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フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 5-11

 ほがらかな表情のアントーシャに、最初に言葉を掛けたのはルーガだった。滅多に遠慮というものをしないルーガは、がりがりと頭をむしりながら、あきれたように言った。

「アントーシャ様の仰ることの意味が、おれには全く分かりませんよ。おれの頭が悪いからなのか、アントーシャ様が途轍とてつもない方だからなのか。多分、両方なのでしょうな」

 大きな溜息ためいきくルーガの様子に、アントーシャはさらに微笑んだ。ルーガの周りでは、オローネツ辺境伯もイヴァーノも、何とも微妙な表情でアントーシャを見詰めている。勿体ぶるという悪癖あくへきを持たないアントーシャは、簡潔に続けた。

「難しい話ではありませんよ、ルーガさん。ぼくは、過去の歴史に学ぼうと思っただけなのです。強大であり、悪辣あくらつでもある国家に対抗しようとしたとき、有効な力とは何なのか。有史以来、最も長く支配者を苦しめ、根底から国をってきた力とは何なのか、ぼくはずっと考え続けてきました。武力に優れた騎士達、豊富な資金力、戦略的に有利な土地、天才的な戦略家、時の運。幾つもの要素が有りますし、複数の条件が重なる場合も少なくないでしょう。けれども、そうした全ての要素を超えて、権力者にとって最大の脅威きょういとなってきたのは、信仰の力ではないかと思うのです」

 アントーシャの語る声は、誰一人として口をはさむ者の居ない部屋の中を支配し、少しずつ熱気を生み出し始める。

「人は、自らが帰依きえする信仰の為であれば、恐れもせずに権力者に立ち向かい、後には引きません。殺され、犯され、踏みにじられ、奪われ、嘲笑ちょうしょうされようとも、決して叛逆はんぎゃくの意志を失わないのです。信仰こそ唯一無二であると思い定めた信念、信仰によって結ばれた団結と連帯、あるいは信仰を捨てることへの恐怖心ほど、強い力となるものはないのではないでしょうか。だからこそ、ぼくは、最短でロジオン王国の国力を低下させ、倒国とうこくの鐘を打ち鳴らす為には、信仰という手法が有効だと考えたのです」

 ロジオン王国には、特定の国教は存在しない。人々はゆるやかな信仰心で先祖をうやまう程度であり、それが王家の権力を絶対的なものにしているのだと、アントーシャは説明した。ロジオン王国の国王が、何らかの宗教を信仰していたとしたら、その宗教の最高権力者が王に対する力を持ち、国家の権力が二重構造となる可能性が高いのである。

 実際、ロジオン王国以外の国々では、幾つかの信仰が国家への影響力の多寡たかを争い、信仰と信仰、信仰と王権とが、膨大ぼうだいな血を流しながら闘ってきた歴史が有った。ロジオン王国と世界の覇権を争うスエラ帝国では、今も国教であるルーテル教団が絶大な権力を誇り、皇帝と並び立つ権威として君臨くんりんしているのだった。

「今現在、圧倒的な国力を有するスエラ帝国を倒せる者が居るとすれば、ルーテル教団以外に考えられません。ルーテル教団の信徒は九千万人を超え、スエラ帝国民の八割を占めるのですから、仮に教団の総意として皇帝家の廃絶を言明げんめいすれば、それさえも叶うかも知れないのです。国土で勝り、武力で勝り、人口で勝るスエラ帝国は、ルーテル教団の在る限り、国王に権力の集中するロジオン王国を、容易に打ち破れはしないでしょう」

 アントーシャは、淡々たんたんと語り続ける。スエラ帝国とロジオン王国が全面的な戦いに突入したとして、ルーテル教団が帝国への協力をこばみ、平和を求めるべきであると宣言すれば、多くの兵士が軍令を破り、処罰を恐れずに剣を置くだろう。世界に冠たるスエラ帝国の皇帝といえども、ロジオン王国に敵対する以前に、ルーテル教団の承諾を得ることから始めなくては為らないのである。

