連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 2-16
わたしの大好きなお母さんに、あっさりいい負かされたカリナさんたちは、キュレルの街の通用門のところで、〈風屋〉さんを頼むと、さっさと王都に帰っていった。
使者AとBは、少し遅れて通用門に到着したんだけど、風屋さんを待っている間に合流できたから、やっぱり一緒に王都に帰っていった。
二人の表情は、雀たちの視界で見ても暗いままで、なんだか売られていく子牛みたいだった。売られていく子牛って、実際は見たことがないんだけど、つまりはそういうイメージが浮かんでくるぐらい、悲しそうだったんだ。
カリナさんたちが、クローゼ子爵家のお屋敷に着いたのは、そろそろ夕方になるくらいの時間だった。もう見なれちゃった応接間には、いつもの人たちが集まっていて、カリナさんたちの帰りを待ち構えていたらしい。
この間は姿の見えなかった、カリナさんのお兄さん、もともとはクローゼ子爵家の後継だった、〈増上慢〉の人も、不機嫌そうな顔をして、ソファに腰かけてる。額の〈増上慢〉の文字が、うっすらとひび割れし始めているように見えるのは、きっとわたしの気のせいだろう。
また〈鬼成り〉とか、本当にやめてもらいたいので、気のせいだったら気のせいだから!
カリナさんの顔を見て、最初に口を開いたのは、〈毒念〉の文字を不気味に歪ませた、前のクローゼ子爵夫人だった。
「ああ、カリナ。帰りを待っていたのよ。さぞ疲れたでしょう? 貴女につまらない用を頼んでしまって、本当にごめんなさいね。湯あみの用意はさせているから、くつろいでちょうだい。今日の晩餐にも、貴女の好みのものを出すように命じてありますからね」
「そんなことより、報告が先ですよ、母上。少し黙っていただけませんか」
「本当に相変わらず、お前には母に対する敬意はないようね、ナリス。報告など、ミランにさせればよろしいでしょう? そのために同行させたようなものなのですから」
「まあ、ミランの報告であれば、カリナよりもよっぽど正確ではありますがね。そうしますか、兄上?」
「わたしはかまわない。下がっているか、カリナ? 先ほどから、一言も口をきかないくらいだ。よほど疲れたのだろう」
「カリナを甘やかすのは、たいがいになさったらいかがですか、父上。お前もお前だ、カリナ。父上から重大な用件を任されておきながら、不機嫌な顔を晒すだけで、報告ひとつできないのなら、黙って屋敷にこもっているのだな」
「まあまあ、そんなふうにおっしゃらないでくださいよ、アレン。今回は、思いもかけない成り行きで、カリナはとても傷ついているんです。兄君なら、ここは優しく慰めてあげてくれませんか?」
「なるほど。ということは、失敗したのか。それも、いつもの減らず口さえ叩けないのだから、よほどの無様な失敗なんだろうな」
「下賤な平民の血を引く者を相手に、カリナが失敗などするはずがないでしょう。わたくしのカリナは、社交界の華と謳われた、このわたくしに生写しなのですから。妹を馬鹿にするような言葉は慎みなさい、アレン」
「はいはい。お祖母様の仰せの通りですよ。それで、ミラン。首尾はどうだったんだ? カリナの報告を待っていたら、夜が明けてしまう。お前から、経過を教えてくれ」
「わたしはかまいませんがね。そうしますか、伯父上?」
「本当に失敗したのか、カリナ? これ以上、わたしの質問を無視するつもりなら、すぐにこの場から出ていくのだな」
うわぁ。カリナさんってば、ものすごく不機嫌で、ものすごく怒ってるよ。青白い顔は、もう綺麗だとは思えないくらい、禍々(まがまが)しく歪んでいるんだ。
それに、カリナさんの胸元から生えている蛇は、クローゼ子爵家に近づくにつれて、どんどん元気になっていった。今なんて、〈野ばら亭〉にいたときの倍くらいの太さになって、部屋にいる全員に向かって、勢いよくシャーシャー威嚇しているしね。
まだらになって腐った胴体も、いよいよ腐敗が進んでいるみたいで、ちょっと骨っぽいものまで見え始めている。それなのに、元気にシャーシャーいってるから、余計に気味が悪いんだよ、蛇ってば。
カリナさんは、さすがにクローゼ子爵には反抗できないみたいで、しぶしぶ今日の結果を報告した。
フェルトさんには、まったく相手にされず、ろくに話もしないうちに追い返されたこと。クローゼ子爵家の後継になることも、カリナさんと結婚することも、完璧に拒否されたこと。その後、わたしたちを利用するつもりで〈野ばら亭〉に行って、お母さんにあっさりと負けちゃったこと……。
