連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 3-36
王立学院の入試から三日後の夜、ぐっすりと寝入っていたわたしの耳に響いてきたのは、〈妙音〉としかいいようのない、綺麗な綺麗な音だった。鈴の音のようでもあり、鐘の音のようでもあり、水の音のようでもあり、風の音のようでもあり……。もし、月や星が音を出すなら、きっとこんな響きなんだろう。
その妙音が合図になったのか、気がついたときには、わたしは、ゆっくりと起き上がっていた。わたしの身体は、相変わらず寝台の上で眠っていて、〈魂魄〉だけが覚醒したんだ。
わたしにとって、身体から魂魄が離れる感覚っていうのは、初めてじゃなかった。〈神降〉のときには、わたしの自我が曖昧になって、空気中に解けていくみたいに、魂が浮遊しそうになっていたから。
今回、わたしの意識は、ものすごく明瞭だった。ちゃんとチェルニ・カペラとしての自我と意思を持ったまま、人としての肉体を離れるんだなって、そう思った。現に、上半身だけ起き上がったわたしの目には、薄っすらと口を開けて、幸せそうな顔で寝入っている自分が、しっかりと見えているんだ。
これからどうしたら良いのか、困って周りを見回すと、スイシャク様とアマツ様の〈言霊〉が聞こえてきた。〈使者の訪れ〉〈彼の御方が使わしたる、導きの御使い也〉〈月の銀橋にて、逢瀬を楽しまん〉〈出立の刻限なれば〉〈窓をば開けん〉って。ネッ、ネイラ様からの使者を待つために、わたしの部屋の窓を開けなきゃいけないらしい。
二柱の言霊を理解すると同時に、わたしの魂魄は、自由に動けるようになっていた。わたしは、ふわっと起き上がって、ふわっと寝台から降り、ふわっと窓に近づいた。普段と比べると、ものすごく身体が軽くて、天井までだって飛び上がれそうなくらいだけど、まったく肉体の感覚がないわけじゃない。窓まで行くのだって、しっかりと自分の足で歩いたしね。
わたしが不思議に思っていると、スイシャク様とアマツ様が教えてくれた。〈人の子の心を司るが《魂》、身体を司るが《魄》也〉〈魂のみ身体を離れたれば、自在に浮遊す〉〈然しながら、魂のみの浮遊は危なきこと也〉〈戻る方途を失えば、人の子の生の終わるらん〉〈魄のみ離れたれば、身体の動くこと能わず〉〈魂魄揃いて離るるは、人の子の成せる業に非ず〉〈即ち、神の呼び掛けに応うる刻のみ〉って。
今のわたしが、実体としての感覚を持っているのは、魂と魄が揃って身体を離れているからで、それが可能になっているのは、〈神威の覡〉である、ネッ、ネイラ様の呼びかけに応えてのことだから……なんだろう。
レースのカーテンを開け、大きな窓を開け、白くて可愛い〈鎧戸〉も開け放つと、わたしの部屋に、まぶしいほどの月光が差し込んできた。夜空に浮かぶのは、ご神鏡みたいに輝いている白銀の満月。今夜は、わずかの欠けもない、美しい真円の月だった。
あまりの明るさと輝かしさに、思わず目を奪われているうちに、しゃらりしゃらりと聞こえる妙音は、どんどん大きくなっていった。すると、月から差し込む光が、なぜかひとつに寄り集まって、あっという間に一本の光の道になったんだ。真円の月から、わたしの部屋まで真っ直ぐに続く、白銀の光の道に……。
