連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 4-26
大成功のうちに〈勝負の食事会〉を終え、王都の家に帰ったとき、わたしたちを待っていたのは、神霊庁からの手紙だった。もちろん、無造作に郵便受けに入れられていたわけじゃなく、白木の郵便箱を捧げ持って、郵便馬車の配達員さんが、玄関前に直立していたんだけど。
神霊庁の手紙については、以前、ヴェル様に教えてもらったことがあった。ありとあらゆる神事を司る神霊庁だから、郵便一つをとっても、昔からの意味としきたりがあるんだって。
例えば、神使の位にある人が、神職として手紙を出す場合、純白の封筒に銀の封蝋と決まっている。封蝋に使われる印は、大神使猊下から賜った〈お印〉で、その神職さんに縁のある神器を意匠にするのが、一般的らしい。
その大神使猊下の手紙は、やっぱり純白の封筒で、封蝋には金が使われる。封蝋の印は、大神使としての公印と、神使のときの〈お印〉の両方。ルーラ王国で、二つの封蝋を同時に使うのは、国王陛下と大神使猊下だけなんだ。
ところが、郵便馬車の配達員さんが、恭しく差し出した白木の郵便箱には、まったく別の封筒が入っていた。白に近いような薄い灰色の封筒で、押されている封蝋には、純白に漆黒で、秤の紋様が描かれている。とっても綺麗なのに、どこか凄みのある一通は、町立学校の授業でも教えられた、神前裁判の召喚状だった。
お父さんは、丁寧な手つきで召喚状の封を開け、さっと中身を読んでから、すぐに内容を教えてくれた。
「神霊庁のコンラッド猊下のお名前で、呼び出しがかかっている。告発者として、アリアナ・カペラ。特別参考人として、チェルニ・カペラ。アリアナとチェルニが、成人前ということで、おれとローズにも、立ち会いを求められている」
「いつなの、ダーリン?」
「今日から十日後だ」
「思ったよりも、早かったわね。人が行う裁判じゃなく、御神霊がなさることだから、証拠固めや事前準備が少ないのかしら?」
「それもあるかもしれないが、裁判にかけられる相手が相手だから、横槍が入らないうちに、進めたいとお考えなんじゃないか? もし、出席できない事情がある場合は、早急に申し出れば、日時の変更を検討していただけるそうだ。当然、他の出席者の都合によって、日時が変更になる場合もあるらしいが。どうする、アリアナ? 大丈夫か、チェルニ?」
「フェルトさんにも、同じものが届いていると思いますか、お父さん?」
「ああ。参加予定者の一覧の中に、フェルトの名前もあるから、間違いないと思う。正確にいうと、もう一人の告発者としてフェルト。参考証人として、王国騎士団のマルティノ・エル・パロマ子爵閣下、リオネル・セラ・コーエン伯爵令息、キュレルの守備隊総隊長だったヴィド。そして、マルコス・ド・バラン男爵令息と書かれているのは、多分、あの場におられた〈黒夜〉の方だろう。〈黒夜〉の長であられるバラン男爵閣下と、同じ姓だからな」
「わかりました。わたしは、いつでも参ります」
「チェルニはどうだ?」
「大丈夫だよ、お父さん。特別参考人っていうのが、よくわからないっていうか、嫌な予感がするっていうか、ちょっと尻込みしそうだけど、頑張るよ、わたし」
「わたしの可愛い子猫ちゃんは、御神霊の代弁者として、呼ばれているんだと思うわよ。いずれにしろ、御神霊が側にいてくださるから、心配はいらないんじゃない?」
「ああ……心配っていうか、また発光する少女になったら、どうしようって思うんだよ、お母さん。最近のわたしって、わりとしょっちゅう光ってるからさ」
「発光しているチェルニは、とっても神々しくて美しいわよ。今日、サミュエル会頭に対応していたときも、素晴らしかったもの。神前裁判でぴかぴか光っちゃったら、傍聴している方々が、感動するんじゃないかしら。姉として、誇りに思うわ」
「……ありがとう、お姉ちゃん……」
わたしがすることなら、だいたい何でも肯定してくれる、アリアナお姉ちゃんはさておき、日にちが決まると、やっぱりそれなりの重さを感じるものらしい。当事者として、神霊庁に告発した、アリアナお姉ちゃんとフェルトさんは、きっと、わたし以上の重圧にさらされているんだろうな。
お父さんは、わたしとアリアナお姉ちゃんの返事を聞くと、すぐに手紙を書き始めた。召喚状の中には、小さめの薄墨色の封筒が同封されていて、そこに返事を書いて封をしたら、自動的に神霊庁まで飛んでいくらしい。
