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フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 2-9

02 カルカンド 状況は加速する|9 王国騎士団

 
 ロジオン王国の慣わしとして、議会によって選出された正式な妃には、それぞれに花の名を冠した宮殿が与えられる。正妃エリザベタが住まうのは、百合を意味する〈リーリヤ宮〉であり、花の女王の呼び名に相応ふさわしく、洗練の極地ともいうべき典雅な宮殿がそびえ立つ。第四側妃カテリーナを主人とする〈ローザ宮〉は、咲き誇る薔薇にも似て豪奢ごうしゃであり、ロジオン王国の底知れない富を感じさせた。

 ローザ宮には、カテリーナと五人の子供達が暮らしていた。二人の王子と三人の王女を含めた六人の王族に仕える為に、ローザ宮付けの使用人として詰める者は、一日に優に三十人を超え、王族を守護する近衛このえ騎士も、夜を徹してローザ宮の警備に当たる。夜半から早朝に掛けての時間でさえ、第四側妃と王子達にそれぞれ三名の不寝番ふしんばんが付き、同じ階に寝室がしつらえられた王女達にも、合わせて五名の不寝番が配備されるのである。表門、裏門、使用人の通用門などの警備を含めると、近衛騎士の数は二十人にも達していた。

 女官達の処刑から遡ること数刻、未だ夜の闇に沈むローザ宮に、突如として侵入する者達がいた。襟章えりしょうも飾り紐も鈕さえもなく、闇に溶けるがごとき漆黒の軍服は、王城で権勢を振るう高位貴族達が見れば、一目で侵入者の身元をあらわにするだろう。不自然な程に存在感がなく、異様に記憶に残りがたい男達は、国王直属の特別部隊として、タラスが指揮する〈王家の夜〉なのである。

 タラスの命を受けた男達は、誰に見とがめられることもなく、手にした鍵で使用人用の勝手口を開けると、身を潜めてローザ宮の最奥を目指した。要所ごとに立つ護衛騎士達の目をくぐり、長い廊下を進んでは階段を登り、遂に目的地に辿り着いたとき、黄白おうはくの金具に飾られた豪華な扉の前には、一人の護衛騎士が立っているだけだった。本来、側妃の寝室の前には左右に二人の不寝番が付き、数時間ごとに一人が交代すると決められているにもかかわらず、その護衛騎士は、無作法にも扉に背を預け、退屈そうに立っていた。

 夜と呼ばれる男達の一人が、見えない位置から狙いを定め、護衛騎士に向かって小さな何かを投げ付けた。たった一撃で護衛騎士は音もなく崩れ落ち、見張りを排除した男達は、素早く扉を開け放った。その部屋こそは、エリク王が通うこともあった、第四側妃カテリーナのねやだったのである。

 男達が閨に踏み込んでからは、全てが急だった。男達は誰にも気付かれないまま、情事の最中にあったカテリーナと愛人の近衛騎士を捕らえ、全裸に敷布を巻きつけただけの姿で縛り上げた。カテリーナと愛人は、突然のことに驚愕きょうがくし、叫び声を上げて助けを呼ぼうとしたものの、二人の喉からは一切の音が出なかった。夜明けまでの間、誰にも気付かれず済むよう、王家の夜の一員として侵入していた魔術師が、素早く沈黙をいる魔術を行使したのである。ローザ宮への深夜の突入劇は、こうして誰一人として気付かれないまま、あっけなく終わりを告げたのだった。

 やがて、王城の暗い夜が明ける頃、規則正しい軍靴ぐんかの音を響かせて、帯剣した集団がローザ宮を取り囲んだ。真紅の革鎧に刻印された金の狼の騎士章を、夜明けの曙光しょこうきらめかせながら、二百五十名の王国騎士団中隊がローザ宮を制圧しようとしていたのである。ローザ宮の門を守る近衛騎士達は、有り得べからざる事態に驚愕し、震える声で叫んだ。

