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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 3-2

 わたしが受験する王立学院では、六科目の学科試験の他に、実際に神霊術を使う実技試験がある。学科と実技の合計で、合格者を決めるわけじゃなく、実技はあくまでも〈参考〉らしいんだけど。
 わたしと文通してくれている、ネイラ様の説明によると、勉強は得意ではないけど、神霊術に素晴らしい才能を持っている生徒のために、実技が組まれているんだって。ルーラ王国で最高の教育機関である王立学院が、神霊術の才能を見逃すっていうのは、あんまり外聞のいいことじゃないんだろう。
 
 そのあたりの事情は、別に秘密じゃないから、校長先生が王立学院に質問して、だいたいの目安を調べてくれたんだ。それによると、王立学院は一学年の定員が約二百人で、内部進学する貴族の子たちと、その関係者が、毎年百二十人くらいいるから、一般の入試合格者は約八十人になる。このうちの九割にあたる七十人前後を、学科の点数で選抜して、残りの一割を実技の点数だけで選ぶらしい。
 何となく、実技だけの合格者が少ない気がするけど、学科ができて神霊術も得意な生徒も多いんだから、ちょうどいいのかもしれない。学科のできる子は、神霊術で選ばれた、いわば〈特別枠〉じゃなく、一般枠の合格になるそうだからね。
 
 ネイラ様は、前にわたしに書いてくれた手紙の中で、自分の入試のとき、〈炎の神霊を呼び出して、王立学院の校舎を丸ごと燃やしてしまった〉って、こっそりと教えてくれた。ネイラ様にとっては、〈苛々した気持ちを発散させるために、神霊の力を借りた〉のは、ものすごく恥ずかしいことだったらしいよ。
 
 ネイラ様が、入試で炎の神霊術を使ったんだって、知っているけど知らないふりをして、わたしは、大好きなおじいちゃんの校長先生に質問した。
 
「ネイラ様の神霊術は、どんなものだったんですか、校長先生?」
「ネイラ様が、炎を司るご神霊から印をもらっておられることは、有名じゃろう? 入試の日、周りが止めるのも聞かず、ネイラ様にまとわりついた愚か者たちがおったそうでの。お怒りになったネイラ様が、王立学院のすべてを燃やしてしまわれたのじゃ」
「すべて?」
「そう、すべてじゃ。広大な敷地から巨大な校舎、そこにいた人々まで、本当にすべてを、 ご神霊の業火で燃やしてしまわれたそうじゃ。そこから立ち上る巨大な炎は、天を突くばかりの激しさで、王都のどこからでも見えたほどだと、語り草になっておるなぁ」
 
 うわぁ……。改めて聞くと、わたしが想像していたよりも、はるかにすさまじいよ。王都のどこからでも見えるほどの炎って、神霊術で作り出せるものなの? 神霊さんの境界けいかい内で燃やす炎や、人の目には見えない霊的な炎ならともかく、この現世うつしよで、誰にでも見える炎なんだよ?
 
「えっと、燃やされちゃった校舎や人間は、大丈夫だったんですか?」
「校舎や物品や地面には、何の変化もなかった。はっきりと目に見えるのに、実際には焼かれることのない、幻の炎だったからの。しかし、人間の方は、全員が大丈夫というわけではなかったらしい」
「え? まさか、火傷とかしたんですか?」
「身体の方は、誰も問題はなかった。しかし、ご神霊のきよめの業火で燃やされたので、精神的に影響の出た者も、少なくはなかったと聞いておるよ。たとえば、当時、ネイラ様の婚約者になろうとして、熾烈しれつな戦いを繰り広げておった令嬢たちは、二度とネイラ様の近くには寄れなかったそうじゃ。比喩ではなく、物理的な距離として」
 
 ネイラ様のことを、すっ、好きになっちゃってるって、自覚したばっかりのわたしには、複雑な気持ちになる話だったけど、何も知らない校長先生は、丁寧に教えてくれた。
 高位貴族の跡取りで、知る人ぞ知る〈神威しんいげき〉で、どう見たって素敵なネイラ様だから、婚約の希望は山ほどあったんだと思う。でも、ネイラ様については、神霊庁が〈一切の干渉を禁ずる〉って、強硬に命令していて、実際に申し込むことは、王家にだってできない。唯一の可能性として、ネイラ様本人に、相手の女の人を気に入ってもらうしかなかったんだ。
 
 高等部になるまでは、男女は別々の校舎で学んでいて、接点は作れなかったし、貴族的な付き合いをしないネイラ様とは、顔を合わせる機会もなかったそうだから、王立学院への進学は、最大の好機だったんじゃないかな?
 そして、初めてネイラ様の近くに行けた入試会場で、皆んな頑張り過ぎちゃって、いきなり神霊さんの業火に焼かれた、と。わたしの、すっ、好きな人だけど、やってることは結構ひどいんじゃないかな、ネイラ様。
 
