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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 2-35

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 高貴なお姫様に、とんでもない勢いで罵倒されて、応接間にいた人たちは、呆然とした顔で固まっていた。お姫様は、大公に冷たい目を向けてから、黙って空いている長椅子に腰かけた。優雅で上品で、まるで自分の家みたいに自然な動作だった。
 
 呆然としていた大公は、自分が何をいわれたのか、だんだんと理解してきたんだろう。真っ赤になったかと思うと、青白くなり、最後には墓石みたいな顔色になった。人間って、あんまり怒ると、最後は灰色になるのかな。
 
「……その無礼な態度は何だ。許されると思っているのか」
 
 シューシュー鳴く蛇を思わせる声で、大公はいった。その震える指先は、テーブルの上の分厚いガラスの灰皿にかかっていて、今にも投げつけそうな様子だった。
 一方のお姫様は、まったく平気な顔で、手に持っていたレースの扇を開いて、ひらりひらりと動かした。
 
「無礼ですって? 誰が、誰に対して無礼なのかしら?」
「いくら姉とはいえ、大公家の当主に向かっての罵詈雑言ばりぞうごん。無礼といわずして、何という。今すぐに詫びるがいい。床にいつくばって詫びねば、手打ちにいたす」
「まあ! まあ! まあ! 三十年ばかり見ないうちに、愚弟が偉くなったものね。わたくしを手打ちにですって? よろしいわ。できるものなら、おやりなさいな。おまえに叩かれて喜んでいる奇妙な女たちと、わたくしを一緒にしないでちょうだい。おまえ、生まれたときから馬鹿だったし、三つ四つの頃にはもう、手に負えないほどの下衆げすだったけれど、年とともに馬鹿に磨きがかかったのね。覚えていて? おまえが五つのとき、遊びで蛙をあやめていたわね? あんまり腹が立ったから、お父様のステッキで叩きのめしてあげたら、だらしなく泣き叫んでいたわね? 〈お姉様、二度と弱い者いじめはいたしません〉って。わたくしの目には、あのときから成長していないどころか、その約束も反故ほごにして、馬鹿に磨きがかかったように見えるのだけれど。その愚弟が、わたくしを手打ちにですって! おもしろいこと。どうぞ、どうぞ。さあ、どうぞ?」
 
 またしても、ひと息かって思うくらいの早口で、お姫様がいった。でも、これって、さすがに危ないよね? 大公が、本当にお姫様を攻撃したらどうしよう?
 そう思った瞬間、大公は、お姫様に向かって灰皿を投げつけた。高齢の女の人に、分厚いガラスの灰皿を、思いっきり!
 
 あんな重そうな灰皿が当たったら、お姫様が大けがをしちゃうし、打ち所が悪かったら、命にだってかかわりかねない。わたしは、思わず悲鳴を上げて、スイシャク様とアマツ様を抱きしめて、ぎゅっと目をつむった。
 腕の中のスイシャク様は、ぶふっとかうめいていたけど、すぐに優しいイメージを送ってくれた。大丈夫だから、見てみなさいって。
 いわれるまま、恐る恐る視線を戻したわたしは、パカンと口を開けた。だって、緊張に包まれた応接室には、びっくりするような光景が広がっていたんだ。
 
 お姫様は、きらきらと輝く透明の立方体の中で、悠然と微笑んでいた。大きさは、ちょうどお姫様の全身をおおうくらいで、ものすごく硬いんだろう。大公の投げつけた大きな灰皿が、粉々に砕けて周りに飛び散っていた。
 
 しっとりと水分を含んだ輝きに見えるから、あれは氷だと思うんだけど、中のお姫様は自由に動けるらしく、開いていた扇を折りたたんで、くるくると回した。
 一緒に見てきたヴェル様が、めずらしく吹き出したから、何のことかと思ったら、あれは〈扇言葉〉っていう、扇を使った貴婦人の合図で、くるくる回すのは、〈一昨日きやがれ、馬鹿野郎〉っていう意味なんだって。貴婦人が〈馬鹿野郎〉とか、思ったりするんだね、やっぱり。
 
