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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 1 最初の冒険

 『小説家になろう』で大好評連載中! 須尾見蓮先生による『神霊術少女チェルニ〈連載版〉』を、本日から毎日21時に、noteにも連載投稿いたします。
 初めましての皆様も、すでにお読みいただいている皆様も、お仕事前に、お仕事終わりに、そして、おやすみ前に。皆様の日常のひとときに、ぜひお楽しみください!

『神霊術少女チェルニ1 神去り子爵家と微睡の雛』opsol bookより好評発売中です。

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※本連載投稿は、『小説家になろう』に連載されているものと同内容です。
※本noteへの連載投稿は、『小説家になろう』への投稿から遅れての投稿となります。『小説家になろう』では、本noteに連載済みのエピソードよりも先のエピソードをお読みいただけます。
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 ルーラ王国の南部、都会でも田舎でもないキュレルの街に、美人姉妹の看板娘で人気の食堂兼宿屋がある。名前は〈野ばら亭〉。名物のモツ煮込みは、エールのお供に最適らしく、今日もたくさんのお客さんが集まってくれている。
 
「パンが焼き上がった。頼むぞ、チェルニ」
 
 声をかけてきたのは、調理場で腕を振るっているお父さんだ。そう、わたしは美人の看板娘の妹の方で、チェルニ・カペラと言う。
 わたしは、もうすぐ十四歳になる町立学校の最上級生だから、王都の高等学校へ進むか、家の手伝いに専念するかで、グズグズと悩んでいるところだ。
 高等学校には行きたいけど、王都は通うには遠くて、どうしても寄宿舎暮らしになるのがつらい。うちは家族仲が良いし、ご飯は最高に美味しいから、離れたくないのだ。わたしが可愛いうえに賢くて、神霊術のすごい使い手でなければ、ずっと〈野ばら亭〉を盛り立てていくだけなのに。
 
 大きなカゴに山盛り、香ばしい焼きたてパンを積み上げたお父さんは、そのカゴをわたしに手渡した。
 うちの食堂は、料理を頼んでくれたお客さんに、無料でパンを提供する。幾つ食べても無料。パンばっかりお代わりして、料理をちょっとしか頼んでくれない人にも、お父さんは絶対に嫌な顔をしない。
 街の人たちのおかげで商売が繁盛して、何不自由のない暮らしができるから、お返しに得意のパンを焼いて食べてもらうんだって。自分の父親ながら素晴らしい。お父さん、大好き。
 
「皆さん、焼きたてのパンですよ。召し上がる方は、指で個数を示してくださいね」
 
 わたしが大きな声で言うと、常連さんたちはさっと指を出してくれる。初めての人でも、近くのテーブルの人が教えてくれるから、まったく問題はない。わたしは店内を見回すと、神霊術を使うために指先で印を描き、詠唱した。
 
「パンを司る神霊さん。お父さんが焼いた美味しいパンを、お客さんに配ってくださいな。対価はわたしの魔力と、お父さんの焼きたてパンを一つ」
 
 わたしの詠唱が終わると同時に、柔らかい黄色の光球が現れる。光球は、パンを盛ったカゴの上をくるくると回る。すると、パンが次々に浮かび上がって、ひとりでにお客さんのお皿まで飛んでいくのだ。
 
「チェルニちゃんの神霊術は、いつ見ても見事だな」
「本当に。印も詠唱も早いし、これだけの人数分の術を同時に展開するんだから、すごいよ」
「チェルニちゃんの神霊術で配られると、ただでさえ美味い焼きたてパンが、もっと美味く感じるんだよな」
 
 お客さんたちが、今日も口々に褒めてくれる。うちの〈野ばら亭〉は優しいお客さんが多いし、焼きたてパンを口にすると、たいていの人は上機嫌になるのだ。
 パンを運んでくれた神霊さんの光球は、カゴに残ったパンの上をくるっと回ると、パンと一緒に消えた。なくなったパンは一つ。約束した対価の分ぴったりだ。今日もありがとう、神霊さん。
 
 わたしたちの暮らすルーラ王国では、ほとんどの国民が神霊術を使う。この世のすべてのものには神霊が宿っているので、わたしたちはその神霊のお力をお借りして、人にできる以上のことをできるようにするのだ。
 町立学校の教科書には、大きな字で〈森羅万象、八百万、遍く神霊の御坐す〉と書いてある。むずかしい言葉だけど、これだけは子どもの頃から叩き込まれる。日々の挨拶のようなものだ。
 
 驚くことに、ルーラ王国以外の国には、神霊術は存在しない。外の人たちが使うのは、魔術と呼ばれる力だ。自分の魔力を使って、神霊術と同じようなことをする。ルーラ王国にも、魔術を使う人はそれなりにいるので、わたしも見たことはある。
 神霊術と魔術の違いは、〈範囲設定〉にあるらしい。神霊さんは無数にいるので、わたしたちの使う神霊術は、とにかく細かい。体調の悪い人を治療するにも、〈腹痛の神霊〉〈頭痛の神霊〉〈歯痛の神霊〉とか、症状によってお願いする神霊さんが異なるので、けっこう大変なのだ。腹痛の神霊術しか使えないと、頭痛は治らないし。
 これが魔術になると、〈回復〉とか〈快癒〉とか言う魔術で、一発で治療できるらしい。すごいな。
 
 では、神霊術は魔術より弱いのかと言うと、それはまったく違う。細かく分業化されている分だけ、神霊術は強力であり、消費する魔力も少ない。
 例えば、他の国では、治癒魔術の使える人はすごくめずらしいそうだ。むずかしい魔術だし、魔力もたくさん消費するから。骨折を瞬間的に治せるレベルの魔術使いになると、国の魔術師団に入れるらしい。
 ルーラ王国なら、骨の神霊術を使える人がいれば、骨折くらいはホイホイ治してくれる。同じ町内で接骨院をしているナグルおじさんなんて、一日に五十人くらいは余裕で治せると話していた。そんなにたくさん骨折する人がいたら大変だし、ナグルさんは骨の神霊術と頭痛の神霊術しか使えないけど。
 
