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フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 1-4

01 ロンド 人々は踊り始める|4 王と王子

 
 ロジオン王国が誇る巨大な王城は、なだらかな丘陵きゅうりょうに、大小様々な宮殿を連ねることによって形成されている。国王を始めとする王族が居住する各宮殿や、外国からの賓客ひんきゃくを迎える迎賓館げいひんかん謁見えっけんの間や議場ぎじょうを備えた国事の為の大宮殿といった宮殿群は、それぞれが用途に相応ふさわしい機能性を有しながらも、誰もが圧倒される程に豪奢ごうしゃだった。
 また、丘陵のふもと近くには、幾つもの巨塔が立ち並んでいる。塔にいて執務を執り行うのは、過酷な選抜試験の末に国中から集められた官吏達と、医薬や科学の進歩に邁進まいしんする研究者、魔術の深淵しんえんに挑む魔術師などである。ロジオン王国に於いては、国王の御座所ござしょを上から見下ろすことは決して許されず、最も高さの有る十三階建ての叡智えいちの塔でさえ、宮殿よりは遥か下手に位置していた。

 その王城の最上部、丘陵の頂きにそびえ立つ大宮殿にしつらえられた〈花王の間〉で、ロジオン王国の当代国王であるエリク・ヤロスラフ・ロジオン、死後はヤロスラフ一世と呼ばれるはずの男が、己が息子の一人と向き合っていた。影のように控える近衛このえ騎士達は、親子の親密な語らいに水を差さないよう、巧みに気配を消している。
 濡れたように輝く漆黒の髪を緩く波打たせ、壮年期も後半に差し掛かろうとする者だけがまと気怠けだるさと、大王国の君主に相応しい威風を複雑に混ぜ合わせたエリク王の容貌は、見る者の心を騒がせずには置かない、一種の退廃的な魅力をたたえていた。その秀麗なおもてにも、大国の絶対君主たる身分にも相応しい、威厳と甘さを纏った声で、エリク王は言った。

かねてより宰相が強請ねだっておった計画を、試してみることにした。事を行う際には、そなたがに代わって見届けるが良い、アーリャよ」
 アーリャと呼ばれたのは、エリク王の三番目の王子にして、王妃エリザベタが七度目の出産でようやく産んだ第一王子、アリスタリス・ロジオンである。いまだに王太子を決めようとしないエリク王も、内心ではこの正嫡せいちゃくたる王子の成長を待っているのだろうと、多くの臣下が考えており、アリスタリス自身もまた、程なく下されるであろう父王ちちおうの選択を微塵みじんも疑ってはいなかった。
勿論もちろん、何事も仰せのままに致しますとも、父上。もう少し、詳しい御話を御伺いしてもよろしいでしょうか」

 アーリャの愛称で呼ばれたということは、この場では王と王子ではなく、父と子として接しても許されるという合図である。父王への憧憬どうけいを隠しもせず、十八歳の王族にしてはわずかばかり幼い顔で、アリスタリスは父にたずねた。美貌びぼうで知られる王妃に似た、甘やかな姿をしたアリスタリスには似合いの表情だった。
 アリスタリスの見せる、明らかに温度を持った眼差まなざしを、事もなげに受け止めて、エリク王は緩く微笑んだ。
「我が宰相は、召喚魔術とやらを行いたいのだそうだ。世に名高い〈智のスヴォーロフ〉一族の血の結実、天才の中の天才たるエメリヤン・スヴォーロフが、面白きことを言うものではないか。が治める大ロジオンが、大真面目に召喚魔術を論じることになろうとは、想像もしていなかったよ、アーリャ」

 そういって微笑みを深くしたエリク王の、どこか蠱惑的こわくてきな表情の意味は、アリスタリスには分からなかった。大王国に君臨する君主として、何一つ欠ける所のないエリク王は、寵愛ちょうあいする王子に対しても、容易に内心を覗かせはしないのである。アリスタリスに出来たのは、突然耳慣れない言葉を聞かされた驚きに、夏の空を思わせる瞳を見開くことだけだった。
「召喚魔術というと、異世界から勇者を招くというものですか、父上。本当にそんなことが可能なのでしょうか」
「勇者の召喚など、物語の中の話に過ぎぬよ、アーリャ。この本宮殿の書庫にも、そうした物語は腐る程積まれているのであろうな」

 揶揄からかいを含んだエリク王の言葉に、アリスタリスは白皙はくせきの頬をほのかな薔薇色に染めたものの、咄嗟とっさに言い返さないだけの分別は持っていた。口をつぐんだまま甘える視線で話の先をうと、エリク王はこう続けた。
「転移の魔術陣は、あらかじめ幾つかの条件を組み込み、認証された人間の魔力を流すことによって発動する。例えば、そなたが先程使ったように。王妃の住まう〈リーリヤ宮〉の設定地点から別宮殿の設定地点へ、アリスタリスと護衛の騎士三名を運ぶ、とな。宰相の考える召喚魔術とは、この条件設定を最大限に拡大した術式に他ならぬ。召喚魔術によって、我が大ロジオンが必要とする何かを呼び込もうというのだよ、エメリヤンは」
「もう少し、御教え下さいませ。条件の拡大設定とは、具体的にはどのようなものを指すのですか、父上」
「着地点は召喚魔術の実験場となる叡智えいちの塔。出発点は特に定めず、異次元や異世界、過去や未来の全てを対象とする。さらに、呼び込む対象について、予め我々が必要とする幾つかの条件を定め、召喚の魔術陣に書き込むのだそうだ」
「異次元や異世界など、本当に存在しているのでしょうか、父上。どの教師も、どの魔術師も、異次元や異世界の話など致しませんでしたが」
「魔術師ではない我らには、本当の所は分からないのだよ、アーリャ。正確に言えば、大魔術師ゲーナ・テルミンでなければ、真実には辿り着けないのかも知れぬ。異次元や異世界という概念が存在するとして、凡百ぼんぴゃくの魔術師では検証を行うことなど不可能であろう。世の魔術師が口にする〈魔術の深淵しんえん〉とは、実は次元の壁を意味するのではないのかと、余は兼ねてより考えていたのだ」

