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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 2-22

 クローゼ子爵の指示で、悪い人たちのところへ訪ねて行った使者AとB。わたしたちを拐ったり、殺したりする相談をしてきたはずの二人は、帰りの馬車の中で、クローゼ子爵のいいなりにはならないって、固く誓い合っていた。
 
「わたしも、おまえと同じ気持ちだよ、ギョーム。わが家は、祖父の代から、先代のクローゼ子爵閣下にお世話になっていたから、今もクローゼ子爵家に仕えている。それだけだ。自分が選んだわけでも、認めたわけでもない主君のために、善良な人々を殺す手伝いをすることなど、できるものか」
「わたしは、ロマン様のような善人ではないので、ルルナがいなかったら、嫌々流されていたかもしれませんけどね」
「いや、そんなことはないさ。ギョーム・ド・パルセという男は、傲慢で生意気で、人を人とも思わなくて、いつも失礼な態度で、権力者には媚びて、あまり頭が良さそうにも見えないが、実際はそうじゃない。おまえは、本当は優しい奴だし、見た目よりも遥かに聡明だ。罪なき者の殺害になど、決して手を貸さない、誇り高い男だよ」
「……。それって、めていただいてるんですかね、ロマン様?」
「もちろんだ、ギョーム。わたしは、おまえを信じている」
「まあ、いいでしょう。それで、どういたします? わたしたちが殺されるのは仕方がないとして、うまく立ち回らないと、助けるものも助けられませんからね」
「わたしたちの力だけでは、むずかしいだろう。巻き込むしかないぞ、閣下を」
「先代の、いや、復帰なされたので今代ですか。今代のクローゼ子爵閣下のことですか」
「そうだ。王都の片隅に部屋を借りて、世捨て人のように引きこもっておられる。あの奥方では無理もないが、現実から逃げ回るのも、大概にしていただこう」
「わたしは、数回しかお目にかかっておりませんので、確かなことはわかりませんが、頼りになる方なのですか?」
「なるものか。いや、元々は、近衛でも並ぶ者がいないとうたわれた程、強い騎士だったし、人格者でもあられた。それが、奥方やお子たちに迫害され続けて、嫌気が差してしまわれたんだ。フェルト殿の父上である、クルト様が亡くなってからは、屋敷にもお帰りにならない。クルト様は、唯一、閣下に懐いておられるお子様だったからな」
「そうであれば、勝手に巻き込ませていただきましょう。どの道、今のクローゼ子爵閣下なのですから、無関係では通りませんよ。ルルナの安全のために、どんどん利用する方向でいきましょう。それがいいです」
「……。おまえは、そういう奴だよな。優しいとか誇り高いとか、いいすぎだったかもしれんな」
「あ、もう屋敷だ。防音の神霊術を解除してくださいよ、ロマン様。この先は、何とか隙を見て話を詰めましょう」
 
 うん。使者Bは、やっぱり使者Bだったね。ルルナお姉さんのためなら、死んでもいいって宣言したときには、思わず感動して、わたしもちょっと泣いちゃったんだけど、早まったかもしれないよ……‥。
 
 ともあれ、クローゼ子爵側の動きはわかったし、使者AとBの気持ちもわかった。スイシャク様の雀たちってば、本当にびっくりするくらい優秀。ヴェル様も、〈情報戦のあり方が根底から変わる〉って、唸っていたからね。
 
 使者AとBの会話を聞いたヴェル様は、すぐに一通の手紙を書くと、〈野ばら亭〉にいる部下の人を呼び出した。風の神霊術を使って、守備隊の本部にいる王国騎士団の騎士さんに、手紙を届けるようにって。
 興味津々の顔をして、成り行きを見ていたわたしに、ヴェル様が教えてくれた。先代のクローゼ子爵が、どこで何をしているのか、情報収集を頼んだんだって。すぐにわかるから、少し待っていようって、片目をつむったヴェル様は、本当にカッコ良かったよ。
 
 どうせ待つのなら、時間を有意義に使いたいから、わたしは、さっきからずっと疑問に思っていたことを、質問することにした。
 
「はい! はい!」
「はい、どうぞ。何ですか、チェルニちゃん?」
「使者Aのいっていた、先代のクローゼ子爵のこと、ヴェル様は知っていますか? 今まで、まったく出てこなかったので、変だなって思っていたんです」
「そうですね。それなりに知っています。というか、中々の有名人なのですよ、父親の方のクローゼ子爵は。話題のひとつは、近衛騎士としての華々しい活躍と、突出した実力。もうひとつは、それなりに悲惨な婚姻関係です。チェルニちゃんに、お聞かせしたい話でもありませんが、先代の名前が出た以上、知っていた方がいいでしょうね」
 
