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連載小説 邂逅 ー神霊術少女チェルニ外伝ー〈中編〉

 ルーラ王国の王国騎士団が、少年少女誘拐の実行犯を捕らえてから数日、宰相であるロドニカ公爵の執務室に、再び関係者が集められた。ロドニカ公爵と筆頭事務官、何人かの官吏かんり、王国騎士団長レフ・ティルグ・ネイラ、レフの部下たち。そして、前回は姿を見せなかった男が一人、宰相執務室の片隅に控えていた。

「先日は助かったよ、レフ。いつもながら、誠に見事な手並だった。今日は、捕縛した者たちの尋問の経過を、そなたたちに伝えるために、足を運んでもらったのだよ」

 ロドニカ公爵は、そういって片隅の男へと頷きかけた。飾りのない灰青色のジュストコールを身に着けた男は、どこにでもいる下級貴族に見える。その目鼻立ちも、茫洋ぼうようとして捉えどころがなく、視線をらした瞬間に、忘れてしまいそうな程に平凡だった。レフたち王国騎士団が捕らえた誘拐犯の主犯格で、攻撃魔術の使い手でもあった、ニコラ・ド・バクーニと同じように。
 ルーラ王国の宰相に、無言のうちに促された男は、その場で片膝をついて礼を取り、レフに向かって深々と頭を下げた。

拝謁はいえつの栄に浴し、恐悦至極きょうえつしごくに存じたてまつります、王国騎士団長閣下。この度は、わたくしどもが至りませず、閣下に御足労を御かけ致しましたこと、万死に値する不手際と驚懼きょうく致しております。宰相閣下より、誘拐犯の捜索を御指示いただきましたにも関わらず、捕縛ほばくどころか、犯人の特定さえできませんでしたこと、汗顔かんがんの極みにございます。この上は、如何様いかようにも御裁断下さいませ。我が一族、我が部下の末の末まで、閣下の御声一つにて、己が首を落とす覚悟は定まっております」

 重すぎる謝罪の言葉に、レフは、小さな溜息と共に苦笑した。頭を上げる気配も見せず、固く姿勢を崩さない男に、レフは言った。

「相変わらずですね、バラン男爵。わたしには、貴方を処刑する権限などありませんよ。第一、ルーラ王国に奉職する者同士、助け合えばいいだけのことではありませんか。貴方の一族の首など、落とされては困ります」
かたじけなき御言葉に存じます、閣下。王国騎士団長たる閣下には、我らを御裁きになられる権限がなかったとしても、〈神威しんいげき〉たる御身には、ひたすらに服従申し上げるのみにございます」
「では、覡として命じましょう。共に助け合い、この度の誘拐事件を終結させたいので、力を貸してください」

 バラン男爵と呼ばれた男は、無言のままに姿勢を改め、床に額をつけて平伏へいふくした。もう一つ、先程よりも大きな溜息を吐いたレフを助けるように、横から口を挟んだのはロドニカ公爵だった。

「レフが困っている。謝罪はそのくらいにしておきなさい、ポール。それよりも、捕縛した者たちの尋問は、順調に進んでいるのだろうな」
「御意にございます、宰相閣下。犯人の捕縛に際し、何の御役にも立てなかった我らでございますので、尋問こそはと全力を傾けております」
「そなたたちの全力とは、物騒なことだな。せっかく元気の良いまま、レフが生け捕りにしてくれたのだ。まだ壊してはおるまいな」
「もちろんでございます。我ら〈黒夜こくや〉の誇りにかけて、捕縛者全員、怪我一つ負わせてはおりません。身体に傷などつけなくとも、口を割らせる手段は、いくらでもございますので」

 視線を床に向けたままだったバラン男爵は、ここで初めて顔を上げ、ロドニカ公爵に微笑みかけた。かたくなに身を縮め、震えるばかりに平伏していた男とは思えない、凄味のある表情だった。
 バラン男爵が口にした〈黒夜〉とは、月のない暗黒の夜を意味する言葉である。夜闇に紛れて身を隠し、気配を殺してうごめく者たち。バラン男爵を長とする〈黒夜〉は、ルーラ王国における諜報ちょうほう活動を一手に担う、いわば特殊部隊なのである。

 〈神威の覡〉であるレフに対して、ひたすらにおそかしこまる姿も、冷たい嘲笑を浮かべて敵を蹂躙じゅうりんしようとする姿も、等しくバラン男爵の本質だった。その極端な二面性が、何の矛盾もなく並び立っている、複雑な精神性こそが、神霊王国であるルーラ王国特有の、特殊部隊のあり方でもあった。
 ロドニカ公爵は、表情一つ動かさずに頷くと、官吏に目配せして、バラン男爵を立ち上がらせた。

