連載小説 神霊術少女チェルニ 往復書簡 73通目
レフ・ティルグ・ネイラ様
今日の手紙では、〈野ばら亭〉の王都進出記念の締めくくりとして、うちのお店の秘密をお教えしたいと思います。まあ、秘密とはいっても、別に隠しているわけじゃないし、街の人たちは、だいたい知っているんですけどね。
食堂の方の〈野ばら亭〉は、かなり大きなお店で、百人分くらいの席があります。高級宿の方の〈野ばら亭〉でも、宿泊客のためのレストランや食堂があって……つまり、毎日毎日、ものすごい数のお客さんが、うちの料理を食べに来てくれるんです。
お母さんに聞いたところによると、普通の食堂の場合、百人のお客さんを受け入れるには、十人近い従業員さんが必要になるそうです。料理を作るだけじゃなく、接客して、掃除をして、食器を洗って、お金の受け渡しをして、予約を取って……って考えると、確かに、それだけの人手がいるだろうなって思います。
そして、料理の手間を惜しまない〈野ばら亭〉では、従業員さんは、もっと多くなります。食材の下準備をする人が、専従で毎日十人は働いてくれています。人件費はかかりますが、うちのお父さんは、〈わずかでも手間を惜しんだら、料理は途端にまずくなる〉っていう信念を持っているので、絶対に妥協しません。
〈野ばら亭〉名物のモツ煮込みにしろ、チキンのシチューにしろ、金色のスープにしろ、余分な血の一滴、ほんのひとかけらの汚れも許さない、徹底した下拵えが、味を支えているんだそうです。
うちのお父さんとお母さんは、下準備の担当として、孤児院の子供たちを、積極的に雇っています。普通に人を雇うのと同じくらいの給料を払って、料理を教えて、孤児院を出てからは寮に住んでもらって、学校に行けるように時間を調整するんです。ずっと〈野ばら亭〉で働きたいっていう子には、一から料理を教えるし、別の仕事に就きたいっていう子には、仕事を紹介したりもします。
子供たちの中には、仕事に来るたびに、〈残り物だから〉って渡されるパンの味を、大人になってからも覚えている人が、たくさんいるそうです。子供たちにとって、〈野ばら亭〉のパンは、幸福そのものの味がして、だから、その後の人生で何があっても、頑張れる気がするんだって、いってくれるんですよ。(うちのお父さんは、孤児院の子供たちや、生活に困っている人のために、いつも必要以上にたくさんのパンを焼いて、せっせと〈残り物〉を作っています。わたしは、そんなお父さんが、大好きです)
わたしやアリアナお姉ちゃんも、モツ煮込みの下拵えを手伝ったことがあります。新鮮なモツは、あんまり臭みはないものの、見た目がわりと気持ち悪くて、小さな頃は、ちょっと嫌でした。でも、普段はものすごく優しいお父さんが、それだけは許してくれなかったんです。
モツに小麦粉をかけて、必死でもみ込んで汚れを落とし、きれいな水で洗って、小麦粉をかけて……。それを、何回も何回も、腕が疲れるくらい繰り返します。〈モツを洗うと思うな。心を洗うと思え〉っていうのが、お父さんの口癖なんですよ。
さて、ここまで書いたら、わかってもらえるんじゃないでしょうか? 王都のグルメ雑誌でも絶賛されている、〈野ばら亭〉の味の秘密は、お父さんの人柄そのものなんだって。
次の手紙を書く頃には、王都に行っていると思います。同じ王都の空の下ですが、また手紙で会いましょうね。
ものすごく恵まれた食生活を送っている、チェルニ・カペラより
追伸/
モツって、食べたことはありますか、ネイラ様? 考えてみたら、モツは庶民の食べ物だし、貴族の人は知らないんじゃないかって、ちょっと心配しています。すごくおいしいし、お酒にぴったりらしいので、ネイラ様のお父さんにも食べてもらいたいです。
←→
父上に対する深い敬愛が、眩しいばかりに輝いている、チェルニ・カペラ様
きみの手紙を読んでいるうちに、以前、パヴェルが話していたことを思い出しました。クローゼ子爵家の事件の最中、カペラ家にお世話になっていたパヴェルは、きみの父上を大変に羨ましく思ったそうです。
〈世の中の娘と呼ばれる存在が、すべてチェルニちゃんのようであったら、素晴らしく平和で美しい世界が広がることでしょう。そして、カペラ殿は、父と呼ばれる者、すべての憧れですよ〉と。パヴェルにはめずらしく、しみじみと感じ入った声で語られた言葉は、今もはっきりと覚えています。
きみが、素直で愛らしい性格であることはもちろん、きみの父上が素晴らしい人格者であるからこそ、今のような親子関係が築かれているのでしょう。孤児院の子供たちに、パンや金銭を〈恵む〉のではなく、仕事を提供し、愛情を傾けて成長を促すとは、誰にでも出来る行いではありませんね。
きみの父上は、料理を司る神霊に印を授けられているのではなく、神々の食べ物である〈神饌〉の神霊から、強い加護を得ています。並の者であれば、その事実に驕り、傲慢になるものなのに、この上もなく誠実に仕事に向き合う姿には、頭が下がります。
きみのいうアマツ様は、わたしに手紙を運んでくれる度に、食事の自慢をしていきます。味はもちろん、そこに込められた心が美しく、まさに〈神饌〉の名に相応しい食べ物である、と。きみの父上からいただいた、〈野ばら亭〉の菓子だけでも、十分に感動していますので、そうお父上に伝えてください。お願いします。
さて、きみが書いてくれた〈モツ煮込み〉は、残念ながら食べた記憶がありません。ご推察の通り、貴族家の食事には、モツそのものが出てこないのです。本で調べましたので、大変に手間のかかる料理であることや、完全に臭みを消すのは難しいことなど、知識としては理解しているのですけれど。
〈野ばら亭〉の王都支店が完成すれば、わたしも両親も、週に何度もお邪魔するのではないでしょうか。本当に、今から楽しみでなりません。
では、また。次の手紙で会いましょう。そのときには、わたしも、王都の空を見上げますからね。
料理というものの奥深さを知りつつある、レフ・ティルグ・ネイラ