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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 2-23

 クローゼ子爵家を追い詰めるために、ネイラ様と宰相閣下が罠を張っているらしい、作戦の三日目。すっかり秋っぽくなった肌寒い夜は、何事もなく静かにふけていった。
 
 静かっていっても、夜は大勢で集まって、お父さんのおいしいご飯を食べたし、王都の話もたくさん聞かせてもらった。王国騎士団の日常とか、神霊庁の仕事内容とか、宰相閣下のお人柄とか、コンラッド猊下げいかの武勇伝とか、〈黒夜こくや〉の人たちの活躍とか……。
 平民の十四歳の少女が耳にするには、問題のある内容ばっかりだったような気もするけど、とっても楽しい夜だったんだ。
 
 わたしが一番知りたかった、ネイラ様のことも、いろいろと教えてもらった。貴族同士の付き合いが嫌いで、王国騎士団の人には優しくて、神霊庁の人との関係も良好で、趣味は読書と乗馬で、婚約者や恋人はいなくて、動物が大好きなんだって。
 話を聞いているうちに、わたしが唇をむにむにしていたら、皆んなが楽しそうに笑ってたのは、どうしてなんだろう? いつものように、わたしの大好きなお父さんだけは、深刻な顔で髪の毛をかきむしってたけどね。
 
 夕食後のデザートに、お父さんの自信作のマロングラッセが出された頃には、ヴェル様と王国騎士団の人たちが、わたしには聞こえないくらいの声で、こそこそと話していた。
 
「しかし、こんな毎日を送っていて、よろしいのでしょうか。少々待遇が良すぎて、の方のお怒りが恐ろしゅうございます」
「リオネルのいう通りです。何かおっしゃっておられませんでしたか、オルソン子爵閣下? 閣下は毎日、ご報告を入れておられるのでしょう?」
「鏡を通してではありますが、我が主人にも、コンラッド猊下にも、ご報告申し上げておりますよ。そうでなくては、それこそ叱られてしまいますので」
「お怒りではございませんか? そもそも閣下など、お嬢様と愛称で呼び合っておられるのですから」
「いや、穏やかに微笑んで聞いておられますので、大丈夫でしょう。お手に触れようとしたときは、炎の御方の尊き翼にて、いさめられてしまいましたが」
「そう、それです。お嬢様のお側の御二柱おんふたはしらが、われらにお怒りではないのですから、心配は要らないでしょう」
「さすが、マルティノ大隊長。そうですね。そう考えれば、何とか気持ちが落ち着くというものです」
 
 よく聞き取れなかったから、会話に入っていけなかったけど、ヴェル様がいたずらっぽく片目をつむってくれたから、きっと大丈夫なんだろう。
 
 そして、秋晴れの青空が清々しい四日目のお昼頃。わたしが勉強をしていたら、スイシャク様が教えてくれた。クローゼ子爵として復帰したマチアスさんが、クローゼ子爵家のお屋敷に到着したよって。
 
 ヴェル様とわたしは、早速、雀たちの視界につないでもらった。スイシャク様の羽根のおかげで、今はヴェル様もうっすらと視界を共有できるから、本当に助かるよ。
 わたしたちが見たのは、マチアスさんが、お屋敷の正門前に立ったときだったんだけど、そこにいたのは、当のマチアスさん一人だった。貴族の人だったら、従者とかお付きの人を連れているのが当たり前なのに、一人っきり。艶々した黒毛の馬のくらに乗せた、小さな包みだけが、マチアスさんの持ち物のすべてだったんだ。
 
 わたしは、前に読んだことのある小説の文章を、不意に思い出した。戦争に行く前に、荷造りをしていた主人公が、友達に打ち明ける。〈困ったな。荷物は最小限にしたいのに、何を置いていけばいいのかわからない。生きることに未練があるから、荷物も捨てられないんだな〉って。
 だったら、お供の人も連れず、小さな包みひとつを持って、家族がいるはずの家に戻ってきたマチアスさんは、生きることに未練があるんだろうか……。
 
 マチアスさんは、フェルトさんのお祖父さんだから、もうかなりの年配になる。それなのに、長身でがっしりとした身体も、すっと伸びた背中も、フェルトさんと同じ栗色の髪の毛も、すごく若々しい。顔も整っていて、フェルトさんにとっても似ている。
 いろいろいわれてるけど、亡くなったクルトさんは、確かにマチアスさんの息子で、フェルトさんは孫なんだろう。
 
