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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 2-17

 ヴェル様の部下の人たちは、スイシャク様とアマツ様に向かって、流れるように自然に祝詞を上げ、そのまま敬虔にぬかずいた。うん。これって、わたしが通訳しないと、ずっとこのままっていう流れだよね?
 
 諦め半分に困っていると、スイシャク様とアマツ様が、さっきよりもずっと複雑なメッセージを送ってきた。〈巫覡ふげきに仕えるは神使のほまれ、神使に連なるは神徒の嘉名かめい〉〈神命下りし時にうまるるは、神使、神徒の福徳ふくとく也〉〈我らが眷属の守護たる光輝こうきく能く勤め身を捧げよ〉って。
 正式な祝詞を上げたからなのか、相手が神職の人たちだからなのか、スイシャク様とアマツ様のイメージは、いつにもまして〈古語こご〉だった。
 〈古語〉っていうのは、今は神事や神霊術の関係でしか使われなくなった、ルーラ王国の古い言葉のこと。神霊術の授業では、この古語の読み書きを教えられるから、わたしにもほとんどの意味は理解できるんだけどね。
 
 ヴェル様は、やっぱり微笑んでいるだけで、助けてくれる気配がない。わたしはしかたなく、お父さんの後ろで守ってくれていた部下の人に、自分から声をかけた。
 
「あの、もう頭を上げていただけませんか? 生意気なんですけど、スイシャク様とアマツ様からのお言葉を、お伝えした方がいいでしょうか?」
 
 部下の人は、すごく折り目正しい感じで頭を上げると、両手をついて視線を床に向けたまま、優しい声でこういった。
 
「ありがとうございます、お嬢様。かくも尊き御神々からお言葉を賜りますこと、身に余る栄誉にございます。何卒なにとぞ、よろしく御願い申し上げます」
「はい、やってみます。えっと……。巫覡にお仕えするのは、神使の方の名誉で、神使の方と一緒に働くのは、神徒の方の名声につながるそうです。御神霊からの使命のある時代に生まれるのは、神使や神徒の方にとっては幸運だから、頑張って働いてくださいって、おっしゃってます」
 
 あれ? わたしの通訳って、どうなんだろう? 古語には複雑で深い意味があるから、正確に意図が伝わったのかどうか、今回はけっこう不安な気がするよ。
 わたしが悩んでいると、膝の上のスイシャク様が、ふっっす、ふっっすって、勢いよく鼻息を吹いた。アマツ様は、ちょっと大きくなった頭で、頬に頭突きをしてくるしね。
 〈言葉を変えずに、そのまま口にしてご覧〉〈心を無にして、ありのままを伝えれば良い〉って。そういう強いメッセージを、スイシャク様からもアマツ様からも送ってこられたから、わたしは紅白の尊い鳥にいわれるがまま、やってみることにしたんだ。
 
「あの、今の通訳だけだと、十分じゃないみたいなんです。スイシャク様とアマツ様が、お言葉をそのまま伝えるようにおっしゃっているので、やってみてもいいですか? 失敗しちゃったら、ごめんなさい。いいですか、ヴェル様?」
「もちろんですとも、チェルニちゃん。是非、お願いします」
「了解です!」
 
 わたしは、目をつぶって、できるだけ頭と心を空っぽにしようとした。何となく思い出したのは、ちょっとだけ成功した〈祈祷きとう〉のときのことだった。自分の存在を空気みたいに薄くして、スイシャク様とアマツ様に委ねる感じ……。
 すると、スイシャク様とアマツ様との間にそれぞれつながっている回路が、ゆっくりと広がっていく気がしたんだ。きゅるきゅる、きゅるきゅるって音を立てて。
 
 それは、とっても不思議な感覚だった。お父さんとお母さんとお姉ちゃんが大好きで、〈野ばら亭〉も大好きで、町立学校の卒業を控えた、十四歳のチェルニ・カペラの存在が、どんどん薄くなって、空気みたいにほどけて、現世うつしよから離れていっちゃいそうになったんだ。
 このままだと、自分が誰なのかわからなくなりそうで、ちょっと怖いなって思った瞬間に、強い光が差し込んできた。ものすごく強いのに、目に優しい柔らかな光。この光は大丈夫だって、自然と理解できたから、思い切って目を開けてみると、夜空に浮かぶお月様みたいな、ものすごく綺麗な銀色の光に包まれていたんだ。
 まるで、一度だけ見たことのあるネイラ様の瞳みたい……。そう思った瞬間、わたしはちゃんとチェルニ・カペラの形に収まって、何かを話していたみたいなんだ。
 
