連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 3-24
《縁結ばれたり》
《其が告げるべし、神成の刻》
羊を司る神霊さんは、白黒に輝く長い被毛のところどころに、輝かしい極彩色の毛を光らせながら、そういった。これ以上ないくらい神秘的な場面なのに、わたしが、ちょっとだけ笑いたくなったのは、誰にも内緒にしたいと思う。
だって、わたしの知っている羊の神霊さんは、とっても可愛らしい編みぐるみで、現世に顕現している間は、ずっとわたしの腰回りに寄りかかっていたのに。今は、あまりにも神々しいお姿だから、違和感がすごかったんだ。後になって考えると、その場の尊さに緊張しちゃって、逆に笑えてきたんだって、わかったけどね。
ともあれ、羊の神霊さんからお言葉があった以上は、精一杯応えるしかない。わたしの頭上に浮かんでいるスイシャク様とアマツ様からも、やきもきする気配が伝わってくるし、やるだけのことをやってみよう。
何となく、頭上の二柱から、今にも〈言霊〉が流れ込んでくるような気がするから、わたしは、改めて姿勢を正した。ゆっくりと深呼吸して、雑念を祓って、心を開いて待っていると……やっぱり、すぐに降ってきたんだよ。スイシャク様とアマツ様、そして初めて明確に聞き取れた、羊を司る神霊さんからの言霊が。
多分、またしても発光して、ぴかぴかした少女になっちゃった、わたしの口から、自然に言葉が滑り出る。
黄金の角を煌めかせた、羊にも似た姿のご神霊のお声がいう。
《我の紡ぎし糸なれば、現世神世の隔たり超えて、神の声をば届けたり》
世にも麗しく神々しい、純白のご神鳥のお声がいう。
《神の使いし佳き鋏、古よりの功有りて、神成り遂げる刻は密つ》
神威に溢れて燃え盛る、真紅のご神鳥のお声がいう。
《糸より注ぐ神世の雫、其の新たなる神名受けて、社移り、社移り》
そして、最後に、わたし自身の声でいった。自分でも、ちっとも意味がわからないのに、わたしは、確かにこういったんだ。
〈目出たく秋の至りせば、尊き神へとお成りたる、神成の刻にござります。神様方の使われし、古き御霊の御神鋏、御名《紫光》の御方様へ、畏れ多くも畏くも、神の名をこそ受け取られ、神世までもお渡りあれと、言上申し上げまする〉
それは、不思議な感覚だった。わたしの頭の中に、くっきりと金色の文字が書かれていて、勝手に口が読み上げているみたい……。どうやら、古いご神鋏を相手に、〈神成〉を勧めているらしいんだよ、わたし。
わたしたちの言葉を聞いた鋏は、紫色の光をますます強くして、燦然と輝き始めた。何がどうなっているのか、疑問に思う間さえもなく、わたしは、すぐに次の言葉を口に出した。
〈いとも目出たき慶事にて、皆々様も照覧あれかし。縁の糸をつたい降り、《紫光》様へと注がるる、神世の雫、御神名。いざ、ご降臨にござります〉
わたしの口が、そういった瞬間、巨大鋏に結びつき、遥か上へと真っ直ぐに伸びていた金色の糸が、いっそう神々しく光り輝いた。きらきらの鱗粉を通り越して、黄金の粒が溢れ出したみたいに、きらっきらだよ、きらっきら!
そして、あっと思ったときには、その金色の糸を伝って、真っ逆さまに何かが降ってきたんだ。光もしないし、輝きもしない。でも、無意識に歯を食いしばって耐えたくらいの、それは圧倒的な神威をまとった〈名前〉だった。
〈高き神々より賜りましたるご神名は、《雷截神》。いざ、皆々様。雷截神様、神成にござります〉
どうやら、わたしのものらしい、まだ甲高い少女の声が、天上からもたらされた巨大鋏のご神名を、高々と宣言した。神霊庁の奥の奥、宝物庫のさらに奥、神霊さんの御物を保管する神物庫のまん前の、純白の空間の中で。
わたしの言葉が終わると同時に、空中に浮かび上がった巨大鋏の光が、紫色の渦になって、鋏の周りをゆっくりと旋回した。今までの光よりも、ずっとずっと輝かしく、神々しい光だった。
あまりにも神秘的な光景と、自分がその渦中に巻き込まれた衝撃に、わたしが、呆然としていると、どこからともなく聞こえてくる音があった。しゃらんしゃらん、しゃらんしゃらん……。一つ一つは、小さくて可愛らしい、可憐な鈴の音なのに、純白の空間に反射するみたいに、何重にもなって響き渡る音は、魂が震えるくらい美しくて、荘厳なものだったんだ。
この音って、ヴェル様の〈ご神鏡の世界〉で、〈鬼哭の鏡〉を浄化してくれた、鈴を司る神霊さんの音だよね? あのときは〈ちりんちりん〉となる一つの鈴の音が、幾重にも重なり合っていて、今回はたくさんの鈴が連なって、〈しゃらんしゃらん〉となっているけど、鈴の音には違いない。祈祷もしていないし、お願いさえした覚えがないのに、〈神託の巫〉としての初仕事になっちゃった、〈神成〉のお手伝いのために、力を貸してくれるんだろう。
ありがたさに涙が浮かびそうになったところで、わたしの目に映ったのは、ふわりふわりと降り注ぐ、白くて小さな光だった。雪の結晶みたいに輝いて、静かに降り注ぐこの純白の光は、清らかな浄めの塩じゃないのかな?
