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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 2-1

 ルーラ王国の南部、都会でも田舎でもないキュレルの街に、大人気の食堂兼宿屋〈野ばら亭〉がある。名物として有名なのは、エールのお供に最適なモツ煮込みと、主人の自慢の焼き立てパン。そして、昼間の間だけ手伝いに出る美人姉妹の看板娘だ。
 その妹の方で、可愛さと親しみやすさが魅力のわたし、十四歳になったばかりのチェルニ・カペラは、どきどきする胸を押さえながら、お客様を待っていた。

「来たわよ、チェルニ。どうしよう。お母さん、どこかおかしいところはないかしら」

 そういって、ふっくらした頬に手を当てたのは、わたしの大好きなお母さんだ。大きな子供が二人もいるようにはとても見えない、若くて美人のお母さんは、〈野ばら亭〉の家付き娘で、先代の看板娘でもある。

「今日も綺麗だよ、お母さん。わたしは? わたしは大丈夫?」
「とっても可愛いわよ、チェルニ。わたしの大事な子猫ちゃん」

 うちのお母さんは、穏やかで優しいうえに商売上手で、どこにでもあるお店だった〈野ばら亭〉を、あっという間に大きくしてしまった凄腕だ。わたしとアリアナお姉ちゃんを溺愛するあまり、ちょっと不審な言動をすることもあるが、わたし達はいつもサラッと受け流している。人間、誰にでも欠点はある。

 お母さんとわたしが浮き足立っているのは、食堂が定休日の今日、お客様が来ることになっているからだ。アリアナお姉ちゃんのいないときに、両親とわたしに話があるからって。
 一週間くらい前、わざわざキュレルの街を守る守備隊の総隊長さんを仲介にして、そう頼んできたのはフェルトさんだった。
 若くてイケメンでカッコよくて、街のお姉さんに大人気のフェルトさんが、正式にうちを訪ねて来る理由なんて、どう考えてもひとつしかないだろう。アリアナお姉ちゃんがいないときにっていうんだし、確定だと思う。

 お母さんとわたしは、一週間前からずっとソワソワして、この日に着る服を選びに選んだ。着飾るのは変だし、普段着というのも味気ない。お姉ちゃんに内緒で、あれやこれやと相談するのは、とっても楽しかった。お父さんはすっかり拗ねてしまって、毎日エールをがぶ飲みしていたけど。

「ねえ、お母さん。フェルトさんは一人で来たの? 総隊長さんも一緒?」
「ご一緒に来て下さったわ。それから、もう一人のお客様もね。さあ、行きましょう。お待たせすると失礼だから」

 わたしたちの住む家は、〈野ばら亭〉から道をはさんだ向かい側に建っている。今日は正式なお客様だから、お迎えするのはお店ではなく、自宅の応接間になる。
 お母さんの後ろについて、しずしずとお淑やかに入って行くと、熊みたいだけど優しい総隊長さんと、落ち着いた雰囲気の綺麗な女の人が座っていた。肝心のフェルトさんは、一目でわかるくらい緊張していて、ちょっと顔が青いくらい。
 お母さんとわたしを見たお客様は、立ち上がって挨拶をしてくれる。女の人は、わたしを見て笑いかけてくれて、その笑顔がすごく優しい。
 フェルトさんは、何だか動きがカクカクしていて、糸で動かすマリオネットみたいだ。その緊張ぶりがおかしくて、わたしはすっかり落ち着いた。これが反面教師というものか。

 この一週間、拗ねたり落ち込んだりしていたお父さんは、何となく諦めがついたみたいで、守備隊長さんに丁寧に尋ねた。

「このように正式にお訪ねいただいて、恐縮しております、守備隊長。どういったお話なのか、聞かせていただけますか」

 守備隊長さんは、硬直したフェルトさんに視線を向け、ちょっとため息をついてから話を始めた。

「貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございます。フェルトがこの有り様ですので、わたしが仲介を務めさせていただきます。本日は、我が守備隊の分隊長であるフェルト・ハルキスが、カペラ殿にお願いしたいことがあるということで、まかり越しました。同席しておられるのは、フェルトの母上です」

 おお。やっぱり、フェルトさんのお母さんだったか。そうだろうとは思っていたけど、これは絶対にお姉ちゃんとの縁談だ。いよいよ現実的になると、わたしも緊張してきた。

「フェルト・ハルキスは、アリアナ・カペラ嬢と、婚姻を前提とした交際を望んでおります。もちろん、母上も同意の上で、このご縁を望んでおられます。って、おい、フェルト。おれが話してどうする。自分で説明して、きちんと頼め、軟弱者が」