 どれくらいの時間がたったのか、はっきりとはわからない。気がついたら、わたしは両手でスイシャク様とアマツ様を抱っこしたまま、ぐすぐすと泣いていた。スイシャク様に、初めて〈御名ぎょめい〉を許されたときみたいにね。
 慌てて周りを見回すと、三人の神職の人たちは、うずくまったまますすり泣いていた。王国騎士団から来てくれた、三人の騎士さんたちも、なぜだか一緒になってひざまずいて、やっぱり泣いているみたい。ヴェル様まで、澄んだアイスブルーの瞳を赤くして、わたしに微笑みかけているんだけど、いったいどうしちゃったの、皆んな?
 
 スイシャク様とアマツ様の、ふくふく、ツヤツヤの羽毛に、鼻水なんかつけないように、ブラウスの袖で涙をぬぐっていたら、ヴェル様がいったんだ。
 
「ありがとうございました、チェルニちゃん。今、御神々からお与えいただいた御言葉は、われら一同、死するその瞬間まで決して忘れはいたしません。誠に畏れ多く、ありがたいことでございました」
「わたし、何が起こったのか、よくわからないんですけど、大丈夫だったんでしょうか? 変なことをいったりしませんでしたか?」
「とんでもない。チェルニちゃんは、御神々のお言葉を、言霊ことだまとして伝えてくださったのですよ。神職にもあらぬ少女が、御神々の依代よりしろとなるとは、この上もなく目出たきことでございますな。チェルニちゃんやご家族にとってではなく、われらルーラ王国の民にとって」
 
 ヴェル様ってば、何だか話が大きくなってない? スイシャク様とアマツ様は、とっても尊いご分体だけど、すごく優しくて親しみやすいんだよ? 今朝だって、目が覚めたらわたしの枕元だったしね。わたしなんて、たまたま紅白の鳥さんに気に入ってもらっただけの、平民の少女なんだよね? ルーラ王国がどうとか、あまりにも分不相応なことをいわれている気がして、背中がぞわぞわしちゃうよ!
 
 わたしが返事に困っているのを見て、すかさず助け舟を出してくれたのは、大好きなお母さんだった。お母さんは、ちょっと怖い目でヴェル様を見て、にっこりと笑ったんだ。
 
「嫌ですわ、オルソン子爵様。わたしの可愛い小鳥ちゃんが、戸惑っているではありませんか。お約束までには、まだ猶予がございますわよ?」
「おっしゃる通りですな、奥様。誠に申し訳ございません。わたくしとしたことが、心震えるあまり、口が過ぎました。お許しあれ」
「おわかりいただければ、けっこうですわ。さあ、お話し合いをする前に、全員でご飯を食べましょう。今日は人数が多いので、〈野ばら亭〉からも材料を運んできますわ。いいでしょう、ダーリン」
「もちろんだ。腹が減っては戦ができないからな。皆さん、どうか召し上がってくださいませんか。わたしたち一家のために、お力を貸していただいているんですから、せめてものお礼をさせていただきたいんです」
「大人数になりますのに、よろしいのですか、カペラ殿? こちらに伺ってからは、食生活に恵まれ過ぎて、王都に帰るのが嫌になりそうですな。皆も、謹んで御相伴ごしょうばんにあずかりなさい」
「はい! はい!」
「どうした、チェルニ?」
「わたし、お塩の神霊さんに印をいただいたから、お手伝いしようか? 〈塩釜蒸し〉とかも、作れると思うよ。昨日は鯛だったから、お肉の塩釜」
「……。塩って、そういう解釈でいいのか、チェルニ? まあ、今日のところは大丈夫だ。それよりも、ご分体方もお召し上がりになられるのか、お尋ねしてくれ」
「うん。お父さんが聞くと同時に、イメージが送られてきたよ。食べるに決まってるって。スイシャク様は、ベーコンがお気に入りなんだけど、新しい料理が出るんなら、そっちも食べてみたいって。アマツ様は、なんでもおいしく食べるけど、焼き立てパンが何種類かほしいって。あ、スイシャク様もパンは絶対だって」
「……。わかった。すぐに用意するから、お待ちいただくよう、申し上げてくれ」
「了解です!」
 
