連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 2-28
襲撃者の登場を感知した、スイシャク様とアマツ様は、次の瞬間には、わたしを紅白の光の帯で包んでくれた。ぐるぐるを通り越して、ぐるんぐるんに。
そして、わたしを包み込んだものと同じ、紅白の眩い光の帯が、薄い幕みたいに広がって、部屋中を覆ったんだ。王都の家具屋さんで見つけて、素敵だなって憧れていた、天蓋付きのベッドみたいな感じだった。
スイシャク様とアマツ様からは、わたしを励ますみたいなメッセージが、次々に送られてきた。〈其の身柄は、現世の理の外に在り〉〈刹那の業也〉〈今に限りて、現世の何人たりとも、其に近づくこと能わず〉〈其が気に掛けし者たちも、我らが守護の内也〉〈《神威の覡》の威光によりて、やがては神罰の刻とならん〉って。
わたしのことを、ぐるんぐるんに包み込んでいる紅白の光の帯は、ちっとも窮屈じゃなかった。自由に動くことができて、でも、ふんわりと支えてくれて、まるでお母さんに抱きしめられているようだった。
嬉しくって、頼もしくって、わたしが、思わず笑みをこぼしたら、スイシャク様が顔をのぞき込んできた。ふっす、ふっす? って。スイシャク様ってば、本当にお母さんみたい。
わたしがそう思っていたら、スイシャク様がびっくりした顔をして、ばたばたと白い羽根を動かした。鳥のびっくりした顔って、すごく可愛いんだね。
わたしの手を、可愛い羽根先でぺちぺちと叩きながら、スイシャク様が、素早く視界を切り替えてくれた。
最初に目に映ったのは、どこかの部屋の一室だった。開け放った窓から見える景色には、見覚えがあるから、わりと〈野ばら亭〉の近くなんだろう。
部屋にいたのは、三人の男の人だった。そのうちの一人は、今朝、〈白夜〉で〈野ばら亭〉への襲撃の話をしていた、とっても悪い人……面倒だから、悪人1でいいや。
もう一人の男の人、こっちも面倒だから悪人2は、窓からはじっと外を見ているのに、固く目を瞑ったままで、両手の指を複雑な形に組み合わせている。多分、何かの神霊術を使っている最中だと思う。
悪人1は、横柄な口調で、悪人2に問いかけた。
「どうだ、見えるか?」
「ええ。大丈夫です。わたしの〈目〉の神霊術は、弟と視界を共有できますからね。こちらが偽装した郵便馬車は、もう目的地の目の前です」
「相変わらず、便利な術だな」
「他人の視界とも接続できるようなら、最高だったんですがね。まあ、他にも使い道が多い術なので、助かってはいますが。ああ、着きました。仲間たちが、四人がかりで大きな荷物を持って、家の門をくぐろうとしています。弟は、郵便局員の制服を着て、相手に扉を開けさせる係ですね」
「中身は空の荷物だがな。しばらくしたら、十四の娘を箱詰めにして、馬車に運び込むだけだ。郵便馬車が出発したら、間を置かずに火をつけるぞ。いいな?」
悪人1の言葉に、冷酷な顔でうなずいたのは、その場にいたもう一人の男の人である、悪人3だった。悪人3は、指先で印を切る真似をしながら、ざらざらする声でいった。
「問題ない。昨夜、〈下準備〉に行った奴らが、俺の指示した通りの場所に、〈罪の火種〉を隠してきたんなら、あの店は一瞬で火の海だ」
「奴らからは、確実に仕込んだと聞いている。奴らにとっては、慣れた仕事だからな。貴族の屋敷ならともかく、人の出入りの激しい宿屋や、ただの民家に仕掛けるのは、簡単な仕事だろうさ」
「今、あの店と宿屋には、何十人もの人間がいるな。俺の炎も、さぞかし赤々と燃えるだろう。俺は、見物に行くぞ」
「足がつく危険性があるんだ。今回は控えられないのか?」
「嫌なこった。自分が燃やした炎を見たいというのが、俺が仕事を受けるときの条件だと、あんたも知っているだろう? 俺は……」
