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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 3-12

 わたしたちが、王都に向かって出発した日は、朝からとびきり清々しい秋晴れだった。何となく、幸先さいさきがいいねって喜び合って、わたしとアリアナお姉ちゃんは、手を握り合ったんだ。
 
 一緒に王都に行くのは、わたしたちカペラ家の四人と、クローゼ子爵家の事件の被害者でもあるフェルトさん、キュレルの街の守備隊の総隊長さん、〈野ばら亭〉で働いてくれている二人の従業員さんの、総勢八人だった。
 スイシャク様とアマツ様は、今朝も一緒で、スイシャク様はわたしの腕の中、アマツ様はわたしの肩の上に顕現けんげんしている。神聖な存在である、神霊さんのご分体が、気軽に王都に行っちゃってもいいものかどうか、わたしはけっこう悩んだんだけど、そこはまったく心配ないんだって。
 
 変幻自在へんげんじざいなスイシャク様とアマツ様は、人の子の目につかないようにするのも、簡単なことらしい。〈見えども見えず、聞けども聞かず〉〈人の子は、くあれかしと思えばこそ、まなこに映すものなれば〉って。
 少しだけ寂しそうに見える、スイシャク様とアマツ様の表情に、わたしも胸が締めつけられる気がした。もしかしたら、肩に蛇を乗っけていた町立学校の女の子たちみたいに、人ならざるものの存在を感じ取れないのは、神霊さんが姿を隠しているからじゃなく、わたしたちの方が、目をふさいでいるだけなのかもしれないね。
 
 スイシャク様とアマツ様は、しょんぼりしたわたしを慰めるみたいに、優しいメッセージを送ってくれた。〈いざ、共に王都へ行かん〉〈道開みちひらき也〉〈不自由なる旅路を楽しまん〉って。
 遥か天上からの距離でさえ超越する、いとも尊いご神霊なのに、スイシャク様もアマツ様も、馬車に乗る気満々なんだよ。
 
 ちなみに、一緒に王都に行くことになった、〈野ばら亭〉の従業員さんの一人は、色白でぽっちゃりしていて、優しい笑顔が可愛らしいルルナお姉さんだった。そう、クローゼ子爵家の使者Bが好意を寄せている、あのルルナお姉さん。
 ルルナお姉さんは、わたしたちの新しい家を住める状態にするために、お手伝いをしてくれる予定になっている。小さな弟たちを養っているから、いつもは仕事が終わったらすぐに帰っていくんだけど、今回は、親戚の叔母さんが泊まりに来てもらったから、大丈夫になったんだって。
 
 従業員さんを大切に思っている、わたしの大好きなお母さんは、弟たちの面倒ばっかり見ているルルナお姉さんを、賑やかな王都に連れて行きたかったんだと思う。自分の息抜きなんて、考えそうにもないお姉さんだからね。
 わたしから話を聞いて、使者Bとの関係に興味津々なお母さんが、ルルナお姉さんをけしかけるつもりで、王都に誘ったわけじゃない……と思う……んだけどな……多分。
 
 もう一人の従業員さんは、お父さんの片腕ともいえる料理人さんで、ルクスさんっていう男の人なんだ。ルクスさんは、わたしが生まれる前から、〈野ばら亭〉の厨房で働いてくれている。頬に目立つ刃物傷はものきずがあって、背の高い強面こわもてで、ぱっと見ただけだと、けっこう怖い人に思われるんじゃないかな。
 実際のルクスさんは、本当に優しい人で、聡明で、頼りになって、澄み切った瞳をしている。わたしもアリアナお姉ちゃんも、妹みたいに可愛がってもらったし、うちのお父さんも、ルクスさんのことは、息子同然に思っているんだ。もちろん、わたしもアリアナお姉ちゃんも、ルクスさんのことは大好きだよ。
 
 お父さんが、ルクスさんを連れて行くっていうことは、王都で開店させる〈野ばら亭〉の支店を、任せたいんじゃないかな? キュレルの街の〈野ばら亭〉を、ルクスさんにお願いしたら、絶対に大丈夫だって信頼できるから、本当だったら、ルクスさんをキュレルに残した方が手堅いんだけど、お父さんには別の思惑があると思う。
 社会貢献っていうものを、とっても大切に考えているお父さんは、王都に店を出しても、ルクスさんに協力してもらって、自分にできることをするつもりなんだろう。大体のところは、わたしにも想像できるよ。わが父親ながら、素晴らしい。お父さん、大好き。
 