 お父さんやお母さんが、ちょっと強引にでも、わたしの気持ちを逸らそうとしていることは、実はちゃんとわかっている。わたしは、意外と気配りのできる少女なのだ。
 でもね、今はまだ、気づかない顔をしていようと思う。スイシャク様も、〈時いたるまでは微睡まどろみて吉〉って、優しいメッセージを送ってくれるしね。一日一日と近づいてくる、〈変化の予感〉みたいなものは、まだ不確かなままなんだから……。
 
     ◆
 
 王国騎士団の騎士さんと、神職の人たちは、スイシャク様やアマツ様と一緒にご飯を食べるんだって聞いて、愕然がくぜんとしていた。驚いたんじゃなくて、本当にもう、愕然! っていう感じ。
 特に、神職の人たちは、いろいろとショックを受けていたみたいで、ヴェル様に軽く叱られていた。〈神職の常識に囚われるな〉〈ありのままの御神霊に畏みて仕えよ〉って。そういうヴェル様も、昨日の晩ご飯の時には、混乱して唸ってたと思うんだけど、そこは内緒にしてあげよう。わたしとヴェル様の仲だからね。
 
 そうして用意してもらった、お父さんのご飯は、今日もとってもすごかった。スイシャク様とアマツ様の要望で、特に供物くもつにこだわらず、普通の晩ご飯だったんだけど、風が少し冷たくなってきたからか、食卓にはおいしい秋の食材がいっぱいだったんだ。
 甘酸っぱい季節の果物をソースにした、たっぷりの野菜サラダ。秋らしい色合いの前菜が数種類。シャキシャキした歯応えが楽しい、野菜とベーコンの炒め物。わたしの大好物の、ジャガイモとチーズのグラタン。しっかりと食べ応えのある、骨つき豚バラ肉のあぶり焼き。カブと白いマッシュルーム、牛乳を使った真っ白なスープ。皮目をカリカリに焼いた秋鮭のムニエルは、金色のバターソースで。大きな牡蠣は、から付きのまま生で食べてもらうのと、絶妙な揚げ方のカキフライの二種類。キノコとニンニクを炒めたオリーブオイルは、ピリッと辛めの味付けで、パンをひたして食べると、手が止まらなくなっちゃうやつ。湯気の立っている焼き立てパンは、シンプルな定番のものと、クルミを混ぜ込んだものと、キノコとチーズの具が入ったものと、バターたっぷりのクロワッサンと、ガーリックバターを塗って焼いたもの……。
 うん。わたしって、やっぱりすごい食いしん坊みたいだ。お父さんの料理で育ったんだから、当たり前なんだけどね。
 
 スイシャク様とアマツ様は、今日もまったくこだわりなく、おいしそうに食べてくれた。最初の一口目だけ、わたしが新しいおはしで口に運ばせてもらったんだけど、神事っていうよりは、騎士さんや神職さんたちの緊張をほぐすための、手順みたいな意味合いがあったんだと思う。
 それからは、わたしにお給仕させながら、左右で可愛いくちばしを開いてた。パカッパカッって。きのこのオイルにひたしたパンは、特にお気に入りみたいで、何回もお口に入れたんだよ。
 
 騎士さんたちは、最初は緊張して硬直していたけど、しばらくすると慣れてきたみたいで、おいしいおいしいっていいながら、どんどん食べてくれた。
 神職さんたちは、さすがにしばらく混乱したままだったみたい。でも、スイシャク様とアマツ様が満足そうだから、自分たちの常識を乗り越えたんだろう。にこにこと嬉しそうに微笑みながら、ご飯を食べてくれるようになったんだ。ときどきはヴェル様みたいに、〈神機妙算しんきみょうさん〉とか〈行雲流水こううんりゅうすい〉とか、ぶつぶついってたけどね。
 
 皆んなでお腹いっぱいに食べて、たくさん話をして、食後のお菓子が出たあたりで、今日の会議が始まった。
 昨日は使者AとB、今日はカリナさんとミランさんが、守備隊の本部と〈野ばら亭〉を訪ねてきたこと。クローゼ子爵家は、フェルトさんとカリナさんを結婚させようとしていること。フェルトさんに拒絶され、〈野ばら亭〉でお母さんに追い返されて、説得を諦めたこと。明日になったら、勝手にカリナさんとフェルトさんの婚姻届を出そうとしていること。どうやら、背後に何らかの黒幕がいるのかもしれないこと……。
 王国騎士団の騎士さんたちにいわせると、こうしたことはすべて、ネイラ様と宰相閣下の読み通りに動いているんだって。
 