「ぼくの言う信仰とは、必ずしも固有の神に対する信仰だけを指すものではありません。ぼくの最愛の父上は、この世のことわりを守るために命さえもささげられたのであり、その理そのものが、父上とぼくにとっては神にも等しい存在なのです。ぼくが崇拝すうはいするオローネツ辺境伯閣下は、領主は領民を守る為にこそ存在するのだという信仰を御持ちであり、オローネツ城の皆さんは、そんな閣下に対する忠節ちゅうせつという名の信仰を持っておられるのです」

 真剣に耳を傾ける人々は、アントーシャの話を完全には理解していなかった。只、英才とほまれ高いイヴァーノだけは、爛々らんらんと眼を輝かせて聞き入っていた。大魔術師たるゲーナをして〈智の怪物〉と言わしめた、のスヴォーロフ侯爵には及ばなくとも、オローネツ辺境伯爵領の内政を一手に支えてきたイヴァーノの目には、既にアントーシャの描く未来が朧気おぼろげに見え始めていたのである。アントーシャは言う。

「このロジオン王国には、百万の戦力が存在します。近衛騎士団と王国騎士団、其々それぞれに約六万人の騎士をようする十六の方面騎士団です。一方、百年もの間、戦力の保有を禁じられてきた地方領には、ほとんど戦力らしい戦力は有りません。オローネツ辺境伯爵領でさえ千人に満たず、他領はそれ以下でしょう。オローネツ辺境伯爵領がロジオン王国に反旗はんきひるがえしたとして、千人で百万人の騎士団と真正面から戦えるのかと聞かれたら、それは絶対に不可能であり、無意味でもあります。だからこそ、オローネツ辺境伯爵領の皆さんは、がたきを耐えてこられたのではありませんか、閣下」

「その通りだよ、アントン。報恩特例法ほうおんとくれいほうという狂気の悪法が作られてから、一体どれ程の領民が蹂躙じゅうりんされてきただろう。殺され、奪われ、犯され、挙げ句の果てに奴隷どれいとして売られていく領民達を見る度に、一体何度、この国に反逆の狼煙のろしを上げてやりたいと考えたことか。それでも、わずかな戦力しか持たぬ我らでは、犬死いぬじににさえなりはせぬ。私一人が死ぬのなら、一瞬たりとも迷いはなかった。しかし、私が己の誇りの為に死んだ後、残された領民達が辿たどる未来を思えば、如何どうしても踏み切れなかったのだ」

口惜くやしゅうございましたな、閣下。報恩特例法の名の下に、自国の領民を蹂躙させる国家など、如何して祖国と思えましょう。我らの命を捨てるだけで済むならば、叛乱はんらんの狼煙を上げるのに、一切の躊躇ちゅうちょなど致しませんでしたのに」

 オローネツ辺境伯もイヴァーノも、落ち着いた声で話しながら、瞳は激しい怒りに燃えていた。蹂躙された領民達の苦痛を目の前で見続けてきたルーガは、初めて方面騎士団の襲撃に遭遇そうぐうした日から、一度たりともしずまらない憤怒ふんどたくましい身体を震わせた。アントーシャは静かにうなずいた。

「皆さんの御苦しみは、ぼくにさえ想像が付きます。戦いの場にいて数の力は絶対的なものであり、数の差が百倍にも達すれば、万に一つも勝ち目などはないのです。ですから、ぼくはこう考えました。我らの味方を一朝一夕いっちょういっせきに増やすのは難しく、千で百万の敵と戦えないのなら、敵方の戦力を削るべきである。我らが不倶戴天ふぐたいてんの敵である方面騎士団を、内部から食い荒らして分裂させ、方面騎士団と方面騎士団とを敵対させてやろうではないか、と」

 アントーシャがそう言った瞬間、オローネツ辺境伯は、厳しい為政者いせいしゃの目でアントーシャを見詰めた。エウレカ・オローネツは、実の息子以上に鍾愛しょうあいするアントーシャが相手であっても、領政の根幹に関わる言葉を無批判で受け入れる程、軽々しい男ではなかった。剣を手にしたかのごと威風いふうを漂わせながら、オローネツ辺境伯はゆっくりとたずねた。