 周りの人たちは、印も詠唱もなく発動した術に、呆気に問われていたけど、大公は違った。灰色だった顔を真っ白にして、小刻みに震えていたんだ。大公は、喘ぐみたいな声で、お姫様にいった。
 
「なぜだ? それは、その氷は、姉上の神霊術だろう。なぜ、姉上が術を使えるのだ? ヨアニヤの亡き王弟と婚姻したときから、神霊術を使えなくなったのではなかったのか?」
 
 お姫様は、くふって、氷の中で微笑んだ。年齢的にはおばあちゃんっていえるお年頃なんだけど、すごく可愛らしい笑顔だった。大公も、オルトさんたちも、ドーラっていう執事っぽい人も、その可愛さがわからないのか、ますます顔が険しくなっていたけどね。
 
「もちろん、使えるわよ。氷を司る御神霊は、わたくしに危険が迫れば、わたくし自身が術を発動するまでもなく、鉄壁の氷で守ってくださるのだもの。慈悲深い御神霊は、ただの一度もわたくしをお見捨てにならず、常に尊いお力を貸し与えてくださっているわよ?」
「しかし、婚姻してルーラ王国の籍を離れた日から、一切の神霊術を使えなくなったと聞いている。ヨアニヤ王国側が、何度も確認して、間違いないと。神霊術の才をうたわれた姉上が、すべての力を失い、それは帰国後も戻らなかったと」
「そして、元々わずかしか神霊術を使えず、ねたそねみに身を焼かれていたおまえは、その知らせに狂喜して、どんどん思い上がっていったのね? 馬鹿馬鹿しい。ヨアニヤ王国に利用されないように、だましたに決まっているではないの。神霊術を悪用されては困るし、わたくしが力を保っていると知れば、約束を破ってでも、帰国させてくれなくなるかもしれないでしょう?」
「術が使えるのなら、なぜ引きこもった? 帰国後であれば、問題はなかろう?」
「オディール様は、警戒しておられたのですよ。あなたのことも、あなたの派閥に属する貴族どものことも、ヨアニヤ王国のことも」
 
 ふいに、力強い声が割り込んできた。皆んなが、声のした方に視線を向けると、いつの間にか開け放された扉の前で、使者AとBを従えたマチアスさんが、悠然とたたずんでいたんだ。
 
 マチアスさんは、大公を無視して応接間に入ると、お姫様の座る長椅子の横に立った。すると、きらきらと輝いていた氷は、一瞬で消え去ったんだ。お姫様の真実の騎士が現れたから、役目が終わった、とでもいうみたいに。
 マチアスさんの登場に、ずっと黙ったままだったオルトさんたちが、怒りの形相になったけど、さすがに口は開かなかった。マチアスさんに向かって叫んだのは、大公だった。
 
