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フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 4-2

04 アマーロ 悲しみは訪れる|2 妃の謀略

 その夜のクレメンテ公爵は、賓客ひんきゃくを迎える為に造営されたラードゥガ宮、壮麗そうれいを極めた〈虹の宮殿〉の一室で、数人の腹心達と向かい合っていた。広々と豪奢ごうしゃな部屋は、クレメンテ公爵が王城を訪れた折に自由に使えるよう、王家から特別に与えられたものである。茶会が開ける程の広さを持った貴賓室に、幾つかの控えの間を備え、クレメンテ公爵が宿泊出来る寝室には続きの居間もある。ラードゥガ宮にこれだけの部屋数を有しているのは、王妃の実家であるグリンカ公爵家の他には、クレメンテ公爵家だけだった。

 王城に専用の部屋を与えられるのは、王族に次ぐ存在であると宣言されたに等しく、大きな名誉だったが、野心家のクレメンテ公爵にとっては、これ程の特権であってさえ、十分に心を満たすものではなかったのだろう。クレメンテ公爵は、如何いかにも高貴な血筋を思わせる秀麗なおもてに皮肉な微笑みを浮かべ、貴賓室を一層典雅にきらめかせている黄金色の壁を指し示しながら、傍のパーヴェル伯爵にたずねた。

「ロジオン王国の本宮殿であるヴィリア宮には、陛下の御使いになる八分の黄白おうはくが貼り巡らされている。では、貴賓宮殿たるラードゥガ宮に使われるのは、何分の割合の黄白なのか分かるかね、パーヴェル伯」

 クレメンテ公爵の問い掛けは、ロジオン王国の貴族にとっての常識を問うものだった。クレメンテ公爵が語ろうとする話の意図を察し、パーヴェル伯爵は丁寧に答えた。

「光り輝くヴィリア宮の黄白よりは、少々淡い金色でございますな。黄金と銀を五分の割合で鋳造ちゅうぞうしたものかと存じますが、如何いかがでございましょう」
「そう、五分の黄白だ。伯も知っての通り、ロジオン王国では黄白の使い方に厳密な決まり事がある。八の黄金に二の銀を混ぜ込んだ八分の黄白は、国王陛下の住われるボーフ宮と、正式な謁見えっけんの間を置くヴィリア大宮殿でのみ使われる。王家の血を引く公爵家といえども、宮殿に与えられる部屋は五分の黄白。そして、自邸では黄白の使用は許されぬ。公爵家当主夫妻と嫡男ちゃくなんのみ、手回りの品にいくらか五分の黄白を貼れるだけなのだ」

 クレメンテ公爵は、微かな苛立ちをまとって黄白おうはくの壁を見詰めた。当たり前の壁紙では決して再現出来ない、典雅にしてきらびやかな黄白の輝きは、常にクレメンテ公爵に複雑な感情を呼び起こさせるのである。

「我がクレメンテ公爵家の五代前の当主は、王弟の御一人で在られた。兄王の即位と同時に臣下に降り、クレメンテ公爵家に婿入りされたものの、亡くなる寸前まで嘆いておられたそうだ。黄白を貼らぬ壁など見窄みすぼらしい、臣下に落とされた身がいとわしい、とな。ロジオン王国の黄白は、そうして元王族の心を折る為にも使われるのだよ」

 パーヴェル伯爵は、安易な言葉を口にしようとはせず、深々とした座礼を返答に替えた。一方、アイラトとの住まいであるドロフェイ宮から、自ら足を運んでいたマリベルは、傲慢ごうまんな口調で言った。

「王弟殿下で在られた御当主様の御気持ちは、く分かりますわ。けれども、王弟殿下の血筋を受け継ぐわたくしは、再び黄白の壁に囲まれて暮らしておりますのよ、御父様。今は未だ、この部屋と同じ五分の黄白でございますけれど、アイラト殿下と共に王太子宮に移りましたら、黄白は更に輝きを増しましょう。御父様が御悩みにならなくても、アイラト殿下が御即位なされば、クレメンテ公爵家も黄白の家となりましてよ。王妃陛下のグリンカ公爵家が、今現在はそうであるように」