 お父さんのおいしい朝ご飯を食べた後、わたしたちは、迎えの馬車に乗り込んだ。今回は、何日か王都に泊まる予定だから、〈野ばら亭〉の馬車じゃなく、王都までの高速馬車を一台、貸切にしてもらったんだ。
 わりと大きな馬車は、二頭立ての十人乗りだったから、手回りの荷物を乗せても、それなりに余裕があった。ルルナお姉さんとルクスさんには、王都行きが決まってすぐ、スイシャク様とアマツ様を引き合わせておいたから、一緒の馬車でも問題はない。二人とも、がちがちに緊張しちゃって、顔色が灰色っぽくなっていても、問題はない。ないったらない。
 
 〈野ばら亭〉から街の通用門までは、ゆっくりと馬車を進ませる。キュレルの街は、田舎といえば田舎だけど、けっこう栄えている大きな街で、人口はかなり多い。当然、街を行き交う人も多くて、馬車道でも速度制限が設けられているんだ。
 ぱかぱかぱかぱか、ぱかぱかぱかぱか。整えられた石畳の道に、馬たちが軽やかな足音を響かせる。馬車の窓からは、たくさんの建物が立ち並ぶ、賑やかなキュレルの街並みが見える。わたしには見慣れた光景でも、神霊さんには逆にめずらしいみたいで、スイシャク様もアマツ様も、上機嫌で窓の外を眺めていた。
 
 お父さんの横に座って、人目も気にせず、堂々と手をつないでいるお母さんが、にこやかにいった。
 
「通用門を出たら、一気に速度を上げるから、お昼前には王都に着くわよ。ルルナちゃんは、ご両親と一緒に、王都に行ったことがあるのよね?」
「両親が生きていた頃に、連れて行ってもらいました。すごく人が多くて、建物も大きくて、王城なんてものすごく巨大で、目をまん丸にしてました。懐かしいなぁ。誘ってもらって、とっても嬉しいです、女将さん」
「お昼ご飯は、王都でも人気のお店を予約してありますからね。ルルナちゃんが、ご両親と食事に行ったって話してくれた、〈エビール・カニーナ〉よ。海老と蟹が名物だからって、変な店名よね。美味しいそうだから、楽しみだけど。ルーくんは、わりと王都にも行ってたわよね?」
「親父さんのお供で、料理の勉強がてら、食べ歩きをさせてもらってますからね。ありがたいことに、一流どころから屋台まで、かなりの店に行ってます。〈エビール・カニーナ〉も、うまいですよ。高めの値段でも、価値はあります。海老も蟹も、そもそも原価が高いですしね」
 
 ルルナお姉さんもルクスさんも、ちょっとはスイシャク様とアマツ様に慣れてきたみたいで、何とか普通に会話できるようになっている。
 ルクスさんが〈ルーくん〉って呼ばれるのは、もう十五年前からの習慣らしいから、ルクスさんも諦めているんだ。若すぎる母親っていう立ち位置の、うちのお母さんには、ものすごく弱いんだよ、ルクスさん。
 
 スイシャク様とアマツ様は、なぜか〈エビール・カニーナ〉がツボにはまったみたいで、小刻みに肩を震わせている。〈我ら《エビール・カニーナ》にて、海老と蟹を食さん〉って、イメージを送ってくるしね。今日のお昼ご飯の間中、海老のからむきと蟹の身ほぐしに必死になるんだろうな、わたし。
 
 しばらくして、キュレルの街中を抜けると、大きな通用門が見えてきた。ルーラ王国では、通用門を守るのは、守備隊の仕事だから、門番の役目を担っている人たちは、皆んな総隊長さんの部下になるんだ。
 正しい大人の見本みたいな総隊長さんは、自分のことだからって、便宜を図らせたりはしない。一般用の馬車門に並んで、ちゃんと必要な手続きをする。とはいえ、ルーラ王国では、王国内の往来は自由だから、変な荷物を積んでいないかだけ確認したら、基本的には大丈夫なんだ。
 
