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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 3-21

 コンラッド猊下げいかは、率直に説明してくれた。わたしを〈神託しんたく〉だって認める宣旨を、いきなり出しちゃったのは、〈目障りなねずみが、いろいろと嗅ぎ回ろうとしていた〉からだって。そして、〈鼠〉っていうのは、ちゅうちゅう鳴く本物の鼠じゃなく、一部の王族や、〈王家派〉の貴族のことらしい。
 上品で穏やかで威厳のある、とっても徳の高いコンラッド猊下は、その王族や貴族の人たちを、〈溝鼠どぶねずみ〉だっていい切った。ただの鼠じゃなくて、溝鼠。物語の中だと、よくそういう表現も出てくるけど、実際には中々いわないよね? それも、神霊庁の大神使様が、一部だとはいえ、王族のことを溝鼠って……。
 
 つい最近まで、わたしは、立派な王家に守られて、平和を謳歌おうかし、正義を貫くのがルーラ王国だって信じていた。子供たちが誘拐されたのは、悪質な犯罪者の仕業しわざで、きっと王家が取り戻してくれるんだって、本当に信じていたんだ。
 でも、実際には、子供たちの誘拐に加担したのは、元王族の大公だった。ネイラ様たちが捕まえてくれたから、元王族の大公とはいえ、厳正に裁かれるんだって信じたいけど、本当に大丈夫なんだろうか? 神霊庁を嗅ぎ回る王族って、元大公を助けようとしているんじゃないだろうか? そうだとしたら、わたしたちのルーラ王国は、〈神威しんいげき〉であるネイラ様からも、神霊さんからも、見放されてしまうかもしれないよ?
 
 わたしが、ぐるぐると考え込んでいる間に、眉間にしわを寄せたお母さんが、すっと声を低くして、コンラッド猊下を問いつめた。
 
「聞き捨てならないことを仰いますのね、コンラッド猊下。〈神託の巫〉の宣旨せんじを急がれたということは、猊下の仰る溝鼠が、わたくしどもの可愛い娘のことまで、探っているように聞こえますけれど?」
「誠に残念ながら、その通りでございます、カペラ夫人。正確に申し上げますと、元大公を救うべく、内々ないないに動いている者たちが、気づき始めたようなのです。フェルト・ハルキス殿の婚約者の家族が、異様に手厚く守られているのではないか、と」
「すみません、お義母さん。わたしのせいで、ご迷惑を……」
「あら。何をいうの、フェルトさん。あなたは、うちの子なんだから、迷惑も何もないわよ。わたしは、ただ、呆れているだけです。平和な国であると思っていたルーラ王国が、ずいぶんときな臭いんだもの」
「大変申し訳なく思います、カペラ夫人。千年余の安寧を誇るルーラ王国も、決して一枚岩ではないのです。それでも、御神霊という絶対的な存在をいただく以上、他国ほどの騒乱にはならずにきたのですけれど、今代こんだいは、〈神威の覡〉と〈神託の巫〉が、共にご誕生なされたという、史上初めての御世みよでございます。輝かしい光の下では、闇も色濃くなるのでございましょう」
「娘の身に、何らかの危険が迫っているとお考えですか、コンラッド猊下? そのために、娘を守ろうと、〈神託の巫〉の宣旨をお急ぎになられたと?」
「いえ。チェルニちゃんの身が危うくなることなど、天地が逆さになろうとも、あろうはずがございません。常に二柱ふたはしらがお側におられ、数多あまたの神々に守護される御方です。チェルニちゃんを害することのできる者など、この現世にいるものですか。わたしくたちが案じているのは、それを理解できない溝鼠が、チェルニちゃんにけがれた手を伸ばそうとした結果、罪なき者までが、御神霊のお怒りを買うことなのでございます。溝鼠が破滅しようと、痛くもかゆくもございませんが、ルーラ王国そのものが神罰の対象となっては、大変な事態に陥りますので」
 
 コンラッド猊下の言葉を聞いて、部屋にいた全員が黙り込んだ。〈そんな馬鹿な〉とか、〈大袈裟おおげさじゃないの〉とか、軽く話を流したいのは山々だけど、何となく嫌な予感がするんだよ。
 
