ほんの少しで次元の壁を超える。成功は目の前なのだ。そら、壁が割れるぞ」

 ダニエが叫んだ直後、儀式の間にいた者達は、誰もが聞こえるはずのない音を聞いた。激しく空気を震わせながら、一つの世界が砕け散る音である。途端に、それまでの重ささえ遥かに凌駕りょうがする程の質量が、一気に召喚魔術の魔術陣に叩き付けられた。

「十二芒星の魔術師よ、逃げよ」

 そう叫んだゲーナの声を、魔術師達は確かに聞いた。エリク王を始めとする来賓の者達も、はっきりと聞いた。その直後、奔流ほんりゅうとなって押し寄せた圧力の渦が、儀式の間に襲い掛かる。誰一人として、立ち上がることも目を開けることも出来ず、風の中の木の葉のごとく翻弄される中、魔術師達はつくばって青光石の下を離れた。

「ああ、召喚対象が霧散してしまった。私の召喚魔術が消えて行く」

 人々の怒号と悲鳴が飛び交う中、ダニエのものらしい嘆きは、次の瞬間には絶叫となってほとばしった。そして、どれだけの時間が過ぎたのか。圧力の奔流は、不意に何事もなかったかのように掻き消えた。ようやく目を開けることの出来た人々は、魔術師も観客も、等しく目を見開いて凍り付いた。

 人々が目にしたのは、粉々に砕け散った聖紫石と床一面に広がった鋭い亀裂。握り締めていた聖紫石ごと、片腕をもぎ取られてうずくまるダニエ。そして、血の海の中で四散したゲーナの身体だったのである。


・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

『フェオファーン聖譚曲』をお読みいただきありがとうございます。
今話にて、「04 アマーロ 悲しみは訪れる」は最終話となります。
次は「05 ハイムリヒ 運命は囁く」となりますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします!

また、2021年12月24日(金)に発売の、『神霊術少女チェルニ(1) 神去り子爵家と微睡の雛』もよろしくお願いします!
こちらも小説家になろうにて、読んでいただけます。