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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 2-25

 マチアスさんは、宰相閣下が助けを呼んでくれたから、不当な誓文せいもんから解放されたって説明した。そして、その〈助け〉っていうのが、〈ルーラ王国の至尊しそんたる《神威しんいげき》、王国騎士団長レフ・ティルグ・ネイラ様〉だっていうんだよ。
 
 ネイラ様ってば、何をしたの!?
 
 わたしが疑問でいっぱいになっていると、アマツ様がすぐにイメージを送ってくれた。ネイラ様とマチアスさんが会ったとき、アマツ様も顕現けんげんしていたから、その記憶を見せてあげるよって。
 
 え? と思った瞬間には、わたしは、とんでもなく豪華な部屋をのぞいていた。床に貼られた大理石とか、淡い色合いの壁紙とか、内側から光っているような家具だとか、どれもが最高級品だってひと目でわかる、本当の意味で立派な部屋だった。
 肩にとまって、わたしの頬にすりすりってしていたアマツ様が、〈王城の奥の奥、ルーラ王国宰相の執務室〉だって教えてくれた。でしょうね……。
 
 部屋の中にいたのは、十人を超える人たちだった。長椅子にゆったりと座っている、とっても威厳のある壮年の男性が、宰相閣下なんじゃないかな。
 その横の肘掛ひじかけ椅子には、真っ黒な軍服みたいな服を着た、ネイラ様がいた。ネイラ様の上着には、あちこちに銀糸の刺繍がしてあって、中でも一番目立っているのは、襟元の五つの星だろう。
 向かい側に座っているのは、顔を強張らせたマチアスさんと、まったく特徴のない貴族っぽい男の人。そして、今、わたしの目の前で澄ました顔をしているヴェル様だった。優しくてカッコ良くて素敵なヴェル様は、平気で知らないふりができる大人で、ちょっと腹黒なのかもしれない。わたしは、別に気にしないけどね。
 
 この五人の他には、宰相閣下の部下らしい人が五人と、ネイラ様と同じ軍服を着た人が三人いて、部屋の壁側に並んで、背もたれのない椅子に座っていた。
 ネイラ様と同じ軍服で、銀糸の刺繍が少ないものを着ているのは、王国騎士団の騎士さんだからだろう。三人のうちの二人は、〈野ばら亭〉にいてくれるマルティノさんとリオネルさんだし。ネイラ様ったら、本当に王国騎士団の精鋭を派遣してくれたんだね。
 
 正直にいうと、部屋の光景が映った瞬間から、わたしの目はネイラ様に吸い寄せられていた。だって、ネイラ様だよ? 何ヵ月も前に一回、ほんのちょっと会っただけで、後はお手紙ばっかりの、あのネイラ様だよ?
 すっごく嬉しくて、でも、とてつもなく恥ずかしくて、顔が真っ赤になるのが、自分でもわかった。胸がどきどきして、少しだけ手が震えてるんだけど、どうしちゃったんだろう、わたし?
 肩の上のアマツ様と、腕の中のスイシャク様が、おもしろそうに笑って肩を揺らしている。鳥の肩がどこなのか、いまいちよくわからないし、スイシャク様なんて、ふくふくのまんまるだけどね!
 
 ともかく、今はマチアスさんのことが先だから、わたしは何とかネイラ様から視線を引きはがして、話に耳を傾けた。マチアスさんと宰相閣下は、もう何度か話し合った後みたいで、今は、ネイラ様に事情を説明しているところだった。
 
「アイギス王国の外交官であったシャルル・ド・セレントが、ルーラ王国内の協力者として、クローゼ子爵家の名を出したことは、すでに話した通りだよ、レフ。もちろん、マチアス卿が無実であることは、〈黒夜こくや〉の尋問によって確かめられた。間違いなかろう、ポール?」
「御意にございます、宰相閣下。強力な自白剤を用いて尋問いたしましても、シャルル・ド・セレントは、マチアス卿のお名前を出しませんでした。長く隠棲いんせいしておられたので、卿の存在そのものに関心を払っていなかったのでしょう。我ら〈黒夜〉といたしましても、先の近衛騎士団長であり、〈騎士の中の騎士〉と謳われた方が、子供らの誘拐に加担しているなどとは、もともと考えてもおりませんでしたが」
「とはいえ、クローゼ子爵家の家内かないのことではあるので、極秘にマチアス卿を呼び出して、何度か尋問はさせてもらった。結果的には、二十年も前からクローゼ子爵家の屋敷を去り、ほぼ関わりを絶っていたため、何ひとつ知らぬということが、知れただけだったのだがな。それよりも、わたしは、気になったことがあるのだよ、レフ」
 
