連載小説 神霊術少女チェルニ 往復書簡 81通目
レフ・ティルグ・ネイラ様
前回のネイラ様の手紙を読んで、わりと衝撃を受けてしまいましたよ、わたし。神霊さんの真実のお姿を目にするのは、魂の負荷が大き過ぎて、人の子には耐えられないから、見る人が無意識に思い浮かべた姿を仮とし、現世に顕現する……。
なるほどなって思って、神霊さんの深いご配慮に感動するお話だったんですけど、それだと、スイシャク様が、真っ白でふくふくの巨大雀になっちゃったのは、わたしが原因だっていうことになりますよね?
巨大雀のスイシャク様は、すっごく可愛くて、親しみやすくて、わたしは大好きです。ふっくふくに膨らんだときなんて、抱っこせずにはいられないくらい、とにかく可愛いと思います。ただ、神霊さんとしての威厳とか、神々しさとかいう意味では、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、問題があるのかもしれません。
スイシャク様が、初めてうちの家に顕現したとき、〈釈然としない〉っていいたそうな、どことなく不機嫌な表情だったんですけど、もしかして、わたしのイメージする巨大雀の姿が、気に入らなかったんじゃないでしょうか?
改めて思い返してみると、わたしが、お姿を見たことのある神霊さんって、けっこうおもしろい感じなんですよね。錠前を司る神霊さんは、銀色に輝く巨大な錠前そのものだし、縁を司るムスヒ様なんて、白黒パッチワークの羊の編みぐるみだし。
真紅の鳥であるアマツ様と、金色の龍であるクニツ様は、見た目もすごくカッコいいと思うんですが、あの二柱って、わたしよりも先に、ネイラ様に出会っているんですよね。わたしのイメージが影響しなかったから、二柱だけカッコいい……なんていう事情だったら、どうしましょう……。
ネイラ様は、たくさんの神霊さんのお姿を見ているんですよね? というか、神霊さんの化身であるネイラ様には、神霊さんの〈実相〉っていうものが、ありのままに見えているんでしょうか? わたしの目には、短い手足を振っている、可愛い巨大亀だった神亀が、人形に近い、神々しいお姿なんだったら、巨大雀のスイシャク様は、どんなお姿に見えるんでしょうか?
ネイラ様がご覧になっているものが、わたしにも、見えるようになれば良いのに。いつの日にか、本当のスイシャク様のお姿を目にできるって信じて、魂の器を広げる努力をしたいと思います。
そういえば、わたしが、〈神降〉を体験している最中、恐ろしいほどに尊い、御神鳥を目の当たりにしました。空いっぱいに広がるほど大きくて、純白に光り輝いていて。思わず震えちゃうくらいの、圧倒的な神威を漂わせてた、世にも麗しいご神鳥が、悠然と天空に浮かんでいたんです。
あれって、もしかすると、スイシャク様の本当のお姿に近いんでしょうか? 神そのものに思われるご神鳥は、わたしの膝の上に座って、今も上機嫌にふすふすって鼻息を漏らしている、可愛いスイシャク様とは、あんまり似ていない気がしますけど。(そして、もちろん、わたしは、真っ白でふっくふくの巨大雀のスイシャク様が、本当に大好きです!)
では、また、次の手紙で会いましょう。次は王都を出て、キュレルの街からのお手紙になるかもしれませんね。
どうやったら魂の器を広げられるのか、密かに悩んでいる、チェルニ・カペラより
追伸/
スイシャク様は、巨大雀の姿を気に入っているんじゃないかって、前回のお手紙に書いてもらって、とってもうれしかったです。ありがとうございました。
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純粋にして無垢な心を持っている、チェルニ・カペラ様
きみの手紙は、いつも気持ちの良いものですね。自分を飾ることがなく、とても率直で、生き生きとした感情を伝えてくれる手紙は、きみ以外の人からは、あまり受け取った覚えがありません。きみとの文通は、わたしにとって大きな喜びです。ありがとう。
さて、きみが〈スイシャク様〉と呼ぶ御方なのですが、彼の神は、とても複雑な実相を持っています。衆生を救う大慈大悲、どこまでも深く大きな慈悲を体現するため、実相すらも容易に変化させられるからです。
神降によって、きみが神世を垣間見たとき、天空に浮かんでいたという神々しい神鳥は、確かに、彼の神が好んで纏う形の一つです。また、山々ほどの大きさを持つ〈蓮の台〉に座す、美麗な人形の神であることも、龍の頭に乗った、美しい人形の女神であることもあるのです。
八百万の神々の中でも、〈スイシャク様〉ほど自在に姿を変える神は、他には存在しません。先の手紙でも書いたように、元々は定まった形を持たない神であっても、その実相というものは、自ずと決まっていくものであり、一度、実相を認識し始めれば、神といえども、実相の影響を受けずにはいられないものなのです。
水が流れるが如く自在に、実相を変化させる〈スイシャク様〉は、極めて高位の神であり、その盛名は、神世において轟き渡っています。わたしなどは、だからこそ、純白の巨大雀で、ふくふくと丸い姿が、いっそう可愛らしいと思うのですけれど。
神の実相に迫るには、魂の器を広げねばならず、魂の器を広げるには、様々な経験を積み重ねていかなくてはなりません。ただ、よく誤解されるように、善行を積むことが、魂の器を広げることにつながるのかと聞かれると、答えは否です。もちろん、善行を積むのは素晴らしい経験であり、その意味では、器の強化にもつながるでしょう。ただ、善行こそが訓練の方法なのかと問われると、それは違うというしかないのです。
神霊の恩寵は、人の子の目から見れば、ときに理不尽であり、ときに無情であり、ときに過剰でもあります。きみに会えたときは、こうした話もしてみましょうね。約束ですよ。
では、また。次の手紙で会えるのを、楽しみにしています。よく学び、よく食べ、よく休み、よく遊び、よく眠り、よく出会いましょう。
すっかりショートブレッド派になってしまった、レフ・ティルグ・ネイラ