 そう、省燃費で強力な効果を生む神霊術にも欠点はある。その人の資質によって、使える神霊術が限定されているのだ。
 神霊術を使うには、印を切って詠唱する必要があるのだが、印や詠唱は、学校では教えてくれない。なぜかと言うと、印は神霊さんの側から与えられるメッセージであり、自然に頭のなかに浮かび上がってくるもの。決まった形があるわけではないので、教えようがないのだ。
 まったく同じ印を真似ても、神霊さんから与えられたものでないと、絶対に術は発動しない。そして、詠唱は、対価さえ決めればいいので、こちらも教えようがない。それはそうだろう。
 
 使える神霊術の数は、血筋や魔力量で決まる場合が多い。一般庶民だと、十個以下が一般的だろうか。効果の大きい神霊さんから印をもらった人だと、一つか二つでも普通だ。
 貴族の方々になると、二十個とか三十個とか使えたり、すごく用途の広い神霊さんに印をもらったりするらしい。
 今の王国騎士団長で、英雄と名高いレフ・ティルグ・ネイラ様は、剣の神霊と炎の神霊と力の神霊の三つの術が使えるそうだ。
 ネイラ様に個人で勝てる騎士は、世界中を探してもいないと言われている。完全に戦闘特化の術構成だから、当然だな。うちの国、戦争はしない主義なのが、ある意味で惜しい。
 
 さて、わたし、〈野ばら亭〉の可愛い看板娘のチェルニはと言うと、実は三十を超える神霊術が使える。何に使うのか微妙な神霊さんもいるが、とにかく一般庶民にしては、ものすごく多い。町立学校の先生たちが、熱心に進学を勧めてくれるのも納得だろう。まあ、理由はそれだけではないのだが。
 
 お父さんのパンの入ったカゴをテーブルに置き、自分の部屋に戻って勉強でもしようかと考えていたところに、食堂の扉が勢いよく開いた。飛び込むように入ってきたのは、長身の細マッチョで、かなりイケメンな若い男。この街の守備隊で分隊長に出世している、人気者のフェルトさんだ。
 
「いらっしゃいませ、フェルトさん。お急ぎになって、何かありました?」
 
 綺麗な鈴みたいな声で、真っ先にフェルトさんに話しかけたのは、美人姉妹の姉の方、わたしの大好きなアリアナお姉ちゃんだ。
 わたしが可愛いよりの美人で、親しみやすさが魅力のタイプだとすると、アリアナお姉ちゃんは正真正銘、掛け値なしの美人。顔面偏差値は、実は姉妹でけっこう差がついている。もちろん、高レベルなのは姉である。
 いつもはおっとりと優しく、こちらが心配になるくらいのんびりとしているお姉ちゃんの、この反応の速さ。わかりやすいにもほどがある。
 
「あ、あの、騒がせてすみません。アリアナさん」
 
 イケメンなわりに硬派で、肉食系のお嬢さんたちを歯牙にもかけないと噂のフェルトさんが、頬を染めて口ごもる。こちらも、わかりやすいにもほどがある。
 
「うちの誰かにご用ですか、フェルト分隊長。お食事なら、ちょうどパンが焼きたてですよ」
 
 二人に任せていると時間がもったいなので、仕方なくわたしが声をかけた。瞬間、正気に返ったらしいフェルトさんが、キリッとした顔に戻って言った。
 
「チェルニちゃん、居てくれてよかった。きみの力を貸してほしいんだ。街の子供たちが三人、拐われたかもしれない」
 
 楽しげで賑やかだった〈野ばら亭〉の食堂が、一瞬で静まり返った。子供が拐われるなんて、これ以上ないくらいの一大事ではないか。
 厨房から出てきたお父さんが、怒鳴るみたいに聞いた。
 
「今、なんて言った、分隊長。子供が拐われたって?」
「はっきりと断定はできません。ですが、暴れ回る麻袋を担いだ男たちが、裏道から逃げるように走って行く姿を目撃した人がいるんです。念のために確かめてみたら、神霊教会が世話をしている孤児が三人、昼前から姿が見えなくなっています」
 
 フェルトさんの説明に、お店にいる人たちが全員、激怒したのがわかった。もちろん、わたしも頭に血が上った。上りきった。
 千年王国とも呼ばれるルーラ王国は、立派な王家と神霊さんのお力添えのおかげで、ずっと平和で豊かで暮らしやすい国だ。でも、だからこそ、外の国からはけっこう妬まれている。神霊術を目当てに、何もわからない子供を拐おうとする悪者も多い。神霊術を使える子供を奴隷に売ると、すごい値段になるらしい。
 
「わかった。で、チェルニに何を頼みたいんだ」
「羅針盤の神霊術を使ってほしいんです。うちの隊の術者は、昨日から隣街に駆り出されていて、不在にしています。その、隣街でも誘拐騒ぎがあって」
「同じ犯人かもしれないわけか。わかった。チェルニ」
 
 お父さんが、わたしを振り返った。
 尋ね人や失せ物探しには、羅針盤の神霊術を使う。術者は、希少と言うほどでもないが、どこにでもいるわけでもない。特に、離れた場所で探し物ができる術者は貴重だ。そして、わたしは羅針盤の神霊術も得意なのだ。
 
「行ってきます、お父さん」
「ああ。頑張って子供達を探してくれ。頼んだぞ、チェルニ」
「すみません、カペラさん。助かります。何があっても、チェルニちゃんは無事にお返しします」
 
 フェルトさんは、お父さんに深々と頭を下げた。正直、お姉ちゃんをお嫁にあげてもいいと思うくらい、カッコいい。
 お姉ちゃんを横目で見ると、そんなカッコいいフェルトさんではなく、わたしのことをじっと見つめていた。エメラルドみたいな瞳を、心配そうに潤ませて。美少女の涙って、すごい威力。お姉ちゃんを悲しませないように、絶対に無事に帰ってくるからね。
 
