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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 2-34

 それからは、何もかもが急だった。まるで激流に流されるみたいな勢いで、すべての物事が激しく動いていったんだよ。
 
 まず、オルトさんたちの話を聞いた大公は、執事っぽい男の人に命令して、大公騎士団を動かした。ヴェル様の解説によると、ルーラ王国の大公家は、近衛騎士団の代わりに、大公直属の騎士団を持つことを許されているんだって。 
 ドーラっていう名前の、執事っぽい男の人の手配で、すぐに大公の執務室にやって来たのは、二人の騎士だった。そのうちの一人は、フェルトさんを誘拐しようとして失敗したことを、オルトさんに教えた男の人。もう一人は、見るからに威張いばった感じの、年配の男の人だった。
 大公は、冷たい無表情のまま、年配の男の人に話しかけた。
 
「来たか、団長。事情は聞いているな?」
「はい。報告は受けております。愚息がお役目を果たせず、誠に申し訳ございませんでした、大公閣下」  
 
 団長って呼ばれた男の人が、そういって頭を下げると、誘拐犯の方の男の人も、一緒に頭を下げた。クローゼ子爵家に派遣され、フェルトさんを拘束しようとしていた騎士って、大公騎士団の団長の息子だったのか!
 
「申し訳ないと思うのなら、新しい任務を果たせ」
「何なりとご命令くださいませ、大公閣下。わたくし自身が、ことに当たらせていただきます。二度と失敗はいたしません」
「その言葉を違えるなよ。ドーラ」
「はい、閣下」
「差配をせよ」
御意御意にございます、閣下。詳細は、歩きながら説明しますので、ついて来てください、団長。今夜中に始末をつけなくてはならないのです」
「承知した、ドーラ殿」
「では、行け。決して抜かるなよ」
 
 ドーラさんたちは、そのまま執務室を出ていった。大公は、うるさい虫でも追い払うみたいに手を振って、残ったオルトさんたちを追い出しにかかった。
 
「お前たちは、応接間にでも行って、待機していろ。ほどなくマチアスが来る。そのときは同席を許す」
かしこまりました、閣下。わが屋敷におりましても、宰相の手の者に捕縛されないとわかるまで、こちらに滞在させていただいてよろしいのでしょうか?」 
「仕方あるまいが、そなたたちを本邸に寝泊りさせては、うるさい者もいる。別邸に用意を整えさせるので、そちらに行け。わが敷地内である以上、別邸であっても、宰相が手出しすることはできないからな」
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
「ところで、エレナやカリナはどうした?」
「買い物に出ていたので、置いてきました。あれらは何も知りませんし、宰相も手荒な真似はしないと思いまして」
「よかろう。エレナの狂乱きょうらんにも、カリナの甘えにも、飽き飽きしていたのだ。放っておけば良い。若いときの容姿だけで、しつこい女に手を出すと、ろくなことがないものだな。もういい。行け」
 
 オルトさんは、何となく不満そうだった。まあ、自分たちの母親が〈しつこい女〉っていわれたんだから、気分が悪いんだろう。わたしにいわせれば、さっさと置き去りにしてきたオルトさんたちも、似たようなものだと思うけど。
 
 しばらくすると、大公騎士団が動き出した。スイシャク様の雀が、夕闇の中で見せてくれたのは、目立たない平服姿の男の人たちが、一人二人とばらばらになって、大公のお屋敷を次々に出ていく姿だった。
 わたしと一緒に、その動きを見ていたヴェル様は、綺麗なアイスブルーの瞳を凍らせ、冷たい笑顔を浮かべながらいった。
 
「何かと専横せんおうの目立つ大公騎士団も、今回は人目を忍ぶつもりのようですね。忍べるかどうかは別にして」
「はい! はい!」
「何でしょう、チェルニちゃん?」
「あの人たち、大公騎士団を四十人も動かすって、いってましたよね? ばらばらに移動するにしても、そんな人数の騎馬が動いたら、王都やキュレルの街の門で、止められるんじゃないですか?」
「とても思慮深い質問ですね、チェルニちゃん。普通はその通りですよ。しかし、大公騎士団の騎士たちは、〈詮議御免せんぎごめん〉の特別な通行証を持っているので、とがめられないのです。大公という地位は、ルーラ王国では正式な王族には入りませんが、王位継承権は持っていますし、いろいろな特権もあるのです」
 
