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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 4-17

「王太子殿下より、ご伝言の使者がございました。只今より、宰相閣下の執務室にお越しになられるとのことでございます。いかがいたしますか、閣下?」
 
 宰相執務室の扉を守っていた、近衛騎士の一人が、困った顔でそういった瞬間、なごやかだった部屋の空気が、一気に緊張した。わたしと視界を共有している、子雀のアーちゃんなんて、アリアナお姉ちゃんの肩の上で、びくって身体を震わせたくらいなんだ。
 一人だけ、小さくため息をいたのは、悠然と座っていた宰相閣下で、他の人たちは、静かな微笑みを浮かべていた。もちろん、目はちっとも笑っていなくて、唇を微かにり上げるだけの、冷たい微笑みだったけどね。 
 
 近衛騎士を待たせたまま、宰相閣下は、大神使であるコンラッド猊下げいかに向かって、重々しく問いかけた。
 
「本日、猊下や姫君方がお越しになることは、公表しておりません。ねずみの口は封じておらず、あえて隠し立てもいたしませんでしたが、その上で見て見ぬ振りをするのが、王族たる者の流儀でございましょうに。相変わらず、先例にとらわれぬお方でございます。いかがいたしましょうか、猊下、姫君?」
「さて……。姫君はいかがでございますか?」
「わたくしは、かつて王族の末席に身を連ねていたとはいえ、現在は身分も定まらぬ世捨て人でございます。王太子殿下の仰せとあれば、否応いやおうを申し上げることはできませんわ。すべては、猊下と宰相閣下のよろしいように」
「では、わたくしも、宰相閣下にご判断をゆだねたく存じます。わたくしの名をもって、お断りいただいてもよろしゅうございますし、宰相閣下が扉を開かれるのでしたら、そのように振る舞いましょう」
かしこまりました、猊下。後回しにしたからといって、避けられることでもなし、この場で一つ二つ、物事を明確にしておきましょう。お越しいただいてかまわぬと、お伝えしておくれ。猊下のご好意であると、付け加えて」
御意ぎょいにございます、閣下」
 
 宰相閣下の言葉は、途中からは、近衛騎士に向けたものだった。宰相閣下の判断で、今から宰相執務室に、王太子殿下が来るみたいなんだ。ルーラ王国の次の王様が、フェルトさんやアリアナお姉ちゃんのいるところへ! 
 いろいろな意味で、嫌な予感がするのは、わたしだけじゃなかったと思う。〈鬼哭きこくの鏡〉を通して、アーちゃんの視界を共有しているお父さんとお母さんは、そろって顔をこわばらせて、無言で鏡を凝視ぎょうしした。フェルトさんは、男らしい眉をひそめて、アリアナお姉ちゃんの手を握った。アリアナお姉ちゃんは……ほんのりと浮かべていた微笑みを消して、しっかりとフェルトさんの手を握り返したんだ。
 