 マリベルの言う通り、黄白に関わるロジオン王国の規程として、王妃に冊立された者の実家は、特別に自邸の内部に王妃の割合の黄白を用いることを許される。火災や天変地異などの理由で、王城が使用できなくなった際には、王を始めとする王族が王城から避難し、一時的に王妃の実家に暮らす可能性を考慮しているからである。実際、五百年を超えるロジオン王国の歴史の中では、王妃の実家を仮の宮殿とした事例も有った。
 王妃エリザベタの祖母にして、ラーザリ二世の王女でもあった先代の公爵夫人は、グリンカ公爵家が王妃の実家となった結果、屋敷中が黄白おうはくに包まれたのを見届け、満腔まんこうの笑顔の内に逝ったのは、ロジオン王国の貴族の間では有名な話だった。

「マリベル妃殿下のおおせの通りでございますよ、公爵閣下。王権の象徴でもある黄白は、常に奪い奪われるものでございます。かつての御当主様の御手をすり抜けた黄白が、時を経て閣下の御手に戻るのも、また必定ひつじょうと存じます」

 パーヴェル伯爵の言葉には、王の外戚を狙う大貴族と、その派閥の中心的貴族という枠には収まらない、温かな慰めと励ましがこもっていた。クレメンテ公爵は、めずらしくも含みのない表情で微笑んだ。

「伯は、中々に含蓄がんちくのある物言いをする。私が伯を腹心とする理由の一つは、その含蓄の故なのだ。王族を初代とする公爵家は、青い血に急き立てられるかのごとく、玉座へと吸い寄せられる。勿論もちろん謀反むほんなど夢にも思わぬ故、公爵家として許された手段によってだがな。そうか。失われた黄白は、再び我が手に戻るか、パーヴェル伯」
「はい、閣下。運命がそれを許すなら、閣下のものとなりましょう。その運命を引き寄せる為に、非才なる我が身の全力を以て、閣下の御味方をさせて頂く所存でございます。今迄がそうでございましたし、これからも忠勤を御尽くし致します」
「そうですとも。何も御心配には及びません。新しき黄白は、必ずわたくしが手繰り寄せて御覧に入れますわ、御父様」

 クレメンテ公爵とパーヴェル伯爵の会話に割って入るかのように、マリベルは再び高らかに宣言した。マリベルの自信に満ちた言葉に、パーヴェル伯爵に向かって微笑んでいたクレメンテ公爵は、今度こそ不快の意を示した。

「そなたは、少しばかり慎みに欠けるのではないか。やり過ぎてはいけないよ、マリベル。差し出がましい真似をする女と思われたら、アイラト殿下の御心が離れるやも知れぬ。ドロフェイ宮でいきなり元第四側妃の話を暴露したときは、こちらの肝が冷えたわ」
「まあ。御父様ともあろう方が、有り触れた御説教をなさいますのね。勿論もちろん、殿下の御顔の色は読んでおりますわ。アイラト殿下は、貞淑ていしゅくなだけの女や、美しいだけの御人形を愛でられる御方ではございませんもの。夫に尽くすが故のわたくしのはかりごとくらい、笑って受け入れて下さいますわ」
「それでもだ、マリベル。くれぐれも、出過ぎぬように気を付けなさい。そなたは、何よりも先に子をさねばならない。入宮して三年以上、このまま懐妊の兆しがなければ、来年には側妃の話が出るだろう。対抗馬を潰して回るのも、そろそろ限界であろうよ」

 最も触れられたくない話題に踏み込まれたマリベルは、噛み締めた唇を隠すために、手にした扇を開いて口元を覆った。内心の不快を表明し、それ以上の話題の継続を拒む、貴婦人ならではの仕草である。薄紅色の繻子しゅすに白いレースをあしらった優雅な扇が、このときばかりは抜き身の軍刀のように剣呑だった。
 優美なラードゥガ宮の一室が、冷ややかな苛立ちに支配されようとしたとき、貴族としての処世術に長けたパーヴェル伯爵は、父と娘のそれぞれをなだめる方策として、鮮やかに話題を変えた。