「王国騎士団が何の真似だ。ここは我ら近衛このえ騎士団が御護りする、第四側妃殿下の宮殿である。王城の外側をい回る王国騎士団であっても、知らぬとは言わせんぞ」

 突然の威圧に射すくめられながらも、正門を守護する近衛騎士が槍を構えて誰何すいかすると、王国騎士団の中から鋭い覇気をまとった男が歩み出た。他の騎士達の紋章が一頭の金狼の刻印であるのに対して、男の革鎧に刻まれた金狼は四頭。王都の四方の護りを意味する〈四狼章〉は、王国騎士団の団長だけに許された紋章である。

「国王陛下の勅命により、只今からローザ宮は王国騎士団の管理下に置かれる。近衛騎士は直ちにこの場を去れ」
「御待ち下さい。我らは何も聞かされておりません。近衛騎士団の本部に確認して参りますので、しばし御待ち下さいませ」
「無用。近衛が命に従わずに抵抗するようなら、その場で斬り捨てて構わぬと、陛下より御許可を頂いておる。王命に服さぬとあらば、貴様らの首、この王国騎士団長、キース・スラーヴァが叩き落としてやろう」

 そう言うと、男は腰の剣を一気に引き抜いた。次の瞬間、周囲を固めた王国騎士達も一斉に抜刀する。二百を超える長剣は、夜明けの光を鋭く弾き、然ながら発光しているかのようだった。王城内での抜刀など、平時ならそれだけで処刑されるべき重罪である。ようやく事態の異常さに気付いた近衛騎士達は、思わず戦慄した。
 引くに引けず、動くに動けず、抜き身の剣を前に近衛騎士達が硬直したとき、鋭く叱咤する声が響き渡った。

「キース・スラーヴァ伯爵閣下は、間違いなく陛下の勅命によって参上された。く門を開けよ、愚か者共」

 冷徹な瞳で言い放ったのは、いつの間にかスラーヴァ伯爵の背後に控えていたタラスである。王城の近衛騎士で、エリク王の家令であるタラスの顔を知らない者はいない。タラスの登場に、エリク王の意思を悟った近衛騎士達は、遂にローザ宮の護りを解いたのである。
 近衛騎士の中の一人、必死に王国騎士団を誰何すいかしていた者に冷たい視線を向けると、スラーヴァ伯爵は素っ気なく命令を下した。

「貴様はローザ宮に立ち入ることを認める故、他の近衛共を立ち去らせよ。貴様に与える時間は十五ミラのみ。それを過ぎてもローザ宮にいる近衛は、逆賊として我ら王国騎士団が捕縛し、抵抗する者があれば斬り捨てる。行け」

 スラーヴァ伯爵の叱咤に、命じられた近衛このえ騎士は転げるように宮殿内に駆け込んだ。他の近衛騎士達は、王国騎士団に追い立てられ、ローザ宮に留まることも許されず、呆然とした表情のまま、のろのろと近衛騎士団の詰所へと歩み去った。彼らの抱いてきた近衛騎士としての輝かしい矜持きょうじは、その瞬間、粉微塵こなみじんに砕け散ったのである。

 一方、近衛の護りを破った王国騎士団は、大挙してローザ宮に押し入ると、一糸乱れぬ統率の元で、瞬く間に驚き騒ぐ使用人達を制圧していった。ローザ宮の周囲を固めるのは二百人余の王国騎士、ローザ宮を手中に収めたのも王国騎士であり、白々と明け始めた王城の朝に、真紅の革鎧に金狼の騎士章がきらめく様は、ローザ宮が猛々たけだけしい狼に牙を立てられたかにも見えた。

「名簿に名前のある逆賊は、縛り上げて一室に集めよ。何があっても逃してはならぬぞ。一人残らず、必ずだ」
「その他の者共は、見張りを付けて広間に拘束する。こちらに連れてこい」
「それぞれの出入口は、何人たりとも通すな。窓からの逃亡にも注意せよ」
「静止を振り切ってローザ宮の外に出ようとする者は、罪人と見做みなす。抵抗するなら切り捨てよ。抜刀すら許されない王城だが、今回は非常時だ。切り捨て御免ごめんの許可を、トリフォン伯爵閣下から頂戴しているからな」