しゃらりしゃらり、しゃらりしゃらり。音に誘われるように目を向けると、明るい満月の夜空にかかった白銀の光の道を、勢い良く走ってくる影があった。遥かに遠くて、最初は姿を判別できなかったけど、見る見るうちに近づいてくる影は、やがてゆっくりと姿を露わにしていった。
それは、二頭の獅子だった。向かって右側の獅子は黄金、左側の獅子は白銀で、長い被毛を靡かせて、軽やかに駆けてくる。遠目にもわかるくらい大きくて、金銀の被毛は、月の光を弾いて輝いている。首の周りの鬣は特に見事で、ふっさふさだよ、ふっさふさ! それぞれの獅子の周りには、黄金と白銀の鱗粉まで舞っていて、いっそう二頭の姿を神々しいものにしているんだ。
あまりの美しさと輝かしさに、呆然と見惚れているうちに、金銀の獅子は、わたしの部屋に到着した。開け放った窓の外に、ふわりと浮かんでいる姿は、馬よりもずっとずっと大きい。黄金の獅子の瞳は銀色、白銀の獅子の瞳は金色だった。
二頭の獅子は、わたしと目が合った途端、うれしそうに長い尻尾を振ってくれた。ぴんと伸びた長いひげと、黒々と濡れた鼻は、ひくひくと動いている。つまり、絶対に神霊さんに違いない神々しさと、びっくりするくらいの巨大さにもかかわらず、金銀の獅子は、とっても可愛かったんだよ。
何となくうれしくなって、にこにこと笑って、撫でさせてもらえないかなって思ったところで、スイシャク様とアマツ様が、わたしに言霊を降ろしてくれた。〈迎えの使者也〉〈何の憂いもなかりければ、獅子らの曳きたる舟に乗るらん〉って。
そう、二頭の巨大な獅子は、馬車くらいの大きさのある舟を引っ張っていた。全体的に丸みを帯びた形をしていて、屋根の代わりに薄いレースの天蓋があって、銀色に輝いている舟は、夢に出てくる乗り物みたいに幻想的だった。
スイシャク様とアマツ様は、この可愛い舟に乗って、ネッ、ネイラ様に会いに行きなさいって、いってくれているんだけど……待って、待って! わたしってば、寝巻きを着たままなんじゃない? 早く着替えないと、こんな格好でネイラ様に会えるわけがないよね?
慌てて着替えに走ろうとして、わたしは、初めて気がついた。いちご柄のガーゼ生地で、何十回も洗濯したからくたくたになっていて、その柔らかさが最高に気持ち良い、お気に入りの寝巻きを着ていたはずなのに、いつの間にか違う服を着ていたんだよ、わたし。
正確には、それは服じゃなかった。わたしが着ていたのは、初めて神霊庁に行った日、帰り際に〈お土産です〉って渡された、とっても貴重で特別な衣装。〈神託の巫〉のために用意してくれた、神事の装束だった。
月明かりに照らされた新雪みたいに、神々しいほどの純白に輝く着物に、どこまでも鮮やかな真紅の袴。その上から、純白の透ける絹地に、銀色の糸で複雑な文様が刺繍された、透ける薄衣を羽織っている。襟元には真紅の紐がついていて、特殊な形に結ばれている衣は、〈千早〉っていうものだって、教えてもらったっけ……。
びっくりして、信じられなくて、でも、納得している自分もいた。これから連れていってもらうのは、本当だったら、人の子が行くことを許されないくらい、尊い場所のはずだから、その場に相応しい装いが必要なんだろう。
初めて着る装束は、羽根みたいに軽くて、さらりとやさしい手触りで、ほんのりと暖かかった。妙に馴染む感じがして、まったく動きにくさを感じないのは、今のわたしが魂魄だからなのかな?
