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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 2-24

 クローゼ子爵だったオルトさんの、あまりにも衝撃的な言葉に、わたしは彫刻みたいに固まってしまった。
 だって、前王弟殿下って、ヨアニヤ王国にお嫁に行った、気の毒なお姫様のお父さんでしょう? その息子の大公殿下って、お姫様のお兄さんか弟でしょう? そんな人たちが、マチアスさんをひどい目に合わせるの? しかも、オルトさんとナリスさんの父親が大公殿下って、そんな馬鹿な!
 
 わたしの頭は大混乱で、ちっとも整理ができなかった。正確にいうと、話の内容そのものは、ちゃんとわかっている。けっこう理解力のある少女なのだ、わたしは。
 でも、今、オルトさんの話したことが事実だとすれば、マチアスさんは、周りの人たち全部に裏切られていたことになる。それって、いくら何でも、マチアスさんが気の毒すぎるじゃないか。
 気の毒なお姫様と、気の毒なマチアスさん。そんなふうに考えるのが、かわいそうで悲しくて、わたしは、絶対にわかりたくないって思ったんだよ。
 
 わたしが納得できなくて、ぐるぐるしている横で、ヴェル様は笑っていた。穏やかで紳士的な微笑だったけど、これは、あれだ。〈血に飢えた猟犬〉っていう感じの表情だろう。血に飢えた猟犬とか、わたしは、一度も見たことはないけどね。
 
 わたしが落ち込んでいる間にも、クローゼ子爵家のお屋敷では、ちっとも心の温まらない親子の会話が続いていた。
 
「下品だな、オルト」
「下品。たかだが騎士爵家に生まれた男が、わたしを下品だとおっしゃるのですか。父から王家の血を引き、母も由緒ある子爵令嬢である、このわたしを」
「そういうところだ、オルト。おまえは、戸籍上は、わたしの息子だろう。母の不貞を恥じることなく口にするなど、下品というしかあるまい?」
「相変わらず、口だけは減らない方ですね、父上。唯一、あなたの子であるクルトが死んでからは、その口もびついたと思っていましたが、どういう風の吹き回しですか?」
「今は、わたしがクローゼ子爵らしいので、最低限の体裁は整えたいと思ってな。まあ、わたしのことは良い。それよりも、わたしは、明日から王城に参上して、養子候補となっている方々にお目にかかってくるので、そのつもりで」
「どういう意味です、父上?」
「言葉の通りだ、オルト。クローゼ子爵家の直系の中から、〈神去かんさり〉でない者を次期当主に選べないのであれば、王城がお決めになった方を当主に迎える。そう聞いているのだろう? 何人か候補がおられ、わたしにも事前に会わせてくださるそうだ。宰相閣下のお心配りは、誠にありがたいものだ」
「あなたは、このクローゼ子爵家の血筋を絶やすおつもりか、父上」
「唯一の対象者であるフェルトが、養子縁組も婚姻も承知しないのだから、仕方あるまい。残念だよ、わたしも」
 
 マチアスさんは、そういって爽やかに笑った。オルトさんやナリスさん、アレンさんは、今にも叫び出しそうな顔をして、じっとマチアスさんをにらみつけた。
 ずっと黙っていた〈毒念〉のエリナさんは、さすがに我慢できなかったみたいで、すっごい声で絶叫したかと思うと、本当にマチアスさんにつかみかかった。まったく相手にされず、ひらっと避けられてたけどね。
 
 ともあれ、もうぐだぐだになった話し合いの場から、マチアスさんはさっさと退場した。使者Aに案内を頼んで、どさくさ紛れに応接室を出て行っちゃったんだ。
 
 残された人たちのうち、エリナさんとカリナさんは、そりゃあもう、すごかった。エリナさんの額に書かれた〈毒念〉の文字は、生き物みたいにのたうって、みるみるうちにひび割れていった。
 スイシャク様とアマツ様が、〈またしても《鬼成きなり》とは〉とか、〈業深き心の闇路〉とか、呆れ果てたっていうイメージを送ってきたから、エリナさんも、きっと鬼成りしてしまうんだろう。
 カリナさんは、胸から生えた蛇が四匹、もう直立不動っていう感じの棒立ちになって、怒りを露わにしていた。いつものシャーシャーを通り越して、ジャーッジャーッって。
 スイシャク様が、さっと視界を切り離したのは、わたしの教育のためにならないからじゃなく、〈目〉になってくれる雀が怖がっていて、かわいそうだからだと思う。
 
 一方のマチアスさんは、クローゼ子爵家のお屋敷を出て、庭園の隅っこに建てられた、小じんまりしたお屋敷に入っていった。ヴェル様によると、〈格下の親戚や知り合い〉を泊めるための、離れだろうって。マチアスさんてば、今のクローゼ子爵なのに、どうやら本館には留まりたくないらしい。
 
