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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 4-10

 町立学校の卒業式は、毎年、大講堂で行われることになっている。町立学校のサロモン学舎の象徴ともいえる大講堂は、天井がものすごく高い吹き抜けで、全校生徒と保護者が集まってもまだまだ余裕があるくらい、広々とした建物なんだ。
 大講堂の木の床は、年季ねんきの入った飴色で、四角い石を組み上げた壁は、ほんわりとしたクリーム色。全体的に古いのは確かだけど、定期的に補修されているから、良い感じに風格があるんじゃないだろうか。
 
 わたしとジャネッタは、大講堂の前に整列している、卒業生の列に並んだ。他のクラスの子たちは、ほとんど全員が集まっているのに、わたしたちのクラスは、まだ半分もいない。これは、あれだ。蛇少女のロザリーが、わたしにからんできたことで、教室を出るのが遅くなったんだろう。皆んな、見ていないふりをしながら、わたしとロザリーの話に、生徒たちが聞き耳を立てていたからね。
 わたしは、またしても大きなため息をいて、気持ちを切り替えた。大講堂の中には、卒業生の保護者と在校生が、準備を整えて待っているはずだし、町立学校の卒業式では、毎年、先生たちが楽しい神霊術を披露して、卒業を祝ってくれる。せっかくの記念の日に、嫌な記憶に振り回されるなんて、馬鹿馬鹿しいなって思ったんだ。
 
 隣に並んだジャネッタと、王都の話をしているうちに、わたしたちのクラスの生徒も、ようやく集まってきた。わたしとジャネッタのいる場所から、わざと遠い位置を選んで、蛇少女たちが並び始めたのも、視界の端に映っていた。
 蛇少女の首に巻きついていたはずの、巨大化した蛇の姿が見えなくなって、代わりにロザリーの額が、どんよりと光っているように見えるんだけど、気にしない。額が光っているのは、多分、神霊さんの文字が浮かび上がっているからだと思うけど、気にしない。
 姿と気配を隠したままの、スイシャク様とアマツ様が、揃って〈いとけなき少女が《邪見じゃけん》なるか〉って、どこか哀しそうなイメージを送ってきたけど、気にしない。〈邪見〉っていうのは、よこしまな考え方とか、不正な心っていう意味なんだって、二柱ふたはしらが教えてくれたけど、気にしない。気にしないったら、気にしない……。
 
 わたしが、重い気持ちになって、もう一度ため息をついたところで、卒業式の進行役の先生が、わたしたちに声をかけてくれた。〈皆さん、本日は卒業おめでとう。さあ、入場しよう〉って。キュレルの街の町立学校サロモン学舎、卒業生百十八人は、いよいよ卒業の瞬間を迎えるんだ。
 
 レフ様が編んでくれた、サクラ色のショートマフラーは、大切に鞄の中にしまってきたから、今は手元に持っていない。代わりに、赤いリボンの髪留めに手を伸ばすと、ふわっと気持ちが軽くなった。
 もう大丈夫。わたしの近くには、スイシャク様とアマツ様がいてくれるし、レフ様だって、いつも見守ってくれているんだろう。この後の話し合いのことは忘れて、今は、卒業式を楽しもうって、そんなふうに考えられた。こっ、こっ、恋する少女は、精神的に強くなるんだよ、きっと。
 
 進行役の先生が、扉の横に立っている下級生たちに合図を送ると、大講堂の大きな扉が、二人がかりで開かれた。その瞬間、どこからともなく聞こえてきたのは、重々しくも美しい鐘の音だった。鐘を司る神霊さんから、印をもらった先生が、学校行事のたびに鐘を鳴らしてくれるんだよ。 
 何回聞いても良い音だなって感動していると、どこからともなく頭の中にイメージが送られてきた。見事な金朱きんしゅ色の毛並みを輝かせた猫、それも青い硝子がらすの瞳をきらきらさせた、大きなぬいぐるみの猫が、わたしをじんわりと見つめている。五色ごしきリボンで首につけた鈴を、ふと短い前足で振って。鈴を司る神霊さんってば、鐘の音に対抗したい……んだろうな、多分。
 
 頭の中で、ぬいぐるみの猫に謝っているうちに、わたしたちのクラスが、大講堂に入場する順番になった。おごそかに響く鐘の音の中、きちんと整列して大講堂に足を踏み入れると、そこには美しい光景が広がっていた。
 空中から、ふわりふわりと舞い落ちてくるのは、淡いピンク色に輝くサクラの花びら。桜を司る神霊さんから印をもらった先生が、特別に見せてくれる神霊術だから、床に着く直前に消えてしまう、素敵な花びらの雨なんだ。
 大講堂の中を優雅に飛び回っているのは、極彩色の大きな蝶々ちょうちょ。少し透けるような半透明で、はかなさを感じさせるところが、いっそう美しくて、生徒たちも保護者たちも、思わず吐息を漏らしているくらいだった。
 町立学校サロモン学舎には、神霊術が得意な先生が多いから、毎年の卒業式は見事なものになる。中でも、今年は飛び切り素晴らしい気がするのは、わたし自身が卒業生になったからかもしれないね。
 
 大きな拍手に迎えられて、わたしたち卒業生は、決められた席についた。わたしの大好きな家族が座っている保護者席は、ひと目でわかった。アリアナお姉ちゃんってば、まるで発光するかのようなうるわしさで、たくさんの人の視線を集めているんだよ。
 華やかな演出で、卒業生が入場しているのに、ぼうっとした顔でお姉ちゃんを見つめている人たちって、どうなんだろうね? 仕方がない気はするけど、やっぱりちょっと問題じゃないの? ちょきちょきちょきちょき、ちょきちょきちょきちょき。わたしにしか聞こえないらしい、金属音を響かせながら、ご神鋏しんきょうの〈紫光しこう〉様が、盛んにお姉ちゃんの周りを飛び回っているのは、今日もお姉ちゃんに執着する人たちの、思念の糸をち切ってくれているんだろう。
 
 卒業生が指定された椅子に座ると、先生たちの列の中から、わたしたちの担任の先生が、すすっと前に進み出た。優しいお母さんみたいな女の人で、ものすごい猫好きで、いつも洋服を毛だらけにしている、わたしたちの大好きな先生なんだ。今日は、さすがに猫の毛は払ってきたらしく、神霊術で大きく響かせた声で、堂々と卒業式の開始を告げた。
 
「只今より、キュレル町立学校サロモン学舎、第百九期生の卒業式をり行います。卒業生の皆さん、保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。式の初めに、ルーラ王国国歌を斉唱せいしょういたしますので、皆様、ご起立をお願いいたします」
 
 ルーラ王国の国家は、ちょっと祝詞のりとに似た感じの、伸びやかな曲調の歌なんだ。もちろん、国歌の始まりは、どの教室にもかかげてあるあの言葉だよ。〈森羅万象しんらばんしょう 八百万やおよろず あまね神霊みたま御坐おわします 我が王国に弥栄いやさかえ さずけられたる神印しんいんの 尽きぬ世をこそ寿ことほがん〉ってね。
 わたしは、この歌がお気に入りだから、大きな声で元気良く歌いたくなる。実際には、音痴を自覚しちゃってるので、小さく口ずさむだけなんだけど。
 
 国歌斉唱が終わると、卒業生の一人一人に、卒業証書が渡される。おじいちゃんぽい校長先生が、壇上だんじょうに上がって、お手伝いの先生から渡される卒業証書を、優しい笑顔で受け取っていくんだ。
 うちの学校には、風の神霊術を得意とする先生がいるから、卒業生が壇上に上がったりはしない。各クラスの担任の先生が、生徒の名前を一人ずつ呼んで、その子が返事をして起立する。校長先生が、〈卒業おめでとう〉の声と同時に手を離すと、ひゅうっと卒業証書が手元に飛んでくるんだ。
 
 次々に卒業証書が宙を舞って、いよいよわたしの番が来た。担任の先生が、朗々ろうろうとした優しい声で、〈チェルニ・カペラさん〉って呼んでくれて、わたしは、しっかりと返事をして立ち上がった。その瞬間、大講堂の空気が揺れて、全員がわたしに注目したような気がするのは、気のせいじゃないよね、やっぱり。
 大好きな校長先生と目で合図を交わして、ひゅうっと飛んできた卒業証書を、うやうやしく両手で受け取っている間も、大講堂のあちらこちで、ざわめきが起こっていた。〈王立学院〉とか〈首席合格〉とか〈特待生〉とか、心当たりの言葉が聞こえてくるんだ。ジャネッタがいっていた通り、わたしが、王立学院の入試で首席合格したことは、もう学校中の噂になっているらしい。
 
 担任の先生は、少し間を空けて、大講堂のざわめきが収まるのを待ってから、次の卒業生の名前を呼んだ。そのまま、次々に卒業証書が宙を飛び交って……次は、いよいよ校長先生の挨拶だった。
 おじいちゃんみたいで、でも、実際にはそこまでおじいちゃんじゃない校長先生は、めったに見せない威厳と優しさをたたえて、卒業生一人一人に語りかけるみたいに、長くはない祝辞を贈ってくれた。
 
「巣立っていく子らに、心からの祝意しゅくいと共に、少しばかり堅苦しい話を話をさせてもらうとしよう」
「正しく願い、努力を重ねれば、必ず誰もがむくわれる……とは、残念ながら言えんじゃろうな。いとも尊きご神霊と共に生きる、このルーラ王国にあってさえ、現世うつしよとは残酷なものであるのだから。十重二十重とえはたえ恩寵おんちょうを受ける者もおれば、さち薄く見える者もおろう。うらまず、ねたまず、そねまず、投げやりにならず、美しく生きることは、誠にもって難しい」
「しかし、どうか覚えておいておくれ。この世の苦難の多くは、尊きご神霊しんれいから与えられる試練ではなく、心弱き我々が、みずから落ちる地獄なのだよ。魂魄こんぱくけがれを寄せつけず、おのれりっして暮らすなら、ご神霊の恩寵は、やがては大きな報いとなろう」
可愛かわゆき生徒諸君。わたしからのはなむけの言葉として、一つだけ伝えようかの。尊きご神霊は、我らすべての者に目を向けてくださっている。裏切りを仕出しでかすのは、ご神霊ではなく、必ず我ら人の子なのだよ」
「卒業生も在校生も、よく学び、よく遊び、よく働き、よく眠り、よく食べ、よく愛し、よく生きなさい。本日は、誠におめでとう」
 
 ひょっとして、校長先生ってば、何かを察しているのかな? 慈愛の微笑みとしかいいようのない、深い深い笑顔を浮かべる校長先生の周りには、ひときわ鮮やかな桜の花びらが、ゆっくりと降り注いでいたんだよ……。
 
     ◆
 
 卒業式は、何の問題もなく進んでいった。在校生を代表する生徒が、わたしたちに祝辞を贈ってくれて、卒業生代表として、わたしが答辞を述べた。これ以上目立つのは嫌だし、物事には様式美っていうものがあるし、わりとありきたりの答辞になったと思う。
 そして、在校生と保護者の拍手の中、わたしたち卒業生は、大講堂を退場した。ついに町立学校を卒業して、新しい環境に飛び込んでいくんだ。友達の少ない少女であるわたしは、別れを惜しみたい子も少ないし、学校の外で刺激的な経験を積み過ぎて、卒業式だからって感傷にひたれなかったのは、ちょっと寂しい現実だった。
 
 大講堂を出たところで、数少ない友達であるジャネッタが、ほんのり鼻先を赤くしたまま、わたしに聞いた。
 
「ねえ、チェルニ。やっぱり行くの、校長室?」
「行くよ。わたしの方から、待ってるっていったんだから。蛇……じゃなくて、ロザリーたちが来ないなら、それはそれで問題ないけどね」
「あのさ、この後、チェルニと話がしたいって、何人もわたしに取り次ぎを頼んできてるんだけど、どうする?」
「ん? 同級生?」
「そう。下級生も含まれているけどね。男子ばっかり、けっこうな人数なんだ。面倒だからいっちゃうと、告白したいんだと思うよ。町立学校でもぶっちぎり、圧倒的美少女であるチェルニに」
「いや、うちのアリアナお姉ちゃんと比べたら、美少女といえなくもない、っていう程度だよ、わたし」
「まあ、アリアナさんの美貌って、ちょっと次元が違うもんね。で、どうする?」
「今日は、蛇……じゃなくて、ロザリーと話す約束だから、用があるなら手紙にしてほしいって、伝えてくれないかな? ジャネッタを伝書鳩にしちゃって、本当にごめんね。そういえば、ルーラ王国には神霊術があるから、伝書鳩っていないよね? それなのに、こういうときって、どうして伝書鳩って使うんだろうね?」
「……チェルニは、やっぱりチェルニだね。わかった。そう伝えておくわ。どうせ、手紙が来たって、無感動に断るんでしょう?」
「ろくに話したこともない人に告白されても、受け入れる余地がないよ。会ってなくても、ぶっ、文通とかで、なっ、仲良くなったら、別だけど」
「さっきから、どうもチェルニの様子が変なんだよね。ロザリーとの話が終わる頃をみはからって、校長室の前で待っているから、ちゃんと聞かせてね。一緒に帰るでしょう、わたしと?」
「もちろん。よかったら、うちに寄っていってよ。お父さんが、卒業祝いのケーキとか、たくさん用意してくれてると思うんだ」
「やった! じゃあ、後でね」
 
 ジャネッタに手を振って、わたしは、校長室に向かった。おじいちゃんぽい校長先生は、生徒たちがめ事を起こしたり、内緒で話し合いをする必要があるときは、誰にでも校長室を使わせてくれるんだ。資料とかがたくさん置いてある個室じゃなく、扉続きの校長先生専用の応接室の方なんだけど。
 生徒が応接室を借りるとき、校長先生は隣の個室にいて、話を聞かないようにしてくれる。暴力沙汰ぼうりょくざたになりそうだったり、どうしても解決できそうにないときだけ、さっと登場して、話し合いに介入するんだ。校長先生って、やっぱり配慮の行き届いた教育者だよね。
 
 わたしが、校長室に入っていくと、おじいちゃんぽい校長先生は、にこにこしながら出迎えてくれた。蛇少女といい争いになって、話し合いをする予定だって説明したら、大きくため息を吐いてから、応接室を空けてくれることになった。〈難儀なんぎじゃのう、サクラっ〉〈応接室は好きにお使い。どうしようもなくなって、サクラっ娘に呼ばれるまで、わしは隣の部屋で耳をふさいでおるからの〉って。
 
 それから、わたしは、一人で蛇少女のロザリーを待っていた。もちろん、本当に一人なわけじゃない。膝の上には、純白でふっくふくな巨大雀のスイシャク様、肩の上には、真紅で輝かしくて朱色の鱗粉を振りまいているアマツ様が、わたしを慰めるみたいに、そっと寄り添ってくれているんだから。
 どれくらい、時間が経ったんだろう。もしかしたら、来ないんじゃないかっていう予想を裏切って、待つほどの間もなく、校長室の扉が叩かれた。校長先生が答える声がして、応接室に入ってきたのは、蛇少女のロザリーだった。
 
 何もいわず、むすっとした表情のまま、ロザリーが向かい側に腰かけた。蛇は……気持ちの悪いことに、半透明よりは実体に近い姿のまま、ロザリーの身体に取りいている。華奢きゃしゃな少女の胸元から、頭だけを突き出しているかと思ったら、首にぐるぐる巻きついたり、尻尾だけを肩に残した体勢で、長く伸び上がって威嚇いかくしてきたり、もう一度頭から少女の身体に潜り込んだり……。
 表現がむずかしいんだけど、ロザリーの身体を通過することも、中に入り込むことも、外に出ることも自由みたいで、よだれをらしてシャーシャー鳴きながら、元気良く動き回っているんだよ。
 
 きたならしい蛇は、多分、わたしの反応を楽しもうとしている。わたしの目に、蛇の姿が見えているのは、わかっているはずだから、怖がったり、気味悪がったりするのを、期待しているんだろう。泥色の鱗は生き生きとぬめっているし、牙の生えた口元は、わらいの形に吊り上がっているんだ。
 わたしは、ちっとも怖くはなかった。怖いなんて、思う余裕もなかった。穢らしい蛇に好きなように回られているロザリーが、あまりにも醜くて、その蛇を育てたのが、ロザリー本人だと思ったら、腹が立って腹が立って仕方がなかったからね。
 
 ロザリーに同情する気持ちも、端微塵ぱみじんに吹き飛ぶくらい、わたしの怒りは激しかった。もう一秒だって、蛇の楽しそうな表情を見ていたくなくて、わたしは、きつい口調でロザリーにいった。
 
「一人? 友達を待たなくていいんなら、さっさといいたいことをいってくれないかな。わたし、早く家に帰りたいんだよ」
「……」
「話す気がないんなら、ここにいても意味がないと思うよ?」
「そういうところよ」
「え?」
「カペラさんの、そういう偉そうなところが、耐えられないぐらい嫌いなのよ。自分一人だけ、涼しい顔をして、何もかもさらっていくのよ。美少女だっていわれて、いつも注目されて、先生たちにひいきされて、成績が良くて、男子に好かれて、トマスまで! ずるいのよ、カペラさんは!」
「……どうしよう。ロザリーの主張が、まったく理解できないよ、わたし。意味がわからないし、わたしが責められる理由になるとも思えない。ルーラ王国語で話してる? 平行線って、こういう状況をいうんだね、きっと。正直、めんどくさいから、もう帰りたい。それに、トマスって、誰? 隣のクラスに、そんな名前の子がいたんだっけ?」
 
 蛇少女のめちゃくちゃないい分に、わたしが、うんざりしながら反論した途端、スイシャク様とアマツ様から、呆れ果てたようなイメージが送られてきた。〈あなや!〉〈ひなの無謀なること〉〈我は知る。雛の言説げんせつこそ、《あおり》とぞ言うもの也〉〈蛇の少女の哀れなるかな〉〈りながら、みずから招きたる〉って。
 あれ? わたし、ひょっとして、対応を間違ったんだろうか? 尊い二柱ふたはしらのイメージに込められた、〈お手上げ〉っていう感じの雰囲気に、改めてロザリーを見ると……そこには、すごい光景が広がっていた。
 
 ロザリーの額は、嫌な感じに発光していた。さっきまでは見えなかったのに、大きく〈邪見〉って書かれていて、その泥色の文字が、不気味な光を放っているんだよ。文字がかすかにひび割れているところが、〈鬼成きなり〉したクローゼ子爵家のカリナさんを思い出させて、何とも嫌な感じだった。
 ロザリーの身体を、中へ外へと泳ぎ回っていた蛇は、もう嗤っていなかった。尻尾の先だけを、ロザリーの胸元に埋めたまま、わたしを威嚇するように身体を立たせ、激しい憎しみの込められた瞳で、わたしをにらみつけているんだ。シャーシャーいう鳴き声は、いっそう激しくなっていて、したたり落ちるよだれが、ぽたぽたとロザリーの髪や身体に降り注いでいた。
 そして、ロザリー本人は……鬼の形相ぎょうそうで、蛇よりも激しい憎悪ぞうおをたぎらせて、わたしを見つめていた。誰が見たって可愛い顔なのに、今は面影さえない。わたしと同じ十四歳の少女が、絶対に浮かべちゃういけないはずの、狂気を宿した顔が、恐ろしく歪んでいたんだ。
 
 わたしは、人生で最大といっても良いくらいの、大きな失敗をしたのかもしれない。スイシャク様とアマツ様が、蛇には気づかれないまま、紅白の光の帯で抱きこんでくれたから、怖くはない。怖くはないけど、ロザリーは、わたしの言葉によって、いっそう魂を(けが)してしまったんじゃないだろうか?
 
 どうしようもなくて、いっそ浄化を祈祷きとうしようかと思ったとき、変化が訪れた。ロザリーの胸元、ちょうど心臓のあたりに、黒いもやもやが小さく渦を巻き始めたんだ。二柱が、〈魂魄こんぱくひずみみ也〉〈黒きもやが道となり、蛇が魂魄へと根付くらん〉って教えてくれた。ロザリーの蛇は、今は、身体の中に潜り込むことができるだけだけど、黒い渦が開く〈道〉を通れば、人の魂にまで食い込めるんだろう。
 ちゃんと話をして、ロザリーに自分を見つめ直してもらいたかったのに。一度だけは、真剣に忠告するって決めていたのに。わたしのせいで、たった十四歳の少女が、〈鬼成り〉の蛇を取り込むなんて!
 
 あまりの大失敗に青くなって、慌てて祈祷をしようと思ったとき、別の変化が訪れた。入れた覚えもないのに、いつの間にか、紺色のワンピースのポケットに入っていた〈何か〉が、ぶるぶると震えながら、強く発光し始めたんだ。
 
 あっと思った瞬間、その〈何か〉は、わたしのポケットから滑り出て、輝きながら宙に浮かび上がった。古ぼけた木枠きわくの小さな手鏡。それは、ご神鏡しんきょうの世界で血の涙を流していた、わたしが持っているはずのない、あの〈鬼哭きこくの鏡〉だった……。