 なるほど。だから、強引な襲撃計画を立てちゃうわけか。悪い人に権力を持たせると、ろくなことにならないっていう見本だね。わたしの大好きな〈騎士と執事の物語〉でも、〈愚者の持つ権力など、厄災に他ならぬ〉って、主人公の騎士が怒ってたし。
 
 大公騎士団が出ていく頃、わたしの視界はくるりと変わって、もう一度、大公の執務室に移動した。ちょうど、ドーラさんが戻ってきて、大公に報告するところだった。
 
「先ほど、大公騎士団の四十名が出発いたしました。王都の門を出てから、風の神霊術で先を急ぎ、月が出る頃には、目的地に到着する予定でございます」
「騎士たちには、何といい含めたのだ?」
「わたくしからは、〈キュレルの街の守備隊には、大公家に害をなした賊を引き渡すように伝え、連れ出した者たちは、人目のないところで消せ。フェルトは、証人の名目で連行し、やはり消せ〉と。炎の神霊術を使えるものが複数おりますので、死体は燃やさせます。大公閣下の徽章きしょうを持たせ、大公騎士団の身分を保障いたしましたので、守備隊には逆らう権限はございません」
「よかろう。姉上の方は?」
「念のため、急ぎこちらにお越しいただくよう、風の神霊術で使いを出しました。オディール様の執事は、こちらが派遣した者ですので、即座にお連れするものと存じます」
「姉上の屋敷に、風の神霊術を使える者はいたか?」
「おります。執事がなかなかに術を使いますので、早々に到着いたしますでしょう」
「後は、マチアスか。わたしが出かけるまでに、終わらせておきたい」
「しかし、閣下。この度のことは、あまりにも人目につき過ぎておりますし、証拠も存在しております。宰相を黙らせるのは、いかに大公閣下でも、容易ではございますまい。かなりの詮議があるやもしれません」
「……。王城に手紙を届けよ。晩餐会の後、陛下に時間をいただきたい、と。念のために、根回しをしておこう」
「御意にございます」
「それから、状況が改善されなければ、早々にオルトたちを国外に出す。あれらも覚悟はしておろう。念のために、準備はさせておけ」
 
 そういって、大公は着替えをするために、執務室を出ていった。マチアスさんが来たら、〈すぐに呼べ〉っていって。
 少女の教育に熱心なスイシャク様は、わたしに大公の着替えを見せたりはしないで、その合間にくるりくるり、いくつかの情景を映してくれた。
 
 まず最初に、マチアスさんと使者AB。それぞれ馬に乗って、王城に向かって進んでいた三人は、遠目に純白のお城が見えてきたあたりで、風の神霊さんが運んできた手紙を受け取った。
 素早く封を切って、中を読んだマチアスさんは、何だか悪い顔で微笑んでから、馬を反転させた。
 
「大公の屋敷に行く。オディール様を殺されたくなければ、証拠を持ったまま来るようにと、命令されたのでな」
「想定内ですな、閣下。というか、想定した出方のうち、もっとも好都合な展開ではありませんか?」
「ああ。予定より早く終わりそうで助かるな。宰相閣下と〈読み合い〉をして、大公ごときが勝てるものか」
「これが終わったら、近日中に〈野ばら亭〉に行きましょうよ。閣下もご一緒に。ルルナの顔を見ながら、あの店で食事をするんです。冷たいエールを飲みながら。アイギス王国でいうところの、天国というやつですな。あいつらは、地獄行きですが。くくくっ」
「妙な笑い方をするな。相変わらず自由だな、ギョーム。まだ、何も終わっていないんだから、気を引き締めてくれよ」
「わかってますよ、ロマン様。わたしたちも処刑されるかもしれないんだから、今くらい、夢を見させてくださいよ。わたしは、こう見えてもできる男なので、大丈夫ですって」
 
