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フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-12

03 リトゥス 儀式は止められず|12 策略
 
 王城を密かに震撼させたローザ宮の騒乱から数日後、近衛このえ騎士団長であるミラン・コルニー伯爵と、近衛騎士団の連隊長を務めるイリヤ・アシモフ騎士爵は、王妃エリザベタの住まうリーリヤ宮の一室で、アリスタリスの前に跪いていた。コルニー伯爵もイリヤも、悄然しょうぜんとした青白い顔を隠すように、両膝を突いてくびを晒したままの姿である。

 元第四側妃の不貞ふていに気付かず、近衛騎士から愛人を出したという不名誉に、近衛騎士団の名声は地に落ちた。近衛の長であるコルニー伯爵も、アリスタリスの剣の師として知られるイリヤも、その場で首を落とされる覚悟を固め、罪人にも等しい姿勢で謝罪の意志を示していたのだった。

 黄白おうはくほのかな光を発しているかに見える、王妃宮のきらびやかな室内で、紫色の生地に文様を織り出した繻子しゅす張りの長椅子に、無造作に身を投げ出したアリスタリスは、不機嫌な顔で二人を見下ろした。まだ正妃を迎えていないアリスタリスは、古くからのロジオン王家の伝統にのっとり、成婚までは母の宮殿であるリーリヤ宮に暮らす。その後、王子に与えられる宮殿の一つではなく、王太子だけが住むことを許される光の宮殿、〈スヴェトリン宮〉に移る心算つもりでいたアリスタリスは、その輝かしい未来に影を差させた二人の臣下に、怒りを隠そうとはしなかった。

「陛下の側妃と不貞を働いたのが、よりにもよって近衛の騎士だとは、呆れ果てて言葉も出ないな。ローザ宮に不審者の出入りを許していただけでも、近衛騎士団の大きな失態だというのに、不貞の相手が近衛騎士で、おまけに仲間の近衛騎士までが買収されて、大罪に協力していたとはね。騎士の風上にも置けない恥晒しが。ロジオン王国五百余年の歴史の中でも、これ程の醜聞に塗れた近衛騎士団など、聞いた試しがないな」

 こうしたアリスタリスの非難は、もう十ミラ程も続いていた。普段のアリスタリスは、周囲から愛され、大切に護られてきた王子特有の鷹揚おうようさを持っており、執拗に臣下を叱責しっせきしたりはしない。ただ、王太子位争いにも影響を与え兼ねない事件は、流石さすがにアリスタリスから余裕を奪っていたのである。

「元第四側妃の不貞ふていそのものは、目に見えている程単純なものではないかも知れない。私の追い落としを狙う王城の陰謀なら、王妃陛下たる我が母上が、力になって下さるだろう。それなりの時が経てば、近衛このえの大失態の影響で貶められた私の名も、きっと元通りになるだろう。十八歳にもなって、母に助けられるしかない王子だという、新しい汚名と共にな」

 アリスタリスの繰り言は、依然として終わりを見せない。イリヤは一言の釈明も出来ず、更に深く頭を下げるだけだったが、コルニー伯爵は、覚悟を決めた者だけが出せるだろう声音で、アリスタリスに発言の機会をうた。

「アリスタリス王子殿下に申し上げます。此度の近衛騎士団の汚名は、到底許されるものではなく、団長たる我が血によってそそぐ所存でございます。しかし、アリスタリス殿下の御立場に就きましては、わたくしに考えがございますれば、何卒御耳を御貸し下さいませ」

 許しもなく王子の言葉をさえぎるなど、その場で斬られても仕方がない程の不敬である。コルニー伯爵の思い切った申し出に、アリスタリスは一瞬、怒鳴り付けたくなる衝動に駆られたものの、結局は発言を認める方を選んだ。アリスタリスには、エリザベタの手を借りずに、失地しっち回復を図りたいという思惑が有ったからである。苛立たし気な溜息と共に怒りを吐き出し、アリスタリスは言った。