鈴の神霊さんと同じように、〈ご神鏡の世界〉で助けてくれた、塩を司る神霊さんが、やっぱりこの場に降臨して、わたしを助けてくれているんだ。本当にうれしくて、ありがたくて、浮かびかけていた涙が、ぽろりと一粒流れちゃったよ。
純白の空間の中に巨大な鋏が浮かび、黄金の糸が天に伸び、紫の光が渦を巻き、浄めの塩がふるふると降り注ぎ、荘厳な鈴の音が響く。壁際には座礼を取ったままの二百人近い人がいて、呆然とした表情で視線を向け、わたしの頭上には紅白のご神鳥が漂い、腰のあたりには羊に似た神々しいご神霊が寄りかかる……。
うん。何というか、とんでもない絵柄だよね。豪華絢爛というか、神々しさのてんこ盛りというか。羊の神霊さんなんて、さっきまであんなに厳かだったのに、いつの間にか近くに移動してきて、わたしにひっついてくれているし。スイシャク様とアマツ様は、〈目出たき神事〉っていってたけど、本当に素晴らしくおめでたいと思う。視覚的な意味でも。
巨大な鋏を取り巻いていた、紫色の光の渦は、やがてきゅっと圧縮されて、濃い紫色の光球になっていった。大きさは、ちょうど西瓜の玉くらい。そして、濃い紫の光球は、わたしたちに合図するみたいに、二度三度点滅してから、金色の糸をたどるように、天へ昇っていったんだ。
最初だけはゆっくりと浮上した光球は、わたしたちが見上げるくらいの高さになると、少しずつ速度を増して、一気に遥か高みへと消えていった。奥殿にも宝物庫にも天井があるから、そんなに上の方まで、仰ぎ見られるはずがないんだけど、わたしが立っているのは、ルーラ王国の神霊庁だからね。その程度の不思議は、驚くまでもないんだろう。
紫の光球が去り、金色の糸も消えた後、残された巨大鋏は、みるみるうちに小さくなっていった。最後には、わたしの片手に乗るくらい小さな、本来の握り鋏の大きさになって、静かに床へと降りていったんだ。
神器だった巨大鋏の御霊は、神名を授けられて神様になり、その器だった鋏だけが、現世に残されたんだろう。純白の床の上で輝いている鋏が、今も神器なのかどうかはわからないけど、スイシャク様たちのいう〈神成〉は、確かに成し遂げられたんだと思う。
スイシャク様とアマツ様、羊の神霊さんのそれぞれが、わたしにイメージを送ってくれた。〈やれ、目出度し、目出度し〉〈新神の生まれ出る〉。〈見事成し遂げたり〉〈重畳、重畳〉〈我らが雛の優れたること〉〈我が名は、□□□□□□□□□とぞ言わん。其が器には溢れし故、ムスヒと呼ぶが良き〉。
神霊さんたちのイメージに、わたしは、安心して身体の力を抜いた。急にとんでもないことを頼まれちゃったけど、何とか期待に応えることができたみたい。良かった、本当に良かった。今、羊を司る神霊さんの御名を許された気がするのはさておき、ともかく良かった。
そう思ったのを最後に、わたしは意識を失っていった。別に具合が悪いわけじゃないし、昨日みたいに、自分の存在が曖昧になっちゃったわけでもない。ただ、眠くて眠くて、どうしようもなかったんだ。
慌ててわたしを呼ぶ声を聞き、力強い腕で抱きしめられたと思った瞬間、わたしは、もう何も考えられなくなっていた……。
◆
どこか遠くで、人の話す声が聞こえる。意識が覚醒するよりも先に、わたしは思った。これと同じことって、昨日もあったばっかりだよね?
