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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 3-16

 すっかり薄暗くなった馬車道を、わたしたちを乗せた馬車は、ぱかぱかと進んでいく。昼間に比べると、行き交う馬車の数もまばらになるから、馬を走らせる速度は、来たときよりもずっと早い。アリアナお姉ちゃんとフェルトさん、総隊長さん、ルルナお姉さんとわたしの五人は、ディー様のお屋敷から、王都の新しい家に帰る途中なんだ。
 
 お屋敷での話し合いの終わり頃、フェルトさんの決断を尋ねたディー様に、フェルトさんは返事をしなかった。ちょっと申し訳なさそうな顔をして、でも、きっぱりと断ったのは、いかにもフェルトさんらしい言動だったと思う。
 
「今は、お答えすることができません、オディール様……いや、お祖母様。もったいをつけるつもりはないのですが、わたしの大切な人たちに打ち明けないまま、先に進むことはできないのです。近いうちに、必ずお返事をしに参りますので、それまでお時間をいただけませんか?」
 
 そういって、勢い良く頭を下げたフェルトさんに、ディー様とマー様は、にっこりと笑ってくれた。〈どんな答えであっても、わたしたちの孫であることは変わらないから〉っていいながら。
 
 ぱかぱかぱかぱか、ぱかぱかぱかぱか。気持ちのいい音を立てて、馬車道を走る馬車の中で、わたしたちは、ちょっと無言になっていた。ディー様から聞いた話は、やっぱり衝撃的で、わたしたちの心に影を落としていたんだ。王家と王国騎士団の関係とか、ルーラ王国の将来とか、スイシャク様とアマツ様から送られてきたイメージとか……。
 話したいことはいっぱいあったけど、誰も口を開こうとはしないまま、ディー様のお屋敷はどんどん遠ざかっていった。わたし、チェルニ・カペラは、十四歳の少女にして、重すぎる現実に直面していたんだろう。
 
 スイシャク様とアマツ様は、そんなわたしたちを他所よそに、帰りも上機嫌で窓の外を眺めていた。白くてまん丸な可愛いお尻と、赤くてほっそりした可愛いお尻が、揃ってふりふり揺れている。その様子を見ているうちに、わたしも何だか元気になって、負けられないなって思った。
 何かと勝負をするわけじゃないから、強いていうなら、自分の中にある不安や恐れっていうものに、負けられないなって思ったんだ。スイシャク様もアマツ様も、他のたくさんの神霊さんたちも、そう願ってくれているような気がしたしね。
 
 精神的に復活したわたしは、ディー様の話には触れないで、明るい話題を提供することにした。そう、一人だけ満足そうに頬を緩めて、何かを思い出しているらしいルルナお姉さんに、話を聞かなくっちゃね!
 
「ねえねえ、ルルナお姉さん」
「何ですか、チェルニちゃん?」
「わたしたちが、応接間でお話している間、〈野ばら亭〉に来ていた使者の人に、お庭を見せてもらってたんでしょう? どうだった?」
「そりゃあもう、素晴らしかったですよ。ちょうど秋薔薇が見頃になったところで、真っ白なつる薔薇のアーチとか、めずらしいオレンジ色や赤紫色の薔薇園とか、目を奪われるようでした。さすが、王族の方のお庭は違いますねぇ。わたしは、〈野ばら亭〉の素朴さの残る庭も、大好きですけどね」
「もう、ルルナお姉さんったら、お花のことは聞いてないよ。そんなに綺麗なんだったら、次は見せてもらいたいと思うけど。わたしが聞いたのは、案内してくれた使者B……じゃなくて、えっと……そうそう、ギョーム様のことだよ」
「ななな、何ですか、チェルニちゃん。どうしてチェルニちゃんが、ギョ、ギョーム様の名前を知ってるんですか?」
「ルルナお姉さんの動揺っぷりが、わかりやすすぎるよ。わたしってば、神霊さんのご分体と、セットものみたいになってる少女だよ? 嬉しいかどうかは、ちょっと微妙だけど。ギョーム様の名前くらい、わかっちゃうよ。で、どうなのさ、ルルナお姉さん?」
「ど、ど、どうって、何がですか、チェルニちゃん?」
「嫌だなぁ、とぼけちゃって。ギョーム様と仲良くなったの、ルルナお姉さん?」
 