「マチアス! 貴様、姉上の術のことを知っていたのか? なぜ黙っていた!」
「なぜ、と聞かれることに驚きますな、大公閣下。わたしは、オディール様の騎士ですよ? オディール様がお望みになることなら、命に代えても叶えて差し上げるのが、わたしの役目ではありませんか」
「マチアスったら、嘘ばっかり。あれほど、連れて逃げてとお願いしたのに、わたくしの望みを無視して、エリナなどと婚姻の誓約をしたくせに」
「ですから、あれは無理ですよ、オディール様。わたしの命より大切な姫君に、王命に逆らう〈逆臣〉の汚名を着せることはできないと、何百回も申し上げたでしょう? それに、エリナに愛を誓う婚姻の誓約など、一度たりともしておりません。一時的に婚姻を結ぶと、誓文せいもんを奉っただけですよ」
「それは、さすがに今はわかるけれど、わたくしがどれだけ悲しかったと思っているの? あなたと引き離されて、望まぬ婚姻を強いられて、あなたはエリナなどの夫になって。御神霊のお慈悲がなければ、絶望して命を絶っていたところだわ」
「待て。その態度は何だ? マチアス、貴様、姉上と会っていたのか? そのような報告は、誰からも受けていないぞ!」
「あまりにも腹が立ったから、夫になる人が少しでも誠意ある対応をしてくれたら、本当にあなたを忘れてやろうと決心していたのに。王弟殿下ったら、わたくしの愚弟にそっくりの馬鹿なのですもの。ひどく病弱だったことには同情するけれど、あれはないわ。本当にないわ。書類の上だけのこととはいえ、あれがわたくしの夫だったのかと思うと、恥辱のあまり死にたくなるわ」
「本当に申し訳ありません、オディール様。絶望に身を焼かれて、大公のくだらない策に引っかかるなど、あり得ない失態です。そのために、大切なあなたを苦しめてしまうとは、騎士失格ですね、わたしは」
「わたしの質問に答えろ、マチアス。それに、証拠の書き付けはどうした? ちゃんと持ってきたのだろうな?」
「もういいわ、マチアス。わたくしの唯一の人。わたくしこそ、困らせてごめんなさい。時到れば〈白い結婚〉を申し立てて、婚姻の事実を消し去ってしまうから、それでいいわ。当時の証明書は、帰国前にあちらの国教会に預けてあるのだから、きっと大丈夫よ?」
「愚かな大公は、自分が何をしても勝てず、神霊術では足下にも及ばなかったあなたが、不幸になることを望んでいたのです。わたしの浅慮で、その不幸の一端いったんを担ってしまったのかと思うと、今も苦しくなります。この償いは必ずいたします、姫」
「一端ではなく、ほとんどすべてだけれど、償いなどいらないわ。わたくしが欲しいのは、あなたの愛だけよ、マチアス」
「それは、初めてお目にかかった日から、すでに捧げております。未来永劫、わが愛は姫君お一人のものです。たとえ、あなたが要らないと仰ったとしても」
「嬉しいわ、マチアス。わたくし……」
「いい加減にしろ!!!」
 
 ずっと無視されていた大公が、二人の会話をさえぎって、大声で叫んだ。大公の顔は、今度は真っ赤に染まっていて、唇がぷるぷる震えている。今にも倒れるんじゃないの、あれ?
 
 多分、お姫様とマチアスさんは、わざと大公をからかっていたんだろう。二人で仲良く顔を見合わせてから、すっと表情を引き締めた。長い因縁を断ち切るための対決が、ついに始まるんだよ、多分。
 
     ◆
 
 大公は、マチアスさんとお姫様を憎悪の眼差しでにらみつけ、シューシュー鳴く蛇の声で質問した。
 
「問い質したいことはいくつもあるが、まず答えよ。わたしが命令した通り、書類を持ってきたのだろうな、マチアス? おまえが、オルトの隠し部屋から盗み出した書類だ」
「盗むなどとは、人聞きの悪い。今は、わたしがクローゼ子爵家の当主なのですから、中を改めるのは当然でしょう?」
御託ごたくはいい。書類を出せ」
「持っていませんよ。クローゼ子爵家の屋敷を出ると同時に、風の神霊術で宰相閣下にお届けしました」
「何だと? それは誠か? 何という愚かなことを!」
「大切な証拠なのですから、一番最初に、最も安全な方法で保管するのが、当然ではありませんか。オルトたちに泣きつかれて、あなたが動くことはわかっていましたし、オディール姫を利用して、わたしを脅そうとすることも、予想していましたからね」
「マチアスったら、いつまで愚弟に敬語など使っているの? 馬鹿で卑怯で愚劣なうえに、とうとうルーラ王国の〈国賊こくぞく〉になったのよ、この愚弟は。丁寧にすることもないのではなくって?」
「そうですね、姫。あなたの弟君だと思えばこそ、耐えるところもあったのですが、姉君を殺そうと考える男など、弟を名乗る資格はありませんね」
 