これは、マチアス様が、クローゼ子爵家で展開していた神霊術と、同じ種類のものだと思う。事前に神霊術を展開し、合図とともに発動させる〈配備術〉。すごくむずかしい術だって、ヴェル様が教えてくれた。さすがに神霊庁ともなると、召喚状の返事一つにも、高度な仕掛けをしているんだろう。
お父さんが、神霊庁の封筒に返事を入れ、緑色に一輪の野薔薇が浮き上がった、〈野ばら亭〉の可愛い封蝋を押すと、薄墨色の封筒はふわりと浮き上がった。お母さんが、部屋の窓を開けると、それを待っていたかのように、封筒はほのかな光を放つ。
くるりくるくる、くるりくるくる。わたしたちに挨拶をしてくれているのか、何回か部屋中を回った封筒は、長く光の尾を引いて、一直線に飛び去っていった。目指す方向は、王城の方だったから、隣接する神霊庁に向かって、返事を届けにいってくれたんだろう。
お父さんは、お母さんに向かって、堂々といった。〈これからどうしたら良い? 指示を出してくれ、ローズ〉って。男だからとか、家長だからとか、全然、まったくこだわらず、こういう風にいえるところが、お父さんの器の大きさだよね。お父さん、大好き。
お母さんも、同じことを思ったのか、生キャラメルみたいにとろっとした瞳で、お父さんを見つめながらいった。
「アリアナとチェルニは、それぞれ別の準備が必要だと思うわ。アリアナの場合は、フェルトさんやオディール様、マチアス様と、話のすり合わせをした方がいいんじゃないかしら。もちろん、口裏を合わせるとかっていう意味じゃなくね。チェルニは、コンラッド猊下やオルソン猊下に、ご説明をお願いしましょう。特別参考人っていうことは、御神霊に関係する立場なんでしょうから、神事のための知識とか、服装とか、お尋ねしておくべきじゃない?」
「そうだな。ローズのいう通りだ。アリアナは、フェルトに連絡を取って、時間を取れるか聞いてくれるか? オディール様やマチアス閣下がご同席くだされば、その方が心強い。チェルニに関しては、明日にでも、オルソン猊下にご連絡を取らせていただき、ご指示を仰ごう」
「わかりました、お父さん」
「わたしの大事なお花ちゃんが、オディール様のお屋敷にお伺いするのなら、わたしたちも一緒に行かせていただきましょう、ダーリン。チェルニのときも、一緒に行きたいけれど、むしろ神霊庁からお越しになるような気がするわ」
「かもしれないな。どちらにしろ、ある程度、事前の知識はほしいな。おれたちの優秀な娘が、大役を果たせるっていうことは、疑っていないけどな」
「はい! はい!」
「どうした、チェルニ?」
「今度の神前裁判って、傍聴人がいるのかな? いるとしたら……わりと、嫌な予感がするんだけど」
「……ああ……」
「子猫ちゃんったら、すっかり勘が鋭くなっちゃったのね。お母さんも、子猫ちゃんと同じように、嫌な予感がするわ。告発された被告が、ルーラ王国の元大公で、王太子殿下まで交渉に来られたんですもの。傍聴席には、高貴な方々が集まってしまうんじゃないかしら? 予感というよりは、確信だけど」
「だよね。まあ、わたしは、自分にできることをするだけだし、わたしの大好きなアリアナお姉ちゃんは、誰が来ても動じない大物だけどさ」
「まあ、チェルニったら」
うふふふふって、可憐に微笑むアリアナお姉ちゃんは、わたしが冗談をいったと思っているみたいだけど、わたしは、本当にそうだと確信している。ルーラ王国の王太子殿下を目の前にしても、堂々とルーラ元大公を告発した、フェルトさんとアリアナお姉ちゃんなんだから、傍聴席に偉い人がいるくらいで、動揺したりはしないだろう。
こっそりとため息をついてから、わたしは、自分なりの覚悟を固めた。アリアナお姉ちゃんは、フェルトさんを守るために、神霊庁への告発っていう、思い切った手段で、元大公に対抗しようとした。わたしは、尊い神霊さんたちに求められるまま、自分にできることをするべきなんだ。
神霊庁で行われる神前裁判が、〈神託の巫〉としての、わたしの〈初舞台〉になるんだって、このときには、まだ実感していなかったんだけど……。
◆
ネイラ様の執事さんとしてのヴェル様ではなく、神霊庁の神使様としてのオルソン猊下に送った手紙には、すぐに返事が返ってきた。ヴェル様たちも、わたし……というか、神霊さんたちに聞きたい話があるし、いろいろと打ち合わせもしたいから、ぜひカペラ家を訪問させてほしいんだって。