 マチアスさんは、迷う素振りも見せず、離れの一室に腰を下ろした。ついてきたのは、マチアスさんに指名された使者Aと、護衛騎士っぽい人が二人。多分、オルトさんの命令で、マチアスさんと使者Aを見張っているんだろう。
 マチアスさんは、多分わざとだろう無表情を装って、使者Aにいった。
 
「おまえ一人では、わたしも不便だ。従者と侍女をよこしてくれ、ロマン」
「かしこまりました、閣下。人選にご希望はございますか?」
「おまえが決めてくれれば良い。ああ、侍女だけは、落ち着いていて口数の少ない者にしてくれ。エリナといいカリナといい、わずかな時間、顔を合わせているだけでも、頭痛がしてくるからな。せめて離れでは、静かに過ごしたい」
「そのようにいたします。他にご用はございますか? お部屋やお食事などは、すぐに手配を申しつけますが」
「それでいい。明日、王城に参る。供をしてくれ」
「……。オルト様のご許可をいただきましたら、お供させていただきます」
「今の当主は、わたしなのだがな。まあ、良い。オルトに確かめよ。それから、そこに立っているお前たち……」
 
 そういって、マチアスさんは、部屋の隅に立って聞き耳を立てている護衛に向かって、にっこりと笑いかけた。
 
「おまえたちは、存在そのものが、少々暑苦しいな。邪魔になるから、館の外に出ておれ。わたしには、護衛などは無用だ」
 
 護衛の一人は、むすっとした表情のまま、マチアスさんに反論した。
 
「そうは申されましても、先代様のお側から離れずにお守りせよと、クローゼ子爵閣下からご命令を受けております。申し訳ございませんが、離れることはできません」
「今のクローゼ子爵は、このわたしだ。王城の決定は、おまえたちも耳にしているんだろう? それとも、おまえたちの耳は飾り物か?」
「……。オルト様に伺って参りますので、お待ちくださいませ。その間は、部屋の外に出ております。それでよろしいのでございましょう?」
「わかった。それで良い」
 
 護衛たちが出ていくと、部屋に残った使者Aは、即座に印を切って、防音の神霊術を使った。うん。Aの神霊術は、今日も問題なく使えてるんだね。
 
「閣下。あまり時間がございませんので、用件のみ、話させていただきます」
「いいだろう。話せ」
「オルト様たちは、ご自分たちのいいなりにならないフェルト殿に業を煮やし、フェルト殿を殺害しようと計画しています。フェルト殿の親しい者たちと共に処分し、替え玉を立てるつもりなのです。すでに、その手の犯罪を請け負う者たちにも、依頼をしております。わたしとギョームは、依頼主として名を使われておりますが、何とかオルト様の裏をかき、フェルト殿たちを助けるよう動くつもりでおります」
「何とまあ、わたしの息子だということになっている者たちは、底なしの愚か者だな。そのような入れ替わりが、うまく行くはずがないだろうに」
「オルト様たちは、悪知恵が働きます。そんな杜撰ずさんな計画を立てるということは、それを押し切るだけの切り札を用意しているのでしょう」
「……。なるほど。そうかもしれんな」
「ご協力ください、閣下。フェルト殿もそうですが、善良な者たちを、一緒に殺させたりなど、絶対にできません。あなた様が嫌だと申されても、勝手に巻き込ませていただきます。同じ覚悟でいるギョームと話して、そう決めました」
「はは。本当に、いつの間にか腹のわった男になったな、ロマン。とはいってもな……」
「まだ、生きながら死んでいるような、ふぬけた男のままでおられるおつもりですか?」
「そうだよ。先程、オルトがほのめかしておっただろう? わたしは、誓文せいもんで縛られている身なのだ」
 
 そういって、マチアスさんは笑った。わたしが、生まれて初めて見るような笑顔だった。絶望とか憤怒ふんどとか虚無とか諦観ていかんとか、そんな言葉で表現するしかない笑顔……。
 
 ところで、誓文って、何さ?
 
