連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 2-29
フェルトさんのいる、守備隊の本部にやってきたのは、普通っぽい感じの、中年の男の人だった。リオネルさんに連れられて、フェルトさんとアリオンお兄ちゃんが受付まで行くと、慌てた感じで口を開いたんだ。
「あの、あなたがフェルト・ハルキス様ですか? その、ちょっと問題が起こりまして、一緒に来ていただきたいんです。わたしは、〈野ばら亭〉に出入りしている馬丁なんですが、急ぎでハルキス様をお連れするように、〈野ばら亭〉のご主人に頼まれまして」
「わたしは、今朝も〈野ばら亭〉から出勤してきたが、カペラ殿は何もおっしゃっていなかったが?」
「はい。この数時間の間に、問題が起こりまして、すぐにハルキス様に戻っていただきたいとのことです」
「〈野ばら亭〉で、あなたにお会いしたことはないように思うが?」
「はい。わたしは、昼間だけ通って、馬の世話をしたり、人手が足らないときだけ、御者をさせていただいておりまして。顔を見知った方が来た方が、話が早いとは思ったのですが、今、〈野ばら亭〉にはその余裕がないんです」
「へえ。何があったのかな?」
「ここではちょっと。ハルキス様だけに、お話するように言い含められておりまして」
そういって、馬丁だって名乗った男の人は、フェルトさんの耳元に口を寄せて、そっとささやいたんだ。〈下のお嬢さんが消えてしまったんです〉って。小雀ちゃんは、しっかりと声を拾ってくれたけどね。
「そんなことが! だったら、すぐに総隊長にお願いして、探してもらわないと!」
「いやいや、お待ちください。妙な噂になると困るので、もうしばらくは内密でお願いしたいそうです。ともかく、そのご相談もあるので、戻っていただけませんか?」
「わかった。すぐに戻ろう」
「では、よろしくお願いします。一刻でも早く戻ってほしくて、裏口に馬車を待たしてありますんで」
まあ、雑といえば雑な話で、普段のフェルトさんだったら、当然、疑ってかかると思うんだけど、今回は相手の誘いに乗るって、事前の打ち合わせで決まっているからね。フェルトさんは、やや下手くそな演技で、〈うわー、大変だー〉って顔をして、大きくうなずいたんだ。
馬丁だって名乗った人は、〈早く来てくださいね〉っていい残して、それからささっと消えていった。フェルトさんは、リオネルさんと視線で会話してから、すぐに守備隊の本部を出ていった。
守備隊本部の裏口には、小さめの馬車が停まっていた。馬丁の人はアリオンお兄ちゃんが一緒に来たことで、ちょっと嫌な顔をしていたけど、二人はまったく気にせずに、見つめ合っていたんだ。
「じゃあ、行ってくるよ、アリオン」
「気をつけてね、フェルトさん。お帰りを待っていますからね」
「わかっているよ。ありがとう。アリア……アリオンこそ、俺のいない間も、くれぐれも身の回りに注意してくれ。いいね?」
「はい。必ず、そうします」
「いい子だ。俺もすぐに帰ってくるから、心配はいらないよ」
えっと。今のアリアナお姉ちゃんは、どこからどう見ても、美少年のアリオンお兄ちゃんなんだけど?
