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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 2-7

  二つの大きな力は、あっという間に近づいてきて、うちの家に到着した。でも、すぐには入ってこなくて、スイシャク様と紅い鳥は、ゆっくりとうちの家の上を回っている。スイシャク様は右回りに三回、紅い鳥は左回りに三回。
 わざと軌道をずらしているみたいで、分体が動いた後にできる光の帯が、まるで何かの印みたいに見える。そう、家のなかにいるのに〈える〉んだ。万事に気の利くスイシャク様が、今だけ視点を共有させてくれたから。
 
 旋回が終わると、スイシャク様と紅い鳥は、音もなく応接室に入ってきた。同時に、二倍になっちゃった、とてつもない神威が、目に見えて小さなものになる。そうでないと、わたしたちのような只の人間には、とても耐えられなかっただろう。
 もちろん、神威を抑えてくれても、存在の美しさはそのままだった。紅い鳥の長く尾羽を引いた優美な姿と、パチパチと煌めく朱色の鱗粉。スイシャク様の優しい輝きと、雪みたいに清らかな純白の羽毛。スイシャク様の巨大さを抜きにすると、本当に絵にも描けない美しさだった。
 
 スイシャク様は、ふわっと舞い降りて、わたしの膝の上に着地した。途端に、ふすーっ、ふすーって鼻息を漏らして、満足そうに膨らんだ。
 紅い鳥は、わたしの肩に止まって、小さな可愛い頭を、すりすりと頬に押し付けてきた。ほのかに温かで艶やかな羽毛が、とっても気持ちいい。
 スイシャク様といい、紅い鳥といい、世にも尊い神霊さんの分体が、こんなに人懐っこくていいのだろうか? ものすごく可愛いから、わたしは嬉しいんだけど。
 
 しばらく、そうしてご挨拶をしてから、スイシャク様と紅い鳥が、それぞれにイメージを送ってくれた。
 スイシャク様によると、□□□□□□□と現世で会ったのは、何百年ぶりかだから、とっても楽しい。神世かみよとは違って制約だらけの現世は、逆に息抜きになる。〈神威の覡〉と話したことは、また後で教えてあげるよって。
 紅い鳥は、□□□□□□□□の眷属になったのなら、自分の眷属にもなればいい。神には、人の子のようなこだわりはないので、どちらからも力を借りればいい。ついては、自分のことは〈アマツ〉と呼ぶこと。すでに回路は開いてあるので、あだ名みたいなものなら呼べるからって。
 □□□□□□□は紅い鳥のアマツ様、□□□□□□□□はスイシャク様のお名前なんだって、わたしにも自然に理解できたよ。
 
 
 すごく畏れ多くて、ありがたいことだったんだけど、今はネイラ様が先だ。スイシャク様もアマツ様も、しばらくそばにいてくれるそうなので、アマツ様に御名ぎょめいを許されたお礼だけいって、先に手紙を読もう。
 わたしがそう考えていると、アマツ様が、ルビーみたいに煌めいているクチバシで、二通の封筒を出してくれた。
 
 紅い封蝋の押された手紙を受け取り、丁寧に開封する。一通目、神霊さんの気配の濃い方を開くと、ネイラ様からわたしへ送ってくれた、いつもの手紙だった。うれしくって、なぜか顔が赤くなった気がしたから、こっちは後で部屋で読もう。うん。そうしよう。
 
 もう一通の手紙は、やっぱりクローゼ子爵家の話で、お父さんたちにも見せて下さいって、丁寧に書かれていた。もちろん、わたしはすぐにお父さんを呼んだ。
 
「ネイラ様からの手紙だよ、お父さん。クローゼ子爵家のこととか、これからのこととか、書いてくれてるよ。お父さんたちにも、見せて下さいって」
「よし。ちょうど、みんなが揃っている。読んでくれるか、チェルニ?」
 
 わたしは、二つ返事でうなずいて、長い手紙を読み上げたんだ。
 
 
『聡明なるチェルニ・カペラ様
 
 今回は、貴重な情報を伝えてくれて、本当にありがとう。そして、迅速に報告してくれたことに、とても感謝しています。お父上や皆さんにも、わたしがお礼を申し上げていたとお伝え下さい。
 
 わかってはいたけれど、きみは本当に優秀ですね。将来は、事務官として王国騎士団に入団するか、王城に奉職して文官になりませんか? きみが来てくれたら、仕事が素晴らしく捗りそうなので、期待しています。
 
 さて、肝心のクローゼ子爵家についてです。きみからの情報は、非常に重大なものですから、極秘で宰相閣下にご報告をさせていただきました。
 フェルト・ハルキス分隊長が、クローゼ子爵家に加担していないばかりか、情報の提供に協力してくれたということも、わたしから伝えておきましたので、安心してください。万が一の事態になっても、ハルキス分隊長のことは、悪いようにはしないと約束します。
 きみたちご家族の大切な〈アリアナお姉ちゃん〉と、ハルキス分隊長の未来を守るために、わたしにも協力させてほしいのです。
 
