見出し画像

連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 3-11

 〈野ばら亭〉の王都進出っていう、衝撃の発表に盛り上がった夜、自分の部屋に戻ったわたしは、編みぐるみ様……じゃなくて、羊を司る神霊さんのお見送りをした。
 今回は、アマツ様の羽根を毛糸にしてもらったお礼に、わたしが祈祷きとうをしたことで、一時的に顕現してくれただけだからね。わたしの顔も見たし、お父さんのご飯も食べたし、大満足で神世かみのよに帰るんだって。
 
 わたしとしては、編みぐるみ様には、もっと家にいてほしかった。わたしが小さいときに、アリアナお姉ちゃんが作ってくれた、毛糸の編みぐるみにそっくりなお姿は、見ているだけで癒しになるんだよ。
 まあ、羊を司る神霊さんが、可愛い編みぐるみになっちゃったのは、わたしのイメージのせいらしいんだけど。
 
 お別れをいうとき、編みぐるみ様は、音もなく浮き上がって、三度、声を上げた。〈めえぇぇ、めえぇぇ、めえぇぇ〉。生まれたての子羊みたいな、細くて可愛い声なのに、思わずぬかずきたくなるような気持ちになったのは、それが〈神威しんい〉っていうものだからだろう。
 心のまま、床に座って両手をつき、深く頭を下げたわたしに、まばゆ黒白こくびゃくの光が降り注いだ。
 
 黒曜石みたいに輝く純粋な黒と、何もかも包み込んでしまう複雑な白。可愛らしいパッチワークみたいな霊光れいこうは、実際に浴びてみると、涙が出るほどありがたく、畏れ多いものだった。
 そして、その瞬間、わたしの魂魄こんぱくに、ひとつの印が授けられた。ありがたいことに、羊を司る神霊さんから、印をもらっちゃったよ、わたし。
 
 編みぐるみ様は、最後に一声、高らかに〈めえぇぇ〉と鳴いて、遥か天へと昇っていった。印をもらったからなのか、最後の〈めえぇぇ〉だけは、何となくわかった気がする。編みぐるみ様は、〈また来るよ〉って、〈いつでも呼びなさい〉って、いってくれてたと思うんだ。
 
 授けられた印によって、わたしは、羊に関係する神霊術を使えるようになったんじゃないかな。まあ、農村に住んでいるのでもなければ、羊飼いになる予定もないわたしには、正直、どう使っていいのか、持て余しちゃう能力ではあったけどね。
 
 スイシャク様とアマツ様、クニツ様の三柱さんはしらは、それからしばらくの間、何かを話し合っていた。鳥や龍の形じゃなく、純白と真紅と黄金の三色の光となって、わたしの部屋の真ん中に浮かび、ゆらゆらと揺れながら、人の子には決して理解できない言葉で、意思を伝え合っているようだった。
 あまりの神々しさとまぶしさに、わたしの部屋でやらなくてもいいんじゃないかって、ちょっと思ってしまったのは、ここだけの秘密だ。
 
 そして、翌朝、両腕で巨大な純白の雀を抱っこし、左肩に真紅の巨大な鳥、右肩にべろんと伸びた黄金の龍を乗せたわたしが、遅い朝ご飯のために食堂に行くと、すっかり話が決まっていた。わたしが寝坊をしている間に、ネイラ様との手紙のやり取りを終えたお父さんが、今後の予定を説明してくれたんだ。
 
「おれたちが王都に行くのは、明後日になったぞ、チェルニ」
「うわぁ。けっこう急だね、お父さん」
「神霊庁では、いつでもかまわないといってくださったんだが、猊下を必要以上にお待たせするなんて、ルーラ王国の国民としては、許されないことだからな。明後日の午後、コンラッド猊下並びに神使の皆様方に、お目通りのお約束をいただいた」
「クニツ様には、どうお願いしたらいいの? クニツ様は、元大公に〈我が怒りを伝えよ〉ってご意向だから、一緒に行っていただくの?」
「人の子の都合で、ご神霊を動かすような不敬は、とてもできないさ。金の龍のご神霊の、お心のままになさっていただきたい。むしろ、明後日の予定も含め、ご神霊からのご命令があれば、如何様いかようにもいたしますと、お伝えしてくれるか、チェルニ?」
「了解です!」
 
 わたしは、とろりとした乳白色に輝いている、白菜と里芋のポタージュスープを、順番に三柱のご分体の口の中に入れながら、クニツ様にイメージを送った。〈わたしたちは、明後日、神霊庁に行ってきます。よろしいですか? クニツ様は、どうされますか?〉って。
 黄金の龍は、ポタージュスープのおいしさに、うっとりと目を細めてから、わかりやすくイメージを伝えてくれた。もちろん、自分も行くって。具体的なことは、裁判の場で伝えるけど、自分の意向だけは、〈人の子の祭祀さいしおさに伝えん〉って。
 