「そなたの言は正しい。言葉としてならば。しかし、実現させる方策があるとは、今の私には思えない。そなたは、本当にそれが可能だと思うのかい、アントン」

 アントーシャは、オローネツ辺境伯の厳しい眼光を受け止めながら微塵みじんも揺らがず、穏やかな表情のまま頷いた。

勿論もちろん、普通のやり方では不可能ですよ、閣下。報恩特例法を作ったラーザリ二世は、る意味で途轍とてつもなく優れた国王であり、の王が中央集権化の為に行った施策は、今もロジオン王家による支配の根幹を成しています。地方領に戦力の保持を禁じ、王国が直轄ちょっかつする方面騎士団を地方領の防衛と治安維持に当たらせる。そして、その維持費を地方領に負担させることにで地方領主の財貨を食い潰し、王家は無傷のまま蓄財するのです。しかも、王国騎士とは名ばかりで、一生を地方に留め置かれる騎士達の〈娯楽〉として、報恩特例法による略奪を許し、方面騎士団の忠誠をもあがなったのですから、政策としては完璧であり、分断のはかりごとは容易ではありません」

「アントーシャ様の仰る通りですな。実際、そのラーザリ二世の政策に助けられ、ロジオン王国は巨大なる中央集権国家として生まれ変わり、王家の権力は絶対的なものに為ったのですから。罪なき地方領の領民達からすれば、ラーザリ二世こそ歴史上でも類を見ない鬼畜きちくではありますが」

おっしゃる通りです、イヴァーノさん。ラーザリ二世は大政治家であると同時に、稀代きだい極悪人ごくあくにんでもありました。ラーザリ二世の作った悪法によって、長い年月、領民は辛酸しんさんめ尽くしてきたのです。しかし、だからこそ、如何に方面騎士団の騎士達とは言え、心の奥では罪悪感を感じている者が居るのではないでしょうか。ぼくは、流されるままに悪行を重ねつつ、罪悪感を隠している者達を、王国に対する叛逆者に仕立てられないかと考えたのです」

「大変に失礼な物言いですが、少しばかり甘くはありませんか。わずかばかりの罪悪感は有ったとしても、結局は襲撃に加わっているのです。奴らは、魂から腐り果てた下衆共げすどもですよ。アントーシャ様は、奴らの良心を信じるとでも仰るのですか」

 ルーガは、アントーシャの言葉を深く吟味ぎんみするかのように半眼はんがんになり、やがて疑わしに首をかしげた。命を救われて以来、アントーシャを敬愛しているルーガではあっても、方面騎士団の者達が改心する未来など、到底信じられはしなかったのである。アントーシャは、喉の奥で笑いながら答えた。

「まさか。彼らの良心に期待出来るくらいなら、これまでの悪行は起こりませんでしたよ、ルーガさん。けがれた欲望に駆られ、百年もやすきに流されてきたのですから、如何いかに罪悪感がつのろうとも、今更領民の為に立ち上がるとは思えません。そうではなく、こちらが彼らを追い込み、立ち上がらざるを得ない状況を作り上げるのです。たとえば、心の何処どこかに罪悪感を持ちつつ襲撃を繰り返す者達に、魔術を使って恐怖心を植え付けたら如何どうなるでしょう。方面騎士団の非道に対して神は怒り、ついに裁きが下される。方面騎士団の者達よ、即座に悔い改めよ。剣を捨て、地方領を守護する盾となれ。さもなくば、必ずそなたらに神の鉄槌てっついが下されるだろう、と」

 アントーシャは、何処か夢見るように言った。その眼は炯々けいけいと輝き、次第に執務室に居る人々の心を騒がせていく。

「皆さん、想像してみて下さい。神の使徒を名乗る謎の一団に、方面騎士団の本部が襲撃され、甚大じんだいな被害を出したら如何なるでしょう。領民を虐殺ぎゃくさつしようとした者達が、神の使徒を名乗る者達に討伐とうばつされたら如何なるでしょう。神の軍勢と思しき騎士団に、方面騎士団が敗北したらどうなるでしょ。そうした異常事態が重なれば、人々は少しずつ恐怖に駆られていくでしょう。局地的な戦いで圧倒的な敗北が続き、誰の目にも明らかな被害が出れば、貴族家の出の者や、家代々が騎士だという者以外は、雪崩なだれを打って方面騎士団を裏切る可能性があるとは思われませんか。ぼくなら、個別の戦いを勝利に導く為の助力を行い、方面騎士団の内部に恐怖心を植え付け、神の奇跡を演出することが出来るだろうと思うのです」