「ここからは、儀礼を廃して報告してくれるがいい。まず、誘拐そのものについて認めたのか、犯人どもは」
「認めましてございます、宰相閣下。彼奴あやつらは、一年ほど前から我が国に入り込み、子供らをさらっていたそうでございます。その前の一年間は、別の部隊の者が潜入していた模様でございます」
「部隊と申したか、ポール」
「御意にございます、宰相閣下。八名の分隊を二組、合わせて十六名の小隊を編成していたと、自白しております」
「その十六名は、アイギス王国の騎士か」
「はい。王国騎士団の極秘任務として、団長直々じきじきの命によるものだそうでございます」
「我らが王国に、アイギス王国の正規の騎士が十六人も密入国して、子供たちを誘拐していたと申すか。二年間にも渡って。我らはそれに気づきもせず、他国の騎士団に好き放題に活動させていたと、そなたはそういうのだな、ポール。我らがルーラ王国の闇を統べる、〈黒夜〉の長よ。しかと返答せよ」
「仰せの通りにございます、宰相閣下」

 ロドニカ公爵は、無言のまま奥歯を噛み締めた。堂々とした風格を漂わせる姿からは、陽炎かげろうのように憤怒ふんどの気配が立ち昇り、貴族的で端正なおもては、凍りつくばかりに冷ややかである。宰相執務室にいた者たちが、思わず身をすくめておののく程、ロドニカ公爵の怒りは激しかった。
 バラン男爵は、再び深く頭を下げて謝意を示したが、じっと伏せられた顔には、宰相の怒りに対する恐れは浮かんでいない。ただ、目にした者が二度と忘れられなくなるだろう、冷徹で兇悪きょうあくな光が、バラン男爵の瞳を暗く輝かせていた。アイギス王国が、ルーラ王国の〈黒夜〉に与えたのは、死にも勝る屈辱に他ならなかったのである。

 やがて、誰も口を挟むことのできない、重苦しい空気を払拭ふっしょくしたのは、大きく息を吐くことで激情を抑えつけた、当のロドニカ公爵だった。

「先程、ポールが口にした謝罪の言葉は、わたしからも言わねばならないだろう。アイギス王国ごときに、神霊王国の誇りをけがされることなど、決してあってはならぬ。ルーラ王国の宰相として、我が罪は万死に値するな、レフ」
「そう仰せになるのでしたら、ルーラ王国の守護を担う、我ら王国騎士団も同罪ですよ、伯父上。しかし、今は事態の収拾が先決です。バラン男爵の報告を続けてもらいましょう」
「そうしよう。話の腰を折って済まなかった、ポール。アイギス王国の者どもは、何のために子供たちを拐ったのだ。王国騎士団長の密命であれば、奴隷として売ることが目的ではないだろう」
「犯人どもは、将来の開戦に向けた準備のためだと、王国騎士団長から説明を受けておりました。子供たちをアイギス王国に連れ去り、魔術師どもの手によって、神霊術の秘密を探ろうとしているそうでございます。祖国の地を離れても、神霊術は使えるのか。その威力は落ちないのか。詠唱を途中で阻害すれば、術は消え去るのか。神霊術を破る方法はあるのか。ありとあらゆる方面から、子供たちを実験台にしているのだと、告白致しました」

 宰相執務室の空気は、今度こそ凍りついたようだった。千年の平和を謳歌おうかしてきたルーラ王国に対して、開戦を意図するアイギス王国の存在と、誘拐した子供たちに対する非道な所業に、誰もが言葉を失ったのである。
 ロドニカ公爵は、限界を超えた怒りに、むしろ穏やかにさえ見える表情で、淡々と質問を重ねた。

「敢えて聞くが、そなたの報告は確実なのか、ポールよ。捕らえられた者どもは、アイギス王国が選りすぐった精鋭であろう。自白したと見せかけて、故意に誤った情報を流している可能性はないか。今回の尋問には、どのような術を用いたのだ」
「我が〈黒夜〉の中に、薬を司る御神霊から印を授けられた者がおりますことは、御存知でございましょう。今回は、全てをありのままに話さずにはいられなくなる、強力な自白剤の調合を神霊術にて行い、捕虜どもに投薬致しました」 
「捕縛されることを想定し、あらかじめ魔術で縛られてはおるまいな」
「アイギス王国の魔術師が、一年もの長期間に渡って、そこまでの術を行使できるとは、考えにくうございます。もちろん、可能性を排除するなど、愚か者の所業ではございますが、今回に限っては断言してもよろしいかと。畏れ多くも、〈神威の覡〉でらせられます御方が、彼奴らの魔術を全て断ち切ってくださいましたので」
「行使した魔術だけでなく、かけられていた魔術も、魔力そのものも切って捨てたか。よろしい。捕虜の言葉は、信じるに値するものと判断しよう。では、子供たちだけを狙った理由は何なのだ、ポール」
「第一に、重量の問題だそうでございます。大人一人を転移させる重量で、幼い子供であれば五人は運べるのだと、魔術師が申しておりました。また、孤児であれば追求が緩くなり、拐う場所を広範囲にすれば、発覚が遅れると考えたそうでございます。反撃されたり、逃げられたりする危険性が少ないことも、子供を狙った理由であると」
「誠に口惜しいことに、犯人どもの狙いは的確であろうな。我らが神霊王国は、孤児たちの命が軽いと考える程、愚劣な国家ではあるまいが、問題にする親がおらねば、確かに発覚は遅くなる。そして、街ごとに守備隊が存在し、それを総合的に統括する組織が存在しないのは、地方領主の存在がもたらす弱点であろう。王国騎士団が、正面から地方領主の捜査権を侵すわけにはいかぬのでな」
「だからこその、我ら〈黒夜〉でございます。御役目を果たせず、御詫びの言葉もございません、宰相閣下」