ちゃんと着替えてあるなら、後は出発するだけだ。わたしは、スイシャク様とアマツ様を見て、両手を差し出したんだけど、絶対に一緒に行くんだと思っていた二柱は、ふるふると可愛い頭を振った。〈我は知る。其は《野暮》というもの也〉〈我らはこの家にて待たん〉〈如何なる不安もなかりければ、楽しき一刻を過ごすが佳き〉〈いざ、いざ!〉って。
スイシャク様は、ふっすふっすと上機嫌に膨らんでいるし、アマツ様は、夜空に鮮やかな鱗粉を、景気良く撒き散らしている。ここ最近、片時も離れずに側にいてくれて、わたしを眷属として扱ってくれる二柱は、そうして、優しくわたしを送り出してくれたんだ。
わたしは、二柱に肩を押されるような気持ちで、金銀の獅子を振り返った。すると、勝手に足が動いて、ふわりと窓枠に飛び乗っちゃった。わたしの部屋は二階だから、本当だったら怖いと思うはずなのに、まったく不安は感じなかった。
金銀の獅子たちは、益々勢い良く尻尾を振りながら、くるりと方向を変えて、舟の乗り口を窓に近づけた。スイシャク様とアマツ様は、先だけが薄茶色の可愛い羽根と、真紅の美しい羽根を、左右から差し出してくれた。〈お嬢さん、お手をどうぞ〉っていう感じで。ありがたく手を添えると、わたしはふわふわと宙を歩いて、銀色の舟の天蓋の下、薄いレースを巻き上げた場所に置かれた、猫足の長椅子へと誘われたんだ。
〈然れば、左彦、右彦よ。我らが可愛ゆき雛をば、月の銀橋へと運ぶらん〉
〈大事の御役目、我ら謹んで承る〉
〈彼の御方にも、良しなに〉
〈承る〉
〈いとも明るき真円の夜。《神威の覡》と《神託の巫》の、再びの邂逅也〉
〈目出たき事也〉
〈いざ、出立、出立〉
二柱と金銀の獅子が、音にならない言葉を交わし終わると、スイシャク様とアマツ様は、わたしの部屋へと戻っていった。ちょっとだけ、不安に思う気持ちもあるけど、今は、きっと一人で行くべきときなんだろう。
そして、しゃらりしゃらりと妙音が響く中、金銀の獅子に曳かれた銀色の舟は、わずかな軋みもなく、するすると夜空を進み始めた。月の光の道を駆け上がり、遥かに見上げる満月に向かって……。
◆
丸みを帯びた銀色の舟に乗って、わたしは、月明かりに照らされた夜空を駆けていく。銀色の舟を曳くのは、巨大な金銀の獅子なんだけど、綱とか金具とかでつながっているわけじゃなかった。ただ、金銀の獅子の動きに合わせて、自在に舟が動くんだ。
馬車とは比べものにならないくらいの速度で、銀色の舟は、どんどんと夜空を高く上がっていく。普段のわたしは、ちょっと高所恐怖症っぽいんだけど、魂魄だけの存在だからなのか、今はまったく平気だった。
わたしの家が建っていた王都は、見る見るうちに小さくなっていって、すぐに見えなくなった。わたしの目に映るのは、明るく輝く銀色の道と、どこまでも広がる夜空と、きらきらと瞬いている星々だけ。
あまりにも美しくて、幻想的で、信じられなくて、何度も頬をつねってみた。生身の身体のときほどじゃなくても、わりと痛かったから、夢を見ているわけでもないんだろう。夢よりも夢みたいな情景の中、わたしは、大きな音を立てている胸をぎゅっと押さえて、ひたすら感じ入っていたんだ。
しばらくして、わたしが夜空の美しさに慣れ始めた頃、巨大な金銀の獅子は、長い尻尾を振りながら、ときどき後ろを振り返るようになった。何となく、猫がかまってほしそうにしているときの仕草みたいで、とっても可愛い。煌めいてたなびく被毛といい、黄金と白銀の鱗粉といい、威風堂々とした巨体といい、御使い様に相応しい神々しさなのに、やっぱり猫科っぽいんだよね。
