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連載小説 神霊術少女チェルニ 往復書簡 31通目

レフ・ティルグ・ネイラ様

 今、わたしが書いているのは、前に送った手紙の〈追伸〉です。一日に何回も手紙を書いているわけじゃなく、書き忘れた〈追伸〉を追加しているんです。わたしってば、うっかりしちゃったんですよ。ははは。(嘘です。本当は、単に手紙を書きたいだけです)

 まず、わたしの〈ヴェル様呼び〉ですが、ちょっと言い訳させてください。ヴェル様が、うちの家に来てくれたとき、お父さんとお母さんからは、ちゃんと説明を受けました。ネイラ様の執事さんで、オルソン子爵閣下なんだって。
 わたしは、十四歳にしては礼節を知る少女なので、最初は〈オルソン子爵様〉って呼ぼうとしました。身分の高い方だし、お父さんよりも年上だし、すっごく威厳があるし。どこからどう見ても、わたしが気軽にお話していい人じゃないと思ったんです。
 それなのに、肝心のヴェル様が、がんとして受け入れてくれないんですよ。〈オルソン子爵様〉って呼ぶことも、わたしを呼び捨てにすることも!

 わたしとヴェル様は、表面上はにこやかな顔をしたまま、熾烈しれつな戦いを繰り広げました。わたしとしては、〈オルソン子爵様〉がだめなら、せめてパヴェル様と呼ばせてほしかったのに、ヴェル様ってば、パヴェルと呼び捨てにしろっていうんですよ。それって、許されると思います?
 必死に抵抗して、お互いに歩み寄って、何とか〈ヴェル様〉に落ち着いたんです。苦しい戦いでした……。

 そして、ヴェル様の方は、わたしのことを〈お嬢様〉ですって。平民の十四歳の少女が、子爵様に〈お嬢様〉って呼ばれて、平気なわけがないですよね?
 わたしは、もちろん、チェルニって呼び捨てにしてほしいってお願いしたんですが、〈主の《お友達》を呼び捨てにはできない〉って抵抗されて、結局は〈チェルニちゃん〉で落ち着きました。本当に疲れました……。

 そうなんです。わたしは、今、ヴェル様から〈チェルニちゃん〉って呼ばれています。〈お嬢様〉だの〈チェルニ様〉だの、とんでもない呼ばれ方をすることと比較すると、非常に納得できます。そもそも、キュレルの街の人たちは、大抵はわたしのことを〈チェルニちゃん〉って呼んでくれますからね。

 お父さんは、苦笑いをしているだけで、特に何もいいませんでした。それって、大丈夫だということですか? ネイラ様から見て、ご自分の執事さんが〈ヴェル様〉って呼ばれ、平民の少女を〈チェルニちゃん〉って呼ぶことを、許容できますか? 無礼になったりしませんか?
 さすがのヴェル様も、ネイラ様に苦い顔をされたら、諦めてくれると思うので、不都合があったら、どうか教えてください。(ネイラ様への手紙も、もっとちゃんとした敬語にした方がいいですか?)

 そういえば、ネイラ様は、親しい人には〈レフ様〉って呼ばれてるんですか? 高位貴族の方たちって、お名前が短い気がして、ちょっと不思議です。(宰相閣下とか大臣方とか、お名前が新聞や本に載っているので、見たことがあるんです)

 呼び方はさておき、わたしとヴェル様は、すっかり仲良しになりました。スイシャク様とアマツ様も、ぴったりと側にいてくれるし、何の不安もありませんので、あまり心配しないでくださいね。ネイラ様のお陰で、わたしは元気です!

 では、また。次の手紙で、早々にお会いしましょうね。

     〈チェルニ様〉って呼ばれて、ちょっと鳥肌が立っちゃった、チェルニ・カペラより

追伸/
 初めて会ったとき、ネイラ様に〈お嬢さん〉って呼んでもらったのは、とっても素敵でした。何が違うんでしょうね?

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お嬢様というより、お嬢さんと呼びたくなる、チェルニ・カペラ様

 きみとパヴェルが、なぜ〈ヴェル様〉と〈チェルニちゃん〉なのか、よく理解できました。パヴェルが、きみに無理をいったのですね。普段のパヴェルからは、考えられないような言動に、とても驚いています。

 パヴェルの強引さについては、少々思うところもありますが、きみが不快でないのなら、〈仲良し〉でいてあげてください。無礼どころか、パヴェルは、きっと大喜びしているに違いないのです。
 パヴェルは、誰とでも上手く付き合う度量を持っている反面、そう簡単には、人に心を許さない男でもあります。かたくなというより、置かれた立場を理解しているからこそ、自分を律することができるのです。
 そのパヴェルが、きみを〈チェルニちゃん〉と呼び、自分を愛称で呼ばそうとする様子は、とても微笑ましいものです。パヴェルのことを、どうかよろしくお願いします。

 とはいえ、昨日今日、知り合ったばかりのパヴェルが、きみに愛称で呼ばれるというのは、少し釈然としない気がします。わたしのことも、愛称で呼んでほしいのですが、〈レフ〉という名前そのものが、一種の愛称のようなものなので、少し困っています。

 きみの賢察けんさつの通り、高位貴族の中には、個人の名前が短い人がいます。王族、または王家の血を引く者は、正式な名前ではなく、正式名を縮めた略称を名乗る場合が多いからです。別に、正式名は名乗ることが禁忌になっているわけではなく、一種の習慣だと考えていいでしょう。
 神事や重要な契約、あるいは相手より上の立場で発言するときは、正式な名を用います。したがって、普段は略称を呼んだり、呼ばれたりすることによって、逆に相手への敬意を表してきたのではないでしょうか。

 ルーラ王国の宰相閣下の御名前は、〈アルベルトス・ティグネルト・ロドニカ〉とおっしゃり、一般には〈アル〉と名乗っておられます。わたしの父は、〈エルネストロ・ティルグ・ネイラ〉といい、普段は〈エル〉と名乗ります。そして、わたしの正式な名は、〈レフヴォレフ〉というのです。

 きみに愛称で呼ばれたいと思っても、〈レフ〉以外には、あまり語呂ごろが良くありませんね。そして、きみの愛らしい名前も、愛称をつけにくいものではあります。
 とりあえず、わたしも〈チェルニちゃん〉と、きみを呼ばせてもらってかまいませんか? どうでしょう?

 ともあれ、事件の最中に、呼び名を気にしているきみを、とても頼もしく思います。また、次の手紙で会いましょうね。

     きみの母上のように、〈子猫ちゃん〉と呼ぶのは不可能な、レフ・ティルグ・ネイラ