「あのね、お父さん。クニツ様は、一緒に神霊庁に行くって。コンラッド猊下に会って、ご意向を伝えるって、おっしゃってるよ」
「わかった。何事も、ご神霊のご意向のままに」
「アリアナお姉ちゃんや、フェルトさんも一緒?」
「アリアナは、一緒に行く。フェルトの予定は確認中だが、ヴィドが許可を出してくれるだろう。神霊庁の聴取なんて、守備隊としても最優先にすべき事柄だからな。多分、告発者の一人として、ヴィドも同行すると思うぞ」
 
 おお。皆んなで一緒に王都行きなんて、それはそれで楽しそうだ。プチトマトを蜂蜜入りの甘いタレに漬け込んだ、宝石みたいに綺麗なルビー色のマリネを、むふーっていう吐息混じりに食べていたアマツ様は、〈王都は我が庭なれば、先導の労を取らん〉って、気安くいってくれた。
 スイシャク様も、自家製のスモークサーモンと玉ねぎのサラダを、もっと口に入れるようにって要求してから、〈王都見物をば為さん〉って、羽根を膨らませているから、本当に〈皆んな〉で行くことになりそうだよ、お父さん……。
 
「ねえねえ、お父さん。わたしたちの新しい家も、見に行けるの?」
「ああ。今、ローズが手配をしているからな。明後日は、皆なで新しい家に一泊しよう。翌日は、王都に出す店の候補地を見学する予定だ。どの場所がいいか、意見を聞かせてくれるか、チェルニ?」
「もちろんだよ、お父さん! スイシャク様もアマツ様も、任せなさいって、胸を叩いてくれてるよ」
「えっ? いや、おれは、チェルニとアリアナに見てほしかっただけで、神聖なるご分体に、ご意見を求めるような不敬を、願ったわけじゃないんだがな」
「まあね。でも、スイシャク様もアマツ様も、お父さんの話を聞いて、すっかりその気になってくれてるから、諦めてよ。不敬とかは、まったく大丈夫みたいだし」
「……わかった。普通なら、どんなに願っても叶わないほどの果報……だな……。うん。いとも尊きご神霊に、深甚しんじんなる感謝を奉らん」
 
 それから、お父さんは、急に真剣な表情になって、わたしを見つめた。とっても深い色をした、お父さんの美しい瑠璃色の瞳が、いろいろな感情に揺れているみたい。不思議に思って、首を傾げていると、お父さんがそっといった。
 
「あのな、チェルニ。今朝、ネイラ様から届けていただいた手紙は、二通あったんだ。一通は、神霊庁に行く予定についての手紙。もう一通は、おまえに関することだった。ネイラ様は、おまえに説明したいことがあるから、二人で話す許可がほしいとの仰せだった」
 
 お父さんの言葉に、わたしは、心臓がぎゅって痛くなって、一瞬で硬直した。そう、まさかとは思うけど、もしかして、万が一、自分が〈神託しんたく〉じゃないのかって、疑問を持ったわたしに、ネイラ様はいってくれたんだ。〈魂魄こんぱくとなり、月の銀橋で会いましょう〉って。
 ネイラ様は、十四歳の少女を誘う礼儀として、自分がお父さんに許可をもらうからって、手紙に書いてくれていた。多分、そのことだよね?
 
 どうしてだか、いたたまれない気持ちになって、下を向いてしまったわたしに、お父さんは、優しく言葉を重ねてくれた。
 
「どうやったら、魂魄だけで会えるのか、おれには想像もつかないが、ネイラ様なら、簡単なことなんだろう。それでな、チェルニ」
「うん。何かな、お父さん?」
「おまえは、ネイラ様に会いたいか? 魂魄かどうかはともかく、ネイラ様と二人だけで、会いたいと思うか? ネイラ様の話が聞きたい、教えてほしいことがあるっていうだけなら、神霊庁にご足労いただくなり、こちらが指定の場所をお訪ねするなり、方法はいくらでもあるんだぞ?」
「お父さんは、反対なの?」
「いや……。反対はしない。ただ、チェルニの気持ちを教えてもらって、おまえが本当に望んでいるようにしてやりたいだけだ。おまえが、ネイラ様に会いたいと願うなら、それで良いんだよ、チェルニ」
 
 お父さんの声が、あまりにも温かいから、わたしはたまらなくなって、おずおずと顔を上げた。
 そのとき、わたしを見つめていたお父さんの顔を、わたしは、一生忘れないと思う。胸を突かれて、知らずに涙が流れてしまうくらい、限りない優しさをたたえた表情だったから。これが、親の慈愛っていうものなんだって、すぐにわかったよ、お父さん。
 