 折り目正しく話していた守備隊長さんは、途中で我慢ができなくなったのか、硬直したまま座っているフェルトさんの頭をぶっ叩いた。手加減はしたんだろうけど、結構良い音がしたので、痛かったと思う。
 叩かれたフェルトさんは、ようやく正気に返ったのだろう。何度か口を開きかけてから、ガバッと頭を下げて、こういった。

「お願いします。アリアナさんと、けっ、結婚を前提にお付き合いをさせて下さい。何でしたら、お付き合いとかは抜きにして、すぐにけっ、結婚を」

 パシーンといい音をさせて、守備隊長さんが、もう一度フェルトさんの頭をぶっ叩いた。

「いい加減に落ち着け、馬鹿者。おまえがしっかりしないと、まとまるものもまとまらんぞ。一生に一度のことだ。男らしく決めろ、フェルト」
「はい……。すみません……」

 頭を押さえて涙目になったフェルトさんは、何とか声を絞り出した。もう一度、今度は大きなため息をついた総隊長さんは、指先で小さな印を切りながらいった。

「打撲傷の神霊よ。いつも世話になって、すまん。この馬鹿者の頭痛を治してやってくれないか。対価はおれの魔力で払う」

 なるほど。総隊長さんは、打撲傷を治す神霊術が使えるのか。いつも訓練を欠かさない守備隊の総隊長さんには、ぴったりな神霊さんだ。
 総隊長さんが詠唱を終えると、途端に小さな水色の光球が現れて、フェルトさんの頭の周りをクルクルと回った。
 フェルトさんは、痛みの消えたらしい頭を振りながら総隊長さんに謝り、改めて姿勢を正してから、お父さんに向き合った。

「カペラさん。見苦しいところをお見せして、申し訳ありませんでした。もう一度、お願いいたします。わたし、フェルト・ハルキスは、お嬢さんのアリアナさんと、結婚を前提にした交際をさせていただきたいと願っております。どうか、アリアナさんに申し込みをする許可をいただけませんでしょうか」

 よし。今度のフェルトさんは、文句なくカッコいい。お父さんは何て答えるんだろう。アリアナお姉ちゃんを手放したくないのは知ってるけど、お父さんは娘の幸せを第一に考えてくれる人だ。きっと大丈夫!
 わたしとお母さんが、どきどきしながらお父さんの返事を待っていると、挨拶のとき以外、ずっと黙って見守っていたフェルトさんのお母さんが、そっと横から口を出した。

「だめよ、フェルト。お願いをさせていただく前に、こちらの事情をきちんとお話ししないと、カペラさんのご一家に対して、不誠実になってしまうわ」

 フェルトさんのお母さんの言葉に、わたし達はそれぞれ顔を見合わせた。事情って何? 他にも付き合っている人がいるなんて言い出したら、地獄を見せるよ、フェルトさん。わたしの使える神霊術のなかには、どうして神霊さんが印をくれたのかまったくわからない、女の子が使うには物騒すぎる術もあるんだから。
 まあ、イケメンのわりに堅物で有名なフェルトさんだから、そんなことはないだろうし、本当にいい人なのは間違いないけど。人を見る目には自信があるんだ、わたしは。

 お母さんにいわれたフェルトさんは、何だかすごく悲しそうな顔をして、目を伏せてしまった。

「母のいう通りです。嫌なことだからこそ、先にご説明するべきでした。重ねて失礼してしまって、申し訳ありません、カペラさん」
「構わないよ、分隊長。今日、こうして訪ねてきてくれただけでも、分隊長の誠意は伝わっているし、アリアナを大切に思ってくれていることもわかっている。きみの気持ちは、とてもうれしい。俺だけじゃなく、妻や娘もそう思っているはずだ」
「カペラさん……」

 お父さんが、フェルトさんに優しく声をかけた。フェルトさんは、ちょっとだけ瞳をうるませて、もう一度お父さんに頭を下げた。

「ありがとうございます、カペラさん。母が申し上げた事情というのは、わたしの父親のことです。戸籍の上では、わたしには父親はおらず、母の〈婚外子〉として母方の姓を名乗っています」