 わたしは、クローゼ子爵家のミランさんが、カリナさんと一緒に、〈野ばら亭〉に来たときのことを思い出していた。ミランさんは、途中の馬車の中で、わたしを誘拐する話をしていた。わたしをさらって、ひどい目に遭わせようって。具体的にどうするつもりだったのか、教育熱心なスイシャク様が、途中で聞こえなくしちゃったから、はっきりとはわからない。ただ、いつも優しいスイシャク様とアマツ様が、鳥型の姿を保てなくなるくらい、激怒していたんだ。
 鳥の姿を揺らめかせ、荒々しい光の渦になった二柱は、今にも暴走しそうだった。側にいたヴェル様なんて、〈もう少しで王都を火の海にされるところだった〉って、冷たい汗を流していたんだ。王都の人たちには、何の関係もないのに。
 
 ヴェル様が、後になって教えてくれた。神霊さんには、穏やかで優しい〈和魂にぎみたま〉と、荒々しくて厳しい〈荒魂あらみたま〉っていう、二つの側面があって、あのときのスイシャク様とアマツ様は、わたしを傷つけようとする発言に怒って、荒魂に変じようとしていたんだって。
 スイシャク様とアマツ様は、いつも本当に優しくて、穏やかで、楽しくって、包容力があって、怒るところなんて想像もできないくらいだけど、それは神霊さんの一面にすぎないんだろう。神霊さんには神霊さんの〈ことわり〉があって、それは多分、人の〈理〉よりは、ずっと厳密なものだ。神霊さんの基準で許されないことをしてしまったら、わたしたちには想像もできないくらい、深刻な被害が出る可能性だってあるんだよ。
 
 コンラッド猊下は、スイシャク様とアマツ様から、微妙に目を逸らしながら、重々しい声でいった。
 
「神々がお認めになった〈神託の巫〉を、人の子の都合で利用しようとするなど、許される行いではございません。その当たり前の道理さえわからぬ者が、チェルニちゃんの周りをうろつきでもすれば、どれほどの神罰が下されることか。チェルニちゃんの肩先を、 御自みずからの社のごとく思っておられる、尊き御一柱だけでも、王都を業火の海にしてしまわれましょう。まして、〈神威の覡〉たるレフ様の逆鱗げきりんに触れれば、ルーラ王国そのものが、瞬時に瓦解がかいしかねないのでございます」
 
 わたしは、思わずアマツ様を見つめた。そんな馬鹿なって、笑いたいところだけど、〈荒魂〉になりかけていた、アマツ様の神威を思い出せば、とても冗談にはできなかった。だって、本当に怖かったんだよ!
 
 ネイラ様のことは、さすがに大袈裟おおげさだって信じたいけど、信じているけど、ほんの少しだけ不安だった。ネイラ様の部下の人たちが、ネイラ様が怒っちゃったときに、〈王城が揺れた〉っていってたから。当然、それくらいの騒動になったっていう比喩だと思っていたら、〈物理的に〉って注釈が入ったんだ。
 もし、本当に、ネイラ様が怒っただけで、あの巨大な王城が揺れるほどの衝撃があるのなら、ルーラ王国そのものがめちゃくちゃになるっていうのも、現実味のある話なのかも知れないんだよ。
 
「チェルニちゃんの負担を考えず、〈神託の巫〉としての宣旨を急ぎましたのは、現世うつしよの権力が、チェルニちゃんやカペラ家の皆さんに、かかわれないようにするためなのです。宣旨さえ終わってしまえば、何人たりとも、無理強いなど許されません。〈神託の巫〉の権威は、大神使たるわたくしや、わたくしと同格である国王陛下をも超えるもの。〈神託の巫〉の上座に立つは、現世うつしよただ御一方おひとかた、〈神威の覡〉だけでございます」
 
 ……。コンラッド猊下の言葉を聞いて、わたしがどんな気持ちになったのか、いうまでもないと思う。ふらふらっとなるのを通りこして、衝撃のあまり、ばったり倒れそうになったけど、わたしは、何とか持ちこたえた。
 
