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フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 4-10

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04 アマーロ 悲しみは訪れる|10 次元の彼方

 アントーシャの封印が解き放たれた丁度その頃、異様な緊張を孕んだ儀式の間では、ゲーナの行使する魔術によって、召喚対象の探索が続いていた。ゲーナの魔力を注ぎ込んだ魔術陣が、青白く発光する様子を注視しながら、エリク王はかたわらのタラスに囁いた。

「ゲーナ・テルミンの魔力量は、流石さすがに甚大であるな。並の魔術師であれば、既に魔力が枯渇こかつしておろう。これで儀式は始まったばかりだというのだから、ゲーナが衰えた後は、召喚魔術の再現など不可能であろうよ」
「御意にございます、陛下。ゲーナという男は、契約の魔術紋なしには御せぬ不忠者ふちゅうしゃではございますが、魔術師としての力量は並ぶ者がございません。クレメンテ公爵閣下は、次の魔術師団長にダニエ・パーヴェルを推そうと根回しを始めておられますけれど、ダニエではゲーナの足下にも及びますまい。ダニエに才がないのではなく、余りにもゲーナが突出しております。千年に一人の天才と呼ばれるのも、決して誇張ではございませんでしょう」
「然り。ダニエ・パーヴェルでは、到底ゲーナの代わりにはなれぬ。ゲーナは既に百二十歳になったのだったか。ゲーナに匹敵するとまでは言わず、叡智えいちの塔を背負うに足る魔術師を探し出せぬ限り、我がロジオン王国は、やがては魔術大国の名を失うであろうな」

 体内に内包する魔力量によって、人の寿命が大きく左右される世界にあって、ゲーナが百歳を超えて壮健であることに不思議はなかったが、自ずと限界は存在する。今より五十年、百年の後に至るまで、ゲーナが生き続けられるはずはなく、叡智えいちの塔にも代替わりの時は近付いていたのだった。

 儀式の間では、魔術陣の上に立ったゲーナが、悠然ゆうぜんとした表情を崩さないまま、魔術陣に魔力を注ぎ続けるている。わずかに憂いの色をたたえ、ゲーナを見詰めていたエリク王は、不意に言った。

「そう言えば、ゲーナの身内が叡智の塔に居たのではなかったか。赤子の頃にゲーナが引き取り、手元で育てていると聞いた覚えが有る。余の優秀な家令かれいであれば、その者に就いても調べ上げているのであろう。その者は使えぬのか、タラス。ゲーナの身内であれば、魔力量に恵まれている可能性も高かろうと思うのだが」

 問い掛けられた言葉に、タラスはそっとエリク王の横顔に視線を向けた。魔術師団長であるゲーナや次席魔術師であるダニエは未だしも、一等魔術師の一人に過ぎないアントーシャの存在にまで、エリク王が注意を向けている。その一点をもってしても、エリク王がゲーナを失った後のロジオン王国を想定し、懸念けねんしているであろうことが、容易に感じ取れたのである。エリク王だけに聞こえる声で、タラスは答えた。

「陛下の御記憶は、いつもながら素晴らしゅうございますな。陛下のおおせの通り、ゲーナの遠縁にあたる者が、若くして叡智の塔の一等魔術師になっております。ただ、この者は凡庸ぼんような魔術師であり、ゲーナの身内贔屓によって引き立てられたものと見られております。我ら王家の夜も、百年余に渡ってゲーナ・テルミンを監視対象とし、ここ数年はアントーシャ・リヒテル共々監視を強化しておりますが、特に目立った動きはございません。アントーシャが優れた魔術師であるという報告も、一度も聞こえては参りません」

「千年に一人の天才と呼ぶに足る大魔術師、彼のゲーナ・テルミンが、身内贔屓の人事を成すと申すか、タラス。ゲーナは、身内だからと優遇する人間であったろうか。絶対にそうでないと、余にも言い切れはせぬが」
「あの狷介けんかいな老人にはめずらしく、随分と可愛がっているようでございます。そう言えば、ゲーナはその者を猶子ゆうしとして爵位と領地を継がせ、叡智えいちの塔を辞めさせた上で、領地に返す心算つもりであると聞きました。召喚魔術が終われば、自分も折を見て引退し、その者と共に領地で余生を過ごしたいそうでございます。しかし、陛下が少しでも違和感を御感じになられるのでございましたら」

 もう一度、王家の夜を総動員してでも、アントーシャ・リヒテルの身辺を調べてみるべきか、タラスがエリク王にたずねようとした瞬間、タラスとエリク王の思考は、ダニエの緊張した声によってさえぎられた。

「皆様、魔術師団長閣下の足下にございます、聖紫石を御覧下さいませ。魔術陣の中央で、一際強く輝いている聖紫石でございます」

 そう言われ、エリク王を含めた観客達は、ゲーナの足下を凝視ぎょうしした。白輝石を敷き詰めた純白の床に埋め込まれ、澄んだ紫色に発光していた聖紫石は、禍々まがまがしくしたたる血を思わせる赤に色を変えて、激しく明滅している。人々が驚きと緊張に言葉を失う中、ダニエは抑え切れない興奮をにじませながら言った。

