連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 4-24
「わたしの親友、今も忘れられない唯一の友達である愛犬が、毒味のせいで死んでいなかったら、わたしは今、この席にはいなかったでしょう」
そういって、サミュエル会頭は、お祈りをするみたいに顔を伏せ、固く目をつむった。それまで、サミュエル会頭の頭に乗っかっていた、神霊さんっぽい犬は、まるで慰めているみたいに、サミュエル会頭の頭に、一生懸命に頬をこすりつけている。その姿が、ものすごく健気で、いじらしくて、事情もわからないうちに、何だか泣きそうになっちゃったよ、わたし。
そのうち、きゅうきゅうって、犬の鳴き声も聞こえてきて、ますます胸が痛くなったとき、サミュエル会頭が、ようやく頭を上げてくれた。さっきまで冷たい色に見えていた、灰青色の瞳は、泣いた後みたいに赤くなっていたけどね。
「皆さん、申し訳ない。せっかくの食事の場で、取り乱してしまいました。もう四十年近く前の話なのに、いまだに心が痛みます。八歳のわたしにとって、可愛いテュテュは、本当に大切な存在でしたので」
「テュテュというのは、亡くなった愛犬の名前ですの? とても可愛らしいですわね」
「ええ、カペラ夫人。名前は、わたしがつけました。本当に可愛い犬だったので、その可愛さに似合う名前にしたいと、三日三晩、考え続けたものです。可愛いだけでなく、非常に賢く、忠誠心の強い犬で……だからこそ、わたしの母は、テュテュに毒味をさせていたのです。わたしは子供だったので、母の言葉を疑うことを知りませんでした。母は、いつもいっていました。〈先にテュテュに一口あげることを、習慣にしましょうね。サミュエルとテュテュは、とっても仲良しなんですもの〉と」
「……お母様は、必死でいらしたんでしょうね。お二人の周りには、あまりお味方もいらっしゃらなかったのではありませんか?」
「その通りです、カペラ夫人。父は、正妻からの嫌がらせを警戒して、別宅に警護の者を置いてくれましたが、それで防げるのは、表立っての暴力沙汰だけです。シーツに隠れた毒蜘蛛や、食事に混ぜられた毒には、護衛は無力でした。毒蜘蛛を追い払ってくれたのも、毒の匂いを嗅ぎ分けて教えてくれたのも、テュテュだったのです。しかし、正妻たちは、とうとう見つけ出したのですよ。無味無臭で、優れた犬の鼻ですら騙せる毒を」
「まさか、会頭の愛犬は、その毒を食べて? わたしがいうのも何ですが、それはあんまりだ。あまりにも不憫だ」
「ああ、きみは、大変な犬好きだったね、ダニエルくん。わたしも、まったく同意見だよ。何度も暗殺に失敗した正妻は、特殊な毒を食事に混入するよう、料理人を買収した。テュテュは、いつものように匂いだけで毒を見つけることができず、一口、わたしに出された料理を先に食べて、すぐに、わたしに飛びかかってきたんだ。わたしの手の中の、スプーンを叩き落とすためにね。即効性の猛毒で、大量の血を吐いていたのに。それから、テュテュは……」
サミュエル会頭は、どこかが痛むような表情で、言葉を切った。もう四十年も前だっていうのに、まるでつい最近のことみたいに、つらい気持ちを抱えているんだろう。頭の上に乗っかった犬は、ますます必死になって、サミュエル会頭の頭に頬をすりつけていた。
隣に座っていた奥様は、テーブルの上で握りしめていたサミュエル会頭の手を、そっと上から包み込んで、ため息を吐いた。
「主人ったら、それから今に至るまで、本心ではお義母様を許そうといたしませんの。もちろん、表面上は、優しく丁寧に接しているのですが、どこか壁を作ってしまうのです。お義母様だって、好きでテュテュを犠牲にしてしまったわけではありませんのに」
「わかっている。わかっているから、母にも父にも、良い息子でいるんじゃないか。しかし、本心から両親と打ち解けるのは、わたしの〈真実の舌〉の加護を消すことと同じくらい、むずかしいんだよ」