 ロドニカ公爵は、再び深く頭を下げたバラン男爵に向かって、鷹揚おうように頷きかけただけだった。ルーラ王国の支柱とも評される、極めて聡明な宰相は、新たな疑問に心を囚われていたのである。
 執務室にいる者たちの記憶を、呼び覚まそうとでもするかのように、ロドニカ公爵は、ゆっくりと言った。

「我らが〈覡〉が、御神鏡を召喚なされ、犯人どもの残した水晶の記憶を読み解いてくだされたとき、隊長と呼ばれた男は、こう言っていた。〈拠点まで逃げ込んでしまえば、この国の者は誰も手が出せない〉と。わたしは、この言葉の意味を、ずっと考えていたのだ。人に見つかり難く、堅牢であるだけなら、〈この国の者には〉などと限定するだろうか。ポールよ。まさかとは思うが、犯人どもの共犯は、あの者たちではあるまいな。我が国にいながらにして、他国としての権利を有する者たちのことだ」

 厳しい眼差しで問いかけられたバラン男爵は、仄暗ほのぐらい瞳を一層冷たく光らせながら、激情をはらんだ声で答えた。

「御賢察の通りでございます、宰相閣下。捕虜どもが、口を揃えて明言致しました。彼奴らの一部を従者と偽って入国させ、己の屋敷内に転移魔術陣を刻み、犯人どもを行き来させ、子供らをアイギス王国へと送り込む手助けをしたれ者がいるのです。この神聖なるルーラ王国の王都において」
「アイギス王国から送られてきた、正式な外交官か。確か、子爵位を持つ男だったな。父親は、アイギス王国の侯爵だったと記憶しておる。これまで、外交官は伯爵以上が不文律ふぶんりつであったので、わたしも不審には思っておったのだ」

 千年の平和を謳歌するルーラ王国は、周辺のいくつかの国家から、外交官を受け入れている。国境を接する国々、過去に王族との婚姻が行われた国々、貿易上のつながりの強い国々などである。 
 外交官として赴任してきた者たちは、王都の一等地に土地を貸与たいよされ、国力に応じて公邸を構える。事務官や従僕、料理人など、事前に定められた人数の範囲内で、公邸の使用人を入国させることもできる。さらに、外交官と認められた者は、犯罪を起こしても逮捕されず、拘束されず、裁かれもしない。外交官を罪に問えるのは、ルーラ王国ではなく、あくまでもその者の故国なのである。

「外交官が誘拐犯の一味とは、ルーラ王国も甘く見られたものよ。アイギス王国の外交官は、セレントと申したか」
「シャルル・ド・セレント子爵でございます、宰相閣下。ただ、実行犯であるアイギス王国騎士団の小隊は、隊長職の者を命令権者としておりますので、セレント子爵が主犯というよりは、王国騎士団が主導する誘拐に、外交官特権を利用したと考えるべきかと存じます」

 バラン男爵の言葉に、今度こそ宰相執務室の空気が揺れた。外交官特権を利用した誘拐を容認する国家など、世界中を探してもあるはずがない。事実が公になった時点で、ルーラ王国は、宣戦を布告するしか道がないのである。
 アイギス王国が、ルーラ王国との開戦を狙っているのだとすれば、誘拐行為を摘発てきはつし、セレント子爵を捕らえること自体が、導火線に火をつける行為になりかねない。アイギス王国の仕掛けは、予想を超えて悪辣あくらつであり、狡猾こうかつでもあった。
 屈辱と怒りに煮えたぎる者たちの中にあって、落ち着いた表情を崩さないままのレフが、ここで初めて口をはさんだ。

「一つよろしいですか、宰相閣下」
「もちろんだとも、レフ。何でも言っておくれ」
「バラン男爵の御報告によって、誘拐事件の概要は掴めてきたのではないかと思います。しかし、だからこそ、根本的な疑問が残るのです。アイギス王国は、何故ルーラ王国と開戦したいと考えているのでしょうか」
「それについては、わたしも疑問に思っている。〈神威の覡〉の御坐おわしますルーラ王国に挑んだとて、勝ち目などないであろうに。アイギス王国の王は、どういうつもりでおるのだろうな。犯人どもは、何と申しておったのだ、ポール」