馬丁の……面倒だから、この人が悪人9で、御者をしている仲間が、悪人10でいいや。悪人9と10ってば、美少年のアリオンお兄ちゃんとフェルトさんが、明らかに普通じゃない感じで見つめ合ってるから、ぎょっとした顔になっちゃってるよ……。
ともかく、フェルトさんが馬車に乗ったところで、悪人9が、馬車の扉の前に立って、アリオンお兄ちゃんに話しかけた。〈じゃあ、行ってきますので〉とか何とか、どうでもいい挨拶だった。その隙に、フェルトさんが、内側から鍵をかけたことを確認する振りをして、悪人10が、外側から鍵をかけたんだ。
これでもう、馬車は内側からは開かないから、フェルトさんは、閉じ込められちゃったことになるんだろう。
悪人9と10は、そそくさと馬車の御者席に乗って、ゆっくりと馬を走らせた。しばらくすると、〈野ばら亭〉とは正反対の方向に向かったのがわかったのか、フェルトさんが馬車の中から御者席の後方の小窓を開け、大声で怒鳴り出した。
「おい! どこへ行くんだ。これじゃあ、〈野ばら亭〉とは逆方向だろう。急ぐんじゃないのか! どういうことだ!」
「いいから、黙って乗っていろ、間抜けが。お前が下手な真似をしたら、下の娘が無事では済まなくなるぞ」
「貴様! あの子に何かしたんじゃないだろうな!? 消えたというのは、嘘なのか!?」
「嘘じゃないとも。俺らの仲間が、家から拐ったからな。親から見たら〈消えた〉ことになるなろうな」
「拐っただと。本当なのか!?」
「今日の服装は、白いブラウスに黄色のカーディガン、緑のスカートだとさ。娘を拐った仲間からの連絡だ。家から出ない娘だそうだから、拐いでもしなけりゃ、服装なんかわからないだろうな」
「くそ! 卑怯者め!」
「娘を殺されたくなかったら、静かに乗っていろ。馬鹿が」
そういって、意地悪に笑った悪人9と10は、キュレルの街を出るつもりみたいだ。通用門に向かって、馬車が速度を早めたところで、わたしの視界はくるりと変わり、今度は自分の部屋に戻ってきたんだ。
フェルトさんが大丈夫なのは、よくわかっているんだけど、ちょっとだけ心配になって、スイシャク様とアマツ様をぎゅっと抱っこしていたら、部屋の外から声が響いてきた。厳かで、朗々としていて、厳しさと優しさを複雑に混ぜ合わせた、すごく特別な声は、神霊庁の神使様でもある、ヴェル様の祝詞だった。
「畏れ多くも顕現されし御二柱 いとも尊き御神鳥に 衷心よりの感謝を奉る 現世に在らぬ御神域に 神託の雛を守護し給い 鼠も蛇も鬼さえも 雛の安寧を妨げること能わず 御二柱の御業にて 穢れの去りし結界に 再び雛を御戻しあれかし 神使たる身の願いにて 畏み畏み物申す」
(おそれおおくもけんげんされしおんふたはしら いともとおときおんかみどりに ちゅうしんよりのかんしゃをたてまつる うつしよにあらぬごしんいきに しんたくのひなをしゅごしたまい ねずみもへびもおにさえも ひなのあんねいをさまたげることあたわず おんふたはしらのみわざにて けがれのさりしけっかいに ふたたびひなをおもどしあれかし しんしたるみのねがいにて かしこみかしこみまもうす)
ヴェル様の声に応じるように、わたしの身体をぐるんぐるんに巻き込んでいた、紅白の光が消えていき、天蓋付きベッドのレースみたいに、優雅に垂れ下がっていた紅白の幕も、しゅるしゅると巻き上がっていった。
あれっと思ったときには、わたしはいつもの自分の部屋にいて、スイシャク様とアマツ様と一緒に、ベッドに座っていたんだよ。
その変化を察知したらしいヴェル様は、そっと部屋の扉を叩いた。そして、短杖の一撃で、悪人たちを半死半生にしちゃった人とは思えない、優しい声でいった。
「もう大丈夫ですよ、チェルニちゃん。穢れた〈白夜〉どもは、木箱に詰めて運び出しました。この素晴らしいお家には、彼奴らの汚らしい血など、一滴たりとも落としていませんからね。安心して出てきてください」
うん。確かに、悪人たちは誰も出血していなかったね。手足はばっきばきに折られていたし、何だったら生死も不安なくらい、容赦なかったけど……。
◆
ヴェル様に連れられて、食堂に降りていくと、お父さんとお母さんが待っていて、わたしのことをぎゅって抱きしめてくれた。お互いに、無事だっていうことは知っていても、やっぱりちょっとだけ不安だったからね。大好きなお父さんとお母さんの顔を見て、やっと心から安心できたんだ。
ヴェル様は、そんなわたしたちを、にこやかな表情で眺めながら、襲撃の結果を教えてくれた。
「チェルニちゃんを拐うために、この家を襲撃してきたのは、総数で七名でした。御者と見張りが各一名、郵便局員を装った先導役が一名、誘拐の実行犯が四名です。全員を捕らえましたので、ご安心ください」
「はい! はい!」
「こんなときにも元気いっぱいで、可愛らしいですね、チェルニちゃん。何でしょう?」
「ヴェル様と一緒に戦っていた女の人は、〈黒夜〉の人ですか?」
「やはり〈視えて〉いましたか。そうですよ。彼女は、〈黒夜〉が誇る武闘派なのです。強かったでしょう?」