 マチアスさんは、使者AとBの話に笑いながら、素早く印を切って、手に持っていた手紙を飛ばした。はっきりと詠唱は聞こえなかったけど、水色の光球が旋回していたから、風の神霊術だと思う。マチアスさんってば、風の神霊術も使えるんだね。
 マチアスさんの飛ばした手紙は、薄っすらとした水色の光の尾を引いて、勢い良く飛び去った。向かった方角は、純白の巨大な白鳥城。宰相閣下がいるはずの、ルーラ王国の王城だったんだ。
 
 次に、わたしの目に映ったのは、大公騎士団の人たちが、王都の城門に向かって、馬を飛ばしているところだと思う。速度は抑えているんだけど、何十人も列になって、街中を疾走しているんだから、すごく目立っていた。
 極秘任務とかいってたわりには、全然隠せていないのが、ちょっと恥ずかしい。十四歳の少女にそう思わせる作戦って、どうなんだろうね? 神霊さんの助けがなかったら、そんな無茶が通る可能性だってあるんだから、本当に怖いわ、権力。
 
 そして、三つ目は、一台の豪華な箱馬車が、夜の馬車道を疾走している情景だった。きらきらした水色の光球をまとわせて、馬車はどんどん進んでいく。扉についている紋章を見て、ヴェル様が〈大公家のものです〉って教えてくれたから、そういうことなんだろう。
 もしかして、もしかして。あの馬車の中には、気の毒なお姫様が乗っているのかもしれないの?
 
     ◆
 
 風みたいに疾走していた箱馬車は、あっという間に、王都の通用門に着いた。大公家の紋章が、通行証の代わりになったんだろう。速度をゆるめただけで、門番さんに止められることもないまま、王都の中に入ってきたんだ。
 
「はい! はい!」
「何なりとお聞きください、チェルニちゃん」
「あの馬車の中には、オディール様が乗っているんだと思いますか? 王弟殿下のお姫様って、ルーラ王国に戻っていたんですか?」
 
 わたしが尋ねると、ヴェル様は、何ともいえない顔で微笑んだ。悲しんでいるみたいで、怒っているみたいで、喜んでいるみたいで、切なそうでもある顔だった。
 
「ええ。戻っておられますよ。十六歳になった年に、ヨアニヤ王国の王弟殿下に嫁がれたオディール姫は、八年後に夫を亡くされ、喪が明けると同時にルーラ王国に帰国されました。再嫁さいかのお話は、随分と多かったそうですが、病弱で子を産めないからと仰せになり、ご実家の別邸に引きこもってしまわれました。王家が主催する席にも、いっさい参加なされず、やがて姫君の存在そのものが忘れられていきました」
「それって、もしかして、マチアスさんのためでしょうか?」
「姫君のお心はわかりませんが、恐らくはそうなのでしょう。お美しい方だそうですし、王弟殿下の姫君です。亡くなられたご夫君も病弱で、お子もおられませんでしたので、お顔をお見せになれば、縁談をお断りになれなかったかもしれませんからね」
 
 ヴェル様の話を聞いているだけで、わたしは泣きそうになっちゃった。国の約束のために、大好きな人と引き離されて、結婚した相手にも死なれて、マチアスさんは誓文せいもんに縛られた結婚をしていて……。
 わたしが、お姫様の立場だったら、本当に病気になったかもしれない。マチアスさんをだまして、何十年も二人を引き裂いた大公は、何て罪深いんだろう。死後、〈虜囚の鏡〉に囚われて、罰を受けるっていわれても、わたしたち人の子に大切なのは、〈今〉じゃないの?
 
 すっごく腹が立って、スイシャク様とアマツ様を、無意識にぎゅーぎゅー抱きしめていたら、優しくなだめるみたいなイメージが送られてきた。〈人の子は強きもの也〉〈誓文の抜け道すらも見つけ出す〉〈流るる日々こそ愛おしき〉って。
 ヴェル様も、何だかいたずらっ子みたいな顔をして、笑いかけてくれた。そして、〈優しいお嬢様が泣かないように、種明かしがありますから、もう少し見ていてくださいね〉って、いってくれたんだ。
 
