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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 4-15

 わたしたちの暮らすルーラ王国では、それぞれの街ごとに、守備隊って呼ばれる組織が作られている。住民の安全を守るための専門の部隊……むずかしい言葉でいうと、〈治安維持のための准騎士団〉なんだ。
 
 正式な騎士っていうのは、自分の主君に忠誠を誓い、それを認められた人たちのことをいう。国王陛下に忠誠を誓った近衛騎士団や王国騎士団、大公に忠誠を誓った大公騎士団は、その代表的なものだろう。レフ様を熱烈に崇拝すうはいしちゃってる、今のルーラ王国騎士団が、ちゃんとした騎士団といえるかどうかは、かなり微妙だと思うけど。
 その点、准騎士の場合は、〈忠誠の誓い〉をしていない。それぞれの街を治める地方領主に、命令を守るっていう約束をするだけで、いつでも辞められるし、騎士の家柄でなくてもかまわない。近衛騎士団や王国騎士団は、基本的に貴族の人たちで構成されているけど、守備隊は平民がほとんどなんだって。
 
 キュレルの街の守備隊の総隊長さんであるヴィドールさんは、ずっと守備隊をまとめ上げてきた人で、街の人たちにものすごく人気がある。いかつい熊みたいで、見た目は怖そうなんだけど、親切で優しくて優秀な人だって、皆んなが知っているからね。部下の人たちも、総隊長さんを心から信頼しているんだよ。
 同じくキュレルの街の守備隊で、中隊長を務めていたアランさんも、頼りになる騎士さんだった。若くて有能で、凛々りりしい男前で、街のお姉さんたちの人気は、フェルトさんの次くらいにすごいらしい。王都の守備隊にだって負けないくらい、人材に恵まれているんだよ、キュレルの守備隊は。
 
 でも、フェルトさんたちの話によると、そんな総隊長とアランさんが、揃って守備隊を辞めちゃうそうなんだ。フェルトさんが、大公家の後継になるために辞職するから、そのフェルトさんがひきいることになる大公騎士団に、総隊長さんとアランさんが、入団してくれる……大公家としては、安心だと思うけど、キュレルの街は大丈夫なんだろうか?
 わたしが、そう質問すると、少し困った顔をした総隊長さんが、丁寧に教えてくれた。総隊長さんも、大好きなキュレルの街と守備隊を離れたいわけじゃない。ただ、総隊長さんの選択は、神霊さんたちのお導きによるものだったんだって。
 
「チェルニちゃんたちのお供をして、おれも神霊庁の宝物庫に参上しただろう? ほら、チェルニちゃんが、〈神託しんたく宣旨せんじ〉を受けたときだよ。あの日、宝物庫の守護をしておられる尊き御神霊、春夏秋冬の四柱よんはしら神亀じんきのうち、冬守護の神亀が、おれに加護をさずけてくださった。覚えているかい、チェルニちゃん?」
「もちろん。黒曜石みたいに輝いている、冬守護の神亀が、総隊長さんにいってくれたんですよね? 〈キュレルの街の守護役〉である総隊長さんに、〈王都の巣守すもり〉になるための〈かための加護〉を授けるって。そういえば、あのとき、総隊長さんの様子が変だったような気がするよ?」
おそれ多くも、〈固め〉の印をたまわると同時に、御神託が下されたんだ。大公家とカペラ家の守りを固めよ、とな」
 
 総隊長さんによると、そのご神託を受けたときから、キュレルの街の守備隊を辞めることになるって、予想していたらしい。そして、フェルトさんが大公家の後継になるって聞いて、すぐに転職を決めて、自分の片腕として、アランさんにもついて来てほしいってお願いして……。フェルトさんに話す前に、全部の段取りを決めちゃったんだって。
 大公騎士団に入ったら、総隊長さんとアランさんは、フェルトさんの部下になる、それも、ただの部下じゃなくて、〈主君〉と〈臣下しんか〉の関係なんだ。総隊長さんを敬愛するフェルトさんは、それが嫌で、わりと抵抗したみたいだけど、実力的にも人間的にも、総隊長さんほど信頼できる人はいないからね。最終的には、〈神託に逆らう気か!〉って、総隊長さんに一喝いっかつされて、受け入れることにしたらしい。
 