 ルーラ大公家のお姫様だったオディール様は、真っ白な手に持っていた扇をくるくるっと回してから、宰相閣下に声をかけた。
 
「王太子殿下は、何のためにお越しになると思われまして? 何か、予兆はございましたの、宰相閣下?」
「あるといえばあり、ないといえばない、というところでございましょうか。元ルーラ大公、アレクサンス殿を捕縛して以降、王太子殿下からは、何度となく抗議が寄せられております。コンラッド猊下がお越しの今、猊下に直接、何らかの訴えをなさったとしても、不思議はございません。ただ、姫君やフェルト殿が同席されると知って、先触れを出された以上、別の思惑で動かれた可能性もございましょう。まあ、いずれにしろ、我らに釘を刺そうというお気持ちであることは、確かでしょうな」
「抗議とは、アレクサンス殿を捕縛した件についてでございますか? 国王陛下が許可を出され、〈神威しんいげき〉たる御方様おんかたさまが許されたことに、王太子殿下が異を唱えると……」
「いえ、猊下。捕縛そのものは、妥当であろうとの仰せでございます。殿下の内心はともかく、表面上は、アレクサンス殿を捕らえることも、裁くことも、止めようとはしておられません。殿下は、今回予定されている裁判の手法そのものを、問題としておられるのです。そうであろう、アス?」
「ええ。わたくしの下へは、王太子殿下と、殿下を支持する貴族たちから、多くの抗議が寄せられております。法務大臣の立場にありながら、司法による裁きを放棄し、神霊庁の独断によって、王族たるお方を裁かせるつもりなのか、と」
「……ほう。王太子殿下や貴族方は、神霊庁の裁判では、不服と仰せなのでございますか。この神霊王国において、王位を継ぐべき王太子殿下と、殿下をお支えする方々が」
「申し訳ございません、猊下。わたくしの力不足でございます」
「何をおっしゃいますことか。侯爵閣下に不足など、あろうはずがございません。頭をお上げくださいませ。それよりも、抗議の主旨をお教えいただきたく存じます」
「兄上?」
「良い。この場は、身内ともいえる方々ばかり。お話しておこう、アス」
左様さようでございますね。……王太子殿下は、王族が罪を犯した場合の手続きにのっとって、〈王前裁判〉を開くべきだと主張しておられます。神霊庁に告発があったからといって、すべてを〈神前裁判〉にすると決まったわけではない。数少ない王族、貴種きしゅの中の貴種たるルーラ大公は、王によってこそ裁かれるべきである、と」
「……それは、理屈としては間違ってはおりませんな」
「御意にございます、猊下。我らが王太子殿下は、理屈の通らぬことは、仰せにはならぬ方でございます。少なくとも、表立っては。それだけに、この急なお出ましは、予測しておりませんでした。左様でございましょう、兄上?」
「ああ。溝鼠どぶねずみ共が右往左往うおうさおうしておることは、つかんでおったが、王太子殿下が動かれるとは、少々意外であるな。勝負所には、早過ぎる気がするのだが、これも猊下の宣旨せんじの影響かもしれぬ。そうなると……」
 
 宰相閣下の言葉は、少しずつ小さくなって、わたしには聞き取れなくなっていった。宰相閣下とコンラッド猊下、レフ様のお父さんは、それぞれに視線を合わせて、うなずき合っている。オディール様は、隣に座ったマチアス様に身体を寄せ、マチアス様は、オディール様の白い手を握りしめた。フェルトさんは、アリアナお姉ちゃんの顔をのぞき込んで、安心させるように、何かをささやいたみたいだった。
 わたしは、もちろん、不安で仕方なかった。だって、アリアナお姉ちゃんのいるところに、いきなり王太子殿下が来るんだよ? ルーラ元大公は、捕縛されるときにいってたんだ。〈王太子殿下は、わたしを慕ってくださっている〉って。あの元大公と仲の良い人が、アリアナお姉ちゃんの味方になるはずがないんじゃないの?
 
 わたしは、不安でどきどきする胸を押さえて、宰相閣下たちが話していた言葉を、改めて思い返した。王太子殿下は、元大公が、神霊庁の〈神霊裁判〉にかけられることに反対している。そして、〈王前裁判〉にするべきだって、たくさんの貴族と一緒に主張している……んだよね?
 〈神前裁判〉と〈王前裁判〉の違いは、わたしにもわかる。町立学校でも習ったし、自分でも本を読んで調べたから。そして、レフ様との文通でも、神前裁判の判決について、教えてもらっているんだ。
 
 神前裁判っていうのは、神霊庁の〈裁きの間〉で開かれる、特別な裁判を意味している。告発する人がいて、罪を追求する人がいて、弁護する人がいて、証人が呼ばれるのは、普通の裁判と同じだけど、判決を下すのは〈人〉じゃない。印を与えられた神使しんしだけが扱える、〈神秤しんしょう〉っていう神器じんぎを通して、神霊さんが罪の有無を判断し、罰の重さを決めるんだ。
 レフ様の手紙によると、特に罪が重い場合は、直接、神霊さんから罰を下される場合もあるんだって。神霊さんは、ルーラ王国の法律じゃなく、神霊さんの〈ことわり〉で裁きを下すから、単なる裁判というよりは、ある種の神事として扱われているらしい。
 
 一方の〈王前裁判〉は、文字通り、国王陛下の御前ごぜんで開かれる裁判のことだ。本に書いてあった説明によると、伯爵以上の高位貴族が罪を問われた場合には、普通の裁判じゃなく、王前裁判が開かれるんだって。判決を決めるのは、公爵以上の貴族と王族で、意見がまとまらなかったときは、確か、国王陛下が最終的な判断を下すんじゃなかったかな?
 