そう。病気らしい病気なんてしたことのない、健康優良児のわたし、チェルニ・カペラは、人生で二度目の気絶っていうのを経験して、そこから、ゆっくりと覚醒しようとしているところらしいんだ。
わたしは、みっちりと固いところに座って、誰かに抱きかかえられている。昨日の今日だし、安心感がすごいし、わたしの大好きな匂いもしているから、今がどんな状況なのか、すぐにわかった。わたしってば、大好きなお父さんの膝の上で抱っこされて、ぐうぐう寝ているみたいなんだよ。
場合が場合だから、仕方がないとは思う。思うけど、思春期の少女が、これで良いのかって、ちょっと疑問ではあった。ネイラ様を、すっ、好きになって、れっ、恋愛感情っていうものを知っても、お父さん子のままなんだよね、わたしってば。
深く眠り込んでいた意識が、ゆっくりと浮上するとき特有の、ぐずぐずとした甘えに引きずられて、わたしは、もう少しだけ眠っていることにした。周りにいる人たちは、熱心に何かを話し合っているみたいだから、大丈夫だろう、多分。
「では、アリアナ嬢とフェルト殿は、神霊庁に対してルーラ元大公らの罪を告発した当事者。シーラ総隊長は、告発の確認者として、神霊裁判の場で証言していただく、ということでよろしいですか? カペラご夫妻並びにアリアナ嬢、フェルト殿には、殺人未遂事件の被害者として、必要に応じて別途ご証言をお願いする可能性もあります」
「すべて、オルソン猊下の仰せの通りにいたします。よろしくお願い申し上げます、猊下」
「ありがとうございます、カペラ殿。アリアナ嬢も、それでよろしいですか?」
「もちろんでございます、オルソン猊下。わたくしが、神霊庁への告発を口にしたばかりに、大変なお手間をおかけいたしますこと、お詫び申し上げます」
「何の何の。神霊庁として、当然のお役目ですよ、アリアナ嬢。あの場で戦闘を行わせることなく、大公騎士団を黙らせるには、告発ほど有効な手段はありません。その機転と勇気には、ほとほと感心しております。ねえ、コンラッド猊下?」
「誠にもって、素晴らしいお嬢様です。フェルト殿は、得がたき伴侶に巡り逢われたようで、心よりお祝いを申し上げますよ。ルーラ王国の今後を思いましても、望ましいことでしょうから……」
「猊下。皆さんが不安になられますので、微妙に口を濁すのは、おやめくださいませ。それよりも、今は御神鋏のことでございます。どのようにお考えでございますか、猊下?」
「チェルニちゃんが目覚められ、御神霊様方の御意向を、お示しいただいてからのことでしょう。我らは謹み喜びて、付き従うだけですよ。ただ、アリアナ嬢の今後に関しては、カペラ家の皆様やフェルト殿も交えて、ご相談する必要がありますね」
え? 待って、待って。アリアナお姉ちゃんの今後って、どういう意味なの? もしかして、何か良くないことがあったんじゃないよね?
大好きなアリアナお姉ちゃんの話題に、わたしは、ゆっくり寝ていられなくなって、必死に目を開けようとした。お父さんの腕の中は暖かくて、安心できて、いつまでもぐすぐすしていたいけど、わたしの甘えより、アリアナお姉ちゃんの方がずっと大切なんだ。それに、こっ、恋を知った少女としては、いつまでもお父さんにべったりっていうのも、さすがに恥ずかしいしね。
もぞもぞ、むにむに、身動きしていると、周りの人が気づいて、それぞれに声をかけてくれた。スイシャク様とアマツ様も、わたしの腕の中と肩の上から、じっと見守ってくれているみたい。お父さんってば、またしても神霊さんごと、わたしを抱きかかえてくれているんだね。
それから、膝の上が妙に生暖かいのは、羊を司る神霊さんが寝そべっているからだろう。御名を許されたからか、何となく気配でわかるんだ。羊を司る神霊さん……呼び名を教えてもらったから、今日からはムスヒ様ってお呼びするけどね。
「目を覚ましたのか、チェルニ? 大丈夫か?」
「わたしの可愛い小鳥ちゃん。気分はわるくない? 何か飲めるかしら?」
「……う……ん。もう大丈夫だよ、お父さん。心配させてごめんね、お母さん。わたし、気分が悪くなったんじゃなくて、眠くて眠くてどうしようもなくなっちゃったんだよ」
「チェルニちゃんは、大きな大きなお力の〈依代〉となってくださったので、御身に負担がかからないように、御神霊が癒しの眠りに誘われたのでしょう。〈神託の巫〉としてのお務めを果たしていただき、ありがとうございました。誠にご立派でしたよ、チェルニちゃん」
「……ミル様……」
「はい。ミルですよ、チェルニちゃん。すぐに温かい飲み物が運ばれてきますからね。もう少しお休みになられますか?」
「いえ、起きられます。ありがとうございます」
わたしが、頑張って身を起こそうとするのを、お父さんの力強い腕が支えてくれた。その拍子に、腕の中のスイシャク様がずり下がって、膝の上のムスヒ様に乗っかる形になっちゃってるよ。わたしの身体の上で、神霊さんが渋滞するのって、どうなのさ?