スイシャク様は、ここで強引に視界を断ち切った。うん。アマツ様が怒っちゃって、轟々と炎が吹き上がっているから、場面を変えてもらって正解だと思うよ。
次に見えたのは、わたしの家の玄関で、郵便局員の制服を着た男の人が、穏やかそうな顔をして、呼び鈴を鳴らしているところだった。その後ろには、四人の男の人たちが、大きな木箱を持って控えている。わたしってば、あの木箱に入れられて、誘拐される予定だったんだね……。
玄関から見えている馬車は、本物の郵便馬車にそっくりな色と形で、郵便局の紋章まで掲げている。事前に計画を知っていなかったら、誰も疑わないんじゃないかな。
呼び鈴に答えて、家の中から出てきたのは、中年の優しそうな女の人だった。わたしには見覚えがないんだけど、ちゃんと〈野ばら亭〉の制服を着ているから、ルー様の部下の人なんだろう、多分。
女の人は、まったく疑ってなんかいない、のんびりした口調で、郵便局員風の男の人に応対した。
「はぁい。ご用ですか?」
「あ、どうも。こんにちは。郵便局から、お届けものにきました。チェルニ・カペラ様は、ご在宅ですか?」
「はい。部屋にいらっしゃいますけど、お嬢さんにご用ですか?」
「王都のルシエラ家具店から、チェルニ・カペラ様へ、本棚のお届けです」
「あら、聞いていないんだけど。ちょっと、お店で確かめてきますね。お嬢さんよりも、奥様に確認しないと」
「そうしてください。ただ、このまま持っているのは無理だし、地面には置けないので、玄関までは搬入させていただけませんか? 伝票をお渡ししますので、それを持って確認していただければ、話が早いですよ?」
「そうね。わかりました。じゃあ、とりあえず入れてください。サインは、確認してからでお願いします。心当たりのない品物を受け取ったりしたら、奥様に叱られちゃうから。もう一人、手伝いの者がいるので、聞きにいかせますね」
そういって、女の人は、うちの玄関を開けて、男の人たちを招き入れた。その瞬間、男の人たちは、目を見交わして嫌らしく笑った。すっごく悪人ぽいし、実際に悪人なんだろう。子供たちを拐っていったのも、きっとこんな悪人たちだから、子供たちは絶対に取り返さないとだめだ。絶対に!
わたしが、決意を新たにしていると、郵便局員に偽装した男の人……うん、もう悪人45678でいいや。悪人4は、木箱を持った5678と一緒に、うちの玄関に入ってきた。大好きな家を汚された気がして、すごく気分が悪いけど、今回ばかりは仕方がない。全部終わったら、塩と鈴の神霊さんにお願いして、清めてもらおう。そうしよう。
木箱を運び込んで、玄関に置いた瞬間、悪人たちが豹変した。悪人6が、あっという間に女の人を羽交い締めにし、ポケットからナイフを取り出して、頬に押し当てたんだ。
「声を出すな。出したら殺す。脅しだと思うなよ。お前は、黙って娘の部屋に案内しろ。下の娘だ。家にいるといっただろう? わかったら、うなずくんだ。声を出したら、その場で殺すぞ」
にやにやと笑いながら、女の人にささやく悪人6。女の人は、震えながら、何度も何度もうなずいた。悪人たちは、満足そうに笑って、そのまま家に上がろうとしたんだけど、静かな声が、悪人たちを押し留めた。〈待て〉って。
静かなんだけど、そこに冷たい殺意を秘めた、背筋が凍るほど恐ろしい、鞭みたいな声。思わず動きを止めた悪人たちの前に、ゆっくりと現れたのは、両手に銀色の短杖を持ったヴェル様だった。
「穢れた溝鼠が、現世の神域にも等しき場所に入り込むなど、万死に値する大罪であると知れ」
悪人たちは、いっせいにナイフを取り出して、油断なく身構えた。悪人6は、女の人の頬に当てていたナイフを、喉元に移動させて、蛇みたいな声でいった。
