見出し画像

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 2-11

02 カルカンド 状況は加速する|11 永遠の別れか

 
 王城の朝が始まり、おびただしい数の人々が職務に付き始めた頃には、ローザ宮の異変の噂は、熾火おきびごとく王城内に広がっていた。周囲への立ち入りを禁じられ、為す術もなく立ちすく近衛このえ騎士の一団と、仕事の合間を縫って噂を拾い集めに訪れた宮廷雀、主人たる貴族に命じられて様子を伺う陪臣ばいしん達。そして、一分の隙もなくローザ宮を包囲したままの王国騎士団の存在が、薔薇の宮殿に起こったであろう異常事態を物語っていた。

 騒然とした空気の中、最初に姿を現したのは、二十人程の使用人達だった。女官や女中、従僕じゅうぼくおぼしき御仕着おしきせの男女は、縛られてこそいなかったものの、前後左右を王国騎士団の騎士達に囲まれ、重い足取りでローザ宮から歩み出た。目端の効いた者なら、騎士達に連れられていった男女が、これから厳しい尋問を受けるのだと察しただろう。
 次に現れたのは、引き摺り出されたというに相応ふさわしく、荒縄で両手を縛られて、腰縄で繋がれた十人程の男女である。高位の女官もいれば、年若い女中も老齢の侍従じじゅうもいる。明らかにローザ宮の使用人であり、第四側妃カテリーナの側近と思しき者達の姿に、大きなどよめきが沸き起こった。王国騎士達は、興味津々に視線を向ける人々を気にする素振そぶりも見せず、堂々と罪人を連行して行ったのだった。

 そして、スラーヴァ伯爵が宣言した通り、一ミルの時間が過ぎたローザ宮の裏門には、王国騎士団の用意した荷馬車が引き出された。王城から王都にある愛人の屋敷まで、元第四側妃と王子王女達を運んで行く馬車である。罪人達よりは密やかではあっても、特に人目を避けるでもない出立に、ローザ宮の周囲に集まった見物人達は、抑え切れない興奮の気配を立ち昇らせていた。
 既に時間は昼に近くなり、噂は王城を駆け巡っている。昨日まで側妃や王子、王女として権勢を誇っていた者達が、ロジオン王国の歴史の中でも滅多にない程の醜聞の果てに、どのような顔をして宮殿を去って行くのか。残酷な興味にかられた人々は、る者は隠れて、また或る者は堂々と、元第四側妃達を待っているのだった。

 そんな中、数人の王国騎士達によって、敷布に包まれた男女が担ぎ上げられてきた。顔さえ隠されず、適当に巻き付けられたらしい敷布の隙間から生々しい素肌を覗かせ、荷物よりも乱暴にローザ宮から運び出されたのは、元第四側妃カテリーナと若い男だった。敬愛する王を侮辱された王国騎士達は、カテリーナに慈悲を掛ける必要一切感じておらず、女としての尊厳を守る価値を認めず、情事の跡も生々しい彼女らに、身支度をさせる手間さえ掛けなかったのである。
 想像もしなかった恥辱に、敷布の中の男女は固く目を瞑ってうめいていた。見物人達は、信じられない光景に沈黙したものの、次の瞬間には、周囲は蜂の巣を突いたかの如き喧騒けんそうに沸き立った。ロジオン王国の王城に於いて、この先長く語り継がれるに違いない、余りにも見事な転落劇だった。

 元第四側妃が馬車に積み込まれると、遂に最後の追放者が現れた。王国騎士に前後を固められたまま、ローザ宮の王子王女達が連れ出されたのである。白い絹のシャツとトラウザーズを身に付けたアドリアンは、布に包まれた着替えだけを持って馬車に向かった。成人したばかりの多感な元王子は、血が滲む程に唇を噛み締め、せめて堂々と宮殿を去ろうとして、痛々しい程に努力をしていたが、暗く淀んで光を消した眼差まなざしは、アドリアンの必死の思いを裏切り、その絶望の深さを如実にょじつに物語っていた。
 もう一人の年少の王子と二人の王女達は、やはり簡素な服装に着替えの包みだけを手に持ち、下を向いて歩いてきた。ロージナだけは、人目もはばからずに泣きじゃくりながら、何度もローザ宮を振り返っていた。残酷な見物人の中にも、流石に子供達を哀れに思った者が多かったのか、何人もの女達がそっと涙をぬぐっていた。