「それ以降、何人もの令嬢が、家に引きこもったり、怖がって別の高等学校に移籍したり、ネイラ様の姿を見るだけで気絶したりしてなぁ。王立学院の在学中、普通に話しかけることのできるものは、ほとんどいなかったそうじゃ。令嬢だけでなく、貴族の子息たちも同じような様子で、王立学院の教師に至っては、入試直後に職を辞したものまでおったらしい。そして、ご神霊の業火に焼かれている間、何を見たのかと聞いても、ついに誰も一言も話さなかったと聞いておるよ」
 
 ネイラ様ってば! 手紙では、〈ちょっとやり過ぎてしまいました〉っていう感じで、軽く書いていたけど、めちゃくちゃ大事おおごとになってるよ!
 
 でも、どうしてそんなことになっちゃったのか、何となくわかる気はする。いつも優しくて、穏やかなネイラ様だけど、その本質は〈神威の覡〉だからね。人っていうよりは、やっぱり神霊さんに近い存在なんじゃないかな。
 
 わたしが思い出したのは、ネイラ様の視線を浴びただけで、激しい業火に燃え上がった、大公たちの姿だった。あのとき、ネイラ様は別に怒っていなかったし、大公たちを罰する意図さえなかったと思う。ただ、ネイラ様の〈神威〉は、けがれた罪人たちには、一瞬たりとも耐えられないものだったんだ。
 そのネイラ様が、我慢の限界を超えて、本気で怒っちゃって、業火で周囲を焼き尽くそうとしたら……。うん。物理的な被害が出なくて、本当に良かったよ……。
 
 皆んなに怖がられたネイラ様の気持ちを考えると、ちょっと胸が痛んだけど、ネイラ様自身は、多分、あんまり気にしていない気がする。だから、わたしは、何とか気持ちを立て直して、校長先生に質問してみた。
 
「えっと、そんなすごい神霊術を使ったネイラ様は、その年の入試で、最高の点を取ったんですか?」
「それがな、点数は出なかったんじゃよ、サクラっ娘。ネイラ様の炎を浴びて、その場で失神した生徒も多かったので、神霊術の実技としては失格になった。人を傷つける神霊術は、入試では禁止されておるからの」
「あぁ。そりゃあ、そうですよね」
「サクラっ娘も、強い神霊術を使えるからこそ、気を付けねばならんぞ。入試の際には、五百人近い受験生が集まってくる。なかには、からんでくるものがおらんとも限らんが、短気を起こしてはいかんからな?」
「大丈夫ですって、校長先生。わたしは、温厚な性格ですから!」
 
 校長先生と担任の先生は、微妙な表情を浮かべて、お互いに顔を見合わせた。あれ? どういうこと? わたしなんて、めったに怒らないような、温厚な少女なんだよ?
 
「それはさておき、披露する神霊術は、先に決めておいた方が良いのではないか? 当日、腹の立つことがあったとしても、王立学院の校舎を水浸みずびたしにしたり、氷漬けにしたり、砂塗すなまみれにしたり、荊棘いばらで埋め尽くしたりせんようにな」
「……しませんってば、さすがに」
「約束してね、カペラさん。鎖でぐるぐる巻きにした上で、大きな錠前じょうまえをかけたりするのもだめよ?」
 
 あれ? どうしてだろう。話の規模は違うけど、何となく、ネイラ様の実技試験をイメージされているような気がする。すっ、好きな人とは、感性が似てくるとか? えへへ。
 
 それから、わたしが使える神霊術を再確認して、いろいろと相談しているうちに、先生たちが授業に行く時間になった。入試で使う神霊術について、いくつか候補は決まったから、その中から、私が自由に選べばいいって。生徒の自主性を尊重してくれる、素晴らしい教育者なんだ、うちの先生たちは。
 
 町立学校からの帰り道、とぼとぼ、とぼとぼと歩きながら、やっぱりわたしは悩んでいた。入試で使う神霊術について、ネイラ様にも相談したいけど、何となく手紙が書きにくいんだよ。
 ネイラ様は、いつも優しくしてくれて、わたしのことを〈友達〉だって書いてくれた。そのネイラ様に、わたしが一方的に、こっ、恋をしているのって、裏切りにならないんだろうか? 親しくなるための文通も、このまま続けていいんだろうか?
 でも、わたしとは身分違いのネイラ様だから、今の文通をやめたら、本当に何の接点もなくなっちゃう。そんなこと、想像するだけで悲しくて、涙が止まらないよ……。
 
 泣き顔が人の目に触れないように、下を向いて歩いているうちに、家にたどり着いた。皆んなを心配させないように、頑張って笑顔を作って、いつもみたいに元気よく家に入ると、お母さんとお姉ちゃんが待っていた。もうちょっとしたら、〈大変なお客様〉が来るんだって。
 
 うちって、いつの間にか、わりと〈大変なお客様〉が来る家になっちゃってるよね。今度は、誰なんだろう?
 