     ◆
 
 いや、誓文っていう言葉自体は、わたしも知っているよ? 町立学校でも習ったし、王立学院の入試問題にも、しょっちゅう出てくるくらいだから。
 わたしの大好きな、おじいちゃんの校長先生は、こう教えてくれた。〈誓文とは、御神霊に対する誓いのことなのでな。あだおろそかに捧げてはならん。人との誓いは破れても、神との誓いは破れぬからな〉って。
 
 でも、マチアスさんがいう誓文って、何を意味するんだろう。死んだみたいに生きるって、神霊さんに誓うの? そんな誓いって、あるんだろうか?
 わたしが、疑問を感じて首を捻っていると、同じように疑問を持った使者Aが、マチアスさんに質問してくれた。
 
「どういうことですか、閣下? ご神霊に対して、何を誓われたのですか?」
「おまえは、わたしが契約を司るご神霊から、印をいただいていることを知っているだろう? わたしがエリナと婚姻させられた夜、この契約のご神霊を仲立ちとして、四人で誓文を交わしたんだ。王弟殿下と大公殿下、先先代のクローゼ子爵だった近衛騎士団長、そしてわたしとの四人で」
「そんなことがあったとは。その誓文の内容は、わたしがお伺いしても良いことなのでしょうか、閣下?」
「以前は、何ひとつ話せなかった。わたしが沈黙することも、誓文に定めた誓いのうちだったからな。しかし、今はいえる。わたしたちは、それぞれが交換条件に縛られることを選んだんだよ、ロマン」
 
 そこからのマチアスさんの話は、とっても複雑で、陰湿で、残酷だった。少なくとも、わたしには、すごく不公平に思えたんだ。
 
 四人の契約は、お姫様の処遇についてだった。お姫様の結婚相手は、ヨアニヤ王国の高位の王族ではあるけど、かなり病弱な人だったみたいで、お姫様が未亡人になっちゃう可能性が高かったんだって。
 そうとわかっていて結婚させるなんて、とか。人の寿命を勝手に計算するなんて、とか。いろいろどうなのって思ったけど、国同士の政略結婚だから、そこはとりあえず無視することにしよう。
 
 国益っていうもののために、お姫様の結婚は避けられないって、悲しい覚悟を決めたマチアスさんは、お姫様が未亡人になった後のことを考えていた。相手の王族との間に子供ができないままだったら、ルーラ王国が要請し、お姫様が望めば、お姫様は帰国することができるらしい。結婚前の話し合いで、そう決まっているんだって。
 マチアスさんは、夫との死別後に、お姫様をルーラ王国に呼び戻してほしいって、王弟殿下にお願いしたんだ。お姫様が王族としての責任を果たしてから、ルーラ王国に帰国して、お姫様自身が希望したら、自分と結婚させてほしい。身分的に結婚が無理なら、そばにいるだけでもいいからって。
 悲しくて、かわいそうで、わたしまで胸が痛くなったけど、マチアスさんは、それだけお姫様が好きだったんだね……。
 
 マチアスさんの要求を、王弟殿下は了承した。マチアスさんを説得できなければ、お姫様も、絶対に結婚を了承しないって、わかっていたから。その代わりに、王弟殿下は条件を出した。とっても悪辣あくらつな条件を。
 
 王弟殿下は、大公殿下や先先代のクローゼ子爵と相談してから、マチアスさんに、〈毒念〉のエリナさんとの結婚を提案したんだ。普通に説得しても、お姫様は納得しないから、マチアスさんが先に結婚することで、諦めさせるようにって。
 
 当時、エリナさんのお腹の中には、大公殿下の子供がいたんだけど、結婚はできなかったらしい。身分に差があるし、それ以上に、大公殿下には公爵家から嫁いできた奥さんがいたから。
 マチアスさんとエリナさんが結婚して、生まれてくる子供を、マチアスさんの子供だってことにすれば、大公殿下は責任から逃れられる。先先代のクローゼ子爵は、娘の不始末で家名に傷がつくことを避けられるし、エリナさんの子供を正当な後継にできる。それって、好都合なんじゃないか?
 まったく馬鹿げたことに、このときの大人たちは、皆んなそう考えたみたいなんだ。十四歳の少女が聞いても、ほぼ全員が不幸にしかならない提案なのにね。
 
 当然、マチアスさんは悩んだんだけど、結果的には提案を受け入れた。大公殿下とエリナさんは、結婚後も関係を続けるから、マチアスさんが夫婦として生活する必要はないって、明言されたこと、そして、お姫様が未亡人になった時点で、エリナさんと離婚してもいいっていわれたことで、首を縦に振ったんだ。
 近衛騎士団長の地位とか、クローゼ子爵家の爵位とか、マチアスさんは、そんなものがほしかったわけじゃない。それだけは、わたしにも信じられたよ。
 
 ここまで、黙って話を聞いていた使者Aは、指先でこめかみをぐりぐりと押しながら、呆れた声でいった。
 
「何と、愚かな。閣下ともあろう方が、本当にそのようなくだらない提案に乗ったのですか。信じられませんな」
「わたしも、そう思うさ、ロマン。自分でも信じられない。わらをもつかむ気持ちというか、あのときのわたしは、正気ではなかったんだろうな」
「まあ、無理はないのかもしれませんな。それ程に、お辛かったのでございましょう。しかし、誓文の誓いは果たされていないのではありませんか? 閣下は、今も誓文に縛られているかのようなお話でしたが」
「そう。誓いは果たされないまま、わたしだけが誓文に縛られ続けた。大公殿下と呼ばれる男が、卑劣な罠を張ったからな。姫君の弟であるはずの男が考えた、誓文の文言もんごんは、こうだったんだ、ロマン」
 