 ともあれ、尋ね人と失せ物探しは、時間が過ぎるほどむずかしくなる。わたしとフェルトさんは、大急ぎで〈野ばら亭〉を飛び出すと、フェルトさんの馬に二人乗りして、守備隊の詰所へと走った。
 
 
    ◆
 
 
 詰所に着くと、二十人くらいの守備隊員が、出発の準備を整えて待っていた。
 
「お待たせしました、総隊長」
「フェルト、その子か」
「はい。まだ町立学校の生徒ですが、神霊術の天才です」
 
 天才は言い過ぎだ。謙遜ではなく、事実として。わたしは、ルーラ王国で一年に一人は現れるレベルの才能だろう。すごいと言えば、十分すごい。でも、天才と呼べるのは、十年に一人くらいからだと思う。
 それでも、厳つい熊みたいな総隊長さんは、馬から降ろされたわたしの目の前にかがみこんで、丁寧に頼んできた。
 
「お嬢ちゃん。守備隊とは無関係の女の子に、無理な頼みごとをして、本当にすまない。しかし、小さな子供たちを救いたいんだ。お嬢ちゃんの力を貸してくれないか」
 
 おお。うちの街の守備隊長って、なんて立派な人なんだろう。大丈夫、任せてください。わたしは、力一杯「はい!」と返事をしておいた。
 
「拐われた子供たちの持ち物って、何かありますか?」
「持ってきてあるよ。これでいいかな」
 
 そう言って、部下らしい人が出してくれたのは、子供服と靴が三人分だった。どっちも本当に小さくて、まだ幼い子たちが拐われたのがわかる。許せない。そのまま持っていてもらって、わたしは早速、神霊術を使うための印を切った。
 
「羅針盤を司る神霊さん。緊急事態です。街の子供たちが拐われたの。絶対に助けたいから、連れ去られた先を教えてくださいな。対価は、わたしの魔力を必要なだけ。もし足りなかったら、わたしの髪の毛をちょっとだけ持っていって」
 
 自分で言うのも恥ずかしいが、わたしの髪は、すごく綺麗なピンクブロンドだ。ほとんどの神霊さんは、わたしの髪色がお気に入りみたいで、髪の毛を対価に差し出すと、強い術を使わせてくれるのだ。
 詠唱が終わると、両手を広げたくらい大きな金色の光球が現れた。光球は、しばらく子供たちの服の上をくるくる回ってから、何度か強く点滅した。見つけたっていう、神霊さんの合図だ。
 
「わかりました! 神霊さんが、子供たちのところまで案内してくれます。けっこう遠いみたいなので、急ぎましょう」
 
 わたしが元気よく言うと、総隊長さんやフェルトさん、守備隊の皆んなが歓声をあげながら、いっせいに馬に乗った。もちろん、わたしも乗るつもりでフェルトさんに両手を差し出すと、困った顔をされた。
 
「いや、危ないことがあるかもしれないから、チェルニちゃんは詰所で待っていてくれないかな。羅針盤の神霊に、案内だけを頼んでほしい」
「無理ですよ。相手が二手に別れたりしたら、術をかけ直さないといけないし、何があるかわからないでしょう。一緒に行きますよ」
「フェルト。お嬢ちゃんの言う通りだ。申し訳ないが、一緒に来てもらった方がいい。何かあったら、お前は即座に戦線を離脱して、お嬢ちゃんと逃げろ」
「わかりました、総隊長。頼むよ、チェルニちゃん」
 
 フェルトさんは、吹っ切れたような凛々しい顔で、わたしを馬に乗せてくれた。
 
「ありがとう、チェルニちゃん。きみのことは、俺が命に代えても守る。絶対に、傷ひとつつけずに、お姉さんたちの元へ返すから」
 
 本当にカッコいいな、フェルトさん。お姉ちゃんのお婿さんは、この人にしよう。そうしよう。
 羅針盤の神霊さんは、全員が馬に乗ったのを待っていたように、ふよふよと飛んで行った。わたしたちは、総隊長さんとフェルトさんを先頭に、神霊さんの後をついていく。最初はゆっくりな速度で、街の外に向かっている。
 神霊さんは言葉を話すわけではないので、はっきりとしたことはわからない。でも、神霊さんの意志は、術者にはなんとなく伝わってくる。
 
「羅針盤の神霊さんは、街を出てから、速度を上げると思います。拐われた子供たちは、別の街に連れて行かれたみたいです」
 
 わたしはフェルトさんと総隊長さんに向かって、大声で言った。馬はゆっくり走っているから、今のうちなら舌を噛まずにしゃべれるのだ。
 
「わかった。ありがとう、チェルニちゃん」
 
 お礼を言ってくれてから、フェルトさんは横を走っている隊員さんに向かって叫んだ。
 
「おい。聞こえていたか。子供たちは別の街に連れて行かれた模様。こちらも街を出てから、速度を上げて追うぞ。後ろのやつらまで、伝言を回してくれ」
「了解しました!」
「お嬢ちゃん、本当にすごい神霊術の使い手なんだな。まだちっちゃいのに、たいしたもんだ。助かるよ。ありがとうな」
 
 総隊長さんは、そう言って笑いかけてくれた。熊みたいなのに、とっても優しい笑顔だ。うれしくなって、わたしも元気いっぱいに笑った。総隊長さんのためにも、頑張るからね。
 
 通用門を抜けて、街と街をつなぐ街道に出ると、神霊さんは待っていたように速度を上げた。馬に乗ったのなんて、初めてのことだったから、実はもう、お尻が痛い。
 もぞもぞと動いていると、それに気づいたフェルトさんが、片手でさっと印を切って、口の中で何かつぶやいた。
 すると、ほわっとした緑色の光球が現れて、わたしのお尻のあたりでくるくる回る。これは、あれだ。物を動かすタイプの力の神霊さんだ。
 神霊さんのおかげで、わたしのお尻の下に、薄いクッションが敷かれたみたいな感じになった。しゃべると危ないので、フェルトさんの腕を軽く叩いて感謝を伝える。さあ、子供たちに追いつくぞ!
 