 くるりと視界が変わると、大公のお屋敷の応接室らしい部屋が見えた。足首まで埋まりそうな絨毯じゅうたんとか、飾りに本物の金をあしらった椅子とか、高い高い天井とか、ほんのり光っているみたいな壁紙とか、純白の大理石を貼った床とか。とにかく、ものすごく豪華な部屋だった。
 これでも、高級宿っていわれる〈野ばら亭〉の娘だから、わりと見る目のある少女なのだ、わたしは。
 
 応接室にいたのは、オルトさんたちクローゼ子爵家の人たちと、ドーラっていう執事の人。そこへ、お付きの人を従えて、大公が入ってきた。ひと目で最高級だってわかる、漆黒の絹の正装。肩からは、中のシャツの色と同じ、白い絹の飾り帯を斜めがけにして、勲章がこれでもかっていうくらいつけられている。
 さっと立ち上がって、深々と礼をしたオルトさんたちを、適当に片手を振って座らせてから、大公はいった。
 
「マチアスはまだか? 姉君はどうした?」
「マチアスは、いまだ到着しておりません。オディール様は、もう正門からお入りになられました。間もなく、侍従がこの部屋にご案内して参るものと存じます」
「わたしが屋敷を出るまでに、まだ間があるか?」
「晩餐会でございますので、遅れてご参加いただくのは外聞が悪うございます。さほどの余裕はございません」
愚図ぐずな男だな、マチアスは。良い。いよいよとなったら、風の神霊術で馬車を急がせる」
「御意にございます、大公閣下」
 
 ドーラさんが頭を下げた瞬間、重い扉を叩く音がして、外に立っている護衛騎士らしい人が、こういった。
 
「オディール姫のおりにございます」
 
 来た! マチアスさんの大好きな、マチアスさんが大好きな、悲劇のお姫様が、とうとう登場したんだよ! 病弱だそうだけど、大公なんかに呼び出されて、大丈夫なんだろうか、お姫様?
 
 ゆっくりと扉が開かれると、騎士っぽい人と、執事っぽい人を従えて、一人の女の人が入ってきた。ほっそりとして、白鳥みたいに優美な女の人。年配ではあるんだけど、絶対に〈おばあちゃん〉なんていえない、とっても綺麗な人。目元のしわや、銀色になった髪まで魅力的な人……。
 マチアスさんの大切なお姫様は、どう見ても活力に溢れた、元気いっぱいの様子で、大公にいったんだ。
 
「顔を合わすのは、三十年ぶりかしら、アレクサンス。完全に名前負けしているわたくしの愚弟は、何の権利があってわたくしを呼びつけたのかしら? 本当にうっとうしいこと。生まれた瞬間から、馬鹿な弟だとは思っていたけれど、馬鹿は何十年経っても馬鹿なのね。おまえのために使う時間など、わずかでも惜しいのだから、さっさと用件を話しなさいな。聞いていますか、アレクサンス? おまえったら、運動神経が鈍い上に、そろそろ運動不足で足腰が弱っているのではなくて? 日頃の行いが悪すぎるから、ぽっくりとはいけないわね。まあまあ、怖い怖い。わたくしは、まだまだ元気よ。おまえが寝たきりになったら、面白いから見舞いに来ようかしら? でも、そんな時間がもったいないわね。馬鹿が移っても困るし。ところで、おまえ、まだ女を叩くことが趣味なの? おまえに近づく女など、身持ちの悪い不義の女に決まっているのだから、構わないといえば構わないけれど。おかしな趣味よね? むちで叩いたり、耳元で恫喝どうかつしたりして、何が楽しいのかしら? おまえ、クローゼ子爵家の毒婦どくふとも、その趣味でつながっているんでしょう? 不思議だこと。ねぇ、人を呼びつけておいて、挨拶もできないほど馬鹿なの、アレクサンス? 何とかいったらどう?」
 
 すっごい早口なのに、明確に聞き取れる口調で、お姫様は一気にいい切った。絶対に聞いちゃいけなかったことも、いろいろと暴露されている気がする。大公もオルトさんたちも、目を見開いて硬直しているし、わたしだってびっくりだよ!
 
 ねえ? 何十年も別邸に引きこもっている、高貴な悲劇のお姫様って、こういう感じの人だったの?