「その加護ですけれど、テュテュの毒殺事件がきっかけになりましたの?」
「ええ。テュテュの死の衝撃と悲しみで、わたしは、ほとんど食事ができなくなってしまいましてね。食べるという行為そのものが恐ろしく、目の前で母が毒味をしたものであっても、いっさい喉を通らず、餓死しそうになったところで、御神霊から加護を賜ったのです。強い悪意であれば、口に入れようとしただけで違和感を感じ、舌に乗せた瞬間に、作った者の思いを感じ取れる加護を」
「何も食べられない主人に、ずっとお義母様が料理を作ってくださったんだそうです。そのお義母様のお気持ちと、〈真実の舌〉の加護が、主人の命を救ってくれたのだと思います。ありがたいことですわ」
「母の作る料理からは、懺悔や後悔と共に、わたしへの深い愛情が流れ込んできました。〈テュテュに申し訳ないことをした〉〈初めから自分が作っていれば良かった〉〈自分の命と引き換えにしてでも、息子を生かしたい〉と。おかげさまで、何とか食事ができるようにはなりました。食べることの楽しみは、大きく損なわれてしまいましたけれども」
「……あの、会頭……」
「何かね、ダニエルくん?」
「うかがってもよろしければ、なんですが、その、会頭の父上の正妻というのは、それからどうなったのでしょうか?」
「ああ。さすがに、父が怒り狂ってね。家同士の付き合いも、世間体も無視して、正妻を神霊庁に告発したんだ。結果的には、正妻は殺人未遂の罪で有罪となり、父から離縁されたうえで、刑に服したよ。正妻の関係者も、何人も罪に問われ、正妻の実家も商会を続けてはいけなかった。正妻の子ら……わたしには、異母兄、異母姉にあたる者たちは、母の実家に引き取られたのだが、今はどうしているのだろうな。それぞれが成人するまで、父が資金援助はしていたな」
サミュエル会頭が、話を終えても、誰も何もいわなかった。それくらい、サミュエル会頭の話は重いものだったし、死んでしまったテュテュっていう犬も、犬を犠牲にしてしまったサミュエル会頭のお母さんも、親友に目の前で死なれちゃったサミュエル会頭も、皆んな、可哀想で可哀想で仕方なかったんだ。
その当事者ともいえる、テュテュらしい犬は、薄っすらと光る御霊になって、今度はサミュエル会頭の顔をなめ回しているんだけどね。
個室の扉のところでは、黒いエプロンドレスも凛々しい、ルルナお姉さんが、食器を下げにきたまま、困った顔で立っている。皆んなの雰囲気がおかしいから、次のお料理を運んで良いのか、迷っているんだろう。
泣きそうな顔をしていたサミュエル会頭は、もう普通の表情に戻って、お母さんにうなずきかけているから、このまま見ていたら、何事もなかったみたいに、食事会は進んでいくと思う。お父さんのお料理は、サミュエル会頭を感動させたはずだから、全部がうまくいって、この素敵なお店を売ってもらえるとは思うんだけど……いいのかな、それで?
サミュエル会頭の頭の上の犬……テュテュは、四本に増えた尻尾を力なく振りながら、ずっと頬をすり寄せたり、なめたりしている。悲しい思いをしているサミュエル会頭を、何とかして慰めたいんだってことは、一目でわかった。黒曜石みたいに黒々と輝く瞳は、泣いているみたいに潤んで、深い愛情と忠誠心を湛えていたから。
わたしは、何だかたまらない気持ちになって、じんわりと涙が浮かんできた。テュテュが、あまりにもいじらしくて、健気で、尊かったんだよ。テュテュが見えているのは、わたしだけで、わたしなら、テュテュの様子を、サミュエル会頭に伝えられる。サミュエル会頭の親友は、ずっと会頭の側にいて、見守ってくれているんだよって、教えてあげられる。でも、それって、余計なお節介にならないのかな? かえって、サミュエル会頭を傷つける結果にならないのかな?