 
    ◆
 
 
 途中、短い休憩を何度か取りながら、けっこうな距離を走った。午後の早い時間に街を出て、もうすぐ夕方に近いくらい。この頃になると、神霊さんの目的地が、わたしにもわかってくる。王都だ。子供たちを拐った犯人は、脇目も振らずに王都を目指しているようだった。
 ずっと遠くに王都の通用門が見えてきたとき、神霊さんが大きく点滅して、くるくると旋回した。それを見た総隊長さんは、片手を上げて、馬を止めるように合図をしてくれた。
 
「どうした、チェルニちゃん。神霊は何と言っている」
 
 フェルトさんの問いかけには答えず、わたしは神霊さんの点滅を見つめて、伝わってくるメッセージを解読した。ルーラ王国の人たちは、誰でも神霊術が使えるが、正確に神霊さんのメッセージを解読できる人は、それなりにめずらしいのだ。
 
「ここから王都の通用門までの、ちょうど中間地点くらいのところに、犯人と子供たちがいます。追いつきましたよ!」
 
 わたしが宣言すると、守備隊の人たちが、無言で歓声を上げた。距離があるとは言え、あんまり全員で叫んだりしたら、きっと気づかれる。それくらいのところまでは、追いつけたのだ。
 
「チェルニちゃん、ありがとう。何とお礼を言っていいか、わからないよ」
「まったくだ。感謝の言葉もないよ、お嬢ちゃん。ここまで助けてもらったんだ。子供たちは、絶対に無事に取り戻すぞ」
 
 フェルトさんと総隊長さんは、そう言ってわたしの頭をぐりぐりと撫でてくれた。もうすぐ十四歳になるのに、小さな子みたいな扱いだ。嬉しいから、別にかまわないけど。
 総隊長さんは、ちょっとの間だけ考えてから、てきぱきと指示を出した。
 
「このまま、一気に追いつくぞ。ただし、王都の中に入られるとやっかいだ。アラン」
「はい、総隊長」
「おまえが一番早い。おまえは、とにかく通用門を目指せ。門番に話を通して、犯人どもを通さないように、門を固めさせろ。それから、援軍を出すように頼め」
「了解です。行きます!」
 
 そう一声かけると、アランって呼ばれた人は、素早く印を切って詠唱した。
 
「風を司る神霊よ、助けてくれ。風のように早く、通用門まで行きたい。対価はおれの魔力で払う」
 
 現れたのは、水色の雲みたいな光で、それがアランさんと馬を包み込んだとたんに、アランさんはすごい勢いで馬を走らせた。風の神霊さんの後押しだろう。たちまち、アランさんの背中が遠くなっていった。
 
「よし。次はおれたちだ。もう隊列は気にしなくていい。追いついたやつから、前に回り込んで足止めしろ。向こうが手を出してくるまでは、剣を抜くな。いいな」
「「「了解です!」」」
「フェルト。おまえは一番後ろから来い。もし斬り合いになったら、そのままお嬢ちゃんを通用門の中に避難させろ。必ず守れ」
「承知しました!」
「よし、行こう!」
 
 総隊長さんのかけ声を合図に、隊員さんたちはいっせいに走り出した。フェルトさんは、ちょっとだけ遅れて後に続く。
 
 しばらくすると、立派な箱型の馬車が二台、先を急ぐように走っているところに追いついた。馬車の周りには、二十人くらいの護衛っぽい人たちが騎乗していて、馬車を守っている。守備隊の人たちは、次々にその馬車の周りに走りこんで、止めさせようとしているみたいだった。
 羅針盤の神霊さんは、そこで一気に速度を上げて後ろの方の馬車に向かうと、くるくる回りながら激しく点滅した。
 間違いない。あの馬車の中に、子供たちがいる。やった、やった! 神霊さん、ありがとう!
 
「その後ろの方の馬車です! 羅針盤の神霊さんが、そう言ってます!」
 
 わたしが後ろから叫ぶと、総隊長さんが大声で馬車に向かって怒鳴った。
 
「止まれ、止まれ! それ以上進むことは、許さんぞ。後ろの馬車を確かめる」
 
 総隊長の声に応じて、守備隊の人たちは、後ろの馬車に殺到しようとした。すると、回りを固めていた騎士が、怒鳴り返してきて、剣に手をかけた。
 斬り合いが始まる! そう思って、わたしは思わずフェルトさんにしがみついた。すると、今にも剣を抜こうとしていた騎士を止める声がして、前の方の馬車から男の人が降りてきたのだ。
 すごく高そうで、きらきらした服を着た、いかにも貴族っぽい人だ。わたしたちとは、ちょっと顔立ちが違う気がするから、外国の人だと思う。貴族っぽい人は、わたしたちを見て、馬鹿にしたようにせせら笑った。
 
「これは、これは。われわれに何の用かね」
 
 想像していた犯人とはまったく違う、貴族っぽい人の様子に、わたしたちは戸惑った。でも、神霊さんが間違えることはない。そう信じてほしくて、フェルトさんと総隊長さんを見ると、二人とも力強くうなずいてくれた。
 総隊長さんは、堂々とした態度で言った。
 
「おれは、キュレルの街の守備隊で総隊長を拝命している、ヴィドール・シーラ。わが街の子供たちが拐われ、その行方を追っている。後ろの馬車を開けてもらおう」
「断る。わたしには関わりのないこと。おまえたちの要請に応じる必要など、わたしにはない」
「ほう。後ろ暗いところがあるから、断りたいわけか。ならば、力ずくで改めるまでのことだ」
 
 貴族っぽい人が断ったことで、周りはすぐにでも斬り合いが始まりそうなくらい、緊張した雰囲気になった。フェルトさんは、わたしの身体を支えている手に力を入れると、馬の手綱を握りしめている方の手で、そっと印を切った。
 