「お二人のお気持ちは、正直、涙が出る程うれしかったんです。大公家の騎士団は、お祖母様とお祖父様が、すでに全員を解雇しました。誰一人、信用できないからだそうで、わたしも同感です。その点、総隊長とアラン先輩のことは、絶対的に信じられます。あり得ないような運命の悪戯いたずらで、わが身に過ぎた地位に立たされそうなわたしにとって、お二人のご厚意は、天の恵みのようでした。けれども、わたしなどが、形だけでも、お二人の主君となるなんて、申し訳なさすぎて……」
 
 そういって、フェルトさんは、困ったような、切ないような、すごく複雑な表情で、ため息をいた。すぐに総隊長さんが、フェルトさんの頭をがしがし撫でて、アランさんが背中をばんばん叩いてくれたから、フェルトさんもうれしそうにしていたけどね。
 
 わたしは、フェルトさんたちの温かいやり取りを見ながら、心の中で、冬守護の神亀様に感謝を捧げた。だって、フェルトさんの大公家には、アリアナお姉ちゃんがお嫁に行くんだよ? 元大公は、子供たちの誘拐事件の犯人の一人なんだから、今後も大公家が巻き込まれる可能性がある。フェルトさんが大公家をぐことに、何らかの妨害があるかもしれない。そんな問題だらけの将来を考えたら、フェルトさんたちを守ってくれるはずの大公騎士団に、信頼できる人たちがいるって、ものすごく心強いと思うんだ。
 わたしと同じように感じたのか、お父さんやお母さん、アリアナお姉ちゃんも、総隊長さんとアランさんに深々と頭を下げた。
 
「ありがたいよ、ヴィド。おまえが大公騎士団にいてくれたら、おれも安心してアリアナを嫁がせられる。本当にありがとう。よろしく頼む。アランさんも、ありがとうございます。わたしからも、お礼をいわせてくたさい」
「やめろって、マルーク。それよりも、先に挨拶する義理のあるところを回っていて、報告が今日になった。秘密にしていたみたいで、すまんな。奥方もアリアナさんも、どうか頭を上げてください。チェルニちゃんは……ははっ。にこにこ笑って、可愛いな。喜んでくれて、おれもうれしいよ。なあ、アラン」
「まったくです。わたし自身が、覚悟を決めて選択したことです。わが身に代えても、将来のご主君と奥方様をお守りいたします」
「はい! はい!」
「何だい、チェルニちゃん?」
「総隊長さんとアランさんが、フェルトさんのところに来てくれて、わたしたちは本当に安心なんですけど、キュレルの街は大丈夫なのかな? 街の皆んなが、泣いちゃうんじゃない? すんなり辞められたんですか?」
「ああ。マチアス閣下が、直々に守備隊まで足を運んでくださって、キュレルの街のご領主様に話を通してくださったんだ。宰相閣下のご推挙すいきょもいただいたので、問題はなかったよ。おれの部下たちは優秀だから、後のことは心配していない。これから、おれたちも王都暮らしになるから、よろしくな、チェルニちゃん。明日の登城から、おれたちがお供をするからな」
 
 そういって、総隊長さんとアランさんは、右手で胸を叩いた。一回、二回、三回って。レフ様と出会って、王国騎士団に興味を持って、何冊か本を読んだから知ってるよ、わたし。右手を握って、心臓のある左胸を叩くのって、騎士に共通した合図なんだよね。
 一回叩くのは、〈わかりました〉っていう了解のしるし。二回叩くのは、感謝を表す印。そして、三回叩くのは、〈必ず使命を果たします〉っていう、誓いの印なんだ。総隊長さんとアランさんは、フェルトさんとアリアナお姉ちゃんを守るって、わたしたちに誓ってくれているんだよ。
 