 十四歳の少女であるわたし、チェルニ・カペラが、コンラッド猊下や国王陛下より上の立場だなんて、許されることだとは思えない。誰が良いっていっても、わたし自身が納得できないんだ。
 でも、〈神託の巫〉って、神霊さんの台座みたいなものだからね。チェルニ・カペラが上位なんじゃなく、わたしに〈降りてくる〉神霊さんが、上位なだけなんだって考えたら、きっと大丈夫じゃないかな。うん。大丈夫だよ、多分……。
 
 コンラッド猊下は、必死で意識を保っているわたしを見て、もう一度、優しく微笑んだ。今度の微笑は、すごく深いものを感じさせる表情で、優しくて穏やかなのに、どこか悲しそうに見えて仕方なかった。
 さっきから、わたしを抱きしめたままのお父さんも、聞いた覚えがないくらい重苦しい声で、そっとつぶやいた。
 
「わたしたち夫婦は、夢を見ておりました」
「夢、でございますか、カペラ殿?」
「はい。チェルニが生まれたときから、ご神霊の恩寵が深いことは、よくわかっておりました。まさか〈神託の巫〉とまでは思いませんでしたが、〈巫〉ではあることは、察しがついていたのです。しかし、わたしたちの娘は、あまりにも素直で、無邪気で、長閑のどかでございましたので、叶わぬ夢を見てしまいました。もしかすると、わたしたちの可愛いチェルニは、神霊術が得意なだけの普通の娘で、誰にもおびやかされることのない、平凡な幸せをつかんでくれるのではないか、と」
「……。まだ幼いチェルニちゃんに、とてつもない重荷を背負わせてしまいましたこと、本当に申し訳なく思っております。ご自身が〈神託の巫〉であることを誇り、特別な存在であることに喜びを見出すようなお方でしたら、救いもございましたでしょうけれど、そのような者が、神々の恩寵おんちょうを得られるはずもなし。神々の配剤はいざいとは、ときとしてままならないものでございます」
「娘の身に危険のないことだけは、喜ぶべきなのでしょうね」
「そうでございますとも、カペラ殿。その代わり、王家や貴族どもの一部が、危機にさらされておりますけれど。愚かな溝鼠どぶねずみには想像さえつかない、圧倒的で無慈悲な危機でございます。その余波が広がらぬよう、溝鼠を守ってやるために、我らが立ち回らねばならないとは、誠に頭の痛いことでございます」
 
 お父さんとコンラッド猊下は、そういって、顔を見合わせた。二人して、深い溜息なんてついちゃってるけど、私だってつきたいよ……。
 
     ◆
 
 コンラッド猊下は、困った顔になっちゃったわたしに、にっこりと微笑みかけた。今度は、ちっとも悲しそうじゃない、明るい笑顔だった。
 
「ともあれ、宣旨が無事に終わりましたので、チェルニちゃんとカペラ家の皆様には、ご安心いただいて結構でございます。王家、王族、公爵家、侯爵家には、本日中に大神使の名で通達を行います。畏れ多くも〈神託の巫〉にお出ましいただき、〈神座の間〉での宣旨を行ったので、今後、何人であれ、許可なく〈神託の巫〉にかかわることは許さない、と。チェルニちゃんに接触するには、神霊庁を通して、カペラ殿の許しを得る必要があると、強調しておきましょう」
「ありがたい仰せでございます、コンラッド猊下。しかし、それで、いうことを聞くのでしょうか? 猊下のおっしゃる溝鼠が」
「大丈夫ですよ、カペラ殿。そうであろう、パヴェル?」
「もちろんでございます。いかな愚か者であっても、正面から神霊庁を敵に回しはいたしません。大神使と国王は同格とはいえ、ここは神霊王国でございます。ご神霊のご意向こそが、すべてに優先されるのですから。万が一、禁を破る者が現れましたら……」
 
 ヴェル様は、ものすごく迫力のある顔で、うっそりと笑った。この〈うっそり〉っていうのは、前に読んだ小説に出てきた表現で、一度使ってみたかったんだ。何かに心をとらわれている様子で、ぼんやりと……っていう意味なんだって。普通の生活の中で、うっそりと笑うような物騒な人はいないから、こんなにすぐ使うことになるとは思わなかったけどね。ちょっと怖いよ、ヴェル様ってば。
 結局、〈禁を破る者〉が現れたらどうなるのか、聞くことはできなかった。教育熱心なスイシャク様が、柔らかな純白の光で、わたしの耳と目をおおってしまったんだ。薄い光の幕からは、ヴェル様の細かな表情も声も、はっきりと見聞きすることはできなかった。
 