 ヴェル様は、ちょっと悲しそうな顔をして、先代のクローゼ子爵の話をしてくれた。お父さんが、秋りんごのタルトをおやつに出しくれるまで、ずっと続いていたくらい、長い長い話だった。
 
 先代のクローゼ子爵は、元々は騎士爵の家に生まれた、三男だったんだって。騎士爵っていうのは、優れた騎士だって認められた人に贈られる、一代限りの爵位のことだから、その家の三男だったクローゼ子爵は、最初から平民になることが決まっていた。クローゼ子爵が、貴族であり続けるためには、自分の実力で騎士爵になるしかなかったんだ。
 
 ヴェル様によると、先代のクローゼ子爵は、それはもう、〈騎士になるために生まれてきたような男〉だったらしい。強くて立派な身体を持っていて、剣の才能があって、すごい神霊術の使い手で、頭も良くて、高潔な魂を持った人。
 ヴェル様が、そこまで絶賛するんだから、先代のクローゼ子爵は、本当に立派な、騎士らしい騎士だったんだろうな。
 
 ちなみに、ルーラ王国には、二つの騎士団があるんだ。国王陛下と王族を護衛し、王城を守るのが近衛騎士団。王都の治安を維持し、王国の〈盾と剣〉として戦うのが王国騎士団。実際には、嫡男じゃない貴族家の子が近衛騎士団に入り、腕に覚えのある人が王国騎士団を目指すことが多いんだって。
 
「我が主のように、高位貴族の嫡男でありながら、王国騎士団に籍を置くのは、比較的めずらしいのですよ、チェルニちゃん。逆に、先代のクローゼ子爵、混乱するのでお名前でマチアス殿と呼びますが、マチアス殿のように騎士爵の家であれば、王国騎士団に入るのが順当なのです。我が主は、〈覡〉として王国全体を守護するという意味で、王国騎士団長となられました。マチアス殿は、下級貴族でありながら見目麗しく、神霊術の使い手でもありましたので、何人かの王族方われて、近衛騎士となったのです」
 
 近衛騎士になったマチアスさんは、すごく活躍した。王妃様の食事に入れられていた毒に気づいたり、暴れ馬から王弟殿下を守ったり、溺れている王子様を助けたり。まるで物語みたいな実績を積み重ね、あっという間に騎士爵になって、近衛騎士団の中で出世していったらしい。
 王族ともあろう者が、そんなに危ない目にばっかり遭うなんて、本当はかなりおかしい。よっぽど不注意なのか、作為的なのか、何なんだろう? ルーラ王国は、平和な国のはずなのにね。
 わたしが、ちょっと疑いながら話を聞いていたのは、ヴェル様には悟られていたと思う。純真無垢なわりに、現実的なところもある少女なのだ、わたしは。
 
 とはいえ、ここまでなら、とっても素敵な出世物語なんだけど、マチアスさんに好きな人ができたあたりから、次々と不幸が訪れるらしい。
 
「マチアス殿は、それはそれは、女性に人気がありました。美青年の近衛騎士で、優秀な人材で、騎士爵にもなったのですから、当然でしょうな。そんなマチアス殿が、密かに心を通わせたのが、王弟殿下の姫君でした。美しく優しい姫君と、高潔な近衛騎士は、物語の主人公のようで、わたくしの目で見てもお似合いでした。身分の差だけであれば、何とか乗り越えられたかもしれません。我が国は、神霊至上主義の王国であり、他国よりはずっと、人の定めた身分差に寛容ですから。しかし、姫君は、すでに他国の王族と、婚約しておられたのです」
 
 そりゃあ、好きな人ができたから、婚約を破棄してくださいなんて、簡単にいえるはずがないな。十四歳の少女が考えても、国際問題だよ。お姫様は、マチアスさんと結婚したいって、何度も何度も、王弟殿下や国王陛下にお願いしたらしいんだけど、それが認められることはなかったんだって。
 
「婚約の相手が、ヨアニヤ王国の王族でなければ、一縷いちるの望みはありました。表面上は、仮病でも使って婚約を破棄し、内々に謝罪して、賠償を願い出ればよかったのです。十年程の間、闘病と称して身を謹んでいれば、その後ひっそりと結婚することはできたかもしれません。けれども、ヨアニヤ王国には、そうした交渉を持ちかけることは不可能だったのです」
 