わたしが、ぐるぐると悩み始めたところで、ずっと気配を消していたスイシャク様とアマツ様から、はっきりとしたイメージが送られてきた。いつの間にか、言葉を聞いているのと同じくらい、明瞭に理解できるようになったイメージは、わたしを、力強く励ましてくれていたんだ。
〈我らが雛の役目とは、巫に託されし道開き〉〈神と人とを繋ぎたる、稀なる環となりぬべし〉〈雛が伝うることこそは、霊の望みと覚えたり〉〈疾く行かん〉〈我ら後押し致すべし〉って。犬の御霊の気持ちを、サミュエル会頭に伝えることが、神霊さんたちの望みでもある……んだよね?
スイシャク様とアマツ様は、純白の光の帯と、真紅の光の帯で、わたしをぐるっと巻いてくれた。悪人から守ってくれたときみたいな、頼もしく太い帯じゃなくて、きらきらと輝く細い帯は、やたらと装飾の多い今日のドレスを最後に飾る、光のリボンみたいだった。
アリアナお姉ちゃんたちには、サミュエル会頭たちの個室での様子は、まったくわからないはずなのに、わたしの様子が変だから、何か不思議な出来事が起こっているのは、それとなく察しているんだろう。わたしが、勢い良く立ち上がっても、誰も何も聞こうとしなかった。だから、わたしは、一言だけいったんだ。
「わたし、行ってくるよ」
「ご神霊がお呼びなのかしら。頑張ってね、チェルニ」
「ありがとう、お姉ちゃん」
わたしは、そのまま扉を開けて、サミュエル会頭たちがいる個室に行った。食べ終わった食器を下げたルルナお姉さんが、ちょうど出て行くところだったけど、優しく微笑んで、道を譲ってくれる。
別の個室にいるはずのわたしが、突然、許しもなく入っていったから、お母さんもサミュエル会頭たちも、びっくりした顔をしていたけど、頭の上の犬だけは、わたしを見た途端、ものすごい勢いで四本の尻尾を振った。悲しそうに潤んでいた瞳が、それはもう、きらっきらに輝いている。スイシャク様とアマツ様のいうように、テュテュっていう名前の犬は、サミュエル会頭に、何かを伝えてほしかったんじゃないかな。
わたしは、できるだけ堂々として見えるように、床を踏み締め、しっかりと胸を張って、サミュエル会頭に宣言した。
「チェルニ・カペラです。サミュエル会頭に、テュテュの気持ちを伝えたくて、やってきました!」
◆
正直にいうと、わたしは、ちょっと張り切り過ぎて、空回りをしちゃったのかもしれない。思ったより大きな声で、前置きもなくいっちゃったから……個室にいた全員が、ぱかんと口を開けて、わたしを見つめているんだよ。
最初に衝撃から立ち直ったのは、わたしの大好きなお母さんだった。お母さんは、ちょっと笑いを堪えているような顔になりながら、優しく聞いてくれた。
「……わたしたちの話が、聞こえていたの、子猫ちゃん?」
「はい! スイシャク様の雀たちが、教えてくれました。それに、サミュエル会頭が、このお店に入ってきたときから、頭の上に張り付いている、犬の姿が見えていたんです」
「カペラ夫人。お嬢さんは何を……?」
「不躾な娘で、申し訳ありません、会頭様。けれども、チェルニは、御神霊から厚い加護を賜った娘ですので、人には見えないものを見、人には感じられないものを感じる力がございますの。娘が、犬の姿を見たというのでしたら、その通りだと思いますわ」
「お嬢さん。先ほど、テュテュの名を口にしていましたね。本来なら、隣の部屋にいるあなたには、わたしたちの話は聞こえていないはずだ。あなたには、わたしの大切なテュテュの姿が、見えているとでもいうのですか? 本当に?」