 二人から問いかけられたバラン男爵は、少しも言葉を濁すことなく、吐き捨てるような口調で言った。

「アイギス王国の王は、玉座の飾りであるのでしょう。隊長であるニコラ・ド・バクーニだけが、幾ばくかの情報を持っておりました。アイギス国王は、今のところ一切関与しておらず、誘拐の事実すら知らないのだと。王弟と王弟妃が、王弟派の筆頭格である王国騎士団長とともに、今回の計画を実行したそうでございます」
「己が王にも隠し立てして、ここまでの所業に手を染めるというのか。にわかに信じ難いことではあるな。しかし、待て。アイギス王国の王弟妃というと、ヨアニヤ王国の王族に連なる者ではなかったか」
「流石でございますな、宰相閣下。左様でございます。ヨアニヤ国王の外孫である公爵令嬢が、王弟に嫁いでおります」
「ヨアニヤ、な。世界一の魔術大国とうそぶく、魔術至上主義の王国。我がルーラ王国を、〈奇怪な術を使う異端の国〉と罵って止まぬ、あのヨアニヤか。なる程」

 度重なる怒りの奔流ほんりゅうを泳ぎ渡り、穏やかにさえ見える表情で、ロドニカ公爵は、レフに視線を向けた。レフは、僅かに頬を緩めて微笑した。洞察力に優れた者であれば、思わずおののかずにはいられないような、凍った笑みだった。

     ◆

 ルーラ王国の王都は、太陽を意味する〈ソール〉の名を冠した、世界でも有数の大都市である。人口は百万人に近く、千年の余も戦火に焼かれていない街並みは、古都の風格と近代的な機能性を併せ持った〈比類なき王都〉として、世界中に存在を知られていた。

 その王都ソールの中心部、王城からも程近い一等地には、美麗な屋敷が立ち並ぶ一画があった。友好国の外交官が居住する大使館が集まった、通称〈異邦街〉である。王国が貸与した土地の上に、それぞれの国の意匠を凝らした屋敷が連なる様子は、王都を訪れる観光客たちの間でも、密かな人気を集めていた。

 シャルル・ド・セレント子爵は、その〈異邦街〉の中程に建つ、アイギス王国外交官公邸の豪奢ごうしゃな執務室で、苛立たしげに床を蹴った。

「もう一度、正確に言ってみろ、アダン。本国から、何という命令が下ったと、おまえは言ったのだ」

 アダンと呼ばれた男は、セレント子爵の視線を避けるかのように、そっと目を伏せた。アダンが身に着けている、上質な上着の胸元には、蛇の意匠を刻んだメダルが鈍く光る。知恵を意味する蛇の文様は、アイギス王国外交使節団においては、事務方の長である参事官の身分を示すものである。
 公邸の主人であるセレント子爵から、無言の威圧で促されたアダンは、アイギス王国から届いたばかりの命令書を、改めて読み上げた。

「再読致します、大使閣下。〈アイギス王国外交使節団長、シャルル・ド・セレント子爵に命ずる。本状到着より七日以内に、本国に帰国せよ。外交使節団員もこれに同じ。引き継ぎに必要な人員として、参事官一名、書記官二名、事務官三名のみ残留させること。外交任務に従事していない職員は、残留させること。新たなる外交使節団は、五日後に本国を出立するものとする〉。先程、本国との緊急連絡用の転移魔術陣を通して、この命令書が送られて参りました」
「命令書の発行は、誰の名の下に行われているのだ」
「我らが輝ける光、フィリップ・ルクス・アイギス殿下の御名にございます」

 〈輝ける光〉とは、国王の兄弟を意味する、アイギス王国特有の表現である。〈輝ける星〉が王子、〈きらめく月〉が王妃、〈輝ける太陽〉が国王その人を指す。フィリップは、現国王の実弟であり、外交を担当する筆頭王族でもあった。
 フィリップの名に、セレント子爵は、もう一度床を踏み鳴らした。王弟が自ら下した命令であれば、それは決して覆らない決定事項だとわかったからである。

 本来、外交官の交代は、任期満了とともに行われるものであり、本国と赴任国が外交上の危機にでも陥らない限り、急な召還命令など考えられない。にもかかわらず、出されるはずのない命令が、王弟の名で発令されたという事実が、セレント子爵を動揺させずにはいなかった。
 セレント子爵は、荒い息を吐いて気持ちを落ち着かせると、青白い顔色を隠せないアダンに向かって、不機嫌に言った。

「彼奴らのせいか。王国騎士団の愚か者どもが、揃って消息を絶ったことで、王弟殿下が動かれたと思うか」
「そうとしか考えられません、閣下。一人二人ならまだしも、アイギス王国騎士団の精鋭が八人、煙の如く消え失せてしまったのです。大変な非常事態であり、閣下やわたくしどもへの召還命令が出るのは、当然でございましょう」
「確かに、わたしが王弟殿下でも、外交使節団を帰国させるだろう。我々は、色々と知り過ぎているからな。いっそのこと、何も知らない、何の関与もしていない者の方が、外交官の任を務めやすい。ルーラ王国に追及されたところで、本当に知らなければ、尻尾を出すこともあるまい」
「仰せの通りでございます、閣下。むしろ、閣下の御身の安全のためにも、早々に本国に御戻りになるべきかと存じます」
「おまえの言う通りだ、アダン。任期が満了するまで、この奇妙な王国で蓄財に励む予定だったが、致し方あるまい。王国騎士団の無能のせいで、忌々いまいましくも大損をこうむったことになるな。彼奴らの足取りは、まだわからないのか」
「はい。残された王国騎士団員八名と、公邸詰めの諜報員たちが、今も全力で捜索しておりますが、何一つ手掛かりがございません」
「これはもう、ルーラ王国側に捕らえられたと見るしかあるまい。ニコラの奴め、あれ程自分の魔術を自慢していたくせに、隊長自ら失踪するとは、話にもならん。父親はともかく、母親は平民の侍女ではないか。庶子如きが、普段から散々このわたしに指図をしておいて、挙句にこのざまとはな」
「我らが誘拐に関与していることも、やがては発覚するものと考えた方がよろしいかと存じます、閣下」
「あの者たちには、何重にも沈黙の魔術がかけられている。拷問されようと、薬物を使われようと、そう簡単には口は割るまいが、用心するに越したことはないからな。まったく、下賤な血を引く者を、隊長になど据えるから、こういう羽目になるのだ。忌々しい」