 ちょっと驚いた。フェルトさんには、お父さんがいないのか。でも、それは大したことじゃないな。アリアナお姉ちゃんと結婚したら、うちのお父さんがフェルトさんのお父さんになるんだから、それでいいじゃないか。お父さんも、すぐに返事をした。

「婚外子だからといって、大した問題じゃない。娘の幸せとは、関係のない話だ。少なくとも、うちの娘ならそう考えるだろう」
「ありがとうございます、カペラさん。そういっていただけて、どれほどうれしいか、言葉にはなりません。ただ……」
「いないはずの父親が、面倒な相手なのか、分隊長」

 お父さんがそういうと、フェルトさんは驚いて顔を上げた。フェルトさんだけじゃない。みんなが驚いているし、わたしだって同じだ。何をいってるの、お父さん?!
「どうして、それを」
「わかるさ。年の功だ。誰が父親であれ、うちの返事は変わらない。安心して打ち明けてくれればいい」

 いつにも増してカッコいいお父さんに、フェルトさんも感動したみたいに尊敬の眼差しを向けて、はっきりといった。

「お言葉に甘えて申し上げます。わたしの父親は、クルト・セル・クローゼといいます。近衛騎士団付けの職を賜っている、クローゼ子爵の弟だったそうです」


    ◆


 うわぁ、面倒臭い。フェルトさんには悪いけど、最初に浮かんだのは、身もふたもない感想だった。近衛騎士団付けっていうことは、王都の貴族じゃないか。フェルトさんの神霊術は、結構すごそうな気がしたから、納得はできるんだけど。

 わたし達の暮らすルーラ王国は、立派な王家と神霊さんのお陰で、すごく平和で安定した国として有名だ。それでも、やっぱり悪い人はいる。人間なんだから、当たり前にね。その中でも、王都の貴族というと、ドロドロした権力争いとかがあるんじゃないだろうか。
 大事なアリアナお姉ちゃんを、面倒事には巻き込みたくない。同じように思ったのか、お父さんとお母さんも、微妙に暗い顔になってるし。権力とか地位とかお金とか、そんなものに釣られたりしない一家なのだ、うちは。

 ガリガリと頭を掻いたお父さんは、フェルトさんに聞いた。

「確かに面倒だな、分隊長。弟だった、ということは、もう亡くなったのか」
「そうです。詳しいことは、母から話をさせてください」

 フェルトさんのお母さんは、丁寧に頭を下げてから、きちんと説明してくれた。キュレルの街の商家で生まれたお母さんは、行儀見習で王都にあるクローゼ子爵のお屋敷のメイドになって、そこでフェルトさんのお父さんに会ったんだって。
 フェルトさんのお父さんは、クローゼ子爵家の三男で、生まれつき身体が弱くって、大人になるのは無理だろうっていわれていたらしい。同情したお母さんは、一生懸命にお父さんのお世話をして、二人は恋人になった。

 こういうときって、普通なら、お母さんはすぐにお屋敷を追い出されるそうなんだけど、お父さんのお父さん、フェルトさんにとってはお祖父さんに当たる先代の子爵様が、長くは生きられない息子を可哀想に思って、一緒にいさせてあげたそうだ。
 何年か後、フェルトさんが生まれてからしばらくして、お父さんは亡くなってしまった。自分でフェルトって名付けた息子を抱いて、笑顔のまま亡くなったって。そう話しているとき、フェルトさんのお母さんは涙を浮かべていたし、わたし達もすごく悲しかった。

 それから、フェルトさんとお母さんは、クローゼ子爵のお屋敷を出された。お祖父さんは、お母さんを息子の嫁、フェルトさんをクローゼ子爵家の子供だとは認めてくれなかったんだって。ひどいね、貴族って。

「先代のクローゼ子爵様は、わたしとフェルトを心配してくださったんです。お屋敷に居座って、奥様やご兄弟と顔を合わせるよりも、親元に戻った方が穏やかに暮らせるだろうと。戸籍のことも、万が一にも家督争いに巻き込まれることのないようにという、ご配慮だったと思っております」

 フェルトさんのお母さんは、それ以上は何もいわなかったけど、お祖母さんや兄弟にいじめられていたんだろう。多分、間違いなく。
 何となくしんみりとした雰囲気の中で、最初に口をきいたのは、うちのお母さんだった。豪腕のお母さんには、どうしても確認しておきたいことがあったみたいだ。

