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フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 4-12

04 アマーロ 悲しみは訪れる|12 発見

 その頃、儀式の間では、緊張と興奮が最高潮に達しようとしていた。四つの正三角形が赤い光線を描いて完成したとき、ゲーナの足元の聖紫石は、真紅に変色して強く発光した。ダニエは必死に興奮を押し殺しながら、儀式の間にいる賓客ひんきゃくに告げた。

「成功致しました。召喚対象を確保し、魔術陣の中に固定致しました。これから、儀式の間に召喚する為の術式に移ります。この世と異なる次元、異なる界の存在が、遂に証明されようとしているのでございます。有史以来の大発見、夢物語が現実に変わる正にその瞬間を、皆様に御覧に入れましょう。召喚対象を固定した状態のまま、幾つかの次元の壁を超えさえ致しましたら、召喚魔術の成功はもう目前でございます」

 息を呑んで儀式を見守っていた賓客達は、大きくどよめいた。ダニエの言葉の通り、有史以来一度として実現したことがなく、考え付く者さえ稀であった大魔術は、佳境に差し掛かろうとしていた。異次元からの召喚魔術という奇跡は、既に工程の半ばを超えたのである。ダニエの後ろに控える魔術師達も、十二芒星を描いている魔術師達も、普段は冷静な顔を興奮に紅潮させて、ゲーナの一挙手一投足を見守った。

 儀式の間に集まった者達は、無意識の内に成功を確信していた。召喚魔術の術式を組み上げたのはダニエだったが、実際に術を行使しているのは、魔術師団長であるゲーナ・テルミンである。千年に一人の天才と呼ばれる、歴史上並ぶ者の居ない魔力を有し、およそ魔術に失敗したことも、術の行使に苦労したこともない大魔術師である。ゲーナが魔術師団長の地位に就いてから百年以上、連綿と積み重ねられてきた栄光の歴史が、誰の胸にも刻み込まれていたのだった。

 ところが、成功の予感に沸き立つ空間の中、それまで不動の姿勢を貫いていたゲーナに、初めて変化の兆しが現れた。ゲーナの秀でた額に一筋の汗が流れたかと思うや否や、大きく上半身を揺らめかせたのである。初めて目にする光景に、先程とは別のどよめきが、儀式の間の空気を大きく掻き乱した。ダニエは、慌てて背後の魔術師を振り返った。

「魔術師団長の魔力は、どの程度残っている。ぐに確認せよ」

 背後の魔術師は、儀式の開始からずっと半透明の白輝石を掲げ持っていた。特殊な術式を刻み込まれた白輝石は、ゲーナの魔力残量を測る役割を担っていたのである。ダニエの切迫した問い掛けに、魔術師は一気に顔色を失い、白輝石に浮かび上がった記号を見詰めながら答えた。

「召喚対象を捜索し、確保するまでの工程では、全魔力量の三分の一も減っておりませんでした。しかし、先程は次元の壁を一つ超える為だけに、三分の一を使われました。魔術師団長閣下が残しておられる魔力は、全体の三分の一程でございます」
「何ということだ。何故、次元の壁一つを越えるのに、それ程の魔力が必要なのだ。召喚対象を見付けるまでにも、幾つもの次元の壁を超えていたはずではないか。行きと帰り、何が違うと言うのだ。まさか、召喚対象の存在が膨大な負荷となっているのか。いや、い。私が直接視る」

 そう言って、ダニエは右手の聖紫石を再び握り締め、先程よりも強く魔力を流し込んだ。ダニエの緑色の魔力が、輝きを放ちながら聖紫石に吸い込まれ、ダニエとゲーナの意識を同調させる。その途端、ダニエは苦しそうにうめいた。

「重い。この重さは何だ。一人の人間がこれだけの質量を有しているなど、とても考えられない。この召喚対象は、あり得ない程の魔力を持っているとでもいうのか。それとも、実体のある人間を伴って次元を超える為には、計算した以上に膨大な魔力が要るのか。どちらにしろ、重過ぎる。こんなものは、誰にも耐えられる筈がない」

 半ば悲鳴のような声を上げたダニエは、たまらずにゲーナとの同調を解除すると、魔術師達に鋭く指示を伝えた。

「控えの魔術師達は、全員で魔術師団長の足下の聖紫石に魔力を注げ。限界まで注ぎ続けるのだ。十二芒星を形成する魔術師達は、それぞれに準備を。この次元に召喚対象を引き込んだら、おまえ達の力で儀式の間へと運ぶのだ。そろそろ来るぞ、次の壁が」

 ダニエの叫びの直後、赤く発光していた聖紫石が激しく明滅した。ゲーナは一層大きく身体を震わせ、耐え切れないとばかりに片膝を突いた。常に膨大な魔力量を誇り、天才と呼ばれ続けたゲーナが、これまで一度として見せたことのない姿だった。魔力量を計測していた魔術師が、今度ははっきりと悲鳴を上げた。

「危険水域です。魔術師団長の魔力残量は、もう十分の一程しか有りません。未だ次元の壁は残っているのですか、ダニエ様」

 ダニエは、三度意識を集中させて、ゲーナの足下の魔術陣との魔術回路を繋ぎ直し、掌に握った聖紫石を覗き込んで叫んだ。

「未だだ。未だ一つ残っている。魔力を注ぐ者は、もっと注ぎ込め。ここで耐えずにどうする。死力を振り絞るのだ。また来るぞ」

 十数人の魔術師から放たれた魔力は、次々にゲーナの足下にある聖紫石に吸い込まれていくものの、到底ゲーナを支える程の力にはならなかったのだろう。ゲーナは遂に両手両膝を床に突き、床にうずくまった姿勢で荒い息を吐いた。儀式の間にいる全ての者達が、今まで想像だに出来なかったゲーナの姿に衝撃を受けたとき、聖紫石は更に激しく、儀式の間を真紅に染め上げるばかりに明滅した。ダニエが組み上げ、ゲーナが行使する召喚魔術は、召喚対象を掴んだまま、いよいよ最後の次元の壁に差し掛かったのである。

 うずくまった姿勢のまま、ゲーナはここで初めて大きな叫び声を上げた。既に枯渇こかつした魔力を限界を超えて振り絞る為の声であり、ぎりぎりの所で術式を維持しているのだと、儀式の間にいる誰もに分かった。エリク王の命によって発動した隷属の魔術紋に縛られたゲーナは、召喚対象を儀式の間に引き込もうと、全身全霊を傾けていた。

 聖紫石の明滅は更に激しさを増していき、ゲーナは遂に床に倒れ伏した。魔術師の内の誰かが、悲痛な声でゲーナを呼ぶ。その声に応えるかのごとく、ゲーナは必死に藻掻きながら半身を起こそうとし、また倒れ伏した。ゲーナの鼻と口からはいつの間にか鮮血がしたたり、床をく爪が剥がれ始める。それでも繰り返し、ゲーナは起き上がろうとしていた。
 悲壮な顔で唇を噛み締めながら、召喚魔術の推移を見守っていたダニエは、ここで一つの決断を下した。

「私が支援に入る。魔術師団長の聖紫石に、私も魔力を注ぐ。しばらく指揮不能になるかも知れぬ故、魔術師はそれぞれに為すべきことを為せ。何としてでも次元の壁を超えて、召喚対象を引き寄せる。後はおまえ達で受け止めるのだ」

 そう言って、苦痛の中で必死に術を維持するゲーナを一瞥いちべつするや、ダニエは瞬時に意識を同調させ、己の持てる魔力を全力で注ぎ込み始めたのである。