 軽蔑の眼差しで、姿を消したアイギス王国騎士団の隊長、ニコラ・ド・バクーニを罵倒することで、ようやく落ち着きを取り戻したのだろう。セレント子爵は、アダンに人払いを命じると、声を秘そめて言った。

「それよりも、問題は〈かり〉の始末だ。彼奴らから連絡はあったのか、アダン。今の段階で、〈狩〉の進捗しんちょく状況はわかるか」
「王国騎士団の者たちが、一時的にルーラ王国から撤退する以上、今までのように〈狩〉をすることは難しくなると考え、最後に大きな網を仕掛けるよう、事前に指示を出しておりました」
「規模はどの程度なのだ」
「効率を考えて、〈狩場かりば〉を限定致しました。王都から半日程の距離にある三つの街、エペルネ、ナント、キュレルでございます。この三つの街に、それぞれ三人から五人の狩人かりうどを放ち、少なくとも十人近くの〈獲物〉を仕留めてくるよう、厳命しております」
「狩人どもは、ルーラ王国の者たちなのだろうな」
「勿論でございます、大使閣下。〈神霊の御坐おわします国〉だの、〈善意の王国〉だのと喧伝けんでんしたところで、少し裏通りを探せば、犯罪者はいくらでもおります。今回は、この国の者たちを実行犯とし、〈荷物〉を運ぶ護衛の者も、全てルーラ王国の国民を選んでおります」

 セレント子爵は、執務用の大机の引き出しを開け、更に二重になった底板を上げて、一冊の帳面を取り出した。労働らしい労働もせず、剣すら握ったことのないであろう、白く繊細な指先が、目的の箇所を探し当てる。そこに書き込まれた数字を見つめて、セレント子爵はようやく頬を緩めた。

「今、すでに入っている注文のうち、どうしても断れないものが十三人か。本国で競りにかける予定でいた〈獲物〉を入れれば、十分にまかなえるな。誠に残念ながら、この辺りが潮時ということか」
「ルーラ王国の側も、誘拐の連続性に気づき始める頃でございますからな。王国騎士団が消えた以上、一日も早く本国に戻るべきかと存じます」
「いいだろう。今回の〈狩〉を最後に、我らも祖国に帰るとしよう。しかし、王国騎士団の者たちが使えないとなると、問題は〈搬入〉か」
「地方の街を出ることはできても、王都に入る際は、厳しく調べられますので、わたくしも苦慮しております。かと言って、〈荷物〉を直接転移させるのは、流石に困難でございましょう」
「多くの〈荷物〉を運ぶ転移魔術陣を、適当な場所で展開できるはずがないからな。王国騎士団が使っていた別邸なら、王都の大門を通らなくても行き着けるが、ニコラたちが失踪した現場になど、近づくべきではないだろう。仕方がない。わたし自らが、〈荷物〉の引き取りに出向いてやろう」
「よろしいのですか、閣下。危険ではございませんか」
「この国で狩った獲物には、高い値がつく。子供が五人も揃えば、我が祖国の王都でも、この公邸に匹敵する邸宅が買える金額だ。国に帰ってしまえば、二度と〈狩〉はできないのだから、最後にひと働きするとしよう。一日のうちに、三箇所を回る。馬車の用意をしておけ、アダン。二台だ」
「畏まりました。どの馬車に致しますか」
「アイギス王国の紋章の入った、大型の箱馬車にしろ。床に緊急脱出用の転移魔術陣を刻んである、大使専用のものだ。あの馬車であれば、如何いかなる事態になろうとも、我らの身は守られるからな」
「すぐに御用意致します、閣下」
「不気味な術を使う異端の国の、薄汚い孤児どもを、大使の馬車に乗せてやろうというのだ。哀れな獲物には、過ぎた扱いだろうさ」

 そう言って、セレント子爵はわらった。セレント子爵に追従して、アダンもわらった。自分自身が〈狩〉の獲物になっていることに気づかないまま、セレント子爵は、ようやく安全な巣穴である公邸から、這い出ようとしていたのである。