「今回の召喚魔術の魔術陣に於いて、術式の要となっております聖紫石が、反応しております。これは、術式として設定致しました召喚条件に適合する対象が、いずれかの界、何れかの次元で見つかったという証拠でございます。聖紫石の明滅が止まれば、愈々いよいよ召喚対象をこちらの次元に引き寄せることとなります」

 ダニエの言葉が終わるや否や、儀式の間に異様な緊張をもたらしていた明滅が止まり、聖紫石が目を射る程に赤く輝いた。魔術陣に魔力を流し始めてから、彫刻のごとき無表情を貫いていたゲーナは、ここで初めて動きを見せた。固く目を瞑り、両手を胸元で組み合わせ、深く息を吸い込んだのである。ゲーナが集中力を高め、全力の魔力を注ぎ込もうとしているのは、誰の目にも明らかだった。

 ゲーナの変化を目にしたダニエは、右の掌に掲げた聖紫石を握り締め、自身の魔力を流し込み始めた。ダニエの持つ聖紫石は、儀式の間の聖紫石の一部を削り取った結晶である。そこに魔力を流せば、召喚魔術の魔術陣を支える聖紫石と、ダニエの聖紫石が魔術的に連結し、召喚魔術の術者であるゲーナの感覚の一部を、一時的に共有出来るのだった。額に薄っすらと汗を浮かべながら、ダニエは掌の聖紫石が伝えて来る情報を懸命に読み取っていく。固く目を瞑ったまま、ダニエは言った。

「成功です。我々は遂に、召喚対象を見付け出しました。対象が存在するのは、この世界より複数の界を隔てた先に有る類似の次元。性別などは不明。こちらの世界に呼び込む為に、あちらの世界で召喚の魔術陣を展開致します」

 ダニエの言葉に、儀式の間の賓客ひんきゃく達は声もなくどよめいた。全ての者が魔力を持ち、魔術という不可思議な力が日常的に使われる世界でさえ、異次元や異世界の存在は実証されておらず、異世界から〈人〉を召喚する魔術など、ほとんどの者にとっては夢物語に過ぎなかった。それが今、正に実現しようとする瞬間を迎え、呼吸さえ忘れる程の興奮が一気に儀式の間を包み込んだのである。

 人々の興奮を気にも止めず、ゲーナは一人、魔術陣に魔力を注ぎ続けていた。星形の十二芒星の頂点に位置する青光石の上に立つ魔術師達は、召喚魔術の魔術陣を強化し、術の行使を阻害する要素を排除する役割を担っているに過ぎず、召喚魔術そのものを行使しているのは、あくまでもゲーナの魔力である。歳を経た老人の身体が、陽炎の如く揺らいで見える程の魔力をみなぎらせるゲーナは、千年に一人の天才と呼ばれるに相応ふさわしい大魔術師だった。

 固く目を閉じたまま、不意にゲーナの身体が強張こわばりを見せた。視覚を超えた魔術的な感覚によって、ゲーナの脳裏に未知の世界が映し出されたからである。夜空にきらめく数多の星々の一つ、一際強く輝く恒星の軌道に乗っている青く美しい惑星に、ゲーナの精神体は引き寄せられた。何処どこか儀式の間に似た造りをしている、背の高い建物が立ち並ぶ所。見慣れぬ服装をした、明らかに高い文化を持った大勢の人々だった。
 掌に握り締めた聖紫石を通して魔術的な感覚を共有し、ゲーナと同じ光景を目にしたダニエは、うめくように呟いた。

「これは、何という不思議な世界なのだ。我々と似ている所も有るが、何もかもが異質ではないか。異常に高い建物の林立も、高速で道を行き来する見慣れぬ乗り物の列も、想像さえしていなかった。真夜中にあれ程の明かりを灯すには、一体どれだけの触媒しょくばいを揃えれば良いのだ。何と不思議で、何と心惹かれる光景なのか。夢ではない。あれが次元を隔てた異なる界、異なる次元の有様なのか。ああ、遂に召喚魔術の魔術陣が展開されるぞ」

 衝撃に震えるダニエを他所に、ゲーナの目は、いつしか一人の青年に吸い寄せられていった。巨大な灰色の建物の一室で眠っており、顔立ちまでは分からない。ただ、ゲーナの魔力は術式のままに召喚魔術を展開し、目覚める気配のない青年の身体の下に、赤い魔術陣を描き出そうとしていた。観る目の有る者が見れば、それが儀式の間に刻まれた魔術陣と同じ、十二芒星に描かれた術式だと分かっただろう。

 一番目の正三角形は火、二番目の正三角形は風、三番目の正三角形は水、四番目の正三角形は土を表す。詰まり、かつての魔術師団長だったヤキム・パーヴェルが発案し、その血統を受け継ぐダニエが完成させた召喚魔術の魔術陣は、世界を構成する四元素の力を集結しようとしているのである。四つの正三角形が光の線で繋がり、青年の身体の上に十二芒星が出現したとき、召喚魔術は対象を絡め取ることになるだろう。

 第一の正三角形は、赤い光で繋がり、煌々こうこうと光り輝いた。第二、第三の正三角形もまた、赤い光の線を伸ばし、次々に光り輝いた。そして、四番目の正三角形が描き出されようとした瞬間、ゲーナは心の中で一つの名を強く呼んだ。大魔術師ゲーナ・テルミンの最愛の息子である、アントーシャの名を。


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