 そう尋ねた瞬間の、ルルナお姉さんの反応は、ちょっと見ものだった。ほんのちょっと散ったそばかすが可愛らしい、柔らかそうな白い頬を、ほわんとした薔薇色に染めて、口をぱかぱか開け閉めしたんだ。
 ルルナお姉さんってば、そんなあからさまな反応って、今どき物語の中にしか出てこないと思うよ? それから、いかにも〈聞こえてませんよ?〉っていう感じで、寝たふりをしている総隊長さんとフェルトさんは、演技が下手だと思う。
 
「使者B……じゃなくて、ギョーム様が〈野ばら亭〉に来たときから、ちょっと変なんだよね、ルルナお姉さん。二回目なんて、自分のまかないをあげちゃったでしょう? あの日は、みんなが勧めても、お代わりのまかないを食べなくて、お腹をくうくう鳴らしてたじゃない? そのわりに、お腹いっぱいっていう顔になっちゃってさ」
「いいい、嫌ですよぅ、チェルニちゃん。なな、何のことかなぁ? あれ? そろそろ新しいお家に着くんじゃないでしょうかね?」
「まだ、王都の郊外だよ。変なルルナお姉さんだよね?」
「チェルニったら、ルルナお姉さんをからかっちゃだめよ? ルルナお姉さんが、ちょっとだけ変でも、仕方のないことじゃないかしら? 恋をすると、人は変になるものだもの」
「おお! お姉ちゃんってば、さすが経験者だね?」
「ふふふ。わたしだけかしら? 最近のチェルニも、かなり変じゃない?」
「ななな、何をいってるの、お姉ちゃん?」
「そそそ、そうですよ、アリアナちゃんったら。こっ、恋だなんて」
 
 アリアナお姉ちゃんの思わぬ攻撃に、わたしは激しく動揺しちゃったんだけど、ここで追撃の手を緩めるわけにはいかないからね。何ていったって、使者Bの真剣さはわかっているわけだから、ルルナお姉さんの気持ちを確かめたいじゃない?
 わたしは、またしても真っ赤になっちゃった、自分の顔を気にしないことにして、ルルナお姉さんに尋ねた。
 
「ルルナお姉さんは、たくさんの男の人に声をかけられても、全然、まったく相手にしなかったじゃない? どうして、ギョーム様ならいいの? 意外と見た目は悪くないし、意外と有能そうだし、意外と誠実なところもありそうだけど、〈野ばら亭〉に来たときなんて、ものすごく感じが悪かったでしょう? 偉そうで口が悪くて、さ」
「意外と……ばっかりですね、チェルニちゃん。ふふふ」
「最初なんて、〈ちょっと太めの腹〉なんていってたよ、あの人? 失礼じゃない? それでもいいの、お姉さん?」
「……自分でもよくわからないんですけど、寂しそうだなって思ったんですよ。ギョーム様は、すごく寂しがり屋で、でも、寂しいっていえなくて、屈折しちゃってて、それが可哀想だなって。まるで、両親を亡くしたばかりの頃の、うちの弟たちみたいだなって思ったら、守ってあげたくなったんです」
「それって、同情じゃなくて? 思いっきり偉そうなギョーム様に、同情する要素があるかどうかは別だけど」
「違うんじゃないでしょうかね。困っている人を見ても、気の毒だな、手助けしたいなって感じるだけで、可哀想だとは思わないんですよ、わたし。相手が可愛いから、可哀想っていうのかなって。可哀想は、好意の現れだと思うんですよ」
 
 おお! なかなか深いね、ルルナお姉さん。使者Bのどこが可哀想で可愛いのか、十四歳の少女であるわたしには、ちょっとわかりにくいけど、ルルナお姉さんが使者Bを好きだっていうことは、よくわかったよ。
 これは、あれだ。〈使者Bが好きなの?〉って聞かず、〈どうして使者Bなの?〉って尋ねた、わたしの作戦勝ちだよね。えっへん。
 