 ヴェル様は、そういって、不愉快そうに眉をひそめた。そして、静かにヴェル様の話を聞いていた、スイシャク様とアマツ様が、同時に反応したんだ。
 スイシャク様は、ふすっふすっ、ふふふっすふふふっすって、すごい勢いで鼻息を吐いたかと思うと、わたしの腕の中でぶわっと膨らんだ。これは、あれだ。嬉しいときの膨らみ方じゃなくて、怒っちゃってるんだと思う。
 アマツ様はアマツ様で、朱色の鱗粉を撒き散らしながら、わたしの肩口で燃え上がった。比喩ではなく、本当に赤い炎をまとって燃え上がったんだ。わたし自身は、別に熱くも怖くもないんだけど、燃え上がる鳥が肩にとまっているのって、中々に刺激的な光景ではないだろうか。
 
 優しいご分体に、ここまでの反応をさせるなんて、ヨアニヤ王国って、いったい何をやったのさ?
 
     ◆
 
 スイシャク様とアマツ様が、ヨアニヤ王国の名前に反応したのを見て、ヴェル様は冷たい目をして微笑みながら、こういった。
 
「尊き御二柱おんふたはしらにおかれましても、お怒りであられるようですね。ヨアニヤ王国は、御神霊の存在を認めず、その恩寵おんちょうたる神霊術を、〈怪しい異端の術〉だと罵倒する、魔術至上主義の国なのです」
「そんなこと、学校で教わりませんでしたよ、ヴェル様?」
「一応、国交もありますし、ヨアニヤ王国の側も、外交の場で批判してくるほど、愚かではありませんからね。表面上は〈距離的に遠く、疎遠な国〉として、極力かかわらないようにしているだけなのです」
「でも、お姫様は、ヨアニヤ王国の王族と婚約していたんですね?」
「当時のヨアニヤ国王は、外交に積極的で、我が国とも関係の改善を図ろうとしていたのです。姫君の婚姻は、そのための布石でしたから、好きな男ができたからといって、破棄などできるはずがなかったのです」
 
 ヴェル様によると、マチアスさんのことを諦めきれなかったお姫様は、マチアスさんに向かって、駆け落ちするように迫ったんだって。
 正しい近衛騎士だったマチアスさんは、国を裏切るような真似はできないっていって、この申し出を断った。それでも、お姫様は諦めてくれない。困ったマチアスさんは、どうしようもなくって、当時の近衛騎士団長に相談した。その結果がどうなるかなんて、わかっていたと思うけど。
 
「当時の近衛騎士団長は、内々に王弟殿下と姫君を訪ね、厳しい態度で説得しました。マチアス殿のことを諦め、姫君がヨアニヤ王国に嫁がないのであれば、国家反逆罪として告発する、と。実際、近衛騎士団長の判断は、正しいものだったと思います。当時のルーラ王国には、〈神威の覡〉は御坐おわしませず、ヨアニヤ王国と戦にでもなれば、恐らく勝てはしませんでした」
 
 そして、お姫様の婚約そのものが、ヨアニヤ王国の陰謀だった可能性もあるって、ヴェル様はいった。ルーラ王国の王家は、他の国に王族を出すことを嫌うから、わざと断らせて、開戦の口実を作りたかったのかもしれないんだって。
 それがわかっていて、お姫様の心を優先させるなんて、やっぱりできないだろうね。お姫様以外のすべての人は、きっと諦めるのが正しいことだっていうだろう。
 
 昨日、ヴェル様が使ってくれた御神鏡の神霊術で、たくさんの〈虜囚の鏡〉を見たときにも思ったけど、平和で、善良で、美しいばかりのルーラ王国にだって、暗い歴史もあれば、不穏な陰謀や理不尽な運命もあるんだね。
 そういう事実を知っていくのが、大人になるっていうことなんだったら、わたしはちょっと悲しい。だからといって、幼い少女のままでいたいとは、少しも思わないんだけど。
 
 結局、お姫様のお父さんである王弟殿下は、近衛騎士団長と相談して、お姫様を諦めさせるために、強引な手を使うことにした。その足で国王陛下のところへ行って、近衛騎士団長の令嬢とマチアスさんを、正式に結婚させてしまったんだって。
 