「本来なら首が飛び兼ねない不敬だと、分からないわけではないだろう。仕方がない。そなたの言い分を聞いてやろう。話すが良い、コルニー」

 アリスタリスの言葉に、コルニー伯爵への処罰を恐れて身を堅くしていたイリヤは、肩からわずかに力を抜いた。一方、危うい賭けに出たコルニー伯爵は、跪いたままの姿勢で顔だけを上げ、強い瞳でアリスタリスを見詰めた。

「御聞き届けを頂き、感謝の言葉もございません、殿下。早速ながら申し上げます。此度の近衛このえの失態によって、アイラト王子殿下を王太子に推す一派は、一気に攻勢を強めるであろうと予想されます。また、アイラト殿下とクレメンテ公爵は、王国騎士団をアイラト殿下の支持者として取り込むべく、既に接触を図っているという情報もございます」

 その王太子位争いの流れの中で、元第四側妃の不貞ふていが仕組まれたのではないか、とはコルニー伯爵は言わなかった。証拠を掴めないまま口にしても、ただの言い訳にしかならないと、聡明そうめいな男は知っていたのである。王城の隅々に〈目〉を持つ王妃エリザベタが、正確に見通していたはかりごとを、近衛騎士団の英才と呼ばれてきたコルニー伯爵も、敏感に察知していたのだった。

 一方、到底聞き捨てには出来ない話を耳にしたアリスタリスは、思わず表情を険しくして、長椅子から身を起こした。

「今、何と言った。アイラト殿下が王国騎士団と接触だと。それは確かなのか」
「王国騎士団長のスラーヴァ伯爵が、何度かドロフェイ宮に招かれていると、ドロフェイ宮付きの近衛が報告して参りました。その場で護衛に当たっていた者を問い正し、話の内容を聞き出そうと致しましたものの、誰一人として口を割りませんでしたので、詳細までは分かっておりませんが」
「ドロフェイ宮付きとはいえ、同じ近衛の内だろう。何故、団長たるそなたの質問に答えないのだ。命令して聞き出せないのか」
「同じ近衛とはいえ、アイラト殿下の護衛騎士となっている者は、殿下への忠誠心が厚く、団長たるわたくしにも従わぬときがございます。また、警護する宮殿の主人の命は、基本的に団長の命令より優先されるのが、王城の伝統でございますので、無理強いも難しいかと存じます。とは言え、ドロフェイ宮にスラーヴァ伯爵を招くとなれば、王国騎士団の囲い込みと見て間違いはございませんでしょう」

 想像もしていなかった事態であると同時に、当然とも言える成り行きに、アリスタリスは悔し気に眉を寄せた。

近衛このえと王国騎士団は犬猿の仲。近衛が私を支持する以上、王国騎士団がアイラト殿下の側に付くのは、自然な流れではあるのだろう。しかし、今この時期に両者に近付かれるのは、面白くないな。とても面白くない。不愉快だ」
「恐れながら申し上げます、殿下。王妃陛下の御生家であるグリンカ公爵家も、アイラト殿下の正妃マリベル殿下の御生家であるクレメンテ公爵家も、共に公爵騎士団を擁する名門中の名門であり、王妃陛下の御威光を別にすれば、持てる力は伯仲はくちゅうしております。また、アイラト殿下の後ろ盾には、宰相スヴォーロフ侯爵が率いる文官が並び、アリスタリス殿下の御味方には、微力ながら我ら近衛が名乗りを上げております。この時点で互角となる争いに、王国騎士団が参入するとなれば」
「一気に天秤が傾くかもしれないな。最後は陛下の御気持ち一つとはいえ、味方を集める力そのものを、注意深く観察しておられる可能性も有る。何とする、コルニー」
「王国騎士団は、我ら近衛と旗を同じくする選択は致しませんでしょう。中立の立場で傍観してくれれば最上でございますが、それが望めぬとなれば、我らはもう一つの勢力である、地方貴族の取り込みを図るべきだと愚考致します」
「そなたの言う意味は分かる。しかし、多くの地方貴族は、王家の為すことに口を出さないだろう。まして、王太子の選定にかかわろうとする地方貴族など、滅多めったに居るとは思えない。取り込みなど可能なのだろうか」