「では、ここにおられるフェルトさんは、クローゼ子爵家とは無関係な方だと考えてもよろしいんでしょうか」
「そうです。今はご長男が爵位を継いでおられますし、ご長男にもご次男にもご子息がおられます。フェルトがクローゼ子爵家に関わることは、あり得ないと思います」
「だったら、問題はありませんね。どうですか、あなた」

 満足そうに笑ったお母さんに、お父さんも大きく頷いた。

「それなら大丈夫だ。わたし達は、キュレルの街の守備隊の分隊長として、フェルトさんの人柄を知っている。そのフェルトさんが、真剣にアリアナと交際したいというのであれば、反対はしないさ。チェルニも、それでいいな」

 おっと。いきなり全員の視線が集中した。お父さんとお母さんは、事前に話し合っていたみたいだけど、わたしの気持ちを聞かれるのは初めてだ。しっかりと胸を張って、わたしはフェルトさんに宣言した。

「フェルトさんだったら、賛成です。大賛成。でも、わたしの大好きなアリアナお姉ちゃんを泣かせたら、二度と日の目を見られないようにするからね」

 この〈二度と日の目を見られないように〉っていうフレーズは、今読んでいる冒険小説の中に書いてあった。わたしは、キュレルの街でも指折りの文学少女なのだ。

「ありがとう、チェルニちゃん。きみが妹になってくれるなんて、本当にうれしいよ。お父さんもお母さんも、ありがとうございます」

 みんなが笑顔になって、和やかな空気が流れたところで、総隊長さんがいいにくそうに口を出した。

「いや、皆さん。まだ、肝心のアリアナさんのお気持ちを確かめていませんから。フェルト、おまえは気が早すぎる。アリアナさんに断られたら、チェルニちゃんを妹にはできないぞ。交際してからフられることもあるし。気立ての良い美少女と評判のアリアナさんだから、求婚する男なんて星の数ほどいるだろうが」

 カチーンと音がするみたいに、フェルトさんが固まった。確かに、アリアナお姉ちゃんの気持ちはわかりやすいけど、結婚は別かもしれないしね。
 総隊長さんにいわれて、自分でもちょっと恥ずかしくなったらしいお父さんは、わざとらしい咳払いをしてから、わたしに聞いた。

「アリアナは今、どこにいるかわかるか、チェルニ」

 この時間、アリアナお姉ちゃんは、街の女学校に行っている。これは王都の高等学校とは違って、礼儀作法とか裁縫とか帳簿とか、生活に必要な教養を学ぶところだ。アリアナお姉ちゃんは、わたしより三歳年上なので、もうすぐ女学校を卒業する予定だ。
 フェルトさん達が来てから、けっこうな時間が経つから、もう帰ってきてもいい頃だろう。わたしは素早く印を結んで、神霊さんを呼び出すことにする。

 印をもらったとき、アリアナお姉ちゃん以外の全員が爆笑した、すずめを司る神霊さん。何だそれ、と思うかもしれないが、実はけっこう役に立ってくれるのだ。

「雀の神霊さん。今、周りに何が見えますか。お姉ちゃんのいる場所を、わたしに教えてくださいな。お礼はいつもと同じ、わたしの魔力と髪をちょっぴり」

 わたしがいうと、茶色のグラデーションになった可愛い光球が現れて、わたしの目の前をクルクル回る。
 そう、わたしは雀の神霊さんにお願いして、外出するお姉ちゃんの周りに〈依代よりしろ〉となる雀を配置してもらっている。どの街にも雀はたくさんいるから、依代に困ることもない。この雀は神霊さんの目になってくれるので、神霊さんを通して、わたしにもお姉ちゃんのいる場所のイメージが伝わってくるのだ。

 美少女で有名なアリアナお姉ちゃんだから、わたしがしっかり守らないとね。まあ、実際のところ、お姉ちゃんに印をくれた神霊さんの力があれば、お姉ちゃんが危ない目に遭うとは考えにくいんだけど。

 今日のアリアナお姉ちゃんは、女学校までの往復だから、だいたい二十羽くらいの雀が交代で見てくれているみたい。小さな雀はとっても可愛いから、数が多くても問題はない。ないったらない。