 アドリアンが馬車に乗って姿を隠し、王子王女らも馬車に乗り、いよいよ列の最後にいたロージナが乗せられようとした瞬間、何を思い出したのか、元王女は不意に顔を上げた。幼く愛らしい顔を涙で汚したロージナは、何度も周囲を見回してから、王国騎士に向かって甲高い声で叫んだ。

「待って。わたくし達の猫がいないの。母猫と子猫が二匹、姿が見えないの。御願い、あの子達を探して頂戴」

 タラスに脅された恐怖を思い出し、ロージナは「御父様の猫の母親達」という言葉を、すんでの所で飲み込んだ。ローザ宮で飼われていた三匹の猫は、明け方からの騒ぎを恐れて、何処どことも知れず身を隠していたのである。

「猫などどうでも良い。早く馬車に乗るのだ」

 ロージナの背後にいた王国騎士の一人が、素っ気なく答えた。目の前の荷馬車を送り出せば、騎士達の任務は無事に終了する。誇り高い王国騎士団には、エリク王を裏切った妃の子であり、恥辱の中で捨てられた元王女の猫に構う暇など有りはしなかった。

「でも、大切な猫達なの。御願いだから探して。連れて行かせて。宮殿の物を持ち出すのは許さないと言われたけれど、猫は良いのでしょう。賢い猫達だから、呼べば出てくると思うの。御願い、探させて」

 ロージナの必死の懇願こんがんに、仕方なく動いたのはスラーヴァ伯爵だった。最後の出発を見届ける為に、副官を伴って待機していたスラーヴァ伯爵は、ぐるりと周囲を見回してから、見物人達にも聞こえる程の声で言った。

「ローザ宮で飼われていた猫には、この度の元第四側妃の罪は及ばぬ。誰か見掛けた者がいれば、王国騎士団まで連れて来るが良い。また、見付けた者が飼ってやろうと思うのなら、特に許可はいらぬ。好きに家に連れて帰るが良い」

 スラーヴァ伯爵の言葉に、ロージナは唇を噛んで下を向いた。父王との最後の繋がりを、呆気なく断ち切られたロージナは、王国騎士団の者達に背中を押されるまま、馬車に乗り込むしかなかった。やがて、馬車はゆっくりと走り出し、彼女達を王城の外へと連れ去っていく。王子王女達は、目の前の現実を受け入れることの出来ないまま、生まれ育った王城に永遠の別れを告げたのである。

 カテリーナ達を乗せた馬車が走り去り、王国騎士団の多くがローザ宮を離れ、見物人達も自らの持ち場へと戻り、近衛このえ騎士達の姿も消えた後、ローザ宮の裏門へと続く植え込みの端に、小さな影が並んだ。ロージナが必死に探していた、三匹の猫達である。主人達の身に起きた動乱を察しているのか、三匹はひっそりと身を寄せ合い、声を出そうともせず、いつまでも馬車の去った方角を見詰めていたのだった。
 どれくらいの時間そうしていたのか、少しも動こうとせずに座り込んだままの猫達に、不意に優しい声が掛けられた。

「やあ、こんにちは。おまえ達、さっきからずっとそこにいるけれど、何か考え事をしているのかな。もしかして、行く所がないのかい」

 そう言って、猫達の前にそっと座り込んだのは、ローブ姿の一等魔術師、アントーシャだった。猫達は逃げもせず、揃いの緑金の瞳でじっとアントーシャを見詰めた。純白の猫が母親であり、灰色の子猫と茶色の子猫が、エリク王の愛猫スニェークの兄弟なのだろう。

「おまえ達はローザ宮の猫なのだろう。可哀想に、思わぬ成り行きになってしまったね。どうだろう、おまえ達は、見付けた人が自由に飼って良いそうだから、これから一緒にぼくの家に来ないかい。おまえ達に手伝ってほしいこともあるから、来てくれると、ぼくもとても助かるよ。色々と面倒を掛けると思うけれど、御願い出来ないかな」

 まるで人間を相手にするかのような口調で、アントーシャは丁寧に話し掛けた。三匹の猫達は緑金の瞳を光らせ、互いに視線を交わしてから、おずおずとアントーシャの黒いローブに、尾を立てて身体を擦り付けた。

「来てくれるのかい、有難う。とても嬉しいよ。御礼の印に、好きなだけローブを毛だらけにしてくれても構わないよ」

 そう言って、アントーシャは笑いながら腰を上げ、優しく手を差し伸べると、器用に三匹の猫を抱き上げたのだった。



・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

『フェオファーン聖譚曲』をお読みいただきありがとうございます。
今話にて、「02 カルカンド 状況は加速する」は最終話となります。
次は「03」となりますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします!