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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 2-32

 クローゼ子爵家にいるマチアスさんと、使者ABは、図書室でオルトさんたちを待つことに決めたみたい。いくつかの書類らしきものを持ち出すと、隠し部屋の扉を閉めて、そのまま図書室に残ったんだ。
 
 マチアスさんは、図書室の大きな窓に近づいて、カーテンを全開にすると、指で素早く印を切った。
 
「影を司る御神霊よ。今日は、もう一度力を貸してほしい。しばらくすると、この場に何人かの愚か者が現れるだろう。わたしが指を鳴らしたら、〈影縫かげぬい〉の術を発動して、侵入者の動きを止めてくれないか。拘束時間は、わたしが再び指を鳴らすまで。対価は、我が魔力で支払おう」
 
 マチアスさんが詠唱を終えると、さっきと同じ黒い光球が現れて、きらきら光りながら、図書室の中を旋回した。一回、二回、三回。黒い光球が消えた後には、図書室の壁伝いに、黒く光る線が浮かび上がり、すぐに見えなくなった。
 
 初めて見る神霊術だったから、わたしがじっと見つめていると、ヴェル様が感心したような口調で教えてくれた。
 
「さすがは、神霊術の使い手と名高いマチアス殿ですね。事前に神霊術を展開し、合図とともに発動させる〈配備術はいびじゅつ〉は、とてもむずかしいものなのです。それを、ご自分の魔力だけを対価にして、易々やすやすと成し遂げるのですから、実に素晴らしいですね」
「はい! はい!」
「どうぞ、チェルニちゃん」
「配備術って、詠唱なしでも、すぐに神霊術を使えるように、事前に神霊さんにお願いしておくんですよね? ヴェル様が、私たちのために使ってくれた〈虜囚の鏡〉も、配備術なんですか?」
「チェルニちゃんの聡明さには、いつも驚かされますね。そうです。〈虜囚の鏡〉も、配備術の一種だといっていいでしょう。ただし、あれは国宝たる御神鏡の神力しんりょくをお借りし、神徒たちの魔力の助けも借りて、ようやく使える術なのです。己が魔力だけを対価にするマチアス殿には、遠く及びませんよ」
 
 なるほど。ヴェル様の神霊術が、マチアスさんに及ばないなんて、全然、まったく思わないけど、マチアスさんがすごいことは、よくわかった。
 わたしの大好きな、町立学校のおじいちゃんの校長先生も、〈もっとも使いやすいのは、《今》に干渉する神霊術。未来を予約する《先》の神霊術は術者を選び、過去を変えようとする《去》の神霊術は、只人ただびとには使えない〉って、教えてくれたからね。
 
 マチアスさんと使者ABが、持ち出した書類に目を通していると、段々とお屋敷が騒がしくなってきた。何人もの人の声が、遠くに聞こえてくる。〈どうして護衛騎士が倒れているんだ!?〉〈何があったんだ?〉って。
 フェルトさんをさらってくるために出かけていた、オルトさんたちが、お屋敷に戻ってきたんだろう。
 なかには、〈何だ、このでかい石は! つまずいたじゃないか!〉とか、怒っている声もあった。使者Bってば、図書館までの道筋で、護衛騎士っぽい人に会う度に、頭から石を落としまくっていたからね。
 
 しばらくすると、いかにも慌てた感じで、オルトさんたちが図書室に駆け込んできた。マチアスさんが、離れにいないことがわかって、不安になったんじゃないかな? オルトさんの顔は、もう隠しようがないくらい青ざめていて、首元から生えている四匹の炎の蛇も、汚らしいよだれをたらして、小刻みに揺れていた。
 
 図書室に入ってきたオルトさんは、長い足を組んで、ゆったりと椅子に腰かけているマチアスさんを見て、低い声で威嚇いかくした。
 
「どうして、貴方がここにいるのだ、父上」
 
 オルトさんの声に合わせて、首元の蛇たちも、ギシャーギシャーって鳴きながら、ものすごい勢いで燃え上がった。
 息子のアレンさんも、ナリスさんとミランさんの親子も、やっぱり憎しみに歪んだ顔で、マチアスさんをにらみつけている。本当の父親が誰であれ、マチアスさんとオルトさんたちは、親子だったはずなのにね……。
 
 マチアスさんは、もう悲しい顔は見せないで、むしろからかうみたいな表情で、オルトさんに笑いかけた。
 
「どうしてといわれても、わたしが当代のクローゼ子爵になったからな。クローゼ子爵家の当主が、最初にすることといえば、決まっているだろう?」
「隠し部屋の確認か。しかし、当主といっても、まだ内示の段階だろう。宰相から、貴方が暫定的ざんていてきにクローゼ子爵になると、聞かされてはいるが、誓約はしていないではないか」
 
 オルトさんの言葉に、ヴェル様が、わたしの表情をうかがった。これは、あれだ。オルトさんのいうことが理解できているか、気にしてくれたんだろう。町立学校でも習ったから、大丈夫ですよ、ヴェル様。
 
 ルーラ王国では、貴族家の当主が交代するときに、〈誓約の〉っていう神事が行われる。神霊庁の中にある〈誓約の間〉っていう場所で、先代当主と一緒に誓約を捧げ、当主の任命を受けるんだって。当主が先に亡くなったりしたときは、神使が先代当主の役割を担うから、大丈夫らしい。
 〈誓約の儀〉の仲立なかだちをする人は、爵位によって決まっていて、王家は大神使とすべての神使、大公家と公爵家は大神使だいしんし、侯爵家と伯爵家は神使しんし、子爵家と男爵家は神徒しんと祭祀さいしり行うんだ。
 
 オルトさんは、明らかに焦りをにじませながら、でも必死に平静を装った声でいった。
 
「〈誓約の儀〉を終わらせないうちは、正式な当主ではなく、隠し部屋も開けられない。そうだろうが、父上」
「おまえは勘違いをしているぞ、オルト」
「どういう意味だ?」
「当主の交代には、必ずしも〈誓約の儀〉が必要なわけではない。先代当主の協力がなく、神職しんしょくの仲立ちがなかったとしても、御神霊に誓いを捧げることができれば、それだけで有効になるのだ」
「まさか、父上」
「ああ。畏れ多くも、大神使たるコンラッド猊下げいかが御力を貸してくださり、すでに誓約は成った。おまえは、〈神去かんさり〉になっているから、自分の身の内から誓約が消えたことを、感じ取れなかったのだろう」
「では、貴方がここへ来た目的は……」
「すでに証拠は確保したぞ、オルト」
 
 そういって、マチアスさんは、一枚の書類を見せた。さっき、使者Bが見つけた、アイギス王国の紋章の入った書類だった。
 
 それを見た瞬間、オルトさんは、腰の剣に手をかけた。アレンさんも、ナリスさんとミランさん親子も、ためらいもなく剣を抜こうとした。三人いた護衛騎士も、迷いなく剣を抜きにかかった。
 ところが、オルトさんたちが、剣を抜き放つより早く、マチアスさんが指を鳴らしたんだ。パチって。
 
 軽い音が聞こえた瞬間、オルトさんたちは、揃って動きを止めた。見ると、図書室の窓から差し込む夕日に照らされて、長く伸びた影が、黒い光のくいで縫い止められていたんだ!
 
「動こうとしても無駄だ、オルト。わたしの〈影縫い〉の力は、おまえもしっているだろう? 完全に陽が沈んだら、解除してやろう。それまでは、身動きのならぬ身で、己の所業しょぎょうを恥じることだな」
「待て! その書類をどうするつもりだ!?」
「この足で王城に向かい、宰相閣下にお渡しする。そのために、この屋敷に戻ってきたんだからな」
「気でも狂ったのか? そんなものが表沙汰になってみろ。我らはもちろん、おまえも処刑されるかもしれないんだぞ!」
「そうだな。そう思うなら、なぜ子供らの誘拐などに加担したのだ?」
「おまえになど、わかるものか! わたしは、わたしたちは、神霊術などというものに見切りをつけたんだ。何が神霊だ、何が加護だ! 馬鹿も休み休みいえ!」
「……話にならんな。おまえのいい分は、裁きの場で述べるのだな」
「ロマン、ギョーム! 何をしている。その男を捕らえろ。わたしたちが捕縛されれば、おまえたちも同罪になるのだぞ」
「お言葉ですが、わたしは子供たちの誘拐になど加担しておりませんよ、閣下。まあ、共犯にされたとしても、かまいません。このまま、クローゼ子爵家で魂をけがすくらいなら、潔く裁かれますよ」
「ロマン様のおっしゃる通りです。よりにもよって、子供たちの誘拐に手を染めるような下衆げすを、主人にはできませんな。この場でお暇をいただきますよ、閣下。共犯で死罪にされても、あなたに忠誠を尽くすよりはましだ」
「ということだ。次は、裁きの場で会おう」
「くそっ! 立場を考えろ、マチアス・セル・クローゼ! おまえは、本気でクローゼ子爵家を潰すつもりか!」
「その名も捨てるさ。わたしには、クローゼを名乗るつもりも、その資格もないからな。名目上とはいえ、我が子と呼んだおまえたちを、わたしは正しく育てることができなかった。幼いおまえたちには、何の罪もなかったのに、愛情を注ぐこともできなかった。すまなかったな、オルト、ナリス。アレンもミランも、至らぬ祖父であったこと、改めびておく。さらばだ、オルト。さらばだ、皆」
 
 一度だけ、深く頭を下げてから、マチアスさんと使者ABは、静かに図書室を出て行った。オルトさんたちは、何かを口々に叫んでいたけど、三人とも一度も振り返らなかったんだ……。
 
     ◆
 
 くるりくるり。わたしの目が、次に映し出したのは、三台の箱馬車が、夕暮れの街道を走っている情景だった。
 先頭の馬車には、キュレルの街の紋章が刻印されているから、きっと守備隊の箱馬車なんだろう。二台目の扉のない馬車は、フェルトさんがり飛ばしちゃった、〈白夜びゃくや〉のものだと思う。
 
 馬車の周りでは、守備隊の人たちが騎馬で並走していた。優雅に手綱を握るリオネルさんも、小隊長のアランさんも、元気いっぱいのフェルトさんもいる。
 扉のない馬車の中には、縄で縛られた〈白夜〉の人たちの姿が見えていて、これからキュレルの街の守備隊本部まで、悪人たちを連行していくんだろう。
 
 フェルトさんたちの無事な姿を見て、わたしは、大きく息を吐いた。だって、〈白夜〉の本拠地になっている王都の店の中で、〈かしら〉って呼ばれていた人が、フェルトさんたちを襲撃するっていってたからね。
 〈黒夜こくや〉の人たちが護衛をしてくれているから、大丈夫だってわかっていても、やっぱり気になってたんだ。
 
 ヴェル様は、そんなわたしを見て、優しく微笑んでくれた。
 
「皆の帰り道が、心配だったのですね、チェルニちゃん? 安心してもらえるように、わたしが術を使うことにしましょうか」
「鏡ですか、ヴェル様? いいんですか?」
「もちろん。我が主人は、チェルニちゃんの守りのために、わたしを〈野ばら亭〉につかわされたのです。チェルニちゃんの心配事を取り除くのも、大切な役目ですよ。それに、〈白夜〉の者は、遠隔から神霊術を使うのでしょうから、万が一がないともいい切れません。危険な種は、芽吹く前に踏み潰しておきましょうね」
 
 そういって、椅子から立ち上がったヴェル様は、食堂の窓を開けて、外に向かって声をかけた。〈いますか?〉って。
 ヴェル様の呼びかけに応えて、すぐに近寄ってきた人影は、〈ここに〉って一言、ささやくみたいにいった。食堂の外は、お母さんが丹精した自慢の庭で、今の季節なら、可愛いオレンジ色の秋薔薇が満開なんだけど、いつの間にか王家の特殊部隊が常駐しちゃってるよ……。
 
「今から〈虜囚の鏡〉を使います。捕縛の対象となるのは、守備隊の帰途を襲撃する〈白夜〉の者共です。捕獲後の後始末を頼めますか?」
「畏まりました、猊下げいか。我ら〈黒夜〉の手の者が、尾行を続けておりますので、〈抜けがら〉は抜かりなく確保いたします」
 
 〈黒夜〉の人の答を聞いて、ヴェル様は、満足そうにうなずいた。そして、窓を大きく開け放つと、胸元から小さな鏡を取り出した。
 薔薇の縁飾りが可愛らしい、ヴェル様の〈虜囚の鏡〉は、真っ黒だった鏡面を、今も紅く輝かせていた。アマツ様の〈きよめの業火ごうか〉は、捉えた罪人のこんを、燃やし続けているんだろう。
 ヴェル様が、窓の外に向かって〈虜囚の鏡〉を掲げると、紅く燃えていた鏡面は、銀色に輝いた。冷たくて尊くて圧倒的な、神霊さんの銀光。煌々こうこうとした鏡面は、ひときわ強く発光したかと思うと、すごい勢いで光の帯をほとばしらせたんだ。
 
 待つほどのこともなく、すぐに一本の光の帯が戻ってきた。前回と同じく、光の帯の先端には、けがらわしい影のようなものを縛りつけている。光の帯は、影を捉えたまま、紅い鏡面に吸い込まれていった。
 一本、二本、三本、四本……。次々に戻ってきて、鏡面に吸い込まれる光の帯は、合計で二十本になった。〈白夜〉の長が、フェルトさんたちを襲撃するように命令した、犯人たちの数とぴったり同数。ヴェル様ってば、鏡をかざすだけで、〈白夜〉の襲撃犯を一網打尽いちもうだじんにしちゃったんだね……。
 
 わたしの肩に留まっていたアマツ様は、上機嫌に真紅の羽根を揺らめかせた。頭の中には、〈上々じょうじょうの首尾也。更なる業火ごうかにて燃やし尽くさん〉って、物騒なメッセージが送られてきたしね。
 わたしが止める間もなく、ぶわって神威しんいを膨らませたアマツ様は、可愛い羽根先から、真紅の業火を生み出した。業火は、轟々ごうごうと渦を巻いて燃え盛り、〈虜囚の鏡〉に吸い込まれていった。
 ヴェル様が、そっと見せてくれた鏡の中では、たくさんの人影のようなものが、赤々とした炎に焼かれ、苦しそうにのたうち回っていたんだよ。
 
 〈虜囚の鏡〉の恐ろしさに、さすがにちょっと引いていると、またしても視界が入れ替わった。新しく目に入ったのは、さっきと同じクローゼ子爵家の図書室だった。
 
 黒い光の杭で、影を縫い止められたオルトさんたちは、やっぱり身動きができないみたいで、ものすごい怒りの形相でうめいていた。
 オルトさんの首から生えた蛇まで、一緒になって静止したまま、ギシャーギシャーって鳴いているのは、もっと不気味だった。
 
「くそ! マチアスのやつめ、八つ裂きにしてやる!」
「そんなことより、兄上。この始末は、どうやってつけるつもりなんだ。あの書類を奪われた以上、いい逃れはむずかしいぞ。だから、早く証拠を隠せといったのに」
「うるさい! この隠し部屋以上に安全な隠し場所など、この現世うつしよにあるものか」
「はっ! 実際には、まったく安全ではなかったがな。まんまと証拠を盗まれて、俺たちは破滅するんだ。いい面の皮だ」
「仕方がないだろう。私に一言の断りもなく、〈誓約の儀〉すら無視して、当主を交代するなどと、予測できるものか」
「それよりも、問題はこの先ですよ。どうするんですか、伯父上。座して死を待つおつもりですか?」
「まさか。身体が動くようになり次第、大公閣下のお屋敷に逃げ込む。大公家に了承なく踏み込むには、陛下の勅命ちょくめいるのだから、宰相といえども、そう簡単には動けないはずだ。その間に、いったんアイギス王国に行く」
「大公家を巻き込むことなど、閣下が嫌がられるのではありませんか?」
「それでも、強引に押しかけるんだ。このまま屋敷に留まっていても、捕らえられるだけだろう。宰相に交渉できるのは、大公閣下だけなのだから、取りなしを願うしかあるまい」
「お祖母様とカリナは、どうします、父上?」
「捨てていく」
「本気ですか?」
「本気だとも。母上やカリナは、仮に捕らえられたとしても、乱暴には扱われない。今は、我々の身の安全を確保することが先決だ」
「しかし、兄上。ここまで仕掛けられていることを考えれば、我らの動きも見張られているだろう。どうやって大公家まで行くんだ?  途中で捕縛されるのが落ちだ」
「転移する。この屋敷から大公家までは、さほどの距離はない。大きな魔術触媒を使えば、転移できるはずだ」
 
 は? 待って、待って。オルトさんってば、今、何をいったの? 転移って、魔術触媒って、それって神霊術じゃないよね? ルーラ王国に生まれた国民なら、誰も使えないはずの、魔術じゃないの?
 オルトさんの言葉に、クローゼ子爵家の人たちは、驚いた様子を見せなかった。ただ、むずかしい顔をして、ナリスさんがいった。
 
「しかし、兄上。我らの魔術は、まだ半端だ。教えられている途中で、セレント子爵が捕まったからな。魔術を教わるために、誘拐にまで協力したというのに」
「そうですよ、父上。転移などという高等魔術は、今のわたしたちには不可能です。それなら、馬を走らせた方が確かだ」
「できるさ」
「父上?」
「できる。そうだろう、ミラン? おまえは、もう魔術を使えるのだろう、ミラン?」
 
 オルトさんは、そういってミランさんに笑いかけた。毒々しく歪んだ笑いだった。ナリスさんとアレンさんは、目を見張って、ミランさんを凝視する。三人の視線を受け止めて、ミランさんは、微かに笑った。
 
「お気づきだったんですね、伯父上。ええ、できますよ。セレント子爵から受け取った、一番大きな水晶を使えば、大公家くらいまでは転移できます。いいでしょう。他に方法はないんだ。伯父上のいう通りにしましょう」
 
 ちょうど、そのときだった。日が沈み、図書室が薄闇うすやみに包まれたかと思うと、黒い光の杭が、一瞬で消えていったんだ。
 
「動く! 動きますよ、父上!」
「よし! すぐに支度をするんだ、アレン。本当の貴重品以外は、すべて置いていけ。いいな。おまえは、魔術術式を組み上げろ、ミラン」
「わかりました、父上」
「では、そのようにいたしましょうか。神霊術など、わたしには不要だということを、証明してみせましょう」
「皆、急げ! マチアスの思い通りになど、なってたまるか!」
 
 そう叫んで、オルトさんたちは、いっせいに動き出した。クローゼ子爵家を追いつめるための作戦は、五日目の夜にして、思いもかけない事実に突き当たったんだよ。