ルーラ王国の神使様たちは、位が高いからって、もったいぶったりはしないからね。お父さんとお母さんの予想通り、召喚状が届いた翌々日には、目立たない箱馬車に乗り合わせて、こっそり訪ねてきてくれたんだ。
冷んやりとした秋風が吹き抜ける午後、わたしたちの王都の家に集まった神職さんは、全部で六人もいた。にこやかに微笑むコンラッド猊下と、アイスブルーの瞳を輝かせたヴェル様、ヴェル様と一緒に〈野ばら亭〉に来てくれていたロレンゾさん、どことなく見覚えのある女性の神職さんが二人。そして、最後の一人は、綺麗な白髪のおじいちゃんぽい人だった。
おじいちゃんぽい神職さんは、多分、神霊庁に七人いるっていう、神使様の一人だろう。わたしが、神霊庁で〈神託の巫〉の宣旨を受けたとき、ヴェル様と一緒に、コンラッド猊下のすぐ後ろに控えていたし、ヴェル様と同じ薄紫色の格衣っていう装束を着ていたから、間違いないと思う。この日は、全員、神霊庁の装束じゃなく、普通の服装だったけどね。
コンラッド猊下は、穏やかでいながら、威厳と風格を漂わせ、悠然とした動きで椅子に座った。そして、わたしたちに丁寧に頭を下げながら、神職さんたちを紹介してくれた。
「神霊庁が〈神徒〉であるロレンゾのことは、カペラ家の皆様も、ご記憶いただいておりますでしょう。女性の神職は、〈神侍〉を勤めますアンナ・ヴィーナと、ポーラ・ネグリと申します。残る一人は、神使が一角、クレメンス・ド・マチェクでございます」
世界でたった一国、ルーラ王国だけに存在する神霊庁には、神職の人と事務職の人がいて、神職は五つの職階に分かれている。下から順番にいうと、〈神僕〉〈神侍〉〈神徒〉〈神使〉。この神使の上に、神霊庁の長である大神使っていう位があって、これは七人が定数になっている神使の間で、合議制で選ばれる決まりなんだ。
ちなみに、王都にある神霊庁の本庁だけでも、千人を超える神職さんが在籍しているし、地方の都市や街、村々に至るまで、たいていは分庁が作られている。分庁の長は、大都市でも神徒、普通は神侍の職階の人が就任するらしいから、パレルモさんはもちろん、二人の女性も、高い位にある神職さんだといっていいだろう。
「パレルモは、先のクローゼ子爵家の事件の際、パヴェルと共に〈野ばら亭〉に派遣いたしましたので、皆様、ご記憶いただいておりましょう。アンナとポーラの女性二人は、チェルニちゃんに御装束をお試しいただくために、同行いたしました」
「装束って、どういう意味ですか、コンラッド猊下?」
「ミル、ですよ、チェルニちゃん?」
「……装束って、神職さんの衣装のことですよね? この間、神霊庁でいただいたのとは、別のものだったりするんですか、ミル様?」
「先日、お持ち帰りいただいたものは、普段着でございます。生地の格式は、最上級でございましたが、柄行は軽いものですので」
「わたくしも、拝見いたしました。目の保養としかいいようのない、素晴らしいお品でございましたわ、猊下。けれども、猊下の仰せの通り、生地に織り出された柄と刺繍は、軽やかでございましたわね。あれ程の格式の生地に、あの柄行なのかと驚きましたわ。神霊庁の皆様は、ずいぶんと娘に目をかけてくださっているのだな、と」
「さすがでございますね、カペラ夫人。素晴らしい目利きでいらっしゃる。あの装束は、本当の意味で、チェルニちゃんの普段着用にお仕立てしたものなのです。純白の紋綸子、織り出した紋様は、開いた本から花々が溢れ落ちる〈花の木〉。上に羽織る千早に、白金の糸で刺繍したのは、羽の中に百花繚乱の花々を散らした、舞い飛ぶ蝶の柄でございましたので」
「それって、何かの暗号ですか、ミル様?」
「ほほほ。チェルニちゃんの愛らしきこと。神霊庁の装束には、生地の色目から柄の一つ一つに至るまで、それぞれに意味があるのですよ。〈花の木〉も、百花繚乱の蝶も、大変に美しくはありますが、格式が高いものではなく、若いお嬢様が、お洒落にお召しになる柄行なのです。それを、最も格式の高い生地に施したのですから、見る目のあるものが見れば、〈最上の生地さえ、普段着にお召しになる程尊い方〉だとわかりましょう」
「……ミル様ってば、わりと策略家ですよね。わたし、そんなとんでもない存在だって思われるのって、かなり迷惑なんですけど」