     ◆
 
 わたしの大好きなお母さんは、エメラルドみたいな瞳をきらきらさせて、白くて綺麗な手を振り回した。
 
「急だけど、今日、おたずねできるだろうかって、サリーナさんからお問い合わせがあったの。もちろん、了承のお返事をしたので、もうすぐお客様がお見えになるわよ。楽しみね、子兎ちゃん」
「サリーナさんって、フェルトさんのお母さんの名前だよね? ということは、今から来るお客様って、フェルトさんの関係者なの? フェルトさんは知ってるの?」
「フェルトさんには、サリーナさんから知らせているから、お仕事が終わったら、うちに来てくれることになったわ。総隊長さんもご一緒よ」
「へぇ。お姉ちゃんは、どんなお客様か知ってるの?」
「ええ。お母さんに教えてもらって、とても驚いたわ。チェルニも、きっとびっくりするんじゃないかしら?」
「そうなんだ。楽しみだね。で、誰が来るの、お母さん?」
「手を洗って、着替えてきたら、教えてあげるわね。お洋服は、あのドレスにしましょう。王都のお店で買った、素敵なグレーのドレス。着てくれるでしょう、チェルニ?」
「ああ。〈花と夢の乙女たち〉っていうお店で、お母さんが買ってくれたやつね。いいんだけど、ずいぶん改まった感じなんだね。お姉ちゃんも着替えるの?」
「わたしも、お母さんが王都で買ってくれた、紫色のドレスに着替えるわ。すごく恥ずかしいけど、お母さんのお勧めなら、間違いはないから」
「あのドレス、すっごく上品で、びっくりするくらいお姉ちゃんに似合ってるよ! フェルトさんも来るんだったら、大喜びすると思うよ? そういえば、わたし、いつまでフェルトさんって呼べばいい? もう、お兄ちゃんって呼んでもいいと思う?」
「さあさあ、着替えていらっしゃい、二人とも。お母さんも用意するし、お父さんもすぐに戻ってくれますからね。皆んなで綺麗にして、お客様をお待ちしましょうね」
 
 お母さんに背中を押されて、わたしとはお姉ちゃんは、着替えをしに部屋に戻った。町立学校の制服を脱いで、クローゼットからグレーのドレスを取り出す。上品な光沢のある生地で、えりそでの白いレースがとっても可愛い。
 鏡に向かって髪をとかしてから、わたしは紅いリボンの髪留めを取り出した。ネイラ様からの贈り物にかかっていた、紅いリボン。ネイラ様にもらったものは、何ひとつ捨てたくなくて、お姉ちゃんに相談したら、リボンの形の髪留めにしてくれたんだ。
 
 顔の両側の髪を、くるくるってねじって、それぞれに紅いリボンの髪留めをつけた。鏡の中のわたしは、嬉しいのか悲しいのか、自分でもよくわからない顔をしている。頼りないといえば頼りなくて、あんまりわたしらしくない表情だったけど、いつもよりは大人っぽく見えるような気がした。
 親しい女友達から、〈永遠の思春期未満〉って揶揄からかわれていた、わたしチェルニ・カペラは、ネイラ様に、こっ、恋をして、ついに思春期に突入しちゃったのかもしれないよ。
 
 しばらくすると、お母さんが部屋まで呼びにきてくれた。若くて美人のお母さんは、臙脂えんじ色のドレスを着ていて、とっても綺麗だった。落ち着いた色なのに、すごく華やかに見える。
 そして、一緒に呼ばれたお姉ちゃんは、それはもう、目が覚めるほど美しかった。黒いレースが、ほっそりとした白い首筋に透けているところなんて、妹のわたしが見ても息が止まりそうだったよ。
 お姉ちゃんってば、蜃気楼を司る神霊さんに、偽装を解いてもらったりしてないよね? 思わず、神霊術の気配を探っちゃったくらい、恋をしているお姉ちゃんは、本当に本当に綺麗だった。
 
「ねえ、お母さん。大変なお客様が誰なのか、先に教えてくれない? わたしにも、心の準備があるからさ」
「いいわよ、子犬ちゃん。今日のお客様は、フェルトさんのお祖父様とお祖母様に当たる方々なのよ」
 
 おぉ! フェルトさんのお祖父さんとお祖母さんが、うちに来てくれたんだね! とっても嬉しい……って、待って、待って! フェルトさんのお祖父さんとお祖母さんって、もしかして、あのマチアスさんとお姫様じゃないの?
 