 馬車門を通ると、私たちの高速馬車は、一気に加速する。門のところで待機していた〈風屋かぜや〉さんが、風の神霊術を使ってくれるんだ。
 今日の〈風屋〉さんは、ちょっとお腹の出た中年の男の人で、柔らかそうな手で印を切り、歌うみたいに朗々とした声で詠唱した。
 
「風を司る神霊様。今日のお客様たちを、王都までお連れしてくれませんか? 風のように早く、揺りかごみたいに安全に。対価は、わたしの魔力をそれなりに。足りない分は、お好みの色の水晶でいかがです?」
 
 そういって、〈風屋〉さんは、小さくて色とりどりの水晶が盛られた、手提げの籠を差し出した。すると、西瓜すいかくらいの大きさのある、水色の光球が現れて、水晶が籠の上をくるくる回ってから、わたしたちの馬車まで飛んできた。
 くるくるくるり、くるくるくるり。水色の光球は、きらきらと輝きながら、馬車の上を回っていく。もうすっかりお馴染みの、風の神霊術の発動だよ。
 
 窓から様子を見ていた、スイシャク様とアマツ様は、馬車の中で大喜びしていた。〈誠に得難きこと也〉〈神世かみのよにて語り広めん〉って。スイシャク様は、ふっすすす、ふっすすすって、大きな鼻息を吐いては、可愛らしい薄茶の羽根先をばたつかせていた。アマツ様は、いつもの鱗粉がますますきらめいて、馬車の中が朱色に染まる勢いだったよ。
 考えてみたら、神霊さんが、他の神霊さんの術を体験する機会なんて、そうそうあるはずがないしね。風の神霊さんの光球が、何となく動揺した気配を漂わせている気がするのは、錯覚だと思うことにしよう。
 
 水色の光球が旋回を終えた途端、わたしたちの馬車は、すごい速さで走り出した。ルーラ王国の王都、太陽を意味する〈ソール〉の名前を持つ都市まで、馬車は一気に走り抜けるんだ。
 
     ◆
 
 爽やかに吹く風のような速さで、高速馬車は王都へと向かった。キュレルの街から離れるにつれて、建物が減っていって、秋の花々が綺麗な絨毯じゅうたんみたいになった畑や、美しく紅葉した山々が多くなる。わたしたちは、窓のカーテンを大きく開けて、一瞬ごとに流れていく、ルーラ王国の秋の情景を楽しんだ。
 馬車の旅は、わりと揺れるものなんだけど、大きな高速馬車は、本当に揺り籠みたいに快適に、わたしたちを王都まで運んでくれたんだ。
 
 スイシャク様とアマツ様は、ずっとご機嫌で、ひっきりなしにメッセージを送り合っていた。〈現世うつしよの情景なるか〉〈生身の人の子の遅きこと〉〈□□□□□□□□□の力を借りて、この緩やかさ〉〈それもまた、いじらしき営み也〉〈愛し愛し〉って。
 王都まで一瞬で飛んでしまうスイシャク様とアマツ様は、多分、わたしたちが考えるような意味で、移動をしているわけじゃないからね。今日みたいな馬車の旅は、本当にめずらしいんだろう。スイシャク様のまん丸なお尻と、アマツ様のほっそりしたお尻が、ふるふる振られている様子は、ものすごく可愛かったよ。
 
 金色と紅色に輝く野山を抜けて、巨大な王都が近づくと、たちまち建物が多くなる。今度は、キュレルの街の周りとは比較にならないくらいの数で、建物の規模もずっと大きい。王都を囲む郊外の街でさえ、キュレルの中心街に匹敵するくらい賑やかだった。
 三階建て、四階建ての高い建物も多いし、石畳の道も整備されている。日が暮れたら、等間隔に立つ街灯も明々あかあかと灯されるから、ルーラ王国の夜は、〈世界一安全〉っていわれているんだ。
 
 王都の通用門は、かなり離れたところからでも、その大きさが目に入る。千年以上、外国から攻め込まれたことのない王都は、だからこそ、防衛に力を尽くされている。三階建ての建物ほどもある高さで、煉瓦れんが造りの外壁がそびえ立ち、王都をぐるりと取り囲んでいる様子は、わたしの目から見ても圧巻だった。
 外壁の中央に開かれた、いくつかの通用門は、馬車が何台も通れるくらい大きくて、それぞれたくさんの門番さんが警備に当たっている。紺色の生地に銀色のボタン、白い縁飾りのついた制服は、王都を守る王都守備隊のものなんだ。
 