 スイシャク様の光が消えてから、コンラッド猊下とヴェル様は、〈神託の巫〉になったことで生まれる変化について、改めて説明してくれた。といっても、基本的には何にも変わりはなくて、わたしはチェルニ・カペラのまま、自由に生活していたら良いんだって、太鼓判を押してもらった。
 わたしが求められるのは、神霊さんたちが望む通りに〈通訳〉になることで、それ以上でもそれ以下でもないんだって。わたしは、自分の意志で、自由に生きていけば良いらしい。コンラッド猊下ってば、〈神託の巫のお望みでしたら、この場で大神使の座を委譲いじょういたしますが〉って、悪戯いたずらな子供みたいな顔でいうんだけど、そんな馬鹿な冗談は、当然、無視しておいたよ。
 
 神霊庁に来て、いきなり〈神託の巫〉だっていわれて、すごく驚いたし、動揺もしたけど、今のままのわたしで良いなら、とりあえずは大丈夫なんだろう。スイシャク様とアマツ様も、〈我らの雛を縛るかせなど、我らが許すはずもなし〉〈神と人とが手をたずさえて、雛の安寧あんねいを守るらん〉って、紅白の光で、わたしをぐるぐる巻きにしてくれたしね。
 最後に一つ、〈邪気なき雛はそのままに、なんじら神使が道開くべし〉っていうイメージだけは、何となく不穏だった。もちろん、アマツ様にうながされるまま、コンラッド猊下とヴェル様に伝えた。そのときの、コンラッド猊下の満面の笑みと、ヴェル様の猛獣みたいな笑顔は、見なかったことにしようと思う。
 
 お父さんとお母さんは、コンラッド猊下とヴェル様の説明に、明らかに安心したみたいで、すごくほっとした表情になっていた。
 
「では、〈神託の巫〉の宣旨を受けたからといって、今までの生活を変えなくても良い。それが、神霊庁の正式な見解ということでよろしいのですね、コンラッド猊下?」
「左様でございます、カペラ夫人。たかだか神霊庁の都合に合わせて、〈神託の巫〉を動かそうとするなど、滅相めっそうもない。わたくしはもちろん、他の神使たちも、そのようなことは、欠片かけらも考えておりません。チェルニちゃんは、チェルニちゃんらしく。それこそが、御神霊のおぼしでございます」
「世俗的なことを申し上げますと、神霊庁から〈神託の巫〉ご自身、もしくは保護者の方に、手元金てもときんをお渡しするべきではあるのですが……」
「お気遣いいただき、ありがとうございます、オルソン猊下。お気持ちはありがたいのですが、できましたらご辞退申し上げたいと思います。将来のことは、娘が決めるとして、わたくしどもが保護者であるうちは、ご支援は不要でございます」
「カペラ殿と奥方は、そうおっしゃるだろうと思っておりました。誠に素晴らしきお考えだと存じます。では、せめて、何らかの神事の場合に必要となる装束しょうぞくなど、〈神託の巫〉として必要な物品が出ましたら、それだけは神霊庁でご用意させていただけないでしょうか? たいそう特殊なものもございますので」
「……かしこまりました。それで良いな、ローズ?」
「ええ。確かに特殊なものも多いでしょうし、そこはお言葉に甘えましょう。というか、神事はございますのね?」
「今のところ、予定はございませんし、神霊庁からの希望もございません。ただ、御神霊からお求めがございましたら、お願い申し上げたいのです」
「それは、当然でございますわね。わたくしたちの可愛い娘は、ご神霊の台座だいざだそうでございますので」
「はい! はい!」
「ほほ。チェルニちゃんのお声かけは、誠に愛らしいですね。何でしょうか、チェルニちゃん?」
「わたし、王立学院に通学しても良いんですよね、コンラッド猊下?」
「ミル、ですよ、チェルニちゃん」
「……ミル様」
「はい。もちろん、通学してくださいませ。御二柱おんふたはしらが、チェルニちゃんの守護に立たれるでしょうから、神霊庁からは、供の者を出すことも控えさせましょう。その方がよろしいのでしょう、チェルニちゃん?」
 
 わたしは、大喜びでうなずいた。王立学院で勉強するのに、神霊庁の人がついてきたりしたら、やりにくくて仕方ないからね。コンラッド猊下…‥じゃなくて、もうミル様でいいや。ミル様とヴェル様が、わたしに自由にしていて良いっていうのは、本当にそうみたい。信じてはいたけど、やっぱりうれしい。良かった。本当に良かった!
 