「風を司る神霊よ、力を貸してくれ。合図をしたら、おれたちが風のように早く走れるようにしてほしい。対価は、おれの魔力だ」
 
 フェルトさんが小声で詠唱すると、指先くらいの小さな水色の光球が、フェルトさんの肩に止まった。合図があるまで、そうして待機してくれるのだ。フェルトさん、実はけっこうな神霊術の使い手じゃないのかな。
 フェルトさんは、わたしにそっと話しかけた。
 
「チェルニちゃん。やつらが剣を抜いたら、すべてを無視して通用門まで走る。速度を上げるから、舌を噛まないように、しっかり歯を食いしばっていてくれ。いいね?」
「でも、フェルトさん。わたし、神霊さんにお願いして、捕まえる手伝いもできるよ」
「わかってる。ありがとう、チェルニちゃん。でも、きみみたいな女の子を、これ以上危険な目に合わせるのは、おれたちの誇りが許さない。もう十分すぎるほど助けてもらった」
 
 これは無理だな。フェルトさんたちは、わたしの安全を第一に考えてくれているから、絶対に意見を変えないだろう。総隊長さんといい、実に立派な大人たちだ。うちの国、人材に恵まれているね。
 万が一、足手まといになったりしたら大変だし、ここは自分の身を守ったうえで、できる協力をするとしよう。わたしは可愛いだけじゃなく、有能な少女なのだ。
 
「わかりました、フェルトさん。よろしくお願いします。でも、わたしもできるだけの協力はしますからね」
「どうするの、チェルニちゃん?」
「見ててください」
 
 わたしは、両手で印を切ってから、フェルトさんだけに聞こえる声で詠唱した。
 
「錠前を司る神霊さん。子供たちが危ないかもしれないの。助けてください。誰にも見つからないように、そっと後ろの馬車に錠前をかけてください。誰も馬車に入れないで。対価はわたしの魔力で。足らなかったら、わたしの髪をほんのちょっと」
 
 すると、空気の読める錠前の神霊さんは、小さな半透明の光球になって、さっと馬車の下へ飛んでいった。これで大丈夫。誰も気付いていないけど、馬車にはしっかり鍵がかかった。
 錠前を開け閉めする神霊さんとか、ほとんどお願いする機会がなかったけど、印をもらってて良かった。
 
「これで、わたしにしか馬車は開けられないので、子供たちが人質にされることはありませんよ」
「すごい。素晴らしいよ、チェルニちゃん。きみは、本当にできる子だね。もし、馬車の中に犯人も乗っていたら……って、それは考えないようにしよう。人質として引き出されるよりは、危険が少ないはずだ、多分」
 
 何となく、フェルトさんが不穏なことを言っている気がするけど、そこを追求する前に、総隊長さんと押し問答をしていた貴族っぽい人が、金ぴかな服の胸元から、何かカードのようなものを出してきて、総隊長さんの方に掲げて見せた。
 
「仕方がないので、名乗ってやろう。我が名は、シャルル・ド・セレント子爵。アイギス王国、国王陛下の命によってルーラ王国へ派遣された、正式な外交官の一人だ。証拠の身分証を見せてやるが、汚い手で触れることは許さんぞ」
 
 総隊長さんは、苦虫を噛みしめたような顔で、身分証を確認している。ルーラ王国には、確か三ヵ国くらい大使館を置いている国があって、そこの職員には特別な身分証が発行される。
 フェルトさんも、他の隊員さんたちも、ものすごく嫌な顔をしている。フェルトさんが、小声で言った。
 
「外交官特権か。面倒だな」
「なにそれ?」
「外国から送られてくる正式な外交官は、おれたちでは、逮捕することも捜査することもできない。それをする権利があるのは、本国だけなんだ。だから、後ろの馬車を開けさせる権限もないんだ」
「悪いことをしても、捕まえられないってこと?」
「そう。相手の本国に抗議して、調べてもらうことしかできない。大使館も、外国みたいなものなんだ」
「じゃあ、馬車を調べるのって……」
「法律的には無理だ」
 
 そんな馬鹿な。でも、それをわかっているからだろう。総隊長さんも、他の隊員さんたちも、ギリギリって音が聞こえそうなくらい、怖い顔で貴族っぽい人をにらんでいた。
 
「わかったのなら、身の程をわきまえて道を開けろ。おまえたちの無礼は、あとで正式に抗議してやるからな。首を洗って待っているがいい」
 
 貴族っぽい人、さっき名乗ってたから、シャルルでいいや。シャルルは、えらそうに言うと、にやにや笑いながら馬車に乗り込もうとした。まさか、ここまで追いついたのに、見逃すしかないの?
 すると、総隊長さんが、覚悟を決めたような顔で前に出た。
 
「待て!」
「なんだ。まだ何か用か」
「このまま通すわけにはいかん」
「おまえ、総隊長とか名乗っていたが、ただの平民だろうが。外交官であり、貴族家の当主であるわたしに、気安く口を利くな。本当なら、護衛騎士を通してしか、おまえごときと話す身分ではないのだぞ」
「たしかにそうだろう。では、その子爵様が、どうして執事も連れずに馬車に乗っているんだ。それに、どうしてゴロツキのような護衛を並べている。外交官の護衛なら、普通は正式な騎士だろうが」
「おまえには関係のないことだ。答える必要もない。さあ、道を開けろ」
「いや、通さん。力ずくでも馬車を改める」
 
 総隊長さんは、ジリジリと馬車に近寄っていった。隊員さんたちも、それにならう。護衛っぽい人たちは、馬車を守るみたいにして、また剣に手をかけた。
 
「その馬車に子供たちが乗っているのは、神霊術によってわかっている。違うと言うなら、中を見せてみろ」
 
 総隊長さんがそう言うと、シャルルは、今までで一番いやらしく笑った。
 
「神霊術か。神霊術など、魔術に劣る微細な力ではないか。そんなもの、当てにはならんな。そもそも、仮にこの馬車に子供が乗っていたとして、それがどうした。我が国の正式な許しがない以上、おまえたちは、わたしにも馬車にも、指一本触れられないのだ」
「子供を拐うことなど、きさまの本国も認めまい」
「そう思うなら、国から抗議をするのだな。どけ。これ以上足止めすれば、友好国である我が国への敵対行為とみなす。おまえの首ひとつでは、収まらんぞ」
 