 わたしたちの高速馬車は、一般市民用の馬車門に並んで、大人しく順番を待った。いかつい熊みたいな総隊長さんや、私服姿もカッコ良いフェルトさんは、スイシャク様やアマツ様を待たせちゃって良いのか、ちょっと悩んだみたいだけど、心配はいらない。優しくて親切で寛容で、わたしの大好きな二柱ふたはしらの神霊さんは、そんな不自由さえ楽しんでくれているらしい。
 〈これなるは《順番待ち》と申すもの也〉〈人の子のすなる《順番待ち》を、我らもしてみんとてすなり〉〈誠に面白き〉って。
 
 通用門での審査は、王都でもそんなに厳しくはない。御者の人が、〈キュレルの街からの高速馬車です。貸切です〉って、簡単に説明をしてくれて、門番さんが、ささっと馬車の中を改めるだけでいいんだ。
 わたしたちの馬車には、スイシャク様とアマツ様が乗っているから、けっこう不安だったんだけど、実際はまったく大丈夫だった。馬車の扉を開けて覗き込んだ門番さんには、ご分体は見えなかったみたいで、視線も向けていなかった。
 
 門番さんは、〈うわぁ〉っていう顔でお母さんを見て、〈おおっ〉っていう感じでわたしを見て、〈……〉っていう感じでお姉ちゃんに吸い寄せられ、ちらっと残りの人たちを見てから、お母さんを見て、わたしを見て、お姉ちゃんに吸い寄せられ、お母さんを見て、わたしを見て、お姉ちゃんに吸い寄せられ、お姉ちゃんに吸い寄せられ、お姉ちゃんに吸い寄せられ……。
 フェルトさんがぶち切れる寸前に、総隊長さんが、門番さんに声をかけてくれた。正気に戻った門番さんは、慌てて馬車を通してくれたから、血の雨が降らなくて済んだけどね。この〈血の雨が降る〉って、わりとよく小説に出でくる表現だから、わたしも使ってみたかったんだ。
 
 お母さんは、ちょっとだけ暗い顔をして、お父さんにささやいた。横にいたわたしには、何とか聞き取れるくらいの小声だった。
 
「アリアナは、もう美しさが隠しきれなくなっているのかしら? 以前よりも、偽装の力が弱くなっている気がするのよ」
 
 お父さんも、眉間みけんにしわを寄せて、心配そうにささやき返した。
 
「ああ。おれも、そんな気がしていた。アリアナの神霊術は、むしろ強力になっているようなのに、偽装だけが薄くなっているのかもしれない。心配なことだ」
 
 お姉ちゃんはお姉ちゃんで、フェルトさんたちにはわからないように、こっそり印を切っていた。蜃気楼を司る神霊さんに、偽装の強化をお願いしたんだろう。
 わたしの大好きなアリアナお姉ちゃんは、〈古今無双ここんむそう〉の美少女だから、何事もなく生きていくっていうことが、本当にむずかしい。お姉ちゃんが心配で、わたしまで暗くなりそうだった。
 不安になったときには、腕の中のスイシャク様を抱っこするのが、わたしの癖になっているからね。今も、腕に力が入っちゃって、スイシャク様が、ふっすって、鼻息を漏らしてるよ……。
 
 優しいスイシャク様は、そんなわたしに怒るでもなく、すぐにメッセージを送ってくれた。〈案ずるに及ばず〉〈衣通そとおりには、衣通の役目ありせば、その妨げは除かれん〉〈衣通の邂逅かいこうは近し〉〈神具也〉って。
 〈衣通〉っていうのは、スイシャク様とアマツ様が、お姉ちゃんを呼ぶときのあだ名みたいなもので、〈衣を通しても透けて見えるくらい、光り輝いて美しい〉って、意味なんだよ。
 
 よくわからないなりにも、察するものはあったから、わたしはお父さんとお母さんの耳元で、そっとささやいた。
 
「お姉ちゃんは大丈夫だって、スイシャク様がいってくれてるよ。もうすぐ何かと出会うから、心配はないって。神具だって。神具って、何のことだろうね? ともかく、お姉ちゃんには何かのお役目があって、そのお役目を果たせるように、助けてくれるらしいよ?」
 