 厳つい熊みたいな総隊長さんも、若い美男子のアランさんも、めちゃくちゃ凛々しくて、かっこ良い。思わず感動していると、ずっと気配を消していたスイシャク様とアマツ様から、優しいイメージが送られてきた。〈益荒男ますらお、佳き麒麟児きりんじ〉〈前途ぜんと洋々ようようにして有為ゆうい也〉って。
 益荒男っていうのは、古い言葉で、強くて立派な男の人、麒麟児っていうのは、才能があって将来が楽しみな人をいうみたい。そして、そんな二人の未来は、きっと素晴らしいものになるんだろう。
 
 イメージが送られてきた後、とっても親切なご神霊であるスイシャク様とアマツ様は、贈り物もしてくれた。〈せん〉っていう言霊ことだまと同時に、純白の清らかな光と、朱色の輝かしい鱗粉りんぷんが、総隊長さんとアランさんに降り注いでいったんだ。
 しばらくの間、驚きに硬直していた総隊長さんとアランさんは、目で見てわかるくらいに身体を震わせ、目に涙を浮かべながらいった。
 
「……何とおそれ多い。純白の光のご神霊からは、〈さちあれかし〉という言祝ことほぎ、朱色の鱗粉のご神霊からは、炎の印を賜ったよ」
「わたしも同じです、総隊長。何と神々しく、何と畏れ多いことでしょうか。感動してしまって、言葉も出てきませんよ」
 
 周りで見ていたお父さんたちも含め、わたしたちは、いっせいに感謝を捧げた。二柱ふたはしらのご神霊のありがたさには、本当に感謝しかない……んだけど、皆んな、わたしに向かって頭を下げるのは、本当にやめてもらいたい。今のスイシャク様とアマツ様は、姿を消しているから、側にいるはずのわたしを目印にしているだけなのは、わかっているんだけどさ。
 わたしは台座だいざ、わたしは台座……。久しぶりの言葉をとなえつつ、わたしは、二柱に王城でのアリアナお姉ちゃんの無事を祈ったんだ。
 
     ◆
 
 翌日の王都は、それはそれは見事な見事な秋晴れだった。雲一つない青空で、空気が冷たいからなのか、空の青さがさえざえとしている。フェルトさんとアリアナお姉ちゃんが、初めて王城に参上するには、幸先さいさきの良い朝なんじゃないだろうか。
 
 家族で朝ごはんを食べてから、アリアナお姉ちゃんは、念入りに登城の用意をした。身につけるのは、昨日、オディール様が贈ってくれた、薔薇色のドレスと靴。本物の黄金みたいに輝く髪は、い上げるには短いから、左右に髪留めをつけて、きちんとした感じにする。白金と真珠の上品な髪留めは、婚約のお祝いの一つとして、お母さんが贈ってくれたものだそうで、お姉ちゃんの清楚な雰囲気に、とっても似合っていた。
 絶対的な美貌のアリアナお姉ちゃんは、お化粧をしてもしなくても、ほとんど美しさが変わらない人だから、仕上げとして、ほんのりと薔薇色のリップクリームだけをつける。そうして、支度したくの整ったアリアナお姉ちゃんは……妹であるわたしの目から見ても、すっごかった。
 
 アリアナお姉ちゃんを見るたびに思うのは、本物の美人かどうかって、顔の造作ぞうさくだけで決まるわけじゃないっていうことなんだ。もちろん、ある程度までは、顔の作りとか、体型とか、お肌とか、はっきりと目に見えるもので差がついていくとして、一定の水準を超えちゃったら、後は目に見えない空気感みたいなものじゃないだろうか。
 〈野ばら亭〉の美人女将おかみで有名なお母さんも、美人の看板娘の妹の方であるわたしも、造作だけだったら、そこまでアリアナお姉ちゃんと差がないかもしれない。何だったら、蛇を飼っちゃったロザリーだって、すごく可愛い顔をしている。でもね、やっぱりアリアナお姉ちゃんとは違うんだよ。
 わたしの大好きなアリアナお姉ちゃんは、本当に内側から光り輝くような、圧倒的に美しい気配を放っている。神霊さんたちが、アリアナお姉ちゃんを〈衣通そとおり〉って呼ぶのは、そういうことなんだろう、多分。
 
