連載小説 神霊術少女チェルニ 往復書簡 82通目
レフ・ティルグ・ネイラ様
今夜は、とっても月が綺麗ですね。わたしは、今、王都の家の窓を大きく開けて、夜空を見ています。銀色に輝く月と満天の星々が、あまりにも鮮やかに見えて、少し驚いています。田舎でも都会でもない、穏やかなキュレルの街ならともかく、王国中から人が集まってくる王都でも、月や星は美しく、空気は澄んでいるんですから。
……と、めずらしく感傷的な書き出しになったのには、理由があります。激動に次ぐ激動で、何が大事件なのかもわからなくなっちゃった王都訪問が、今夜で、いったん終わりを告げるからです。明日、午前中に用事をすませてから、わたしたち一家は、キュレルの街に帰ります。つまり、ネイラ様との距離も広がるんだなって思ったら、ちょっと寂しくなってしまったんです。まあ、すぐに、王立学院の入試のために戻ってくるし、その後は王都に住むんですけどね。
冷たく清々しい空気の中で、ぼんやりと月を見上げていると、改めて、王都での体験が思い出されます。〈神託の巫〉の宣旨とか、〈神降〉とか、四柱の神亀とか、不思議なことでいっぱいでした。わたしは、その都度、水に流れる木の葉みたいに、くるくるくるくる、くるくるくるくる……。
この先も、いったいどこへ、どこまで流れていくのか、想像もできません。できるなら、ちゃんと自分のお役目を果たして、ネイラ様のお役にも立ちたいです。将来は、王城の文官か神霊庁、もしくは王国騎士団の事務官になりたいんです、わたし。(今回の宣旨の結果、神霊庁は候補から外れつつあります。だって、〈神託の巫〉になっちゃったら、普通の仕事をさせてくれないような気がするんですよ)
そうそう。わたしってば、大切なことを書き忘れていました。というか、ネイラ様に教えてもらいたいことがあるんです。神霊庁に行ったときに遭遇した〈神成〉の結果、神様になったらしい、ご神鋏の〈紫光様〉についてです。
わたしが、少女らしい感情に浸りながら、月を見上げているときにも、ちょきちょきちょきちょき、ちょきちょきちょきちょき、紫光様が何かをぶった斬っている音がしているんですが……あれって、大丈夫なんでしょうか? アリアナお姉ちゃんが、新しい人間関係を結べなくなるなんてこと、ありませんよね?
紫光様は、アリアナお姉ちゃんに絡みついてくる、悪縁を斬ってくれているんだって、教えてもらいました。ありがたくて、頼もしくて、感謝の心でいっぱいなんですが、ちょっとだけ心配なのは事実なんです。
紫光様は、いつまで、アリアナお姉ちゃんと一緒にいてくれるのか。紫光様への対価は、どうやって用意したらいいのか。わたしたち家族は、何をしたらいいのか。縁を切られた人たちは、どうなってしまうのか……考えれば考えるほど、疑問でいっぱいです。
〈神威の覡〉であるネイラ様には、きっと全部わかっているんだと思うので、わたしが知っていても良い内容だったら、教えてもらいたいです。もしも、神霊さんの理とか、わたしの魂の器とかの問題で、教えられない話なんだったら、すっぱりと諦めますね。
わたしの大好きなアリアナお姉ちゃんは、絶世の美少女です。妹であるわたしにとっては、その美しい外見よりも、優しくて強くて穏やかな内面の方が、もっとずっと価値があるんですが、ともかく、とんでもない美少女であることは間違いありません。あそこまで美しいと、ひがんだり嫉妬したりする気にもなれなくて、毎日見ていても、毎日感動するくらいなんですが、あまりにも美しいと、かえって大変なんですよね、人って。
アリアナお姉ちゃんが、心安らかに暮らせるように、わたしたち家族も、婚約者であるフェルトさんも、一生懸命に考えた結果、大公家の後継の婚約者になる……こうして書いてみると、ものすごい皮肉っていうか、運命の不思議さっていうものを、感じずにはいられません。(この〈感じずにはいられません〉っていう表現、一回使ってみたかったんです)
では、王都訪問の最後の手紙は、このへんで。次は、キュレルからの手紙で会いましょうね。
あの〈月の銀橋〉の手紙以降、月を見るとネイラ様を思い出す、チェルニ・カペラより
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優れた詩人としての才能も持っているらしい、チェルニ・カペラ様
きみからの手紙を受け取って、わたしも、すぐに月を見上げてみました。確かに、今夜は一際、美しく輝いていますね。人口が多く、夜でも明かりの消えることのない王都では、淡く霞んだ月夜さえ、目に馴染んだもののはずなのに。王都から帰っていくきみを、月星までもが、引き止めようとしているのかもしれません。
また、きみが〈紫光様〉について書いていたので、月を見遣るだけではなく、じっと耳を傾けてみました。王都にしては静かな夜半、微かに〈ちょきちょき〉と音が聞こえました。正確にいうと、〈紫光様〉が力を振るっている気配があり、それが〈ちょきちょき〉という音として、認識されたのです。
わたしは、神霊が関係する事象において、何かに影響を受けるという経験が、ほとんどありません。〈紫光様〉の力についても、本来の新神としての在り方のまま、認識してきました。ところが、きみの愛らしい手紙で、〈紫光様〉が〈ちょきちょき〉と動いているのだといわれれば、すっかりそのイメージができあがってしまったのです。不思議ですね。
〈紫光様〉は、自ら望んで、アリアナ嬢の助けとなりました。したがって、大きな対価は必要なく、アリアナ嬢が、この先も正しく進み、正しく生きていってくれれば、十分なのではないでしょうか。
〈いつまで〉という質問については、〈準備が整うまで〉という回答しかありません。フェルトさんや大公騎士団が力を蓄え、何者からもアリアナ嬢を守れるようになったら、神鋏らしく、宝物庫の奥深くで眠りにつくのではないでしょうか。頻繁にわたしの下へとやってくる、神鏡〈神照〉の例に倣えば、とうとう大人しく眠りにはつかないかもしれませんけれど。
〈紫光様〉に縁を截ち切られた人々のことは、心配には及びません。魂の奥深く、アリアナ嬢への愛憎や妄執の種を芽吹かせた時点で、その因果を切ってしまうのですから、むしろ福音だといって良いでしょう。本人は、心が軽くなり、比較的穏やかな気持ちで、アリアナ嬢を見守ることができるようになるかもしれませんよ。
それもこれも、絶世の美貌を持つ〈衣通〉なら、執着するのも無理はなかろうと、神々すら納得しているからこその温情に他なりません。きみの大切な姉上に惹きつけられたからといって、それだけで神罰が下るのでは、きみたち姉妹もつらいでしょうしね。
では、また。次は、キュレルの街のきみと出会える日を、楽しみにしています。
今日からは、月を見るたびに、可憐な少女を思い出すだろう、レフ・ティルグ・ネイラ