 そういって、宰相閣下は、ネイラ様の顔をのぞき込んだ。何だろう? 宰相閣下とネイラ様って、すごく親しいのかな? 宰相閣下は、ネイラ様を名前で呼んでいるし、ネイラ様はネイラ様で、平然と微笑んでいるしね。
 
「わたしは、騎士の道には進まなかったが、やはり若い頃には、騎士の中の騎士たるマチアス卿に憧れていたものだよ。そのマチアス卿が、貞淑とはいえぬ奥方と離縁することもなく、二十年も引きこもって過ごしてこられたという事実が、どうにもに落ちなくてな。尋問後の世間話に、失礼を承知で真意を尋ねてしまったのだ。すると、マチアス卿は喉を押さえ、不自然に沈黙されたので、もしやと思い至った」
誓文せいもんですか、閣下?」
「さすがだね、レフ。そうなのだ。黒夜によって、誓文で縛られた者たちと、同じ反応をしているように見えたのだよ。同席したポールは、わたしよりも早く、その事実に気づいていたらしい」
「誓文の扱いは、我ら黒夜の領分でもございますので。マチアス卿の婚姻には、誓文が捧げられているのだと、すぐにわかりましてございます」
「マチアス卿ほどの人物を縛る誓文など、普通ではどうしようもあるまいが、そなたであれば、不可能ではないであろう? 力を貸してはもらえないか、レフ?」
かしこまりました、閣下。マチアス卿も、それでよろしいのですか?」
「御意にございます、王国騎士団長閣下。ルーラ王国の至尊しそんたる御方に、お気遣いを賜るとは、身に余る光栄でございます」
「では、てみましょう」
 
 ネイラ様は、ほんの少しの間だけ、マチアスさんを見つめた。御神鏡の世界で見た月みたいに、綺麗な銀色に輝く瞳が、ちかちかってまたたいたような気がしたら、それだけでネイラ様は何かを理解したらしい。
 
「わかりましたよ、宰相閣下。マチアス卿は、不当な契約に基づく誓文によって、深くその身を縛られているようです。恐らくは、誓文の相手方が、故意に不正を為したのでしょう。沈黙も約束されていますので、マチアス卿からは何も話せません」
「やはり、そうか。何とかならないかね、レフ」
「マチアス卿さえよろしければ、契約を破棄して、誓文を無効にしてしまいましょうか?」
「そのようなことが、可能なのでございますか、王国騎士団長閣下?」
「はい。そうなさいますか、マチアス卿?」
「ぜひ、ぜひお願い申し上げます。誓文からの解放は、わたくしと、ある御方との悲願でございます」
 
 椅子から身を乗り出し、必死の眼差しで見つめるマチアスさんに、ネイラ様は大きくうなずいた。その仕草しぐさだけで、宰相閣下は部屋にいる人たちに声をかけた。〈マチアス卿は、そのままに。後の者は神威に備えなさい〉って。
 宰相閣下がいうと、部屋にいた人たちは、すぐに動いた。部屋の一角に集まって、両膝をついて床に座り、軽く握った両手をついて目を伏せる。ルーラ王国の国民なら見慣れているだろう、神事のときの座礼ざれいっていう形だった。
 
 皆んなが座礼を取るのを待って、椅子から身を起こし、背筋を伸ばしたネイラ様は、ほんの一言だけ口を開いた。
 
神問かんとわす
 
 その瞬間、ネイラ様の身体から真紅の炎が吹き上がった。すべてを焼き尽くすくらいに紅い真紅の炎は、そこからさらに温度を増して、朱色になり、純白になり、あっという間に青白くなった。
 壮絶に美しくて、比べるものがないくらい力強くて、ひと目で魂に焼き付いてしまいそうな炎は、高い天井を焦がすくらいの勢いで、轟々ごうごうと燃え盛っていたんだ。
 
 アマツ様やスイシャク様が顕現したときみたいに、震えるほど畏れ多いんだけど、わたしは、ちっとも怖くなかった。
 ネイラ様の炎は、絶対にわたしを傷つけず、優しく温めてくれるものだって、どうしてか知っていたからね。
 
 わたしが呆然と眺めていると、スイシャク様とアマツ様が、交互にイメージを送ってきた。〈が瞳に映したる炎は、神を招きたる〈迎火むかえび也〉〈世の常の人の子の目には映らず、何人も見ることあたわず〉って。
 
 またしても、ネイラ様に視線を吸い寄せられながら、わたしは、ちょっとだけ心配になった。こんなとんでもない術を、いとも簡単に使ってるネイラ様って、本当に〈人〉の範疇はんちゅうにいる……んだよね……?
 