 マチアスさんは、お姫様に優しく笑いかけた。そして、次に振り返ったときには、激しい怒りを隠そうともしない、燃え盛る溶岩みたいな瞳で、大公をにらみつけた。
 
「わたしがお側にいる以上、わが姫にかすり傷さえつけさせるものか。やれるものなら、やってみろ。大公騎士団を名乗る腰抜け共が、何十人かかってこようと、かまわない。貴様の下衆な策略にはまって、姫のお心を傷つけた過去は消せないが、そのせめてもの償いに、姫の敵という敵を残らず地獄に送ってやろう。覚悟しておくんだな、アレクサンス・ティグネルト・ルーラ!」
「貴様、わたしに無礼な口をきいて、許されると思うなよ! わたしを怒らせたら、未来永劫、おまえはエリナの夫のままだ。父上とクローゼ子爵が死んだ今、誓文を破棄できるのはわたしだけだ。わたしとおまえ、二人がそろって破棄を願わなくては、誓文はおまえを縛り続けるのだぞ!」
「そういわれて、わたしは何十年も屈辱に耐えてきた。いや、愚かなわたしなどよりも、この上もなく高貴なご身分でありながら、世を忍ばなくてはならなかった姫の方が、何十倍、何百倍もおつらかっただろう。しかし、忍従にんじゅうのときは終わった。わたしと姫の絆は、もう誰に隠すこともない」
「そのいい方は、まさか、まさか、ずっと密会を重ねていたのか、おまえたち! 姉上は、己が身分もわきまえず、マチアスと関係していたのではないだろうな!?」
「まあ。密会だの関係だのと、言葉選びが下品だわ、アレクサンス。さすが、愚弟ね。マチアスは、わたくしの唯一の人ですもの。書類上の夫と死別して以降、わたくしたちがどうなろうと、おまえにだけは非難されるいわれはないわ。偽りの誓文で御神霊をたばかったのは、おまえなのですもの」
「待て、待て! 父上、まさか、クルトの母親は……」
 
 死人みたいな顔色で、話に割って入ったのは、ずっと沈黙していたオルトさんだった。オルトさんの動揺を表すように、首元から生えた四匹の蛇も、前後左右にゆらゆらゆらゆら、大きく揺れている。
 クルトさんって、フェルトさんの亡くなったお父さんだよね? 確か、クルトさんだけがマチアスさんの息子で、エリナさんはお母さんじゃないって、いってなかったっけ?
 
 お姫様は、マチアスさんの腕に白い手を置いて、オルトさんたちを見た。応接室に入ってきてから、初めて大公以外の人に目を向けたお姫様の顔は、すごく悲しそうだった。
 
「クルトは、わたくしの産んだ子です。可愛いあの子を、エリナの息子と呼ばせるのは、死ぬほど嫌だったけれど、クローゼ子爵家の嫡子とした方が、将来が開けると思ったのよ。御神霊の〈ことわり〉では許されても、現世うつしよでは、わたくしとマチアスは、許されない間柄だったから」
 
 マチアスさんは、自分の腕に置かれたお姫様の手を、そっと包み込んだ。お姫様のことが大好きなんだって、それだけでわかる優しい手つきだった。そして、オルトさんの目を見つめて、はっきりといったんだ。
 
「クルトは、わたしと姫の間に産まれた、わたしの唯一の息子だ。オルト、ナリス。おまえたちのことを、息子だと思えなかったわたしを、恨むなら恨め。だが、おまえたちとの別れは、クローゼ子爵家の屋敷で済ませたのでな。もうこれ以上、かけるべき言葉はない。黙っておれ!」
 
 鋭い声で叫んだかと思うと、マチアスさんは、お姫様の手に重ねていた手を離して、指を鳴らした。パチって。
 これは、あれだ。クローゼ子爵家の図書室で使った、影を司る神霊さんの術だよね? 相手を動けなくしてしまう、〈影縫かげぬい〉だよ。
 
 マチアスさんが指を鳴らすと同時に、どこからともなく現れた黒い光のくいが、大公側の人たちの影に突き刺さった。椅子に座っていた大公たちや、後ろに控えていた執事っぽいドーラさん、部屋の入り口で待機していた護衛騎士たち……。
 豪華できらびやかなシャンデリアが、淡く映し出していた影は、瞬きをする間もなく、黒い光の杭に縫い止められて、誰も動けなくなっちゃったんだ。
 