 アリアナお姉ちゃんとフェルトさんは、クローゼ子爵家の人たちや、キュレルの街の守備隊を襲撃した大公騎士団のことを、神霊庁に告発した。だから、わたしたちは、事件に関わった全員が、神前裁判にかけられると思っていたんだけど、元大公だけは、お姉ちゃんたちの告発を受けていない。だって、アリアナお姉ちゃんもフェルトさんも、あの時点では、大公の存在を知らなかったんだ。
 王太子殿下や貴族たちは、だから、レフ様のお父さんに抗議しているんだろうか。そして、元大公を〈慕っていた〉王太子殿下は、王前裁判だったら、元大公の罪を軽くできるとでも、思っているんだろうか……。
 
 わたしが、ぐるぐると悩んでいると、宰相執務室の重い扉が、勢い良く叩かれた。考えるまでもない、王太子殿下の到着の合図だった。わたしたちの暮らすルーラ王国で、次の国王陛下になることが決まっている、王族の中の王族ともいえる人が、ついにやってきたんだよ!
 
     ◆
 
 重々しいノックの音を響かせた後、宰相執務室の分厚い木製の扉が、ゆっくりと左右に開かれた。真っ先に進み出たのは、さっき王太子殿下の伝言を伝えてきた近衛騎士で、姿勢を正してこういった。
 
「皆様方に申し上げます。王太子殿下の御成おなりにございます」
 
 近衛騎士の言葉が終わってすぐ、さっと立ち上がったフェルトさんは、アリアナお姉ちゃんの手を引いて、壁際かべぎわに移動した。使者ABや総隊長さんたちのいる、お供の人が並ぶ場所まで下がったんだ。わたしは気がつかなかったけど、事前に教えられていたみたいに、迷いのない動きだった。
 宰相閣下たちとネイラ侯爵閣下、マチアス様とオディール様は、その場から立ち上がり、席を離れて整列した。たった一人、コンラッド猊下だけが、椅子に座ったままなのは、神霊庁の大神使が、国王陛下と同格だからだろう。陛下に次ぐ地位にいる王太子殿下は、国王として即位するまでは、大神使よりも下位になるんだと思う。
 
 待つほどの間もなく、何人もの人たちが、宰相閣下の執務室に入ってきた。金の飾りがいっぱいついた制服を着た、近衛騎士だけでも六人いて、先頭に二人、左右に一人ずつ、後ろに二人の配置で、周囲を守っている。文官っぽい人や、お付きの貴族っぽい人も、数人ずついて、とにかく大行列だった。
 そして、王太子殿下は、集団の真ん中にいた。わりと簡素な服の上に、純白の毛皮のふち取りのあるマントを羽織って、悠然と足を運んでいる。
 
「王太子殿下、ご到着にございます」
 
 見たらわかるのに、わざわざ口にしたのは、貴族っぽいお付きの人だった。宰相閣下とネイラ侯爵閣下は、右手を胸に当てて、ゆっくりと頭を下げた。オディール様は、膝を曲げて腰を落とす、貴族の女の人の礼をした。マチアス様と、壁際にいた人たちは、全員が左膝を床につけて、深々と頭を下げた。アリアナお姉ちゃんだけは、オディール様と同じ礼の仕方しかただったけど、ほとんど座り込んでいるっていっても良いくらい、深く腰を落としていた。
 皆んなの礼を受けて、王太子殿下が、重々しくうなずいた。そんな殿下に、最初に声をかけたのは、一人だけ上の立場にいる、コンラッド猊下だった。
 