 気がついたら、わたしの瞳からは、すごい勢いで涙が吹きこぼれ、たまらずに口にしていたんだ。〈会いたい。わたし、ネイラ様に会いたいんだよ、お父さん〉って……。
 
     ◆
 
 お父さんに向かって、はっ、初恋の相手に会いたいなんて、普通はいわないよね? わたしだって、秘密にしたいのは山々なんだけど、自分が思っている以上に、わたしの心は揺れ動いていたんだろう。
 初めて男の人を好きになって、でも、絶対に手が届きそうにないような相手で、それなのに、一生諦められないんじゃないかって、思っちゃってるんだから。十四歳の未熟なわたしには、身の丈にあまる悩みごとだったんだよ、きっと。
 
 わたしの涙を見たお父さんは、わりと平静だった。いつもだったら、小さな傷を作っただけでも、大慌おおあわてするお父さんは、静かに深い溜息を吐いただけで、すぐにわたしの方に来てくれたんだ。
 
 お父さんは、わたしの隣の椅子に座って、そっと抱きしめてくれた。わたしの腕の中にはスイシャク様、左肩にはアマツ様、右肩にはクニツ様がいるのに、まったく目に入っていないみたいに、神霊さんのご分体ごと、ぎゅって。
 大好きなお父さんの温もりと、大好きなお父さんの匂いに包まれて、わたしは涙が止まらなくなってしまった。お父さんは、優しく背中をでてくれながら、小さな声でずっとささやいてくれた。
 
「大丈夫。大丈夫だぞ、チェルニ。おまえが、自分の気持ちを理解しているのなら、それで良い。悪いことは何も起こらないし、何かあっても、必ずお父さんが守ってやる。お母さんも、アリアナも、おまえの味方だ。おれの可愛い、小さなチェルニ」
 
 お父さんの腕の中は、この世の中で、一番安心できる場所だから、わたしは、少しずつ落ち着くことができた。こっ、恋の苦しさを、お父さんに慰められるっていうのは、思春期の少女としては、ちょっとどうかとは思うけど、仕方がないじゃないか。チェルニ・カペラは、お父さん子なんだよ。
 
 わたしから離れるタイミングを逃したらしく、結果的にお父さんに抱きしめられることになった、スイシャク様たちは、ずっと同じ姿勢で硬直したままだった。神霊さんの許しもなく、人の子が〈ご神体しんたい〉に触れるなんて、あるはずのないことだから、びっくりしちゃったんだろう。
 わたしが泣き止んで、お父さんの胸から顔を上げたあたりで、たくさんのメッセージが送られてきたんだ。〈神をも驚かす所業を為すとは〉〈深き親子の情愛也〉〈神饌しんせんの申し子の情たるや、尊きものと覚えけり〉〈美しきは人の子のまこと〉〈ひな微睡まどろみを託したるは、誠に正しき神意也〉って。
 勝手にわたしごと抱きしめちゃっても、神霊さんたちは怒っていないし、むしろめてもらってるよ、お父さん。
 
 顔を上げたわたしに、優しく微笑みかけてから、お父さんは、ハンカチで涙と鼻水を拭いてくれた。本当に小さな子供みたいで、すごく恥ずかしかった。涙はともかく、ずるずるになった鼻水っていうのは……。物語に出てくる女の子たちは、どんなに泣いても、鼻水なんか垂らしてないと思うんだけど、あれはどうしてなんだろうね?
 
 ともあれ、わたしが落ち着いたのを確認してから、お父さんは、わたしを腕の中から離して、床に両膝をついた。
 
現世うつしよ顕現けんげんなされし、三柱の御神々に奏上そうじょうつかまつる。いとも尊き御神体に、御赦おゆるしもなく触れしこと、万死ばんしの罪と覚えければ、如何様いかようにても御処分いただきたく……」
 
 そういって、床に額をつけたお父さんに向かって、神霊さんたちは、それぞれに光を注ぎかけた。スイシャク様の優しい純白の光は、人の子への果てしない慈悲。アマツ様の輝かしい真紅の光は、人の子の魂を洗う浄化の光。クニツ様のきらめく黄金の光は、人の子のきずなを結ぶ定めの光。誰に教えられるでもなく、そう思った。
 
 お父さんに注がれた三色の光は、きらきらきらきら、きらきらきらきら、発光する粒子を振りまきながら、お父さんの身体に吸い込まれていった。三柱の神霊さんからの、ありがたい赦しと〈言祝ことほぎ〉だったんだ。
 わたしが通訳をするまでもなく、お父さんにも、スイシャク様たちのご意向がわかったんだろう。お父さんは、もう一度深々とぬかずき、心からの感謝を捧げてから、わたしの隣の椅子に戻った。
 