 呟きにも似たエリク王の言葉は、アリスタリスには理解出来ないものだった。父王ちちおうの愛情を疑わないアリスタリスは、素直に驚きをあらわにする。先程、父王に笑われた勇者召喚の夢物語と、一体何が違うというのか、アリスタリスには分からなかった。

「何という大胆なことを考えるのでしょうか、宰相は。いや、むし荒唐無稽こうとうむけいにも思えるのですが、それは我々の魔術師達に行える術なのでしょうか」
「難しいであろうな。宰相自身、直ぐに成功すると思ってはおらぬだろう。只、我々が欲している物を得るには、あらゆる可能性を追求しなくてはならぬだけのことだ」
「我々が欲するものとは、何を指すのですか、父上。御|尋(たず)ねしてもよろしければ、御教え下さいませんか」
 アリスタリスの素直な問い掛けに、目の色を柔らかにしたエリク王は、躊躇ちゅうちょすることなく正解を口にした。
さらなる動力源に他ならぬよ、アーリャ。この世の全てのものは、何らかの動力によって動いている。生き物ならば、食事や水や空気がそれであろうし、火を起こすには薪や石炭が要り、水を得るには地を掘るか、自然の雨を待たねばならぬ。魔術師ならぬ身には、万能の力に思える魔術にしても、触媒しょくばいとなる輝石きせき類がなければ、小石一つ動かすことは出来ぬのだ。動力源をより多く手にした者こそが、畢竟ひっきょう、この世の覇権を握るのだろう」

 エリク王は、王城に出入りするアリスタリスの教師達のような、勿体ぶった物言いを好まない。血筋や権威や人格で政治を語ろうとしない父王ちちおうの合理性を、アリスタリスは幼少の頃から深く敬愛していた。
「ということは、今回の召喚魔術にいては、動力源と成り得る能力を、召喚時の条件として盛り込むのですね」
「そう。召喚するべき相手には、その為の設定を設けるのだよ。強い魔力を持つ者、魔力を増幅させることが出来る者、輝石を生み出せる何か、或いは魔力以外の力を持った者、とな。そして、最も大切なのは、召喚した存在に鎖を付けることであろう。新たな動力源になる程の力を持ちながら、我らに制御できぬ存在を呼び込むなど、自殺行為に等しい。それはこの世界にまだ見ぬ王、或いは未知の厄災を生み出す可能性さえあるのだよ、アーリャ」
「そう御聞きすると、宰相は随分と危険な賭けに出ようとしているのですね。そして、父上はそれを御許しになられた」
「動力源とは、いつか枯渇こかつするものだからだよ、アーリャ。実際、魔術触媒となる輝石類に至っては、採掘量は確実に減り続けている。魔術師達の魔力さえ、ひと昔前よりは平均的に少なくなっているという。我が王国は未だ衰えを見せておらぬけれど、だからこそ今の内に手段を講じねばならぬだろう。この〈黄白おうはく〉のように」

 そう言って、エリク王は花王の間に視線を巡らせ、床と壁とを指し示した。黄白とは、黄金に銀を混ぜ込んだロジオン王国独自の金属を言う。ロジオン王国では、その割合を厳密に定め、身分によって使用出来る色味を区別しているのである。
 八割の黄金に二割の銀を混ぜた柔らかな金色は、国王の居住する私的な宮殿である〈ボーフ宮殿〉と、王国を代表する本宮殿である〈ヴィリア大宮殿〉でのみ使われる。王妃の住まう〈リーリヤ宮殿〉と、王太子の住居となる〈スヴェトリン宮殿〉では、黄金七割に銀三割。他の宮殿では、黄金と銀を半々の割合で鋳造ちゅうぞうした黄白を使っている。いずれにしろ、目もくらむ程に膨大な金銀が、黄金の王国とも呼ばれるロジオンの威容いようを支えていた。

「この王城を黄白で満たす為に、我が曽祖父そうそふたるラーザリ二世陛下は、先に鉱山を持つ小国を三つくだし、金銀をもたらす属国となされた。とて、新たな力を得る機会が有るのであれば、試してみるにやぶさかではないのだよ」
「畏まりました、父上。どうか御任せ下さいませ。父上の手足であり耳目である身として、必ずや成すべきことを致します」

 とろりとした微笑を浮かべて、アリスタリスは父を仰ぎ見た。エリク王は手を差し伸べ、自分の真横の椅子に息子を呼んだ。
「ここへ御出おいで、アーリャ。このヴィリア宮で、余の話を盗み聞く愚か者はおらぬとはいえ、内密の話をするには相応ふさわしい雰囲気というものがある。父と子がむつまじく、陰謀の詳細を打ち合わせようではないか」
 父王ちちおう諧謔かいぎゃくに、アリスタリスは空色の瞳を輝かせ、素早く立ち上がった。父王に呼ばれさえすれば、アリスタリスは喜んで、そのかたわらにはべるのだった。