 知らず知らずの内に、コルニー伯爵の誘導に乗ったアリスタリスは、少女めいた白皙はくせきの頬に手を当てて首をひねった。このときを待っていたコルニー伯爵は、思わず数歩にじり寄り、じっとアリスタリスを見詰めながら言った。

「不可能ではございません。むしろ簡単でございます。彼ら地方貴族の求める果実を、褒美に与えると約束してやれば良いだけなのです。アイラト王子殿下ではなく、アリスタリス王子殿下の御名に於いて」
「地方貴族の求める果実とは、何を指すのだ。一家、二家ならまだしも、協力を約した全ての地方領主が対象となると、領土の加封かふう陞爵しょうしゃくも難しい。増して、税の免除ともなると、陛下の逆鱗に触れるぞ、コルニー」
「分かっております、殿下。私くしが御提案申し上げますのは、然程難しい話ではございません。報恩特例法ほうおんとくれいほうに就いて、御存知でいらっしゃいますか、殿下」

 コルニー伯爵の急な問い掛けに、虚を突かれたアリスタリスは、答えるべき言葉を持たなかった。いずれ王統を継ぐべき正嫡せいちゃくの王子として、王城深くでかしずかれてきたアリスタリスにとって、王都から遠く離れた地方領は、遥かに遠い存在でしかなかった。まして、百年以上前から施行されてきた法律に就いてなど、未だ十八歳にしかならないアリスタリスには、座学で学んだ記憶さえあやふやな知識でしかなかった。

 不機嫌な顔で沈黙するアリスタリスを前に、視線を伏せたコルニー伯爵は、そっと小さな溜息を吐いた。湧き上がる失望に蓋をして、コルニー伯爵は話を続けた。

「施行から百余年を経た古い法律で、王都の者には馴染みがございませんので、殿下が御存知ないのも道理でございます。ロジオン王国では、王家のみに武力が集中しており、諸侯の中で騎士団を持つことが許されるのは、三代以内に王家の血を有する公爵家のみ。地方の治安維持や王国の防衛には、王国騎士団とは別組織となる方面騎士団が当たっております」
「ああ、そういう話なら知っている。確か、諸侯から維持費を徴収して、方面騎士団を貸し出すのではなかったか」
「左様でございます。そして、維持費の拠出だけではなく、実際に出動した場合、方面騎士団は守護対象となった領民から、一回限り、命と土地以外のものを謝礼として徴発ちょうはつ出来るのです。報恩特例法ほうおんとくれいほうとは、その権利を保障した王国法にございます」
「成程。それがどうしたのだ、コルニー。方面騎士団の力を借りたというのなら、領民が恩を返すのは当然ではないか」

 コルニー伯爵は、アリスタリスに見えない所で、今度は強く掌を握り締めた。アリスタリスの無邪気な言葉に、コルニー伯爵の心は激しく波立ち、アリスタリスへの忠義そのものが揺らがずにはいられなかった。それでも、近衛このえ騎士団長としての誇りと、自分自身の信念にけて、コルニー伯爵はここで引くわけにはいかず、懸命に平静を装って口を開いた。

「御意にございます、殿下。ただ、方面騎士団の中には、何かとやり過ぎてしまい、領民や地方領主の怨みを買う者が少なくはございません。女を凌辱りょうじょくしたり、逆らった領民を虐殺したり、奴隷どれいとして売り払ったりと、王国騎士には相応ふさわしくない所業が数多ございます。殿下が王太子となられ、やがて即位された暁には、この報恩特例法を廃止すると御約束頂ければ、全ての地方領主はアリスタリス殿下に御味方を致しましょう」
「成程。そなたの言い分は理解する。しかし、そうなれば、今度は方面騎士団からの反発を招くのではないだろうか」
おおせの通りにございますが、方面騎士団は王都を離れて点在しており、団長であっても滅多めったに王都には参りませんので、王太子位争いは他所事でございます。一定の発言権を持つ地方領主とは違い、反発を買った所で政局は動きません」
「確かに。地方領主の中には、普段は王都に住む者も多いのだし、彼らの動向は陛下も御気に掛けておられた」
「王国騎士団は、既にアイラト殿下に傾いておりましょう。クレメンテ公爵が召喚魔術を行おうとしているのも、王国騎士団に新しい力の可能性を示し、スエラ帝国への侵攻を模索する為かと存じます。王国騎士団は平和に飽き、軍功を立てる機会を求めております故」