「動くな。女を殺すぞ。武器を置いて跪け」
ヴェル様は、少しも動揺した様子を見せず、6を嘲笑すると、女の人に向かって、一言だけ命令した。〈やれ〉って。
そこからは、本当に一瞬だったと思う。怖がって震えていたはずの女の人は、悪人6のお腹に肘打ちを叩き込み、体勢を崩させたところで、今度は目にも見えない速度で首筋に手刀を入れたんだ。
6は、うめき声ひとつ上げずに倒れ込み、そのまま身動きもしなかった。女の人は、ナイフを握ったままの右手首を、踵で踏み抜いてから、ナイフを取り上げた。どこからどう見ても、6は戦闘不能になったと思うんだけど、女の人は容赦しなかった。
流れるみたいに自然に、踏みしめたままの右手首を、曲がっちゃいけない方向に勢いよく曲げた。べきって、怖い音が響いて、6の手首はぶらぶらになった。そして、今度は左の膝を踏みつけたかと思ったら、左の足首をつかんで捻り上げ、べきべきって、身の毛のよだつような音をたてて、左足もぶらぶらにしちゃったんだ。うん。あれだったら、絶対に反撃とかできないね、悪人6……。
一方、ヴェル様はというと、踊ってるみたいに優雅な足取りで、残った悪人たちに近づいていった。右手に握った短杖が、ヒュンって唸りを上げたかと思うと、悪人5の喉元に叩き込まれる。たったそれだけで、5は硬直したまま後ろに倒れたんだ。
それを見た悪人7と8は、叫び声を上げながら、同時にヴェル様に襲いかかった。ヴェル様は、特に身構えることもないまま、右手と左手の短杖を交互に振るった。ヒュンって音がして、右手の短杖が7のこめかみに。もう一回、ヒュンって音がして、左手の短杖が8の首筋に、吸い込まれるみたいに叩き込まれた。
7と8も、そのまま崩れ落ちたんだけど、急所しか狙ってないよね、ヴェル様ってば。あれって大丈夫なのかな? 誰も死んでないよね?
残された悪人4は、さっと身を翻して、家の外に逃げようとしたんだけど、優しい顔をした女の人が、いつの間にか玄関の扉の前に立ち塞がっていた。〈そこを退け!〉って、4が叫ぶ。右手に握ったナイフを、大きく振り上げながら。
でも、そのときには、もうヴェル様が迫っていた。一言も口をきかないまま、右手で振るわれた短杖は、ヒュンって唸りを上げて、4の後頭部を一撃した。4は、壊れた人形みたいに、膝から崩れ落ちたんだけど……本当に死んでないよね、ヴェル様?
「神聖なるこの場を、下衆の血で汚さずに済みましたね。けっこう。この者たちも、動けないようにしておきなさい」
ヴェル様の言葉に従って、穏やかな微笑を浮かべたままの女の人が、悪人4578にそろりと近寄っていったのは、べきべきっと骨を折っちゃうためなんだろう。十四歳の少女には、本当に刺激の強すぎる光景だよ……。
◆
ヴェル様と女の人の、あまりの強さと容赦のなさに、わたしが青くなっていると、ふいに視界が切り替わった。教育的配慮の行き届いたスイシャク様が、わたしに気を使ってくれたのかな? 見えてきたのは、うちの家の表門で、玄関から出てきた女の人が、軽く手を振っているところだった。
何だろうと思って見ていると、留まっていた郵便馬車の御者が、急にがくっと身体を傾けた。何が起こったのか、わたしにはまったくわからない。ただ、偽物の郵便馬車だってことは、御者の人も偽物で、悪人の仲間なんだろう。
どこからともなく現れた二人の男の人が、介抱する素振りで、御者の人を郵便馬車に運び込むのを、わたしはぽかんと口を開けて、見ているだけだったんだ。
くるりくるりと、次に切り替わった視界に映ったは、悪人123がいる部屋だった。すると、目をつむったまま、窓から顔を出していた悪人2が、いきなり悲鳴を上げた。
