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フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-11

03 リトゥス 儀式は止められず|11 一つの決着

 丘陵きゅうりょうの頂にそびえ立つオローネツ城の裏門から、城下の繁華な街並みを抜け、人通りのない草原に出るまでの道程には、灰色の石を敷き詰めた舗装の所々に、紅く光る燐光石りんこうせきを目印に埋め込んだ、一筋の馬車道が敷かれている。オローネツ辺境伯爵領の領都オローニカの住民達に、〈紅道〉と呼び慣わされる街道は、オローネツ辺境伯爵家の許可がない限り、決して通ることを許されない、緊急連絡の為の専用道なのである。

 紅い星が小さく瞬くような一筋の道を、十騎程の騎馬が一陣の風となって駆け抜ける中、先頭を走るルペラがたまらずに言った。

「本当に凄い。何という途轍とてつもない速度なのでしょう。それなのに、こうして舌も噛まずに話が出来、乗っていて少しも苦痛を感じないとは。これも、アントーシャ様が魔術を御掛け下さったからなのですね。何て凄い」

 背後からルペラの腰に掴まり、共に騎馬で駆けるアントーシャは、聞く者を安心させる声音で優しく答えた。

「速度を上げる魔術と風圧から人馬を護る魔術を、同時に展開していますからね。落ちることも衝突することもありませんので、気を楽になさって下さい。それよりも、御仲間が何処どこにいるのか、位置は分かりますか」
「はい。辺りの風景は頭に叩き込んでおりますので、位置そのものは分かります。ですが、これ程の速度で走られると、一瞬の内に見逃してしまうかも知れません。もう少し走りましたら、いくらか速度を緩めて頂くことは出来ますでしょうか」
勿論もちろん、可能ですよ。とは言え、一刻も早く駆け付けたいのですから、速度を落とすのは止めて、むしろ視力の方を補正しましょうか。背後から頭を触らせて頂きますね」

 さも簡単な術であるかのごとく穏やかな口調で言うと、アントーシャは、ルペラの後頭部にそっと指を当てて呟いた。

「忠義と友愛に満ちたる瞳は、求める姿を見出さん」

 その途端、アントーシャの指先から小さな金色の光球が現れたかと思うと、ルペラの後頭部へと吸い込まれていった。何が起こったかも分からないまま、数度瞬きをしたルペラは、驚きの余り大きな声を上げた。

「うわ、何だ、これは。見えます。速度は変わらないのに、周りの景色がはっきりと見えます。何と不思議なんだろう。これなら大丈夫です」

 そして、そのまま三ミラ程馬を走らせたルペラは、左前方に林を発見すると、アントーシャや後続の騎馬に声を掛けた。全速力で馬を駆けさせても一ミルは掛かるはずの距離を、彼らは五ミラ程の時間で走り抜けたのである。瞳を輝かせたルペラは、素早く馬首を巡らせて、一気に木々の間に駆け込んだ。

「この林の奥の湖の辺りに、ルーガ様達がいるはずです」

 ルペラの言葉に、アントーシャが身をよじって背後を確認すると、後続の騎士達も先頭のルペラを見失わず、次々に林に走り込んで来る。少しの異常もない様子に安堵し、小さく頷いたアントーシャは、不意に眉間にしわを寄せた。

「この先に魔術陣が敷かれています。どうやら目指す場所のようですけれど、御仲間に魔術師は同行していますか、ルペラさん」
「いえ。ルーガ様と数人の仲間が、少し身体強化が出来る程度です。地方領に居てくれる魔術師など、ほとんど見当たりませんので」
「ならば、敵方の魔術だと考えるのが、論理的な帰結ですね。どうやら身体拘束の魔術陣らしいので、取り敢えず壊してしまいましょうか」
「まさか、ここからですか。そんなことが出来るのですか」

 既に発動した魔術を妨害するには、発動より遥かに強大な魔力と術式を必要とする。多くの者が知る魔術の知識から、驚愕きょうがくの声を上げたルペラには答えず、めずらしくも不快気な表情を浮かべたアントーシャは、鋭く詠唱した。

「人々の自由を侵し、縛ろうとする愚かな力よ、粉微塵こなみじんに砕けるが良い」

 アントーシャが口をつぐむと同時に、晩夏の空に金色の光が立ち上り、薄い硝子を叩き割ったかと思しき音が周り一面に響き渡った。その美しくもある音に身を震わせたルペラは、目前にルーガ達の姿を見付けるや否や、少しの躊躇ちゅうちょもなく敵味方の真っ只中に突入した。ルペラの視線の先では、軍刀をきらめかせた全身鎧の騎士が、ルーガの襟元を掴み上げ、剣先を突き立てようとしている。正に間一髪、ルペラは間に合ったのである。