 薔薇色のドレスを着て、優雅にたたずむお姉ちゃんは、まるで薔薇を司る神霊さんの化身けしんみたいで、わたしは、感動と誇らしさに胸を熱くして、次の瞬間には、猛烈に心配になった。
 だって、このアリアナお姉ちゃんを、貴族だらけの王城に行かせたりしたら、求婚者が殺到して、また面倒なことになるんじゃないの? 蜃気楼の神霊さんの偽装って、ほとんどけちゃってるよね? 今日は、お父さんとお母さんは一緒じゃないから、いっそう不安になっちゃったんだ。
 
 せめて、アリアナお姉ちゃんの、王城での様子が知りたい。そう思った途端、わたしの耳に聞こえてきたのは、可愛らしい雀の鳴き声だった。ふっすふっすって、鼻息を吹きかけてくるスイシャク様とは違う、チュンチュン、チュンチュンっていう、雀らしい鳴き声は、今日も朝ごはんのとき、アリアナお姉ちゃんからパンの欠片かけらをもらっていた、小さな子雀だった。
 子雀ちゃんは、アリアナお姉ちゃんが、アリオンお兄ちゃんになって、フェルトさんのお供をしてきたとき、お手伝いをしてくれた雀だった。アリオンお兄ちゃんの胸のポケットに入って、小さな可愛い頭だけをのぞかせていたのは、生首なまくびみたいで、ちょっと怖かったけどね。
 
 スイシャク様から印をもらっていたわたしは、スイシャク様が司る雀の視界を、必要に応じて共有することができる。あのときも、子雀ちゃんが、アリオンお兄ちゃんの胸ポケットっていう特等席で、わたしの〈目〉になってくれたお陰で、守備隊でのフェルトさんたちの様子を、時間差なく知ることができていたんだ。
 クローゼ子爵家の事件が、一応の終わりを告げた後、子雀ちゃんは、空へと飛び立っていった。スイシャク様には、特定の雀の眷属はいないみたいで、いつもは近くにいる雀が、交代で〈目〉になってくれるから、わたしたちは、お役目を終えた子雀ちゃんも、いなくなっちゃうと思っていた。
 子雀ちゃんは、とっても可愛くて、お姉ちゃんからパンの欠片をもらっているのも、微笑ましかったから、わたしはちょっと寂しかった。ずっと一緒にいたアリアナお姉ちゃんは、エメラルドの瞳を潤ませて、子雀ちゃんを見送っていた。本当にありがとうって、手を振りながら。
 
 ところが、ある朝、わたしたちが朝ごはんを食べているところに、前触れもなく子雀ちゃんが現れたんだ。小さな子雀ちゃんは、真っ黒な瞳をうるうるさせ、窓枠にとまったまま、じっとアリアナお姉ちゃんを見つめていた。皆んな同じに見える雀なのに、わたしたちは、一目ひとめであの子雀ちゃんだってわかったんだよ。
 アリアナお姉ちゃんが、急いで窓を開けると、子雀ちゃんがすいっと入ってきて、パンの欠片を食べ出した。スイシャク様によると、スイシャク様の神威しんいに触れた子雀ちゃんは、〈選ばれた雀〉になっちゃって、眷属の末席まっせきに加えられたらしい。
 
 アリアナお姉ちゃんは、大喜びで子雀ちゃんを受け入れて、名前をつけた。〈アルフォンソ〉って。子雀の名前としては、立派すぎる気はするけど、アリアナお姉ちゃんが考えたんだから、仕方がない…‥んだろう。
 子雀ちゃんのアルフォンソは、いつもうちにいるわけじゃない。ご飯のときには、どこからともなく現れて、アリアナお姉ちゃんにパンや野菜をもらったり、お姉ちゃんの肩でうたた寝したり、わりと自由な感じなんだ。小さな子雀だとしても、神霊さんに連なる存在になれば、特別な力を得るものだから、自我に目覚めた子雀ちゃんは、自分の意志で、アリアナお姉ちゃんの側にいてくれるんだろう。
 