 小隊長達は、事前に取り決めた配置に従って、抜かりなく各々の隊を指揮する。国王の勅命により、近衛騎士団の聖域にも等しい王城に於いて、王国騎士団が正義の鉄槌てっついを下す機会なのである。日頃から近衛騎士団との間に隔意が有り、格下の存在として見下される声さえ聞いていた王国騎士団にとって、これ程に溜飲りゅういんの下がる勅命もなかっただろう。王国騎士達の士気はこの上もなく高く、さながら天をく勢いだった。

「この度のこと、心より感謝致します、トリフォン伯爵」

 仮の本陣と定めた大広間に立ち、事態の進行を見守っているスラーヴァ伯爵は、不意に傍らのタラスに頭を下げた。同格の伯爵位、王国騎士団長の要職にあるスラーヴァ伯爵にとっても、エリク王の家令かれいであるタラスは、丁寧に腰を折るべき相手だった。

 スラーヴァ伯爵の言葉に、タラスは穏やかに微笑んだ。緊迫した空気が場を支配するローザ宮の中で、タラスとスラーヴァ伯爵の周りだけが凪いでいた。

「何のことですかな、スラーヴァ伯爵」
不忠者ふちゅうしゃを捕縛するという名誉の御役目に、王国騎士団を御推薦下さったのは、トリフォン伯でございましょう。王都を護る我が王国騎士団は、王家を守護し奉る近衛このえ騎士団に比べ、どうしても陛下の勅命をたまわる機会が少のうございます。それが、この度は王城内の出来事であるにもかかわらず、近衛を差し置いて我が王国騎士団を御使い下された。陛下に御信頼頂いているかに思え、皆が感激しております」
「御決めになられたのは陛下でございます。実際、陛下は王国騎士団を信頼しておられますし、王国騎士団の実力を高く評価しておられますよ、スラーヴァ伯。少なくとも、売女ばいたねやはべる畜生など、王国騎士団にはおりますまい」
「申すまでもございません。よりにもよって、何というけがらわしい所業を為すのか。貴方様に御聞かせ頂いても、ぐには信じられなかった程です。偉大なるエリク国王陛下を愚弄するに等しく、断じて赦すわけには参りません。今回、捕縛に関わった王国騎士団一同、恥辱と怒りに燃え上がっておりますよ」

 タラスとスラーヴァ伯爵は、ローザ宮の喧騒けんそうをよそに、静かに頷き合った。王家の夜の統率者であるタラスは、エリク王に恥辱を与えた第四側妃への憤怒に燃え、王国騎士団長であるスラーヴァ伯爵は、騎士たる者の名誉を泥に塗れさせた近衛への侮蔑を隠さず、共に断罪への意思を確かめ合ったのである。
 そして、完全に夜が明け、晩春の爽やかな朝日が王城を輝かせる頃、小隊長の一人が報告の為に駆け寄ってきた。

「団長閣下に御報告申し上げます。御指示の通り、元王子王女の五名は、元第四側妃カテリーナの居間だった部屋に集めました。元王子の一人は、我らに対して無礼者と叫びを上げ、抜刀して抵抗しましたので、 武器を奪って監視しております。何合かは剣を交えましたものの、怪我などはさせておりません。大罪人共は捕縛して拘束し、その他の使用人共も一箇所に集めて待機させております」
「よろしい。参りましょうか、トリフォン伯爵」
「そうですな。ヴィリア大宮殿も動き出しておりますから、もう一ミルもすれば、宰相閣下の御差配によって全ての手続きが終わるはずです。売女の所業を白日の元に晒し、その大罪の結末を知らしめるには、良い頃合いでありましょう」

 タラスとスラーヴァ伯爵は、悠然ゆうぜんとした足取りでローザ宮の豪奢ごうしゃな廊下を進んで行った。二人が目指すのは、エリク王と二人の王子以外、男が自由に立ち入ることを許されない、第四側妃カテリーナの私室だった。