「止めろ。そこまでだ。第七方面騎士団の鬼畜共が、薄汚い手を離せ。御味方が駆け付けて下さったからには、おまえ達は御終いだ。覚悟しろ」

 高速の魔術が砕け散った音とルペラの鋭い叫び、そして、突然の騎馬の乱入に激しい混乱に陥ったのは、身動きを封じられたルーガ達ではなく、第七方面騎士団の者達だった。勝利とそれに続く報復を確信していた隊長は、思いも掛けない援軍の到着に、狼狽うろたえ騒ぐ騎士達を怒鳴り付け、拘束の魔術を展開していた魔術騎士達を振り向いた。

「おい、何をしている。新しい敵は小勢だ。ぐに拘束の魔術を掛け直すのだ。忌々いまいましい援軍諸共、拘束してしまえ」

 全身鎧の騎士達に守られながら、手にした盾に魔力を注いでいた魔術騎士達は、全く隊長の声に反応を示さなかった。目を凝らして見ると、盾に埋め込まれていた青光石は、全てが粉々に砕け散って跡形も残っていない。拘束の魔術陣が破られると同時に、魔力発動の触媒しょくばいとなった青光石ごと無に帰されたのである。

「馬鹿な。絶対に有り得ない。四人掛りで発動させた魔術陣が、何故一瞬の内に破られるというのだ。何処どこから、誰が出来たというのだ」

 一人の魔術騎士は、そう言って崩れ落ちたかと思うと、座り込む力さえ失って地面にうずくまった。他の魔術騎士達も、何事かを呟いたまま、呆然ぼうぜんとして身を崩す。魔術の常識を覆し、力尽くで魔術を破壊された衝撃は、彼らの心身に耐えがたい打撃を与えたのである。

 身体の自由を取り戻したことを悟ったルーガは、己の眼球を抉ろうと構えていた第七の騎士を、力任せに跳ね飛ばした。魔術騎士に拘束された時点で、オローネツ城からの援軍が間に合うとは、ルーガは考えていなかった。もう一ミルは絶対に必要な時間であり、ルペラ達が駆け付けてくれたときには、ルーガ達は無惨な骸を晒しているはずだった。不可能を可能に変えてしまったのが、アントーシャの存在だと察したルーガは、力強く叫んだ。

「よし、皆、動けるな。閣下が援軍を出して下さった。ここが、オローネツの男の力の見せ所だ。怪我の軽い奴は立ち上がれ。一気に片を付けるぞ」

 ルーガの声に呼応した部下達は、手に手に武器を取り直し、残りの鎧騎士達に向かっていった。アントーシャらに遅れること数瞬、続けて駆け付けて来たオローネツ城の援軍も、馬上から騎士達に攻撃を仕掛けていく。ルーガの部下達のような金槌でこそないものの、オローネツ城の者達が振るっているのは、通常の剣よりも遥かに重量のある片手剣である。方面騎士団との戦いを想定し、金色の全身鎧への対抗策として密かに鍛えられた武骨な剣は、古びた見た目を裏切る強靭さを持っており、鎧姿の騎士達に衝撃を与えるには打って付けの得物だった。

 一方、いち早く形勢の不利を悟った隊長達数騎は、一斉に馬首を返して戦線を離脱する気配を見せた。それを察知したアントーシャは、素早く右手を上げると、逃げ去ろうとした隊長達に向かって魔術を発動させた。

傲慢ごうまんにして小胆なる卑怯者。汝らの行く道には光なく、永遠の闇路を迷うが良い」

 アントーシャから発せられた金光に包まれた隊長達は、次々に馬から振るい落とされると、為す術もなく地面にうずくまった。アントーシャの放った魔術によって、彼らは一時的に視力を奪われ、暗闇に捕らわれたのである。

「暗い。目が見えない。何が起こっているのだ」
「おい、どうなっている。誰か助けろ。味方は居ないのか」
「もう嫌だ。何だというのだ。この戦いは、最初から最後まで普通じゃない。だから、オローネツに手を出すのは嫌だったんだ」

 鎧姿で落馬した衝撃と、魔術で視覚を塞がれた恐怖から、隊長らは立ち上がる気力さえ失ったまま、オローネツ城の者達に捕縛されていった。ルーガ達に襲い掛かろうとしていた騎士達も、る者は金槌で乱打され、或る者は全身鎧の継ぎ目から刺し貫かれ、或る者は重い軍刀を四方から叩き付けられて、次々に倒れ伏した。オローネツ城の援軍が駆け付けてからわずか二十ミラの内には、第七方面騎士団の騎士達は全員が無力化され、戦いは遂に終わりを告げたのである。
 切れた唇から血をしたたらせ、肩で荒い息を吐きながら、ルーガは愉快そうに大笑し、己の護衛騎士であるルペラの肩を叩いた。