 アリアナお姉ちゃんが登城する今日、子雀ちゃんは、わたしの〈目〉になってくれるらしい。チュンチュンと鳴いた後、姿を現した子雀ちゃん…‥アルフォンソのアーちゃんは、ふわりとアリアナお姉ちゃんの頭の上にとまり、そのまま気配を薄くした。それだけで、アーちゃんの姿は見えなくなったけど、ずっとそこにいるんだって、わたしにはわかった。
 アリアナお姉ちゃんは、ちょっとだけ驚いて、エメラルドの瞳を見開いてから、優しく微笑んだ。〈ありがとう、アーちゃん。お願いね〉って。
 
 アリアナお姉ちゃんは、純白の毛皮のケープを羽織り、白いレースのハンドバックを持つ。そうして、絶世の美少女の準備が整ったところで、待つほどの間もなく、ルルナお姉さんが馬車の到着を知らせてくれた。
 アリアナお姉ちゃんは、フェルトさんの乗ってきた馬車で、一緒に王城へ行くことになっている。マチアス様とオディール様は、大公家の紋章のついた馬車で、先に王城に向かい、フェルトさんとアリアナお姉ちゃんは、紋章のない馬車で、目立たないようにお城の敷地内に入るんだって。貴族社会って、やっぱり面倒だね、いろいろと。
 
 玄関で待っていたフェルトさんは、アリアナお姉ちゃんを見た途端、石膏像みたいに固まった。顔は赤くなっているし、呼吸もしていないみたい。今朝のフェルトさんは、大公騎士団の騎士たちの濃紺の団服、それも豪華な飾りのついたものを着ていて、すごくかっこ良いのに、わりと台無しだと思うよ?
 同じ大公騎士団の団服を着た、総隊長さんとアランさんも、さすがにアリアナお姉ちゃんに目を奪われているくらいだから、フェルトさんの反応も、無理はないんだけどね。
 
「お早うございます、フェルトさん。わざわざ迎えに来てくださって、ありがとうございます。総隊長さん、アランさん、本日はよろしくお願いいたします」
「ご丁寧にありがとうございます、アリアナ様。本日より、われらが未来の主君となられるフェルト様、ご婚約者様のアリアナ様を、誠心誠意、お守りいたします」
「わたくしも、フェルト様とアリアナ様の御為おんために、我が身をお捧げいたします。よろしくお願い申し上げます」
「……あの、その……とてつもなく綺麗です、アリアナさん。いや、アリアナさんが綺麗じゃなかったことなんて、一度もないんですが、このアリアナさんと王城なんて、行きたくない……。面倒な男にからまれる予感しかしない……。今日は、祖父母に任せて、やめにした方が……」
「何をぶつぶついってるんだ、フェルト?」
「お早うございます、お義父さん。今日は、王城なんて行かず、この家でゆっくりさせていただいた方が良いんじゃないかと……」
「こら! 正気に戻れ、馬鹿フェルト!」
 
 うわ。総隊長さんってば、さっきは〈未来の主君〉とか、〈フェルト様〉とかいってたのに、思いっ切りフェルトさんの頭をぶっ叩いてるよ。人前ではともかく、そういう二人の関係は変わらないんだってわかって、わたしは、温かい気持ちになったけどね。
 
 フェルトさんたちが乗ってきたのは、大きくて立派な箱馬車だった。大公家の紋章はついていないけど、高位貴族の家の馬車だって、すぐにわかるくらい豪華で、何ともいえない品格があるんだ。
 フェルトさんと、フェルトさんに手を引かれたアリアナお姉ちゃん、護衛騎士らしい総隊長さんとアランさんが、続けて馬車に乗った。アリアナお姉ちゃんが、窓から小さく手を振ってくれて、わたしたちも手を振り返して、馬車は滑るように走り出す。わたしは、遠ざかる馬車を見つめながら、大きなため息を吐いた。
 
 だって、立派な箱馬車の上には、紫色に輝く巨大なはさみが浮かんでいて、やけに楽しそうに、くるくるくるくる、回り続けていたんだよ……。