「マチアス殿と姫君の関係は、ほとんどの貴族の知るところでした。そんな中、その日のうちに婚姻することに同意する家など、あるはずがありません。近衛騎士団長は、それを承知の上で、一人娘を嫁がせ、マチアス殿を後継あとつぎとしました。その近衛騎士団長こそ、先先代のクローゼ子爵であり、マチアス殿の妻となったのは、当時は社交界の花と呼ばれていた、エリナ・セル・クローゼでした」
 
 ここまできて、ようやく話がつながった。先代のクローゼ子爵夫人だったエリナさんって、あの〈毒念〉の人だよね? お姫様と引き離されて、〈毒念〉の人と強引に結婚させられたのか、マチアスさん……。
 
 さすがに心の折れたお姫様は、ヨアニヤ王国にお嫁に行き、マチアスさんは次の近衛騎士団長になり、クローゼ子爵にもなった。すごい出世ではあるんだけど、相手は〈毒念〉のエリナさんだからね。マチアスさんの家庭生活は最悪で、三人の子供たちも、誰が父親かわからないっていわれているんだって。
 このあたりの話は、なんだか簡単で適当だった。ヴェル様ってば、わたしには不純なことを聞かせたくないから、いろいろと省略していたみたいだけど、それはまあ、いいだろう。
 
 長い時間をかけて、ようやくヴェル様の話が終わったところで、わたしの大好きなお父さんが、おやつに秋りんごのタルトを出してくれた。お父さんのりんごのタルトは、カスタードクリームやアーモンドクリームを使わず、飴色に煮た半透明のりんごだけを、ぎっちぎちに並べて焼き上げている。
 素朴といえば素朴なんだけど、表面のカリカリしたキャラメルがおいしくて、濃い紅茶と一緒に食べると、しみじみ秋だなぁって思うんだ。
 
 甘いものは好きじゃないっていうヴェル様も、おいしいおいしいって、二切れも食べてくれた。スイシャク様もアマツ様も、ものすごく気に入ったみたいで、やっぱり二切れずつ食べてくれた。
 そして、わたしたちが、最後の一口を堪能しているとき、王国騎士団から守備隊に来てくれた騎士さんの一人で、自己紹介のときにリオネルさんって名乗った、ネイラ様と同じくらいの歳の男の人が、応接間に入ってきたんだ。
 
「ああ、戻ってきてくれたのですか、リオネル殿。何かわかりましたか?」
「はい。閣下からお手紙をいただいてから、すぐに〈黒夜〉に依頼し、情報を収集いたしました。ご質問もあろうから、神霊術を使わず、お目にかかってご報告するようにと、マルティノ大隊長から指示されております」
「さすが、マルティノ殿。誠に行き届いたご配慮です。それで、マチアス殿は、今、どこにいるのですか?」
「前近衛騎士団長閣下は、王都の下町に下宿しておられましたが、昨日、そこを引き払いました。クローゼ子爵に復位ふくいすることは、国王陛下のご命令でございますので、引きこもってもいられなかったのでございましょう。昨夜からは、王城に近い宿に宿泊なさっておられます。宿泊予約は明朝までですので、明日、クローゼ子爵家の屋敷にお帰りになるだろうというのが、〈黒夜〉の見立てでございます」
「誰かと接触した形跡はありますか?」
「ございません。と、申しましても、クローゼ子爵への復位を命じられ、〈黒夜〉が監視を始めてからのことですが」
「マチアス殿は、神去りにはなっていないのですね」
「はい。現在も、問題なく神霊術をお使いになっているそうです」
 
 ヴェル様とリオネルさんは、そのまま何かを話し合っていたんだけど、わたしは別のことで頭がいっぱいになった。今までずっと出てこなくて、不思議に思っていた前クローゼ子爵のマチアスさんが、いよいよ登場するんだよ?
 明日、マチアスさんがクローゼ子爵家のお屋敷に帰るのなら、使者AとBにとって、とっても好都合なんじゃないの?
 そして、何よりも。お姫様と結ばれることができなくて、不幸な結婚をするしかなかったマチアスさんは、クローゼ子爵たちの計画を知ったとき、どう動くんだろう?
 
 正しい心を持っていたマチアスさんが、今でも正しい人でいてくれたらいいのに。積み重なった不運に負けず、もう一度、立ち上がってくれたらいいのに。スイシャク様の柔らかい身体を抱っこしながら、わたしは、強く強く、そう願っていたんだよ……。