「今、ナグルおじさんの接骨院を通り過ぎるところだから、すぐに帰ってくると思うよ、お父さん」

 骨の神霊術が使えるナグルさんは、わたし達の〈野ばら亭〉の近くで接骨院を経営している。アリアナお姉ちゃんは、同じ女学校に通っているお友達で、ナグルさんの娘さんのナタリアさんと、手を振ってさよならの挨拶をしているから、家まではもうちょっとだ。
 わたしの答に緊張して、今度はガチーンと音がするほど固まり切ったフェルトさんを横目に、お母さんがいった。

「それじゃあ、アリアナの気持ちを確かめましょう。まずは、そこからよ。チェルニは家の玄関で待っていて、アリアナを庭に連れて行って。フェルトさんには、そこでアリアナに申し込んでもらいましょう。いいでしょう、あなた」

 元気いっぱいの明るいお母さんに対して、途端に元気のなくなったお父さんは、それでも重々しくうなずいた。

「そうだな。大切なのはアリアナの気持ちだ。俺達のいないところで、話してもらった方がいいだろう。それでいいな、分隊長」

 そう聞かれたフェルトさんは、返事をしなかった。顔を見ると、青から白に変わっていて、ちょっと震えているみたい。そこまで緊張しなくてもいいと思うんだけど。
 フェルトさんのお母さんは、息子に憐みの視線を送ってから、お父さんとお母さんに深々と頭を下げた。

「ありがとうございます、カペラさん、奥様。至らない息子ですけれども、アリアナさんのことは真剣に考えております。どうか、よろしくお願いいたします」

 さっき、フェルトさんの頭をぶっ叩いた総隊長さんは、フェルトさんのお母さんと一緒に、今度は黙ったまま頭を下げた。
 フェルトさんにとって、ここからが正念場というやつだ。わたしの大好きな歴史小説でも、悪者と対決するときに王様がいっていた。〈今こそ我らが正念場。命を尽くして迎え撃つ!〉ってね。 
 お姉ちゃんは優しいから、骨は拾ってくれるだろう。頑張れ、フェルトさん!


    ◆


 お母さんにいわれた通り、家の玄関で待っていると、すぐにアリアナお姉ちゃんが帰ってきた。お姉ちゃんは、わたしの顔を見ると、ふわっと音がしそうなくらい柔らかく笑った。

「待っていてくれたの、チェルニ。ありがとう」

 自然にゆるくカールした髪は本物の金色で、大きな瞳はエメラルドで、小さな唇はバラの花びらで、ほっそりした首筋は白鳥みたい。我が姉ながら、何という美少女。
 おまけに、アリアナお姉ちゃんは、とにかく性格がいい。優しくて穏やかで、でも頭がいいから、ちゃんとしっかりしている。生まれたときから一緒にいる妹から見ても、のんびりしすぎているところ以外、欠点らしい欠点が見当たらないのだ。

 アリアナお姉ちゃんが、〈美人の看板娘〉くらいの評判で、平穏に暮らしていけるのは、すごくめずらしい神霊さんの力で守られているからだ。そうじゃなければ、どこかの貴族にでも誘拐されているか、男の人達が〈取り合いの殺し合い〉でも起こしているだろう。 

「お帰りなさい、お姉ちゃん。あのね、お姉ちゃんにお客様が来ているから、庭で待っていなさいって、お母さんがいってるの」

 お姉ちゃんは、びっくりするくらい長いまつ毛をまたたかせて、小首を傾げた。こんなことは初めてだから、不思議に思ったんだろうけど、黙ってついてきてくれる。
 お姉ちゃんを連れて行ったのは、応接間からも出ていける、うちの自慢の庭。広くはないけど、お母さんとお姉ちゃんが熱心に世話をしているので、どの季節でも綺麗な花が咲いているのだ。
 その端っこにある小さなテラスは、テーブルセットから庭が見渡せるし、応接間からはちょうど死角になるので、話し合いにはぴったりだろう。

「じゃあ、ちょっとだけ待っていてね、お姉ちゃん。すぐにお客様を呼んでくるから」
「わかったわ。ありがとう、チェルニ」

 アリアナお姉ちゃんの口癖は、「ありがとう」と「うれしい」だ。お姉ちゃんと結婚できたら、きっとルーラ王国でも一番の果報者だよ、フェルトさん。お姉ちゃんが、こんなにすごい美少女じゃなくってもね。