「われわれ三名は、守備隊員に偽装して同席させていただきましたが、クローゼ子爵家はかなり焦っておりましょう。何しろ、あのカリナ・クローゼを前にして、フェルト殿は一顧だにせず拒絶したのですから」
「あら。カリナ嬢のことを、何か知っておられますの?」
「わたくしが知っているというよりも、社交界ではそれなりに有名な存在なのですよ、カリナ・クローゼは」
「そうそう。人目を惹く美貌で、男たちに人気があるのですが、癖がよろしくないのです。令嬢たちから恋人や婚約者を奪ったり、同時に何人もの男と交際したり、次々に金品を貢がせたり。カリナ・クローゼと関わることで、身を誤った男は、五人や十人では収まらないのではありませんかね」
「悪名高いとわかっていても、断りきれない男は多いので、フェルト殿の対応は予想外だったと思いますよ」
「わたしの大切な婚約者とカリナ・クローゼでは、雪と泥です。比べるのも嫌です。問題外です。それなのに、勝手に婚姻届だなんて、冗談じゃない」
「明日、クローゼ子爵家が王都の法理院に行けば、婚姻の不受理届を出していることが分かりますね。それ以後は、どうなりますの?」
「実力行使に移るものと思われます。密かに人質をとって、フェルト殿に要求を飲ませようとするのではないでしょうか」
「うちのアリアナは、完全に身を隠した形になっていますからね。次に狙われるのは、フェルトの母上か。サリーナさんは大丈夫なんだろうな、ヴィド?」
「ああ。すでにキュレルの街にはいない。絶対に安全な場所にいるので、心配ないぞ。サリーナさんの実家の商会にも、王国騎士団の精鋭が警備に入ってくださっているそうだ」
「アリアナもサリーナさんも不在となると、次に狙われるのは……」
 
 お父さんが言葉を濁した途端に、食堂にいた全員の視線が、わたしに集まった。うん。やっぱりそうだよね? 自分でも、同じように思ってたよ……。
 
「この数日、チェルニちゃんは、一歩も家の外に出ていません。向こうとしても、簡単には手を出せないでしょう」
「わたし、ずっと引きこもったままでいる方がいいいんですよね、ヴェル様?」
「もちろんですよ、チェルニちゃん。御神霊が守護しておられる以上、チェルニちゃんを傷つけることができるものなど、この現世うつしよにはおりませんが、チェルニちゃんが狙われる可能性があるというだけで、われを忘れる方々が大勢おられますからね。特に、御二柱と〈神威の覡〉に暴走されては、大変なことになりますので」
「そうなんです。ここへ参る直前にも、宰相閣下の補佐官の一人が、〈野ばら亭〉の方々を〈餌〉にする手もあるなどと口を滑らせて、団長を激怒させてしまいまして……」
「とてつもなく怖かったですよ、団長。普段は穏やかな方なのに」
「あれは、あの官吏が悪いですよ。善良な一般市民を、王城の勝手で利用しようとするなんて、許せることではありません」
「まあ、官吏どもが考えそうなことではありますね。その者は、どうなったんですか?」
「その場で謹慎となりました。それよりも、団長のお怒りに呼応して、力を司る御神霊が荒ぶってしまわれまして、一瞬、王城が揺れました。比喩ではなく、物理的に。その者は、いくつかの御神霊に与えられていた印がことごとく消え去り、瞬く間に〈神去り〉となりました」
「……そうですか。まあ、その者の処遇については、しばらく時間をおいて検討しましょう。〈神去り〉のことも含めて」
「チェルニは、一歩も外に出しません。誰かの名前をかたって、誘い出そうとしたところで、それに騙されるようなうかつな娘でもありません。わたしもローズも、同じことです。そうなると、向こうから入り込もうとするでしょうか?」
「恐らくは〈野ばら亭〉の客を装って、穢れた者どもが這い込もうとするでしょう。まだ数日は先になるでしょうが、われわれは、今夜のうちに仕掛けましょう」
 
 ヴェル様は、ゆっくりと立ち上がった。三人の神職さんたちも、無言で続く。綺麗なアイスブルーの瞳を輝かせ、ヴェル様は宣言した。
 
「さあ。御神霊のお慈悲におすがりするのみでは、われらの名折れとなりましょう。現世の宝珠を守護するは、われらの役目。数ならぬ身の力を尽くし、術を使ってご覧に入れましょう。千年の安寧を誇る神霊王国、われらがルーラ王国神霊庁が神使、パヴェル・ノア・オルソン。この〈鏡のパヴェル〉の名にけて」