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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 2-26

 フェルトさんや、わたしたちを襲撃するために、クローゼ子爵が依頼したのは、王都の表通りにお店を出している、〈白夜びゃくや〉っていう組織の人たちだった。
 ルーラ王国で、諜報活動を担っている部隊が、〈黒夜こくや〉っていうから、皮肉ったんだろう。とっても怖い笑みを浮かべて、ヴェル様がそう教えてくれた。
 
 そして、クローゼ子爵家を追い詰めるために、ネイラ様たちが罠を張ってから四日目、使者AとBが、〈白夜〉に接触した最初の日に、早速〈野ばら亭〉に忍び込もうとした不審者がいたらしい。
 
 ヴェル様は、途端に緊張した空気の中で、ゆっくりと胸元から鏡を取り出した。〈鏡渡かがみわたり〉を体験させてもらったときに見た、〈虜囚りょしゅうの鏡〉。アリアナお姉ちゃんの持っている、可愛い薔薇の縁飾りのある手鏡とそっくりな、黒い鏡面の鏡だった。
 ヴェル様ってば、こんな物騒な鏡を、ずっと胸元に隠していたんだ……っていう戸惑いは、今は取り敢えずなかったことにしよう。そうしよう。
 
 〈虜囚の鏡〉を、右手に捧げ持ったヴェル様は、食堂の窓を大きく開けて、鏡面を外に向けた。すると、真っ黒な鏡面が強い銀色に輝いて、そこから細い光の帯が五本、外へと伸びていったんだ。
 間もなく、光の帯のうちの一本が、鏡へと戻ってきた。光の先の方には、汚らしい泥の色をした、卵くらいの大きさの〈何か〉を、ぐるぐる巻きにして縛っている。
 怖くって、汚らしくって、気持ちが悪くって、わたしが思わず後退あとずさりしようとしたら、アマツ様が、勇気づけるみたいに温めてくれた。さっき見せてくれた、記憶のなかのネイラ様とは、比べものにならないくらい穏やかで、とっても優しい、赤々とした炎をまとわせて。
 見る人が見たら、わたしが炎に燃やされていると思うんだろうけど、心が清々としたんだから、いいんじゃないかな、多分。
 
 光の帯は、汚らしい〈何か〉を縛ったまま、〈虜囚の鏡〉に吸い込まれていった。そして、残りの四本の光の帯も、少しずつ大きさと色の違う、でもそろって汚らしい〈何か〉を縛ったまま、次々に鏡のなかに吸い込まれていったんだ。
 
 じっと鏡を掲げたまま、光の帯が戻ってくるのを待っていたらしいヴェル様は、五本全部が吸い込まれたのを確認してから、わたしたちに向かって、〈虜囚の鏡〉の真っ黒な鏡面を見せてくれた。
 
「この黒い鏡のなかに、許されざる襲撃者どもが閉じ込められているのが、見えますでしょうか? チェルニちゃんは、どうですか?」 
 
 ヴェル様にいわれるまでもなく、わたしの視線は、とっくに黒い鏡面にくぎ付けになっていた。だって、真っ黒な鏡面の中で、ぼんやりした灰色の、小さな人影らしきものが、盛んに動き回っているんだから。
 すごく不穏な気配がしていて、きっとこういう光景を〈禍々まがまがしい〉っていうんだと思う。十四歳の少女が直視するには、怖すぎるって、ヴェル様!
 
 人影のうちのひとつは、鏡面を両手のこぶしで叩いて、必死に鏡の外へ出ようとしているみたいだった。もうひとつは、鏡面に体当たりをしては弾き返され、髪の毛をかきむしり、また体当たりを繰り返していた。残りの何体かの人影は、うずくまったり、地面をいずり回ったりしながら、泣き叫んでいるように見えた。
 わたしの周りに集まってきた、お父さんたちや騎士さんたちも、ちょっと青い顔をしていたから、大人が見ても怖かったんだろう。
 