 総隊長さんは、どうすることもできず、黙ってシャルルをにらみつけていた。すごく悔しそうだし、わたしも悔しい。子供たちを拐って、神霊さんを馬鹿にして、わたしたちの国まで軽く見たのだ、シャルルは。
 こうなったら、神霊さんにお願いして、あいつらを全員、眠らせてしまおうかな。そして、その間に子供たちを助け出す。
でも、こんなことになるとは思わなかったから、総隊長さんは名乗っているし、わたしたちの姿も見られている。さすがにごまかせないだろう。きっと後で問題になるはずだ。
 どうしたらいいのかわからなくて、シャルルが馬車の扉に手をかけようとするのを、わたしたちは黙って見つめることしかできなかった。
 
 
    ◆
 
 
 わたしのお父さんは、よく言っていた。どうしたらいいかわからないような、困ったことが起きたら、一番大切なものを守ることだけを考えなさいって。
 今、一番大切なのは何だろう。子供たちの命? もちろん、大切に決まっているけど、外交官を怒らせて戦争にでもなったら、たくさんの人が死んでしまう。それはダメだ。
 子供たちは奴隷に売られるんだろうから、今、犯人を逃がしてしまったとしても、命の危険は少ないと思う。だったら、大切なのは、子供たちを見失わないことだ。
 わたしは、子供たちを守りながら追跡できるような方法がないか、必死で考えた。わたしも、自分にできる方法で頑張るんだ!
 
 そう決心したとき、地響きがした。先行していたアランさんを先頭に、十人くらいの集団が、わたしたち目がけてすごい勢いで走ってきたのだ。
 集団は、あっと言う間にわたしたちのところに到着した。
 
「総隊長。援軍を出していただきました。通用門も、何があっても開かせません」
「よくやった、アラン!」
 
 総隊長さんは、アランさんの肩を叩いて笑いかけた。でも、シャルルは振り向いて確認しただけで、平然と言い捨てた。
 
「王都の衛兵なら、少しは道理がわかるだろう。我が名は、シャルル・ド・セレント子爵。アイギス王国、国王陛下の命によってルーラ王国へ派遣された、正式な外交官だ。外交特権も知らない田舎者に足止めされて、迷惑千万。自分の国が大切なら、おまえたちで下劣な衛兵たちを退けろ」
 
 それだけ言って、今度こそ馬車の扉を開けたシャルルに、声をかけた人がいた。アランさんの後ろの方にいた、背の高い男の人。すっぽりとフード付きのローブを羽織っているので、顔はよく見えない。
 
「待て。先行してきたキュレルの街の守備隊員から、ことの概略は聞いた。これから、そなたの馬車を調べ、場合によっては拘束する」
「何を馬鹿な。わたしは外交官特権を持っている。聞こえなかったのか。それとも、その意味も知らない愚者なのか」
「どちらでもない。外交官特権は、我が国が悪質かつ緊急性がある事案だと判断した場合、それを一時的に凍結できる。今回は、それに該当するのでな」
 
 今まで、ずっとわたしたちを小馬鹿にしていたシャルルが、初めて動揺したみたいだった。ローブの人の言うことは、普通の十三歳にはむずかしいかもしれないけど、わたしにはわかる。わたしは、優秀な少女なのだ。
 
「外交官特権の凍結だと。そんな判断が許されるのは、王族と宰相、近衛騎士団と王国騎士団の両団長だけのはずだ。適当なことを言って、だまそうとしても無駄だぞ」
「もちろん、だましたりはしない。そんな必要はないからな」
 
 そう言って、男の人はフードを下ろした。
 そこにいたのは、ルビーみたいに綺麗な深紅の髪をした、まだ若い男の人だった。瞳は銀色だろうか。ものすごく強く、神霊さんの影響を受けている色だ。
 この人は、神霊術の使い手というよりも、神霊さんに愛されている人だと思う。何十年に一人くらいの割合で生まれてくると言われている、神霊さんの体現者。学校で習った。女の人は〈〉、男の人は〈げき〉って言うんだ。
 
 あまりにも濃い神霊さんの気配に、ぼうっと見惚れているうちに、回りはなんだか騒がしくなっていた。ヒソヒソとした小声で、「騎士団長」とか「まさか」とか「どうして」とか聞こえる。
 
「わたしの名は、レフ・ティルグ・ネイラ。ルーラ王国騎士団長の職を拝命しているので、外交官特権の一時停止を命令できる立場だ」
 
 おお。この男の人が、英雄で騎士団長のネイラ様なのか。と言うことは、子供たちを助けられる!
 
「馬鹿なことを言うな! 王国騎士団長が、なぜ一人でこんなところにいるんだ! 適当なことを言うな」
「一人ではないよ」
 
 ネイラ様が言うと、集団の半分くらいの人たちが、右手で胸を叩いた。あれって、王国騎士団の挨拶なのかな。カッコいい。
 
「最近、いくつかの街で、子供たちが拐われる事件が頻発していたのでね。我ら王国騎士団も、捜索に加わっていたのだ。ちょうどこの場にいられて、よかった。レフ・ティグル・ネイラの名において、シャルル・ド・セレント子爵の外交官特権の一時停止を宣言しよう」
「馬鹿な。そんな強引なことをすれば、国と国との関係が悪化するぞ!」
「承知の上だ。キュレルの街、シーラ総隊長」
「はっ!」
「ここまで追いつめたのは、あなたたちの力だ。馬車を調べてください」
「ありがとうございます! 皆んな、行くぞ!」
 