 正門前のマチアスさんは、すぐには人を呼ばなかった。門番の人は、さすがにマチアスさんが誰かわかるみたいで、いろいろと話しかけるんだけど、マチアスさんはまったく返事をしようとしない。
 無視するとかじゃなくて、マチアスさんは、厳しい顔をしてじっと門を見つめているんだ。神霊さんからの〈縁切り状〉が、相変わらず門扉もんぴいっぱいに貼られている、〈神去かんさり〉の扉を。
 
 神霊さんからの〈縁切り状〉は、人の目では見ることはできない。マチアスさんも、視点が定まっていないから、〈縁切り状〉そのものが見えているわけじゃないんだろう。
 ただ、何となく神霊さんの怒りや悲しみを感じて、マチアスさん自身も悲しんでいるような気がする。マチアスさんが、すごい神霊術の使い手だっていうのは、きっと本当のことなんだろう。
 
 そして、ほんの数日、わたしたちが見ていない間に、扉の〈縁切り状〉はすっかり様変さまがわりしていた。
 以前は、百枚くらいの白い紙が貼られていて、〈印剥奪 遺棄〉とか、〈印剥奪 義絶〉とか書かれていた。それが今、三倍以上の大きさで、灰色の縁取ふちどりのある白い紙が二枚、さらにその上から貼られているんだ。
 
 気配りのできる雀が、門に近づいてくれたから、わたしにも白い紙に書かれた文字が見えた。ヴェル様は、何か書いてあるのはわかるんだけど、文字として認識できないから、当然、読み取ることもできないらしい。
 うん。読めなくっても、ちっとも困らないと思うし、わたしも読みたくなかったよ。大きな白い紙には、こんなふうに書かれていたんだ。
 
三岐みまた四岐よまた鬼成きなりにして 乱倫らんりんの罪深き没義道もぎどうの者 徒刑とけい相当  □□□□□□□〉
 
瞋恚しんに 懶惰らんだ 増上慢ぞうじょうまん 嗜虐しぎゃく 己が罪業罪業の深さを知らず 非道を謀りし悪逆あくぎゃくの者 流刑るけい相当  □□□□〉
 
 文字としては読めるし、だいたいの意味はわかるんだけど、わたしにはやっぱりむずかしい。必死で解読していたら、スイシャク様がそっと教えてくれたんだ。
 〈鬼成きなり〉になっても反省せず、胸元から生えた蛇の数まで増やしちゃったカリナさんは、強制的に働かされる〈徒刑〉っていう罰に相当する。わたしたちの殺害まで計画しているクローゼ子爵たちは、罪人の土地に流される〈流刑〉に相当するって、神霊さんたちが判断したんだって。
 今はまだ、刑罰は確定していないから、〈相当〉っていう文字が入っているらしい。そして、〈徒刑〉も〈流刑〉も、人が考える刑罰と同じものじゃないらしい。
 
 もしも、神霊さんたちの与える刑罰が確定したら、カリナさんは、どんなことをして働かされて、クローゼ子爵たちは、どこへ流されていくのか。少しだけ知りたい気もするけど、あまりにも怖すぎるから、考えないようにしよう。そうしよう。
 
 わたしが、スイシャク様をぎゅうぎゅうに抱っこし、アマツ様に頬ずりしてもらって、怖さをまぎらわせている間に、厳しい顔をしていたマチアスさんは、ようやく門番の人に返事をした。そして、黒毛の馬に乗ったまま、クローゼ子爵家に入っていく。
 
 フェルトさんとアリアナお姉ちゃんの婚約話から始まった、クローゼ子爵家の騒動は、これでやっと、ほとんどの登場人物が揃ったのかもしれないんだ。
 
     ◆
 
 クローゼ子爵家のお屋敷に入ったマチアスさんを、真っ先に出迎えたのは、急いでやってきた使者Aだった。使者Aは、右手を胸に当て、とっても丁寧に頭を下げてから、マチアスさんにいった。
 
「お帰りなさいませ、クローゼ子爵閣下。お待ち申し上げておりました」
「ロマンか。久しいな。変わりはないか?」
「おかげさまで、何とか。その、前クローゼ子爵閣下からは、ご指示をいただいておりませんので、まだ閣下のお部屋のご用意が整っておりません。どの部屋をお使いになられますか? この屋敷にお戻りいただいたと考えて、よろしいのでございましょう?」
「クローゼ子爵位に復帰した以上、屋敷に戻って家長の任を果たせと、宰相閣下から直々にお叱りを賜った。今さら、処罰など恐ろしくはないが、あの御方には、いろいろとお気遣いいただいたのでな。仕方なく、最後の義務を果たしに戻った」
「それは、ようございました。もう何十年も、死んだように生きてこられた旦那様ですから、最後くらいは、多少の気概きがいを見せていただきたいものですな」
 