 通常の魔術師が行使こうしした術であれば、叡智えいちの塔の優れた魔術師達は、必ず何らかの痕跡こんせきを見つけ出す筈である。逆に言えば、術式も魔術触媒しょくばい詠唱えいしょうも必要とせず、この世の誰にも使えないアントーシャの術は、魔術であって魔術ではなく、多くの者達はそこに神の御業みわざを見るだろう。

「ぼくは、畏怖いふや恐怖によって、方面騎士団の者達の心を動かしたいのです。潜在的せんざいてきに罪悪感を抱えている者が相手で有れば、はっきりと目に見える奇跡によって、容易たやす扇動せんどう出来るのではないでしょうか。神の存在、正確に言うのならば、神からの罰が下される可能性を信じさせれば、人の心はもろくなります。勇ましく方面騎士団に叛旗はんきひるがえしたり、ぼく達の陣営にくだったりする必要はありません。方面騎士団からの離脱を望み、戦いにける士気を低下させ、逃げ出してほしい。要は、神の使徒を名乗る存在が劇薬となり、方面騎士団を分裂させる契機になれば良いのです」

 その為に、自ら神の使徒の役割を担うのだと、アントーシャは宣言した。騎士達が剣によって戦うように、ゲーナが魔導師と呼んだアントーシャは、奇跡の力をもって自分だけに許された戦い方をしようというのである。

「普通であれば、信仰が現世げんせ的な力を持つには長い時間が掛かります。けれども、罪悪感や背徳感という下地の上に、目に見える神の奇跡が加われば、信仰と言う名の恐怖心が広まるのはまたたきの間です。過去、多くの国家が苦闘してきた例にならって、ロジオン王国にも苦しんでもらいましょう。神の使徒として方面騎士団に鉄槌てっついを下し、恐怖心を伝播でんぱさせ、闘争心を枯渇こかつさせ、戦線から離脱りだつする者を増やし、王国を騒乱のうずに落とそうではありませんか」

 長い説明を終えて、ようやく口を閉ざしたアントーシャは、ゆっくりと冷めた紅茶を飲み干した。オローネツ城の執務室に居る者達は、誰もが無言のまま、其々それぞれにアントーシャの言葉を反芻はんすうする。打ち寄せる波のごとく理解が広がっていく中、最初に口を開いたのは、異様な程に瞳をきらめかせたルーガだった。

「面白い。アントーシャ様の仰ることは、途方もなく面白い。絶対に不可能だと思っていた倒国に、針の先程の希望が見えてきやがった。このおれを使って下さい、アントーシャ様。神の裁きを下す役にして頂ければ、領民達を虫けらのように踏みにじってきた奴らを血祭りに上げて、たっぷりと恐怖をあおってやりますよ」

 オローネツ辺境伯は、腕を伸ばしてアントーシャの手を取り、遠慮もなく握り締めた。繊細なアントーシャの手には強過ぎる力だったが、オローネツ辺境伯は気付きもしない。地方領の英雄と呼ばれる男の顔に浮かぶのは、咆哮ほうこうする獅子の笑顔だった。

「そなたは、本当に愉快ゆかいな子だな、アントン。確かに、巨大なロジオン王国相手に、普通に反逆などしても面白くないな。良いとも、良いとも。私達は、たった今からアントンの言う信仰に帰依するから、オローネツ辺境伯爵領を好きに使っておくれ。十とは言わぬ。百に一つ、千に一つ勝つ見込みの有る戦いなら、オローネツ辺境伯爵の名にいて、私はこの分水嶺ぶんすいれいを踏み越えられるのでな」

「よろしいのですか、閣下。オローネツ辺境伯爵領にとっては、とても危険な御決断です。今日は、ぼくの話を聞いて頂けただけで十分なのです。ぼくは、猫達しか味方がいませんので、一緒に戦って頂けるのであれば、とても助かるのですけれど。