「ほっほっほ。大層お似合いで、それはそれは愛らしかったと、レフ様が仰せでございましたよ、チェルニちゃん」
コンラッド猊下であるところのミル様って、やっぱり、権力の中枢にいる人だよね。すごく自然に、さり気なく、自分の思う通りに周りを動かしている感じがするんだよ。何がっていうと、レフ様の名前を出された瞬間に、わたしは、茹でた海老みたいに赤くなって、まったく反論できなくなっちゃったんだから。
赤くなって、下を向いて、お父さんの呻き声を聞いて……しばらくすると、わたしは、部屋の空気が変わっていることに気がついた。レフ様の名前が出た瞬間から、女性の神職さんたちが、何だか青い顔をして、少し震えているんだよ。
それが不思議で、思わず首を傾げると、それまで黙ってミル様の隣に控えていたヴェル様が、優しく教えてくれた。
「チェルニちゃんが、心配するようなことはありませんよ。〈神威の覡〉であられるレフ様は、神霊庁にお出ましになるとき、御自らの御神威の一部を、無意識に開放なさるのです。もちろん、レフ様にとっては、大河の一滴に過ぎない程度の御神威ではございますけれど、我ら神職にとりましては、尊く、畏れ多く、身の震える思いなのです。アンナとポーラは、レフ様のお名前を耳にするだけで、あの圧倒的な御神威を思い浮かべ、緊張するのでございましょう」
「……はあ、なるほど……」
「ふふ。チェルニちゃんにとっては、不思議でございましょうね。それでよろしいのです。レフ様は、そういうチェルニちゃんだからこそ……」
「えっと! そのことは良いです! それで、結局、今日、持ってきてもらった装束は、この間とは別のものなんですよね?」
「おや、話をすり替えましたね、チェルニちゃん。まあ、よろしいでしょう。今日、持参いたしましたのは、神前裁判の場において、〈神託の巫〉である貴女様に、お召しになっていただきたい御装束でございます」
「神前裁判の当日、チェルニちゃんには、今回の御装束をお召しいただき、特別なお席に座っていただきたいのです。お席は、一般の傍聴席からは見えにくい作りとなっておりますので、保護者たるカペラご夫妻も、そのお席にお座りくださいませ。後の手順は、これなる神使、クレメンス・ド・マチェクが取り仕切ります。クレメンスは、神霊庁が誇る博覧強記にして、公平無私の人格者。何よりも、神器の一つである、〈神秤〉の印を賜った者でございますので」
ミル様は、そういって、側にいたクレメンス様を紹介してくれた。博覧強記って、すっごい読書家の知識人っていう意味だよね、確か。そして、〈神秤〉の〈秤〉って、ものの重さを測る、あの秤のことで良いんだろうか?
クレメンス様は、ミル様に似た、穏やかで徳の高い感じの微笑みを浮かべ、丁寧に話しかけてくれた。
「お初にご挨拶させていただきます、神霊庁が神使の一人、クレメンス・ド・マチェクでございます。〈神託の巫〉たる御方様にお目文字叶い、恐悦至極に存じます。パヴェルから、平伏されるのを厭われる御方と、釘を刺されておりますので、御身の御身位に合わぬご挨拶となりましたこと、なにとぞお許しくださいませ」
「チェルニ・カペラ、十四歳です。よろしくお願いいたします、マチェク様」
「我が名をお呼びいただきましたる栄誉に、身の震える心地でございます、お嬢様。御装束の話をさせていただきますと、本日、持参いたしましたのは、〈巫〉が神前裁判の折にお召しになると、古来より決められたものでございます。純白、無地の最上級の絹地にて、小袖、袴、千早を仕立て、千早にのみ、銀糸で神霊庁の紋様を刺繍いたしております。〈覡〉の御装束は、純白、無地の最上級の絹地にて、小袖、袴、格衣を仕立て、格衣にのみ、白銀の糸で、御神霊を表す紋様を刺繍いたしますので、畏れ多くも〈巫覡〉が対の御装束にて、この度の神前裁判を御照覧になられますこと、我ら神職一同、生涯の誉と感じ入ってございます」
おじいちゃんぽい年齢だからなのか、あまりにも教養がありすぎるからなのか、クレメンス様の言葉は、今一つわからなかったけど……要は、決められた装束を着て、神霊庁の裁判の場に行けば良いんだよね?
そして、クレメンスさんは、さらっと、本当にさらっと、衝撃的なことを口にしていたと思う。神霊さんと一緒に生きるルーラ王国において、王家と同等の権威を持つ神霊庁が、元大公を裁く神前裁判の場で、〈神託の巫〉として、レフ様とお揃いっぽい装束で、出席しろっていわれているみたいだよ、わたし……。