「閣下の御手に黄白おうはくを取り戻す為には、本日の召喚魔術も手札の一つとなりましょう。万事に動じぬ陛下が、内心で御悩みになっているのは、動力源の枯渇こかつでございます。それを解決する可能性を御示しすれば、陛下の御心も傾くかと存じます。少なくとも、可能性が有ると思わせられたなら、王国騎士団が黙ってはおりますまい」

 貴族の最高位である公爵家の令嬢として、厳しく感情の制御を躾けられてきたマリベルも、素早く表情を取り繕い、この話題に加わった。

「御説の通りですわ、パーヴェル伯。獰猛どうもうな王国騎士団は、過去の栄光が忘れられないのですもの。他国への外征を認めてくれる君主と、その為の力を得る機会があれば、後先を考えずに飛びついてくるのではないかしら。それで、実際の見通しは如何いかがですの。一番最初に召喚魔術という発想を持ち込まれたのは、貴方なのでしょう」
「我が家は代々、多くの魔術師を生み出した家系でございます、妃殿下。誠に残念ながら、最近では嫡男ちゃくなんのダニエ一人にしか魔術の才はございませんけれども、そのダニエの曽祖父そうそふにして我が祖父ヤキム・パーヴェルは、先代の魔術師団長でございました。その祖父が書き残しました書類の中に、召喚魔術という概念があったのでございます」

 扇を閉じて会話に加わるという、マリベルの貴婦人らしい謝罪を受け取ったクレメンテ公爵も、総領娘そうりょうむすめ溺愛できあいする父親らしく、頬を緩めて会話に加わった。

「ヤキム師は、彼のゲーナ・テルミンに、契約の魔術紋を刻んだ方でもあるのだよ、マリベル。あれは全く英断であった。ヤキム師の魔術紋がなければ、如何いかに強大なロジオン王家とはいえ、ゲーナ・テルミンを御せなかったかも知れないのだ。そのヤキム師が、死の間際まで心を残されたのが召喚魔術なのだから、ゲーナ・テルミンの最後の大仕事にするに、これ以上のものはなかろう」

 そう言って、クレメンテ公爵は酷薄に笑った。クレメンテ公爵にとって、自らとも王家とも距離を置こうとするゲーナは、決して好ましい人物ではなかった。己が手駒にならない存在であるのなら、策略を以て利用する環境を整えるか、程々に苦しめて力を削ぎたいと考えるのが、貴族という存在である。まごうことなき大貴族であるクレメンテ公爵が、ゲーナを窮地に陥れて愉悦の色を浮かべるのは、むしろ自然な成り行きだった。
 魔術師としての才には恵まれなくとも、高位貴族らしい政治力に不足のないパーヴェル伯爵も、平然と言葉を続けた。

わたくしとダニエは、召喚魔術そのものは成功するであろうと考えております。犠牲をいといさえしなければ、出来ない術ではないのだと、息子が申しておりましたので。問題は二つ、召喚魔術の行使に反対をし続けていたゲーナ・テルミンが、果たして本気で協力するかという点と、召喚後の成果でございます」
「ゲーナ・テルミンは変わり者ですのね、御父様。魔術師と呼ばれる程の者は、常に新しい魔術に挑みたがるものだとばかり思っておりましたわ。魔術師団長は、何故、召喚魔術に反対するのかしら。誰も成し得ていない、この世界で最初の試みですのに」
「この世のことわりに反するから、と述べていたよ、マリベル。魔術師としてのゲーナが知る理、この世の絶対的な真理とでも言うべき法則が、召喚魔術を是とはしないのだと。だからこそ、行う価値があるというのに、頭の固い老いぼれは敵わぬ。千年に一人の天才と呼ばれていても、所詮は魔力量だけのことであろうよ」

 召喚魔術の実現に向けて、クレメンテ公爵やパーヴェル伯爵らが、交渉に交渉を重ねてきた間、頑なに召喚魔術に反対していたゲーナの様子を、脳裏に思い浮かべたのだろう。クレメンテ公爵の顔には、今度こそはっきりとした侮蔑の笑みが浮かんだ。