「じゃあ、ギョーム様とお付き合いとかするの、お姉さん? さっき、交際を申し込まれたりした? 聞かれたくないっていうんなら、もう黙ってるよ、わたし」
「チェルニちゃんは、本当に聡明なお嬢さんですねぇ。聞かれるのはかまわないんですけど……悩んでるんですよ、わたし。お付き合いしたいって、いってもらいました。ただ、ギョーム様って、立派な貴族様だから、むずかしいだろうと思うんです」
「立派、かなぁ? でも、やっぱり貴族なんだね、ギョーム様」
「お父様が男爵様で、田舎の領地にいらっしゃるらしいです。男爵の爵位は、お兄様がお継ぎになるから、自分はほぼ平民だっていってました」
「じゃあ、問題ないじゃない? ねえ、アリアナお姉ちゃん?」
「わたしの大切なチェルニは、とっても大らかで、自由な心を持っているから、そう思うのね。普通は気にするものよ?」
「そうなの? お姉ちゃんも? まあ、ネイラ様の伯父さんが宰相閣下だとか、お母さんが先代陛下の姪だとか聞かされたのは、確かに衝撃的だったし、わたしも気にしたよ? でも、人の作った身分は、神霊さんの〈ことわり〉とは違うからね。ルルナお姉さんみたいに、相手の人に好きだっていってもらったんなら、そこまで気にしなくてもいいんじゃないのかな?」
「幼いからそう思うんじゃなく、自然に〈理〉という言葉が出てくるのが、わたしの大切な妹の〈世にも稀なる〉ところなんでしょうね」
「ん? 何かいった、お姉ちゃん?」
「いいえ、何でもないわ。さあ、チェルニ。ルルナお姉さんの話は、ここまでにしましょうか? 恋の始まりは、ひっそりと見守るものらしいから。ねえ、ルルナお姉さん?」
「アリアナちゃんってば、何をいってるのかな? こっ、恋なんて」
「ふふ。良かったら、お母さんに相談してね、ルルナお姉さん。きっと、何とでもしてくれると思うのよ」
「そうだよ。それがいいよ。ルルナお姉さんが、ギョーム様がいいっていうなら、皆んなが応援すると思うよ?」
 
 それからも、お節介になりすぎない範囲で、使者Bの話を聞いて、総隊長さんとフェルトさんは、下手な狸寝入りを続けて、神霊さんのご分体まで、興味津々でルルナお姉さんの話に耳を澄ませていて……。
 気がついたときには、私たちを乗せた貸し切り馬車は、わたしたちの新しい王都の家に到着していたんだ。
 
     ◆
 
 家に帰ると、お父さんたちはもう戻っていて、ご飯の準備が整っていた。といっても、いつものお父さんのご飯じゃなくて、王都でも有名なお店から、たくさんの種類の料理を持ち帰っていたんだ。今回の王都行きは、お父さんの仕事でもあるから、できるだけ他のお店の料理を食べるんだって。
 お父さんは、スイシャク様とアマツ様を気にしていて、よろしければ〈神饌しんせん〉のご用意を、って申し出たんだけど、二柱ふたはしらは可愛い首を横に振った。いつも、お父さんの〈けがれなき神饌みけ〉を食べているから、王都に来たときは、自分たちも他の料理を試すんだって。アマツ様が、〈王都に入りては王都に従う。それもまた、面白き〉って、イメージを送ってきたのには、ちょっと笑っちゃったけどね。
 手紙のやり取りを通して、浮世離れしていることが発覚しつつあるネイラ様よりも、ある意味、世情っていうものに通じているんじゃないのかな、アマツ様。
 