 自分が何をいっているのか、話しているわたしにもわからないんだから、お父さんとお母さんには、まったく意味不明だったと思う。それでも、二人の表情が明るくなって、自然に笑顔になったから、本当に良かった。
 
 そうこうするうちに、高速馬車は、大通りのお店の前に到着した。遠くに小さく、真っ白な王城が見えているから、王都でも中心街の一画なんだろう。お母さんは、にこにこと微笑みながらいった。
 
「さあ、新しいお家に行く前に、食事を済ませておきましょう。馬車は夜まで貸切だから、荷物は積んだままで大丈夫よ。個室を予約してあるの。ルルナちゃんの思い出のお店で、名物料理をいただきましょうね」
 
 やった! 〈エビール・カニーナ〉だ! わたしたちは、大喜びで馬車を降りて、途端に目を見開いた。だって、立派な三階建ての建物には、わたしたちの乗ってきた馬車くらいはありそうな、巨大な海老と蟹がくっついてたんだよ。
 わたしが、ぱかんと口を開けて見ていると、海老が立派な尻尾をぴょんぴょんと跳ねさせ、蟹が長い爪を振り上げた。あれって、人形……なんだよね?
 
 ルルナお姉さんは、明るい笑い声を立てながら、わたしたちに教えてくれた。
 
「入り口の巨大な海老と蟹の人形が、〈エビール・カニーナ〉の名物なんですよ。わたしが、両親に連れて来てもらったのは、もう二十年くらい前なのに、今でもあるんですねぇ。尻尾と爪の動きに勢いがあるから、新しくしたのかな? 懐かしくって、嬉しいですねぇ」
 
 スイシャク様とアマツ様は、またしてもツボにはまったみたいで、大きく肩を揺らしている。〈人の子の考えは、誠に不思議〉〈海を司る□□□□□□を案内あないいたそう〉〈神を笑わす人の子の面白き〉って。喜んでくれてるみたいだから、まあ、いいか。
 
 それから、わたしたちは、広々とした個室に案内してもらった。お店の中は、青い壁紙に白い床で、灯りはクラゲの形をしている。当然、お店のあっちこっちに、海老や蟹の人形が飾ってあって、そのまま海の中のイメージだった。
 珊瑚礁みたいな形の足のついた、楽しい椅子に座って、部屋の中を眺めているうちに、どんどん料理が運ばれてくる。海老の塩茹で、酒蒸し、カルパッチョ、カクテルサラダ、辛味炒め、天ぷらとフライ、ビスクスープ。蟹の蒸し物、カニコロッケ、蟹のサラダ、マリネ、焼き蟹、蟹と野菜のスープ、蟹の卵焼き、塩炒め……。
 
 名店だけあって、〈エビール・カニーナ〉の料理は、とってもおいしいんだけど、海老とか蟹とかを食べるときって、わりと無言になっちゃうよね? 特に、わたしは、スイシャク様とアマツ様のお給仕をしながらだったから、殻むきに忙しかったし。
 スイシャク様とアマツ様は、ずっと楽しそうな表情で、お料理を食べていた。ただ、お父さんのご飯のときみたいに、どんどんおかわりをしたりはしなくて、うっとりと目を細めることもなかった。〈神饌しんせんの申し子の稀有なれば〉〈の給仕あればこそ〉って、こっそりイメージが送られてきたのは、仕方のないところだと思う。
 
 皆んなで分けあって、ほぼ全部のメニューを食べ尽くし、ようやく話をする余裕ができたあたりで、控えめに口を開いたのは、フェルトさんだった。
 
「お義父さん」
「ん? 何だ、フェルト?」
「今日は、これから、新しい家に行くんですよね?」
「ああ。ほとんど準備はできているから、皆んなで泊まれるぞ」
「人手は足りますか? 何時間か、出かけてきても大丈夫ですか?」
「もちろん、大丈夫だ。フェルトだけか? アリアナと出かけてもいいぞ?」
「ありがとうございます。そうしたいのは山々なんですが、少しだけ人に会いに行きたいんです。その、マチアス閣下とオディール様に」
 
 フェルトさんってば。急にいうから、蟹の爪のフライを、テーブルに落っことしちゃったじゃないの。
 お父さんとお母さんは、じっとフェルトさんを見つめている。フェルトさんは、真剣な表情で、二人の視線を受け止めているんだけど、それって、大公家の後継問題に関係している……んだよね?