かまわぬ。私は、そなたの戦略に可能性を見出したのだから、後は突き進むだけだよ、アントン。そなたの言う通り、歴史上、神の軍勢を名乗る者達程、始末に負えぬ集団はなかったのだからな。さあ、教えておくれ。そなたのことゆえ、この先の戦略は勿論もちろんのこと、神の使徒としての名称も考えているのだろう」

 オローネツ辺境伯に握られた手を優しい力で握り返し、ほのかな血の色を上らせながら、アントーシャは頷いた。

仮初かりそめではありますけれど、僕なりに考えてみました。魔術を使う者にとって、名前の持つ意味は大きいからです。名とは概念の結実けつじつにして、もたらされし天啓てんけい。その名が浮かんだからこそ、倒国とうこくの戦略が描かれたとも言えるでしょう」

 アントーシャの琥珀色こはくいろの瞳は、今や黄金そのものの輝きを放ち、この世の誰にもることの出来ない何かを見据えているかのようだった。執務室に居る全ての者達に、瞬きもせずに見詰められながら、アントーシャは一息ひといきの間を置いて言った。

「我らこそは、この世の理を神とし、非道なる者に裁きを下す神の使徒。その名は、フェオファーン〈神の顕現けんげん〉」

 アントーシャの告げた名は、それ自体が魔術ででもあるかのように、黄金の余韻よいんまとって人々の間を駆け抜けていった。敬虔けいけんな気配に満たされ、誰も何も言葉に出来ない沈黙ちんもくの後、声を上げて笑い出したのはオローネツ辺境伯である。大らかに明るく、奥底に鋼鉄の決意を秘めた笑いだった。

「フェオファーンか。良いな。私の魂にまで、信仰のくさびが打ち込まれた気がするよ。では、今日より我らはフェオファーンの名を冠して戦い、方面騎士団を食い荒らし、ロジオン王国に悪行あくぎょうむくいを受けさせてやろうではないか。そうであろう、イヴァーノ」

 オローネツ辺境伯爵領の柱石ちゅうせきとして、容易には感情を動かさないはずのイヴァーノは、唇を微笑みの形に吊り上げて、アントーシャを凝視ぎょうししていた。舌舐めずりをする猛獣を思わせる声で、イヴァーノは言った。

「人間を動かす最大の原動力となるのは、財でも才でも力でもなく、信仰ですか。成程なるほど至言しげんですな。偉大な王への忠誠も、或る意味の信仰なのですから。狂信者ほどに強い戦力など、確かに歴史上にございませんでしたな。最初からそれを狙って戦略を立てようとは、何という途轍とてつもない方なのでしょう、アントーシャ様は。素晴らしい。おおせの通り、あの鬼畜にも劣る方面騎士団を、夜も眠れぬ恐怖に突き落とし、己が所業を後悔させ、信仰の名の下に分断させてやりましょうとも。ああ、考えるだけで愉快だ」

 オローネツ辺境伯とイヴァーノは、目を見交みかわして頷き合った。ルーガは歯をき出しにして凶暴に笑い、オネギンは底光りする瞳で不敵に微笑んでいる。ルペラも護衛騎士も文官達も、誰一人としてたじろがず、自分を見詰めていることを理解したアントーシャは、高らかに宣言した。

「では、ここから戦いを始めましょう。我らはフェオファーン。この世に顕現せし神の使徒。味方の犠牲は最小に、敵の被害は最大に。狡猾こうかつにして清廉せいれんな闘いを。目的は報恩特例法の徹底的な破壊。ロジオン王国への鉄槌てっつい。真の信仰とは、正義を体現する方途ほうと。百年以上もしいたげられてきた人々の苦痛を、加害者の心に思い知らせてやりましょう」

 ロジオン王国暦五一四年六月三十日、オローネツ城領主執務室。初夏の清々すがすがしい夕刻ゆうこくに、後に世界を激変させる革命の種が、ひっそりと芽吹いたのである。

   〈op.Ⅰ  了 / 『op.Ⅱ  白銀の断罪者』へ続く〉