 ヴェル様は、なぜだかとっても楽しそうな笑顔で、わたしたちに教えてくれた。
 
「今、この〈虜囚の鏡〉のなかには、五人分のたましいが閉じ込められています。正確にいいますと、魂のすべてではなく、人の精神を司る〈こん〉、人の肉体を司る〈はく〉のうち、こんの部分だけですね」
「はい! はい!」
「ふふ。こんな不気味なものを目にしても、元気いっぱいで可愛らしいですね。何ですか、チェルニちゃん?」
「不気味だと思うんなら、少女の目に触れないようにしてほしかったんですけど、まぁ、今はいいです。それよりも、〈こん〉だけを閉じ込めたっていうことは、五人の人の身体は、どうなっているんですか?」
「良い質問ですね、チェルニちゃん。もちろん、身体は現世うつしよにあって、元気に生きていますよ。半ば自我を失ったような状態で、呆然としたまま座り込んだり、立ち尽くしたりしていることでしょう」
「その人たちって、やっぱり〈野ばら亭〉を襲撃しにきたんですか?」
「今夜のところは、偵察と下準備だろうと思いますが、害をそうとしたという意味では、すでに同罪ですね。五人の〈白夜〉どもの身体は、今頃〈黒夜〉が回収していることでしょう。チェルニちゃんの情報提供のおかげで、〈白夜〉は、完全に〈黒夜〉の監視下に置かれていますからね」
「五人の人たちが行方不明になったりしたら、その〈白夜〉っていう人たちに、疑われたりしないんですか?」
「大丈夫ですよ、チェルニちゃん。〈黒夜〉が腕によりをかけて、今夜中には、五人の者たちを、われらの〈手駒てごま〉にいたしますので」
 
 そういって、ヴェル様はにっこりと笑った。氷みたいに澄んだアイスブルーの瞳が、きらきらと輝いて、すごく綺麗なんだけど、本当に綺麗なんだけど……やっぱり怖いよ、ヴェル様ってば。
 
 ヴェル様が、不気味な〈虜囚の鏡〉を、平気な顔で胸元に戻していると、開けたままの窓の外から、ひっそりとした声がかかった。どこといって特徴のない、中年の男の人の声。でも、わざとそうしているような、油断のならない声……。
 こんなときだから、そう思っただけかもしれないけど、けっこう勘のいい少女なのだ、わたしは。 
 声は、ヴェル様に向かって、小さくいった。
 
「オルソン子爵閣下。ご助力、かたじけのうございます。誠に恐縮ではございますが、少々お出ましいただけませんでしょうか?」
 
 おぉ! なんだか、前に読んだ冒険小説のなかに出てきた、〈諜報活動部隊〉の人の登場シーンみたいだよ。
 わたしが、わくわくした顔をしているのを見て、優しく笑ったヴェル様は、わたしのお父さんに声をかけた。
 
「今の声は、陰ながら〈野ばら亭〉を警護している、〈黒夜〉の長のものなのです。この軒下のきしたをお借りして、彼と少し打ち合わせをさせていただいても、よろしいでしょうか、カペラ殿?」
「もちろんです、オルソン子爵閣下。わたしたちを守護してくださいますこと、言葉には尽くせないほど、ありがたく思っております。できますことなら、お上がりいただき、何か召し上がっていただきたく存じます」
「ありがとうございます、カペラ殿。そうさせていただきますか、ポール?」
「いえ、任務の途中でございますので、お言葉だけをいただいていきます。ありがとうございます、カペラ殿」
 
 あれ? あれれ? 何かが記憶に引っかかる気がする。この平凡で特徴のない声って、どこかで耳にしたことがなかったっけ? そして、ヴェル様が呼んだ、ポールっていう名前って、どこかで聞いた気がするんだけど。
 そう考えて、ふいに思い当たったとき、わたしは〈あっ!〉って大きな声を出して、皆んなの注目を集めていたんだ。
 
「どうしました、チェルニちゃん?」
「その声と、ポールさんっていうお名前で、わかっちゃいました。お話していいのかどうか、よくわからないんですけど」
「ほう。それはおもしろい。かまわないので、教えてください」
「ポールさんって、ネイラ様が、マチアスさんの誓文せいもんを破棄したときに、一緒にいた方ですよね? あっ、貴族の方だから、ポール様とマチアス様でした。ヴェル様とマルティノ様、リオネル様も、ご一緒でしたよね?」
 
 わたしがいうと、食堂がしんと静まり返った。あれ、どうして?
 