      ◆

 ルーラ王国の特殊部隊である〈黒夜〉が、セレント子爵の存在を突き止めた翌日、レフは、王都の通用門を見下ろせる、宿屋の一室に姿を見せていた。王都でも指折りの高級宿の部屋は、格調高く洗練されており、寝室に続く応接室は、大人数でも会議ができそうな程に広かった。
 レフの傍に控えているのは、十人の男たちである。王国騎士団の漆黒の団服ではなく、目立たない平服を身につけた彼らは、いずれも一騎当千の騎士であり、いくつかの神霊術を得意とする精鋭でもあった。

 騎士たちの一人であり、レフの副官でもあるマルティノ・エル・パロマは、大きく開け放った窓際に小机を置き、次々に飛び込んでくる紙片を読み上げていた。〈黒夜〉の総力を上げて、セレント子爵を尾行している経過が、風の神霊術によって運ばれてくるのである。
 また一枚、淡い水色の光に包まれた紙片が、爽やかな風に乗って小机の上に舞い落ちる。剣を握る無骨な指で、慎重に紙片を開いたマルティノは、一読するや否や、レフに向かって声をかけた。

「進展があったようです、団長。読み上げを致します。〈セレント子爵は、キュレルの街に程近い林の中で、五人の男たちと合流。男たちが担いでいた麻袋を、従者が受け取り、アイギス王国の紋章の入った馬車に運び込んだ。麻袋の数は四。男たちは、セレント子爵と別れて、キュレルの街に戻る模様〉。以上です」
「わかった。ブルーノ」
「何なりと、団長」

 ブルーノと呼ばれた青年は、即座に胸を叩いた。〈神威の覡〉であり、世界最強の騎士でもあるレフから、直々に命令を受けることは、それがどのような命であっても、ルーラ王国騎士団員の誇りなのである。

「騎士団の本部に連絡を。〈麻袋〉を渡したという五人の男の行方ゆくえついては、〈黒夜〉が尾行してくれているだろうから、至急、騎士団から捕縛隊を向かわせるように。本日三度目になるが、支障はないのだろう、マルティノ」
「もちろんです、団長。五度目だろうと、十度目だろうと、抜かりはございません。皆、勇躍して待機しております」
「では、三十人規模の小隊を出そう。ブルーノ、指示を」
「畏まりました」

 ブルーノは、もう一度胸を叩いて了承の意を伝えると、胸元から小さな黒曜石こくようせきを取り出した。そして、すぐに複雑な印を切ると、滑らかに詠唱をつむいでいく。

「音を司る神霊よ。今日、三度目の願いを叶えてほしい。これからわたしが話す言葉を、ルーラ王国騎士団本部で待機する、我が仲間へと伝えてくれないか。対価はわたしの魔力と、この黒曜石であがなおう。伝えてほしい言葉はこうだ。〈待機中の一小隊、三十名は、大至急、キュレルの街に向けて出動せよ。捕縛対象は五名の予定。変更の可能性あり。捕縛対象の位置及び状況は、〈黒夜〉からの連絡を待って、別途伝える〉」

 ブルーノの詠唱が終わると同時に、透き通った黒い光球が現れ、黒曜石の周りを数度旋回する。すると、黒い光球が一瞬で飛び去ると同時に、手のひらの上にあった黒曜石も、跡形もなく消えていたのだった。
 ブルーノは、わずかな時間、じっと目をつむって、耳を済ませる。やがて、一度大きく頷くと、ブルーノは言った。

「騎士団本部に、伝言が届きました、団長。各所で待機させている小隊のうち、最もキュレルの街に近い者たちを、直ちに急行させるとのことです」
「ありがとう、ブルーノ。小隊への伝言方法は、風の神霊術となるだろうから、少し時差ができるのは、仕方のないところだろうな。パトリック」
「御前におります、団長」
「わたしが合図をしたら、そなたの〈目〉で、通用門からキュレルの街の方向を見ていてほしい。あの者は、今日すでに八つの〈麻袋〉を受け取った。馬車の容量からして、一旦いったん王都に戻る可能性があるだろう」
「御意にございます、団長」
「セレント子爵は、〈麻袋〉を抱えたまま、素知らぬ顔で王都の通用門をくぐると御考えなのですか、団長」
「そうだよ、マルティノ。馬車ごと転移したとして、予想される負荷からいって、一気にアイギス王国まで跳べるとは考えにくい。そうであれば、我が国の捜査権の及ばない外交官公邸に、しばらく子供たちを監禁しようとするだろう。その上で、セレント子爵の帰国と同時に、我々が中を改めることのできない紋章入りの馬車に乗せて、国境を抜ける方が、遥かに安全というものだ」

 マルティノが、もう一度口を開きかけたところで、窓から新しい紙片が舞い込んできた。慎重に紙片を開いて、素早く目を通したマルティノは、猛々しい笑みを浮かべて、レフに告げた。

「我らが王国騎士団長閣下の、御賢察の通りになりそうですな。いつものことではありますが。読み上げを致します。〈セレント子爵の馬車は、一路、王都に向けて移動中。御者に対して、行き先を告げる際の口の動きから、公邸に戻るものと思われる〉。以上です」