 宰相閣下との相談の結果、今回の問題は、早期に解決を図ろうということになりました。具体的にいうと、明日から十日間にわたって、いくつかの罠を仕掛けます。
 クローゼ子爵家とセレント元子爵の関係性について、あるいは罠の内容について、今の段階では教えることができません。説明できる時がきたら、必ず情報を開示しますので、少し待っていてください。
 
 ハルキス分隊長が、養子縁組と婚姻の不受理申し立てをするという案は、大変有効です。ハルキス分隊長の潔白を証明するためにも、今日にでも実行してもらえますか? もし、手続きが滞るようなら、こちらからも後押しをしますので、紅い鳥に伝えてください。
 
 また、ここから先は極秘情報ですから、前回と同じように、きみたちご家族とハルキス分隊長、シーラ総隊長の胸に留めておいてください。
 
 明日、宰相閣下からのご命令で、クローゼ子爵と先代のクローゼ子爵に対して、正式な通達が出されます。
 明日付けで、クローゼ子爵は当主から外れ、一時的に先代がクローゼ子爵に復位すること。さらに、十日の間に〈神去り〉ではない直系の成人男性を、正式な後継者として届け出るか、王家が選定した養子を迎えること。それができなければ、クローゼ子爵家の爵位と領地は、全て没収となります。
 
 王家が選定した養子となると、財産も領地経営も、何一つクローゼ一族の自由にはなりませんので、必ずハルキス分隊長に接触しようとするでしょう。 
 きみたちの身の回りには、くれぐれも注意してください。王城が仕掛ける罠によって、きみたちが危険にさらされるようなことは、万が一にもあってはなりませんので、こちらもきみたちを守る手立てを講じています。詳細は別紙にまとめておきますので、お父上にお見せしてください。
 
 紅い鳥も、スイシャク様と共に、きみたちの護りについてくれるそうです。勇敢なきみと、きみの大切なご家族は、わたしの誇りに懸けて守りますので、安心してください。
 
     きみの友達であるレフ・ティルグ・ネイラ』
 
 
 わたしが読み終わると、わあっと歓声が上がった。だって、フェルトさんのことを悪いようにはしないって、あのネイラ様が約束してくれたんだよ? もう、宰相閣下までお話がいってるんだよ? 宰相閣下って、王家の次に偉い人でしょう? すごい!
 
 すごくほっとして、気が抜けそうになっていたら、スイシャク様に怒られちゃた。明日から十日間が勝負なんだから、しっかりするようにって。その言葉を伝えようと思って、お父さんを見ると、もうキリッとしたカッコいいお父さんだった。
 
「よし。ネイラ様のご好意に応えるためにも、俺たちは自分のできることを続けよう。フェルトとローズ、それからアリアナ……アリオンは、今から不受理申し立ての手続きに行ってくれ。いいな、フェルト」
「わかりました、お父さん!」
「その間、俺とヴィドは、ネイラ様のご指示の詳細を吟味して、明日からの計画を立てる。いいな、ローズ?」
「もちろん。わたしたちは貴方についていくだけよ、愛するダーリン」
「……そうか。チェルニは、ご分体にお願いして、フェルトたちを雀で追いかけてくれ。できるな?」
「はい! わかりました!」
「話が決まり次第、ネイラ様にご連絡をさせていただくかもしれない。そのときは頼むぞ、チェルニ」
「大丈夫だよ、お父さん。スイシャク様もいてくださるし、アマツ様もいつでも手紙を運んでくださるって。あ、アマツ様って、紅い鳥のあだ名みたいなものなんだって。語感が可愛いよね、アマツ様って」
 
 わたしが、そういって胸を叩くと、皆んなは変な顔をしている。これって、最近もあったパターンだなって思ったら、すごい美少年のアリオンお兄ちゃんが、可愛く小首を傾げながらいったんだ。
 
「多分、紅い鳥のお名前だと思うんだけど、わたしたちには聞き取れないんだ。今度はキュルキュルいってるよ、チェルニ」
「キュルキュル?」
「そう、キュルキュル。とっても可愛いよ、チェルニ」
 
 そうだね、アリオンお兄ちゃん。何となく予想してたよ、わたし……。
 
 ともあれ、今から十日後までが勝負だ。わたしたちみたいな素人には、きっと短期決戦の方がいい。最近読んだ戦記物にも、〈短期戦を制するは力と運、長期戦を制するは資金と忍耐〉って書いてあったからね。どんな本でも読む濫読派なんだ、わたしは。
 