 わたしたちは、大きな食卓に並べられた、いろいろな料理を、思い思いに食べていった。お父さんとルクスさん、お母さんの三人は、味や値段について真剣に話しながら。フェルトさんたちは、和気藹々わきあいあいと談笑しながら。わたしはといえば、スイシャク様とアマツ様に、せっせとお給仕をしながら、王都の味を楽しんだ。
 たくさんの種類のサンドウィッチは、王都で大人気の専門店のもの。甘辛味の牛肉の串焼きは、知る人ぞ知る屋台の名物。小さめのカップに入っているのは、野菜だけで作った色とりどりのゼリーで、女の子に評判の美容食。王都近郊の専門農場から収穫した、何種類もの野菜のサラダは、めずらしいサラダ専門店の人気メニュー。その他にも、こんがり焼けたチキンの丸焼きや、なぜか真っ白な魚の唐揚げ、お肉がいっぱいのミートパイ、香辛料の効いた野菜炒め、新鮮な海鮮のフライ、野菜と豚肉を巻いて食べるクレープ、素焼きの壺ごと売られている豆のスープ、根菜と煮込んだゆで卵、綺麗な黄色の厚焼き卵……。
 食べる人数が多いこともあって、大きな食卓がいっぱいになるくらい、すごい量と種類だったよ。
 
 スイシャク様とアマツ様は、まんべんなく味見をして、楽しそうに羽根を揺らめかせていた。でも、お父さんの料理を食べるときみたいに、おかわりなんてしなかったし、料理のうちの何品かは、口をつけようとしなかった。
 〈いと楽し〉〈神世かみのよにては、知られぬ仕儀しぎ也〉〈神饌の申し子の稀有なること〉〈けがれし魂魄は、神饌を捧げることあたわず〉って。人の子の食事を体験することは楽しいけど、心の清らかな人が作ったものじゃないと、神霊さんたちに捧げることはできないみたいなんだ。
 
 お父さんたちは、スイシャク様とアマツ様の反応を、記憶に刻みつけているみたいだった。キュレルの街では、ぶっちぎりの人気店である〈野ばら亭〉だけど、王都進出はこれからだからね。他の人気店に対抗するには、情報も大切なんだろう。
 わたしの感想は、スイシャク様やアマツ様と同じだった。どの料理もおいしいし、評判になるだけはあると思う。でも、わたしの大好きなお父さんが、精魂込めて作った料理とは、何かが違う気がするんだ。
 料理の技術や食材やセンスじゃない、もっと深くて鮮烈な違い……明敏な少女であるわたしには、それが愛情や誠意や穢れのなさっていうものだって、ちゃんとわかっているからね、お父さん。
 
 楽しい晩ご飯が終わって、食後のお茶を飲んでいるとき、不意に口火を切ったのは、にっこりと微笑んだお母さんだった。
 
「それで、今日はどんなお話になったの、フェルトさん? オディール様のお屋敷まで、アリアナを連れて行ったということは、何か思うところがあったんでしょう?」
 
 ルルナお姉さんとルクスさんは、さっと立ち上がって、洗い物をしに行っちゃった。きっと、フェルトさんが話しやすいように、気を利かせてくれたんだろう。二人とも、本当に気配りの人だよね。
 フェルトさんは、まるでそう聞かれるのを待っていたみたいに、しゃんと背筋を伸ばすと、落ち着いた表情で話し始めた。
 
「お察しの通りです、お義母さん。先日、オディール様とマチアス閣下に、わたしを大公家の継嗣に迎えたいといわれてから、ずっと考えていました。その上で、どうしてもひとつだけ、わだかまりが消えなかったので、わたしの気持ちをぶつけに行ったんです」
 
 そういって、フェルトさんは、ディー様のお屋敷での様子を説明した。フェルトさんとお父さん、若くして亡くなったクルト様を、クローゼ子爵家の籍に入れたのは、間違いだったんじゃないかって、責めてしまったことを打ち明けたんだ。
 
「やむを得ない事情があり、亡くなった父のためにも良かれと思って、そういう選択になったことは、理解しているつもりです。ただ、気持ちの面では、やはり納得していなかったんでしょうね。恨言うらみごとを抱えたままだと、どの方向にも進めなくて……」
「オディール様とマチアス閣下は、そんなお前の気持ちに、正面から向き合ってくださったんだな、フェルト。良かったな」
「……ありがとうございます、お義父さん」
「そこから先は、ゆっくり考えたらいいと思うわ。あなたの一生のことですもの。ただ、アリアナにだけは、少し相談してやってね。あなたの気持ちが固まってからでいいから。わたしの大事な娘は、どんな選択であっても、動じたりはしませんからね」
「お義母さんも、ありがとうございます。そして、わたしの気持ちの整理は、すでについています。アリアナさんとカペラ家の皆さんにご了解いただけるのなら、大公家に入りたいと思います」
 