 コンラッド猊下……じゃなくて、ミル様とヴェル様の話を聞いて、わたしたちのいる部屋には、柔らかな空気が流れた。わたしたち家族も、黙って話に付き合ってくれていた、フェルトさんと総隊長さんも、ずっと緊張していたからね。
 ミル様たちは、さも簡単なことみたいにいうけど、〈神託の巫〉っていう存在は、きっとそんなに自由なものじゃないはずなんだ。ミル様やヴェル様が神使様じゃなかったら、絶対に何らかの制約を受けていただろう。察しの良い少女なのだ、わたしは。
 
 皆んなで笑い合って、おいしいお茶とお菓子をご馳走してもらって、そろそろ裁判の話に移ろうとしたとき、わたしは、不意に気がついた。小さく小さく、注意して耳を澄ましていないと、まぎれてしまいそうなくらい微かな音が、ずっと鳴っているんだ。
 ちょきちょきって、はさみを動かしている音に似ているんだけど、それにしては綺麗すぎるっていうか、澄み切っているっていうか……。刃物を打ち合わせているときに特有の、ちょっとぞわぞわする感じが、まったくしない音だった。
 
 わたしは、無意識のうちに周りを見回したんだけど、他の人には、何も聞こえないみたいだった。スイシャク様とアマツ様は、面白がっている気配を漂わせているのは、気にしないようにしよう。どう考えても、面倒な予感がするから、わたしは気にしない。気にしないったら、気にしない。
 そう決めて、意識らそうとした途端、わたしたちのいる部屋の扉を、誰かが叩いた。特別な用がない限りは、呼ばないようにって、ミル様がいいつけていた部屋の扉が、何度も叩かれたんだ。
 
 ミル様と顔を見合わせてから、ヴェル様が素早く立ち上がった。さすがに神使様っていうべきか、ミル様とヴェル様も、多分、何らかの予感を感じていたんだろう。
 ヴェル様が、ゆっくりと扉を開けると、そこに立っていたのは、ヴェル様の部下の神職さんで、〈野ばら亭〉に来てくれていたパレルモさんだった。
 
「お話中、誠に申し訳ございません、オルソン猊下」
「急用であろうな、ロレンゾ?」
「急用かどうかは、判断をいたしかねますものの、大事には違いなかろうかと……」
「なるほど。そなたたちが、急かどうかの判断もつきかねる程の、めずらしき事態ということか?」
「左様でございます。是非とも御下知げちを賜りたく、大神使猊下のお言い付けにもかかわらず、まかりこしました」
 
 ヴェル様は、ミル様を振り返って、ほんの少し首を傾げた。ミル様は、穏やかな表情で軽くうなずく。どうやら、それだけで意思疎通ができてるみたいなんだけど、高貴な人たちのやり取りって、逆に面倒だよね。しゃべった方が早いのに、って思っちゃったのは、ここだけの秘密にしよう。
 
「大神使猊下は、〈神託の巫〉であられる御方様おんかたさまとご家族様には、何事も隠す必要はないとの思し召しである。構わぬゆえ、報告を」
「御意にございます、オルソン猊下。実は、しばらく前より、宝物庫が騒がしいのでございます。何やら、不思議な物音がいたしまして」
「不審者が侵入したのであれば、別の報告があろうな。不思議な物音とは、どのような音なのだ? 宝物庫のどこから鳴っている?」
「宝物庫の最奥、神々のお道具をおまつりする〈神物しんもつ庫〉の中から、刃物をすり合わせたような音が聞こえるのでございます。本日は、〈神託の巫〉がお出ましでございますので、その影響である可能性もあろうかと……」
 
 パレルモさんの言葉に、部屋にいた全員が、いっせいにわたしを振り返った。わかるけど……わかるけど……何も知らないからね、わたし……。
 

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