 アリスタリスは目を閉じ、コルニー伯爵の話を反芻はんすうしながら、じっと考え込んだ。報恩特例法ほうおんとくれいほうという耳慣れない法律に就いてであっても、王子たる身が簡単に言質を与えてはならないと、聡明そうめいなアリスタリスは十分に理解していたのである。短くはない時間の後、アリスタリスはコルニー伯爵に問い掛けた。

「そなたの意見を入れたとして、地方領主は動くのか」
ほとんどの地方領主からは、確約を求められましょうから、殿下には誓詞を御書き頂かねば為らぬものと存じます。その御約束さえ頂戴出来ますれば、わたくしが地方領主達を説き伏せて参りましょう。我が命に代えまして、御誓い申し上げます」

 小さく頷いたアリスタリスは、コルニー伯爵のかたわらで、じっと謝罪の姿勢を取ったままのイリヤにも、同じ問いを重ねた。

「イリヤ卿。けいの意見も聞かせてほしい。報恩特例法の廃止を約せば、地方領主は動くのか。更に、地方領主を味方に付ければ、アイラト殿下に勝てるのだろうか」
 不安気な眼差まなざしで、じっと話の推移を見守っていたイリヤは、両手を床に着け、瞳に熱い懇願こんがんの色を浮かべて、アリスタリスに答えた。
「団長閣下からこの策を御聞かせ頂き、私くしは勝利を確信致しました。アリスタリス殿下から御約束を頂ければ、地方領主共は歓喜して従いましょう。また、地方領主が殿下の御味方を致さば、アイラト殿下に大きく水を開けるに違いございません。此度の近衛このえの恥辱をそそぐ機会を、何卒御与え下さいませ」

 幼い頃から己が剣の師を務め、一心に年若い王子を信奉してくれたイリヤに、コルニー伯爵の献策の利を説かれ、アリスタリスは遂に決断を下した。

「良いだろう。その策に乗るとしよう。伯が地方領主の過半数の誓詞を集められれば、私も誓詞を返そう。それで良いな、コルニー。いや、コルニー伯爵」

 ようやく口にされたアリスタリスの言葉に、コルニー伯爵は跪いて礼を捧げ、イリヤは男らしい顔を喜びに輝かせた。

「有難うございます、殿下。我が身に代えましても、必ず殿下の御役に立たせて頂きます。怪我の功名と申しますか、わたくしはこの度の近衛の不始末の責任を取り、自邸にて謹慎する心算つもりで、陛下に御伺いを立てております。今日にも御裁可が下りるはずでございますので、極秘の内に地方領主の間を回って話をまとめて参ります」
「我がロジオン王国は広大だ。間に合うのか」
「ある程度爵位が高く、力の強い地方領主達は、ほとんどが王都内の邸宅に暮らしておりますので、十分に可能でございます。高位貴族でありながら遠く離れているのは、王国の四方に位置する四家の辺境伯爵家くらいのもの。こちらには、私くしが信頼する部下に親書を持って行かせましょう」
「分かった。そなたに与える時間は、一旦は召喚魔術が行われるまでと致そうか。もう時もない。急ぐのだな、コルニー伯爵」

 多くのこだわりを飲み込んだコルニー伯爵と、アリスタリスの決断に歓喜したイリヤは、共に深く頭を下げて承諾の意を示した。二人の近衛騎士は、また一歩、後戻りの出来ない道に踏み出したのである。


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