「何だ、これは!? いったい何が起こったんだ!?」
「どうした? 何かあったのか!?」
「わからない。弟の視界の隅を、人影がかすめたかと思ったら、そのまま何も見えなくなってしまったんだ」
「おい、質の悪い冗談はやめろ。本当に何も見えないのか? 娘はどうなった? まだ木箱を回収できていないんだろう?」
「本当に、何ひとつわからないんですよ。くそっ! これから、あの家まで様子を見に行くしかないでしょう。行ってきますよ、俺が」
「その必要はないぞ」
その声とともに、男の人たちが三人、部屋に滑り込んできた。三人とも、どこにでもある服装をした、普通っぽい見かけの人たち。わたしには、この人たちが誰なのか、すぐにわかったけどね。
悪人1は、なぜか後ろに手を回したまま、男の人たちにいった。
「誰だ、お前たち!?」
「〈黒夜〉」
「……。なぜ、ここへ来た? 俺たちは、何もしていないぞ。ただの一般人だ。人違いじゃないのか?」
「くだらん。ただの一般人が、〈黒夜〉の名に反応などするものか。神霊術を使う時間を稼ごうとしても、無駄なことだ。わからないのか? 後ろ手で印が切れないだろう? お前たちは、もう〈神去り〉になっている」
〈黒夜〉の人の言葉は、その場に衝撃をもたらしたみたいだった。悪人1は、後ろに回していた手を出して、必死に印を切ろうとする。悪人2も、放火犯の悪人3も、目の色を変えて印を切り、詠唱をしようとするんだけど、全部が無駄だった。
指は意味もなく動きを変え、口では詠唱らしきものを紡げないまま、少しも神霊さんとつながれなかったんだよ……。
〈黒夜〉の人たちは、音もなく近寄って、あっという間に悪人123を気絶させた。武器とか神霊術とか、まったく使っているように見えなかった。何というか……すごいんだね、〈黒夜〉の人って。
身動きもできない悪人123を前に、さっき話をしていた〈黒夜〉の人が、胸元から何かを取り出して、右の手のひらに乗せた。小さく丸く、柔らかな乳白色に輝く石は、きっと上等の月光石だと思う。
〈黒夜〉の男の人は、左手だけで印を切ってから、こう詠唱した。
「人形を司るご神霊に乞う。ここに倒れている三人の男を、わたしの操り人形に加えてほしい。期間は今から五日間。この者たちの身体と、言葉と、精神を、わたしが自在に操って、人形遊びがしたいのだ。対価はわたしの魔力と、この月光石を捧げよう」
詠唱が終わった瞬間、部屋の中に濃い紫色の光球が現れた。両方の手のひらを合わせたくらいの大きさで、濃い紫の中に、薄っすらと黒い糸のようなものが見えている。光球は、男の人の手のひらの上を、ぐるぐると何回か回ってから、悪人たちの上を行き来した。
何だか変わった光球だなって思ったら、中からするすると黒い糸が伸びていって、悪人123の頭や手足に、ぐるぐると巻きついていったんだ。
本当に、糸のついた操り人形みたいだって思ったときには、光球も月光石も黒い糸も、跡形もなく消えていた。
〈黒夜〉の男の人は、何度か指を動かしてから、満足そうに笑った。そして、釣竿を引くみたいな動作をしただけで、悪人123は、のろのろと立ち上がった。多分、というか絶対に、意識がないままなのに。
それから、〈人形使い〉の男の人は、ぼんやりと立ったままの悪人たちに向かって、感情のこもらない声で命令した。
「大罪人であるお前たちは、わたしの傀儡。意思を持たずに動かされるだけの、哀れな操り人形だ。我らが〈黒夜〉の手足となって、思い通りに踊るんだ」
悪人123は、本当に壊れた人形みたいな動きで、カクカクと首を縦に振った。〈人形使い〉の男の人は、もう一度いった。
「さあ、命令だ。お前たちは、ここから先、どんなふうに動く手筈になっているのか、代表の者が話せ」