「見えています。今も、サミュエル会頭の頭の上に、べったりと張り付いています。つやつやの毛並みの黒い犬で、顔と胸元の毛は純白、足の毛は綺麗な茶色です。丸くて可愛い瞳は、黒曜石みたいに真っ黒で、ふさふさの尻尾は、先だけが茶色になっています」
サミュエル会頭は、大きく目を見張り、呆然とした表情になった。そっと〈テュテュ……〉ってつぶやいているから、わたしが話した特徴は、サミュエル会頭が覚えている、犬のテュテュと同じなんだろう。
サミュエル会頭は、答を聞くのが怖いみたいな、でも、何としてでも聞きたいような、迷いと戸惑いに揺れる瞳で、わたしを見つめた。そして、微かに唇を震わせていった。
「お嬢さんは、カペラ家の下のお嬢さんでしたね。今、貴女がいわれた犬は、テュテュそのものです。何故、貴女は、わたしのテュテュの特徴を知っているのですか? もう、四十年も前に死なせてしまった犬だ。今では、わたしと父母くらいしか、テュテュを覚えていないでしょう。まさか、まさか、本当に、テュテュの姿が見えるのですか?」
「はい。見えます。サミュエル会頭が、このお店に入ってきたときから、はっきりと見えていました。テュテュは、最初からずっと、サミュエル会頭の頭の上に張り付いていますよ。べったりと」
サミュエル会頭は、とっさに頭を触ろうとして、慌てて手を止めた。奥様も不動産屋さんたちも、がばっと音がするくらいの勢いで、サミュエル会頭の頭を凝視したけど、何も見えなかったみたい。サミュエル会頭は、途中まで手を伸ばした格好のまま、もう一度、わたしに聞いた。
「お嬢さん。お嬢さんが、見えているというのは、テュテュの霊魂なのですか? テュテュは、わたしを恨んでいるのでしょうか? だから、天上の神々の御許へと、登っていくことができなかったのでしょうか?」
「何をいってるんですか! テュテュが、サミュエル会頭を恨んでいるなんて、全然、まったく、そんなことはありません! むしろ、サミュエル会頭が大好きだから、会頭を守るために、ずっと側にいてくれるんです。今も、尻尾をぶんぶん振りながら、会頭の頭に、頬をこすりつけていますよ」
「……ああ……ああ……テュテュ……」
「テュテュが、会頭のいう霊魂かどうかは、あんまりよくわかりません。テュテュは、もともと普通の犬じゃなくて、神霊さんに近い魂を持っていたんじゃないかと思います。何回も生まれ変わって、魂の器を広げていたのかな? 神霊さんたちは、テュテュのことを〈御霊〉って表現していて、いろいろと教えてくれるんですけど、むずかしいんですよ。あやふやで、すみません」
「とんでもない。ありがとうございます、お嬢さん。テュテュが、わたしを恨まずにいてくれて、ずっと側にいてくれて、今でも守ろうとしてくれているなんて! その言葉だけで、わたしがどれほど救われたか、お嬢さんには、おわかりにならないでしょう。本当にありがとうございます」
サミュエル会頭は、そういって、深々と頭を下げた。奥様も、一緒になって、わたしに頭を下げてくれる。サミュエル会頭が喜んでくれたのなら、わたしもうれしいんだけど、満足ではあるんだけど、これだけだと、ちょっと中途半端じゃない?
わたしが、首を傾げたところで、腕の中のスイシャク様と、肩の上のアマツ様から、もう一度、交互にイメージが送られてきた。〈霊の希を聞き届け〉〈人と《霊》とを結びたる〉〈我らが雛が差配して、結縁佑くる環ならん〉〈佳哉、佳哉〉って。スイシャク様とアマツ様は、わたしが手助けして、サミュエル会頭とテュテュの縁を、結びつけようとしている……んだよね?