わたしは、夜空に見惚れるのを中断して、じっと獅子たちに注目してみた。すると、先に目が合ったのは、豪華絢爛な黄金の獅子だった。黄金の獅子は、ちょっとびっくりしたみたいに銀色の瞳を見開いてから、ひくひくと鼻を動かしている。真っ黒で湿った鼻は、まるで巨大な黒曜石みたい……。
わたしが、思わず笑いかけると、ぱちぱちって瞬きをしてから、黄金の獅子が話しかけてくれた。わたしの頭の中に、太く重々しい声で言霊が降ってきたんだ。
〈御初に御目文字致す。全き《神託の巫》にして、神々の愛子たる雛よ〉
「えっと、黄金の獅子様ですよね? ご挨拶が遅れて、すみません。初めてお目にかかります。わたしは、チェルニ・カペラ、十四歳です。今晩は、わたしを運んでくれて、ありがとうございます。よろしくお願いします」
ちょっと慌てながら、わたしは、丁寧に挨拶を返した。今のわたしは、魂魄だけの存在になって、神事の装束を身にまとい、巨大な獅子の曳く銀色の舟に乗って、銀色の光の道を駆け上がってるんだからね? その神秘体験と比べたら、金銀の獅子と会話するくらい、驚くほどのことじゃない。ないったら、ない。
黄金の獅子と白銀の獅子は、わたしの挨拶を聞くと、揃ってごろごろと鳴き出した。日向ぼっこをしている猫と同じ、上機嫌なごろごろ。わたしとしては、礼儀正しい挨拶だったと思うんだけど、ごろごろ音がどんどん大きくなって、ちょっと肩まで震えているような気がするのは、なぜなんだろう?
わたしが、首を傾げていると、白銀の獅子の方も、ちょっとわたしを振り返ってから、強く清らかな声で言霊を降らせてくれた。
〈我も、御挨拶申し上げる。目出たき《神託の巫》にして、可愛ゆき雛をば導きたるは、我らが誉と覚えたり〉
「ご丁寧にありがとうございます、白銀の獅子様。もうすぐキュレルの町立学校を卒業して、王立学院に進学する予定のチェルニ・カペラ、十四歳です。今日は、よろしくお願いします」
〈我らが主人の愛でたる雛は、誠に面白き者也。我が神名は、□□□□□□□□□とぞ申す。雛の口に重ければ、《右獅子》とでも呼ぶが佳き〉
金銀の獅子は、ますます大きなごろごろ音を響かせ、長い尻尾も勢い良く振られている。わたしの魂の器は、今のところいっぱいの状態みたいだから、白銀の獅子が教えてくれた神名は、やっぱり聞き取れなかったんだけど、〈右側の獅子〉って呼んでいいよって教えてもらったから、御名を許されたことになるんだろう。
冴え冴えとした白銀の獅子に続いて、光り輝く黄金の獅子も、ごろごろごろごろいいながら、すぐに御名を許してくれた。
〈我も、可愛ゆき雛に名乗るらん。我が神名は、□□□□□□□□□□也。雛の器に隙なき故、今は〈左獅子》とでも呼ぶが佳き〉
「えっと、右側の獅子様と、左側の獅子様っていうことですよね? 何となく、スイシャク様やアマツ様の呼び名とは、違う感じがするんですけど。わたしが理解しやすいように、そういってもらってるんでしょうか?」
〈これは、これは〉
〈雛の聡きこと〉
〈彼の神々は、いと高き位に御坐し、呼び名もまた深遠也。然して、右獅子、左獅子とぞいうは、雛の目に映りたる、我らが相の一なれば〉
「……ああ、なるほど。わたしが、金銀の獅子だって思うから、そう見えているんですね。じゃあ、右獅子様、左獅子様って、呼ばせてもらいますね」
〈是〉
わかるようでわからない、そんな話をしている間も、銀色の舟は、すごい速さで夜空を泳いでいった。いったいどれくらいの時間が経ったのか、気がつけば遥かな天空に浮かんでいた月は、もう目の前に迫っていた。
ルーラ王国の王城くらい大きくて、何ひとつ欠けることのない真円の満月……。果てしない夜空さえ明るく照らすくらいだから、すさまじい光の洪水のはずなのに、純白の月光はどこまでも優しく、あたりを白々と輝かせているだけだった。