男の人の問いかけに応えたのは、やっぱり悪人1だった。1は、焦点の合わない瞳を見開いたまま、ぼんやりと答えた。
「〈目〉の神霊術を使う者が、拐った娘の服装を確かめてから、別部隊に連絡することになっている。俺たち〈白夜〉だけじゃなく、クローゼ子爵家の護衛騎士も入れた部隊だ。フェルトを誘い出し、娘の顔を確認させてから、一緒に〈白夜〉の倉庫にしている場所まで連れて行く。夕刻には、クローゼ子爵たちも、そこに来る手筈だ」
「いいだろう。別部隊への連絡は、風の神霊術か?」
「そうだ。〈目〉の神霊術を使える者が、風の神霊術も使えるから、誘拐の成功と娘の服装を伝えるんだ。しかし……」
「誘拐は失敗し、お前たちは〈神去り〉だな。愚か者が。グレイ」
「はい。使いますか、風の神霊術を」
「頼む。〈白夜〉を名乗るお前たちは、送るべき書状を用意し、送り先の〈目印〉を示せ。ちなみに、今日のお嬢様の服装は、白いブラウスに淡い黄色のカーディガン、ふくらはぎまでの長さの緑のスカートだ」
「わかった」
悪人1は、ぎくしゃくとした動きでペンを取り、小さな紙に何かを書いていた。それはいいんだけど、いいんだけど、〈黒夜〉の人が、わたしの服まで詳しく知っているのって、ちょっとどうなんだろうね?
わたしが、微妙な顔をしたところで、視界はまたしても切り替わった。今度、目に写ったのは、大きくて立派な建物の一室で、すぐ目の前には、すごく真剣な顔をしたフェルトさんがいた。
あれ? 何だか距離が近くない? これって、あれだ。アリオンお兄ちゃんのポケットに入ったまま、小さくて可愛い頭だけを出している、子雀の視界なんじゃないかな?
「大丈夫だと信じていても、落ち着かないものですね、アリアナさん」
「もう。今のぼくは、アリアナじゃなくてアリオンですって、百回はいい直しましたよ、フェルトさん。それに、丁寧語はやめて、普通にお話ししてくださいって、ずっとお願いしているのに」
「ごめん、ごめん、アリオン。その、アリアナさんでもアリオンでも、変わらずに可愛らしいから、つい……」
「嫌だわ……じゃなくて、嫌だよ、フェルトさん」
「はは。気をつけるよ、アリオン。それにしても、やっぱり心配だな。〈野ばら亭〉の人たちは、もう俺の大切な家族だから」
「ありがとう、フェルトさん。とっても嬉しいよ。でも、大丈夫。チェルニを害することのできる者なんて、この世のどこにもいないから。それこそ、あの御二柱の御神鳥が顕現される前からね」
「アリオン、それは……」
フェルトさんがいいかけたところで、扉を叩く音がして、王国騎士団のリオネルさんが入ってきた。身につけているのは、キュレルの街の守備隊の制服だったけどね。
リオネルさんは、きりっとした凛々しい顔に、堂々とした自信を漂わせながら、フェルトさんにいった。
「来ましたよ。〈野ばら亭〉の従業員と名乗る者が、フェルトさんに面会したいと、受付で待っています。〈マルーク・カペラからフェルト殿へ、急用があって〉来たそうです」
「わかりました。ありがとうございます、リオネル様。行ってきます」
「先ほど、〈黒夜〉から連絡がありました。こちらは、すでに襲撃犯、放火犯とも、全員を捕縛しております。お嬢様はもちろん、〈野ばら亭〉の方々もすべてご無事ですので、安心して誘拐されてください」
「そうします。これでやっと、暴れられますよ。俺のために、皆さんにご迷惑をかけているのに、黙って待機しているしかなくて、鬱憤が溜まっていたんです。この怒りは、俺の親族を騙る連中と、手先になっている馬鹿どもを相手に、思いっきりぶつけさせてもらいますよ」
そういって、フェルトさんは笑った。この秋晴れの空と同じ、晴々とした笑顔だった。作戦五日目にして、やっとフェルトさんの出番がきたみたいなんだ……。