 お父さんは、何事もなかったかのような穏やかさで、ようやく涙の止まったわたしに、話をしてくれた。
 
「おまえの気持ちは、良くわかったよ、チェルニ。おまえがお会いしたいのなら、おれが止める理由はない。ネイラ様のことは、おれも、心からご信頼申し上げているからな。ネイラ様の仰せのままに、お会いしてくれば良いさ。普通に昼間、人の身でお会いになれば良いとは思うが、ネイラ様にはネイラ様のご都合があるんだろう。行っておいで、チェルニ」
「うん……。良いの、お父さん?」
「良いとも。魂魄で出会う方法は、ご神霊方がお導きくださるそうだから、心配は要らないしな。おまえの父親として、許可しよう」
「ありがとう、お父さん」
 
 お父さんの優しい顔を見ているうちに、急に恥ずかしくなって、頬が熱くなった。今のわたしは、きっと赤くなっちゃってるんだろう。すぐに赤面しちゃう癖、何とかならないかな? というか、ネイラ様に出会うまで、あんまり赤くなったことなんかなかったんだけどな、わたし。
 
 お父さんは、そんなわたしに、またしても〈全ての葛藤かっとうを超えた透徹とうてつした表情〉を向けてから、慎重な口振りで尋ねてきた。
 
「なあ、チェルニ。ネイラ様がくださった手紙には、おまえの疑問に答えたいと書かれていた。何のことか、聞いてもいいか?」
 
 困ったな。ひょっとして、万にひとつ、自分が〈神託の巫〉かもしれないと思っているなんて、お父さんに知られるのは、すごく複雑な気分だ。ばかだなって、うぬぼれだよって、笑い飛ばしてもらうんなら、まだいいんだけど、最近の言動を思い出してみると、お父さんは、そうはいわないかもしれない……。
 でも、カペラ家の家訓のひとつは、〈お父さんには、ちゃんと気持ちを話すこと〉だから、ごまかすわけにはいかないんだよ。
 
「いいにくいようだったら、答えなくてもいいんだぞ、チェルニ。その、何だ。年頃の娘の気持ちを、無遠慮に詮索せんさくする気はないからな」
「ううん、大丈夫だよ。あのね、笑われるかもしれないんだけど、わたし、もしかしたら、自分は〈神託の巫〉なんじゃないかって、ちょっとだけ思っちゃったんだ。そうしたら、スイシャク様とアマツ様が、ぴかぴかに発光して、〈神威しんいげき〉に知らせるんだって、アマツ様が飛んで行っちゃったんだ」
「……そうか。飛んで行っちゃったのか……」
「うん。止める間もなく行っちゃったんだよ、アマツ様ってば。それで、すぐにネイラ様からお手紙が来て、〈魂魄で会いましょう〉って、書いてあったんだ。お父さんの許可は、ネイラ様が取るからって」
「なるほどな。そっちだったのか。わかったよ、チェルニ。良くわかった。いろいろと納得したよ」
「あのね、お父さん」
「何だ?」
「お父さんは、ばかなことだって思う? わたしが、その、巫かもしれないっていうことなんだけど……」
 
 お父さんは、最近すっかり多くなった、深い溜息を吐いてから、ゆっくりといった。
 
「可愛い娘のいうことだ。ばかだなんて、思うはずがないだろう? それに……おれの口からはいえないが、知っていることがないわけじゃない。おれも、ローズも、アリアナも。まず、ネイラ様と話をさせていただくと良い。それから、オルソン猊下げいかからも、お話があるだろう」
「ヴェル様から?」
「ああ。おれとローズは、オルソン猊下と約束させていただいていることがあるんだ。つまりは、神霊庁とのお約束だな」
「今は聞かない方がいいの、お父さん?」
「そうだ。もう少しだけ、小さな、可愛いチェルニでいてくれ。いいか?」
「うん。わかったよ、お父さん。それから、小さくなくなっても、わたしは、お父さんの可愛い娘だよ?」
「……そうだな。本当にそうだな、チェルニ」
 
 わたしとお父さんは、いろいろと込み上げてくる思いを飲み下して、二人して笑い合った。明るい笑顔で、にっこりと。
 
 こうして、ネイラ様と、ふっ、二人で会うことが確定した。明後日には王都の神霊庁に行って、十日もしないうちに王立学院を受験したら、魂魄だけで〈月の銀橋〉に向かうんだ。
 わたし、チェルニ・カペラは、十四歳の少女にして、濃密すぎる体験を重ねている気がするよ……。