 レフは、瞬時に思考を巡らせると、静かに命令を待つ部下たちに向かって、新しい指示を出した。

「マルティノ。そなたは、今から王国騎士団の本部に戻り、五個小隊を率いて、アイギス王国の外交官公邸に向かえ。宰相閣下とは話し合いができているので、閣下の命令書を頂戴して、公邸を制圧してしまえばいい。ここまで明確に、セレント子爵の足取りがつかめていれば、我らが踏み込んでも構わないからな」
「畏まりました、団長。外交官特権の一時停止を宣言するのでございますね」
「そう。そなたが、王国騎士団長であるわたしの名代、宰相閣下の筆頭事務官殿が、閣下の名代だ。最も優先すべきは、誘拐された子供たちの行方を探す手がかりであるのだから、本の一冊、書き付けの一枚まで、残らず調べよ」
「仰せの通りに致します、団長」
「ブルーノ」
「何なりと」
「そなたは、マルティノに代わって、情報を取りまとめよ」
「御意にございます、団長」
「リオネル」
「はい、団長。何なりと」
「風の神霊術の使い手であるそなたは、マルティノと共に行け。公邸の制圧にも同行し、逐次ちくじ、わたしに経過を伝えよ」
「仰せの通りに致します、団長」
「強い攻撃魔術を使う者は、もう公邸にはいないと、〈黒夜〉から聞いている。ただし、その情報が不確かである可能性もあるのだから、くれぐれも注意せよ。いいな、マルティノ、リオネル」
「畏まりました、団長」
「御言葉、決して忘れは致しません」

 リオネルと呼ばれた青年は、マルティノと共に、握ったこぶしで三度、左胸を叩いた。一度胸を叩くのは了解、二度叩くのは感謝、そして三度胸を叩くのは、必ず命令に服するという、騎士の誓いなのである。
 二人の騎士たちは、すぐ様、力強い足取りで部屋を出て行った。王国騎士団とセレント子爵一行の、長い一日は、ようやく半ばに差し掛かろうとしていたのだった。

     ◆

 キュレルの街の守備隊に勤務し、日々街の治安維持に努めているアラン・ラポールは、風の神霊術を駆使して、文字通り風の速さで駆けていた。目指すのは、王都ソールの通用門である。孤児院の子供たちを誘拐した、憎むべき犯人を追い詰めた守備隊の総隊長は、応援を要請するために、風の神霊術を得意とするアランを、一人先行させたのである。 
 愛馬と共に水色の光に包まれ、凄まじい速さで駆けていたアランは、遠く通用門を目にすると、風の神霊に声をかけた。

「風を司る神霊よ。いつも本当にありがとう。御陰で通用門が見えてきた。周りの者たちに危険があるといけないので、ここからは自分で駆けていこう。また、助けを乞うこともあると思うので、よろしく頼む」

 そう言うと、アランを包んでいた水色の光が、ゆっくりと大気に溶けていく。同時に、馬は速度を落とし始め、軽く駆ける駈歩かけあしとなって、街道横の馬車道を進む。アランが目指す通用門は、もう目の前なのである。

 間もなく、通用門にたどり着いたアランは、一気に馬車や馬を通すための馬車門へと駆け込んだ。王都への通行許可を得るため、順番を待つ人々の間をすり抜けると、大きな声で名乗りを上げる。

「緊急事態につき、抜け駆けにて御免ごめんこうむる。わたしは、キュレルの街の治安を預かる守備隊小隊長、アラン・ラポール。守備隊総隊長の命により、通用門に在中する王都守備隊の御助力を賜りたく、一騎駆いっきがけにてせ参じた。ことは一刻を争う。責任者への面会を乞う」

 アランの大音声に、馬車門の周囲はにわかに騒がしくなった。門番が慌てて駆け寄ると、アランは、馬上で一礼してから、同じ口上こうじょうを繰り返す。滅多にないこととはいえ、あらかじめ非常時の対応を定められている門番たちが、責任者を呼ぶために走り去ろうとしたとき、当の責任者である王都守備隊の中隊長が、足早にやって来た。
 門番の一人は、安堵の表情を浮かべ、アランの方を振り向きながら、早口で事情を説明した。

「いいところへ来てくださいました、中隊長。キュレル街守備隊の小隊長なる者から、緊急の応援要請でございます。中隊長への面会を願っています」

 面会を求めた責任者が、面前に現れたことを知って、アランはすぐに馬から滑り降りた。王都守備隊の中隊長ともなれば、ほとんどが貴族位を持つ家の生まれであり、中隊長自身も、任命と同時に一代限りの騎士爵に叙爵じょしゃくされている可能性が高かったからである。
 壮年の中隊長は、今にも口を開こうとするアランを、軽く片手を上げることで制し、大きく頷きかけた。