 おお! フェルトさんってば、まったくもったいぶらないで、いきなり結論をいっちゃったよ! 男らしいといえば、すごく男らしいけどね。
 お父さんとお母さん、それから総隊長さんは、多分、答えを予想していたんだろう。驚く様子もなく、それぞれにうなずき合っていた。アリアナお姉ちゃんは、本当に少しも動じていなくて、穏やかな表情でフェルトさんを見つめている。
 
「理由を聞いてもいいか、フェルト? おれの息子になる男は、地位や財産で動くようなやつじゃない。それなのに、大公家を継ぐ理由は何だ?」
「まず、アリアナさんの存在です、お義父さん。アリアナさんは、あまりにも美しすぎる。わたしと結婚しても、奪おうという者は、いくらでも出てくるでしょう。アリアナさんを面倒ごとから守るためには、大公家の存在があった方がいいと思うんです」
「ああ。それはそうだ。アリアナに加護を授けてくださった、蜃気楼のご神霊は、そのお力を薄めようとしておられる。きっと、深い御心みこころがあるんだろうな」
「はい。わたしも、そう思います。もしかすると、大公家の力によって、アリアナさんを守るようにと、示唆しさしてくださったのかもしれません。また、若くして亡くなった父や、世間から隠れるように生きてきた母を、大公家に連なる者として、知らしめたいという気持ちもあります」
「それは、当然のことだわ。フェルトさんが、ご両親への深い愛情から、そう考える気持ちは、とてもよくわかるわ」
「ありがとうございます、お義母さん。そして、もうひとつ、わたしが大公家を継ぐべきだと考えたのは、神託しんたくのためなんです」
 
 フェルトさんが、その言葉を口にした瞬間、食堂の空気が変わった。緊張した空気になった、とかいうことじゃなく、本当に漂う気配が変わったんだ。わたしたちのために、神威を抑えてくれている、スイシャク様やアマツ様とは違う。一点のけがれもなく澄み切り、怖いほどに畏れ多い神霊さんの息吹が、濃密に感じ取れるかのようだったよ。
 フェルトさんは、顔を強張らせて、目に見えない何かに耐えながら、微かに震える声で話を続けた。
 
「誘拐された子供たちを追って、チェルニちゃんや総隊長と一緒に、馬で駆け抜けた日のことです。王国騎士団長閣下のお姿を拝したわたしは、神託と思われる声を聞きました。そのときは、錯覚かもしれないと思いました。けれど、一度しか耳にしていないはずの神託は、一言一句たがわずに、胸の奥に残っているんです」
 
 フェルトさんは、深く息を吐いて目をつむり、敬虔けいけん祝詞のりとを思わせる声で、朗々といった。
 
「〈いとも目出たき邂逅かいこうを、たたえ、寿ことほぎ、かしこみよ。《神威の覡》は我らが化身、《神託の巫》は我らがよすが。《神託の巫》の在りてこそ、制約多き現世うつしよに、《神威の覡》の留まらん。《神託の巫》は雛にして、今暫いましばらく微睡まどろみの内〉と」
 
 ディー様とマー様が、〈野ばら亭〉を訪ねてきたとき、この神託についても教えてくれた。神霊庁のすべての神職さんと、王家の血を引く人に、フェルトさんがいった通りの言霊ことだまを賜ったんだって。
 何の準備もないまま、一度聞いただけで覚えるには、長くてむずかしいはずの神託を、フェルトさんは、少しの迷いもなく口にした。それは、きっと、耳で聞いたんじゃなく、魂に刻まれたからじゃないのかな……。
 
「恐れ多くも、ご神霊からの神託を賜った以上、それに従わないなどという選択はあり得ません。そして、王家の血を引く者に対しての神託だったのですから、わたしも大公家に入り、その力を利用することが、正しい道ではないかと思うんです」
 
 そういって、フェルトさんは、わたしを見つめた。正確には、わたしの腕の中にいるスイシャク様と、わたしの肩の上にいるアマツ様を。フェルトさんの眼差しは、まるで答えを探しているみたいに、熱を持ったものだったんだ……。
 

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