「……。なぜ、ご存知なのですか、チェルニちゃん? 我が主人が、お手紙に書いたわけでもありませんでしょう?」
「あ、はい。さっき、マチアス様の話をしていたときに、アマツ様がご自分の記憶を見せてくれたんです。あのときは、アマツ様も顕現けんげんしていたから、見せてあげるよって。きらきらの水引の形をとった、契約の神霊さんのご分体が、すごく綺麗でしたね」
「……。チェルニちゃんは、こういうお嬢さんなのです。顔を見せて、拝謁の栄に浴してはどうですか、ポール? ルーラ王国の闇を支配する、〈黒夜〉の長よ」
 
 ヴェル様の、よくわからない呼びかけに応えるように、中年の男の人が、窓からそっと顔を見せた。まったく特徴のない顔をした、貴族っぽい男性は、アマツ様に見せてもらったままの、あの〈黒夜〉の人だったんだ……。
 
     ◆
 
 ポールって呼ばれていた、〈黒夜〉の男の人は、わたしの顔を見た途端に、目を見開いて硬直した。ポールさんの視線が、わたしを見て、腕の中のスイシャク様を見て、肩の上のアマツ様を見て、もう一度わたしを見た。
 明らかに普通じゃない、でっかい鳥の姿をしているのが、神霊さんのご分体だっていうことは、事前に知っていたんだろう。ポールさんは、ぎゅっと目を閉じたかと思ったら、そのまま深く頭を下げた。
 
「数ならぬ身のわたくしが、世にも尊き御二柱おんふたはしらの、御前にまかり越しましたる不遜ふそんを、何卒なにとぞ御容赦くださいませ。また、御眷属ごけんぞくられるお嬢様に、拝謁の栄に浴しましたること、恐悦至極きょうえつしごくに存じます。わたくしは、ルーラ王国にて男爵位を賜っております、ポール・バランと申します」
 
 古語こごじゃないのって思うくらい、堅苦しい言葉だったけど、要はわたしに挨拶をしてくれたらしい。わたしは、これでも礼節を知る少女なので、すぐにポールさんに向かって頭を下げた。
 
「初めましてお目にかかります。チェルニ・カペラ、十四歳です。今回は、わたしたちをお守りいただき、本当にありがとうございます。わたしは、ただの平民の少女ですので、チェルニって呼んでください」
 
 ポールさんは、ちょっと驚いた顔で頭を上げ、わたしに微笑んでくれた。何となく恥ずかしそうで、嬉しそうな、優しい笑顔だった。
 スイシャク様とアマツ様が、すかさずイメージを送ってくれた。〈彼の者の心根は、複雑怪奇にして一意専心いちいせんしん〉〈身を捨てて、神威しんいげきに仕えし者也〉〈心を開きて頼るが吉〉って。
 何となく、スイシャク様とアマツ様からのメッセージに、気がついたらしいヴェル様が、楽しそうな顔をして、わたしに尋ねた。
 
「もしや、尊き御二柱より、お言葉を賜ったのですか、チェルニちゃん?」
「はい。ポール様について、メッセージを送ってもらいました」
「聞かせていただいても、よろしいですか? あなたも、それを望むでしょう、ポール?」
「もちろんでございます、オルソン子爵閣下。どのようなお言葉であれ、身に余る光栄にございます。よろしくお願い申し上げます、お嬢様」
「チェルニでお願いします、ポール様。えっと、ポール様は、一心いっしんにネイラ様にお仕えしている人だから、心を開いて頼らせてもらいなさいって、おっしゃってます。複雑な性格だけど、気にしなくてもいいそうです」
「ふふ。良かったですね、ポール。ありがたいお言葉を賜りましたよ」
「まったくでございますな、閣下。ありがとうございます、お嬢様。われら〈黒夜〉一同、何が起こりましても、お嬢様とご家族様をお守り申し上げます」
「いや、お嬢様とかいわずに、チェルニって呼んでください、ポール様。わたし、ただの平民の少女ですから」
「畏まりました、チェルニ様」
「余計、悪化してますってば。様なしの、チェルニでお願いします」
「とんでもないことでございます。我が魂の主人たる〈神威の覡〉の〈お友達〉を、呼び捨てになどいたしかねます。わたくしのことこそ、ポールと呼び捨てになさってください」
「この会話、前にもしたような気がします。笑ってないで、助けてください、ヴェル様」
「確かに、懐かしい会話ですね。わたくしは、〈チェルニちゃん〉〈ヴェル様〉と呼び合っているのですよ、ポール。うらやましいでしょう? 先例にならってはいかがですか?」
「では、わたくしも、チェルニちゃんと呼ばせていただいて、かまいませんでしょうか? わたくしのことは、ルーとお呼びくださいませ」
「わかりました、ルー様」
「ありがとうございます、チェルニちゃん」
「王家の支配すら、無条件では許さぬ〈黒夜〉の長と、そんな風に名を呼び合うことの意味を、いつかお教えいたしますよ、チェルニちゃん。ともあれ、今は作戦の遂行が先です。状況を報告してくれますか、ポール」
「畏まりました、閣下」
 