カリナさんは、自分のプライドを守りたいみたいで、何度も事実を曖昧にしようとしたんだけど、ニヤニヤ笑ったミランさんが、ずっと横から訂正していた。
ミランさんは、「正確にお伝えしないと、今後の判断に誤りが生じるでしょう?」なんていってたけど、単にカリナさんに恥をかかせて楽しんでいたんだろうな。額に書かれた〈嗜虐〉の文字が、笑ってるみたいにぐねぐねしてたから。
「ということは、フェルトが我らに協力する可能性は、極めて低いということか。少なくとも、数日のうちに話をまとめる、王家に返事を返すことは無理か」
「お父様ったら、そんなふうに決めつけないでくださいませ。あの愚鈍な男は、クローゼ子爵家やわたくしの価値が、理解できないだけなのです。明日にでも、もう一度出向いて説得します。わたくしが本気で説得すれば、あの程度の男、いいなりにできるはずですわ」
「お前も同じ意見か、ミラン?」
「無理ですね。今日のカリナは、なかなか上手くやっていたと思いますが、まったく相手にされませんでしたからね。余程クローゼ子爵家を恨んでいるか、婚約者を愛しているか、あるいはその両方でしょう。フェルトが気持ちを変える可能性は、まったくありませんね。少なくとも短期的には、皆無だと思いますよ、伯父上」
「大口を叩いた割には、相手にされなかったのか、カリナ。無様なことだな」
「お兄様ったら、失礼ですわ。あのフェルトという男が、見る目がないだけなのです」
「その婚約者の家の方から、フェルトを動かすことも不可能か、ミラン?」
「普通の手段では無理でしょう。あの〈野ばら亭〉の夫婦は、ただの平民とは思えないほど手強いですね。特に、母親の方は、妙に手慣れていました。可憐で美しい女でしたが、あの大店を切り盛りしているのは、女の方なんでしょう。どこを嗅ぎ回ったのか、ある程度はこちらの事情を探っているようでした。〈神去り〉のことも、知られている可能性があると思います。というか、暗に匂わせていましたからね」
「あまりにも早すぎないか、ミラン? こちらが接触したのは、昨日、使者を立ててからだぞ。一日と経たずに我らを探ることなど、田舎街の平民に可能とは思えないが」
「その通りではありますが、実際、明確に威嚇されましたからね。カリナとは、役者が違っていました。王都の有力者に、強い伝手があると考えた方が、現実的だと思いますよ、アレン」
「わたくしは、あんな女に負けてなどいないわ。失礼な口をきかないでちょうだい。貴方こそ、あの女をいやらしい目で見ていたじゃないの。二人も大きな娘のいる、年増の平民を相手に!」
「まあ、滅多にいないくらいの美女だったし、頭の出来も上等のようだし、男なら無関心ではいられないだろう? あの女の娘なら、フェルトが惚れ込むのも理解できるさ」
「確かに、ミランのいう通りだな。わたしも見てみたいものだ。その〈野ばら亭〉とやらの美人女将を」
「貴方たちは誰の味方なの、ミラン、叔父様!」
「うるさい。静かにしろ、カリナ。お前の八つ当たりに付き合う暇はないんだ。ミランの見立てが確かだとして、これからどういたしますか、父上?」
アレンさんっていう〈増上慢〉の人の質問に、部屋中の人たちが静かになって、クローゼ子爵に注目した。石の像みたいに、ひたすら沈黙を守って立っていた使者A とBも、じっとクローゼ子爵を見つめている。
近衛騎士団の幹部だっていう、〈瞋恚〉のクローゼ子爵は、しばらく目をつぶって考えてから、こういったんだ。
「フェルトの説得は諦める。もちろん、自主的に協力させるのをあきらめるということであって、我々の方針は変わらない。明日、法理院に出向いて、フェルトの養子縁組を行う。もしくは、カリナとの婚姻届を出してしまおう」
「本人の意向は無視するのですね、父上」
「そうだ。養子縁組も婚姻届も、必ずしも本人が届け出をする必要はない。我らは親族なのだから、代理人として認められる。多少強引にでも届け出てしまえば、くつがえすのは簡単ではないからな。フェルトが気づいて訴えたとしても、その間にことはすべて終わっているだろう。今回の王城の追及さえ逃れられれば、わたしたちには強い味方が現れるのだから、王家といえども手出しはしにくくなるはずだ」
おお! うちのお母さんの予測は、ぴったりと当たったみたいだ。すごいすごい。さすが、豪腕のお母さんだね!