 すごい、すごい。形勢逆転っていうやつだ。ネイラ様のおかげで、外交官なシャルルを調べられる。
 しかも、自分たちの手柄にしないで、総隊長さんたちに調べさせてくれるとか、本当にいい人だ。年上の総隊長さんへの言葉も、とっても丁寧だしね。カッコいいにもほどがある。
 
 うちの街の守備隊の隊員さんたちは、大喜びで馬車に殺到した。
 周りの護衛っぽい人たちは、剣を抜いて応戦しようとするんだけど、完全に腰が引けている。人数も倍くらい違うし、ネイラ様が出てきたのに、勝てるわけがない。
 守備隊の隊員さんたちが、応じるように剣を抜いたのを目にして、一人が慌てて剣を捨てた。すると、申し合わせたみたいに、次々に剣を捨て始めた。
 
 ところが、護衛っぽい人たちが降伏しているすきに、シャルルは素早く馬車に乗り込んだのだ。それを待っていたのだろう。シャルルの馬車は、すぐに二台とも薄っすらと光り出した。
 よく見ると、馬車の下の地面には、いつの間にか複雑そうな模様が浮かんでいる。神霊さんとは違う、魔力そのものの気配。きっと馬車のなかから、誰かが魔術を使っているんだ。
 
「おまえたちの相手など、いつまでもしていられるか。わたしは国へ帰る。文句があるなら、追いかけてこい!」
 
 シャルルが窓を開けて、また馬鹿にしたように笑った。
 置いていかれそうになった護衛っぽい人たちが、馬車に乗ろうとしたり、ヤケになって馬車に斬りかかったりしているけど、全部透明の壁のようなものに弾かれて、馬車に近付けない。
 
「まずいな。転移の魔術だ。あれで逃げられると、すぐには行き先がつかめなくなるんだ。二台も馬車を転移させるなんて、馬車のなかに大きな魔石を持った魔術使いが乗っているんだと思う」
 
 フェルトさんが、悔しそうに言った。隊員さんたちも、馬車に斬りかかっているけど、全然通じていない。どうしよう。
 わたしの視線の端の方で、ネイラ様がさっと馬を降りるのが見えた。王国騎士団の団員さんたちが何か叫んで、馬車から皆んなを引き離そうとしているのもわかった。きっと、転移に巻き込まれると危ないから、避難させているんだ。
 でも、シャルルを逃すのは嫌だし、子供たちを助けないと。そうだ!
 
 そこからは、多分、無意識だった。
 馬車の回りから、皆んなが避難したのを確認したとたん、段々と輪郭を薄くしていた馬車に向かって、わたしは大声で叫んでいた。
 
「錠前の神霊さん。捕まえて!!」
 
 わたしが叫んだ瞬間、周囲に轟音が響き渡り、ものすごい砂ぼこりが上がった。
 フェルトさんが、とっさにわたしを抱き込んで、砂ぼこりをさえぎってくれる。
 いったい何が起こったのか、ようやく砂ぼこりが収まってきたところで、馬車の方を見たわたしは、あんぐりと口を開けて固まった。周りの人たちも、皆んな同じ。
 
「チェルニちゃん……」
 
 呆然とした顔で、フェルトさんがわたしを呼んだ。でも、ごめんなさい、フェルトさん。どうしてこうなったのか、わたしにだってわからないよ。
 
 二台の馬車は、わたしの腕くらいありそうな、太い鎖にぐるぐる巻きにされたうえ、鎖の先には両手を広げたくらい巨大は錠前がつながっていて、夕陽にきらきら輝いていたのだ。
 
 何これ?!
 
 敵も味方もまとめて、無言で静まり返るなか、一番早く衝撃から立ち直ったのは、王国騎士団長のネイラ様だった。ネイラ様は、笑いを噛み殺しながら、わたしの前まで歩いてくると、不思議な銀色の瞳を輝かせて、優しく言った。
 
「はじめまして、お嬢さん。あの錠前はきみだろう。きみは素晴らしい神霊術師だね。協力してくれて、本当にありがとう。もう大丈夫だから、きみの素敵な錠前の神霊さんに、鍵を開けてくれるように頼んでくれないかな」
 
 さすが、「覡〈げき〉」のネイラ様だ。わたしが神霊術を使ったことも、錠前の神霊さんだということも、すぐにわかったみたい。錠前の神霊さんとか、超マイナーなのに。
 目の前で見たネイラ様が、あまりにも素敵なので、わたしはぼうっと見惚れたまま、神霊さんに錠前を外してもらった。
 
 大きな音を立てて錠前が外れると、やっと正気に返ったらしい隊員さんたちが、慌てて馬車の扉を開ける。
 二台の馬車から出てきたのは、黒いローブの陰気そうな魔術使いっぽい人が二人と、必死に抵抗しているシャルル。そして、意識のない八人の小さな子供たちだった。シャルルが拐ったのは、うちの街の子供たちだけではなかったのだ。
 護衛っぽい人たちも一緒に、シャルルたちは、縄でまとめて拘束されていく。最低の人間には、相応しい罰が与えられるのだろう。それが道理というものだって、お父さんも言ってたからね。
 
 隊員さんたちの何人かが、回復系の神霊さんにお願いして、子供たちを診てもらっている。ちょっとの間、緊張が漂ったけど、すぐに明るい声がした。
 
「薬で眠らされているだけだ。子供たちは全員、無事だ!」
 
 今日、一番大きな歓声が上がって、隊員さんたちも王国騎士団の人たちも、誰かれかまわず肩を叩き合い、抱き合って喜んでいる。よかった。本当によかった。
 
 わたしの最初の冒険は、こうして無事に終わりを告げたのだ。
 
 
    ◆
 
 
 あの冒険の日から一週間、わたしの生活は、すっかり落ち着きを取り戻した。
 お父さんにもお姉ちゃんにも、食堂のお客さんたちにも、すごくほめてもらった。あの日、買い出しに行って留守だったお母さんには、ちょっと泣かれてしまったけど、それもいい思い出だ。
 