 わたしが庭を通って応接間に戻ると、フェルトさんがカチカチのまま出てきたところだった。わたしは、テラスの方を指差していった。

「お姉ちゃんは、そこのテラスで待ってるから。頑張ってね、フェルトさん」
「……ありがとう」
「声、ちっさ! しっかりしなよ、男でしょうが」

 仕方ないので、わたしはフェルトさんの背中をバシッと叩いて、気合を入れてあげた。誘拐された子供達を追いかけていたときの、カッコいいフェルトさんはどこに行ったの? そろそろ正気に戻ってもらわないと、この人がお姉ちゃんのお婿さんでいいのか、不安になるじゃないか。
 わたしに叩かれて、情けなくよろけたフェルトさんは、ようやく覚醒したらしい。自分の顔を軽く両手で叩いてから、しっかりといった。

「ありがとう、チェルニちゃん。もう大丈夫だから、頑張ってくるよ。アリアナさんに断られても、俺は諦めない。何年でも何十年でも求婚し続けるから、見ていてくれ」

 うん。そんなには見ていられないよ、フェルトさん。

 ともあれ、フェルトさんを送り出してから応接間に戻ると、全員が緊張した顔で座っていた。お姉ちゃんの答は決まっていると思うんだけど、やっぱり不安があるんだろうか。さっきのフェルトさんみたいに、顔を強張らせたお父さんが、わたしにいった。

「その、何だ、チェルニ。おまえの雀は、声のイメージも送ってくれるんだろう。テラスでどんな話になっているのか、ちょっと教えてくれないか」
「あなたったら、何てことを。それはルール違反ですよ。第一、さっきということが違っているじゃないの」
「いや、しかし、心配だろうが、色々と」

 雀じゃなくて、雀を司る神霊さんだよ、お父さん。お父さんが何を心配しているのか、わたしにはわからないけど、お母さんは呆れたみたいにため息をついてから、わたしを見た。これはあれだ、ちょっとだけ協力してあげなさいっていう合図だ。

「会話の内容じゃなくて、雰囲気だけ伝えようか。それならいいでしょう、お母さん」
「仕方ないわね。それだけですよ、あなた」 
「十分だ。頼むぞ、チェルニ」
「了解!」

 わたしは小さく印を切って、もう一度、雀の神霊さんにお願いした。

「雀の神霊さん。今日は、追加のお願いをさせてくださいな。アリアナお姉ちゃんとフェルトさんが、どんな話をしているのか、雰囲気を教えてほしいの。対価はわたしの魔力と、お母さんの焼いてくれた蜂蜜クッキーでどうでしょう」

 いつも髪だと変化がないので、何となく雀の神霊さんが好きそうな、甘いお菓子を指定してみた。すぐに目の前に現れた、茶色の光球は、元気にクルクルと回りながら、わたしに鮮明なイメージを送ってくれる。蜂蜜クッキーも、楽しみにしてくれているみたいだ。
 雀の神霊さんは、ルーラ王国の歴史が始まって以来、一度も頼み事をされたことがなかったらしい。まあ、普通はそうだろう。それで寂しい思いをしていた神霊さんは、わたしが頻繁に呼び出すので、すごく喜んでくれているのだ。

 神霊さんの依代になっている雀のうちの一羽が、さっと飛んできて、テラスの横の木蓮の木に止まった。そこからだと、アリアナお姉ちゃんとフェルトさんを同時に見られるし、声も拾いやすい最高の位置どりだ。有能すぎるよ、雀さん。

 テラスでは、ちょうどフェルトさんが、アリアナお姉ちゃんの横に座ったところだった。フェルトさんは緊張を通り越したのか、キリッとした顔をしていてカッコいい。
 アリアナお姉ちゃんは、意味がわからないみたいに戸惑っていて、でもフェルトさんに会えてうれしいみたいで、何だかそわそわしている。

「家にいらしてくださったんですね、フェルトさん。何かご用でしたか」
「今日は、アリアナさんにお話があってきました。突然だと思われるかもしれませんが、何年も前から、ずっといいたかった話です」

 そういって、フェルトさんはお姉ちゃんの瞳を見つめ、ゆっくりと口を開いた……。

 って、何でここまではっきり見せてくれるの、神霊さん。お姉ちゃんの押し殺した吐息とか、フェルトさんの微かに震える指先とか、全部見えるし聞こえるよ!