それから、最後の方でクローゼ子爵が何をいっていたのか、わたしには意味がわからなかったんだけど、ヴェル様には、思い当たることがあるみたいだった。表情はそのままに、唇の端だけ吊り上げた微笑みは、優しいヴェル様とは思えないくらい、底冷えがするみたいに怖かったんだ。
ヴェル様は、冷たい瞳で宙をにらんだまま、静かにいった。
「さあ、チェルニちゃん。穢れたドブネズミどもが逃げ込もうとする巣穴が、ようやく見つかるかもしれませんよ。そうとなれば、今夜のうちに、こちらも用心を重ねなくては。御神霊の護りには遠く及びませんが、チェルニちゃんの騎士の一人として、わたくしも動き始めることにいたしましょう」
◆
作戦二日目の夕方、フェルトさんたちの帰りを待って、わたしたちは改めて作戦会議を開くことになった。王都から派遣されてきた人たちと、ちゃんと顔合わせをした方がいいだろうって、ヴェル様が勧めてくれたんだ。
うちの家の応接間で始まった、作戦会議に参加したのは、実はけっこうな大人数だった。お父さんとお母さん、わたしとヴェル様、フェルトさんとアリオンお兄ちゃん、総隊長さんと三人の男の人。そして、わたしが会ったことのない男の人がもう三人、〈野ばら亭〉の制服を着て参加していたんだ。
総隊長さんが連れてきた三人は、予想していた通り、王国騎士団の騎士さんたちだった。二十代くらいの人が一人と、三十代くらいの人が二人。どの人もしっかりとした体格で、見るからに有能そうだった。
騎士さんたちは、応接間に入ってきた途端、目を見開いて硬直した。その視線をたどっていくと……やっぱり、スイシャク様とアマツ様の存在に驚いたみたい。まあ、そうなるだろうな、普通は。
そのときのスイシャク様はというと、もう完全に定位置になっているわたしの膝の上に、ふくふくの可愛いお尻を預けて、先端だけ薄茶色の羽根をちょこっと広げていた。ふっすふっすと鼻息が荒かったから、スイシャク様なりに歓迎の挨拶をしてくれたんだろう。
一方のアマツ様は、相変わらず大きくなったままで、わたしの肩にとまっていた。朱色の鱗粉をパチパチさせているのも、アマツ様のご挨拶だったみたいで、わたしのピンクブロンドの髪が、照り返しでうっすらと朱く染まるくらいの勢いだった。
スイシャク様もアマツ様も、神霊さんの御分体としての神威は、ものすごく抑えてくれているんだけど、ただの鳥じゃないことくらい、王国騎士団の精鋭っていわれる人たちなら、すぐにわかったんだろう。もしかすると、ネイラ様から、何か聞いていたのかもしれないしね。
三人の騎士さんは、しばらく硬直していたかと思ったら、急に姿勢を正して、スイシャク様とアマツ様の前にひざまずいた。角度によっては、わたしに跪いているみたいに見えるのが、すごくつらい。わたしは台座、わたしは台座……。
「いとも尊き御神々に、拝謁の栄を賜りましたこと、身に余る誉れにございます。我らが騎士団の長、ルーラ王国の柱石たる御方の命により、御神々に連なる御令嬢を御護り致すべく、かく参上仕りました。我らには過ぎたる重責ではございますが、身命を賭して務めさせていただきたく、御願い奉ります」
一番年長らしい男の人が、代表してご挨拶をしてくれて、スイシャク様とアマツ様も、上機嫌に応えていた。〈この者たちは見知り故、安堵するが良かろう〉〈神威の覡の使いなれば、間違いはあるまい〉〈許す故、励めと伝えよ〉って。
スイシャク様とアマツ様のいうことがわかるのは、この場ではわたしだけだから、自分よりずっと年長の立派な騎士さんを相手に、わたしが答えるしかないんだよ。わたしは通訳、わたしは通訳……。
「ご丁寧なご挨拶を、どうもありがとうございます。スイシャク様とアマツ様のお返事を、お伝えしてもいいですか?」
助けてくれるはずのヴェル様は、楽しそうに微笑んでいるだけだったので、わたしは思い切って、一番年長らしい騎士さんに話しかけた。騎士さんは、ちょっと驚いた顔をしてわたしを見たんだけど、すぐに優しく笑ってくれたんだ。
「もちろんですとも、お嬢様。どうかよろしくお願い申し上げます」
「アマツ様は、皆さんのことはご存知で、安心して頼らせていただける方々だとおっしゃってます。スイシャク様も、ネイラ様が選ばれた方々に間違いはないから、頑張ってくださいって、喜んでおられます」