 ぎょっとして、お母さんに確かめようと思ったときには、もう応接室の入り口だった。うちの家は、それなりに大きいんだけど、貴族のお屋敷とは比べものにならないから、すぐに着いちゃうんだよ。
 応接間の中には、誰がいるのか、どきどきしながら、お母さんとお姉ちゃんの後ろについて、そっと入っていった。
 
 向かい合った長椅子の一方には、フェルトさんとお母さんのサリーナさんが座っていた。左右に置いてある一人掛けの椅子には、お父さんと守備隊の総隊長さんが、それぞれ腰掛けている。
 そして、そして。フェルトさんたちの向かい側の長椅子、神霊さんをおまつりする〈神座かみざ〉を背にした席には、二人の男女が座っていた。一人は、年齢を感じさせないほどたくましくて、堂々とした風格を漂わせている初老の騎士さん。もう一人は、お祖母さんなんていえないくらい若々しくて、とっても上品で、優雅で、口元のしわさえ魅力的な、綺麗な綺麗な女の人……。
 やっぱり、マチアスさんと、お姫様だよ! 雀たちの視界を通した姿じゃない、本物の二人だよ!
 
 わたしたちは、お父さんにいわれるまま、マチアスさんとお姫様に向かって、丁寧にご挨拶をした。
 
「お初にお目もじ叶いまして、光栄に存じます。わたくしは、アリアナ・カペラと申します。平民の礼儀しか知らない、至らぬ者ではございますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます」
「わたしは、チェルニ・カペラ、十四歳です。お目にかかれて嬉しいです。どうかよろしくお願いいたします」
 
 そういって、深々と頭を下げたわたしたちに、マチアスさんは、優しく笑いかけて、椅子を勧めてくれた。
 
「ご丁寧な挨拶を、どうもありがとう、お嬢さん方。お二人にお目にかかれて、わたしこそ光栄です。どうか、座ってください。わたしたちは、皆さんにお話とお願い事があって、お訪ねしたのです」
 
 マチアスさんの声には、張りと深みがあって、無条件で人を従わせることができそうなくらい、力強かった。これは、あれだ。歴史小説に書いてあった、〈大軍を指揮するに足る英雄の声〉っていうのじゃないかな?
 一方、マチアスさんに寄り添うように座っているお姫様は、瞳をきらきら輝かせて、口を開いたんだ。
 
「まあまあ、まあまあまあまあ。話に聞いていた通り、なんて可憐で愛らしいお嬢さん方なのかしら! お姉様のアリアナさんのことは、オルソン猊下げいかの鏡を通して、拝見しているのよ。あのときのアリアナさんは、凛々しくて、毅然としていて、わたくし、感動してしまいました。少年の服を着ていらしたから、物語に出てくる王子のようで、とても素敵だったわ。ルーラ王国の王子様方はまだしも、他国の王子方ともなると、どうしようもない方々が多いでしょう? 特に、わたくしが嫁がされた、ヨアニヤ王国の王子たちなんて、馬鹿と怠け者と人格破綻者と浮気者と軟弱者ばかりですもの。アリアナさんみたいな王子様は、国中を探してもいなかったわね。それに、今着ていらっしゃるドレスも、本当にお似合いよ。上品で優雅で、ため息が出そう。ルーラ王国の社交界を見回しても、アリアナさんに肩を並べることのできる令嬢は、いらっしゃらないのではないかしら? 本当に、フェルトと結婚してくださるの、アリアナさん? あなたなら、どんな大貴族でも大富豪でも、何なら王族でも、膝を折って求婚するのではないかしら。まあ、いいのね、それでも? 嬉しいわ。下のお嬢さんも、なんて愛らしいのかしら。美しいだけではなくて、大いなる才能と強い意志の力を持っていることは、ひと目でわかりますよ。今は清らかなつぼみだけれど、もう三年もしたら、大輪の花になるわね。ねえ、そう思わない、マチアス? 思うのね。思うのはいいけれど、どうして笑いをこらえたような顔になるのかしら? ねえ?」
 
 ものすごい早口なのに、すごく聞き取りやすい口調で、お姫様は一気にいい切った。実際に、目の前で聞いていると、あまりの勢いと圧力に、くらくらしそうだよ。
 
 えっと、お二人がうちに来た目的って、なんだったっけ……?
 

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