     ◆
 
 ネイラ様の炎が燃え上がった途端に、変化は訪れた。遥かな天空から、ものすごい|神威
《しんい》を備えた何かが、光の速さで近づいていてきたんだ。
 
 部屋にいる人たちが、身体を強張らせて、苦しそうな顔をしているのは、きっと神威に打たれているんだろう。アマツ様の記憶をのぞいているだけの、わたしだって、息苦しくなるくらいの〈力〉だったからね。
 ネイラ様から吹き出した炎は、すぐに部屋中に燃え広がって、部屋中を青白く輝かせた。ありえない高温のはずなのに、じんわりと温かくて、静かに寄り添ってくれるような、優しい炎。部屋中の人たちが、ほっと息を吐いたのは、炎が神威を和らげてくれたお陰だと思うんだ。
 
 そして、青白く燃え上がる部屋の中に、いつの間にか現れたのは、ふわりと浮かんでいる巨大な純白の〈水引みずひき〉だった。
 
 うん。自分でも変なことをいってるなって思うけど、あれは水引としかいえないよ。両手で持ち上げるくらいの大きさで、複雑な形に結び合わされた純白の飾りひもが、雪の結晶みたいに、きらきらきらきら、きらめいているんだ。
 綺麗なんだけど、とっても畏れ多いんだけど、かなり可愛い。震えるくらいかっこ良かったネイラ様が、きらきらの水引を呼び出したのかと思うと、もっと可愛い。あの水引って、ご神霊のご分体なんだよね?
 
 そんなことを考えて、わたしがにまにましていると、腕の中のスイシャク様が、あきれたようなイメージを送ってきた。ご分体が水引に見えるのは、わたしが〈そう見たい〉って思った結果なんだって。
 ご分体の姿形は、〈あってなきが如きもの〉だから、顕現するときに側にいた人の思考に、けっこう引っ張られちゃうらしい。スイシャク様ってば、〈其はとぼけ者也〉〈其の面白おもしろ嗜好しこうにより、我が姿はくあるらん〉だって。
 あれ? もしかして、スイシャク様が巨大でまんまるな雀なのは、わたしのせい? そうなの? 慌てて、腕の中のスイシャク様をのぞき込んだら、ふっすすすっ、ふっすすすっって、鼻息を吹きかけられちゃったよ。
 
 ともあれ、気を取り直して部屋の中に視線を戻すと、ネイラ様が水引に話しかけるところだった。
 
「これなるマチアスが誓文は、正当なものか否か」
 
 ネイラ様の声は、わたしの記憶にあるものよりも、ずっと冷たかった。ネイラ様は、マチアスさんが不当な誓文に縛られてきたことに、怒っていたんだと思う。
 わたしの目には、巨大なきらきらの水引に見えているけど、本来、相手は尊いご分体なのに、ネイラ様はまったく気にしていないみたいだった。平伏することもなく、敬語を使うことさえなく、ご挨拶のひとつもせず、いきなり詰め寄っちゃってるよ……。
 
 ネイラ様の質問に対して、声は返ってこなかった。ただ、ぼんやりとしたイメージだけが伝えられてくる。わたしが、ぎゅっと眉間に力を入れて、イメージを言葉にしようと考えていたら、アマツ様が〈通訳〉をしてくれた。もう完全に慣れたから、アマツ様から送られてくるイメージは、かなり言葉に近い形で理解できるんだ、わたし。
 ネイラ様の言葉の中にも、聞き取れないものがあったんだけど、それは、わたしの魂では器が足りないんだろう。ネイラ様と、水引のご分体の会話は、だいたいこんな感じだった。
 
「……〈正当とは覚えず〉」 
「では、何故なにゆえに契約と為す」
「……〈自ら誓文を捧げしゆえ〉」
「ならば、現世うつしよの名をレフヴォレフ・ティルグ・ネイラ、□□、□□□□□□□□□たる我が、神問。誓文の破棄は、是か非か」
「……〈是〉〈ことわりの内也〉」
「破棄の対価を問う」
「……〈不必要。偽りを為したる者にこそ、我が報いを下さん〉」
「承知。では、為したまえ」 
「……〈是〉」
 
 水引のご分体が答えると同時に、複雑に結ばれていた形が、するするとほどけていった。間もなく、純白の長い長い紐になった水引は、今度はもっと複雑な形に結び合わさっていき、やがて真っ白な〈龍〉になったんだ!
 物語に出てくるような、細長い真っ白な龍は、雪の結晶みたいな鱗粉を振りまきながら、マチアスさんの頭の上を何度か周ってから、ネイラ様にいった。
 