「ありがとうございます、お嬢様。重ね重ね、身に余る栄誉にございます。お嬢様とご家族様は、われらの命に代えてもお守りいたしますので、ご安心くださいませ」
「あの、わたしは、チェルニ・カペラ、十四歳です。ただの平民の少女なので、そんなにご丁寧にしていただくと、どうしていいのかわからなくなっちゃいます。こちらこそ、面倒なことに巻き込んでしまって、申し訳ありません。ありがとうございます」
スイシャク様とアマツ様がどいてくれないので、わたしは椅子に座ったままだったんだけど、精一杯の気持ちを込めて、騎士さんたちに頭を下げた。いくらネイラ様の命令とはいえ、王国騎士団の騎士さんたちが、わたしたちのために力を貸してくれていることは、確かだったからね。
騎士さんたちは、〈とんでもない〉とか〈これはまた〉とか、ごにょごにょとつぶやいてから、皆んなでヴェル様の方を振り向いた。そして、わたしにははっきりと聞こえないくらいの小声で、こそこそと話し始めたんだ。
「まったくもって、安心いたしました、オルソン子爵閣下。先が長そうなのは、致し方ございますまい」
「連隊長のおっしゃる通りです。実は、少しばかり団長の正気を疑っていたんですが、取り越し苦労でした。いや、良かった」
「我が王国が、ある意味で危機に晒されたのかと、肝が冷えておりました。これで納得がいきました」
「さすが、ルーラ王国の英雄たる団長です。〈覡〉のなさることに、やはり間違いはありませんな」
「そうでしょうとも。われらの方も、胸をなでおろしているところです。まあ、先は長いので、別の心配はありますが」
「チュンチュン、きゅるきゅるって、本当なんですね。閣下のおっしゃる通り、誠に可愛いらしいですね」
「閣下の部署でも、少々は動かれるのでしょう?」
「当然です。少々どころか、総力を傾けますよ」
「それは頼もしい。よろしくお願い申し上げます」
何を話しているのかわからなくて、思わずお父さんたちを見ると、お母さんはにやにや、アリオンお兄ちゃんはにこにこと微笑んでいた。
わたしの大好きなお父さんは、今日も髪の毛をかきむしって、むずかしい顔でうなっている。隣にいる総隊長さんが、肩を叩いて慰めているみたいなんだけど、本当にどうしちゃったんだろうね、お父さん。
それから、最後に応接室に入ってきたのは、〈野ばら亭〉の制服を着た、三人の男の人たちだった。この人たちは、やっぱりヴェル様の部下で、王国騎士団とは別に、私たちの手助けをしにきてくれたんだって。
でも、この部下さんたちは、なんとなく雰囲気が独特な気がする。もちろん、悪い意味じゃなくて、本当に独特な感じ。普通に生活して、普通に生きているっていう気配が、あんまりしないんだ。
今も、応接間に入ってきた瞬間から、流れるような動作で膝をつき、そのままスイシャク様とアマツ様に平伏しているしね。
部下さんのうちのひとりで、カリナさんがきたときに、お父さんの後ろに立って守っていてくれた人が、ゆっくりとした抑揚をつけて、わたしが聞いてもわかるくらい、本格的な祝詞をあげはじめた。
「掛けまくも畏き御神々 現世を救い給し和魂 いとも尊き御二柱 我ら御神々の僕にて 御神命の定め給いし道程に 拝跪の誓いを奉らん 浅学非才の身命賭して 衆生のために尽くさせ給へと 畏み畏み物申す」
(かけまくもかしこきおんかみがみ うつしよをすくいたまいしにぎみたま いともとおときおんふたはしら われらおんかみがみのしもべにて ごしんめいのさだめたまいしどうていに はいきのちかいをたてまつらん せんがくひさいのしんみょうとして しゅじょうのためにつくさせたまへと かしこみかしこみまもうす)
うん。わかっちゃったよ、わたし。この部下さんたちって、神霊さんに仕える仕事をしているんじゃないかな。普通の人にしては、神霊さんに対する言動が、身に備わりすぎているんだもん。
ネイラ様は、何百年に一度しか現れない〈神威の覡〉で、ヴェル様は、そのネイラ様の執事さんなんだから、当たり前といえば、当たり前かもしれないけど。
王国騎士団の精鋭、神霊さんに仕えるご神職、王国騎士団長の執事を務める子爵様、キュレルの街の守備隊総隊長、同じく分隊長。そして、わたしたち家族と紅白の鳥の姿を取った神霊さんのご分体……。
わたしの家って、いつの間に、こんなにすごい人たちが集まる場所になっちゃったんだろう? わたし、チェルニ・カペラは、十四歳にして、思わず遠い目をしたんだよ……。