ちなみに、改めて見た神霊さん達は、皆んな元の姿に戻っていた。アマツ様は、小さくなって炎と鱗粉の量が抑えられているくらいだけど、スイシャク様は麗しのご神鳥じゃなくて、まん丸でふくふくの巨大雀だし、ムスヒ様は荘厳な羊っぽい感じじゃなく、可愛い編みぐるみなんだ。威厳はなくなったとしても、わたしとしては、この方がうれしい。
すっごく高級そうな長椅子の上に移動して、温かい飲み物を飲ませてもらってから、わたしは、気になることを質問してみた。
「あの、わたし、気を失っちゃったんですけど、〈神成〉の神事って、うまくいったんでしょうか?」
「もちろんですよ、チェルニちゃん。どこまで覚えておられますか?」
「鋏の〈紫光〉様の光が、紫色の光球になって天に上っていったところまでです。新しい
神名は、ライセツノカミ様で、スイシャク様とアマツ様、ムスヒ様から、それぞれ祝福のお言葉がありました」
わたしが答えると、お父さんたちは顔を見合わせて、変な顔でうなずき合い、ミル様とヴェル様は、すごく楽しそうに笑った。
「もしかして、新たに顕現なされし御神霊の御分体が、チェルニちゃんに御名をお許しになられたのですか?」
「はい。神名の方は、わたしの魂の器では受け止められないので、あだ名っぽい呼び名を教えていただきました。ムスヒ様です。どういう意味の呼び名なのか、全然わかりませんけど」
「ほほほ。何と愛らしいことでしょう。ねえ、パヴェル?」
「まったくでございますね、猊下。あのね、チェルニちゃん。貴女は、さっきから〈メエメエ〉いっているんですよ。可愛らしく」
「……メエメエ?」
「はい。メエメエ」
「ムスヒ様って、いってません?」
「はい。メエメエ様ですね」
優しく微笑んでいる、ミル様とヴェル様の顔を見ながら、わたしは、密かに決意した。人前では、スイシャク様やムスヒ様のお名前を呼ばないようにしようって。今は十四歳の少女だから、まだ許されるとしても、成人してからもチュンチュン、ギュルギュル、メエメエいいたくないよ、わたし……。
ここまで考えたところで、わたしは、一つの可能性に気がついた。ムスヒ様はメエメエなのに、ライセツノカミ様のことは、ご神名で呼べているんじゃないの? ヴェル様たちが、突っ込んでこないよ?
「あれ?」
「どうされました、チェルニちゃん?」
「わたし、ライセツノカミ様のことは、ご神名でお呼びしているみたいなんですけど、それは普通に聞こえるんですか?」
「はい。ライセツノカミ様と聞こえますし、わたくしたちも、御名を口にすることができます。ライセツノカミ様が、天に上られる瞬間に、あの場にいたすべての神職と、チェルニちゃんの関係者の皆様に、ライセツノカミ様の御名が許され、印を賜りました。また、大神使猊下を始めとする神使には、御神託も降っております」
「この度の目出たき神事を寿がれた、神々からの御祝福だそうでございます。ライセツノカミ様の御名は、あの場におりました全員が、等しく許されることによって、御神威が薄められ、我らの魂の器に収まったのだとか。身が震えるほどに、ありがたきことでございます」
「うわぁ、すごい。わたし、何とかお役目を果たせたんですね? 良かった。じゃあ、あの大きな鋏はどうなったんですか? 最後には、普通の大きさになっていたような記憶があるんですけど。それから、アリアナお姉ちゃんが、どうかしたんですか? お姉ちゃんの今後って聞こえたから、わたし、目を覚ましたんです」
そういうと、ミル様とヴェル様は、また顔を見合わせて微笑んだ。そして、ミル様が、お姉ちゃんの方に手のひらを向けた。
「彼の御神鋏は、あそこにございますよ、チェルニちゃん。すでに御霊は天に昇られましたので、今は神器〈紫光〉でございますけれど。アリアナ嬢の今後を話し合わなければならないのも、御神鋏の故でございます」
ミル様に促されるまま、アリアナお姉ちゃんの方を見たわたしは、びっくりして声を上げそうになった。だって、椅子に座ったアリアナお姉ちゃんの膝には、綺麗な紫色のクッションぽいものが置かれ、その上には、見るからに普通の鋏とは違う輝きをまとった、可愛らしい握り鋏があったんだ。
あれって、ご神器の巨大鋏だよね? どうして、お姉ちゃんの膝の上なの? 教えて、アリアナお姉ちゃん!