「助かった。今度こそは、俺の武運も尽きたかと思ったぞ。お前の御陰で、俺も仲間も命を繋いだ。くぞ間に合ってくれた。感謝するぞ、ルペラ。オローネツ城の仲間達も、来てくれて本当に助かった。有難う」
「ルーガ様や皆が無事で、心から安堵しました。わたくしなどよりも、間髪入れずに援軍を立てて下さったオローネツ辺境伯爵閣下と、オローネツ城の御同輩、そして何よりアントーシャ様の御力添えで、私くし達は間に合ったのです」

 ルペラの言葉に、オローネツ城の援軍も口々に騒いだ。不倶戴天ふぐたいてんの仇敵である第七方面騎士団を打ち破り、ルーガ達を無事に助け出せたのである。彼らにとっては楽に過ぎる戦闘を終え、オローネツの騎士達は意気軒昂いきけんこうとしていた。

「そうなのだ、代官殿。アントーシャ様が魔術を掛けて下さって、我らは風のように走れたのだ。信じられない速さだった」
「城からここまで、五ミラと掛かっていない。本当に夢のような体験だったな。素晴らしいとしか言えないよ」
「私も馬も、身体が金色の光に包まれたかと思ったら、風になっていたのです。しかも、恐ろしい程の速度なのに、少しも苦しくなく、楽しい楽しい時間でした」

 ルーガは、眩しいものを見る瞳でアントーシャを見詰めてから、おもむろに手にしていた剣を地面に置き、片膝を突いて跪いた。右手を胸に当てて頭を下げる、騎士にとって最大の敬意を示す礼である。ルーガの部下達やルペラも、一斉に同じ礼を取った。

「我が身の不徳からなのか、これまで御目に掛かる栄誉に浴する機会を得られませんでしたが、アントーシャ・リヒテル様の御芳名は、オローネツ辺境伯爵閣下から何度も御伺いしております。大叔父君のゲーナ・テルミン様は、かつて辺境伯爵閣下の窮地を御救い下さったと聞き及びます。そのテルミン様の甥御おいご様が、此度は我らの命を御救い下さった。友軍を御支援下さったばかりでなく、けがらわしい拘束魔術から我らを解き放って下さったのも、アントーシャ様の御力でございましょう。その御慈悲と気高き御心に、深甚しんじんなる感謝を奉ります。命の御恩は、我らの命を以て御返し申し上げます」

 普段は武骨なルーガが口にした折目正しい言葉は、心底からの感謝と誓いだった。ルーガが口をつぐむや否や、オローネツの騎士達の全てに、一斉に深くの礼を捧げられ、アントーシャは一瞬で挙動不審に陥った。

「うわ、困ったな。御願いですから止めて下さい。オローネツ辺境伯爵閣下には可愛がって頂いているので、これくらいの御手伝いは当然のことです。どうか頭を上げて下さい。ぼくは、人に頭を下げられるのがとても苦手なのです。そうだ。それよりも皆さんは御疲れでしょうし、怪我をしている方もいるから、快癒の魔術を掛けますね」

 ルーガ達の真摯な感謝に、居たたまれない思いをしたアントーシャは、一石二鳥とばかりに魔術を使うことに決めた。両手を掲げ、やや早口に詠唱する。

「高潔なるオローネツの勇者達よ、心優しき軍馬達よ。身に負いし疲れも傷もく癒やされん。名誉の負傷に成り代わり、心に誉が残るよう」

 詠唱の終わりと共に、アントーシャの両手から発せられた光が、辺り一面を輝かしい黄金の色に染め上げる。巨大な光は、やがて小さな光の粒に変わり、ルーガ達の上にきらめきながら降り注いだ。光が消え去る頃には、オローネツの騎士達は勿論、敵味方の馬に至るまで、全ての傷が癒やされていたのである。

「これは、何という強大な魔力だ」

 ルーガは思わず頭を上げ、呆然ぼうぜんと呟いた。切れて血を流していた唇には、既に如何いかなる傷もなく、その顔には流れていた血すらも残ってはいない。崇拝すうはいされることを嫌って、半ば誤魔化ごまかすように癒やしの魔術を発動したアントーシャだったが、オローネツ辺境伯爵領の者達の呆然とした表情を見る限り、目論見もくろみが成功したとは言えなかった。

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