「お久しゅう、王太子殿下。急なお出ましとは、何か重大なご用がございましたか? どなたをお訪ねでございましょうか?」
「ご機嫌うるわしゅう、大神使猊下。猊下がお出ましだとお聞きしたので、ご挨拶方々かたがた、まかり越しました。この場には、わたしが求める関係者のほとんどが、揃っておりますので。無理を申したな、宰相殿」
「とんでもございません、王太子殿下」
「お時間は取らせませんので、一つ二つ、わたしから、お話しをさせていただいてよろしいですか、猊下?」
「もちろん。どうぞ、おかけくださいませ、殿下。部屋の主人であられる宰相閣下を差し置き、わたくしが申し上げるのも、僭越せんえつではございますけれど」
「では、猊下のお言葉に甘えさせていただきましょう。皆の者、なおるが良い」
 
 王太子殿下の言葉を聞いて、全員が礼をいた。ものすごく優雅で貴族的で、表面上はなごやかなやり取りなのに、何となくぴりぴりと張り詰めた感じがするのは、気のせいじゃないよね? 
 王太子殿下が来る前に、硬い表情を見せていたコンラッド猊下たちは、まったく平然としていて、緊張感を漂わせているのは、壁際に並んでいる人たちや、王太子殿下のお付きの人たちだけだったけどね。
 
 王太子殿下は、流れるような動きで、コンラッド猊下の前に座った。椅子に座っているのは、この二人だけ。王太子殿下は、宰相閣下にもオディール様にも、椅子を勧めたりはしなかった。オディール様なんて、王太子殿下の親戚に当たる、王族の女の人なのに。王城って、これが当たり前なんだろうか? 
 ともあれ、コンラッド猊下と向き合ったことで、アーちゃんの視界に入ったんだろう。わたしは、ここで初めて、ルーラ王国の次の国王陛下になるはずの、王太子殿下を直視したんだ。
 
 王太子殿下は、確か四十歳くらいだったと思うんだけど、わたしの目に映った本人は、年齢よりも若々しく見えた。どちらかっていうと、ほっそりとした身体つきで、剣よりも本が似合いそうな感じ。上品に整った顔をしていて、すごく賢そうで、座っているだけでも優雅だった。
 ただ、穏やかで大人しそうに見える姿の中で、瞳だけが違っていた。落ち着いた青灰せいはい色の瞳の中、黒い虹彩こうさいの周りに、黄色や赤茶色が混ざっていて、すごく複雑な色になっているんだ。そして、何よりも、王太子殿下の瞳には、〈絶対に手強い相手だ〉って思わせるだけの、強い光が宿っていた。
 
 最近のわたしは、大貴族とか、権力者とかっていう人たちと、たくさん出会っている。風格にあふれた宰相閣下や、徳の高いコンラッド猊下なんて、ルーラ王国でも有数の大人物だっていってもいいだろう。つまり、十四歳っていう年齢に似合わず、人を見る目が肥えてきつつあるんだよ、わたし。
 王太子殿下は、そのわたしの目から見ても、普通じゃなかった。変な人っていう意味じゃなく、明らかに非凡でありながら、不安をかき立てられるっていうか……。頭の中に、不意に〈奸雄かんゆう〉っていう言葉が浮かんできたのは、どうしてなんだろうね……。
 