「そなたが、キュレル街の使者殿か。話の内容はわかっているし、応援の手はずも整っている。我ら王都守備隊からも人を出すが、先にあの方々と行かれよ」

 中隊長は、そう言って後ろを振り返った。いつの間にか、そこに並んでいたのは、十数人の男たちである。簡素でありふれた平服に身を包んでいるものの、溢れ出る程の覇気と、しなやかに鍛え上げられた身体、そして何よりも、漆黒のさやに銀の星の象嵌ぞうがんを施した、揃いの佩刀はいとうが、男たちが只者ではないことを物語っていた。
 アランが、思いもかけない成り行きに目を見張ると、男たちの中から一人の青年が進み出て、そっと耳元でささやいた。

「わたしの名は、ブルーノ・ドゥ・ガルニエ。我々は王国騎士団の者です。あなた方は、子供たちの誘拐事件の犯人を追っているのですね。事前に情報が得られたので、経緯は把握しています。御助力致します」
「ありがとうございます。助かります。すぐに出発していただけるのですか」
「もちろんですとも。我々は、守備隊の皆さんの努力と献身を知っており、心から敬意を持っています。さあ、すぐに行って、御仲間を助けましょう」

 アランは、驚きと喜びに身体を震わせた。ルーラ王国に於いて、団長の座に〈神威の覡〉を戴く王国騎士団は、絶対的な信頼と崇敬すうけいの的である。何としても援軍を要請し、誘拐犯を捕縛し、拐われた子供たちを救わなくてはならないアランにとって、王国騎士団以上の援軍は存在しなかっただろう。
 アランは、ブルーノの瞳を見つめ、強く胸を叩くことで感謝を示した。そして、鞘の銀星を輝かせた十数人の男たちは、それぞれに馬に飛び乗り、アランを先頭にして馬車門を駆け出していったのだった。

 馬車門を出てしばらく行くと、周囲の人影はまばらになり、広々とした草原が眼前に広がった。すると、アランの後ろで馬を走らせていた、黒いローブ姿の男が、穏やかな口調でアランに話しかけた。

「キュレルの街の小隊長殿」
「何でございましょう」
「このあたりで、一旦停止をしよう。我が仲間に、〈遠見〉の神霊術を使える者がいる。捕縛対象の位置と、現在の状況を確認したい」
「了解致しました。異論はございません」
「ありがとう。ブルーノ、指示を」
「御意」

 一言で答えると、ブルーノは集団の先頭に走り出て、右腕を突き上げると、大きく左右に振った。騎馬のままの一旦停止を指示する、王国騎士団の合図である。たちまちのうちに、馬は速度を落として、草原に立ち止まった。
 黒いローブの男は、騎乗する馬の首を撫でてやりながら、傍にいる青年に言った。

「パトリック」
「何なりと」
「捕縛対象の位置と、現状の確認を」
「御意にございます」

 パトリックと呼ばれた青年は、馬上で素早く印を切ると、アランにも聞こえる声で、はっきりと詠唱の言葉を紡いだ。

「目を司る神霊よ、我が願いを聞いてくれ。鬼畜にも劣る誘拐犯と、その者たちを追う守備隊を探したい。遠く遠く、先の先まで見通せる視力を、しばらくわたしに貸してほしい。対価は我が魔力を必要なだけ」

 詠唱が終わると同時に、指先程の大きさの緑の光球が現れた。光球は、パトリックの左右の目の上で数度旋回したかと思うと、そのまままぶたの上で淡い光を放つ。パトリックは気にせず、ゆっくりと周囲を見回してから、声を上げた。

「見つけました。左十五度方向、約三キロ先に、アイギス王国の紋章を刻んだ大型の箱馬車が見えます。キュレルの街の守備隊と思しき一団が、馬車を取り囲もうとして、言い争いになっている模様です」
「抜刀はしているか」
「しておりません。大柄な壮年の騎士が、尋問しようと試みているようです。捕縛対象はそれを拒否しているのでございましょう。今、セレント子爵らしき男が馬車から降りて参りました」
「わかった。ありがとう、パトリック。ブルーノ」
如何いかが致しましょう」
「パトリックを先頭に、一気に駆けつける」
「畏まりました。総員、用意」
「では、行きましょうか。キュレル街の守備隊小隊長、アラン・ラポール殿でしたね。間に合いましたよ、貴方は」

 良かったですね。そう言った、ローブの男の優しい声に、アランは、不意に泣きたい気持ちになった。子供たちの行方を探して奔走ほんそうし、仲間たちを置いて先駆けする間に、知らず知らずふくれ上がっていた不安が、ゆるりと溶け出すような安心感が、アランを包み込んだのである。

 懸命に涙をこらえ、再び馬の腹を蹴ったアランは、勇躍してはやる心の片隅で、小さな疑問を芽吹かせた。
 黒いローブ姿の男は、すっぽりとフードを被っていて、顔すら満足には見られない。そうでありながら、王国騎士団の騎士たちに命令を下し、騎士たちは、まるで至高の王にかしずく臣下の恭しさで、ローブの男の言葉に従っているのである。
 自分は、誰と出会い、誰を仲間たちの元へ連れて行こうとしているのか。アランは、なぜか高鳴り始めた鼓動を感じながら、ひたすら馬を駆けさせたのだった。

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