     ◆
 
 お母さんは、それからすぐ、〈野ばら亭〉で働いてくれている守衛さんに、小型馬車を用意してもらった。
 貴族の人が乗るような立派な馬車じゃなくて、二頭立ての小さな馬車は、〈野ばら亭〉の売りのひとつ。一日に何回か、別の街に行くための乗合馬車の停留所まで、お客さんを送迎するし、お客さんの希望があれば、貸切馬車よりも安いお金で貸し出したりもするんだ。
 大人が四人乗ると、いっぱいになるくらいの車体には、可愛い野ばらの飾りが付いていて、ひと目で〈野ばら亭〉の馬車だってわかるくらい。馬車を持つのは、結構お金がかかるらしいけど、それを目当てに泊まってくれるお客さんもいるし、うちの宣伝にもなるから、お母さんは〈安い投資〉だっていってるよ。
 
 お母さんとフェルトさん、アリオンお兄ちゃんの三人が乗り込むと、御者をかねている守衛さんが、馬車を出してくれる。目的地は、キュレルの街の中心地にある、法理院の分院っていうところだ。法理院っていうのは、王都にあるものだけだから、それ以外は全部分院なんだって。
 〈野ばら亭〉から離れていく馬車の様子は、わたしには全部はっきりと見えている。スイシャク様のおかげで、街中の雀が協力してくれるから。
 そして、アリオンお兄ちゃんの上着の胸ポケットには、小さな子雀が一羽、すっぽりと潜り込んでいて、可愛い頭だけを出している。
 普通に考えると、ものすごく変なんだけど、アリオンお兄ちゃんの幻の神霊術で、誰にも雀の存在は認識できなくなっているから、大丈夫だろう。それだけ近くに雀がいると、スイシャク様の光でぐるぐるにしてもらわなくても、わたしがそこにいるのと同じくらい、よく見えて、よく聞こえるしね。
 
 胸ポケットから子雀の首だけ出している美少年って、何だか不気味な気もするけど、非常時だから仕方ないと思う。多分。
 
 馬車のなかでは、フェルトさんが必死になって、アリオンお兄ちゃんをアリアナお姉ちゃんに戻そうとしていた。自分の護衛なんて危ない真似は、絶対にだめだって。
 でも、ふんわりと微笑むアリオンお兄ちゃんは、引こうとしないし、お母さんも一緒になって、アリオンお兄ちゃんを応援してる。アリアナお姉ちゃんの使える神霊術のひとつが、必要になるからって。
 
 そういわれたフェルトさんは、髪の毛を乱暴にかきむしったけど、反論はしなかった。わたしが聞いても、お母さんのいうことが正しいと思ったからね。
 アリアナお姉ちゃんの使える神霊術は六つ。数は多くないけど、そのうちの四つは、本当にめずらしくって、使い方によっては物騒なものばかりなんだ。神霊さんってば、お姉ちゃんをどうしたいんだろうって、ちょっと悩んでいるのは、わたしだけの秘密だ。
 
 そうこうするうちに、馬車は目的地に到着した。なかに入ったことはないけど、建物だけは見たことがある。キュレルの街の分院は、焦げ茶色のレンガ造りで、すごく重厚な感じがする。風格があるって、きっとこういうことなんだね。
 
 万事に用意のいいお母さんは、朝のうちに人に頼んで、予約を取っていたみたい。受付の人に声をかけると、すぐに個室に案内してくれたんだ。
 受付の人が出ていくと、フェルトさんが、お母さんにいった。
 
「何だか、すごく対応がいいですね。お母さんが、予約をしてくださったからですか? 分院はいつも混んでいるから、長く待たされることがあると聞いていたんですが」
「事前予約をしていても、普通は待たされるわよ。今日は、書類を作ってくださった事務所の方にお願いして、事務所の名前で予約を入れてもらったから、最優先なのよ」
「事務所の代表が、王都の法理院を退官した方でしたよね。やっぱり、事務所の名前がものをいうんですね」
「コネもあるけど、一番大きな理由は信頼よ。分院の事務官の人って、毎月百件くらいの申請を処理するらしいの。素人が作った書類だと、手直しが山のようにあるから、仕事は少しも減っていかない。その点、専門家が作った書類だと、間違いがないと思うでしょう? 作業量が減ることがわかっているから、ちょっとでも手の空いている人が、最優先で受けてくれるのよ」
 