 使者Aの言葉に、マチアスさんは、目を見開いて固まった。当然だよね。わたしが聞いてもわかるくらい、使者Aのいい分は、ものすごく失礼だったから。大丈夫かな、使者A? 不敬罪とかになったりしないかな?
 わたしは、ちょっとだけ心配になったんだけど、マチアスさんは怒らなかった。むしろ、フェルトさんと同じ琥珀こはく色の瞳を輝かせて、おもしろそうに笑ったんだ。さっきまでの暗くくすんだ顔色じゃなくて、一気に二十歳くらい若くなったみたいな、明るい笑顔だった。
 
「はは。こんなに笑ったのは、二十年ぶりかもしれんぞ、ロマン。一体どうしたんだ? それほどはっきりとものをいう男だったか、おまえ?」
「閣下が、最後にまともに話を聞いてくださったのは、クルト様がお亡くなりになる直前でした。あれから二十年以上経っておりますので、前途洋々ぜんとようようたる青年も、恐れを知らない古狸になりましょう。それに……」
 
 そこで口をつぐんで、使者Aは、さり気なくマチアスさんに近づいた。そして、手に持ったままの小さな荷物を預かる仕草をしながら、素早くささやいたんだ。〈わたしはもう、命を捨てる覚悟ですので〉って。
 
 マチアスさんの反応は、さすがだった。ちょっと離れたところに立っている護衛騎士たちが、聞き耳を立てているって、すぐにわかったんだろう。顔色一つ変えずに、使者Aの肩を叩くと、こういったんだ。
 
「昔馴染みの相手は、やはり気が楽だな。おまえの父親も、気のおけない男だった。よろしい。ここは、親子二代で侍従を務めてもらうとしよう。まずは、愚息ぐそくの元へ案内してくれ。このクローゼ子爵家の家内かないでも、当主の交代をせねばならんのでな」
 
 マチアスさんは、使者Aに先導されるまま、いつもクローゼ子爵たちが使っている、あの応接室に入っていった。現在の当主で、自分たちの父親が戻ってきたのに、誰も出迎えもせず、応接室で待っているって、どういうこと?
 でも、応接室にずらりと勢揃いしている、クローゼ子爵家の人たちの顔を見たら、そうだろうなって思ったんだ。
 
 もう先代になったクローゼ子爵、たしか名前はオルトさんだったから、もうオルトさんでいいや。そのオルトさんは、〈神座かみざ〉を背にしたひじ掛け椅子に座ったまま、さげすみのこもった視線で、マチアスさんを睨んでいた。弟のナリスさんは、片方の唇を吊り上げた、嫌味な笑顔を浮かべながら、冷たい目でマチアスさんを見ていた。オルトさんの息子のアレンさんは、軽蔑の気持ちを隠しもせずに、祖父であるマチアスさんを威嚇いかくしていた。ミランさんは、表面上は友好的な笑顔になっていたけど、目は全然笑っていなかった。
 胸元から生えた四匹の蛇を、うねうねうねうね、すごい勢いでのたうち回らせたカリナさんは、鬼みたいな顔になって、マチアスさんを見つめていた。そして、奥さんである〈毒念〉のエリナさんは、マチアスさんが部屋に入ってくるや否や、すごい勢いで罵倒ばとうし始めたんだ。
 
「よくも、おめおめとこの屋敷に足を踏み入れたものね。平民上がりの下賤げせんな成り上がり者が。おまえごときが、クローゼ子爵を名乗るなんて、許されるものですか。オルトが成人するまでは、仕方なく譲歩しただけなのに、息子の地位を……」
 
 このあたりで、わたしの耳には、何も聞こえなくなった。エリナさんは、ずっと叫び続けてるんだけど、教育熱心なスイシャク様は、少女の成長のためにならない言葉は、さっさと切り捨ててくれるんだ。
 横で聞いているヴェル様は、うんざりした顔で眉間を指で揉んでいるから、後で濃い紅茶と一緒に、お父さんのマロングラッセを持ってきてあげよう。
 
 しばらくの間、黙ってエリナさんの罵倒を聞いていたマチアスさんは、自分の両手を大きく打ち鳴らして、エリナさんを黙らせたみたい。スイシャク様が、もう一度声を聞かせてくれたのは、ちょうどマチアスさんが話し始めたところだった。
 
「エリナの戯言ざれごとなど、聞くだけ時間の無駄だ。まともに話し合う気がないのなら、わたしはこの足で王城に出向き、クローゼ子爵家の血筋の断絶を伝える。今の当主はわたしなのだから、簡単な話だ。早速、代わりの当主を王城で選んでくださるよう、宰相閣下に願い出るとしよう。それでいいか、オルト」
 
 そういわれたオルトさんは、憎しみのこもった目で、父親であるはずのマチアスさんを睨みつけたんだけど、さすがに理性が働いたらしい。部屋の隅に待機していた、護衛っぽい人たちに向かって、何日か前と同じ命令を出したんだ。
 
「母上とカリナを、部屋に下がらせろ」
「ちょっと、お父様。どうして、わたくしまで、出されなくてはいけせんの!」
「オルト、この親不孝者! 下賤な男のいうままに、この母に無礼を働くなんて、許しませんよ!」
煩いうるさい! 今は、この男が当主だと、王城が決めたのだ。おまえたちのようにわめいているだけでは、何も先に進まない。部屋にこもって、小姓でも侍女でも、好きにもてあそんでいるんだな。これ以上、くだらない手間をかけさせるのなら、わたしにも考えがあるからな、母上、カリナ」
 
 オルトさんのあまりの剣幕に、エリナさんもカリナさんも、さすがに怖くなったみたい。二人が、ぴたっと口を閉じたのを見て、オルトさんは、マチアスさんにいった。
 
「さあ、これでいいでしょう。進めるべき話とは、何ですかな、クローゼ子爵閣下?」
「一族そろって〈神去かんさり〉になったというのは、事実なのか、オルト?」
「まあ、そうですね」
「何をやった? 一族そろって〈神去り〉など、そうそう起こることではないぞ。心当たりがあるんだろう?」
「さあ、別に。神霊など、気まぐれなものですからね。何か気に触ることがあったのでしょう。それだけですよ」
「……。宰相閣下は、わたしを当主に復帰させ、十日のうちに今後の方針を決めるようにとの仰せだった。〈神去り〉でない直系の者を後継に選ぶか、王城の選定した者を養子に迎えるか。おまえたちは、どうするつもりだ?」
「仕方がないので、クルトの息子を呼び戻して、カリナと婚姻を結ばせますよ。簡単な話なので、閣下はお気になさらず、お好きなところで気楽に暮らしてくださって結構ですよ。今までと同じように」
「しかし、フェルトには、はっきりと断られたのだろう? 法理院から、わたしの元に確認が入ったぞ。不審な養子縁組と婚姻の届が出されたことを、現当主は把握しているのか、とな。ルーラ王国の法理院は、なかなかに周到だな。クローゼ子爵家が、目をつけられているだけかもしれんが」
 
 おお! すごいな、法理院。マチアスさんの言葉に、オルトさんは、一瞬、ものすごく不機嫌な顔をして黙り込んだ。もっとも、すぐに気を取り直したみたいで、うすら笑いを浮かべながら、マチアスさんに反論したけどね。
 
「心配には及びませんよ、閣下。いや、父上とお呼びしても構いませんけれど。フェルトは、降って湧いた幸運に、気後れしているだけのことです。数日のうちには、わたしたちの指示通りに動くようになりますよ、父上」
「クルトとサリーナの息子が、そんな軟弱者とは思えないがな。まあ、いい。今後、わたしはこの屋敷に留まるので、逐一ちくいち報告するように」
 
 そういわれたオルトさんは、冷たい蛇みたいな笑顔になった。ナリスさんやアレンさん、ミランさんも、同じような表情で笑った。そして、オルトさんは、こういったんだ。
 
「これはこれは。宰相に何をいわれたのかは存じませんが、あまり増長なさらない方がいいのではありませんか、父上? 今までがそうであったように、あなたは黙って命令を聞いていればいいのです。誓文せいもんをお忘れではないでしょう。口出しが過ぎると、あの方がお怒りになりますよ? 前王弟殿下のご子息、ルーラ王国で唯一の大公殿下にして、わたしとナリスの本当の父君が」
 
 大公殿下。その言葉が出た途端の、ヴェル様の表情は、十四歳の少女が直視していいものじゃなかったと思う。ネイラ様たちが罠にかけようとしている、本当の相手って、もしかして大公殿下のことなんだろうか? そして、王弟殿下って、まさか、気の毒なお姫様のお父さんだった、あの王弟殿下?
 クローゼ子爵家の騒動は、急転直下、すごい勢いで物事が動き出しているみたいだった……。
 

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