「ヴェル様も、あの女の人も、すっごく強くて、すっごくかっこ良かったです!」
「ふふ。ありがとうございます、チェルニちゃん。〈野ばら亭〉を監視し、放火しようとしていた三名も、近隣の宿屋の一室で確保しています。あの者たちには、別に使い道がありますので、先の七名と合わせて、〈黒夜〉が支配下に置いています」
「多大な御尽力を賜り、御礼の言葉もございません、オルソン子爵閣下。誠にありがとうございました」
「とんでもありません、カペラ殿。もとはといえば、クローゼ子爵家を自由にさせていた、王国の科なのです。こちらこそ、御協力ありがとうございました」
ヴェル様とお父さんは、お互いにそういって、頭を下げ合った。ヴェル様は、右手を胸に当てて優雅に。お父さんは、きっちりと腰を折って深々と。二人を見ていると、うちの家と〈野ばら亭〉を守ってもらえたんだって、感謝の思いが込み上げてきたんだ。まだ早いかもしれないけどね。
スイシャク様とアマツ様は、それぞれ、きらきらとした紅白の光の粒を舞い散らせて、わたしたちを労ってくれた。〈良き哉、良き哉〉〈穢れは去りて、神苑至る〉〈新たなる守護を授けん〉って。
お父さんとお母さんは、スイシャク様とアマツ様の前に額ずいて、心からの感謝を捧げていた。わたしもそうするべきだと思ったし、そうしたかったんだけど、スイシャク様に優しく留められた。
スイシャク様がいうには、眷属を守るのは当たり前だから、心の中で思っているだけで十分なんだって。本当にそれで良いのか、今度の手紙でネイラ様に聞いてみることにしよう。
お父さんたちが〈野ばら亭〉に戻ってから、しばらくの間、わたしとヴェル様は、一緒に紅茶を飲んだ。お茶請けに出してもらったのは、わたしの大好きな、いちじくのシロップ煮だった。いちじくを白ワインとお砂糖で煮て、冷たく冷やして、甘味を抑えたアイスクリームと一緒に食べるデザートは、大人な味がして、本当においしかった。
ヴェル様と、おいしいねって微笑み合って、いろいろなお話をして、スイシャク様やアマツ様を抱っこしているうちに、夕方に近い時間になった。まだまだ外は明るいけど、もう少しで日が陰り出すだろうっていう頃に、ようやくスイシャク様が合図をしてくれた。本当はずっと気になっていた、フェルトさんを連れ去った馬車が、遂に目的地に到着したみたいなんだ。
わたしの視界が切り替わったとき、フェルトさんを乗せた馬車は、ちょうど大きなお屋敷の門を入ったところだった。庭が広くて、周囲にはぽつりぽつりと家が建っているだけだから、別荘なのかもしれない。ヴェル様が、〈王都郊外の高級別荘地ですよ〉って教えてくれたから、フェルトさんがこの家に連れ込まれるのは、予定通りの展開なんだろう。
フェルトさんを乗せた馬車が、よく手入れされた石畳の上に留まると、御者席から飛び降りた悪人10が、お屋敷の中に声をかけた。途端に飛び出してきたのは、二十人を超える男の人たち。中には数人、騎士っぽい人も含まれ、それぞれの手にはナイフや剣が握られていて、完全に武装していたんだ。
その人数を確認し、にやって、感じの悪い顔で笑った悪人10は、馬車の中にいるフェルトさんに向かって、怒鳴るみたいにいった。
「おい、降りろ! 〈野ばら亭〉の下の娘は、我らが預かっている。殺されたくなかったら、抵抗はするな。おとなしくしていたら、下の娘に会わせてやる」
悪人10が合図をすると、槍槍(やり)を持った男が進み出て、馬車の様子を伺いながら、穂先で馬車の外鍵を開ける。悪人10は、続けていった。
「今、馬車の鍵を開けてやったから、黙って降りてこい。剣は馬車の中に置いたままにしろ。娘を殺されたくなかったら、従うんだな」
悪人10の言葉に、馬車を取り囲んだ男の人たちが、げらげらと笑った。何がおかしいっていうんだろう? どの人も、すごく愚劣で、悪質で、見ていて気分が悪くなったくらい、卑しい顔つきだった。
フェルトさんは、すぐには降りてこなかった。中から鍵を開ける音がしたと思ったら、足で扉を蹴り開け、顔だけを外に出して、こういったんだ。
「チェルニちゃんの顔を見せろ。そうでない限り、ここからは降りない」
「ふん。なら、力づくで引きずり出すだけだ」
「はっ! お前たちには無理な話だな。街のごろつき如きが、何人集まろうと問題になどなるものか」
そういいながら、フェルトさんは、素早く印を切り、詠唱を口にした。
「力を司る御神霊よ。今こそ助けが必要だ。悪人どもに打ち勝つために、五体に力を注いでくれ。対価は俺の魔力と、必要なだけの髪の毛だ」
詠唱が終わると同時に、フェルトさんの乗った馬車の上に、両手で抱えるくらい大きくて、きらきらとした金色に輝く光球が現れ、くるくると旋回した。そして、馬車の中に吸い込まれたかと思うと、馬車の中を明るい金色に光らせたんだ。
フェルトさんてば、やっぱり強い神霊術が使えるんだね。光の煌めきといい、周囲に漂う気配といい、桁違いに強力な術であることは、疑いようがなかった。王国騎士団長であるネイラ様が使う術だから、ルーラ王国の国民のほとんどが噂として知っている、これって〈力〉の神霊術じゃないのかな?