 瞳に暗い炎を燃やして、マチアスさんは、契約を司る神霊さんに捧げた長い誓文の文言を、ゆっくりと正確に口にした。
 
「契約を司るご神霊に、四者の誓文をたてまつる。
 ルーラ王国王弟、アルセイウス・ティグネルト・ルーラは、ヨアニヤ王国王弟に嫁ぎし長女オディールが、夫と死別したる後、これをルーラ王国に帰国せしめ、マチアス・ド・ブランの妻とする。
 マチアスは、エリナ・セル・クローゼと婚姻を結び、エリナの子らを嫡子と認める。マチアスからの離縁は認められず、エリナが求めた場合においてのみ、夫婦としての義務を果たさなくてはならない。ただし、オディールの帰国後は、マチアス・ド・ブランの婚姻は破棄されるものとする。
 ルーラ王国王弟が嫡男、アレクサンス・ティグネルト・ルーラは、誓文の果たされぬままアルセイウスが死亡した場合、父の誓いを受け継ぐものとする。
 ルーラ王国子爵、ガエタン・セル・クローゼは、この誓文の誓いを認め、その履行りこうに尽力するものとする。
 誓文の誓いを破りし場合、その身は業火に焼かれ、その魂は永遠の虜囚になることに、異論なきものとする。
 四者は、各人の同意なき場合、何人に対しても、この誓文を公にしてはならない。また、この誓文の破棄及び修正は、四者の合意によってのみ可能となる」
 
 わたしには、正直、むずかしすぎる内容だった。でも、なぜだか落ち着かなくて、嫌な気持ちになったから、誓文は正当なものじゃなかったんじゃないかと思う。勘の鋭い少女なのだ、わたしは。
 
 ヴェル様は、誓文の内容を聞いて、すぐに大きく息を吸い込んだ。そして、怒りのあまりか、顔を薄っすら赤くして、つぶやいたんだ。〈内容を聞いてはいたが、当人の言葉で聞くと、なおさらむごい。何と愚劣で、幼稚な罠を張るのだ。騎士の中の騎士たる者に〉って。
 使者Aは、じっと考え込んでから、何かに気づいたみたいで、大きく目を見開いて、マチアスさんにいった。
 
「お名前が、お名前が違います、閣下。奥方様とご成婚後、閣下のお名前は、マチアス・セル・クローゼ様ではありませんか」
「そうだ。忌々しいことに、わたしはマチアス・セル・クローゼであり、マチアス・ド・ブランという男はすでに存在しない。したがって、誓文は果たされず、罰も下らない。しかも大公は、わたしを縛りたい文言においては、マチアス・ド・ブランではなく、ただ単にマチアスと名乗らせて、誓文を有効にしているんだ。まったく、町立学校の子供らにも笑われるほどの、幼稚な罠だよ。その罠に、まんまとはめられた男がいっても、説得力はないだろうがな」
 
 あまりにもマチアスさんが気の毒で、大公っていう人に腹が立って、わたしは言葉を失ってしまった。お姫様の弟のくせに、ひどすぎる! しかも、マチアスさんは、今も誓文に縛られたまま苦しんで……。
 あれ? でも、今、誓文の内容を話しちゃってるよね、マチアスさん? 誓文に縛られているのなら、どうしてそんなことができるんだろう?
 疑問に思ってヴェル様を見ると、ヴェル様は、優しくうなずいてくれた。今まで黙っていたけど、何か知ってるよね、ヴェル様ってば。
 
「いや、お待ちください、閣下。閣下は今、誓文の内容を教えてくださったではありませんか。なぜ、そんなことができたのですか?」
 
 わたしと同じ疑問を、使者Aも感じたんだろう。すぐにそう聞いた使者Aに向かって、マチアスさんは微笑んだ。喉を鳴らす獅子みたいな、すごく堂々として、迫力いっぱいの笑顔だった。
 そして、マチアスさんは、こういったんだ。
 
「数ヵ月前、わたしはようやく自由になったのだ、ロマン。わたしが、不当な誓文の虜囚であることに、現在の宰相であるロドニカ公爵閣下が気づき、助けを呼んでくださったから。畏れ多くも、ルーラ王国の至尊しそんたる〈神威しんいげき〉、王国騎士団長レフ・ティルグ・ネイラ様を」