 すっと表情を消して、軽く頭を下げたポールさん……じゃなくてルー様は、淡々とした穏やかな口調で、ちっとも穏やかじゃない話をしてくれた。
 
「本日、〈白夜〉の者どもは、〈野ばら亭〉とフェルト殿の実家に対し、複数名の偵察者を放っております。フェルト殿の実家に、家族がいないことは、あやつらも知っておりましょうから、そのことを確認した上で、行方を探し出すつもりでしょう。〈野ばら亭〉に対しては、数日後の決行に備えて、〈下準備〉を始めようとしていたようです」
「ほう。気分の悪くなる話ではありましょうが、一応聞いておきましょう。何の〈下準備〉ですか、ポール?」
「放火でございます、閣下。閣下が虜囚としてくださった男の一人が、このようなものを持っておりました」
 
 そういって、ルー様が差し出したのは、一枚の図面だった。〈野ばら亭〉と見取り図と、わたしたちの自宅の地図。そして、その見取り図と地図のあちこちに、点々と赤い印が書き込まれていたんだ。
 ルー様は、続けてもうひとつ、ポケットから小さな石みたいなものを取り出して、わたしたちにかざして見せた。
 
「こちらは、わたくしたち〈黒夜〉が、〈罪の火種〉と呼んでいるものでございます。極めて発火性の高い油を練り固めた、特殊な発火剤で、この小さなかたまりひとつで、民家を焼き尽くすほどの火災を引き起こします。過去、いくつもの犯罪に使用されており、〈黒夜〉でも、常に摘発対象としている、いわく付きの品なのです」
 
 ルー様がいい切った瞬間、あたりは一面の炎に包まれた。炎であって現実の炎ではない、真っ赤な業火。わたしの肩にいるアマツ様が、轟々ごうごうと炎を吹き出していたから。
 
 アマツ様は、激怒の気配を立ち上らせながら、強い強いメッセージを送ってきた。〈我が眷属を傷つけるに、よりにもよって炎とは〉〈我が司る浄めの炎を愚弄するか、愚か者が〉〈許すまじ〉〈くもけがれた者どもを、我が業火にて燃やし尽くさん〉って。
 アマツ様が、朱色の鱗粉をまとった羽根を揺らめかずと、ヴェル様の胸元から、〈虜囚の鏡〉が滑り出た。そして、アマツ様から吹き出していた炎が、激しく渦を巻きながら、真っ黒な鏡面に吸い込まれていったんだ!
 
 アマツ様の神威に打たれたわたしたちは、しばらくの間、呆然と立ち尽くしていたんだと思う。気がついたときには、まるで何事もなかったみたいに、部屋は静寂に包まれていて、ただ、ヴェル様の右手に握られた〈虜囚の鏡〉だけが、紅い光を放っていたんだよ。
 
 ヴェル様は、〈虜囚の鏡〉をのぞき込んで、微かに身体を震わせた。そりゃあ、そうだろう。差し出して見せてくれた、〈虜囚の鏡〉の中では、灰色の人影らしきものが、真紅の業火に燃やされて、苦しそうにのたうち回っていたんだから……。
 
 作戦四日目の夜は、こうしてゆっくりとけていった。少しずつ少しずつ、わたしたちも、クローゼ子爵家の人たちも知らないまま、周到に張り巡らされた罠は、この夜を境に、一気に状況を加速させていくことになるんだ。