 なるほど。よくわかるよ、お母さん。可愛い子雀から、大人の社会事情がイメージとして送られてくるのは、ちょっと微妙な感じだけどね。
 
 しばらくすると、眼鏡をかけた事務官らしい男の人が入ってきて、丁寧に挨拶してから、書類を受け取った。
 事務官さんは、テーブルの右端にいったん書類をたばね、一枚ずつ真ん中に置いて、ゆっくりと確認していく。すごく独特なのは、物差しを使うことだね。一行ごとに物差しを置いて、右手の人差し指で文字をなぞりながら読んでいくんだよ。
 確認の終わった書類は、テーブルの左端に置いていく。そして、次は左側の書類を一枚ずつ真ん中に置いて、もう一度。本当に丁寧なんだね、事務官さん。
 
 お母さんは平気な顔をしてるけど、フェルトさんとアリオンお兄ちゃんは、ドキドキしながら待っているみたいだ。胸ポケットの子雀まで、何だか緊張している感じで、すごく可愛いかった。
 
 合計三回、書類を確認した事務官さんは、満足そうな顔で、お母さんたちに話しかけた。
 
「さすが、マティアス様の法理事務所が作成された書類ですな。間違いはひとつもなく、申し立ての理由も明確、添付書類も万全です。今、この場で受理させていただきましょう」
「助かりますわ。ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ助かります。全ての書類がこの精度であれば、わたしたちは毎日定時で帰宅できるのですがね」
 
 そういいながら、事務官さんは、持っていた箱から印鑑を出して、全部に印を押してくれた。そして、手のひらくらいの大きさの紙に何かを書き、やっぱり印鑑を押してから、フェルトさんに渡してくれたんだ。
 
「これは、養子縁組と婚姻の不受理申し立て書の受領書です。今後は、ご本人が直接窓口においでになり、申し立てを取り下げない限り、養子縁組も婚姻もできません。よろしいですね」
「はい。ありがとうございます」
 
 よし! フェルトさんが知らないうちに、勝手にクローゼ子爵家の女の人と結婚させられたりすることは、これで防げたね。
 
 フェルトさんは、アリアナお姉ちゃんの手を握って、これで安心したとかいってるけど、ちょっと待って。今のアリアナお姉ちゃんは、傍目には美少年のアリオンお兄ちゃんなんだからね。人から見たら、そういう関係の二人に見えるよ、フェルトさん。
 事務官さんは、一瞬、ぎょっとした顔をしたけど、すぐに表情を取り繕って、お母さんに優しく微笑みかけた。これは、あれだ。愛はすべての隔たりをも超えられるのですね……っていう意味だね……。
 
 ともあれ、書類は無事に受理されたから、そこは良かった。わたしは、イメージを届けてくれたスイシャク様にお礼をいってから、お父さんと総隊長さんに報告した。
 
「はい! はい!」
「どうした、チェルニ?」
「今、書類が受理されました! これで、クローゼ子爵家も勝手なことはできないよ」「それは良かった。まずは安心だな」
 
 お父さんと総隊長さんは、ネイラ様の手紙を見ながら、むずかしい顔で話し合ってたんだけど、だいたいの方針は決まったみたい。わたしの報告に、大きくうなずいてから、お父さんが教えてくれた。
 
「ローズたちが戻ったら、詳しいことを説明するが、うちと守備隊、それぞれに人がきてくれるぞ、チェルニ」
「人? どんな人? ネイラ様がそうしてくれたの?」
「そうだ。うちに一人、守備隊に三人、明日中に到着するように、ネイラ様が手配してくださった。おまえはすぐに、了承の返事とお礼を伝えてくれ」
「了解! わたしたちを守ってくれる人たちだよね?」
「ああ。守備隊に来てくれるのは、王国騎士団の方々だそうだ。万が一、クローゼ子爵家の人間を捕縛するような場合でも、守備隊には王都の貴族に対する逮捕権限はないからな。それを見こしての、王国騎士団だそうだ」
「ルーラ王国の王国騎士団は、現行犯であれば、貴族を逮捕するか、逮捕を命じる権限を持っているからな。これで、俺たち守備隊でも、クローゼ子爵一族を逮捕することができるんだよ、チェルニちゃん」
 
 おお! さすが、ネイラ様。子供たちを拐ったセレント子爵のときも、ネイラ様が来てくれるまで、守備隊は手を出せなかったからね。
 
「うちに人がきてくれるのも、同じような理由なの、お父さん?」
「そうだ。クローゼ子爵家の人間が正面から来たら、平民の俺たちでは不利だからな。その、なんだ。ネイラ様は、よりにもよって、ご自身の執事を務めておられる方を、十日間、うちに派遣してくださるそうだ」
 
 そういって、お父さんは何ともいえない複雑な顔をした。総隊長さんも、同じ複雑な顔をして、ため息をついていた。
 二人の反応はよくわからないけど、執事って、物語とかに出てくる、あの執事さんだよね? おお! すごい! 
 
 わたし、チェルニ・カペラは、十四歳の少女にして、執事さんっていう伝説的な存在に遭遇できるみたいだよ?


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