「……〈誓文は破棄された。神威の覡よ。我が印を与えし者に、我が思いを伝え給え〉」
「承知。□□□□□、感謝を奉らん」
 
 ネイラ様が答えると、水引の龍は、部屋の中を嬉しそうに泳ぎ回り、部屋中の人たちの頭上に、雪の結晶みたいなものを降らせてから、天に上って消えていったんだ。
 
 ネイラ様は、呆然とした顔をしたマチアスさんに向かって、優しい笑顔を浮かべてから、口を開いた。
 
「さあ、マチアス卿を縛っていた、不当な誓文は取り消され、契約は破棄されました。契約を司る神霊は、長い年月、マチアス卿が苦しんでいたことを知っており、哀しく思っていたそうですよ。罪なきマチアス卿には、契約の神霊の加護が与えられ、偽りの契約を仕掛けた者には、相応ふさわしき神罰が下されるでしょう」
 
 そして、ネイラ様は、部屋にいる他の人たちにも、こういった。
 
「どうか席におつきください、宰相閣下。皆も、元の席に。契約を司る神霊は、マチアス卿の誓文を破棄するきっかけになったからと、ここにいる全員に印を下さいました。何とも豪奢ごうしゃな〈返礼〉ですが、それだけ不当な契約が遺憾だったのでしょう。我らも破棄を寿ことほぎ、自由を得たマチアス卿から、事情を聞きましょう」
 
 その言葉を最後に、宰相閣下の部屋から、今のマチアスさんがいるクローゼ子爵家の離れへ、わたしの視界が、ゆっくりと切り替わった。
 一方通行だけど、やっと会えたネイラ様を、もっと見ていたくて、腕の中のスイシャク様をぎゅっと抱っこしたら、軽くくちばしで突かれちゃったよ。可愛いし痛くないから、別にいいんだけど。
 
 離れのマチアスさんは、ちょうど使者Aに、わたしが見せてもらったような事情を説明したところだったみたい。使者Aってば、目に涙をいっぱい溜めて喜んでいるんだ。  
 
「そうだったんですね、閣下。良かった。本当に良かった。もっと早く助けていただければ、もっと良かったのですが、そこは仕方がないでしょう。それにしても、良かった。これまで心の中で、抜けだの、腰抜けだの、偏屈の頑固者だの、根暗の軟弱者だのとののしっていて、本当に申し訳ございませんでした」
「……。おまえには、そんなふうに思われていたのか。というか、少し性格が変わったのではないか、ロマン」
「ギョームの横柄さが移ったんですよ、きっと。ギョームも喜びます。あいつは、〈野ばら亭〉のルルナという女に惚れてしまって、命がけで守るつもりなんです。力を貸してくださるんでしょう、閣下?」
「もちろん。というか、わたしがこの屋敷に戻ったのも、宰相閣下とネイラ様の罠のうちだ。ある御方に、約束してもきたからな。クローゼ子爵家を終わらせるぞ、ロマン」
 
 そういって、大きく笑ったマチアスさんは、迫力があって、すごくかっこ良かった。わたしの目の前で、優雅に微笑むヴェル様は、カッコ良いっていうよりも、腹黒な感じだったけどね。
 
 マチアスさんと使者Aの会話は、護衛騎士たちが戻ってきたことで中断された。護衛騎士がいうには、部屋には入らないけど、部屋の外で護衛をする。使者Aは、王城について行ってもいいけど、やっぱり護衛騎士たちも一緒に行く。それが、前クローゼ子爵だったオルトさんの命令なんだって。
 マチアスさんは、特に反対はしなかった。使者Aも、澄ました顔をして受け入れている。クローゼ子爵家のお屋敷にいる間は、二人とも、何でもないふりをするんだろうな、きっと。
 
 それからは、受験勉強をして、休憩時間にはヴェル様とお話して、皆んなでお父さんのおいしい晩ご飯を食べた。すごく楽しくて、でも、そろそろお風呂に入ってこようかなって思ったとき、不意にヴェル様が笑ったんだ。前にも見たことのある、冷たいわらいだった。
 
「来ましたよ、皆」
「何が来たんですか、ヴェル様?」
けがれた害虫ですよ、チェルニちゃん。御神鏡が知らせてくださいました。わたくしが張った〈鏡の結界〉に、クローゼ子爵家の手の者が捕われたようです。恐らくは、恥知らずにも王都の表通りに店を構えた、あの〈白夜びゃくや〉の者たちでしょう」
 
 クローゼ子爵家を追い詰める作戦四日目も、やっぱり波乱を巻き起こして終わりそうだよ……。