「おまえ、まさか、力の神霊術を使えるのか!?」
「そうだ。いとも光栄なことに、〈神威の覡〉で在られる御方と、同じ御神霊から印を賜っている。もちろん、与えられる加護の大きさは、比べものにもならないが、ごろつきどもを制するには、十分過ぎる恩寵だ。俺にいうことをきかせたかったら、チェルニちゃんの無事な顔を見せろ」
「くそっ! 待っていろ。今、連れてきてやる」
悪人たちは、舌打ちをしたり、石畳を蹴ったりして悔しがってたけど、フェルトさんと正面から戦っても、勝てないことはわかったんだろう。一人が裏手に駆け出したと思ったら、すぐに大きな木箱を抱えた人たちと一緒に、馬車の前まで戻ってきたんだ。
四人がかりで運ぶくらい大きな木箱には、見覚えがあった。家から拐うために、わたしを詰め込もうとしていた木箱だよ。木箱を運んでいるのは、〈野ばら亭〉に放火しようとしていた悪人123と、うちの家を襲撃に来たときに御者をしていた、悪人7だった。
「そら、運んできてやったぞ。下の娘は、この木箱の中だ」
「すぐに開けて、チェルニちゃんの顔を確かめさせろ」
「わかったよ。おい、木箱を下ろせ。中を開けて、娘を見せてやれ」
悪人10にいわれるまま、木箱を運んできた悪人たちは、石畳の上に投げ捨てた。あれって、わたしが入ってることになってるんだよね。あの扱いって、どうなのさ? わたしは、ちょっと気分が悪かったんだけど、悪人12は、かまわずに釘抜きを持ち出して、木箱のふたを開けた。
今さっき、ヴェル様が教えてくれたんだけど、〈白夜〉が誘拐を実行するときは、被害者を木箱に入れて、外側からふたを釘で留めちゃうことが多いんだって。不便といえば不便だけど、絶対に相手を逃さず、途中で検問とかにあっても、荷物を改められる確率を減らすために、わざとそうするんだって。
悪人たちは、大きな釘抜きを使い、べきべきと音を立てて、一気に木箱のふたを外していった。すると、中から転がり出てきたのは、郵便局員を偽装していた、あの悪人4だったんだ!
悪人4は、猿ぐつわを噛まされ、後ろ手に腕を縛られていた。お人好しに見えていた悪人4の顔は、怒りと苦痛に引きつり、片足は曲がっちゃいけない角度に曲がっている。うん。誰がどう見ても、十四歳の少女じゃないよね、悪人4。
木箱を取り囲んでいた悪人たちは、大声を出して、悪人1たちを怒鳴りつけた。
「おい! どうして、こいつが閉じ込められているんだ!? 娘はどうした。〈野ばら亭〉の下の娘で、フェルトの婚約者の妹は、どこにいる!?︎」
「馬鹿野郎! 木箱の中身を確かめなかったのか? いったい何をどう間違えたら、こいつと娘が入れ替わるんだ!?」
「まさか、誘拐は失敗したのか!? 娘はどうした? 〈野ばら亭〉とかいう店は、燃やしてきたんじゃないのか!?」
悪人たちが、慌てて叫んでいる最中、不意にすごい音が響き渡った。ガーンって!
それと同時に、まるで爆発したみたいな勢いで、フェルトさんの乗っていた馬車の扉が、ずっと先まで飛んでいった。力を司る神霊さんに、大きな力を貸してもらったフェルトさんが、重くて頑丈なはずの扉を、ひと蹴りで吹っ飛ばしちゃったんだ。
ゆっくりと馬車から降りてきたフェルトさんは、腰に差した剣には手をかけないまま、唇を吊り上げて、こういった。
「十人や十五人では物足りないが、とりあえずかかって来い。俺の大切な義妹を拐い、敬愛する義父母を焼き殺そうとしたお前たちは、虫けら以下の極悪人だ。味方が到着する前に、さっさと方をつけさせてもらおうか」
叫んだわけでもないのに、フェルトさんの声に、悪人たちはそろって身体を震えさせた。よし! フェルトさん、やっちゃって!