「さて、本日は、どのようなご用でございますか、殿下? 先ほどのお言葉から拝察いたしますと、わたくしや宰相閣下だけでなく、この部屋にいる皆様に、お話があるということでございましたけれど」
「仰せの通りです、猊下。宰相やネイラ侯爵には、予想がついておりましょう。わたしが申し上げたいのは、我がルーラ王族の一人であり、わたしの従兄弟叔父いとこおじに当たる大公、アレクサンス殿のことです」
「横からの口出しをお許しくださいませ、王太子殿下。法務大臣を拝命する身として、正確を期すべく、訂正をさせていただきとう存じます。アレクサンス殿は、現在、暫定的に大公位を剥奪はくだつされ、王族としての身分の一切を失っておられます。裁判の場で、完全に身の潔白を認められない限り、復位ふくい復権ふっけんはなされぬと、陛下が宣言なさっておられます」
「良いだろう。ここは、ネイラ侯爵のげんがあるゆえ、口出しを許そう。では、元ルーラ大公、アレクサンス殿のことだが、こうの申す裁判の場とは、神霊庁の神前裁判なのであろう?」
「御意にございます、殿下」
「では、法務大臣たるネイラ侯爵に尋ねる。元ルーラ大公の裁きを、神前裁判と決めたのは誰だ? 国王陛下から、ご指示があってのことか?」
「いえ。陛下からは、〈適切な裁きをなすべし〉というお言葉を賜っただけでございます。神前裁判の決定は、神霊庁がなされました」
「神前裁判となる場合の要件を申せ、ネイラ侯爵」
「神霊庁に告発のあったもののうち、神霊庁が告発に足ると認めるもの。あるいは、諸所しょしょの理由から、通常の裁判では裁けぬと、神霊庁がお認めになったものでございます」 
「今回のアレクサンス殿の事例は、いずれになる?」
「後者でございます。ただし、大公騎士団につきましては、神霊庁に直接の告発がございましたので、大公騎士団の主人であったアレクサンス殿の裁きも、神前裁判が適切であろうと判断しております」
「今、侯の下へは、アレクサンス殿を支持する貴族から、多くの異論が寄せられておろう。大公騎士団は大公騎士団、アレクサンス殿はアレクサンス殿。アレクサンス殿ご自身が、神霊庁に告発されたのではない以上、王族であられた身位しんいに相応しく、王前裁判とするべきではないのか? 侯は、そうした訴えを、すべて一蹴いっしゅうしておるようだが、彼らの申すことにも理があろう?」
「理があるかと聞かれたら、仰せの通りでございます、殿下。ただし、神前裁判となすことにも、同程度以上の理がございます」
「それは否定せぬ。故に、ここに参ったのだ」
 
 ここで、王太子殿下は、じっとコンラッド猊下に視線を合わせた。それから、宰相閣下を見て、ネイラ侯爵閣下を見て、オディール様やマチアス様を素通りして、なぜかアリアナお姉ちゃんを見た。お姉ちゃんの頭の上に浮いている、ご神鋏しんきょうの〈紫光しこう〉様が、ぴくりとも動かなかったから、絶世の美女であるお姉ちゃんに、恋愛的な意味で興味を持ったわけじゃないと思うんだけど。
 王太子殿下は、複雑な色を持った瞳を、強く光らせながら、コンラッド猊下に向かって、こういった。
 
「わたしは、駆け引きというものが嫌いなのです。ほとんどの場合、時間のむだになるからです。お互いの立場と力関係、状況や条件によって、導き出される答えは、おおむね決まってくるのだから、交渉は短い方が良い。そうは思われませんか、猊下?」
「御意にございます、王太子殿下。お伺いいたしましょう」
「ふふ。猊下のそういう率直なところは、とても好ましく思います。我が派閥のほとんどの貴族よりも、わたしは、猊下が好きですよ。宰相やネイラ侯爵も、非常に有能で、人格的にも優れている。立場をことにしないでいられれば、幸せでしょう。ということで、このたびのアレクサンス殿の裁判は、王前裁判としていただけませんか?」
「さて……。むずかしい仰せでございますな、殿下。王前裁判にて、厳しく、正当に裁くとお約束いただけるのでしたら、一考いっこうの余地はございますけれど」
「わたしは、見えすいた嘘も嫌いなのです。お約束はできませんよ、猊下。それを承知の上で、おゆずりいただきたく」
「ますます、むずかしいことを仰る。それでは、アレクサンス殿の罪を、見逃せというに等しく存じますが」
「ええ。その通りです。大公位の剥奪はくだつや、そこにおられる従兄弟叔母いとこおばの姫君への、大公位移譲いじょうくらいなら、認めてもかまいませんが」
「なぜ、そのようにお望みなのか、理由をお聞かせいただけますか、殿下?」
「理由は少々込み入っておりますので、ご遠慮いたしましょう。この要求をお聞き入れいただけない場合、近い将来のルーラ王国が、どのように変化していく可能性があるかということでしたら、お話しいたします」
「伺いましょう」
 
 コンラッド猊下にうながされて、王太子殿下は、ゆっくりと口を開いた。そして、わたしが、絶対に忘れられなくなるだろう、歌をんだんだ。静かな声で、少しもおそれず、堂々たる歌を。
 
神去かんさりて 開けゆくちょうこそ 目出たけれ 神は神の世 人は人の世」