迷うほどのこともなく、このときのわたしには、どうやって〈結縁〉を手伝えば良いのか、はっきりとわかっていた。以前、〈神降〉の器になったとき、わたしの頭の中に、純白に輝く文字が浮かび上がって、自然に口から言葉が出ていたことがあったけど、それに少しだけ近い感じ。どこからか流れ込んでくるイメージに従って、動けば良いだけだって、誰かが教えてくれるんだよ。
サミュエル会頭の頭の上でしっかりと立ち上がっている、テュテュに目を向けると、黒曜石みたいな瞳が、いっそう明るく輝いた。四本の尻尾は、ぶんぶんを通り越して、ぶぉんぶぉんっていう勢いで、振り回されている。うん。これは、あれだ。テュテュってば、思いっ切り期待しているらしい。わたしは、気合を込めて口を開いた。
「サミュエル会頭」
「何でしょう、素晴らしいお嬢さん?」
「会頭は、テュテュの姿を見たいですか? テュテュと縁を結んで、テュテュの存在を、感じ取れるようになりたいですか?」
「……まさか、可能なのですか? もし、わたしを試しているだけなら、どうかやめてください。わたしは、テュテュのことになると、いまだに八歳の子供のままなのです。期待して、裏切られるのは耐えられない」
「大丈夫です! わたしを守ってくれている、とっても親切で尊い神霊さんたちが、手助けをしてくれますから。じゃあ、良いですか?」
「……万に一つの確率でも、テュテュの気配を感じられるのなら、わたしはあらゆる対価を払うだろう。お願いします、お嬢さん」
最初の方のつぶやきは、あんまりよく聞こえなかったけど、やっちゃっても良いんだよね? わたしは、テュテュの勢いに押されるみたいに、すぐに〈結縁〉に取りかかった。何の説明もなく、姿勢を正してもらうことさえないまま、いきなり始めちゃったんだから、ずいぶん乱暴だった……って気づいたのは、ずっと後になってからだったよ。
ともあれ、サミュエル会頭の答を聞いて、わたしは、その場で目をつむった。ふわりと心に浮かび上がってきたのは、柔らかそうな頬が可愛らしい、小さな男の子と、つやつやとした黒い毛並みの小さな犬の姿だった。男の子と犬は、大の親友なんだろう。一緒に遊んで、一緒にご飯を食べて、一緒に眠って、ずっと仲良く寄り添っていた。
小さな男の子が、犬をなでている手つきが、あまりにも優しくて。小さな犬が、男の子を見つめる瞳が、あまりにも無垢な愛情に輝いていて。楽しそうな一人と一匹を見ているだけで、わたしは、ぽろぽろと泣いていた。
幸せな光景が、唐突に途切れたとき、わたしの目に映ったのは、口から血を吐いて痙攣している犬を、泣きじゃくりながら抱きしめている男の子。お母さんらしい女の人に向かって、憎しみをぶつけて叫んでいる男の子。何も食べられなくて、日に日に弱っていく男の子。ご飯は食べられるようになったけど、ずっと暗い表情のままの男の子。そして、そんな男の子の側で、心配で心配でたまらないっていう顔をしている、半透明に透けた犬……。
男の子と犬が可哀想で、もう我慢ができなくて、わたしは、心の中で祈りを捧げた。どうかどうか、男の子と犬を救ってください。お互いに深く深く思い合っている、男の子と犬を、もう一度会わせてあげてもらえませんか……って。
わたしの祈りに応えてくれたのは、他の神霊さんじゃなく、腕の中のスイシャク様だった。スイシャク様は、わたしの腕の中から、ふわりと舞い上がると、両腕を広げたくらいの大きさの、世にも麗しく神々しい、純白のご神鳥の姿になった。どこからか、悲鳴にも似た驚愕の叫び声が聞こえる気がするけど、わたしは、集中して祈り続けた。
どうかどうか、スイシャク様。大いなるお慈悲を以て、男の子と犬を救ってください。お互いに深く深く思い合っている、男の子と犬を、もう一度会わせてあげてください。
羽ばたきもしないまま、空中に浮かんでいたスイシャク様は、純白の羽を広げると、ゆらりと一度動かした。すると、純白の光の帯が伸びていき、片端がサミュエル会頭の左の手首、もう片端が、頭の上にいるテュテュの左足に巻きついた。
光の帯は、一度、神々しい光を強めたかと思うと、サミュエル会頭とテュテュの身体に吸い込まれていく。わたしの目には、一人と一匹が、純白の光の糸で結び付けられている姿が見えるから、きっと縁が結ばれたんだろう。
ほっとして、うれしくて、ますます涙が止まらなくなったわたしの耳元で、アマツ様が、誇らしそうな〈言霊〉を降ろした。わたしにとって、やがて、大きな大きな意味を持つことになる言霊を……。
〈天上天下に並びなく 四方万里に轟き渡る 菩薩の威光 弥栄 衆生を救いし観世音 大慈大悲の尊けれ〉