「それだけではございませんでしたよ、閣下。召喚される側の権利などと、更に訳の分からぬことも力説しておりました」
「召喚される者など、我らの奴隷どれいとして定められた存在だと考えれば良いであろうに。ゲーナ・テルミンの思考は、とても貴族のものとは思われぬ。ゲーナの生家といえば、建国以来の名門の内であろうに。まあ、それはそれで良い。パーヴェル伯の祖父君がほどこした魔術紋が有る以上、ゲーナ・テルミンに全身全霊の力を出させるのは、いとも容易いのだからな。そなたの祖父君は誠に偉大であったな、パーヴェル伯」

 亡き祖父を讃えられたパーヴェル伯爵は、満面の笑みをたたえて一揖いちゆうした。瞳をきらめかせたマリベルが、もう一度口を開こうとしたとき、控え目に扉を叩く音が聞こえ、先触さきぶれが賓客ひんきゃくの訪れを告げた。この夜、クレメンテ公爵が招いたとき二人の客、アイラトとスヴォーロフ侯爵が、ラードゥガ宮に足を運んだのである。クレメンテ公爵らは席から立ち上がり、礼と共に二人を迎えた。

「これは殿下、宰相殿。く御越し下さった」
 鷹揚おうように会釈を返したアイラトは、優雅な足取りでマリベルの傍に近寄って、白い指先に口付けを落とした。

「私の妃が、私を置いて父君の元に行ってしまいましたからね。今夜の儀式までの時間を持て余して、叔父上を御誘いしたのです」

 マリベルは、口付けられた指先にそっと力を入れて、夫たるアイラトの手を握り、白皙はくせきの頬にほのかな血の色を上らせた。政略で結ばれた秀麗な王子を、マリベルが密かに熱愛していることは、世馴れた貴族達の目には明らかだった。

「まあ、殿下。御揶揄からかいになっては嫌でございますわ。殿下こそ、普段はいつもわたくしを置いて行っておしまいになりますのに」

 アイラトは口を開こうとはせず、曖昧な微笑みを刻んだまま、マリベルの隣に腰掛けた。一方のスヴォーロフ侯爵は、洗練された所作でクレメンテ公爵に礼を返し、かたわらに立つパーヴェル伯爵に話し掛けた。

「御子息の様子は如何いかがか、パーヴェル伯。叡智えいちの塔からは、召喚魔術の準備は順調との報告を受けている。ダニエ殿は、何か言っていましたかな」
「ここ最近は流石さすがに疲れた様子で、叡智の塔から帰れぬ日も多うございました。ただ、昨日は久し振りに早く帰宅し、ゆっくりと晩餐を共に致しました。ダニエは随分と落ち着いておりまして、為すべきことは為したと、自信を覗かせておりましたよ」
「それは素晴らしい。流石、叡智の塔が誇る英才だ。ダニエ殿なら、きっと我らの求める結果を手繰り寄せてくれるでしょう。仮に今回の試みが失敗に終わったとしても、次に続く形であれば、状況は我らの望む方向へと動きましょう」

 胸中にほの暗い深淵しんえんたたえたスヴォーロフ侯爵と、鍾愛しょうあいする息子に相応ふさわしいだろう将来を思い描くパーヴェル伯爵は、目を見交して静かに微笑んだ。長椅子に背を預けたクレメンテ公爵は、白大理石に金の象嵌ぞうがんほどこした大きな柱時計を見ながら言った。

「さて、我らが叡智の塔に向かうまでには、後三ミルといった所か。マリベルがドロフェイ宮に戻らねばならぬ時間までにも、まだしばしの余裕がある。よろしければ、皆で晩餐の席を囲みながら、前祝いの杯を掲げるとしよう」

 クレメンテ公爵の合図に、部屋の隅に控えていた侍従じじゅう達が、一斉に晩餐の用意に取り掛かる。こうして、其々の思惑を秘めた群舞は、黄金の国ロジオンを代表する貴顕きけん達によって、更に優雅に踊り続けられたのである。


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