 そして、今日は〈野ばら亭〉の定休日だから、わざわざ総隊長さんとフェルトさんが訪ねてきてくれた。事件のその後を、説明してくれるんだって。
 
 総隊長さんとフェルトさんは、二人ともきちんとした制服姿だった。なんと、守備隊の正装らしい。
 二人は、お父さんとお母さんに向かって、深々とお辞儀をしてから、わたしにも丁寧にお礼を言ってくれた。
 
「大切なお嬢さんに、危険を伴うことをお願いしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。おかげさまで、子供たちを無事に助け出し、犯人を捕らえることができました。ありがとうございます。チェルニちゃん、我ら守備隊一同、心から感謝しているよ」
「わたしが、チェルニちゃんにお願いをしたばかりに、大変なご心配をおかけしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。チェルニちゃんは、実に立派で、堂々とわたしたちを助けてくれました。本当にありがとうございました」
 
 二人はすごく真剣で、謝罪と感謝の気持ちが伝わってきた。お父さんも、きちんとした礼を返して、こう言った。
 
「ご丁寧にありがとうございます。娘がお役に立てて、子供たちも無事で、こんなうれしいことはありません。わたしたちこそ、いつも守備隊の皆さんに守っていただいて、感謝しています」
 
 それから、口外はしないようにと頼みながら、二人はたくさんのことを教えてくれた。
 まず、今回、シャルルたちが拐っていた子供たちは、何と三十人以上になるそうだ。ルーラ王国のあちこちから、二人、三人と拐っていたんだって。
 誘拐の目的は、やっぱり奴隷として売るためだった。シャルルの本国、アイギス王国では、奴隷は合法だから、神霊術の使えるルーラ王国の子供は大人気なのだ。
 それを聞いたときは、おっとり優しいお姉ちゃんまで、目を吊り上げて激怒していた。フェルトさんが、そんなお姉ちゃんに見惚れてたのは、当のお姉ちゃん以外、全員が気づいていたと思う。
 
 犯人たちは、今も王都で取り調べられている。護衛っぽい人たちは、アイギス王国の正式な騎士ではなくて、ルーラ王国内で雇われた人たちだった。お金目当てに、同じ国の子供たちを奴隷に売る手助けをしたわけだから、厳しい処罰が待っている。
 
 シャルルが連れていた魔術使いは、アイギス王国の人間だった。転移ができるほどの魔術使いなんて、アイギス王国でもめったにいないから、高位の貴族が協力したんだろうって、ルーラ王国では考えているみたいだ。
 シャルルは、どこかで拘束されているんだけど、場所は総隊長さんたちも知らないそうだ。ほら、高位貴族がからんでいるから、証人のシャルルは命の危険があるらしい。これ以上くわしいことは、教えてもらえなかった。
 
 ただ、うちの国の王家は、本当に立派だから、うやむやにする気は一切ないと、総隊長さんとフェルトさんが断言してくれた。
 まだ、二十人以上行方不明になっている子供たちを、半年以内に全員無事に帰国させること。そして、犯人を全員引き渡すこと。この二つを実行しないのなら、開戦するぞって、正式にアイギス王国に宣言したそうだ。
 
 子供たちを見捨てることはできないけど、戦争なんて怖すぎる。
 わたしたちが青くなっていると、総隊長さんが心配いらないって、自信満々に請け負ってくれた。
 アイギス王国は、そんなに強い国ではないし、魔術そのものを切ってしまうネイラ様がいる以上、うちの国の王国騎士団には、絶対に勝てないのがわかっている。だから、アイギス王国の王様は、死に物狂いで事件を解決しようとするはずだって。
 
 そう、最強の騎士であり、最強の「覡〈げき〉」でもあるネイラ様は、どんな魔術であっても、魔術それ自体を斬り捨ててしまえるのだ。あの日、馬を降りたネイラ様が、転移しようとする馬車に近づいたのは、転移魔術を斬るためだったんだよ。
 そうとも知らず、どデカイ錠前なんて出してしまったわたし……。フェルトさんから教えられたわたしが、家までの帰り道、ずっと下を向いて羞恥に耐えていたのは、しかたのないことだろう。
 
 ひと通りの話が終わってから、総隊長さんが立派な封筒をお父さんに手渡した。今回のわたしの働きに対して、国からご褒美をもらえるそうで、その目録だって。
 後日、正式な授与式をしてくれるそうなので、照れるけれど、一家で出席することになった。総隊長やフェルトさん、守備隊の人たちも、それぞれにご褒美がもらえるらしい。皆んな、本当に一生懸命だったから、そのがんばりが報われるのはうれしい。
 
 そして、もう一通、わたしに直接手渡されたのは、王立学院からのお手紙だった。
 王立学院は、王城に隣接する場所に立っている、初等科から高等科までの総合学院だ。王族や貴族、特に優秀な平民だけが、少数精鋭で最高の教育を受ける。本当はちょっと憧れていたので、知っているのだ。
 慌てて中身を読むと、入学のお誘いだった。優秀な神霊術の使い手であるチェルニ・カペラを、特待生として迎えたいって!
 
「ネイラ様が、お嬢ちゃんの実力を高く評価しておられて、王立学院に推薦してくださったんだ。家を離れることには不安があるだろうが、考えてみてほしい。お嬢ちゃんには、それだけの価値があると、おれたちも思うからな」
 
 どうしてだろう。ネイラ様のことを話されると、わたしはそれだけで頭に血が上って、胸がどきどきするみたいだ。これって、何かの病気なのかな? わたしはまだ13歳の少女だから、今はまだ、何もわからないことにしておこう。
 
 お父さんやお母さんを振り返ると、複雑な顔をしながらも、しっかりとうなずいてくれた。お話を受けてもいいって、そういう合図だ。
 王立学院か。ただの高等学校なら迷うけど、王立学院なら話は別だ。せっかくのチャンス、生かすしかないじゃないか。
 もう直ぐやってくるらしい変化に、不安はいっぱいあるけれど、楽しみな気持ちの方がずっと大きい。だって、わたしの本当の冒険は、これから始まるんだから。
 
 
end......?
 

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