「動かれると面倒なので、賓客ひんきゃくが来られるまでの間、そのままにしているがいい。この屋敷の周りも、すでに固められているので、今のうちに懺悔ざんげの言葉でも考えておくことだな」
「黙れ、無礼者が! 大公たるわたしの屋敷に、許可なく踏み込むことが許されるのは、陛下と王太子殿下のみ。王家の血を引く宰相であっても、勝手な真似は許さんぞ!」
「ねえ、マチアス。愚弟がうるさいから、しゃべれないようにしておきましょうか? 男のくせに、本当にやかましいこと。お客様がお出ましになれば、自然にわかるのだから、静かにしていればいいのに。ああ、でもそのまま極限まで興奮させておいて、倒れるかどうか見てみるのも面白いのかしら? どう思う、マチアス?」
 
 マチアスさんは、笑いながらお姫様の横に腰を下ろし、胸元から何通かの手紙を取り出した。素早く印を切り、詠唱すると、きらきら光る水色の光球が現れて、手紙の上をくるくると回る。そして、水色の光の帯を引きながら、手紙はすごい勢いで飛んでいったんだ。
 
 それを見たヴェル様は、うちの食堂の窓を開けて、一声かけた。〈誰かいますか?〉って。わが家の庭には、なぜか〈黒夜こくや〉の人が常駐するようになっちゃったので、すぐに返事が返ってきた。
 窓の外に現れて、片膝をついたのは、優しそうな顔をした中年の女の人。〈野ばら亭〉の従業員さんの振りをして、ヴェル様と一緒に〈白夜びゃくや〉の襲撃を撃退してくれた、あのすさまじく強い女の人だった。
 
「わたしは、わが部下と共に出かけるので、チェルニちゃんの守護を」
「御意にございます、猊下げいか。必ずや」
「チェルニちゃん。この者は、〈黒夜〉でも指折りの手練てだれですので、安心してください。まあ、チェルニちゃんを害することのできるものなど、現世にはおりませんが、御神霊のお慈悲にすがるだけでは、われらの役目が果たせませんので」
「はい! はい!」
「何ですか、チェルニちゃん?」
「ヴェル様がどこに行くのか、聞いてもいいですか?」
「もちろんですとも。わたくしは、御神鏡ごしんきょうの御力をお借りし、〈鏡渡かがみわたり〉で大公の屋敷に出向きます。皆々様と共に。鏡を一枚、ここに残しておきますので、ご両親とご一緒に、この先の成り行きを見守ってくださいね」
 
 そういって、ヴェル様は胸元から一枚の鏡を取り出した。あの怖い〈虜囚りょしゅうの鏡〉じゃなくて、古ぼけた縁飾りの小さな鏡。様子はすっかり変わっていたけど、わたしには、御神鏡の世界で見た〈鬼哭きこくの鏡〉だって、すぐにわかったよ。
 
「ヴェル様。その鏡って……」
「ふふ。チェルニちゃんには、わかるのですね。そうです。娘さんを殺された恨みで鬼になってしまった、哀しい母の魂が閉じ込められている、あの鏡です。しばらく前に、チェルニちゃんたちの〈窓〉になる鏡を呼び出そうとしたら、〈鬼哭の鏡〉が現れたのです。きっと、自分を救ってくれたお嬢さんに、お礼がしたいのでしょうね」
 
 そういって、ヴェル様は、わたしに鏡を渡してくれた。ひび割れて血の涙を流していた鏡は、今は静かに鏡面を輝かせていたんだ。
 鏡が苦しそうじゃなかったから、安心して、嬉しくなって、ちょっと泣きそうになっているわたしに、ヴェル様は優しい声でこういった。
 
「さあ、それでは、最後の仕上げに行ってきます。いろいろな方がお出ましになるので、楽しみに見ていてくださいね。チェルニちゃんと御神霊のお力添えで、予定よりもずっと早く、敵は罠にかかりましたから」
 
 綺麗なアイスブルーの瞳を輝かせた、ヴェル様の手には、いつの間にか一通の手紙がにぎられていた。クローゼ子爵家を罠にはめる作戦の開始から五日目の夜、ちょうど予定の半分を過ぎたところで、事件は最高潮に差しかかったみたいだよ!

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