 わたしは礼節を知る少女なので、お姉ちゃんやフェルトさんの大切な瞬間を、勝手にのぞき見するつもりはない。慌てて神霊さんにお願いして、何となく会話がわかる気がする程度まで、イメージを落としてもらった。それでも、わたしの方が赤くなるくらい、雰囲気は甘酸っぱいんだけど。

「どうなんだ、チェルニ。どんな話になっている。おまえ、何だかおかしな顔になっているが、大丈夫か」

 待ち兼ねたみたいに、お父さんが聞いてきた。おかしな顔とは失礼な。お姉ちゃんとフェルトさんに当てられて、居心地が悪いだけなのだ。
 お父さんだけじゃなく、お母さんもフェルトさんのお母さんも総隊長さんも、揃って注目しているので、わたしは2人の様子を簡単に教えることにする。

「フェルトさんは、キリッとした感じで、お姉ちゃんに交際の申し込みをしたみたい。結婚を前提にお付き合いしてくださいって、ちゃんとそういう意味のことを言ってます」
「そうか……」
「まあ、素敵」
「良かった、きちんと言えたのね」
「よし! よくいった、フェルト」

 お父さん達は、それぞれに感想をつぶやいている。お父さんだけ、何となく暗いけど、そこは仕方がないだろう。アリアナお姉ちゃんをお嫁にやるなんて、本当は嫌に決まっているからね。

「それを聞いたお姉ちゃんは、涙をポロポロこぼしながら、フェルトさんに微笑んでます。フェルトさんは、真っ赤な顔になって、ハンカチを出そうとおろおろしてます」
「アリアナ……」
「嬉し涙なのね、わたしの大事なお花ちゃん」
「良かったわ。もうちょっと頑張って」
「よし! いいぞ、フェルト」

「あ。お姉ちゃんが、はっきりとお話を受けました。フェルトさんも、喜んで泣き出す寸前です。お姉ちゃんとフェルトさんは、両手を握り合いました。フェルトさんは、お姉ちゃんを抱きしめたいみたいだけど、いいのかな」
「だめだ。まだ早い」
「それくらいは別にいいじゃないの、あなた」
「無作法はだめよ。待ちなさい」
「よし! そのままいけ、フェルト」

 みんなが口々に騒ぎ出したところで、お父さんが立ち上がろうとした。娘の父親らしく、二人の邪魔をしたいんだろう。
 隣に座っているお母さんは、お父さんの上着を引っ張って止めている。

「あなたが行かなくても、大丈夫ですよ。あの子達はもう大人だし、わたしの神霊さんにお願いして、二人を祝福してもらいましょう」

 そう言って、お母さんは素早く印を結んだ。お母さんが得意とする、キュレルの街でも有名な神霊術だ。

「薔薇を司る神霊さん。わたしの大切な娘のために、綺麗な花を降らせてください。今の季節にぴったりな、可憐な野ばらにしましょうか。対価は魔力と感謝の気持ち。それから今日は特別に、薔薇のオイルの小瓶をひとつ」

 詠唱を終えて印を切ると、お母さんの目の前に綺麗なピンク色の光球が現れて、くるくるくるくる、凄い勢いで飛び回った。すると、お母さんが手のひらにのせていた、小さな香水瓶が消えてなくなり、ピンク色の光球が庭に向かって飛んでいく。

「さあ、わたし達も庭に出ましょう。薔薇の神霊さんが、きっと素敵な光景を見せてくれますからね」

 お母さんに誘われて、わたし達は全員でテラスに向かった。そこで見たのは、涙を浮かべたお姉ちゃんと、こっちも目が赤くなっているフェルトさんが、しっかりと手を握って寄り添っている姿だった。
 お母さんの得意の神霊術で、〈野ばら亭〉の名前の由来にもなった薔薇の神霊さんは、今日は特別にサービスしてくれているらしい。
 二人の上空からは、可愛い野ばらの蕾がゆっくりと降り注いでいて、お姉ちゃん達の頭の高さくらいになると、ポンッと弾けて花びらが舞う。真っ赤な野ばらはもちろん、白にピンク、オレンジ、黄色と、色とりどりの花びらが次々に舞い散る様子は、本当に夢みたいに綺麗だった。

 優しい花びらの雨の中、お姉ちゃんとフェルトさんの、あまりにも幸せそうな顔を見て、わたしがこっそり目元をぬぐったことは、誰だって簡単に想像できると思う。

 だからね。幸せいっぱいのお姉ちゃんの縁談が、わたしの二度目の冒険の幕開きになるなんて、このとき予測できるはずなんてないんだよ……。


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