あまりにも巨大な月の神々しさに、息を止めて見入っているうちに、右獅子様と左獅子様は、少しずつ速度を落としていった。果てしなく続いていた光の道が、ちょうど消えそうになっているのは、目的地に着いたからなんだろう。わたしを乗せた舟は、音もなくゆっくりと、光の道の終着点に停まったんだ。
〈是なるは、現世神世の狭間也〉
〈雛の月舟を曳きたるは、楽しきことと覚えけり〉
〈現世までの道々も、我らが雛を誘わん〉
〈我らが主人を呼びたる程に、暫し待たれよ〉
そういって、黄金の獅子と白銀の獅子は、力強い四肢を踏み締めると、誇り高く胸を外らし、同時に咆哮した。うおおおおん、うおおおおん。うおおおおん、うおおおおんって。
金銀の獅子の咆哮は、静寂に包まれた夜空に雄々しく響き渡り、輝く星々まで震えさせるようだった。そして、最後の響きが消えたとき、とても信じられないことが起こった。王城くらい巨大な満月の外側、三日月よりも細い二日月くらいの部分が、切り取られるみたいに、ゆっくりと外れていったんだ。
真円だったはずの月は、少しだけ欠けた十六夜の月、ちょうど昨夜に見た月になった。そして、満月から離れた二日月は、柔らかな丸みを帯びた曲線を上にして、ゆっくりとゆっくりと、わたしに向かって倒れかかってくる。
わたしは、驚きのあまり口を開けて、只々、不思議な光景に見惚れていた。わたしが乗ってきた月舟よりも、ずっと細くて、ずっと長い二日月は、まるで月光で作られた橋を思わせた。きっと、この光の架け橋こそが、ネイラ様が手紙に書いてくれた、〈月の銀橋〉なんだろう……。
あまりにも神秘的な体験に圧倒されて、逆に平静を保っていたわたしは、月の銀橋を意識した瞬間、がくがく震え始めた。だって、これから、ここで、ネッ、ネイラ様と会うんだよ、わたし? 真夏の日、一度だけ出会った後は、手紙のやり取りか、神霊さんの見せてくれる幻でしか関われなかったネイラ様と、遂に再会できるんだよ?
身分違いだってわかりながら、ネイラ様のことが、すっ、好きなんだって、自覚しちゃったわたしが、喜びと緊張に震えるのは、仕方のないところだろう。
月の銀橋の片端が、わたしの乗った月舟の側にまで届いたとき、金銀の巨大な獅子は、ぺたりと身を伏せた。月舟に乗っている間、聞こえなくなっていた〈妙音〉が、いっそう荘厳に響き渡る中、遂にそのときが訪れた。美しくも神々しい月の銀橋を、たった一人、悠然と渡ってくる人がいたんだ。
一歩一歩、その人が近づいてくるごとに、わたしの胸は痛いくらいに高鳴った。わたしが、こっ、恋をしてしまった、ネイラ様の登場なんだから。
この夜のネイラ様は、漆黒の軍服姿じゃなかった。わたしと同じ、純白よりも白い着物に、同じ純白の紋織の袴で、その上から裾を引くほど長い純白の格衣を、ふわりと羽織ってたなびかせている。格衣を埋め尽くした刺繍は、銀色というよりも、ほのかに淡い虹色で、ネイラ様が動くたびに、微妙にその色目を変えていくんだ。
ネイラ様の顔が、はっきりと見えたとき、わたしの目から、ぼたぼたと涙が吹き出した。本当だったら、立ち上がってお出迎えしないといけないのに、身体が小刻みに震えちゃって、まったく動けない。緊張と混乱で、もう何が何だかわからない。顔を覆って泣き出さないだけで、精一杯なんだよ、わたし。
とうとう、とうとう、わたしのすぐ側まで来てくれたネイラ様は、わたしの顔を見た途端、びっくりした表情になった。それから、優しく微笑んで、こういってくれたんだ。
〈こんばんは、お嬢さん。やっときみに会えましたね〉